2010年09月27日 (月) | Edit |
謎の民主党代表選のさなかの9月10日に閣議決定された「経済対策」なるものがありまして、マスコミ的にはあまりニュースバリューはないようですが、例の緊急雇用創出事業が拡充されたとのこと。

○成長分野を中心とした雇用創造・人材育成等

(ア)「重点分野雇用創造事業」の拡充【厚生労働省】
介護、医療、農林、環境・エネルギー、観光、地域社会雇用等の分野における新たな雇用機会の創出、地域ニーズに応じた人材育成を推進する「重点分野雇用創造事業」を拡充する。

(p.13)

本対策(緊急的な対応)の規模
国 費事業費
(億円)(兆円)
1.「雇用」の基盤づくり1,750 程度1.1 程度
(1)新卒者雇用に関する緊急対策250程度
(2)雇用創造・人材育成の支援1,150程度
うち重点分野雇用創造事業の拡充1,000程度
(3)中小企業に対する金融支援300程度

(以下略)
(別紙)

新成長戦略実現に向けた3段構えの経済対策 ~円高、デフレへの緊急対応~[PDF] (平成22年9月10日)」(首相官邸

※ 以下、強調は引用者による。


ちょっとややこしいんですが、失業者を雇用することを目的とした雇用創出の基金と呼ばれる事業には、大きくふるさと雇用再生特別基金事業(pdfファイルです)緊急雇用創出事業(pdfファイルです)重点分野雇用創造事業(pdfファイルです)いう三つのくくりがあって、そのうち三つ目の重点分野雇用創造事業はさらに重点分野雇用創出事業と地域人材育成事業の二つに分かれて、さらに地域人材育成事業のうちには「働きながら資格を取る」介護雇用プログラム(pdfファイルです)という事業が含まれています。で、今回拡充されたのは、重点雇用創出事業と地域人材育成事業(「働きながら資格を取る」介護雇用プログラムを含む)からなる重点分野雇用創造事業というわけです。あぁめんどい。

この基金はリーマンショック後の平成20年10月30日「生活対策」と平成20年12月19日「生活防衛のための緊急対策」で各地方自治体に配分されたもので、地方自治体はこの配分額を余さず事業化することに追われております。まあ、それだけ仕事が増えて現場はアップアップなんですが、前政権下で配分された当初は、草刈りでもパソコン入力でもなんでもいいから役所が失業者を雇えというものだったものの、PDCAとか大流行の昨今ですので、雇った成果を検証しろという指示が後から「せいじしゅどう」により飛んでくるようになりました。

ところが、緊急雇用対策というのはそもそも雇う以上の目的はありませんので、何か成果らしきものを残さなければならない地方自治体側は、目的が説明しやすい就職支援とか人材育成をするような事業を紛れ込ませてくるようになりました。まあ、地方自治体の側も、緊急事業として一時的に事業化するネタが尽きてきたということもあって、本来公共サービスとして提供すべきものでありながら、財政悪化に押されて手が着けられてない分野に進出しているという側面もあります。

たとえば、今回の経済対策では「パーソナル・サポート・モデル事業」というものも盛り込まれているのですが、これはかの「公設派遣村」を恒常的な制度としようとするもので、簡単に言ってしまえば、湯浅誠内閣府参与が「もやい」で実践されていることを役所の役人がやることになります。

1 パーソナル・サポート・サービスの概念整理について

(1) 当事者の抱える問題全体に対応する包括的支援の継続的なコーディネイト
○ 今日の経済社会環境の変化を背景に、経済的な問題、社会的な関係をめぐる問題、家族関係をめぐる問題、精神保健をめぐる問題など多領域にわたる要因が複雑に絡んで、さらに問題を複雑、深刻化させる悪循環を引き起こし、生活上の困難に直面するものが増加している。
生活困窮する当事者自身が自分の抱える問題を正確に認識できないケースも少なくなく、自分の力のみでは必要な支援策にたどり着くことが困難である。また、対象(高齢者、障害者、女性、若者、子どもなど)や制度(介護、福祉、医療、就労支援など)別に構築した支援体制では、どこでも複雑に絡み合った問題の全体的な構造を把握し、受け止めることが難しい。
○ 現在の体制では、対象や制度に合わせて問題を限定化してとらえて支援を行ったり、あるいは他の支援機関に回すことが行われがちであるが、それでは問題の悪循環から抜け出し自立に結びつけていくことは難しい。当事者の抱える問題の全体を構造的に把握した上で、当事者の支援ニーズに合わせて、制度横断的にオーダーメイドで支援策の調整、調達、開拓等のコーディネイトを行い、かつ、当事者の状況変化に応じて、継続的に伴走型で行っていく支援が求められている
○ このような支援を、制度本位ではなく、支援ニーズを持つ当事者本位の個別的、包括的、継続的な支援という性格に焦点をあてて「パーソナル・サポート・サービス」と定義して、そのあり方を検討していく。


「パーソナル・サポート・サービス」について~モデル・プロジェクト開始前段階における考え方の整理~(平成22年8月31日、パーソナル・サポート・サービス検討委員会)」(緊急雇用対策本部推進チームの活動状況


失業状態にある方に必要な公共サービスが行き届くようにすることは重要だと思いますが、これが上述の緊急雇用の基金を使って事業化されることになるわけです。

ええと、ここでちょっと整理しておきましょう。緊急雇用の基金は失業者の方を雇うための事業を実施するための財源でしたね。また、その基金で実施することとされた「パーソナル・サポート・モデル事業」は、失業者に必要な公共サービスを行き届けるようにするものです。ということは、どういうことが起きるかというと、パーソナル・サポート・モデル事業で雇用されたついこの間まで失業状態にあった方が、今現在失業状態にある方をサポートするという事業になるわけです。なんという皮肉な事業でしょう。

まあ、昨今の「公務員制度改革」ではさらなる公務員削減が与野党問わず主張されているわけですから、失業対策であろうとそのための事業が増えようと正規職員を増やすなんてことはあり得ません。ということは、非常勤職員、嘱託職員、臨時職員という名目の有期雇用でその分の業務を補う必要が生じることになりますので、上記のように「失業者を雇用する事業で失業者をサポートする」という事業が生まれてしまうわけですね。

非国民通信さんのところにもこのような事業の募集があったようです。

 ハローワークの窓口相談の人は基本的に非常勤であると以前から聞いていましたが、そうした仕事の口が、まさか私にまで紹介されるとは思っても見ませんでした。普通に考えれば就職に関して相談に行く側である失業者に対して、そうした相談を受け付ける仕事を紹介するという行為は、もはや派遣会社からすれば当たり前なのかも知れませんが、私からすればシュールにすら感じられます。まぁ身をもって失業を経験している人であればこそ、仕事を探している人の置かれた状況を理解できるフシがあるとも言えるのかも知れませんね!

以前に、セクハラでクビになった大学の就職課職員の話を取り上げました(参考)。その時の職員もまた、当初は人材派遣会社からの派遣で働き始めたことが報道されていたものです。ハローワークの窓口相談役にせよ学校の就職課にせよ、そして役所の「キャリアカウンセラー」にせよ、この手の就職相談を受ける人の非正規雇用率は相当に高そうです。定年退職した人が年金受給年齢までのつなぎとしてハローワークのバイトをしているくらいならまだ理解できますが、それなりに若い人も少なからず目にします。詰めかける求職者の相談に応じているのは、実はいつクビを切られて失業するかわかったものではない、そんな不安定な立場に置かれた人たちでもある、何とも不思議な光景ではないでしょうか。

失業者に紹介する仕事か?(2010-09-25 22:57:32)」(非国民通信

この後の部分で非国民通信さんも指摘されていることとも関連しますが、困っている人を助けるのは困っている人に任せるという感覚が、どうもこの国にはありそうです。となると、中高所得者層から低所得者層への所得再分配によって公共サービスを拡充しようという主張が受け入れられる余地は、やっぱりなさそうだとしかいえませんねえ。

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2010年09月26日 (日) | Edit |
遅ればせながら、先週録画していたNHKスペシャル「菅vs小沢 民主党はどこへ」を見てみたんですが、その中で元民主党国会対策委員長が発言していた内容に目が点になりました。この発言は、いわずとしれた小沢氏側近でもある元民主党国会対策委員長が、当時の小沢氏が掲げた戸別所得補償制度とか高速道路無料化という政策を擁護する趣旨のものですが、

当時は野党でしたからですね、野党としての方向性、方針を打ち出すということが第一でですね、いずれにしてもみんな想像の世界なんですよ。想像の世界。
ムリであるのか、ムリでないのかというのは、誰もわからないと。


うーむ、確かにその当時から何の根拠もなく「政策」らしきものを並び立てては「マニフェスト」と名前をつけて遊んでいるんだなあとは思っておりましたが、いやはや「想像の世界」ときましたか。政策そのものが想像の産物であるということは、彼らの掲げる「国民の生活が第一」というスローガンの「国民」も、あくまで想像上の生物なのかもしれません。

一応補足しておきますが、「天下りを根絶すれば10兆円規模で財源が生まれる」とか、それがだめなら「チーキシュケンで一括交付金にすれば半分の財源で済む」とかいう政策の荒唐無稽さについては、政府の内部にいるわけでもなく、日本の端っこの田舎に在住して、主な情報源は政府公表資料と専門家による議論と少しのマスコミ報道に頼っている拙ブログですらだいぶ昔から指摘していたことなんですけど。

まあ、拙ブログみたいなチホーコームインの駄文なんぞに信憑性はないでしょうから、そのことをもって選良の皆さんが政策を判断しなければならないいわれは全くありませんし、社会保障国民会議という政府の機関で委員を務めていたことのある権丈先生が指摘されていたとしても、当時の政権党の御用学者の戯言に過ぎないんだから、当時の野党の政治家の皆さんが理解する必要なんてなかったということなんでしょうね。

なお、政府に入らずとも、あのマニフェストは実行不可能なこと――定義上、実行できない公約はマニフェストではないんだが――は分かっていたはずである。野党時代の彼らに欠けていたのは、決して情報ではなく・・・

「勿凝学問299  党対政府の21世紀の西南戦争」(仕事のページ(権丈善一先生Webサイト)


年金や社会保障を巡る議論はもちろん、チーキシュケンとか未だに言い続けている状況を見るにつけ、「野党時代の彼らに欠けていたもの」を政権党となっても会得できなさそうなところが絶望的ですね・・・

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2010年09月22日 (水) | Edit |
前回エントリに引き続き、新閣僚に就任された方についての過去のエントリをサルベージすると、海江田万里氏についてこんなエントリを書いておりました。

ここで掲げられている海江田万里のマニフェストってのは、「格差解消税」っていう、多様な非課税品目や税率を盛り込んだ消費税を導入すべきってものなんだけど、「経済評論家」なんていいながらよくこんなことが言えますな(同じことは賛成に回っていた萩原博子にもいえますが)。

経済学的には消費税は所得税と同じということは理論的に導かれることで、それが成り立つためには、消費税(というか付加価値税)はすべての財に対して同率に課されるということが前提となる。つまり、課税によって所得効果と価格効果が生じ、所得効果だけならば消費者の行動に歪みが生じないので、税率を一定にして価格効果が生じないようにすることで課税による厚生損失が最小になるという理屈なわけで、ある特定の財に特定の税率が課されるとこの前提が崩れてしまう。なんていうミクロ経済学の基礎を無視してしまう経済評論家ってのは、詐欺師といわれてもしょうがない。それを担いでいた民主党もどんなものかと思っていたら、出演している民主党議員が全員賛成というていたらく。

民主党としては消費税率引き上げ反対キャンペーンの一環のつもりなんだろうけど、これまでに何度も繰り返しているとおり政策のフィージビリティについて無責任ですな。上記のような課税による外部性がもたらす行動の歪みということだけじゃなく、非課税品目とか税率が多様になればなるほど、その運用を担う現場の税務吏員の負担は大きくなるし、そこで不透明に不公平な扱いが助長されてしまうおそれもある

(略)

民主党の議論にこういう混乱が生じるのは、消費税だけを政策手段として考えるという野党にありがちな一点突破的な手法に頼るからだろう。消費税が所得税と同じであるならば、消費税率を上げる代わりに所得税で低所得者に再分配することが可能なわけで、実際に所得税ってのは高所得者になるほど税率が高くなる累進課税が昔から導入されている。こういった税制全体の改正を主張するならまだ消費税率に複数の税率を導入するとしてもその政策効果については展望を持つことができるんだけど、民主党のWebサイトの「2005年 民主党マニフェスト 政策各論」(注:PDFファイルです)を見てもそんなことは書いていない。しかもそんな問題を放っておきながら、消費税を「格差」っていう情に訴える言葉で修飾するあたりに民主党のあざとさが表れているわけですな。

ニセ経済評論家と民主党(2006年10月07日 (土))
※ 強調は引用時。


拙ブログでも初期のエントリですが、現時点でも大きな修正の必要はなさそうです。

というより、このエントリでは消費税に複数税率を導入することを一応標準的なミクロ経済学の理論を用いて批判しているので、経済学部でまともな授業を受けた学生なら大抵はこういう批判ができるはず。たとえば、権丈先生も同じような趣旨の発言をされていますね。

日本でも、消費税率を上げる際には、食料品への軽減税率を設けるべし言うのが常識となっていますけど、食料品への軽減税率を設けたいのは、何も食料品だからではないですよね。要は、低所得・貧困を支出側面で判定するのか、給付側面で判定するのかの問題になるわけです。低所得者対策として食料品への軽減税率を設けことにしても、食料品は、やはり高所得者ほど多く購入するので、あまり効率の良くない低所得者対策となってしまいます。さらに、何をもって食料品とするのかの問題があり、食料品を軽減税率とすれば、永田町がロビイング活動で賑やかになるのは確かです。複数税率をとっている国々は、軽減税率は運営面でのコスト、ロスが大きすぎ、軽減税率を導入したことを少々後悔気味で、デンマークをうらやましがっています。かつての日本にも奢侈品に対する物品税がありましたけど、消費税の導入時になくしてしまいました。私自身は、軽減税率を設けずに税収をたっぷりと得、その財源で給付を充実させるデンマーク方式がベター、つまり、家計の必要を給付面で判定する方がベターだと考えています。

「勿凝学問300 要は、低所得・貧困を支出側面で判定するのか 給付側面で判定するのかの問題になるわけです」 ―― 消費税の食料品へ軽減税率について」(仕事のページ(権丈善一先生Webサイト)
※ 以下、強調は引用者による。


この「勿凝学問300」を紹介している「勿凝学問329 介護関係者への消費税の説明は楽なのかもしれないと思った日―――介護と付加価値税のモデルはともにデンマーク?」については、黒川さんも取り上げています。

それより制度が最初に期待した効果を、十分な財源確保ができないために発揮できず、制度見直しのたびに中途半端な制度になっていく後退戦を強いられていて、財源確保が課題になっている。また少ない財源でサービスを提供しなくてはならないので、多くの官製ワーキングプア(民間企業に雇われている人が多いが、公金が財源であり、公的制度であるから、実態は官製ワーキングプアだろう)に支えられているのも現実。俗論に惑わされていない介護関係者は、一日も早い財源確保を願っているし、税財政の仕組みを理解できる介護関係者は、一定の増税または保険料負担の増がない限り、自分たちの職場の改善はやってこないと理解していると思う。

(略)

●増税で不景気になると短絡的に説明する人には、1998年の不況ばかり指摘するのではなく、2000年の介護保険制度の導入による保険料負担の増が、不況を悪化させたと説明づけてほしいと思うことがある。価値を創造する勤労の対価を通じて社会に税収を放出すれば、不況にならないという事例ではないかと思う。介護保険料の負担が始まったと同じ裏側で雇用創出があったからだ。

9/21 介護関係者の期待は制度改善のための財源確保(2010.09.21)」(きょうも歩く


税金は取られるものであって還元されるものでない(と思われる)境遇にいる方々にとっては、マクロ経済学の教科書に書いてあるような政府支出のクラウディングアウトとか租税乗数はc/(1-c)とかをもって、「増税すれば景気が後退するに決まっている」と思考停止してしまう傾向があるように見受けますが、増税によって確保された財源が直接的に還元される方々にとっては、それが何よりの景気回復であるということですね。

ここで難しいのは、往々にして還元される方々は少数派の低所得層であることが多い一方で、還元されない(と思われる)方々の多くは中高所得者であるということではないかと思います。つまり、増税で確保された財源がなければ所得再分配を受けることができない(と思われる)ほどには低所得でない方々からすれば、そりゃ確かに増税は景気後退だと思えるでしょうし、それが多数派になれば、マクロ経済で見ても景気後退が現実化してしまうかもしれません。そして、その方々が多数である以上は、増税によって低所得者層に再分配するなんてことは不況下でやってはいけないことになってしまうわけです。

とはいえ、そのような多数派の思考停止を食い止める可能性について考えると、権丈先生のこの言葉が重くのしかかりますね。

• 「経済哲学および政治哲学の分野では、25歳ないし30歳以後になって新しい理論の影響を受ける人は多くはなく・・・」ケインズ『一般理論』
• ということで、本日のわたくしの報告で、誰かの何かが変わるとは、思っておりません、はい。。。


「勿凝学問300 要は、低所得・貧困を支出側面で判定するのか 給付側面で判定するのかの問題になるわけです」 ―― 消費税の食料品へ軽減税率について」(仕事のページ(権丈善一先生Webサイト)


まあ、権丈先生のこの言葉は全労連と事務所の住所を同じくする民医連での講演でのものですので、その点は割り引いて考えてもいいのかもしれませんが、かといってそれほど楽観できそうには到底思えないのがなんとも・・・

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2010年09月20日 (月) | Edit |
よくわからない代表選で再度現政権党党首に再任された菅さんですが、新たな内閣が組閣されましたね。とりあえずチホーコームインとして気になる総務大臣には、片山前鳥取県知事が「民間」から起用されたとのこと。というか、同じ元カイカク派知事から総務大臣に起用された増田前岩手県知事のときもそうでしたが、地方自治の現場で事務をしたこともないキャリア官僚上がりの首長が「現場を知る」という理由でもてはやされるのも、相変わらずよくわかりません。

というわけで、拙ブログで片山新総務大臣を取り上げたエントリから引いてみるとこんな方のようです。

片山:
 私は鳥取県では原理主義を貫きまして、そういう違法な通達とか違法な関与については峻拒してきたのですけれども、いかんせん他の自治体の皆さんは従来どおりなのですね。(pp.8-9)

 夕張市がなぜあんなひどい状態になったかというと、肝心の住民がほとんど無関心であったり、議会が機能していなかったり、貸し手の金融機関にリスク感覚がなく脳天気だったりしたからです。つまり主権者やステークホールダーが本来の機能や責任を果たしていなかったということです。そこが私は一番のポイントだろうと思います。
(略)


「原理主義」宣言いただきました。
いまの地方自治制度だって、首長と議員をそれぞれ直接選挙で選ぶという「住民が主体意識を持たなければいけない」ほどに民意を反映する仕組みになっていますが、片山氏はそれでも夕張ショックが防げなかったとおっしゃるわけですよね。それでさらに「住民自治の強化」って、どんだけ住民に負担かければいいんでしょう。

(略)

確かにいろいろと問題があるかもしれませんが、かといって、「肝心の住民がほとんど無関心であったり、議会が機能していなかったり、貸し手の金融機関にリスク感覚がなく脳天気だった」なんてことが許されない社会が理想像だというなら、おちおち民間活動(?)もできないんじゃないでしょうか。さぞかし日常生活が窮屈で余裕のない「地方自治」になってしまうと思いますよ。
手段の目的化(前編)(2008年10月24日 (金))


このエントリには、「霞ヶ関叩きの勢いが余って自ら墓穴を掘る片山氏」など波乱の展開を取り上げた後編もありますが、もう一度強調しておくと、「原理主義」宣言を公言する方に国政を任せるのは悪い冗談だと思いたいです。そもそも昨年の政権交代自体が原理主義的だったともいえますが、いずれにせよ世の中が原理原則で動くなら誰も苦労しないわけで、原理主義を貫けばチーキシュケンを達成できると言われたところで、この人は現実を無視するつもりなのだろうなとしか思えません。

日曜日のNHK日曜討論に新閣僚が出演していた中で、いみじくも馬淵新国土交通相が「公共事業が所得再分配として機能している点を整理しながら、さらに削減しなければならない」という発言をしていましたが、拙ブログではしつこく繰り返しているとおり、地方に雇用を生み出すとか地方に所得を再分配するということときに考えなければならないのは、国家レベルでの所得再分配のあり方です。「地方が疲弊しているからチーキシュケンを進めなければならない」というような、政策意図と結論の間の論理が数十段抜け落ちたスローガンを唱える前に、これまで企業に依存してきた社会保障機能を政府が責任を持って引き受けるという議論が先にあるべきでしょう。

公共事業が所得再分配的に機能してきたのも、政府が所得や雇用を保障する仕組みが貧弱であったことの裏返しとして企業にその多くを依存してきたからであって、特に地方では産業構造上の制約もあって公共事業を請け負う建設業が事実上の社会保障機能を担ってきたわけです。という認識があれば、公共事業を減らし、社会保障費の原資となる特別会計(埋蔵金)を毎年のフロー予算に充て、公共サービスの担い手である公務員の人件費を減らして財政再建するとかいいながら、一括交付金でチーキシュケンを目指しますなんてことを主張できるはずもないと思うのですがね。

片山新総務大臣はこの点について、「地方ごとに産業構造が異なるので、それに応じた公共事業や産業振興が必要だ」という、それ自体をとれば全くもっともなことをおっしゃっておりましたが、現状の所得再分配機能をより貧弱にしてしまうチーキシュケンとやらでどうやってそれを克服するおつもりなのかには全く言及がありませんでした。産業構造そのものが既存の制度に依存して形成されているわけですから、産業構造を変えるというのであれば、公共事業を請け負う建設業を通じなくても社会保障が機能するように所得再分配政策を拡充しなければなりません。現政権党は「国民の生活が第一」というスローガンも掲げていますが、産業構造だの役所の補助金だのいう前に、それらがどういう雇用慣行を前提としているのか、その雇用慣行を見直す必要がないのかという点に議論が及ばないのであれば、机上の空論であって考慮に値しないというべきでしょう。

たとえば、片山氏がよく使う論法ですが、学校の修繕が必要なときに、修繕だけでは国の補助金がもらえないけど、建て替えれば補助金がもらえるから建て替えてしまうという例を挙げて、だから地方に財源があれば修繕だけで済むので予算を節減できるんだとこの日の日曜討論でも主張されていました。でもそれって、国全体の財政で見れば地方がその補助金をもらってまでして建て替えなければいいだけの話であって、そういった国全体の財政状況を顧みることなく、建て替えが必要だと言い募っては補助金をもらおうという地方の側に、必要かつ最小限のコストを見極めるという意味でのコスト意識があるのかは大変疑わしいですね。もちろん、「必要かつ最小限のコストを見極める」ためには「民意」とかいう漠然としたものでは役に立ちませんし。

ついでに、片山新総務大臣は、鳥取県知事時代に人事委員会勧告を深掘りして給与カットを実施したことを誇らしげに語っていましたが、労働権を制約されている公務員の人権代替措置を軽々と無視してしまうような方に、どれだけ労働者の立場に立った政策を考えるおつもりがあるのかは大変興味深いところです。一方で労働者をつるし上げておいて、一方で国民目線という「引き下げデモクラシー」を強調するのはこの国の政治家の作法でもありますから、片山新総務大臣のような原理主義の方がそのコードを覆すとは考えられませんし、まあ生暖かく見守っていくしかなさそうですね。

(注:9月20日加筆修正しました)

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2010年09月16日 (木) | Edit |
前回エントリで呪文を唱えたおざわさんでしたが、「民意」とかいう党員・サポーター票で大差をつけられ、それと逆の票を投じる国会議員の方が多いという読みまでも外れてしまったようで、呪文を使うところを間違ったみたいですね。

まあ、いつの間にかサポーターにされていたり民主党の支持組織に党員費を肩代わりされていた方々の票が「民意」なのか、そもそも「民意」なるものを投票行動だけで単純に推し量ることができるのかという点は大いに疑問であるとしても、そういったある程度操作可能な「民意」ですらコントロールできなかった「豪腕」ぶりを拝見するに、おざわさんにはもはや「せいじしゅどう」という呪文を唱えるために必要なMPが尽きた模様。

それよりも、これだけの「民意」を覆すだけの国会議員票を獲得しようと画策してこられた方々にとって、覆さなければならなかった「民意」ってのはいったい何だったのかというのが今回の民主党代表選の感想です。一言で言えば、選挙に当選させてもらったという「既得権益」を守るため、次期選挙のために「しがらみ」から逃れられなかったんだろうと思うんですが、あれ? これって、世襲議員とかカイカク派首長とかの改革バカが大好きな「既得権益を打破しなければならない」ロジックと同じですね。

次はどんな呪文が唱えられるんでしょうかねえ。

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2010年09月14日 (火) | Edit |
明日には新しい総理大臣が決まるようですが、現在総理大臣の座を争っている両氏のどちらが選ばれても「政権交代」が起きるわけではなく、相も変わらず合理的無知につけ込んだ政治主導が繰り返されていくのでしょうね。まあ、特にチホーブンケンについては、今さら「政権交代」したところで20点が30点になるくらいで、どっちも赤点であることは変わりありませんし。

ついでに、前回エントリで引用させていただいた権丈先生の日記(?)が「勿凝学問」に吸収されていたので再録。

そして、さらに笑えたのは、心のなかでは、はじめから小沢氏支持を決めている政治家が、昨年の政権交代後に政府の中にいた身でありながら、このたび小沢氏を支持することによほど後ろめたかったのか、小沢氏の補助金交付金化論を知って、これならば小沢氏支持の大義名分を得られると、「政策で判断した。小沢氏の主張する補助金の一括交付金化は革命的な改革だ。豪腕に期待した」と発言していたこである。政策で、どっちにつくかが決まっていないことくらい、みん知っているのにね(笑)。 この件については、9月 4日のホームページへの書き込みをここに貼り付けておこうとおもう。

勿凝学問328 政治主導だと財源が生まれるなんて話、もう、いい加減にやめような―――せいじしゅどうという呪文を唱えたら、50センチが210キロになるらしい?


さて、どうなることやら。

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2010年09月05日 (日) | Edit |
やっと最近落ち着いてきましたので、ボチボチと更新していきたいと思います。といっても、あまりに間が開きすぎて、しかもこの間いろいろとありましたので、何を書いたらいいのか迷うところですが、とりあえず当座の話題はこれですね。

【河合雅司の「ちょっと待った!」】小沢氏の罠? 社会保障費の交付金化 (2/4ページ) 2010.9.4 12:00(産経ニュース)

 小沢氏は「市町村にお金と権限を任せて、それぞれの市町村で老人医療はどうする、介護はどうするというような知恵を出して、お金を有効に使い、自分たちのふるさとを作り上げていくのが、将来、いいと思う」とも語った。地方自治体の創意工夫の余地を広げれば、やる気のある市町村では、社会保障費の効率的運営につながる可能性もあると言いたいようだ

 そもそも、民主党は国が使い道を細かく決める「ひもつき補助金」には無駄が多いと主張してきた。これを見直すことで相当の国の歳出削減、すなわち財源が捻出(ねんしゅつ)できるとの考えだ。今回の制度案も、これに沿ったものである。

 小沢氏は討論会で、補助金全体の話として、「民主党の調査で首長たちは『自由に使えるお金をもらえるのであれば、今の補助金トータルの7割で、今以上の仕事を十分やれる』という答えが出ている。私の親しい首長は『本当に自由に使えるのなら、半分でも今以上にいい行政ができる』と言っている」ともした。国のコストも減り、地方の活性化につながるという発想のようだ。

 民主党はマニフェストで「ひもつき補助金」を廃止し地方が自由に使える「一括交付金」に改める考えを示しているが、社会保障費は一括交付金の対象から外れていた。消費税を上げず予算の大幅組み替えで財源捻出できるとの立場の小沢氏としては、巨額な社会保障費も例外にすべきではないと考えたのであろう。

※ 以下、強調は引用者による。


財源のあてもなく子ども手当とか高速道路無料化とか高校無償化を打ち出してきた民主党の閣僚どもが、政権交代後の財源不足に否応なく直面してしまっているのが、小沢氏には歯がゆいようです。天下りの根絶で10兆円規模のムダが削減できるという絵空事では財源が賄い切れないことがわかると、特別会計のうちで手の着けられなかった社会保障関係特会と地方交付税特会にはまだまだムダがあるとロックオンしたわけですね。

さて、拙ブログでは何度も繰り返していますが、地方分権の推進はナショナルミニマムの否定に外なりませんので、必然的に所得再分配政策の要である社会保障制度を崩壊させてしまいます。その意味では、小沢氏の主張は首尾一貫しているといえるでしょう。さらには、小沢氏自身の言葉ではないかもしれませんが、「やる気のある市町村では、社会保障費の効率的運営につながる可能性もある」ということは、やる気のない市町村が社会保障費を賄いきれずに破綻することも自己責任だという主張ですので、これもまた首尾一貫しています。まあ、破綻してしまうのは必ずしもやる気のない市町村だけではなく、政府間所得移転が減らされてしまった結果としてやる気を出そうにも出せないような市町村も含まれてしまいますが、それを是としている小沢氏が「私の親しい首長は『本当に自由に使えるのなら、半分でも今以上にいい行政ができる』と言っている」」として政府間所得移転を減らそうとしているわけですから、小沢氏の主張にはマッチポンプ以上の意義を感じませんけれども。

とはいっても、この辺りに意義を感じる方もいらっしゃるようで、

「いちばん大事な政策は?」という質問には、少し考えて「地方分権」と答えたが、その説明でも「地方の自己責任」という言葉が出た。政治家についても「どんな政策を出すかだけでなく、その結果に責任を取ることが大事」。小沢氏の政治手法の根底には、みんなで物事を決めて誰も責任を取らない日本的な意思決定に対する嫌悪があり、それが政敵にもマスコミにもきらわれる理由だろう。この点で彼はあまり変わっていないという印象を受けた。私としては、変わらぬ小沢に期待したい。

ただ具体的な政策については、ほとんど中身がなかった。バラマキ福祉の財源を「特別会計の組み替え」で捻出するという話も、この1年、鳩山・菅政権でできなかったことだが、小沢政権ならできるという裏づけはない。「世代間格差への怨嗟の声が強まっている」という質問にも「正社員の比率を法律で規制する」という、およそ自己責任とはほど遠い答だった。

小沢氏が「権力の亡者」だというのは神話だが、彼がどんなむずかしい政策も実現する「剛腕」だというのも神話である。彼の政治経歴は1勝10敗ぐらいで、過大な期待はできない。しかし確実にいえるのは、菅政権のままではねじれ国会は乗り切れないということだ。人々が小沢氏に期待しているのは、民主党としての政策の実現ではなく、政界を「焼け野原」にして組み替えることだろう

変わる小沢、変わらぬ小沢(2010年09月04日 20:05)」(池田信夫 blog


小沢氏は昔から変わりなく、その政策に具体的な中身がなく政界を焼け野原にする方のようですから、小沢氏を支持する方にとっては、今回の代表戦によって小沢氏が首相になること自体に意味があるのでしょう。

日本的民主主義はこういう事態を排除していませんし、民主党員でもない一チホーコームインが何を言ってもムダかもしれませんので、最後に権丈先生の一言を引用させていただきます。

こいつ、ただのアホなんだろうな。

  • 政策で判断した。小沢氏の主張する補助金の一括交付税化は革命的な改革だ。豪腕に期待した。
(略)
「そういうことってあるんですか?」への僕の回答。

そりゃあるさ。
僕が学生によく言うのは、本しか買ってはいけないという仕送りが5万円と、何でも買ってもいいという仕送り3万円―――どっちがいい?という話だな。

多くの学生は、何にでも使える3万円の方が良いと言う。
では、そうした使途が限定された補助金の交付税化の中で何が起こっているのか?少し考えれば、バカにでもわかる話だろう。

この問題は、社会保障や教育という、自治体の首長にとっては、(選挙対策上)さほど魅力がない政策にとっては深刻な問題をもたらすわけだ。

自治体の首長は、まさに民意に従って、社会保障支出や教育をカットして、他の地域サービスの拡充を図っていく。僕は、この民意に従った社会保障・教育支出のカットを、「政治の失敗」とでもネーミングしたいところだけど、ウォームハート・ウォームヘッドの御仁たちは、民意が反映されやすくなる地方分権を、なんだか絶対神聖視してしまう癖があるんで、本当に厄介。実際、小泉政権下の三位一体の時に、補助金を交付税化したことによる弊害は、いろんな側面で出てでてきている。新聞や雑誌は、その実例を存分に国民に紹介して、彼の言うことの危なさを国民に示さないとな。

まぁ、補助金の一括交付税化は、ナショナルミニマム政策の放棄にもつながるわけで、僕のように、社会保障の財源は今よりも集権化すべきだと言っている人間からすれば、小沢さんは、昨年のマニフェストに続いて、またまた猫だまし程度の目くらまし戦術をとっているとしか見えないんだけど、ふたたび国民は騙されるんだろうなとあきらめ気味なんだけね。

ちなみに、自治体への補助金の一括交付金化は、経済学のモデルの中では、個人に対する現物給付と現金給付のどっちの方が効用が高くなるか?という問いに換言されるんだけど、こうしたモデルは、効率以外の重要な政策目標を捨象してしまっているモデルなんだよね。そういうところに考えが及ばない多くの経済学者は、すぐに、現物給付よりも現金給付の望ましいと結論づけてしまうわけ。面白いのは、思慮不足の経済学者、多くは新古典派系の経済学者と、今、この国で影響力をもつ熱心な地方分権論者とは哲学的にはまったく逆なはずなんだけど、経済学のモデルの中では、同じ結論を出している。といっても、心優しい地方分権論者は、そのことに気づいていないふしがあるけどね。


仕事のページ(権丈善一ホームページ 2010年9月4日付け)」


まあ、なんといっても冒頭の一言に尽きるわけですが、現金給付と現物給付のどちらが効率的かという問題は、単純な2財モデルとかではなく、財政学(公共経済学)とか社会政策の分野で分析されるべきものであるにも関わらず、その分野の専門家でもない経済学者が原理的な経済政策を主張しているというのも大きな問題ですね。そもそも、財政学者にもいろいろな立場の方がいらっしゃるので、マクロとミクロの対立だけではなく、応用ミクロ経済学の中の対立も深刻ではあります。アカデミズムの内部で理論的に決着をつけなければならない分野は、ほかにもたくさんありそうですね。

(追記)
引用した権丈先生の一言が向けられている発言は、この記事の一人目の発言です。為念。

「直嶋氏は菅氏支持 細野、樽床両氏は小沢氏 民主代表選」asahi.com(朝日新聞社)2010年9月3日21時34分

 民主党代表選での対応をめぐり、同党の幹部議員の態度表明が3日、相次いだ。細野豪志幹事長代理は朝日新聞の取材に、代表選で小沢一郎前幹事長を支持する考えを表明した。細野氏は「政策で判断した。小沢氏の主張する補助金の一括交付金化は革命的な改革だ。剛腕に期待したい」と語った。

 また、樽床伸二国会対策委員長は同日、国会内での会合で「今の民主党には強いリーダーシップが必要だ。政治とカネの問題がクリアされていくことを信じて、小沢氏を支持したい」と語った。樽床氏は6月の代表選で菅直人首相と対決し、敗北した。

 一方、旧民社党グループの直嶋正行経済産業相は閣議後会見で「私なりに考え、最終的には菅氏を支持する」と語った。理由について「私は内閣の一員であり、この間積み上げてきた成長戦略を実行するのが私の役割」とした。

 昨年、野田佳彦財務相グループを退会し、独自に活動している馬淵澄夫国土交通副大臣は自身のブログで菅首相の再選支持を表明。両氏の代表選公約を比較した上で「(首相は)大きくは経済政策、政治改革、行財政改革、税制の抜本改革について、具体的な施策の深化を示している」と評価した。



ちなみに、「思慮不足の経済学者、多くは新古典派系の経済学者と、今、この国で影響力をもつ熱心な地方分権論者とは哲学的にはまったく逆なはずなんだけど、経済学のモデルの中では、同じ結論を出している」という部分は、個人的な理解としてはこの先生この先生を想像しながら拝読しました。前者の立場の方が効率性重視でチホーブンケンを推進するのはまだしも、後者の立場の方がそれをより強固に主張するという理解しがたい状況を拝見すると、リフレーション政策どころではない呉越同舟ぶりを感じるところです。

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