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2010年11月29日 (月) | Edit |
この件についてはいつかまとめておかないとなと思いつつ、ちょっと扱いを間違えるといろいろやっかいそうなので筆が進みませんでしたが、前回エントリのコメ欄で再度HALTANさんに取り上げていただいたこともありますし、この機会を利用して現時点の考えなどまとめておきたいと思います。

まずは、前回エントリに通公認さんからいただいた二つ目のコメントにお答えしておくと、

「中には」と書いている時点で、部分の話を全体に適用しているわけで、すっかり斜め天誅状態です。「○○氏が嫌い」と素直に言った方が良いのではないかと。それに、俗にリフレ派といっても、政治結社でもなんでもなくて、金融政策の重要性を強調している人たちなだけなわけで、たまたま経済政策に求めるファーストプライオリティーが一緒なだけなわけで、それ以外の政策については、完全に呉越同舟状態というか、仮にリフレ的な政策が実現されたら、今度はセカンドプライオリティーになっている政策で意見の相違が生じてお互いに論争を始めるでありましょう。

というか、リフレがどうこう以前に、「政府・日銀が景気対策をしっかり行うべきである」という意見に対する意見対立のほうが結構根深いように思いますが。どうなんでしょう?

あと、少なくとも、日銀のデフレーションターゲットは成功していますので、市場の信任(意図に対して間違いの無い行動をとるという意味での信任)は厚いのではないかと愚考いたします。

2010/11/24(水) 22:51:14 | URL | 通公認 #JalddpaA[ 編集]


「斜め天誅状態」というのが私の乏しい語彙ではよく理解できなかったのですが、その前段で「「中には」と書いている時点で、部分の話を全体に適用している」というのはさらに理解できませんでした。私のコメントの「「労働者の味方なり」と自任されるリフレ派の中には」という部分を指しているものと思いますが、リフレ派すべてが「労働者の味方」を自任されているかは判然としません。もしかすると、インフレによって債権の利払いを増やそうとしている資産家がリフレーション政策を支持しているかもしれませんし、その方がいくら口先で「私は労働者の味方ですよ」といったところで、その舌の根も乾かないうちに「労働組合なんか潰してしまえ」とか「公的職業訓練なんかムダの塊だ」といいそうで信用ならないのです。

また、「完全に呉越同舟状態というか、仮にリフレ的な政策が実現されたら、今度はセカンドプライオリティーになっている政策で意見の相違が生じてお互いに論争を始める」という呉越同舟ぶりが、bewaadさんのような悲劇を生み出したものと、個人的には考えております。つまり、リフレーション政策さえ実現すればそれ以外は主張が食い違っても構わないというオプティミズムに満ちたオポチュニズムが、各方面からのリフレーション政策に対する信頼を損ねているわけで、この点については、リフレーション政策支持者はもう少し注意を払わなければならないと懸念します。まあ、その典型が、上述のようにリフレーション政策を支持しながら、その一方でミクロな積極的労働政策を排除しようとしたり、地方の自己責任を強化しようとしたりする方々の言説なわけですが。

なお、「日銀のデフレーションターゲットは成功しています」というのも、これだけ「日銀はアホ」「コミットメントが足りない」と叩き続ければ、市場だけではなく一般の有権者もそう思うようになるでしょうから、成功しているのはあくまで市場の日銀に対する信認を否定することだと思いますよ。まあ、ものはいいようですから、「信認を否定する」という命題の裏を「信認がない状態を肯定する」と表現することもあながち間違いではないかもしれませんが。

というようなコメントをいただいたところですが、これを引用されたHALTANさんのエントリから各方面に議論が広がっているようでして、期せずして一部のリフレ派の方々の言説が各方面の信頼を損ねている実例となっていますね。

尤もあの人たちにすれば「いやアメリカの有名経済学者の誰某も市場の自由を訴えつつ中央銀行の必要性だけは否定していない」「だから私たちにも矛盾は無いんだ」と言うのでしょうが。それはそれで一方的に「日銀死ね死ね」言って中央銀行の必要性それ自体を否定するような物言いは止めるべきでしょうね。

私自身はリフレ派(ネットリフレ派)の主張はあの人たちに共感するような「首都圏在住」「一般企業勤務六大学程度卒ホワイトカラー」が気に入りそうなスローガンの寄せ集めと今は解釈しています(2010-11-23■[アホ文化人を退場させられない理由]リフレ派(ネットリフレ派)=反日銀・反霞ヶ関カルトと民主党政権の「類似性」id:HALTAN:20101123:p2)↓

(略)

「日銀・霞ヶ関死ね」「田舎者死ね」と言いつつ「失業率を低下させ日本国家を救う解答をオレ=アナタ(たち)ビジネスエリートだけは知っている!」というテイストにしておくのはなかなか有効ではあるでしょうね。
湯浅誠的「反貧困」とはまた違った方向からの「我こそは弱者・若者・労働者の味方なり!」ってポーズも一般企業勤務六大学程度卒ホワイトカラーの「オレたちはトーキョー=日本を動かすビジネスエリート」「ビジネスエリートのオレたちだけが日本を救える」という自尊心を満たすには必要なのかもしれません。

id:HALTAN:20101123:p2



(追記)

「いやオレはみん党には賛成してないよ」って人も居るのかもしれないが、外側からはどうしてもリフレ派(ネットリフレ派)=みんなの党別働隊に見える。そしてそうして色付きっぽくなった時点で「みん党みたいなのはヤダ」って人間の支持を「リフレ派(ネットリフレ派)」は失った事ぐらいは自覚して欲しい

■[アホ文化人を退場させられない理由]リフレ派(ネットリフレ派)=大都市部ホワイトカラーの慰撫思想(2010-11-25)」(HALTANの日記

※ 以下、強調は引用者による。


そういえば、拙ブログでも地方分権とか政策法務とか騒いでいる地方公務員について、同じようなことを書いたことがあります。

ところが、キャリア官僚の出身大学に比べれば一段下がる大学の法学部卒が大多数を占める事務系地方公務員は、政策法務の考え方をとることで「キャリアに独占されていた法律策定が俺たちにもできる!」とはしゃいでいるわけです。たとえば「俺は○○大(地元駅弁とかが多い)卒だけど、いままで東大とかの奴らに勝手に決められたことを俺たちが自分で決めてやるんだ」という、アンタも勝手に決めないで(気分の方が乗って参りましたので、どーでもいい歌を歌いました)。

政策法務(2008年09月21日 (日))


ネタが古いのはご容赦いただきたいのですが、「霞ヶ関の官僚は現場を知らない! 俺たちだって法学部卒なんだから官僚が作る法律に負けない条例を作れるんだぞ!」と吹き上がっている地方公務員ほど手に負えないものもありません。もともとが資源配分機能にしか特化できない地方自治体が、他の地方自治体や中央政府との間で、二重行政の排除と称して市場の失敗を奨励するような地方分権を主張するわけですから、自治基本条例とかの身の程知らずな条例が全国各地に作られることになるのでしょう。

このHALTANさんのエントリに対する反応の主なところが以下です。

ニセ科学批判程度になると、そこまでやらないので本気でないのがよく分かる。でも、もし実際に団体作ってあれこれって話になっても、リフレ派のなんたら会議とか、ネトウヨのなんたら会みたいな話にしか。。。いや、それほどにもならんな。参加者の数がないから。先鋭化したのが残るだけでしょうね


ネットのアイデンティティなんてこんなもんであって、それで簡単に突っ走ってしまう。もう明らかになってるのに、まだ釣られる人が少なくない。

なんでこうなってるのかは、よく分からない。

ネット○○派 part115(2010-11-25)」(今日の雑談


「政治集団でないからいい」というのは、リフレーション政策を支持する方々の中で、ミクロ政策についての主張が一致しないことの免罪符にはならないということだと思います。結局活動的なまでにエネルギッシュなのは先鋭的な主張をするグループでしょうから、それ以外の穏健的な(日銀の行動にも一理ある!)主張は淘汰されていって最終的には政治集団化してしまい、一般の有権者にとっては理解しがたいエリート集団にしか見えなくなってしまうのではないかと予想します。

これについては、

HALTANさんによる見事な知識社会学的分析:
http://d.hatena.ne.jp/HALTAN/20101125/p1([アホ文化人を退場させられない理由]リフレ派(ネットリフレ派)=大都市部ホワイトカラーの慰撫思想)

(略)

>・・・こう卑俗に解釈すれば全て繋がる事に気づきました(苦笑) 「悪者探し」の一方で同時に「アナタたちだけが日本を救える」と自尊心を満足させる合わせ技にして在るわけで、なかなか巧妙なマーケティングでは在りますw 更に強引に言えばこういうスローガンに引っ掛かるほど(?)今の大都市部ホワイトカラーの「オレ(たち)は損をしている」「オレ(たち)は正当に評価されていない」不満や承認欲求は凄いのかもしれませんね。
投稿: hamachan | 2010年11月26日 (金) 00時01分

松尾匡さんの人格と田中秀臣氏の人格(2010年8月21日 (土))コメント欄」(EU労働法政策雑記帳


とhamachan先生も引用されていますが、「更に強引に言えばこういうスローガンに引っ掛かるほど(?)今の大都市部ホワイトカラーの「オレ(たち)は損をしている」「オレ(たち)は正当に評価されていない」不満や承認欲求は凄いのかもしれませんね」という部分は、労働政策的にはとても興味深いところではないでしょうか。集団的労使関係による産業民主主義が崩壊しかかっている日本の労使関係において、大卒ホワイトカラーでありながら自らの労働条件すら自己決定できないのであれば、「正当に評価されていない」として承認欲求が高まることは想像に難くありません。

『千と千尋の神隠し』のカオナシのように、世のホワイトカラーの承認欲求をどん欲に吸収しまくってしまって、一部のリフレ派はすでに制御不能の政治集団になってしまっているのかもしれませんね。



(追記)
hamachan先生のブログのコメ欄からの引用部分で、肝心の部分を転載し忘れておりましたので追記しました。

なお、拙ブログでのいわゆるリフレ派に対する現在のスタンスについて、私自身の備忘録のためにサルベージしてみましたので、ご参考までに(と並べてみて、最近のトーンがやや過激に過ぎたかなと少し反省しております)。

「ダメな議論(c)飯田先生(追記あり)2008年11月30日 (日)」コメント欄
2008/12/04(木) 01:10:28 | URL | マシナリ #-[ 編集]

「求めるべきは政策至上主義(2009年03月31日 (火))」

「社会学という教養(2009年11月21日 (土))」

「マクロとミクロの溝(2009年12月10日 (木))」

「すり替えと割り当て(2010年03月22日 (月))」

「労働と政府支出・税収のバランス(2010年04月25日 (日))」

「経済成長と社会保障(2010年05月01日 (土))」

「協力を壊すのは誰か(2010年05月03日 (月))」

「マクロからミクロへのナローパス(2010年05月05日 (水))」

「贅沢なコンセンサス(2010年06月06日 (日))」

「呉越同舟の結末(2010年07月22日 (木))」

「大雑把な割り当て(2010年07月30日 (金))」

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2010年11月21日 (日) | Edit |
想像の世界でマニフェストを作っていた現政権党ですが、今朝の「新報道2001」にその発言主が出ていたので、もしかしてと思ってとりあえず録画しておいたら、案の定「マニフェストなんかできるわけがない」と開き直られていました。その理屈がとてもおもしろかったので再録しておきます。

山岡賢次議員(民主党):
 大臣っていいますけどね。大臣はつい昨日まで普通の国会議員だった人がなっているわけですね。あっという間に、その省庁のですね、昔からやっているエキスパートとは、どこの党がやっても現実には不可能なんですね
可能な範囲はありますよ。でも、全部は不可能なんです。ですから、それはですね、もっと政治家軍が考えてやっていかなきゃならない。
 しかし、当然100%はできませんから、それは党内にいろいろの論議があったっていいと思うんですね。そこで出てきたものを、別のチェック機関でですね、別な目からこれは問題じゃありませんかと、こういうふうに指摘をしてですね。それが悪いという論議にはならないと思うんですね。党内不一致にはならないと思う。
 そしてそれを改めてフィードバックしてですね、最終的にまた決定して、最後には内閣でやるわけですから。そのプロセスなんですね。

「新報道2001」2010年11月21日(日)8:10ころ
※ 以下、強調は引用者による。


いやまあ、想像の世界のマニフェストというからには根拠はなかったんだろうとは思いましたが、「普通の国会議員だからワカリマセン。それはどこの党も同じ」と来ましたね。普通の国家議員だけでは利害調整のロジサブやら制度設計ができないから、「まず、政権交代」という話が出てくることになったんでしょうけど、初めから「普通の国会議員は制度設計できない」と自覚していたようには思えないんですが、気のせいですかそうですか。というより、初めから国会議員だけでは制度設計できないと自覚していたのなら、それをマニフェストとして公約して政権を奪取したということになるので、それはそれで大変不誠実だと言わざるを得ません。

それにしても、「やってみないとわからない」っていう言い方には妙に前向きなニュアンスがあるのが不思議ですね。私の狭い人生経験では、検討に検討を重ねて事前の準備に最善を尽くした場合であって、それでもなお不確定要素を取り除くことができないときに、それによって得られる効用と失敗したときのリスクを比較してはじめて「やってみないとわからない」といえるのではないかと思います。そんないわゆる「人事を尽くして天命を待つ」という手法は、有権者の合理的無知に訴えかけて政権を奪取するという戦略とは相容れないわけで、人事も尽くさず発せられる「やってみないとわからない」という言葉なんぞは、ただの無責任な放言の類ではないかと。

で、自ら「言い訳がましい」と認めながら、「夕べ夢で見たのと違う!(byガリガリガリクソン)」と想像の世界から引きずり戻されて辛い境遇を説明されます。

山岡賢次議員(民主党):
 政策の話はですね、これは実行されていないんじゃないか、これはまあ言い訳がましいんですけど、やりたいのは山々なんですが、例えばこれを立てたときの計画とですね、現実に政権を受け継いでみたら、歳入欠陥だけでも9兆円あるわけですよね。これはそろばんが合わないわけですよ。
菅義偉議員(自民党):
 そんなの最初からわかりきっている話じゃないですか。いまの話じゃないですよ、それは。
山岡賢次氏(民主党):
 わかりきってないんですよ。ですからそのとき、あのときは大風呂敷だったというのは一つの表現でですね、希望を述べたんだと、こういうつもりだと思いますよ。
吉田恵:
 希望ですか? 希望だったんですか?
菅義偉議員(自民党):
 約束じゃないですかねえ。
高木陽介議員(公明党):
 契約。
山岡賢次議員(民主党):
 述べたんだと思いますよ。しかしね、しかしね、現実にスタートしたときは、現実から引き継がなければならないわけですから、そのしばらくの経過措置の間はね、その応用でいかなきゃいけない。次の3年後の選挙のときのですね、マニフェストは全部民主党の責任といっても、これはいいんじゃないですか。
北川正恭氏:
 実はね、100点満点は野党も、ひょっとするとですよ、国民も望んでいないんですよ。だから、点数を上げる努力で、最初のけじめをですね、どうつけるかという問題で、高木さんのね、公明党さんに気に入られる政策じゃないんですよ。あなたが堂々とやったら公明党さんなんかはですね、良かったらついていくっていう話だから、堂々としたね、最初のスタートのけじめの部分をきちっと、政治とカネとかね。
 (政権交代は)断絶なんだから、柳田さんの失言の問題なんかは自らが進んでやらないとね、「いやいや、ドミノで困るね」という発想では、やっぱりこの政局乗り切れないんじゃないかと思います。

「新報道2001」2010年11月21日(日)8:16ころ


よほど想像の世界が居心地良かったのか、現実に政権交代したらワケがわからなくなってパニクっているようで、マニフェストという建前を貫くためには「希望」なんてNGワードそのものなんですがね。いくら想像の世界で「あんなこといいな できたらいいな」というものを並べたところで、現実の世界では通用しないということを政権交代してやっとわかったとのことで、いい勉強になりましたね・・・と話を終わらせるわけにはいきません。

なんと、自ら三重県知事としてマニフェスト選挙を広めて、現在では早稲田大学マニフェスト研究所所長を務める北川正恭氏が「国民もマニフェストを望んでいない」とかいっちゃってるんです。それを認めてしまったら、国民も現政権党がうそをついているのをわかって政権交代させたっていうことになってしまいます。まさに「まず政権交代」という「やってみないとわからない」的無責任な放言が現実のものとなってしまったわけです。

まあ、大げさに驚いたふりをしてしまいましたが、マニフェスト選挙なるものの実態はそんなところだろうと個人的には思います。ただ、そのマニフェスト選挙なるものを推し進めてきた北川氏がそれを認めてしまったということは、マニフェストという名前をつけられた「選挙の際に政党が有権者に対して約束する公約」は実質的に無内容のものであって、単に政権奪取の手段として機能する程度のものでしかないと認めたことにほかなりません。そんなマニフェスト選挙に踊った政権交代が無内容であるのも当然といえそうです。

ところが、現実の世界は無内容な政権に容赦ないわけで、おもしろ発言には事欠かない枝野氏のこの発言は、けだし歴史に残る名言ですね。

「政治主導なんてうかつなこと言った…」枝野氏

 民主党の枝野幸男幹事長代理は14日、さいたま市内で講演し、民主党政権の掲げた「政治主導」が機能していないとの批判が出ていることについて、「与党がこんなに忙しいと思わなかった。政治主導なんてうかつなことを言ったから大変なことになった。何より欲しいのは、ゆっくり考える時間と、ゆっくり相談する時間だ」と釈明した。

 菅内閣の支持率急落に関しても、「政権が国民の意識、感覚とずれていると思われる部分が多々ある。かなり深刻な状況だ」と述べ、危機感をあらわにした。

(2010年11月14日19時38分 読売新聞)


まあ、これまでの民主党の行動パターンを見ていると「ゆっくり考える時間とゆっくり相談する時間」があっても、かの党は決して反省しそうにないところが絶望的ですが・・・

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2010年11月12日 (金) | Edit |
戦前の旧憲法では公法・私法二元論という立場が明確に堅持されておりまして、いわゆる私法上の刑事事件や民事事件を扱う大審院(以下の裁判所)のほかに、公法上の行政訴訟を扱う行政裁判所を設置して、行政に関係する訴訟については法律も訴訟手続きも別個に扱うこととなってしました。これに対し、戦後の現憲法では特別裁判所の設置が禁じられたので、少なくとも裁判所では公法と私法を区別する必要はなくなったかのように見えますが、実は行政訴訟法によって行政訴訟については別個の手続が規定されています。

と、冒頭からマニアックな話から入ってしまいましたが、未だに行政法で習う公法・私法二元論に凝り固まっている傾向が強いのが地方公務員でして、その人事担当者(自治体には労務担当者はいませんからね)向けの雑誌でhamachan先生が蒙を啓いていらっしゃっています。

はじめに
 
 本誌からの原稿依頼の標題は「地方公務員法制へ影響を与えた民間労働法制の展開」であった。この標題には、地方公務員法制と民間労働法制は別ものであるという考え方が明確に顕れている。行政法の一環としての地方公務員法制と民間労働者に適用される労働法とがまったく独立に存在した上で、後者が前者になにがしかの影響を与えてきた、という考え方である。しかしながら、労働法はそのような公法私法二元論に立っていない労働法は民間労働者のためだけの法律ではない民間労働法制などというものは存在しない地方公務員は労働法の外側にいるわけではない。法律の明文でわざわざ適用除外しない限り、普通の労働法がそのまま適用されるのがデフォルトルールである。
 
地方公務員と労働法」『地方公務員月報』2010年10月号(hamachanの労働法政策研究室

※ 以下、強調は引用者による。


hamachan先生もブログで「こういう認識がきちんと定着することを願ってあえて厳しめの表現をしております」とおっしゃられていますが、のっけから否定文の4連発で公法・私法二元論ボケした人事担当者の意識をガツンと全否定です。もちろん、地方自治体への出向経験もあるhamachan先生は、地方自治体には人事担当部局はあっても労務担当部局がないことはご存じのことと思いますので、きちんと「全国の地方自治体の人事担当部局で必読雑誌」と、対象者の属性も踏まえているからこその書きぶりなのだろうと推察するところです。

というわけで、「労働法?なにそれ食えるの?」という上司に囲まれている私自身も大変興味深く拝読したところですが、くだんの雑誌を購読している人事担当部局や周囲の職員にhamachan先生の記事を読んでもらって感想を聞いてみたところ、
「労働法からの行政法への領空侵犯だお!」
という予想どおりの反応のほかは、
「労働法とかって難しくてよくわからないお!」
「公務員は労働者じゃないお!公僕だお!」
というものでした・・・orz

そういう認識を改めてもらうためにhamachan先生が書かれた記事ではありますが、そもそもそんな意識のない方には言葉自体が届かないのだという大変に厳しい現実を突きつけられた思いです(この思いが理解できないという方は、ぜひhamachan先生の上記記事を全文ご高覧いただければと思います)。ところが、拙ブログでチクチクとやり玉に挙げているように、「労働法とかって難しくてよくわからないお!」というイノセントでナイーブな地方自治体職員などは、「労働法?なにそれ食えるの?」というブラック企業万歳な言説にいとも容易く取り込まれてしまうところがやっかいなところですね。

ということで、前々回に引き続き「自治体職員有志の会」の皆さんの議論を拝見していると、diaryカテゴリに「身分ではなく仕事で給料」というトピックが継続的にアップされていて大変興味深い内容となっています。

●私の感想
・まず、公務員の給料水準が民間の同じ職種の人と同レベルであるべきと思います。
・それから、たとえば民間で経営状況に応じて、給料の変化が起こりますが、公務員も、財政状況の良し悪しで、給料水準が影響を受けるのも、世間的な常識だと思います。
・そう考えると、今の公務員の給料水準は、危機的な財政状況を考えれば、民間で同種の仕事をしている人の給料水準よりも、低レベルにされるべきというのが、常識的な考え方だと思います。
・ということは、今の公務員給与の水準が人事院勧告などで民間と同レベルにされているという建前上、常識レベルより、「高い」と判断されると思います。
・それどころか、年収レベルで考えると、阿久根市の例のごとく、2倍以上になっているケースもあり、全体的には、是正されるべきものと思います。
・なお、Eさんが指摘されているとおり、給料水準は当然ながら「信賞必罰」が常識であり、個人の仕事の内容や業績によって、大きく格差をつけるということが当然であり、悪平等といわれるほど公務員の給料格差がないことも、世間的には「非常識」なことと、断言できます。

身分ではなく仕事で給料(173)(2010年10月23日)


「世間的な常識」、「常識的な考え方」、「常識レベル」ときて、最後には「世間的には「非常識」なことと、断言できます」とまでおっしゃるとは、大変常識をわきまえた方なのですね。阿久根市の例については竹原市長の主張をそのまま引用されているなど、データリテラシーには多少問題がありそうですが、ところでその「常識」ってのは、どの辺りの常識なのでしょうか。バイトを請負だと言い張るゼンショーかな? 研修と称して新入社員の人格を破壊する餃子の王将かな? 「たとえばビルの8階とか9階とかで会議をしているとき、『いますぐ、ここから飛び降りろ!』と平気で言います」という方が創業して、現在も会長も務めているワタミかな? いろいろ想像できますが、その前に「均等待遇」と「均衡処遇」の違いを理解するようおすすめしたい衝動に駆られますね。

本日も、公務員の処遇についての、WEB上での議論をご紹介します。

●Aさん
公務員について皆さんの思うところの意見を聞かせて下さい。
私の元公務員の友人の話から疑問になりました。
公務員の待遇を下げるというのは、皆、不幸にしてるんだよということで、私は民主党が、とはいいませんが、パフォーマンスに踊らされてるだけに思います。
高給取りの上層部については別として、下部層の待遇については悪いと思います。
理由として
1、全体の給料引き下げは、元から低い職員にはきつい。不景気と言われる民間下回りのところもある。
2、年金を払ってない人も払ってる人も一律したら、旨味がない。
3、公務員も税金を払ってる。
4、今の世みたいに減らされても労働争権がない。
5、リストラは無くても、切ろうと思えば、いくらでも理由つけて切れる。切られる。
つまりどんなことでもイエスマンじゃないと生きていけない。民間より制約が厳しい。
等あります。

(略)

●私の感想
・1については、民間と公務員は、同じ職務内容なら必ず同じ給料になるべきだと思います。実感としては、公務員の方が給料が高い。調査方法がおかしいというのが真相だと思います。
・2の年金については、これも官民同水準にすべきだと思います。(当然、個人差があるべきです。)
・3については、誰であっても所得があれば課税されるべきと思います。今回の問題とは違う論点ですが、日本はあまりにも課税ベースが狭く、税金を払っている人と払っていない人の不公平が大きすぎます。
・4については、官民誰であっても、同じ労働権を持つべきだと思います。そのことが過剰な身分保障の言い訳をなくすことにつながります。
・5については、やはり民間と比べて不良職員への扱いが甘すぎると思います。

身分ではなく仕事で給料(174)(2010年10月30日)


「べきだと思います」くらいならまだしも「真相だと思います」って何を根拠におっしゃっているのか私も興味があります。「民間と比べて」というのは、サビ残だのパワハラだのが横行するような、労働法に関するコンプライアンスがつゆほども意識されないブラック企業こそが民間だということですねわかります。ところで、前々回エントリでは、法を犯した自治体職員をキラよろしく切り捨てていらっしゃった有志の会の皆さんでしたが、労働法をガン無視して恥じることのないブラック企業はどのように処罰されるのか聞いてみたい気もしますね。

これまた、市民感覚からすれば、橋下知事の改革は支持されると思います。
給料は、年齢に決めるべきものではなく、職務と責任の度合いによって決めれるべきものです。
極端な例を挙げれば、20代の課長のほうが、50代の係長よりも、当然多くの給料をもらうべきです。

身分ではなく仕事で給料(175)2010年11月06日


今度は「市民感覚」だそうですが、「職務と責任の度合いによって決められるべき」とおっしゃるなら、その職務と責任をどのように測るのか、さらにそれに対する「貢献」具合をどう評価するのかが示されなければ絵に描いた餅ですね。ILOなどで主張されている「同一(価値)労働同一賃金」の意味するところはご存じなのでしょうか。たとえば、同じ課長職で考えた場合、いくら下の職位で優秀な実績を残して昇格した職員であっても、人心掌握も組織運営もできずに課内の事務遂行に支障を来せば、課内の事務をうまく回しているベテラン課長に比べて「課長」としての能力は劣るわけで、「職務と責任の度合い」なんて一律に決まるわけではないんですが。まあ詳しくは、以下の小池和男先生の諸業績を熟読していただければと思います。ついでに拙ブログのエントリもどうぞ。

仕事の経済学仕事の経済学
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日本産業社会の「神話」―経済自虐史観をただす日本産業社会の「神話」―経済自虐史観をただす
(2009/02)
小池 和男

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まあそれにしても、こういう職業観に染まった職員の方々が、有志の会を作って雇用対策などに乗り出していくわけですから、チホーブンケン時代の労働行政は、ブラック企業にとっては水を得た魚のような心地なのでしょう。その一方で私自身は、こうした議論が熱心に繰り広げられている光景を遠い目で見ながら、海老原さんと同じく「余りにもキャリアの実情とはかけ離れていることにまず目を覆いたく」なるしかないわけですが。。。

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2010年11月01日 (月) | Edit |
事業仕分けという人民裁判が相も変わらず耳目を集めているようですが、まあ事業仕分けの制度的なおかしさについては第一弾のときに大体書いてしまっていますので、今回は特別会計が事業仕分けのやり玉に挙がっているということで、特別会計について簡単にまとめてみましょう。まあ、「簡単に」とはいっても兆円規模の予算を扱うわけですからそれなりに資料を読み込む必要がありますので、あらかじめそのつもりでご高覧いただければ。

なお、今回は話のとっかかりとして3年ほど前のYosyanさんのエントリを引用させていただきますが、Yosyanさんの見解に異を唱えたり誤りを指摘するという趣旨のものではありませんので、あらかじめご了承いただければと存じます。まずYosyanさんは、特別会計は国会で審議されないから官僚の思うままに使われているという俗説を、虚心坦懐に一蹴されています。

俗に特別会計は一般会計と異なり国会審議を受けないとの批判をよく耳にしますが、この点についても、

 特別会計は、予算編成上の扱いや国会審議における扱いにおいて、一般会計との間に基本的な違いはありません
 我が国の憲法は、財政処理の一般原則として「国の財政を処理する権限は、国会の議決に基いて、これを行使しなければならない。」(第83条)と規定するのみで一般会計と特別会計を分けていないほか、内閣の予算作成・提出権、予算の国会議決(第86条)や決算の検査(第90条)などにおいても、一般会計と特別会計を特段区別して規定しておらず、一般会計と同様の扱いをすることとされています。
 財政法においても、一般会計と特別会計を並列的に規定し、法律で異なる定めを設ける場合以外は、一般会計と同様の扱いをすることとされています。
 こうしたことから、特別会計も一般会計と同様、予算の編成に当たっては、各省庁の概算要求を受けて財務省が査定を行うとともに、一般会計とあわせて国会に提出し、審議、議決を経て予算として成立することになります。
 また、予算の執行、決算提出、会計検査院の検査などについても、基本的に一般会計と同様の手続きを経ることとされています。


ここを読むと一般会計も特別会計も国会の承認を等しく受け、名前が違うだけで扱いは変わらないように感じるのですが、実態もそうであればこれだけ特別会計批判は出ないはずです。私は財政の専門家ではありませんから、制度の裏読みは難しいのですが、どうも「決算剰余の処理」のところに何かカラクリがありそうな気がします。

特別会計の基礎知識(2007-12-09)」(新小児科医のつぶやき

※ 以下、強調は引用者による。


3年前のエントリですから、Yosyanさんのエントリで引用されている「平成18年版 特別会計のはなし」は当然古いものになっています。そこで、政権交代後の平成22年の最新版を確認してみると、

 我が国の憲法は、財政処理の一般原則として「国の財政を処理する権限は、国会の議決に基いて、これを行使しなければならない。」(第83条)と規定するのみで一般会計と特別会計を分けていないほか、内閣の予算作成・提出権、予算の国会議決(第86条)や決算の検査(第90条)などにおいても、一般会計と特別会計を特段区別して規定しておらず、特別会計も一般会計と同様の扱いをすることとされています。
 財政法においても、一般会計と特別会計を並列的に規定しており、法律で異なる定めを設ける場合以外は、特別会計も一般会計と同様の扱いをすることとされています。
 こうしたことから、特別会計も一般会計と同様、予算の編成に当たっては、各省庁の概算要求を受けて財務省が査定を行うとともに、一般会計とあわせて国会に提出し、審議、議決を経て予算として成立することになります。
 また、予算の執行、決算提出、会計検査院の検査などについても、基本的に一般会計と同様の手続きを経ることとされています。
つまり、特別会計は、予算編成上の扱いや国会審議における扱いにおいて、一般会計との間に基本的な違いはありません

平成22年度版 特別会計のはなし(注:pdfファイルです)」(平成22年版 特別会計のはなし)p.5


となっておりますので、現政権党が野党時代にやり玉に挙げていた当時から「特別会計は、予算編成上の扱いや国会審議における扱いにおいて、一般会計との間に基本的な違いはありません。」ということに変わりがないことが確認できます。

ただ、その後Yosyanさんは「どうも「決算剰余の処理」のところに何かカラクリがありそうな気がします」として、重複分を示したグラフの解釈について考察を進められるのですが、最終的には「どうにもよくわからないのが本音です。」と最後は行き詰まってしまいます。もちろん、いちチホーコームインである私も国の財政の制度的な細部まではよくわからないのですが、実は「決算剰余の処理」や重複分について最新版の22年版ではしつこいくらいに説明が追加されています。

② 歳出純計額
 上記の歳出総額の中には、会計間相互の重複計上額等が相当額含まれています。
これは、企業でいえば、倉庫から工場への材料の移出や工場同士の間での製品の移出といった内部取引等に当たるものです。例えば、国債整理基金特別会計においては、一般会計の国債の他、他の特別会計の借入金等の償還も行っており、各特別会計から償還財源を国債整理基金特別会計に繰り入れた上で、国債整理基金特別会計から償還を行っています。つまり、繰入元の特別会計の歳出(国債整理基金特別会計への繰入れ)だけでなく、国債整理基金特別会計の歳出(国債整理支出)としても計上され、単純に合計すると、倍の歳出があるように見えるのです。
 特別会計歳出総額からこうした会計間相互の重複計上額及び国債の借換額を除いたものを、(特別会計)歳出純計額といいます。平成22年度予算における歳出純計額は176.4兆円(対前年度+7.0兆円)となります。
※総額・純計などの考え方については、P.23からの国の財政規模の見方についてもご参照下さい。
 歳出純計額の中には、①国債償還費等74.2兆円、②社会保障給付費(法律に基づく給付そのものを指し、事務費等は含みません。)56.8兆円、③地方交付税交付金等19.3兆円、④財政融資資金への繰入れ16.1兆円が含まれています。これらを除いた歳出純計額は、10.0兆円であり、対前年度比では+0.1兆円(注)となっています。
(注)ただし、特殊要因(被用者年金制度の一元化の見送りに伴う予備費の増0.7兆円(年金特別会計基礎年金勘定))が含まれており、この要因を除くと対前年度比▲0.6兆円。

『同』p.9
注:以下、機種依存文字をそのまま引用しています。

2.剰余金(平成20年度決算)
 平成20年度決算における、各特別会計の剰余金を合計すると、28.5兆円となります。これらは、特別会計に関する法律第8条に基づく積立金への積立て、当該特別会計の翌年度歳入への繰入れ、一般会計の歳入への繰入れ等として処理されています。
(略)
 このように、剰余金の大部分は、将来の国債償還、年金給付等、一定の使途に充てることが予定され、これらは、積立金へ積み立てられたり、当該特別会計の翌年度歳入へ繰り入れられたりしていますが、一般会計への繰入れが可能なものについては、特別会計に関する法律に基づき、一般会計への繰入れを行っています

『同』p.12

■ 不用
 歳出予算の経費の金額のうち結果として使用する必要がなくなった額のことを「不用」といいます。
 歳出予算は、財政民主主義の下、国会が政府に対し歳出の権限を賦与するものであり、歳出義務を課すものではありません。必要な事業について、見込みに基づき歳出の権限を賦与するため、事情の変更等により実際の歳出額が予算額を下回ることはしばしば生じます。また、予期し得ない事態の発生に備えて予備費を計上する場合がありますが、そのような事態が発生しなければ、実際には支出されず、不用として計上されます。このように、事前に予算として議決を受けなければならない国の財政においては、ある程度の不用が生じることはやむを得ないと考えられます。
 平成20年度決算において、各特別会計の不用額を合計すると11.8兆円となりますが、金利が予定より低位で推移した等のため利子の支払いが予定より少なかったこと(3.5兆円)、財政投融資特別会計の貸出しが予定より少なかったこと(3.3兆円)、年金や失業給付費等の社会保障関係給付が予定より少なかったこと(2.8兆円)等により発生したものが大部分を占めています。
 歳出において不用額が発生したとしても、それが必ず剰余金(歳入歳出差額)の発生につながるというものではありません。歳出の不用額と同じだけ歳入も減少すれば、剰余金は発生しないのです。

『同』p.14


というように、剰余金を操作して無駄金を使っているというような批判がありますが、まあ淡々と事務処理した結果不要が生じることは当然ありますし、その剰余金が発生した場合であっても、

■ 剰余金、積立金等の一般会計への繰入れ
1.剰余金等のうち、一般会計への繰入れが可能なものについては、特別会計に関する法律に基づき、一般会計へ繰り入れており、平成22 年度予算においては計2.7兆円を一般会計へ繰り入れることとしています。主なものは以下の通りです。

『同』p.16


として、いわゆる埋蔵金があれば法律に基づいて一般会計に繰り入れているわけですから、切込隊長さんがおっしゃるように「埋蔵金ではなく露天掘り」という方がふさわしいでしょう(切込隊長さんはちょっと違う観点から露天掘りだとおっしゃっているようですが)。

また、重複分の考え方については、総論とは別に「国の財政規模の見方について」という項目を設けてさらに詳しく説明が続けられます。

(3) 純計ベースで見た国全体の財政規模
① 国全体の財政規模を純計ベースで見る必要性
 我が国の予算は、予算の全貌を明らかにする観点から、コストの重複計上による部分についても、財政法第14 条により、その歳入歳出につき各々その総額を予算に計上することとしています(総計予算主義)。そのため、それらの歳入・歳出を単純に全て積み上げると、実質的な国の財政規模をはるかに超えた額になってしまいます。
 例えば、一般会計から公共事業関係の特別会計へ繰入れを行い、その特別会計でダムを建設した場合、ダム建設費に相当する一般会計の歳入額(一般税収等)とともに、その特別会計にも重複して同額の歳入額(一般会計からの繰入額)が計上されることから、総額ベースでは倍の収入があるように見えます。同様に、歳出についても、特別会計の歳出額(ダム建設費)だけでなく一般会計にも同額の歳出額(特別会計への繰入額)が計上されて倍の歳出があるように見えます。
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(注1)歳入が歳出より多いのは、国債整理基金特別会計の前倒債(翌年度の国債の償還に充てるための借換債を当年度中に発行するもの)の発行収入金12兆円、財政投融資特別会計の運用収入と利払費等との差1.0兆円、外国為替資金特別会計の運用収入等と利払費等との差0.7兆円等があるためです。
(注2)一般会計の歳出純計額38.7 兆円と比べ、特別会計の歳出純計額は176.4兆円と規模が大きくなっていますが、これは国債整理基金特別会計、年金特別会計等、一般会計からの繰入れとその他の収入とを合わせて財源とし、歳出を行っている特別会計が多いためです。

『同』p.25


というわけで、「決算剰余の処理」というところではほとんど数字を操作する余地はありそうにないですし、重複分を取り除くという七面倒くさい処理を進めていくと、あまり埋蔵金の議論には意味がなさそうです。

むしろ、特別会計を理解するポイントは、22年の最新版の引用部分の8ページにある「特定財源」をどう扱うかという点ではないかと推察します。企業会計のようなPLの当期純利益をBSの繰越利益剰余金として計上するという概念がない公会計においては、決算余剰の処理も、この「特定財源」と同じく歳入の取扱いの一部と考えるべきでしょう。実は、22年版では「企業会計ベースで見た国全体の財政規模」というのも掲載されているのですが、

 会計間相互の重複計上額を除いた純計でも、国民が負担する税金や社会保険料の使い途という感覚からは、相当にかけ離れたものになっています。それは国債等の償還費といった項目が含まれていること等によるものです。国民が負担する税金と社会保険料の使い途にほぼ対応するのは企業会計ベースで見た国全体の財政規模となります。
 その場合には、歳出面で企業の借入金の返済に相当する債務償還費や財政投融資がコストとして認識されず、歳入面でも国債や財投債発行による歳入が収入(財源)とはされないため国の行政活動に係るコストや実質的な財源を把握するのに適したものとなります。企業会計ベースでのとらえ方は、債務償還費や財政投融資といった金融取引に類する歳入歳出が大きく変動した場合にもこれらが除かれるため、国の財政規模の経年比較に適するといった面もあります。他方、減価償却費や退職給付引当金繰入額など国民になじみのない項目が含まれていることになります。
 企業会計ベースで国の財政規模を見る場合には、具体的には、民間企業の損益計算書(P/L)のコスト部分に相当する「国の財務書類」における業務費用計算書(一般会計と特別会計を合わせたもの)を見ることが適当と考えられます。
 企業会計ベースで見た我が国の財政規模は、124.0兆円(平成20 年度決算)となっています。

『同』p.27


として、特定財源についてはあまり踏み込んだ扱いをしていません。というより、あらゆる資産を経営資源としていく企業会計では、支払った方の権利とセットになった特定財源という代物を扱うことには無理があるのでしょうけど。

「特定財源」については、財務省もわざわざ「特定財源と特別会計は別個の概念ですが、」と断った上で

 特定財源は、①受益者や原因者に直接負担を求めることに合理性がある、②一定の歳出につき安定的な財源を確保できる、などの意義がある一方、①財政が硬直化するおそれがある、②歳入超過の場合に資源が浪費されたり余剰が生じたりするおそれがある、などの弊害もあることから、特別会計のあり方を考える際には、この特定財源にも十分に留意する必要があります

『同』p.8


と留意を促しているように、特定の事業に対する財源が確保されることにはメリット・デメリットがそれぞれあるわけですが、特に国の財政を司る財務省にしてみれば、税収を財源とする一般会計とは違い、特定の財源が張り付いた特別会計はコントロールできなくなってしまう点が大きいのではないかと思います。

「ん? さっきは一般会計と特別会計は基本的に同じ扱いだと書いていたじゃないか」と思った方もいらっしゃるかもしれませんが、ここが特定財源と特別会計は別個の概念だと財務省が念を押す所以でもあります。つまり、財務省がその権限を存分に発揮できるのは主に一般会計上の歳入を財源とする事業を査定する場面であって、特別会計の歳入を財源とする事業を査定する権限は自ずと制限されてしまうことになるわけです。もちろん、一部が制限されるとはいえ、予算書を作るのは財務省ですし、一般会計との繰入・繰出は財務省の所管ですから、全く査定が入らないということではなく、「ほかの財布に迷惑はかけない」と所管する府省が確約してしまえば、財務省としてもそれを容認せざるを得ない面もあるという程度です。結局のところ、予算編成の段階では一般会計と特別会計では多少扱いが異なるということはいえそうです。

では国会審議上の取扱いはどうでしょうか。

ちなみに、日本全国に「官報販売所」という政府刊行物を専門に取り扱う書店がありまして、今年の3月にはそれぞれ9,000円前後で「予算書 一般会計予算/平成22年度一般会計予算参照書添付/第174回国会(常会)提出」と「予算書 特別会計予算/平成22年度政府関係機関予算参照書添付/第174回国会(常会)提出」という冊子が販売されていますし、ちょっと大きな図書館であれば蔵書に入っているところもあると思います。

まあ、実際に見ていただければおわかりのとおり、一般会計予算も特別会計予算も同じような体裁で作られた議案に基づいて、同じような手続を踏んで国会に提出されているわけで、もし「特別会計は国会の審議を経ないで勝手に官僚が決めているんだ」という国会議員の方がいらっしゃるなら、それは天に唾する以外の何者でもないということになります。

特別会計についても一般会計と同様の予算書が国会の場に提出されていて、それを審議する立場にある国会議員がこんな発言をしているようでは、聞いているこっちが恥ずかしくなりますね。

廃止含め抜本見直し 特会仕分けで首相指示('10/10/21中国新聞)

 政府の行政刷新会議は20日夕、首相官邸で開いた会合で、特別会計を取り上げる「事業仕分け」第3弾で重点対象とする8特会の48事業や、民間有識者仕分け人を正式決定した。菅直人首相は、全18特会51勘定を聖域なく徹底的に解明し、存在理由のない特会は廃止するなど抜本的に見直すよう指示した。

 首相は冒頭「埋蔵金ならぬ埋蔵借金も指摘されている。それを含めて明らかにしてほしい。長年の議論に終止符を打つ覚悟で臨んでほしい」と強調。蓮舫行政刷新担当相も「特会を丸裸にし、制度そのものの仕分けを全力で行いたい」と決意を述べた。


もちろん、日本的雇用慣行に強い関心を持っている拙ブログのスタンスとしては、労働保険特会での数々の事業が仕分けられたことを大変憂慮するものですが、事業仕分けの結論に拍手喝采を送る方々は、そもそもこうした公開資料を基に特別会計の仕組みとかをきちんと理解しているのだろうかと不安になります。「官僚支配の打破で市民参加とかチホーブンケン」とかってのは、こうした資料を読みこなすことが大前提となりますから、「そんな資料なんか読んでるヒマあるか」というのはなしですよ。

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