2010年05月03日 (月) | Edit |
メーデーに書こうと思っていたネタでしたが、なかなか考えがまとまらずに2日ほどずれ込んでしまいました。拙ブログではおなじみ(?)かもしれませんが、集団的労使関係の再構築が労働者の生活を守るために必要だと考えておりまして、それが実現するかどうかは、ストライキが容認される社会となるかどうかが1つのポイントになるのではないかと思います。と考えてみたとき、プロ野球選手会が国民の支持を得てストライキを打ったのがすでに6年前となった現在、ストライキといえば、たまに「航空関係の労働組合がストライキを打つかも」くらいのニュースしか流れなくなっているわけで、この点では実現はかなり難しいといえそうです。

確かに公共交通機関のストライキは市民生活に大きな影響を及ぼすので、それだけ取り上げればはた迷惑なわけですが、憲法上は、それだけの社会的損失を「人質」にして労働条件の向上を訴えることが労働者の権利として認められているのもまた事実です。ストライキが国民の支持を得られなくなったということは、その社会的損失を「人質」にとられることを国民が拒否している状態だといえるでしょう。

まあ、国民誰しもが低賃金にあえいでいるような時代であれば、賃上げを獲得するためにストライキを打つことが同じ境遇にある国民の支持を得ることができたとしても、ある一定の層が先行する形で高い賃金水準を獲得してしまうと、「お前らがいま以上の労働条件の向上を獲得するために、何で俺たちが不利益を被る必要があるんだ!」と労働者同士が牽制している状況になってしまうわけですね。いうまでもなくそれは、労働組合が企業内の正社員を代表して正社員の賃金水準を向上させることに成功した一方で、男性成人労働者以外を家計補助的な地位にとどめながら、パート・アルバイトの賃金水準や雇用保障をできるだけ低く抑えることを容認するという、日本の社会がこれまでたどってきた道でもあります。

さらにいえば、そういった労働者同士の牽制が「お客様は神様です」的消費者天国を作りだし、他の労働者に対しては「経営者目線」で労働条件の引き上げを阻止する風潮につながっているように思います。「みんなが我慢して「お客様という神様」のために働いているのに、あいつらだけが労働条件を向上させるなんて許せない!」とお互いが考えているうちは、誰もがまともな労働条件で働くことは望めません。それが「引き下げデモクラシー」だったり、「会計検査院とオンブズマンが作り出すすばらしき世界」だったりするわけで、労働組合が支持母体となっている現政権下でもこんなマニフェストが作られる始末。

「公務員庁」を検討、民主が参院選公約に(2010年4月23日00時17分 読売新聞)

 民主党は22日、夏の参院選公約に、公務員制度改革の一環として、国家公務員の定員や給与などを管理する「公務員庁(仮称)」の設置を盛り込む方針を固めた。

 公務員の労働基本権を回復した場合、労使交渉の政府側窓口とする。労使交渉によって国家公務員の人件費2割削減を目指す考えだ。

 公務員庁は、幹部職員人事を一元管理する内閣人事局とは別に設置し、幹部以外の職員の定員管理や給与制度管理を集約する。労使交渉を担当する閣僚を置くことも検討する。

 民主党は昨年の衆院選政権公約で「公務員の労働基本権を回復し、民間と同様、労使交渉によって給与を決定する仕組みを作る」としていた。

※ 以下、太字下線強調は引用者による。


・・・本来なら労働条件を向上させるための労使交渉によって人件費を2割削減するという、憲法の趣旨と矛盾しまくった主張が何の驚きもなく受け入れられるというのが、現在の「お客様は神様」的消費者天国たる日本を象徴していますね。

多少観点は異なりますが、小島先生はこのような相互牽制的な状況が不況をもたらすという興味深い指摘をされています。

 この世界不況の様相を観察するにつけ、不況というのは協力が壊れてしまった状態だと思わざるをえない。株式市場でも財市場でも、協力が壊れてしまって、誰もが疑心暗鬼になって、あらゆる市場で協力が達成できない状態になっているように見える。
 市場経済というのは、基本的に、「協力の達成」によって成立している。商品の売買というのは、売り手と書いての双方が得する価格を模索して取引が実行される。片方だけの言い分を通そうとすれば、商談は決裂し、どちらも利益が得られない。相手に降りられない範囲内で自分の有利な価格を申し出ることを双方が模索してこそうまくいくのである。同じように労働市場では、労働者と雇用者が協力して賃議を模索しあう。金融市場では、企業家と投資家が、資金の融通を、利回りを要として協力を達成しようとしている。このような協力がどこもかしこも壊れてしまったのが、不況の真相だと筆者には思える。
(略)
 企業を挟んで消費者である自分、労働者である自分、投資家である自分が分裂している。そこで分裂した自分と、いくつもの意味を持っている企業と、その反対側でつながっている人たちがうまく協力を達成できれば、完全雇用・完全均衡が達成される。逆にいうと、不況というのは何らかのきっかけで分裂した個人たちの間で、協力が壊れてしまった状態なのである。
pp.199-201
※ 太字強調は原文。

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(2009/10)
小島 寛之

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バブル崩壊後に成果主義賃金体系が大々的に導入されて組織がフラット化すると同時に、労使関係の個別化が進められて集団的労使関係が瀕死の状態に陥っていることからすると、不況を理由として人事労務政策が個人の分裂を推し進めた面もありそうです。いずれにしても、相互不信によって協力が壊れた面が不況には確実にありそうですし、不況の原因として挙げるなら、ここに税・社会保険料を拠出する納税者とそれを原資に公共サービスを給付する行政との間の協力が壊れていることを追加すべきかもしれません。

人々の期待(予想)に働きかけることを目的としている以上、リフレーション政策も、給付を拡充するための増税による非ケインズ効果も、そういった協力が壊れている状態ではその効果が期待できません。岩本康志先生がインフレターゲットに懐疑的な立場をとるのも、日銀と市場の協力を前提とした信認の問題をどう解決するかがリフレーション政策では不明だという点だろうと思います。こう考えてみれば、マスコミと民意におもねる政治家によって信認に基づく協力が崩壊されきった現在の日本では、リフレーション政策はおろか所得再分配機能の拡充による経済成長なんて夢のまた夢なのかもしれませんね。

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