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2010年08月19日 (木) | Edit |
前々回エントリで書いた政策形成プロセスのことですが、切込隊長さんのところで自組織での経験から段取りの重要性が綴られていて、拙ブログで書ききれなかったあたりの機微が的確に指摘されていましたので、備忘録として引用させていただきます。

 昔、ソフトハウスを買ったときのこと、進駐軍のように幹部社員を送り込もうとしたら、羊のように従順だったはずの開発者が次々と辞表を出してきて、買った意味がなくなりかけたことがありました。買ったんだから、会社は私のもの、という意識は、そこで働く人の民忠を下げて一揆が起きて干上がるわけですね。教科書どおりに「1+1は2」とはならないのが仕事であり、戦力だろうと思うわけです。

 では、思ったとおり動かなかった人は、私を裏切ったのか? といわれると、思うところがあります。最近では、用意と根回しと段取りが大事なんだ、資金が幾らあっても、これを仕切るだけの組織がなければうまくハンドリングできないんだということを知るようになりました。

 信頼していた先の謀反というのは、負け戦が見えたときと、勝ち戦後の処理を誤ったときに起きるもんだと思います。逆に言えば、100%頼らせることの難しさ、相手が有能であればあるほど、先を読む能力があればなおさら、いつまでも仕えてくれるとは限らない、という問題を孕むわけでして。

(略)

 何事も相手に納得してもらえるための交渉が必要なのであって、そのためには準備と根回しと段取りが必要なんだ、というのが今の段階での私の結論ですね、はい。

金と人事と読みと裏切り(2010.08.16)」(切込隊長BLOG(ブログ) Lead‐off man's Blog~不滅の俺様キングダム~

※ 以下、強調は引用者による。


このエントリの題材はおそらく、切込隊長さんが買収した会社内部でのことでしょうから、一組織内ですらこのように根回しと段取りを怠ると物事が進まなくなるという現実があるということですね。切込隊長さんはその現実に直面して、「何事も相手に納得してもらえるための交渉が必要なのであって、そのためには準備と根回しと段取りが必要なんだ」という結論に達したそうです。

この一方で、「政治主導」と称して中間プロセスをすっ飛ばすような方々が政権についてしまいましたが、そんな「政治主導」では一国の統治システムをうまく回せるはずがないということもすでに明らかになっています。実はこのエントリを見て、現厚生労働大臣のこんな所行が伝えられてなんともやりきれない気分になったことを思いだしました。

2 : ノート(熊本県):2010/04/18(日) 19:36:48.91 ID:plWvOK6t ?PLT(12001)

(>>1の続き)

 大臣室に局長らを集めた際、机の書類が床に落ちたことがあった。「上に立つ大臣は取っちゃいけない。君たちが拾わなきゃいけないんだよ」。長妻氏はそう告げた後、自分で拾いはしたものの、「本当は私とあなた方はそういう関係です」とみなにクギを刺した。

 独立行政法人、福祉医療機構の1日付人事では、外部選考委による再三の続投要請をけり、社会保険庁から天下った青柳親房総括理事(56)を更迭した。

 それが、厚労官僚トップ、水田邦雄事務次官との関係となると、事情は違ってくる。

 政治主導の名の下、原口一博総務相は旧政権時代からの事務次官を切った。しかし、職員数10万人の巨大官庁・厚労省は次官1人代えてもすぐには変わらない--。そう踏んだ長妻氏は水田氏を使うことを選び、省のコスト削減チームの責任者に据えた。

 大臣室と次官室は応接室を挟んで隣り合う。水田氏は最低1日1回長妻氏と会うか、電話を重ね、「ムダ撲滅」の進み具合を逐一報告している。

 「一生懸命やっているよ、事務次官。官僚はオレには逆らっても、次官には逆らえない。役人は役人の偉い人には従うんだ」

 周囲にそう漏らす長妻氏は、人事でも手堅さの片りんを見せる。

長妻「床に落ちた書類を拾うのは俺じゃない、お前達だ」  官僚「・・・・・・」


「手堅さの片りん」ねえ・・・おそらく片りんだけだとは思いますが、いずれにしても、切込隊長さんが「会社は私のもの、という意識は、そこで働く人の民忠を下げて一揆が起きて干上がる」という現実を目の当たりにして、裏切りは「勝ち戦後の処理を誤ったときに起きる」と実感されていますが、政権交代の原動力となって論功行賞で就任された現厚生労働大臣には、勝ち戦の後にくるそのような現実は未だに見えてないのでしょう。官僚のモチベーションを下げて彼らが行動をとる気力をそぎ取ることも、官僚に邪魔されずに「政治主導」を進める近道かもれませんが、その結果がこれなんですよね。

厚労省:職員の48%「大臣らにおごり感じる」

 厚生労働省の若手職員のプロジェクトチーム(PT)は28日、省改革の提言などを長妻昭厚労相らに報告した。幹部の指導力に関する職員アンケートでは、48%が政務三役に「おごりを感じている」と答えた。同省の組織目標に「『おごり』の一掃」を掲げた長妻氏を皮肉るような結果に、山井和則政務官が「政治主導って、厚労省の職員にとっていいのか悪いのか?」と気にする場面もあった。

 アンケートは3200人の職員を対象とし、約750人が回答した。政務三役について「納得のいく指示がある」と答えた職員がほとんどいないなど、民主党政権の「政治主導」ぶりに、多くが疑問を抱いている様子が浮き彫りとなった。

 ◇タクシー券年3.6万枚
 また、六つのテーマに沿って報告された省改革の提言のうち、「業務改善・効率化」のチームは、同省のムダの多さを「メタボ状態」と指摘。タクシー券の使用が年間3万6000枚に及ぶこと、忙しい部署に人員が十分配置されていないために残業が生じ、その結果、券を使用する部署に偏りが生じていることなどを報告した。

 提言は、省内の公募に応じた34人(平均年齢33.2歳)が6チームに分かれ、約2カ月かけてまとめた。【山田夢留】

毎日新聞 2010年7月28日 20時36分


ここで注意しなければいけないのは、おそらく前厚労大臣に対する評価も同じようなものではないかと推察されることです。野党の側から厚労省をつるし上げたのが現大臣なら、組織のトップでありながら部下をやり玉に挙げ続けていたのが前大臣だったわけですから。政治家だからといって、組織のトップとしての資質やスキルを持ち合わせていると限らないのは当然のことで、不幸にも厚労省は特にそうしたスキルのない方を戴く傾向があるようです。まあ、多少は自業自得の部分があるにせよ、時の総理大臣の意向として厚労省がスケープゴートにされているうちは、いくら政権交代しようが、誰が大臣になろうが、この傾向は続くのでしょうね。

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2010年08月14日 (土) | Edit |
すでに先月のエントリになってしまいましたが、山形さんの数多い名言の一つの「みんなでいいアイデアを出しましょう、というのは政策でもなんでもありません」というのが、その当時破竹の勢いで支持を伸ばしていた「みんなの党」に対するアイロニーであったことは、まあ今さらいう必要もないですね。そのエントリでも書いたとおり、「みんなでいいアイデアを出しましょう、というのは政策でもなんでもありません」の典型がチホーブンケンとかチーキシュケンなわけでして、そういった議論に特徴的なのが、インプットとアウトプットの中間プロセスがムダであるという認識です。というわけで、ちょっと長くなりますが以下で間接部門としての政府の役割を考えてみます。

これも繰り返しになりますが、政府の役割を経済学の言葉で説明すると、その領土、国民といった資源的な制約の中で、経済社会システムを運営していくために必要な財政の3機能(資源配分の効率化、所得再分配の公平化、経済の安定化)を適切に機能させることということができると思います。ただし、政府が提供すべき公共サービスそのものが、民主主義の精神に則って国民の合議によって決定されるという大原則があることから、その公共サービスの及ぶ範囲・水準・程度については、それを享受する側と財源を負担する側で利害が対立することが避けられません。具体的には、「保育所をもっと増やしてほしい」という子供を持つ家庭のニーズがあっても、すでに子育てが終わった家庭が「そのために税金が増えるのはかなわん」と拒否すれば、そこに利害の対立が生じるわけです。

ところが、ここでさらに大きな制約となるのがその財源です。保育所の例で言えば、税収が低ければそれだけ雇用できる人数が減ったりその賃金が低くなりますし、保育所の施設も簡易なものしか整備できません。このとき、「この地域は人数も少ないし、これといった産業もないから、保育士が足りなくても施設が粗末でもいいだろ」と、住民に割り切ることを迫るのがチーキシュケンです。チホーブンケン教の方々は「いや、子育てが終わった世代が税負担をしたり、ボランティアで子どもを世話すれば、地域の税収の中でもなんとかやっていける」と主張されるのでしょうが、それでも財源も人も足りない地域はもちろん存在します。

結局のところ、地域内での予算制約線では必要なニーズが満たされない場合、外部からの所得移転が必要となります。確かにその地域のニーズを把握することはその地域でなければできないのですが、それに必要な所得移転を仲介する仕組みが必要であり、それこそが政府の大きな役割なわけです。となると、クラブ財の一種である地域公共財の供給水準を決定するためには、地域住民のニーズに基づいて社会効用関数を決定することと、そのための財源を調達することをは別々の機能として整理する必要がありそうです。組織の経済学の議論によれば、規模の経済・範囲の経済を最大限に生かしながら、取引費用を最小化する形で政府組織を設計することがより効率的であって、実際に大多数の先進国では中央政府と地方政府にその機能を分担していますし。

もちろん、日本の公務員の中には現場で政策執行に当たる職員も多数いますが、それも上記のような所得移転が仲介された結果として可能になるものです。という点からすれば、第一義的な政府の役割は所得移転の仲介役であって、公共サービスはその結果に過ぎないということも可能ではないでしょうか。これを民間企業と対比してみると、民間企業ではモノ・サービスを提供して、その付加価値に対する対価として収益を上げ、これを要素ごとに配分する(人には賃金、それ以外の生産要素には投資)ことでゴーイングコンサーンを確保するのに対し、政府の場合は、モノ・サービスの提供(公共サービスの供給)はあくまで結果であって、その範囲・水準等を決定する所得移転についてのプロセスを確保することがその存在意義であるといえそうです。やや乱暴な議論ですが、保育所の例でいえば、保育所の数、人員、施設が貧弱であれば、それは保育所に対するニーズに対応するための利害調整という中間プロセスそのものを、「そんなプロセスはムダ」とすっとばした結果なのではないでしょうか。

これを強引に冒頭の中間プロセスの議論に引き寄せてしまえば、民間企業でいうモノ・サービスの提供ではなく、それを決定する中間プロセスそのものが政府の役割なのだろうと考えます。中央政府と地方政府の役割分担もこの中間プロセスの役割分担から考えることが必要ですし、その上であるべき所得移転や財源調達方法を議論する必要があります。ところが、今の世の中は、コストカットのために中間マージンを削減することが必要不可欠であるとされていますから、「中間マージンを搾取するやつはけしからん、中間プロセスを丸ごとなくしてしまえ」という議論がされがちです。その結果として、たとえば、


  • 流通コストが高いから高速道路を無料化する。

  • 派遣労働者の賃金が安いのは派遣業者がピンハネしているからなので派遣業者がムダ。派遣を禁止すればいい。

  • 中間管理職なんてムダだから、組織をフラット化して中高年労働者をクビにして、ワカモノを雇えばよい。

  • 労働組合は会社経営の敵だし労働条件も改善しないからムダ。労働者の組織化なんかしないで、自立した労働者になれば解雇規制も撤廃できる。

  • 特別会計なんてよくわからないからムダ。埋蔵金をはき出させてから廃止する。

  • 生活保護とか年金とか役人が自分で仕事を増やしているだけでムダ。ベーシック・インカムでよし。

  • 中央政府が中央集権で補助金を決めるのはムダだから、チホーブンケンして地域のことは地域が決める。

  • 中央集権している霞ヶ関自体が中間組織でムダだから、国家公務員数を削減して給料も下げる。

  • 地方公務員もお役所仕事で使えなくてムダだから、もっと減らして給料も下げる。

というような認識が国民に浸透していると理解すると、なんとなく腑に落ちます。

中間マージンの中には確かに搾取と呼べるようなものもあるかもしれませんが、モノ・サービスの信用確保やアクセス費用の削減のためにむしろ必要なものも含まれます。同様に、中間マージンを得ているからといってその中間プロセス自体が不要ということではありません。お役所仕事がお役所仕事であるのは、数々の利害関係者に対する説明のために、そうした中間プロセスこそが重要だからです。ところが、中間プロセスはムダと決めつけられてしまえば、たとえば現場に出ている公務員がスーパー公務員と持ち上げられる一方で、役所にこもって中間プロセスに専念している役人はムダだから給料減らせと叩かれるわけですが、ある程度の規模の組織に属されている方ならおわかりのとおり、後者の仕事のほうが政策や事業の正当性そのものにクリティカルに響くというのが実態ではないでしょうか。

もちろん、中間プロセスが重要だからといって、中間マージンが高くてもいいとか中間組織が大きくてもいいということではありません。小さすぎても大きすぎても問題はありますが、いずれにせよ適正な水準や規模を確保しなければ、その政策や事業そのものが正当性を失い、整合性のある政策展開が阻害されてしまい、必要な公共サービスの供給ができなくなってしまいます。こうした状況が国民の理解を得られないことが、最大の問題なのではないかと愚考するところです。

Inspired by:
「残業」は本来、やってはならないのだが…(2010/08/08)」(シジフォス
■データ的には「小さな政府」という謎(2010-08-09)」(dongfang99の日記
この30年間に及ぶ反政府のレトリックの論理的帰結(2010年8月12日 (木))」(EU労働法政策雑記帳

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2010年08月09日 (月) | Edit |
最近どうも新しいエントリを書くモチベーションが下がりまくりで、いろいろ反応したいこともありながら放置してしまっておりますが、来年度予算を巡る現与党のドタバタ劇をメモ代わりに。

「形の上で政治主導」=予算編成、財務省主導認める-財務副大臣
 池田元久財務副大臣は26日の記者会見で、2011年度予算の概算要求基準に関し、各省庁への原案提示が予定していた先週末より遅れた理由について「形の上で政治主導を見せるというか、官邸、党の方もかんでいただいて丁寧にやったということだ」と述べた。菅内閣は予算編成に関し政治主導を強調しているが、実質的には財務省主導で進んでいることを認めた格好で、発言は党内外に波紋を広げそうだ。
 原案は政府・与党関係者が休日返上で調整し、同日午前に固まった。焦点となった成長分野に重点配分する特別枠をめぐり、民主党が強く要望した「2兆円規模」を明記するかどうかで調整が難航したが、池田副大臣は「本質的な部分で修正はなかった」と繰り返し、財務省が主張した「1兆円」案が土台になったとの見方を示した。(2010/07/26-21:03)

という副大臣のおもしろ発言があって、

池田財務副大臣の「政治主導」演出発言に玄葉氏が「見当違いだ」と猛反発
2010.7.27 13:17
玄葉光一郎公務員制度改革担当相(民主党政調会長)は27日の記者会見で、池田元久財務副大臣が平成23年度予算の概算要求基準の原案作成に関する「政治主導」は形の上での“演出”だとの認識を示したことについて「見当違いも甚だしい」と批判した。
 その上で「仙谷由人官房長官を中心に、私と野田佳彦財務相が何度も会って原案を作った。会っていたことも(池田氏は)分からなかったのではないか」と述べた。
 池田氏は26日の記者会見で「形の上で政治主導を見せるというか、官邸、党もかんで丁寧にやった」と発言していた。27日の閣僚懇談会でこの発言が話題になった。玄葉氏によると、野田氏は池田氏に対し厳重注意したという。

と政調会長からお叱りを受けたとのこと。

うーむ、「政治主導」が形の上のものであってはいけない理由というのは何なんでしょうね。永田町はどうか知りませんが、少なくとも私の見てきた社会生活上は、事務方なり現場なりの利害調整が一通り整った段階まで段取りを済ませておいた上で、最高権力者が登場する段階では「しゃんしゃん」で各方面に対するオーソライズを完了させて、滞りなく各現場の作業なり事務手続きが進むようにするのがもっとも円滑なロジの進め方ではないかと思うのですが、現与党の考える「政治主導」なるものはそれとは違うようです。

「政治」という、あらゆる国民が等しく基本的人権を有する政策アリーナにおいて、その社会的・身体的条件によって立場や利害が全く異なる国民を対象とした政策を実現するということは、利害調整という過程を踏むことによって初めて可能となります。言い方を変えれば、利害調整という作業を通じて、その政策によって影響を受ける度合いに応じて代替案を提示しながら、当事者に政策形成に参画したという事実を提供するのが「政治」という営みの必要不可欠な要素であるはずです。そして、利害調整の過程においてそのような膨大な当事者の利害をとりまとめて調整しつつ代替案を示すという作業は、両院合わせてせいぜい数百人の国会議員だけでまかなえる事務量ではありません。つまりは、その事務作業を黙々とこなす公務員が必要となるわけです。

というような政策形成プロセスの末席を汚す身ではありますが、世の「民意」なるものは、各種業界や団体と利害調整に当たるキャリア官僚や我々のような現場に近いところで利害調整に当たる役人どもの戯言なんぞには聞く耳を持ってくれないのが実情です。それは「現場重視」とか「生活者の目線」とかいう方々や、二言目には「カイカク!」とばかり連呼される方々に特に顕著であるわけで、そうしたスローガンを掲げて政権の座についた現与党にとっては、官僚が黙々とこなした利害調整の成果を反映した政策形成なんぞは、「形の上だけの政治主導」だからけしからんということなのでしょう。

なるほど、現政権党の政調会長は「仙谷由人官房長官を中心に、私と野田佳彦財務相が何度も会って原案を作った」のだから、形の上だけではなく中身も「政治主導」だというご認識のようですが、その程度の作業で「政治主導」ということができるのであれば、「政治主導」にもそれほどの内容はなさそうです。むしろ政治家の方々が原案を作る過程で、官僚がこなしてきた利害調整の結果や現場で政策執行に当たる小役人どもの戯言にも耳を貸していただければ、政治家個々人がご存じであるより何倍もの関係当事者や現場の利害調整を踏まえた制度設計ができるのではないでしょうか。

もちろん、政治家の方々が、利権にまみれた官僚どもによる利害調整が一部の既得権益(!)なるものに有利に働いていてけしからんというのであれば、自らその利害調整に割って入っていくことも必要でしょうし、むしろ、それこそが「政治主導」が本領発揮するべき場面であると思います。または、現場の小賢しい小役人が余計なことばかりしていて現場の国民が困っているという事実があるのであれば、現場における運用を見直すように法制度を改正することも必要ですが、法制度の改正が上記の利害調整を前提とする以上、上記と同じステップを踏む必要があります。

ところが、事態をややこしくしているのが、そうした重要な任に当たる政治家の方々の去就が、そうしたステップを踏まずに示される「民意」なるものに左右されるということです。自らもその社会的・身体的条件に応じて既得権益の一部であり、それぞれに現場を有するはずの「民意」が、単に「既得権益」「現場」というくくりでもって誰の利害も代表しないままに政治家に「カイカク」を要求してしまうと、上記のような迂遠なステップを踏んで漸進的な改善を指向する政治家ではなく、「既得権益を打破して、現場目線でカイカクします!」という独善的な政治家しか生き残ることができなくなってしまうわけです。

冒頭で引用した記事にあるような現与党内でのやりとりをみると、こうした政策形成のプロセスに対する評価は現与党内でも分かれているものの、やはり迂遠なステップを重視するような発言をする政治家のほうが注意を受けてしまうようです。まあ、そうしたステップをすっとばして抜本的カイカクをすすめる政治家や首長に喝采を送る「民意」からすれば、それがライフハックであって、迂遠なステップを踏みながら漸進的な改善を進めるような政治家は淘汰されたほうが好ましいのでしょうしね。

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