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2010年07月30日 (金) | Edit |
なかなか時間がとれなくて流れに乗れないのですが、前々回のエントリで取り上げたbewaadさんのところで動きがあったようですね。まあそれはそれとして、ちょっと気になったのがHALTANさんの政策割り当てについての議論です。

結局、前にも書いたように日本のリフレ派(ネットリフレ派)は「政策割り当て」を口実に上の「元信州大全共闘議長氏」「ダース・ベイダー脱藩官僚氏」のような人たちに利用されただけでしょうね(陰謀論的にどうこうではなく、様々な人脈やタイミングの偶然が重なって何となくそうなってしまった→id:HALTAN:20100606:p1

[無題]日本的先進国病→国家崩壊?(2010-06-12)」(HALTANの日記
※ 以下強調は引用者による。


そもそもいわゆる「リフレ派」は政策割り当てなんぞにはあまり興味がなかったのではないかと思います。「リフレ派」と呼ばれる方々の中には、チホーブンケン、ベーシック・インカムといった一刀両断的なカイカクでこと足れりとしてしまう大雑把な政策割り当て論が散見されますし、それが「リフレ派」自身が批判していた構造改革の中身そのものであることにもあまり頓着されていないように見受けます。ここはHALTANさんがご指摘のとおり、おそらくは「政策割り当て」という考え方があまりに都合良く「景気回復」と「構造改革」の共存を許容してしまった面は否めないと思います。

また、拙ブログのコメントを引用していただいたエントリでは、

■仮に万が一、「リフレ」とやらが実現したにせよ、「小さな政府・夜警国家」という「政策割り当て」と同居した政策など、信用できない。リフレの代償に現状の霞ヶ関攻撃→中央集権解体→小さな政府・夜警国家=日本国家破壊工作が進むというのは、ある意味「悪魔との契約」「究極の選択」に近いだろう。

[無題]リフレ派(ネットリフレ派)は死んだ! リフレも死んだ!(2010-07-23)」(HALTANの日記


とも指摘されていますが、こうしていわゆる「リフレ派」の方々の主張を並べてみると、制度や歴史的経緯についてはほとんど関心がないという点で「ヘタレ文系人間」の域をほとんど出ていないように思います。回りくどい言い方をやめれば、ただの世間知らずですね。もちろん私自身もヘタレ文系人間の端くれではありますが、そこにとどまることのないように、制度やその制度が形成された歴史的経緯については最大限の注意を払うよう意識しているつもりです。拙ブログでは関心の方向が地方財政と日本的雇用慣行に向いてしまっているので、それ以外の分野には疎いのも事実ですが、ではいわゆる「リフレ派」の方々が比較優位を持つであろう金融政策について、高橋是清以外の歴史が語られることはほとんどないように見受けます。

まあ、飯田先生は
歴史が教えるマネーの理論歴史が教えるマネーの理論
(2007/07/27)
飯田 泰之

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という著書もあるので、歴史上の金融政策についても造詣は深いものと存じますが、この著書で取り上げられている歴史上の事件のほとんどは、貨幣に注目して利ざやを稼いだりするという金儲けの事例となっています。労働についてはわずかにp.151で「このようなインフレによる刺激の例としては、労働が注目されることが多いようです」として数行取り上げられているに過ぎません。

しかし、ケインズがその歴史的著書の書名の冒頭に持ってきたのは「雇用」だったわけで、注目されることが多いどころの話ではありませんね。それが「ケインズ型福祉国家」という呼称のネタにもなっているところですが、ケインズは繰り返しその著書の目的を強調しています。

 それに比べると本書は、何よりもまず、全体としての産出量と雇用の規模を決定する書力に関する研究となっている。また、貨幣はその本質的かつ特有の属性をとどめたまま経済体系に組み入れられることになった反面で、貨幣にまつわる瑣末な技術的事項は背景に退いている。これから見ていくように、貨幣経済とは、本質的には、将来についての見解の変化が雇用の方向のみならずその量にも影響を及ぼす可能性持つ経済のことである。
p.xv序文


 教義それ自体は正統派経済学者から問題されることなくいまに至っているが、科学的予見という点では大失敗で、時が経つにつれて経済学者の威信はひどく損なわれていった。というのは、マルサス以後の職業経済学者たちは理論の帰結が観察された事実に合わなくてもいっこうに動じるふしはなかったけれど、世間の人々がこの齟齬を見逃すわけはなく、そのため彼らは、他の科学者集団――彼らにあっては、理論の真偽は観察を行い事実と照合することによって確証される――に払うほどの敬意を経済学者にはしだいに払わなくなってしまったからである。
pp.47-48


経済体系全体の動きを論じる場合、単位を貨幣と労働の二つの単位にしっかり限定すれば、多くの要らざる混乱を避けることができるというのは、私の信念である。
p.61


 第一篇の終わりあたりで、方法と定義にまつわるいくつかの一般的な問題を取り扱うために本題を離れたけれども、ようやく本題に立ち戻る地点にたどり着いた。われわれの分析の終局の目的は雇用量を決定する要因を見いだすことにある
p.125



雇用、利子および貨幣の一般理論〈上〉 (岩波文庫)雇用、利子および貨幣の一般理論〈上〉 (岩波文庫)
(2008/01/16)
ケインズ

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金融政策も規制緩和もそれぞれ必要な場面はあると思いますが、ケインズが論じたような「労働政策や所得再配分政策に関する論争が前面に出てくる」贅沢な時代が再来するのはいつの日になるのでしょうね。

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2010年07月28日 (水) | Edit |
先週の朝まで生テレビのテーマが「激論!“若者不幸社会”」だったので、イヤな予感がしつつも久しぶりに見てみましたよ。もちろん録画早送りで。パネリスト等は以下のとおりでした。

司会:田原 総一朗
進行:長野 智子・渡辺 宜嗣(テレビ朝日アナウンサー)
パネリスト:東浩紀(早稲田大学教授、批評家)
猪子寿之(チームラボ代表取締役社長)
河添誠(首都圏青年ユニオン書記長)
勝間和代(経済評論家)
清水康之(NPO法人「自殺対策支援センター ライフリンク」代表)
城繁幸(Joe's Labo代表取締役、作家)
高橋亮平(NPO法人「Rights」副代表理事)
橋本浩(キョウデン会長、シンガーソングライター)
福嶋麻衣子(モエ・ジャパン代表取締役社長)
堀紘一(ドリームインキュベータ会長)
増田悦佐(経済アナリスト)
水無田気流(東工大世界文明センターフェロー、詩人)
山野車輪(漫画家)

朝まで生テレビ
※ 上記リンク先はそのうちバックナンバーのカテゴリに移行すると思います。


このリストの中で事前にどういう主張をするのかある程度分かるメンツは、カツマー、アズマー(?)、joe、日本型ヒーロー、嫌韓流、堀氏、河添氏、清水氏という辺りでしたが、まあ、予想を裏切らない議論が延々と続くだけで苦痛でしかありませんでした。議論が的外れであれば、後は人物観察するしかおもしろみはなくなってしまうわけで、今回の収穫はアズマーと堀氏のマジゲンカと、「ワカモノ・マニフェスト策定委員会」なる思想集団からご出演のお二人のうち、元最年少市議の高橋亮平氏をじっくり観察できたことですね。

高橋亮平氏は不勉強ながら今回の朝生で初めて拝見したんですが、見たまんま上から目線という方がいらっしゃるのだなと軽い衝撃を受けました。上記リンク先のご自身のWebサイトでは上目遣いの写真しか載っていないので、別人かと思ったほどです。他の出演者に対して常に上目遣いならぬ「下目遣い」で、この俺ならすべての答えを持っているのだという自信に満ちあふれているその態度には軽く敬服しておくしかなさそうです。

上で「ワカモノ・マニフェスト策定委員会」を思想集団と指摘しましたが、高橋氏が主張されるチホーブンケンにしてもjoe氏が主張される解雇規制の撤廃による雇用の流動化にしても、法制度や判例、政府の統計データや公共経済学の分析なりOECDのデータなりをまじめに検討していたら、そんな世迷い言はいえなくなるはずです。それを自分の半径数メートルの現場経験でもって無視してしまう議論というのは、「○○を唱えていたら不治の病が治った」とか「××の壺を飾っていたら宝くじが当たった」という奇跡の経験談でもって、「○○の教義は正しい」という自己の主張を正当化する輩とたいした違いはないように思います。番組の中でも自らの著書を掲げて「まずは世代間格差の現実を知ってほしい」と連呼してましたから、自らの信者を増やすことには熱心であっても、そこに書かれている「事実」なるものについての批判的な議論は封殺するのだろうなと思わざるを得ません。まあこう書くとある種の信仰集団といった方がよさそうですが。

いやもちろん、若者(定義が「ワカモノ・マニフェスト策定委員会」でもはっきり書いていないのでどの年代を指すのかよく分かりませんが)が不満を訴えて改善を求めることは重要だと思いますし、私自身もまだ若い年代(と思いたい)年代なので、その主張に共感できそうな点もあるにはあります。ただし、だからといってその不満の矛先を「世代間格差」という対立構造に落とし込むのはいかにも目安箱的な政策提言であって、法制度やデータ等を読み解くリテラシーのないことを「庶民目線」といって正当化するカイカク派と親和的になっていくのも宜なるかな。

そんな中で、河添氏がチホーブンケンにおけるナショナルミニマム削減の動きを的確に指摘していたのは大変興味深く拝見しました。田原総一朗が「連合なんてろくでもない既得権の固まり」みたいな労組罵倒発言を繰り返していた中で、河添氏はJoe氏の雇用流動化や高橋氏のチホーブンケンという主張が普通に暮らす人の生活を破壊する経路をきちんと説明していたのに対して、Joe氏やカツマーは「そのためにセーフティネットを同時に作るんです」とチホーブンケンでは到底実現できない施策を主張するという、ここ数年当たり前に繰り返される大変ねじれた議論がここでも繰り返されていました。田原総一朗が既得権益だとして労組攻撃をするのであれば、こうしたねじれた議論で「既得権でない」側が既得権益なるものを破壊した後には、再び既得権の奪い合いが発生するということもきちんと指摘していただきたいものです。

まあ結局のところ、番組後半で嫌韓流の山野氏が「実は『「若者奴隷」時代』を書いているうちに、若者は不幸ではないんじゃないかと思うようになった」と言い出して、ワカモノ・マニフェスト策定委員会の面々は何も言えなくなっていましたが、その程度だということですね。

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2010年07月22日 (木) | Edit |
この件についてはできるだけ傍観者でいようと自己保身しておりましたが、冷静な議論が駆逐されていく様には、同じく匿名ブログを持つ者として戦慄を覚えます。勝手ながら親近感を感じているdojinさんが、

最後に、本件について田中氏の言動に問題があると感じているブログやツイッターをやっている方々は、田中氏やbewaad氏の政策的立場への賛否に係らず、はっきりとその旨を表明することが、第二のbewaad氏を生まない最善の道だろう。私も、こんな影響力のない場末ブログとはいえ、もう二度とこんな不毛で非生産的なエントリを書きたくない。

■[一般][社会」続・最近の田中秀臣氏の言動について(2010-07-21)」(研究メモ


とおっしゃるのを拝見して、私も遺憾の意を表したいと思います。

思い起こしてみれば、bewaadさんにメールを取り上げていただいたことがブログを始めたきっかけの一つでもあります。それ以前に、リフレーション政策に関心を持つようになった初期のころから拝見してきたのが両者のブログですが、私がいわゆる「リフレ派」に距離を置くようになったのは、田中秀臣氏のブログや書籍を継続的に拝見するようになり、氏の言論に強烈なバイアスを感じるようになったころからです。こう考えると、両者の亀裂はかなり早い時期に(というより初めから?)生じていたのではないかと個人的には感じるところです。「リフレ派」と呼ばれる方々の脇の甘さが招いた悲劇とも言えるかもしれません。

自分を含め、ネットの言論スペースで活動する者は、ブログ界隈における貴重なリソースが奪われた今回の件を銘記しなければならないと思います。また、リフレーション政策を支持する経済学への信頼を損ねてしまった点については、せめて冷静な議論が行われることを願ってやみません。

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2010年07月04日 (日) | Edit |
自己レスになりますが、非国民通信さんとのやりとりの中で、

あと、これは非国民通信さんのエントリで気になった点ですが、
> よく「イレギュラーな勤務が求められる営業は派遣には置き換えられない(だから非正規への置き換えが無限に進むわけではない)」みたいに言う人もいますけれど、それは実情に疎い素人の青写真に過ぎません。雇用側が非正規雇用の比率を増やしたいと思えば、その分だけ正規雇用の椅子は脅かされるのです。「正社員を守るために派遣社員が犠牲にされている」なんて言論にもまた事欠かないわけですが、むしろ(雇用主の好きにできる契約である)非正規雇用の拡大が、(雇用主にとって好きにしにくい契約である)正規雇用を脅かしていると見た方が現状を的確に捉えていると言えます。

確かに業務内容だけで正規か非正規かを区分すべきというような議論はあまり意味がないとは思いますが、「(雇用主の好きにできる契約である)非正規雇用の拡大が、(雇用主にとって好きにしにくい契約である)正規雇用を脅かしている」というとらえ方も一面的ではないかと思います。

ご指摘のあったように、特に中小企業では

> 会社の偉い人が何を思ったのか「事務は社員のやることじゃない、事務は派遣にやらせる」との方針転換が打ち出され

ることがあったりと、実態として「(雇用主にとって好きにしにくい契約である)正規雇用」となっていないからこそ常用代替が起きるとも考えられます。この辺りは大変入り組んだ事情がありそうなるので、機会を見てまたエントリを起こしてみたいと思います。

2010/06/17(木) 07:30:48 | URL | マシナリ #-[ 編集]
現実が目を曇らせる(2010年06月09日 (水) )」コメント欄
※ 以下、強調は引用者による。


ということで、いろいろとネタを探していたところですが、ブログ「雇用維新」のブログ主である出井智将さんの新著を拝読して大変考えさせられたので、とりあえず備忘録としてメモしておきます。

派遣鳴動 改正派遣法で官製派遣切りが始まる。派遣鳴動 改正派遣法で官製派遣切りが始まる。
(2010/05/31)
出井 智将

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まずなんといっても、出井さんご本人が製造業派遣が解禁される前は請負業者を、派遣解禁後は製造業派遣を生業としている派遣業者であって、まさに現場の利害当事者である業界団体理事として意見を集約しようとされているその姿勢に感銘いたしました。ブログはここ1年くらいしか拝見しておりませんでしたが、こうして書籍としてまとめていただいたことで、出井さんが直面されている現実や、それとの格闘を通じながら人材を育成していくために日々奮闘されている様子がひしひしと伝わってきます。その出井さんからすれば、大々的に報道される「派遣村騒動」を見て

 私はあえて主張したい。派遣村がセーフティネットであったとすれば、そのセーフティネットは雇用を生み出さない。しかし派遣は、ヒトとヒトを結びつけ雇用を生み出してきた。派遣村に求められていたのは、「支えること」と「巣立たせること」の両立であったが、それは実現されなかった。しかし、派遣はその機能を十分に担ってきた、と業界にかかわり続けている者として自負している

出井『同』p.32


と言いたくなるのも当然のことです。確かに多くの失業者の前職が不安定な雇用とされる派遣であったことは事実かも知れませんが、裏を返せば、派遣がそれだけの雇用を生み出していたことの証でもあります。そして、派遣という働き方だけをとれば不安定雇用かもしれませんが、そこで働く労働者にとっては、そこから正社員へ登用される道が開けていたり、さまざまな事情により正社員として働くことが難しい方々にとっての貴重な雇用の場となっていたわけです。出口の「派遣切り」問題を規制するために、入り口の登録型派遣や製造業派遣、日雇い派遣をふさいでしまえというのがいかに乱暴な議論であるか、政治主導とか企業搾取論がお好みの方々にもご認識いただきたいものです。

そのような雇用の場を提供している出井さんの思いが凝縮しているのが、会社案内に掲載されているという佐藤博樹東大社研教授とのインタビューですが、その最後にこういう宣言をされているそうです。

 「『ものづくりサービス』という仕事は、ものづくりのための、“ひとづくり”が基盤になります。そこでは多くの人がキャリアアップのチャンスをつかんでほしいという“ゆめづくり”も考えています。人が育っていくのを見ることは、この仕事の中で何よりもうれしいことです。メーカーの成功と、人材ビジネス会社で働く人のキャリアアップの成功という両輪があってこそ、私たち人材ビジネス会社の成功があるのだと思います」

出井『同』pp.155-156


この直後に、多様な経歴を持つ人材をキャリアアップさせる困難さ、将来の透視図を描きにくいこと、非正規から正規への移行という3つの課題を挙げられていますが、これらの課題はそのまま正規と非正規が分断されている日本の雇用問題の縮図となります。実は本書で出井さんが構想されている派遣についての提言は、海老原さんが近著で提言されている「公的派遣」の議論とも重なる部分が多く、現場で人と制度と格闘されている方からすれば、見えている現実はだいたい同じものになるのだなと感慨深いものがありますね。

 日本人材派遣協会の新しい考え方は、一企業の経営者としても、非常に分かりやすい。
 さらに私はこう考える。
 労働者から見た時に、派遣会社が仕事と労働者の間に介在するメリットは、「マッチング」「キャリアアップ」「雇用の創出」でなければならない。
 ところが、これまではマッチングのみが評価され、またそうした企業のみが、利益を上げ、事業を拡大していった。
 マッチングのみのため“雇用が軽い”。それが雇用の不安定さにつながるのである。働き方が多様化した今、ここにしっかりとセーフティネットをつくることが、雇用の世界で重要な課題の1つだと思う。
 長期雇用以外は認めない、といった幻想を捨てて、労働市場全体として包括的に考えていかなければならない。だから業界として、ここに第2のセーフティネットをつくるべきだ。

出井『同』p.244


「日本人材派遣協会の新しい考え方」は日本人材派遣協会のWebサイトに資料(労働者派遣法改正に向けての(社)日本人材派遣協会の考え方(注:pdfファイルです))が掲載されていますが、本書pp.242-243の図説が大変分かりやすくまとまっています。本書で提言されている第2のセーフティネットというのが、派遣元、派遣先、労働者の三者が折半する雇用保険によって在職中の職業訓練、失業時の給付を拡充するというもので、海老原さんが提言されている「派遣基金」とほぼ同様の趣旨となっています。

というわけで、やや強引ではありますが、非国民通信さんとの宿題(?)となっていた「入り組んだ事情」については、端的に言えば派遣切りによって職を失った労働者に必要なケアをいかに準備するかという点について、派遣元と派遣先と労働者の思惑がずれてしまってることが、労働者に保護の欠ける状況をもたらしているのではないかと愚考するところです。まあ、なんともすっきりしないまとめですが、そのこと自体がこの問題の奥深さを物語っているのだろうと逃げを打っておきます。

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2010年07月04日 (日) | Edit |
前々回エントリで引用させていただいた山形さんのこの部分ですが、実は前回エントリともつながっておりまして、その前々回エントリで引用した後の部分を引き続き引用させていただきます。

5. そもそも経済政策とはどんなものか。


(略)
 でも、みんなでいいアイデアを出しましょう、というのは政策でもなんでもありません。「それじゃダメだと言っている」でもダメなのです。なにがいいのか、だれが、なにをするべきかを、おおまかな枠組みでもいいから提示しないと。
(略)

6. で、小野善康は、ぼくの批判に答えているか?


(略)
これは批判でもありますが、同時に自戒でもあり、自己批判でもあります。土地について、ぼくもまったく類似の議論をすることがよくあります。地価が下がっているのに対し、「保有税減税なんかではダメだ、もっと利用価値を生み出すような開発をしないと」というような議論です。それがどういう開発なのか、ぼくにはわからない
 ただしその一方で、そこで用途地域の緩和をしたら(あるいは厳しくしたら)、とか開発申請を簡略化したら、とか、アイデアを出しやすくする政策提案はできます(します。きいてもらえないけど)。それが政策としてうまくいくか、というのは次の議論です。が、小野さんのいまの議論は、それ以前の段階でしかありません。

 タイヤに穴が開いているときに、それが釘で開いたのか画鋲で開いたのか、というのは、推理ゲームとしては楽しくても政策的には無意味です。そこでパッチをあててパンクを修理すべきか、それとも空気を入れ足しながら、だましだまししばらく乗るべきか、というのは政策議論です。小野さんは、いつまでも釘か画鋲かを考え続けるおつもりなのでしょうか

小野善康さん、それってちょっと……」(YAMAGATA Hiroo: The Official Page
※ 以下、強調は引用者による。


大事なことなので下線太大文字で強調しましたが、もう一度繰り返して引用するとみんなでいいアイデアを出しましょう、というのは政策でもなんでもありません。さらに重要なのは、その直後で山形さんご自身が自戒されているように、政策論議と呼ばれるものは往々にして「もっと資源を有効活用して効率化しなければならない」とか「ムダを削減してより効果的な分野に集中すべきだ」というような、正論でありながら具体的な内容を欠くものになりがちだということです。

選挙カーがかまびすしい今日この頃ですが、そこから聞こえてくる公約なるものはほとんど上記のような「正論」ばかりで、少なくとも山形さんが指摘されるような政策議論の体をなしてしません。特に、地方在住者としていずれかに投票しなければならない候補者の方々を拝見していると、チホーブンケン・チーキシュケンを批判する方はもちろん一人もおらず、「住民参加による政治主導で地域の実情に応じた行政を!」とおっしゃるわけですが、そりゃおっしゃることは正論だけど、誰がそれを考えて、誰がそれを実行して、誰がその財源を負担するのかという疑問が募るばかりです。公約だろうがマニフェストだろうがウィッシュリストだろうがなんでもいいんですが、政治家は有権者の好むことを代弁するのだから、七面倒くさい法制化とか実務の執行体制なんか役人どもが考えろとおっしゃるのであれば、それは前々回の山形さんの議論に戻ってしまいますけどそれでいいんですか? それでいいとかいっておきながら、後でまた役所のムダな事業で税金の無駄遣いとか叩きませんか? と小一時間ほど問い詰めたくもなりますね。

ここ数年の国政選挙で見えてきたこの国の政治過程を、前回エントリの目安箱による政治参加の過程としてまとめてみると、以下のような感じでしょうか。

1.国民が生活に対する不満の声を上げる

  • 景気の低迷で生活が苦しい
  • 医療・介護にお金がかかるので、自宅でなんとかするしかない
  • 保育・教育にお金がかかるので、子育てもそこそこに働きづめになるしかない ・・・等々

2.制度と役所が悪いという世論がマスコミを中心に盛り上がる

  • 法律の規制が緩和されたから働き方が苦しくなった
     → (例) 労働者派遣法を緩和した小泉改革のせいだから、製造業派遣を禁止すべき!
  • 規制でがんじがらめになっているから自由な企業活動ができない
     → (例) 解雇規制を撤廃して雇用を流動化すべき!
  • 国際比較すると法人税が高いために海外移転してしまう
     → (例) 法人税率を引き下げて国際競争力を高めるべき!
  • 大企業が海外で大もうけしているのに、国内の中小企業が搾取されている
     → (例) 法人税減税なんてけしからん! 中小企業支援策や有望な産業分野に投資を集中するべき!
  • 役人がムダな事業ばかりやっていて、天下り先では法外な給料と退職金で私腹を肥やしている
     → (例) 天下りを根絶してムダを削減するべき! ・・・等々

3.世論にまんべんなく応える公約を政治家が掲げる

  • 政治主導を徹底して脱官僚を目指す
     → (例) 官僚による国会答弁の禁止、事務次官会議・会見の廃止
  • 税金を官僚の手から国民に取り戻す
     → (例) 公的機関の民営化、NPO等への外部委託、公務員削減、子ども手当・戸別所得保障・高速道路無償化
  • 地元のことは地元が決める地域主権改革を進める
     → (例) 国の出先機関の廃止、三位一体の改革、義務づけの廃止
  • 住民による政治参加で住民目線の政治を実現する
     → (例) 地方議会基本条例制定、政策法務


まあある程度意図的にまとめて書いていますが、不満の声とそれに対する適切な処方箋についての役割分担が目安箱的に混在してしまったため、2の部分でかなり利害が錯綜しているように思います。これも、90年代以降の政治改革の流れの中で、当事者の利害を代表していた中間組織がことごとくやり玉に挙げられていき、国民の声を反映する経路として「政治主導」という理念だけが正当性を保ち続けているものの、実際にはその理念が空回りしていることの証左ではないでしょうか。

政治家の命運が合理的無知に陥る有権者の投票行動によって決まるという前提で考えるなら、政治主導という理念が、1の国民の声に向き合うのではなく、2の世論に応えることを主眼に置いたものとなるのは当然のことです。つまりは、2の部分を適切に担うべきなのは、マスコミのような世論ではなく、適切に動機付けられた労働組合等の中間組織ではないかと個人的に考えるところでして、それがなぜこの国で実現しないのかと考えることのほうが、選挙の争点とか議席数を考えることより遙かに重要なことではないかとの思いが強くなる選挙戦ですね。

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