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2010年05月25日 (火) | Edit |
本エントリは前回エントリのオマケですので、半分ネタです。

見舘先生の著書で例示されていたマクドナルド、スターバックス、コールドストーンクリーマリーはいずれも商品ブランドの維持に成功しているB to Cの業務形態であり、その観点からすれば、人材育成に力を入れるというのは、それを通じてブランドイメージの向上を図るという一石二鳥の戦略でもあります。これと対照的なのが、少し前に話題になった餃子の王将における新人研修ですね。

「新入社員「スパルタ研修」に批判  「餃子の王将」が釈明文掲載 (J-CAST)[ 2010年4月27日19時57分 ]

 過酷な新入社員研修の様子がテレビで放送され、「ブラックすぎる」などと批判されていた「餃子の王将」の王将フードサービスがサイト上に釈明文を掲載した。内容が「誤解を受けやすかった」とし、「無難な研修では学生気分を脱却できない」などと研修の真意を説明している。

 2010年4月11日、情報番組「TheサンデーNEXT」(日本テレビ系)で、同社新入社員研修の様子が放送された。携帯電話からテレビ、新聞、タバコも禁止。朝は6時半からランニングを行い、夜は23時に消灯。研修では、ことあるごとに怒号が飛び交う――。

(略)

今の若者には「感謝を知ること」を一番教えたい
 「餃子の王将」では、メニューの工夫や、イベント企画を行うなど、社員一人一人が存分に力を発揮し、併せて仲間とも協力することが必要とされる。その前に、挨拶や礼儀を社会人として身につけなければならない。「現代の若者」は、家庭や学校でこうした躾をされることが少なく、叱られたことのない人も多い。そのため、「通り一遍の無難な研修だけでは、学生気分から脱却させることはできません」というのだ

 また、今の若者には「汗をかかない」「涙を流さない」「感謝を知らない」といった傾向があり、研修では「感謝を知ること」を一番教えたいのだという。仲間に励まされながら自分の弱さに向き合い、最後に感動を分かち合う。仲間あっての自分を知り、感謝を知ることが真の目的だとし、「ご理解頂きたく、お願い申し上げます」としている。

※ 以下、強調は引用者による。


引用部の最後で強調した「餃子の王将」側の言い分が、前回エントリで取り上げた3社のそれと全く同じである点が大変興味深いですね。「通り一辺倒の無難な研修」ではだめだという共通の認識からスタートしながら、その向かった先がかたや座学とメンターによる職場実習を組み合わせた人材育成であるのに対し、一方はスパルタ研修になってしまうのが不思議なところです。と思って考えてみると、身も蓋もない結論ですが、スピードや接遇で勝負するマクドナルド、高価格商品で勝負するスターバックス、「ハッピークリーマリー体験」を売りとするコールドストーンクリーマリーと比較すると、餃子の王将は低価格で勝負している点がその分かれ目となっているのではないかと思われます。

もちろん、餃子の王将と比較した3社のうちでは、マクドナルドも一時期低価格で勝負していて、実際に「名ばかり管理職」に対する超過勤務手当の不支給で訴えられたりしていますが、それでも累計で200万人以上とも言われる「マクドナルドでのバイト経験者」を顧客としてつなぎ止めるだけの人材育成を行ってきたわけです。

まあそうはいっても、現場でのアルバイト人員の人材育成に当たるメンターの質も会社によりけりなわけで、その辺をネタにしているのがこの二人。

(※ ここにはウーマンラッシュアワー(Wikipedia:ウーマンラッシュアワー)のバイトリーダーネタを張っていましたが、YouTubeにより利用規約違反で削除されました。)

いやまあ、おもしろいんだけど・・・このバイトリーダーはメンターとしてどう評価されるのだろうかと気になって夜も眠れません。

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2010年05月23日 (日) | Edit |
課長になったらクビにはならない 日本型雇用におけるキャリア成功の秘訣』に引き続き、ニッチモで編集された見舘先生の著書をご恵投いただきました。いつもながら、場末のブログを心に留めていただきありがとうございます。

本書では、採用面接などで必ず聞かれるバイト経験の効果についての研究レポートを中心として、それを人材育成という観点から見た際に、その内実において現実の企業活動においてどのような効果を持つものなのかが考察されています。その考察に当たっては、マクドナルド、スターバックス、コールドストーンクリーマリーの3社の事例を基に、モーガン・マッコールが唱えた「経験+触媒=成長」というモデルに沿って、人材を育成するアルバイトのあり方が示されていくのですが、これが教育から職業への移行を考える上で大変興味深い事例となっています。

 まずマクドナルドですが、同社のクルーは。「ケチャップをつけるときは、バンズ(パン)の真ん中につけよ」と研修で教えられます。これは「教育プログラムから生まれる経験」ですが、一方で、「どこから食べ始めても、同じ味がするのがお客様にとって大切なことなのだ」という、その行為の意味を、「徒弟制」で学びます。単に研修で教えられたことを機械的に実行するのではなく、「徒弟制」という触媒が付加されるからこそ、学んだことが、頭に、身体に刻みつけられるのです。
p.70

※ 以下、強調は引用者による。

「いっしょに働きたくなる人」の育て方―マクドナルド、スターバックス、コールドストーンの人材研究 (ワークス人と組織選書)「いっしょに働きたくなる人」の育て方―マクドナルド、スターバックス、コールドストーンの人材研究 (ワークス人と組織選書)
(2010/05/17)
見舘 好隆

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「徒弟制」というと、現在では職人養成のツールとしてのみ生き残っていることもあって何とも古くさい制度に思われますし、ここでも「徒弟制」という仕組みは人材育成上のツールとして示されていますが、個人的には、採用ルートとしての「徒弟制」の機能も重要ではないかと考えております。というのも、明治から戦後の一時期までは、企業が新規に採用した職工をいくら教育しても定着しないということが問題だったわけで、今風に言えば、徒弟制が「ミスマッチ」を軽減する有効なツールとしても機能していたのではないかと思われるからです。hamachan先生の講義案から引用すると、

2 企業による労働者養成の始まり
 日露戦争後、生産技術が高度化するのに対応して、大工場では熟練職工の養成に取り組み始めました。初めに普及したのは、工場内の優秀な職工を選抜して、公立の工業学校や職工学校に送り込み、訓練を受けさせることです。これがうまく軌道に乗れば、人材養成を公的な機関が行い、そこで訓練を受けた労働者を企業が採用するというメカニズムが確立したかも知れません。しかし、工場主に費用を出して貰って訓練を受けた職工学校の卒業生たちも、それまでの職工たちと同様、その工場に留まろうとせず、渡り職工として異動していくことを望みました。工場主の期待は裏切られたのです。

(略)
3 日本型雇用システムの原初的形成
 この第一次大戦後の時期に確立した日本の雇用システムの最も基本的な要素が「定期採用制」です。定期採用制とは、従業員を採用するに当たっては、学校卒業時又は兵役終了時といった一定の時期にのみ限定し、それ以外の時期に他の企業に雇われていたような労働者を雇い入れることはしないという慣行です。ここに日本の特徴である長期雇用慣行が成立しました。ほとんどの大企業が一斉にこういう雇用慣行を採用しましたから、一旦どこかの大企業を退職してしまった労働者は、ほかの大企業に採用される可能性はほとんどなくなってしまいます。渡り職工たちは大企業分野から閉め出されてしまい、そういう慣行をとらない中小企業で生きていくしかなくなってしまったのです。
 また、企業負担で訓練を受けた養成工たちも、もはや高い賃金でほかの大工場に移っていくということは困難になりました。彼らの企業への忠誠心を確保するため、この時期に導入されたのが定期昇給制です。毎年定期的に昇給するという仕組みを設けることで、5年勤続すれば5年分昇給し、10年勤続すれば10年分昇給するということになります。ここで最も重要なのは、もし企業を異動してしまうと、他の企業で経験した勤続年数は評価されなくなってしまうということです。これは労働者の異動に対して強いディスインセンティブを与えることになりました。

2 日本労務管理史概説」(「日本の労務管理」講義案

5 戦後期の動向
 これに対して、大企業の採用管理の仕組みは戦間期とあまり変わっていません。大企業は優秀な新規中卒者を少人数採用し、企業内養成施設で通常3年間学科教育と職場実習の組み合わせによる教育訓練を施し、彼らが基幹工として工場を支えていくという仕組みです。彼らは企業内では高卒扱いですが、一歩企業外に出れば中卒でしかありません。彼らが自分たちの能力を高く評価してくれる唯一の場である企業内での長期雇用を志向していったのは当然でしょう。一方、中小零細企業に就職した中卒者たちのかなりの部分は、労働条件の劣悪さから離職するものが多く、結果的に多くの者が大企業の臨時工として吸収されていったようです。メンバーシップに基づく本工の内部労働市場とジョブに基づく臨時工の外部労働市場という二重構造が再び出現したわけです。

Ⅱ 各論 1 雇用管理 (1) 募集・採用」(「日本の労務管理」講義案


というような経緯があり、新卒者が職業に移行する際のスキル形成をいかに行うかという難問に対する一つの対応策が、企業内養成施設での教育訓練だったのではないかと思います。引用部以下のhamachan先生の講義案にもありますが、その後新卒一括採用が普及して行くにつれて学校教育と職業訓練の断絶が広がっていき、現在の普通科を中心とした高等学校教育や実学を教えない文系学部が本田先生が指摘する「職業的レリバンス」を欠いてしまう状況を生み出しているわけです。

といった日本的雇用慣行の歴史を踏まえて本書を読んでみると、人材育成につながるアルバイト経験を提供しているこの3社に共通しているのは、座学研修とメンターによる職場研修の組合せにより新人バイトを教育する体制を整備していることと、そこから正社員へ登用される道が開けていることであり、いずれも企業内施設での教育訓練を重視した戦後の大企業の対応策と同じ対応策を実践しているように思います。しかも、戦後は重厚長大といわれて日本の復興を支えて製造業と比較して、現在の産業分類で大多数を占める第3次産業に属する接客サービス業でも同じ対応策がとられているということは、こうした人材育成方法が普遍的な内容をもっていることの証左ではないでしょうか。

本書でも4章で「どんな組織にもあてはまる「人材育成の黄金則」」として普遍的な人材育成方法が示されていて、例えばこんな指摘がされています。

「顧客は誰か」を明確にする効用

 ここまで本書を読み進めていただいた読者の中には、「うちの職場は顧客との接点がないから、この話は縁がないなあ」と思われた方がいるに違いありません。果たしてそうでしょうか。そもそも顧客がいない仕事なんで存在するのでしょうか。もっといえば、直接の接点がない職場でも、「顧客」の存在をイメージさせることは可能ではないでしょうか
 リクルート ワークス研究所所長の大久保幸夫氏は、人事や総務や経理などの企業のスタッフ部門に所属している人であれば、ラインで働く一般社員を、また製造業のラインで働く人の場合、次の生産工程で働く人を、それぞれ「顧客」と見なして仕事をすることが可能だと指摘します。しかも興味深いことに、社内ユーザーを顧客だと思っている人と、自分には顧客がいないと思っている人では、基礎力のすべての項目で、前者の人の方が高い値が出ており、仕事満足度と顧客の関係では、顧客を意識している人ほど、仕事の満足度が高いことがわかったそうです(リクルート ワークス研究所「ワーキングパーソン調査」2006年)。

見舘『同』p.127


企業内の人材育成というと企業特殊能力が重視されたり、それによって汎用性のない労働者が増えて雇用が流動化しないとかいう批判の的になってしまいますが、本書で示されている3社の人材育成法は、それぞれが独自の企業理念(本書では「クレド」と呼ばれています)に基づいて実施しているものであるのに関わらず、決して企業特殊なものではなく、むしろ一般的な企業で普遍的に必要とされる能力の向上に効果的であることがわかります。これは海老原さんが新著で

 ちょっとだけ、結論を書いちゃいます。
 「目の前の仕事をがんばるだけで良いんじゃないですか」
 その積み重ねをしっかりやれば、まだまだ日本の会社は、あなたのことを見捨てたりはしないはずです。
p.5

課長になったらクビにはならない 日本型雇用におけるキャリア成功の秘訣課長になったらクビにはならない 日本型雇用におけるキャリア成功の秘訣
(2010/05/20)
海老原 嗣生

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と指摘されていることにもつながっているように思います。企業内で「目の前の仕事をがんばる」ことが普遍的な能力を形成するという事実(本書の指摘は若年者に限られますが)が確認できるからこそ、hamachan先生も引用されているように

 しかし、マクドナルドやスターバックスがアルバイトに提供しているプログラムはかなり高度なものです。これまで見てきた通り、社会で働くうえで必要な力=基礎力を伸長させる大きなきっかけになっているのは間違いありません。そこで私が提案したいのは、教育プログラムを終了した暁に、両者がそれぞれ「ディプロマ(修了証)」を発行することです。

見舘『同』p.160


という、考えてみればごく当たり前の提案が示されるのだろうと思います。現状ではジョブカードとか日本版デュアルシステムとかで散発的に取り組まれている程度ですが、教育と職業をつなぎ、無業者と企業をつなぐ取組を拡充することが必要でしょう。

まあ、そうはいってもジョブカードや日本版デュアルシステムを実施している雇用・能力開発機構に対して、前政権も現政権も「そんなものいらね」と言い放つこのご時世で、どこまでこうした「ごく当たり前」の提案が受け入れられるかは疑問です。結局雇用対策といっても「雇用問題についての誤解との格闘」にエネルギーを費やされて、肝心の事業内容は誰も議論しないといういつもの流れになりそうな悪寒がしますね。

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2010年05月23日 (日) | Edit |
普天間基地の移転も大きな問題ではありますが、先送りに先送りを重ねた結果の5月末決着に総理大臣の関心が集中している間に、これまでの畜産業の品質を支えた種牛にまで感染が広がってしまいました。

「宮崎口蹄疫、“エース”感染「種牛作るのに7年必要」」日本経済新聞2010/5/22 12:00

感染の疑いが判明した「忠富士」は、宮崎県産の子牛の9割をつくる種牛6頭の凍結精液のうち4分の1を占める“エース”だった。現在、1つの牛舎に同居している残りの種牛5頭で仮に感染疑いが出れば、凍結精液のストックが1年分しかないため、来年から凍結精液を供給できない深刻な事態に陥る。

 種牛は牛の畜産で根幹をなす。種牛と母牛の交配で生まれた子牛はすぐに種牛になるわけではなく、多くの子牛から選抜していく必要があり「1頭の種牛をつくるのに7年はかかる」(県農政水産部)。2007年に和牛日本一に輝いたほど肉質の良い宮崎県産牛の地位を築いた現在の種牛は「30~40 年かけてつくってきた」(同)。

※ 以下、下線太字強調は引用者による。


この影響は、言うまでもなく宮崎県だけの問題ではなく全国の肉牛畜産業者に及びます。

「口蹄疫:産地切り替え困難 種牛殺処分」毎日新聞 2010年5月23日 9時35分(最終更新 5月23日 10時26分)

 宮崎県での口蹄疫(こうていえき)感染拡大で、「スーパー種牛」の「忠富士」が殺処分されたことは、宮崎から子牛の供給を受けている各地のブランド牛産地にも衝撃を与えた。流通や飲食業界では目立った混乱はないものの、将来的な牛肉調達への影響を懸念する声も出ている。【安部拓輝、竹花周、渡辺諒、高橋龍介】

 ◇滋賀
 「近江牛」産地の滋賀県では、1年間に県外から仕入れる黒毛和牛の子牛4500~5000頭のうち、4割近い1700頭弱が宮崎産。改良が進み、霜降りで体の大きい牛に育つため、農家からの信頼は厚い。忠富士まで被害が拡大したと聞いた県畜産課の担当者は「宮崎の宝が……。完全防備していたはずなのに」と語る。

 同県竜王町の澤井牧場では、毎月仕入れる100頭近い子牛の約7割が宮崎産。うち約6割の40頭近くが忠富士の血統だ。今月から仕入れがストップし、飼育と出荷のサイクルは崩れている。澤井隆男社長(52)は「まずは事態の終息を待ちたい。落ち着けば、生き残った子牛が2、3カ月遅れで市場に出る。それを買い支えて応援したい」と話した。

 ◇佐賀
 「佐賀牛」で知られる佐賀県の肉用牛は、出荷頭数の14%が宮崎産の子牛から育てられている。県畜産課は「農家には子牛に合わせて積み重ねた飼育のノウハウがあり、他県産に切り替えるのはリスクが高い」と指摘する。質の高い種牛が1頭減れば、口蹄疫が終息しても市場に影響が出ることは否定できないといい、「とにかく早く終息することを祈るだけ」と話した。

 ◇長野
 宮崎から年2000頭以上の子牛を買い付ける長野県。県園芸畜産課は「今回の騒ぎが始まってから、宮崎牛の供給が止まった。農家が北海道など他地域から子牛を調達する流れが出てくるかもしれないが、全国的にこの流れが加速すると、価格高騰が考えられる。これが農家の心配の第一だ」と話している。


口蹄疫という家畜感染症が広がっているのは局地的な問題かもしれませんが、言うまでもなく部分集合である一地域での問題は全体集合である日本という国の問題でもあるわけです。口蹄疫の感染が及ぼす影響がこれだけわかりやすく並べられれば、「国家レベルの問題」という観念的な想定が現実には何の意味も持たないことは明白ですね。ところが、国家レベルの問題に専念すべき国会議員や国家公務員が国の内部の局地的な国内問題なんぞにかまっていられないという奇妙な論理が「民意」の支持を集めるようになり、政治主導の名の下に「素人政治」がもてはやされています。むしろその素人政治が「しがらみのない」「庶民感覚」の「生活者の目線」という聞こえのいい言葉で修飾されることにより、その危険性が意識されなくなってしまっているという方が正確かもしれません。

前回口蹄疫が発生した2000年当時ももちろん、政治主導が大きな政治テーマになっていたことは現在とあまり変わりないのですが、2001年の省庁再編前ということもあってか、当時の農水省は「官僚主導」的に迅速に対応していたことが他ならない国会答弁から伺い知ることができます。詳細なやりとりについては、前回に引き続き天漢日乗さんのブログで取りあげられているのでそちらをご覧いただきたいのですが、官僚のやることはすべてけしからん!という方々からすれば、これも官僚主導の弊害なのでしょうね。

98年振りの口蹄疫という未経験の難題だったのだが、発生確認からわずか2日後という短時日でも、
 質問する須藤議員も、答える玉沢農水相も、口蹄疫に関する最低の常識は持って答弁に臨んでいる
ことが読み取れる。

翻って
 10年後の現在、国会や農水省の会見で見られる赤松農水相の「不見識」

 一体何なのか
と疑問を抱かざるを得ない。これこそ
 政治主導という聞こえのよい言葉
の元に
 素人が、国難を左右する
という由々しき事態を招いた、その動かしがたい実例と言えるだろう。

専門的な問題についても、赤松農水相が答え、それによって
 自らの無知振り、不勉強振り、認識不足をさらに衆目の元に晒す
というのは、いま起きている口蹄疫禍の最前線で闘っている農家や関係者の
 心理的なダメージを大きくする
だけである。
 みんな気力を振り絞って闘っている
というのに
 心を折るのは赤松農水相
なのだ。

人呼んで「赤松口蹄疫」 宮崎県口蹄疫は4/20の発生から30日間で13万頭殺処分決定のパンデミック規模(その23)平成12年3月の口蹄疫発生直後の参議院農林水産委員会議事録から窺える専門家のレクチャーを受けない「鳩山素人政権」の危うさ(2010-05-22)」(天漢日乗
※ 赤字強調は原文。


ここで問題となるのは、ご自身のWebサイトの「政策」のページに「農業」の文字が一切出てこない現農水相と、現役時代には「族議員(国防族、農林族)の重鎮と目されていた」玉澤氏(Wikipedia:玉澤徳一郎)のどちらが「政治主導」が可能かという点ではないかと思います。上記のような「しがらみのない」「庶民感覚」の「生活者の目線」による政治がもてはやされるのは、いわゆる既得権益に対する拒否反応として考えることができると思いますが、口蹄疫の発生に際して迅速な対応ができるのは「しがらみのない政治家」と「しがらみにずぶずぶの政治家」どちらなのかという問題としてとらえると、「既得権益の打破により生活者目線の政治が可能になる」なんて単純な話では済みません。もしかすると、農林族であった玉澤氏であったからこそ、口蹄疫の重大性と迅速な対応の必要性を即座に理解し、財源や人的リソースを奪い合う他の既得権益代表者とのタフな利害調整を乗り越えることができたのかもしれません。逆に「しがらみのない」政治家が、口蹄疫なんて局地的な感染症だからチホーブンケンで地元に任せて、人体には影響がないし、事業仕分けで「ムダ」を削減する方が重要だと判断することもあり得ますし、畜産業の現場を知らない「民意」はむしろそれを期待しているようにも見えます。というかそれが現実に起きていることなわけですが。

傍聴席が拡充されて公開裁判の趣がより一層強調された感のある事業仕分けでも、事業仕分け人は「対象事業と直接的な利害関係を有する者は、当該事業の仕分け作業には加わらないものとする。」とされているわけで、現場重視を掲げる改革バカな方々が、現場にいて現場を一番よく知っている直接の利害関係者を排除するという本末転倒ぶりをここでも発揮していますね。

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2010年05月20日 (木) | Edit |
拡大の一途をたどる宮崎県の口蹄疫のパンデミックにつきましては、被害に遭われた酪農家の方々にお見舞い申し上げるとともに、周辺地域で感染拡大防止にご尽力されている関係者の皆様に感謝申し上げる次第です。一刻も早い終息をお祈りいたします。

天漢日乗さんのブログによると、ネット界隈では「赤松口蹄疫」と命名されたらしい今回の災害ですが、継続して追跡されている各エントリを拝見していると、まさに「人災」の様相を呈しているように思われます。

ネットでは、今回の口蹄疫を
 赤松口蹄疫
と呼ぶ人が増えてきた。
 明らかに民主党政府の無策が生んだ人災の部分が大きい
からだ。

人前では
 柔和に見える赤松農水相
だが、
 農水省では豹変
するとか。
【宮崎】口蹄疫、殺処分6万4千頭に…新たに7農場で感染疑い例★3スレッドより。

974 :名無しさん@十周年:2010/05/12(水) 00:04:32 ID:4QqIyx1c0
農水に勤めてる友達が言ってたけど、テレビカメラの前であれほどにこやかな赤松さん、
帰国を出迎えた省の幹部に向かって吐いた第一声は「あんたら今まで何やってたんだ!」だったそうだ
官僚主導は許さない、私が帰国するまで待てと言ってたくせに…と友達は憤慨してたぞ


今回の阿鼻叫喚の惨状を見ると
 官僚主導の方が1万倍マシな対応
だったんじゃないのかね、民主党。

※ 以下、強調は引用者による。
宮崎県口蹄疫は4/20の発生から19日間で6万頭殺処分決定のパンデミック規模(その9)民主党政権の無策が招いた人災の色彩濃い口蹄疫禍 その名も「赤松口蹄疫」「官僚主導は許さん、帰国するまで待て」→「最高責任者でしょう(江藤拓議員)」「んなことはわかっている(赤松農水相)」@5/11 衆院農林水産委員会(2010-05-12)」(天漢日乗


単なるチホーブンケン、チーキシュケンのみならず、脱官僚と政治主導のコンボでこられたら役所は対応なんて何もできないですね。この辺は世の中に誤解が広まっている点だと思いますが、政治家がやるなと言えば官僚は何もできないという点では、日本は昔も今も「政治主導」であることに違いはありません。ここでも明らかなとおり、もし「官僚主導」」であったなら、政治家が「勝手に動くな」といおうが官僚はお構いなしに動いていたわけで、政府の対応が後手後手に回ったのは「政治主導」の「成果」であったということも可能です。「政治主導」があらゆることに優先するとの「民意」があるなら、政治家がコントロールした結果官僚が動かなかったことを賞賛せざるを得ないんですが、本当にそれでいいのかが問われているわけです。

「赤松農水相の責任、明言避ける 口蹄疫対応巡り鳩山首相」(2010年5月19日12時12分)
 鳩山由紀夫首相は19日朝、家畜伝染病の口蹄疫(こうていえき)への対応が後手に回ったとの批判がある赤松広隆農林水産相の責任問題について、「どこに責任があるかという話以前の問題として、まず感染拡大を食い止めて、国民、特に九州の農家に安心を取り戻すことに万全を期す」と述べ、明確な言及を避けた。首相公邸前で記者団の質問に答えた。

 宮崎県で感染が急速に拡大した大型連休中に赤松氏が中南米に外遊していたことが、対応の遅れにつながったのではないかという批判が地元や野党から出ている。前農水相の石破茂・自民党政調会長は19日の記者会見で、赤松氏が「反省すべきことはない」などと語っていることについて「政府の人間の言うことではない。実際に結果が起こっている。非常に見苦しい」と批判した。


国内で発生した家畜伝声病について「反省すべきことはない」とおっしゃりながら外遊を正当化する農水相というのはなかなかお目にかかれないかもしれません。これも政権交代のおかげなのでしょう。民主党がチホーブンケンをさらにグレードアップしたチーキシュケンを主張していることはご承知のとおりですが、昨年のマニフェストから引用するとこんな感じです。

住民に一番身近な基礎的自治体を重視した分権改革を推進し、中央集権制度を抜本的に改め、地域主権国家を樹立します。
(略)
国の役割は、外交、防衛、危機管理、治安、食料・エネルギーを含む総合的な安全保障、教育・社会保障の最終責任、通貨、市場経済の確立、国家的大規模プロジェクトなどに限定していきます。その結果、国会議員や国家公務員も国家レベルの仕事に専念できるようになります。国の出先機関である地方支分部局は、その事務を主に都道府県・政令指定都市等に移管することに伴って原則廃止し、国と地方の二重行政を解消します。例えば、現在の地方支分部局の事務事業である河川管理等の広域的対応が必要な事務は、都道府県が連携して対応することとします。

分権改革 地域主権の確立」(民主党政策集INDEX2009


チホーブンケンとかチーキシュケンの効果として「地方を重視」とか「地域活性化」を唄う一方で、国会議員の俺様が地域のことなんか構ってられねーよという本音が透けて見える・・・といったら穿ちすぎでしょうか。まあ、チホーブンケンの支離滅裂さは自民党政権下でも同じでしたし、むしろ政権交代後も一切見直しがされず無傷で残ったスローガンでもありますから、それを何の疑いもなく信奉する方からすれば「反省するところはない」のでしょう。

この「国の役割を外交や防衛に限定する」という夜警国家と見まごう日本流「小さな政府」の源流は、「一村一品運動」で有名な通産官僚であり大分県知事でもあった平松守彦氏にあるようですが、大分県といい、宮崎県といい、阿久根市といい、九州はこうした「国を解体する」志向が強い土地柄なのだろうかと、いらぬことを考えてしまいますね。

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2010年05月17日 (月) | Edit |
hamachan先生経由で「分権はむしろ福祉の敵です」というまっとうな発言を発見したので、発言の主は誰かと見てみると山井政務官でしたか。

「ガバナンス・国を動かす:第3部・中央と地方/2(その1) 省庁の抵抗「政治主導」(毎日新聞 2010年5月4日 東京朝刊)」

3月16日と18日、戦略会議の構成員である神野直彦東京大名誉教授(64)が10府省に対して実施したヒアリングで、厚生労働省の山井(やまのい)和則政務官(48)は、政府方針に反する回答をためらおうとはしなかった。

 「社会福祉の中でも緊急的なものは中央集権的にやらないとだめです。分権だと迅速にできない。分権はむしろ福祉の敵です

 テーマは「ひも付き補助金」と呼ばれる地方向け国庫補助負担金の「一括交付金化」。民主党が地方の自由裁量を増やそうと政権公約の目玉にした。神野氏はその担当主査だ

※ 以下、強調は引用者による。


神野先生はいわずとしれた左派経済学者の大御所ですが、私が左派思想に抱く違和感をある意味で体現されている方でもありまして、特徴的なのが北欧のいいとこ取りをしているうちに自らの主張が矛盾してしまうところですね。たとえば、上記の引用記事の後半ではこういうこともおっしゃってします。

神野氏は3月31日の第3回戦略会議で「各府省の意見は、可能な限り廃止になるひも付き補助金の範囲を狭くするという印象を受けた」と控えめに聴取結果を報告した。

 首相は「地域主権からほど遠い発想をお持ちの方がかなりいる」と批判した。仙谷由人国家戦略担当相(64)は政府方針に従わない政務官について「クビにすればいい」と踏み込んだが、それ以降具体的な動きはない。

 民主党は子ども手当の創設や高校無償化、農家への戸別所得補償など「大きな政府」につながる政策を打ち出してきた。その体質と地域主権をどう整合させるのか。各論に入るほど基本設計の甘さが浮かび上がる。


神野先生がよく使う論法が、「北欧では福祉分野でも地方分権が進んでいる」とか「高福祉高負担でも経済成長は可能だ」というようなものですが、北欧と日本では初期状態が全く違う点を考慮しない主張はあまり誠実なものとは思えません。北欧で地方分権が可能であったのは、分権的な労使自治を支える労働組合の組織率が高く、それによる集団的労使関係が確立していることと、労使による政策決定が中央レベルでも浸透していることが大きな要因だろうと思います。それとは全く逆に、労使自治の基盤がほぼ崩壊しつつある現在の日本において、地方分権だけを先行させることがどれだけリスクをはらむものか、日産の労働現場から学者に転じた神野先生ならばよくおわかりのはずです。それなのに、「各府省の意見は、可能な限り廃止になるひも付き補助金の範囲を狭くするという印象を受けた」と相も変わらず霞ヶ関を悪者に仕立て上げるコメントをされる真意が理解できません。

正直こういうことをいう方の本を読む時間がもったいないので、山井政務官がTwitterで取り上げた神野先生の新著は立ち読みで済ませてしまいました。
「分かち合い」の経済学 (岩波新書)「分かち合い」の経済学 (岩波新書)
(2010/04/21)
神野 直彦

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実をいうと立ち読みしたときの目的は、『分かち合いの経済学』という所得再分配を題材にしたようなタイトルの本だったので、そういうからには地方分権のことをどう書いてあるのかと思ってパラパラとめくってみたんですが、少なくとも目次には「地方分権」も「地域主権」も出てきませんでした。まさかと思って関係しそうなところも開いてみたものの、しばらく探しても地方分権のことが書いてありません。神野先生はこれまで、財政再建を目的として地方分権を主張されることが多かったのですが、北欧流に「ワークフェアを目指すべき」といってしまったとき、前述のような北欧と日本の決定的な違いを看過することができなくなったのでしょうか。

まあ、神野先生は反経済学で地方分権な総務省(旧自治省)には受けがいいので、あまりこうした点は問題にされないのかもしれません。しかし、山井政務官が言う「緊急的なもの」とはみなされないであろう職業訓練については、田中萬年先生も疑問を呈していらっしゃいます。

 濱口氏の紹介とコメントに異論を挟む訳ではないが、山井政務官がつぶやいている「職業訓練」とはどのようなイメージなのかが心配である。枝野行革相の言っている職業訓練は民活化でやれる、とか、都道府県が引き受けなければ廃止いうことと同じでないことを期待したい。
(略)
昨年から始まった「基金訓練」の実態も大した差は無いであろう。このようなことが民活化の職業訓練の実態である。つまり、施設の空き時間を利用して、非常勤講師をかき集め、片手間の訓練を実施しているのである。就職率が低いのは当然である。
 かって、「教育訓練給付金」目当てに「授業料が戻ってきます」と宣伝し、大々的に教育訓練を展開して急激な拡大をしたが、給付金の削減で倒産した英語学校(学校法人ではなかった)があったが、民間の営利目的の餌食としての職業訓練費にならない対策を明らかにすべきである。次代の人材として必要な職業能力の形成が必要なのであり、少子化の対策として一部の教育産業の延命策に利用されないようにすべきである。それこそ無駄遣いであろう。枝野行革相は勘違いをしていないか、山井政務官は確認すべきである

※ 太字強調は原文。
山井政務官のつぶやきと「職業訓練」(産業分野別の見方)(2010-05-12)」(職業訓練雑感 田中萬年の新ブログ


この点については、hamachan先生も

観念的な地方分権論は、成長戦略の重要な一環であるはずの職業訓練政策という現実に向き合う必要があるわけですが、この記事を書いた記者(たぶん政治部)も「滞る懸念が出てきた」などと、政策の各論はすっぽり抜けたまま「お題目政治」を続けるつもりのようです。
こういう問題については、実は朝日も毎日も読売も日経も産経も変わりはありません。右と左じゃなくて、総論人間と各論人間の違いなんですね。政策の各論が判らないどころか判る必要なんかないと思っている政局オンリーの政治部記者のセンスと、政治部記者が顧みないその政策の各論こそが何よりも大事だと思っている労働とか福祉とか教育といった分野の専門記者のセンスの違いが、この問題ほど浮き彫りになるものはないでしょう。

地方分権の職業訓練的帰結(2010年5月10日 (月) )」(EU労働法政策雑記帳


と指摘されています。個人的には、年金問題で攪乱要因となっている山井政務官が果たしてどこまで各論を理解しているか疑問なしとしませんが、少なくとも地方分権に対するスタンスは維持していただきたいところですね。

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2010年05月16日 (日) | Edit |
拙ブログで継続的に取り上げさせていただいている海老原さんの新著をご恵投いただきました。このような末席のブログを気に留めていただきありがとうございます。

昨年の『雇用の常識「本当に見えるウソ」』を皮切りに昨年末以降の新刊ラッシュですが、実は海老原さんが自らに課したノルマだったんですね。

この半年は少したくらんでます。自分を最大限苦しめるように、と。10月から毎月1冊ペースで単行本を脱稿し続け、合計5冊の本が発行されることになります。

HR mics vol.5 編集後記


学歴の耐えられない軽さ やばくないか、その大学、その会社、その常識』、『面接の10分前、1日前、1週間前にやるべきこと - 会場に行く電車の中でも「挽回」できる!』、と来て今回は内部労働市場におけるキャリア論が論じられていますが、特に本書では海老原さんのご専門の人材マネジメント、経営マネジメント論が存分に展開されているようにお見受けしました。

個人的に溜飲が下がる思いだったのは、海老原さんの著書では『雇用の常識』から通底するテーマでもありますが、労働者が自身の周囲から帰納的に導き出す「労働観」や、さらにそこからマスコミや政治家界隈から増幅されて発せられる「常識」に対する憤りが、冒頭の「はじめに―無責任な自立論が、あなたをきっと悩ませている」で率直に述べられている部分です。

 ところが、一度作られた風評は、いっこうに衰えることを知りません。
 それだけならまだしも、最近では風評をもとに就職相談が繰り広げられ、キャリア論で本が上梓され、ひいてはキャリアカウンセリングや悩み相談まで行われています。
 その中身を聞くと、余りにもキャリアの実情とはかけ離れていることにまず目を覆いたくなります。そして、皮相的な解に憤りを感じたりしました。
pp.3-4

課長になったらクビにはならない 日本型雇用におけるキャリア成功の秘訣課長になったらクビにはならない 日本型雇用におけるキャリア成功の秘訣
(2010/05/20)
海老原 嗣生

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※ 以下、強調は引用者による。


労働組合が支持母体であるはずの政権交代後の新政権が的外れな雇用対策ばかりを打ち出し、民間企業の人事労務管理の現場も知らない地方自治体の首長が「雇用対策」やら「新卒者向け雇用創出」やら「定着支援」を打ち出しているのは、実はそれを有権者が求めるからでもあります。ところが、そんな「雇用対策」では結局、世の中の大多数を占める正社員と周辺的正社員はおろか、パートや派遣などの非正規労働者の待遇が一向に改善されることが期待できないわけで、その原因にはこうした構図が背景にあることを認識する必要があると思います。

こうした構図の結果、実務上の「雇用対策」のほとんどはそういった世間的な「雇用対策」との格闘に費やされます。具体的に言えば、より重要な労働法規(労働組合法における不当労働行為の定義や、整理解雇に当たって非正規労働者を優先的に解雇する判例法理、非正規労働者を雇用することにより事業主負担が軽減される社会保険料、その裏返しとしての正社員に対する拘束的労働の強要など)の改正が俎上に上がることもなく、労働者派遣法の改正でこと足れりとされてしまうのがその典型ですね。もちろん現下の雇用対策の大前提は流動性供給によるデフレ脱却ではありますが、景気回復後に正社員の長時間労働や非正規労働者の低賃金が据え置かれているのであれば、それは日本型雇用慣行の功罪を改めて検討する必要性があることを意味するわけです。

といっても、本書ではそういった法律改正まで論じられているわけではなくて、その基盤となるキャリア形成の実態が示されています。たとえば、日本とアメリカで内部労働市場におけるキャリア形成の考え方が大枠において同じであることや、日本型雇用慣行において事務や営業といった日本の大多数の労働者が従事する職務のキャリア形成過程が、データと実例のみならず理論に基づいて解き明かされていきます。

海老原さんの著書に共通する特徴ですが、上で引用したような世間的な「常識」を否定しているにも関わらず、そういった世間的な認識を持つ一般の方々が、ご自身の職業人生に照らして考えてみれば腑に落ちる説明となっている点がさすがだなと感嘆いたします。本書記載のプロフィールによれば、海老原さんは自ら人事制度設計を手掛ける一方で、「Works」や「HR mics」といった人事・経営誌の編集を手掛けてきたとのことで、現場を見てきた経験こそがそうした腑に落ちる説明を可能にしているのでしょう。これまでのキャリア論に納得いかなかった方は、是非本書をお手にとって見ることをおすすめします。

まあ、労働者の職業人生なんていってもチホーコームイン風情に民間の何がわかるかといわれそうですが、確かに公務員に適用される法律関係は民間とは違うものの、人事管理そのものは、特に同程度の規模の民間企業とそれほど大きくは変わらないんですよね*1。これは本書でも中島豊中央大学大学院戦略経営研究科特任教授が指摘されているように、日本とアメリカの人事管理が大枠において同じであることと同様、「人間が考えることは案外、共通している」(p.81)ということの傍証でもあります。ただし、あとがきに書かれているように、海老原さんの著作ではこれまで日本的雇用慣行におけるキャリア形成を擁護する論調が多かったことを認めた上で、「そういう意味で、この本は「最後の日本型礼賛」にしようと思っている。(p.188)」との決意表明がなされています。「功」の部分をきちんと評価した上で、「罪」の部分を検証するというのはきわめてまっとうな議論の進め方だと思います。次回作にも大いに期待いたします。

海老原さんの人材マネジメントの本領が発揮されるのが第4章の後半でのリーダー論で、ここが本書のクライマックスではないかと思いますが、それは本書を手にとってご確認いただくとして、ここでは前回エントリで取り上げた間接部門人材の必要性に関連する部分を引用させていただきます。

 経理事務や貿易事務に比べても、できる営業事務の年収は勝るとも劣りはしない。そして、案外長く働けるのも営業事務だったりする。
 顧客企業に訪問したときに、よく、お局さまのような何でも知っている事務の女性がいたりする。そこの社長と話をすると、「あの事務の女性に辞められると会社が回らない、営業はいくらでも替えがいるのだが」といった言葉が出てくる。
 そんな経験をしたことがある人は多いのではないか。

海老原(2010)『同』p.125


そういう人材がどのようなキャリア形成過程を経て育成されていくのかは本書の説明に譲りますが、コースの定理を用いた組織経済学によれば、そのような人材を企業内部で調達するコストと外部に発注するコストとの比較において、前者が低ければ企業内部で調達することが合理的な選択となります。実は、これを後者の方が低いと判断した自治体ももちろんありまして、カイカク派知事で有名な静岡県や岐阜県の「総務事務の集中化とアウトソーシング」という取組がそれですね。

 集中化とアウトソーシングの目的は、職員の生産性の向上だ。「総務事務の中でルーチン的なものを集中化、外注化することで、総務事務の処理を担当する人員を減らし、県庁職員には新たに企画的な業務に携わってもらうことで生産性を向上させようという狙いの下でスタートしました」と行政改革室の八木氏は説明する。
(略)
 ただし最終的な目標としては、「現在、総務事務に携わっている職員は本庁全体で40人前後ですが、これを20数人にまで減らしたい。そのうち4割程度は外注化できればと考えています」(八木氏)という計画となっている。

 アウトソーシングについては、人件費を単純に比較すれば「職員の5割程度ではないか」と八木氏は言う。もちろん、民間企業のように外注した分の人員をそのままリストラするわけではない。それでも、行政改革の一環として静岡県が進めている人員削減計画(5年間で500人)が予定通り進んでいることや、ルーチンワークからの解放で見込める職員の生産性向上など、トータルで見ての効果は十分上がっていると静岡県では考えている

【静岡県】本庁の総務事務を集中化、アウトソーシング ルーチンワーク外注で県職員の生産性向上を目指す(2)[2002/12/27]」(ITpro


 このSDOからは、伝票関係のマニュアルやQ&Aが参照できるので、ある程度の疑問は自席のパソコン上で自分で解決できる。もちろん、それで総務事務センターへの問い合わせがゼロになるわけではないが、総務事務の人員を削減する以上、職員が「自分のことは自分でやる」という環境を用意しておくことは、集中化の前提条件となる。さらに今後、電子決裁の範囲が広がれば、集中化のメリットはもっと出てくるはずだ(今のところ、総務事務センターの関連業務で電子決裁が導入されているのは旅費のみ)。
(略)
 総務事務の改革を行えば、これまでは身近にいた総務担当者にお願いすれば済んだことでも、必然的に自分でやるしかなくなる。これを「サービスの低下」と感じる職員もいるだろう。しかし、自治体財政が厳しい中で、“全体最適”を考えるなら「自分のことは自分でやる」という方向での業務改革は避けては通れない。

【静岡県】本庁の総務事務を集中化、アウトソーシング ルーチンワーク外注で県職員の生産性向上を目指す(4)[2002/12/27]」(ITpro


前段の引用部によると、この総務事務の外注化によって削減される人員は20名弱なわけですが、その人員を企画的な業務に就かせることによって生産性を上げる*2のが狙いとのことです。一方で、後段の引用部によると、総務担当にお願いすれば済んでいたことを自分でやるという「サービスの低下」の影響はすべての県庁職員に及びます。これを「トータルで見ての効果は十分上がっていると静岡県では考えている」とする静岡県は、どのような「現場」をご覧になっているのか大変興味深いところです。

「生産性」という言葉は時間当たりとか人当たりとか多義的に用いられるので、ここで静岡県が考えている生産性の定義は推測するしかありませんが、人を減らして生産性を上げるということであれば「生産性=業務/人員」のようなイメージでしょうか。分母の「人員」を減らすことによって生産性が向上するというシナリオですね。しかし、これまで各部署に置いていた総務担当者を削減してその事務を一か所に集中するとなれば、その分「現場」の担当者に事務が降りてくるのは前回エントリで指摘したとおりですし、議会や監査に提出する事務そのものが減少したのでなければ、それはトータルで分子の「業務」を増やすことにつながります。20名弱の人員削減の効果がそれによる業務の分散化に伴う業務増を補うかどうかは慎重な判断が求められるのではないでしょうか。

それよりも、そうした「ルーチンワーク」が総務担当者に集約されていたことが、どれだけ生産性向上に貢献していたかという効果が十分に検証されていたのかが気になります。むしろ、そうした「ルーチンワーク」を担当する職員を「外にも出ないで内勤ばかりしている使えないヤツ」と評価していたからこその外注化だった面があると思われるわけで、ノウハウを知る職員がいなくなるにつれて役所が回らなくなるのも時間の問題なのでしょうね。というか、この記事自体が8年前のものですから、もうそうなっているところもあると思いますが・・・




*1 実は、戦後GHQの占領下で制定された国家公務違法では、

(給与の根本基準)
第六十二条  職員の給与は、その官職の職務と責任に応じてこれをなす


とされていたり、同様に地方公務員法でも、

    第三節 職階制

(職階制の根本基準)
第二十三条  人事委員会を置く地方公共団体は、職階制を採用するものとする。
2  職階制に関する計画は、条例で定める。
3  職階制に関する計画の実施に関し必要な事項は、前項の条例に基き人事委員会規則で定める。
4  人事委員会は、職員の職を職務の種類及び複雑と責任の度に応じて分類整理しなければならない。
5  職階制においては、同一の内容の雇用条件を有する同一の職級に属する職については、同一の資格要件を必要とするとともに、当該職についている者に対しては、同一の幅の給料が支給されるように、職員の職の分類整理がなされなければならない。


とされていたりして、公務員は職務制(職階制)が法定されています(地方公務員は資格給も定義されています)が、実務上は民間と同様に職能資格給によって処遇されているのがその例ですね。

*2 このような配置が「コミュニケーション能力の強要」につながり、メンタルヘルス上のストレスを増幅している面もあります。hamachan先生のブログで最近「コミュニケーション能力」と「発達障害」が話題になっているのも、こうした流れと無関係ではないと思います。

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2010年05月09日 (日) | Edit |
前エントリに関係して、日本で大流行の公務員人件費削減が実際の現場でどういう形で行われているかメモしておきます。

公会計で予算上人件費として計上されるのはいわゆる期間の定めのない正規職員分の給与となりますので、期間の定めのある非常勤職員や臨時職員は人件費ではなく報酬や賃金として計上されることとなります。自治体によっても違いがありますが、特殊な職務に当たるために任用される(雇用されるのではないことに注意)非常勤職員はともかく、事務補助的な業務に当たる臨時職員は事務に付随する諸経費とされているわけです。

これをもって教条的な組合や左派政党は「ヒトをモノ扱いするのはけしからん!」とおっしゃるわけですが、企業会計でもたとえば製造過程における工賃は原材料費と同じく製造原価として計上されるわけですし、人材派遣会社に支払う契約金も経費となります。間接部門を含めた販管費における人件費については、会社全体で長期的な視点で管理すべき経費であるため正規職員を中心として管理されるのに対して、製造過程においては、臨時工などの人材調達を含めて現場に原価管理の裁量を与えることによって、効率性の追求や製造工程の改善を図ることが可能となるからですね。

公務員の世界における人件費管理も同様に、長期的な視点で役所全体の人事管理の対象となる正規職員についてはその人件費を一括して管理する一方、現場の事務補助については事務に付随する物件費として現場に裁量を与えているわけです。これも企業会計と同じ考え方で、正規職員を増やすと公務員人件費削減の声が高まったときに対応できないので、雇用の保障されない非常勤・臨時職員を増やすことによって、そういった変動に対するバッファを確保しなければならないからです。

実際、小泉内閣時代に公務員人件費削減が打ち出されてから数年が経過しており、現場における正規職員から非正規職員への置き換えはかなり進んだと実感しております。公務員の人事管理においては、企業における整理解雇の4要件を持ち出すまでもなく、業務の減少や廃止によって任用を解く「分限」が法定されていますから、法律上は「お前はもう必要ないから」といって公務員をクビにすることは可能です。ただし、社会保険庁から日本年金機構への移行の際に、「旧社保庁職員を雇用しない」と労働行政を所管する厚労相が主張して問題になったことは記憶に新しいところですが、いくら公務員でも雇用の保障がなくていいということにはなりません。

となると、閣議決定された公務員人件費削減を実現するためには公会計上の人件費を削減する必要がありますが、事業の現場の人員を削減すると住民サービスに直接の影響が出るので、現場としてもそう簡単に人員削減に応じるわけにはいきません。したがって、まず間接部門が率先して人員を削減する姿勢を見せざるをえなくなります。「まずはムダの削減がなければ負担を受け入れるわけにはいかない」というのは、どこかでよく聴くフレーズですね。

ところが、その間接部門の人員を削減して一番困るのは実は現場だったりします。いうまでもなく、税金によって運営される役所の事務は、住民に対して十分に説明できるだけの根拠とリクツが必要となりますので、その根拠をしらみつぶしに潰して住民が納得できるだけのリクツを並べることが、(ことの是非は別として)業務そのものよりも重要なポイントとなるからです。具体的には、現場で処理した案件をすべて文書に記録し、根拠法令を添付し、必要な書類を相手の方から提出してもらい、不備があれば差し替えしながら・・・という形で、公務員の仕事は事業そのものよりは内部処理を完璧にこなして対外的に説明できる書類を残すことがメインとなるわけです。

それを一手に引き受けていたのが間接部門だったわけで、確かにそういった間接部門には処理能力は高くても対外的な交渉能力が低かったり、役所の掟に精通している以外にこれといった取り柄のない職員もいました。そういった職員が「現場にも出ないで役所の中で座っているだけのムダな人員」とされるのも理解できなくはありませんが、その職員を減らしたときの内部処理の負担は、結局現場に降りてくることになります。

規模の小さい会社や、上場もせず対外的な説明が求められない会社なら間接部門を削減する余地はあるかもしれません。しかし、特に対外的な説明が重視される役所において、間接部門を削減することは業務の停滞を招きます。というより、実際に招いています。たとえば、地方自治体では年4回の議会が開かれ、その期間中は議員から質問があれば最優先で対応しなければなりません。本監査は年1回ですが、それに先立つ予備監査や事業ごとの監査は年に数回あります。国庫補助金がある事業については会計検査院が検査に来ますし、地方交付税については総務省が検査に来ます。最近では住民監査請求とかオンブズマンによる情報開示請求も頻繁にあります。それらに対応する部門を削減してしまえば、玉突き状態で現場の事務作業が押し出されるのは当然のことです。

まあ、腕に黒い布当てを着けて机に向かう眼鏡をかけた公務員を目の敵として削減するのであれば、その方が担っていた職務も併せて削減することが「分限」の考え方に照らせば必要となるわけですが、「公務員の人件費を減らせ!」と主張される方々がどこまでそのことを見越しているのかは、甚だ疑問に思いますね。

(追記)
事務補助の臨時職員のことが途中から抜けてしまいましたので補足しておきます。

正規職員と臨時職員の違いは、日本型雇用慣行における職能資格給と職務給の違いとして捉えることができます。日本型雇用慣行では職務給に年功制が適用されませんので、いくら事務補助に長けた職員がいても期間が満了すれば自動的に雇止めされてしまいます。このため、いくら現場の事務処理に当たって事務補助にために臨時職員を補充しても、そもそもすぐに辞めてしまう方に対しての投資を回収することが望めない以上、必然的に事務補助しうる業務の範囲は限られることになります。

特に、公会計上の内部処理は役所に特殊な業務であるため、膨大な関係法令に精通してイレギュラーな事態を的確に処理した経験が必要でありながら、期間満了後にほかの民間企業でそのスキルを生かすことが難しくなります。したがって、役所側も雇われる側もそのノウハウの伝授に伴う投資に見合った成果を得ることができません。つまり、いくら現場に事務補助のための臨時職員を補充しても、内部処理の負担は現場の正規職員が負わなければならないのです。

雇用期間の短さがスキルの伝達を阻害する点については、roumuyaさんのこの指摘が参考になります。

 いずれにしても、こうした例では働く人も企業もある程度長期にわたって勤続することを想定しています。重要なのは、正社員であれ非正規労働であれ、スキルを向上しキャリアを伸ばすにはそれなりに長い期間が必要だということです。これを逆にいえば、企業がOJTやジョブローテーションなどの人材投資を行うには、それを回収するだけの期間勤続するという見通しがなければならず、しかも期待できる勤続期間が長ければ長いほど人材投資も行われやすいということになります。

 ただ、こうした非正規労働の長期的活用が可能なのは、企業の側に「店舗閉鎖など以外では雇止めはしない」という方針があるからだということに注意が必要です。つまり、もともと自社型雇用ポートフォリオにおいては有期雇用は長期雇用を維持しながら景気変動などに応じた人員の適正化を実現するために一定割合を必要とするものでした。したがって、人事管理上は景気動向などに応じて期間満了時にはいつでも雇止めができる状態であることが要請されます。ところが、周知のとおりわが国では、反復更新されて勤続が長期にわたった有期雇用について「解雇権濫用法理を類推する」とか「期間の定めのない雇用に転化する」といった判断を示した裁判例があります。つまり、更新回数が多くなるほど、あるいは勤続が長くなるほど、企業としては期間満了時に本当に雇止めができるかどうかが不確実になる。雇止めの確実性を担保するには、更新回数があまり多くならない、勤続があまり長くならないうちに予防的に雇止めをして、絶えず人の入れ替えを行う必要があるわけです。実際、多くの企業で有期契約について「勤続は3年未満」「更新回数は2回まで」といった暗黙のガイドラインにもとづく雇止めが行われています*5。しかし、これは裏を返せば有期契約労働者は最大3年しか勤続が見込めない、ということになります。手の込んだ仕事を教えても、3年しか働いてもらえないということになると、どうしても人材育成がおろそかになることは避けられないでしょう。そうなると、やれる仕事も比較的スキルを要しない、付加価値の高くない仕事に限られざるを得なくなります。そして、3年経つとまた未経験の新しい人が入ってくる。当然、スキルはないし、それなりの仕事しかさせられない。結果的に、有期契約労働が低スキル・低付加価値の仕事に固定されがちな傾向が生まれるでしょう。今のわが国では、有期契約の雇止め可能性を担保するために予防的な雇止めを行わざるを得ないことが、有期契約労働者の勤続を短くし、スキルの向上と専門的業務への進出を妨げ、二極化の大きな一因となっているのです。

自社型雇用ポートフォリオの深化(2010-04-28)」(労務屋ブログ(旧「吐息の日々」)
※ 強調は引用者による。


ただまあ、いちばん頭が痛いのは、こうした人事労務管理の基本を理解している人事担当者が役所にはいないため、「民意」やカイカク派首長のいいなりになってしまうということなのですが・・・

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2010年05月09日 (日) | Edit |
ここしばらく身の丈に合わない議論をしてしまいましたが、要はマクロの政策がミクロにどう影響するかということを地道に考えていきたいと思っているところでして、そのミクロの話を考えるときに興味深いのが、ギリシャの財政危機に当たってのIMFの支援条件として公務員人件費削減と増税という常套手段が示されたとのニュースです。

ギリシャ支援合意 ユーロ圏・IMFから15兆円(2010年5月6日 読売新聞)

 【ロンドン=是枝智】ギリシャ政府は2日、通貨ユーロを採用するユーロ圏と、国際通貨基金(IMF)から協調融資を受ける代わりに、財政赤字の削減策を行うことで最終合意したと発表した。

 ユーロ圏の国がIMFから支援を受けるのは初めて。支援額は3年間で最大1200億ユーロ(約14・9兆円)にのぼる見通しだ。ユーロ圏は2日夕(日本時間同日深夜)、緊急財務相会合を開き、支援内容を正式決定する。

 ギリシャは、公務員給与を3年間凍結するほか、クリスマスなどに支払われていた約2か月分の特別給与を廃止する。公的年金の支給額も削減し、日本の消費税に相当する付加価値税(VAT)の税率を21%から23%に引き上げる。これにより、財政赤字を3年で300億ユーロ(約3・7兆円)減らす計画だ。

 一方、初年度2010年の支援額は計450億ユーロ(ユーロ圏=300億ユーロ、IMF=150億ユーロ)の見込み。ユーロ圏の分担額はドイツが最多の84億ユーロ、フランスが63億ユーロ、イタリアが55億ユーロなどとなる。

 ユーロ圏各国は今後、支援法案の閣議決定や国会審議を急ぎ、ギリシャが85億ユーロの国債償還を控える19日までの融資実行を目指す。

※ 以下、強調は引用者による。


まあ、これがスティグリッツ教授が糾弾している「ワシントンコンセンサス」(Wikipedia:ワシントン・コンセンサス)の発動なわけですが、その公務員給与についての報道がよくわからないんですね。

ギリシャ:財政危機 怒りと困惑 抗議デモ、放火で死亡「薄給の行員がなぜ」(毎日新聞 2010年5月7日 東京朝刊)

 <追跡>
 ◇財政再建関連法案可決

 財政危機からの脱却を図る政府の緊縮財政に抗議するゼネストで3人が死亡したギリシャ。ストから一夜明けた6日、ギリシャ発の信用不安は世界を駆けめぐり、ユーロが売り込まれて、日本などの株価が急落した。ギリシャ議会は財政再建関連法案を可決したが、混乱が長引けば、市場で動揺が拡大しかねない。

 「こんな事が起きるなんて、もうここはギリシャじゃない」--。

 デモ隊の一部過激派による放火で行員3人が死亡したアテネ中心街の銀行では6日朝、焼け跡で鑑識作業が続いていた。ビルを取り囲んだアテネ市民は一様に暗い表情で怒りと困惑を口にしていた。当局は同日、市内で厳戒態勢を敷いた。

 銀行正面の事務所で働く労働省職員イレーネ・パパスさん(32)は「私と同じせいぜい月800ユーロ(約9万6000円)ほどの薄給の人がなぜ殺されなくてはならないのか」と沈んだ表情だった。

 死亡したのは妊婦を含む女性2人と男性1人でみな30代。デモに乗じて騒乱を広げる黒覆面の極左勢力への怒りもあるが、パパスさんは社会的・政治的な背景に矛先を向けた。

 ギリシャは戦後政治のトップをパパンドレウ、カラマンリス両家が交互に握り、数十のファミリーが経済的特権を維持してきた。貧富の格差が大きいところに、国民は増税と歳出削減を強いられる。


雇用形態や職位がわからないので何ともいえませんが、少なくとも労働省職員には銀行行員と同じ程度の薄給の方がいらっしゃることは事実のようです。その一方で、

はびこるワイロ・脱税、ギリシャ財政再建に障害(2010年5月9日01時21分 読売新聞)

 【アテネ=松浦一樹】欧州単一通貨ユーロ圏16か国の首脳会議は7日、ギリシャに対する1100億ユーロ(約13兆円)の協調融資を承認したが、政官の癒着、富裕層の税逃れ、ヤミ市場がはびこるギリシャで、財政立て直しは容易でない。

 「この国で、高級車や豪華クルーザーを乗り回す富裕層による所得の過少申告は当たり前」とアテネの自動車部品販売業者(63)は話す。高給取りの医師が税務署にワイロを渡し、所得を免税範囲の「1万ユーロ(約116万円)以下」と申告していた例を身近で知っているという。

 アテネ郊外の高級住宅地で、プールがあると申告した世帯は3百数十軒に過ぎなかったが、税務署が上空から調べたところ、プール付きの家は1万7000軒に上った実態も報じられている。

 こうして脱税される総額は年間230億ユーロ(約2兆7000億円)に達するとされ、財政悪化の一大要因とされている。


という報道もあります。経済学では賄賂によるコストと公務員に支払われるべき賃金のコストを比較すると、あながち賄賂が高コストとなるわけではないという分析もありますが、ギリシャが公務員に支払う賃金を渋って賄賂によって効率性を達成しようとしているかどうかはよくわかりませんね。

 実は、開発経済学においてはこのような「汚職の効率性」がまじめな考察の対象になってきた。この点についてはたとえば黒崎卓・山形辰史『開発経済学』日本評論社、の第 11章「開発援助とガバナンス」が参考になるだろう。 

 同書によれば、例えば汚職公務員が多数存在し、政府の財・サービスを消費者に完全競争的に供給するなら、賄賂が希少な公共サービスの「価格シグナル」として働き、サービスの過剰/過少供給が防げるかもしれない。また、公務員が提供するサービスに応じて賄賂をもらうという状況は、税金で公務員の給料を全てまかなう場合に比べて、公務員の仕事に対するインセンティヴが上昇する可能性さえある。このような議論は、一見荒唐無稽に見えるが、実は市場さえ機能していれば財・サービスの所有権の設定は配分効率性に影響しないという「コースの定理」に基づいている。実際、いわゆる「公共サービスのアウトソーシング」は、そのようなロジックによって行われてきたはずだ。

 もちろん、黒崎=山形はちゃんと汚職のデメリットも述べている。

 汚職・賄賂はなんといっても非合法なので、見つからないように行う必要がある。したがって汚職が蔓延した社会では、本当に必要な公共サービスではなく、「より賄賂を取りやすい」サービスが好んで提供される傾向がある。また、特定の公共サービスを提供する権限を持っているのは通常一つの役所(電話、電気、道路など)であり、サービスはその役所により独占的に供給されるため、賄賂の価格がつりあがることも大いにありうる。なによりも、「政府は自分達を助けるどころかむしりとるだけだ」という感覚は、住民の不公平感を高め、政府や「法の支配」に対する信頼性を著しく下げてしまう

■[メディア][経済][アフリカ]汚職・成長・法(2008-06-05)」(梶ピエールの備忘録。


まあ、ここでも政府に対する信頼が損なわれることによる高コストが指摘されているわけですが、脱税者とつるんで賄賂を受け取っている税務署が上空からプール付きの家を調べた実態が報じられているとなると、税務署が自らの行為を是正しようとしているのか隠蔽しようとしているのか、さらによくわかりませんね。

それはそれとして、5月9日付け読売新聞記事ではこういう指摘もあります。

はびこるワイロ・脱税、ギリシャ財政再建に障害(2010年5月9日01時21分 読売新聞)

 財政悪化は、寡頭支配の産物でもある。ギリシャでは戦後、軍事独裁下の一時期を除き、パパンドレウ家とカラマンリス家の2大政治ファミリーが交互に政権を握ってきた。両家は権力強化のため官との癒着を深め、役人の給与の大盤振る舞いに応じた。金融支援の条件として、公務員給与が凍結されたが、それでも民間の3倍の給与とされる公務員の人件費は、財政の圧迫材料だ。6日の国会審議で、パパンドレウ現首相は「前政権時の観光相は、大臣室のカーテン代として2万9000ユーロ(約340万円)を計上した」と告発したが、政治家の放漫な財政感覚を示す例で、すぐに改まる保証はない。


「民間の3倍の給与とされる人件費」って同学歴同年齢のモデル賃金での個々の労働者同士の比較なのか、あるいは公務員の総人件費と労働分配率の比較のような総額の話なのか全く不明ですが、たとえばOECDの調査によるとこういうデータがあるそうです。

 その『2010年国民春闘白書』で今回、OECDが発表している国際標準産業分類における「公務及び国防、強制社会保障事業(Public administration and defense; compulsory social security)」の人件費を調べて、対GDP比の国際比較を掲載しました。最新のデータは2007年で、数字が発表されているのは23カ国でした。

【画像】

 上のグラフは、主な国だけですが、23カ国を高い方からすべて紹介すると、(1)デンマーク16.9%、(2)スウェーデン15.1%、(3)フィンランド13.0%、(4)ポルトガル12.9%、(5)フランス12.8%、(6)ノルウェー12.3%、(7)ベルギー 11.7%、(8)ハンガリー11.5%、(9)ギリシャ11.1%、(10)イギリス10.9%、(11)イタリア10.7%、(12)スペイン 10.2%、(13)アメリカ9.9%、(14)ポーランド9.6%、(15)アイルランド9.3%、(16)オランダ9.1%、(17)オーストリア 9.1%、(18)チェコ7.6%、(19)韓国7.3%、(20)ルクセングルグ7.1%、(21)ドイツ6.9%、(22)スロバキア 6.8%、(23)日本6.2%、となります。

主要23カ国で日本の公務員人件費は最低 - 国家公務員数はフランスの10分の1以下(2010年03月16日07時12分 / 提供:すくらむ)」(BLOGOS


日本の倍近いの人件費がかかっているのか! そんな高額な人件費を公務員に払っているうちは金融支援なんぞもってのほかだ!・・・というのがIMFによるワシントンコンセンサスですが、ということは日本ならすぐに金融支援してくれそうですね。世界最低水準にある消費税率の引き上げくらいは求められるかもしれませんが、世の上げ潮な財政再建派の方々におかれましては、景気回復による財政再建を達成するために早急にIMFに対して金融支援を求めることを検討されてはいかがでしょうか。

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2010年05月05日 (水) | Edit |
ここ数回のエントリで経済成長と社会保障について思うところを書いてみましたが、通行人というHNの方からいろいろご質問をいただいておりましたので若干補足させていただきます。

前回エントリに対しては、

>人々の期待(予想)に働きかけることを目的としている以上、リフレーション政策も、給付を拡充するための増税による非ケインズ効果も、そういった協力が壊れている状態ではその効果が期待できません。岩本康志先生がインフレターゲットに懐疑的な立場をとるのも、日銀と市場の協力を前提とした信認の問題をどう解決するかがリフレーション政策では不明だという点だろうと思います。

の部分でありますが、もしかして僕は誤読してしまっているのでしょうか?

「協力関係が崩れている前提では、市場と日銀の関係がどうであろうと、金融緩和は効果を発揮しない」という主張であると読ませていただきました。

石を投げても落ちてこないような、特殊な状況にあるという事ですよね?これって。
2010/05/05(水) 01:31:19 | URL | 通行人 #JalddpaA[ 編集]


というご指摘をいただいております。

確かにご指摘いただいた部分では「効果」としか書いていないので、おっしゃるような解釈もありえるかと思います。わかりにくい書きぶりで大変申し訳ございませんでした。ご指摘いただいた部分の趣旨は、「インフレターゲット政策によって、貨幣現象としてのマイルドなインフレをもたらすことが可能であることに異論はないものの、それによって市場を通じた流動性の供給が増加した場合に、特に流動性制約の厳しい家計にそれが波及するためには、日銀のコミットメントに対する信認や所得再分配による格差是正に対する期待(予想)が必要ではないか」というものです。つまり、ここで私が「効果」として想定していたのは、マイルドなインフレをもたらす効果だけではなく、そこからさらに進んで、厳しい労働条件で働かざるを得ない労働者の家計の流動性制約を緩和する効果を含むものということになります。

ちょっと話が逸れますが、個人的にいわゆる「リフレ派」といわれる方には特に所得再分配というミクロ政策についての大きな振れがある(飯田先生曰く「世にリフレ派と呼ばれる人の共通点は「安定的なインフレによる景況の維持が必要だ」のみで,ミクロ的な経済政策については人それぞれ」とのこと)ので、リフレーション政策そのものは支持しますが、それに依拠した「リフレ派」の方々が主張する政策については、ミクロ政策についての考え方を確認する必要を感じております。

というのも、前述のとおりリフレーション政策の目的は、単にインフレをもたらすことにとどまるのではなく、個別具体の労働者の家計に対する所得再分配が可能となるよう、市場を通じて十分な流動性を供給することだろうと考えるからです。このため拙ブログでは、流動性を供給するためにリフレーション政策をとることを前提として、それを家計に行き渡らせる再分配政策を同時に行うべきということを繰り返し指摘しているつもりです。前回エントリでは、そういった諸政策を所期の目的のために十分機能させる鍵が、日銀をはじめとした金融市場の各プレイヤー、あるいは労働組合における連帯や再分配機能を有する行政に対しての「期待(予想)」なのではないかということを述べたつもりでした。

おそらくこういった議論には異論があるだろうとは思います。実は『エコノミストミシュラン』でも、前回エントリで取り上げた「協力が壊れた」という面については小林慶一郎氏の「ディスオーガニゼイション」論を取り上げて批判されていますし、前々回エントリで取り上げた非ケインズ効果についても、今回の財制審の委員でもある富田俊基氏を取り上げて批判されているという経緯があります。ただ、拙ブログでそういう古い話を蒸し返しているのは、『エコノミストミシュラン』で、

野口:結局,構造が悪いという話だと思う。構造問題がある限り,金融政策もダメだし,財政政策にいたってはむしろ景気を悪くしてしまうというような。彼らがよくいうのは,ヨーロッパでは財政再建をしながら長期金利が低下して景気がよくなったという例ですね。それをもってきて,むしろ財政再建をしたほうが,金利も低くなるし,社会保障などの将来不安もなくなるし,景気もよくなるというわけです。

若田部:しかし,財政再建をすれば政府支出が減少,ないしは増税ですから,景気からすると明らかにマイナス要因ではないでしょうか。

田中:それに日本では無理でしょ。財政支出の30億兆円枠(ママ)にこだわっていたのに,結局,デフレで税収不足で,史上最大規模の赤字国債を発行せざるをえなかったわけですから。

野口:ブラインダーとイェレンの『良い政策 悪い政策』でも指摘されていますが,アメリカのクリントン政権は―これも財政再建派がよく出す事例ですが―確かに財政再建を実行しました。だけれども,その後に景気が良くなったのはそれを相殺するほどの金融の大緩和があったからです。そういうポリシーミックスの結果として,確かに長期金利が下がり,景気は拡大した。しかし,そっちはいわない(笑)。ヨーロッパの場合も,ほとんどの場合において,金融緩和や為替下落の効果が,財政支出の減少による収縮効果を相殺しているわけです。
pp.95-96

エコノミスト・ミシュランエコノミスト・ミシュラン
(2003/10)
田中 秀臣野口 旭

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※ 強調は引用者による。


というまさに「ポリシーミックス」についての議論を深めるべきではないかと考えているからです。「そっちはいわない(笑)」というからには両方いわなければならないわけで、リフレーション政策の実施が前提であるとしても、それとセットになって語られる資源配分政策や所得再分配政策の内容が適切な「ポリシーミックス」となっていなければ、結局個別の労働者(私自身を含みます)がリフレーション政策の「効果」の恩恵に与ることは難しいのではないでしょうか。

経済政策の専門の方々のお話を見聞きした限りの素人考えですが、税収というフローは雇用を生み出す社会保障の現物給付(医療・介護サービスや教育など)というフローに充てるために必要なものなので、長期債務というストックに対しては、特別会計積立(医療保険や年金保険など)の運用益などストックからの果実(これを埋蔵金といってもいいですが)を充てることとし、ドーマー条件により運用益が利払い率を上回るように経済成長を維持することが、税収・社会保険料の拡充による社会保障の整備と経済成長による財政再建を両立させるナローパスなのではないかと考えるところです。

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2010年05月03日 (月) | Edit |
メーデーに書こうと思っていたネタでしたが、なかなか考えがまとまらずに2日ほどずれ込んでしまいました。拙ブログではおなじみ(?)かもしれませんが、集団的労使関係の再構築が労働者の生活を守るために必要だと考えておりまして、それが実現するかどうかは、ストライキが容認される社会となるかどうかが1つのポイントになるのではないかと思います。と考えてみたとき、プロ野球選手会が国民の支持を得てストライキを打ったのがすでに6年前となった現在、ストライキといえば、たまに「航空関係の労働組合がストライキを打つかも」くらいのニュースしか流れなくなっているわけで、この点では実現はかなり難しいといえそうです。

確かに公共交通機関のストライキは市民生活に大きな影響を及ぼすので、それだけ取り上げればはた迷惑なわけですが、憲法上は、それだけの社会的損失を「人質」にして労働条件の向上を訴えることが労働者の権利として認められているのもまた事実です。ストライキが国民の支持を得られなくなったということは、その社会的損失を「人質」にとられることを国民が拒否している状態だといえるでしょう。

まあ、国民誰しもが低賃金にあえいでいるような時代であれば、賃上げを獲得するためにストライキを打つことが同じ境遇にある国民の支持を得ることができたとしても、ある一定の層が先行する形で高い賃金水準を獲得してしまうと、「お前らがいま以上の労働条件の向上を獲得するために、何で俺たちが不利益を被る必要があるんだ!」と労働者同士が牽制している状況になってしまうわけですね。いうまでもなくそれは、労働組合が企業内の正社員を代表して正社員の賃金水準を向上させることに成功した一方で、男性成人労働者以外を家計補助的な地位にとどめながら、パート・アルバイトの賃金水準や雇用保障をできるだけ低く抑えることを容認するという、日本の社会がこれまでたどってきた道でもあります。

さらにいえば、そういった労働者同士の牽制が「お客様は神様です」的消費者天国を作りだし、他の労働者に対しては「経営者目線」で労働条件の引き上げを阻止する風潮につながっているように思います。「みんなが我慢して「お客様という神様」のために働いているのに、あいつらだけが労働条件を向上させるなんて許せない!」とお互いが考えているうちは、誰もがまともな労働条件で働くことは望めません。それが「引き下げデモクラシー」だったり、「会計検査院とオンブズマンが作り出すすばらしき世界」だったりするわけで、労働組合が支持母体となっている現政権下でもこんなマニフェストが作られる始末。

「公務員庁」を検討、民主が参院選公約に(2010年4月23日00時17分 読売新聞)

 民主党は22日、夏の参院選公約に、公務員制度改革の一環として、国家公務員の定員や給与などを管理する「公務員庁(仮称)」の設置を盛り込む方針を固めた。

 公務員の労働基本権を回復した場合、労使交渉の政府側窓口とする。労使交渉によって国家公務員の人件費2割削減を目指す考えだ。

 公務員庁は、幹部職員人事を一元管理する内閣人事局とは別に設置し、幹部以外の職員の定員管理や給与制度管理を集約する。労使交渉を担当する閣僚を置くことも検討する。

 民主党は昨年の衆院選政権公約で「公務員の労働基本権を回復し、民間と同様、労使交渉によって給与を決定する仕組みを作る」としていた。

※ 以下、太字下線強調は引用者による。


・・・本来なら労働条件を向上させるための労使交渉によって人件費を2割削減するという、憲法の趣旨と矛盾しまくった主張が何の驚きもなく受け入れられるというのが、現在の「お客様は神様」的消費者天国たる日本を象徴していますね。

多少観点は異なりますが、小島先生はこのような相互牽制的な状況が不況をもたらすという興味深い指摘をされています。

 この世界不況の様相を観察するにつけ、不況というのは協力が壊れてしまった状態だと思わざるをえない。株式市場でも財市場でも、協力が壊れてしまって、誰もが疑心暗鬼になって、あらゆる市場で協力が達成できない状態になっているように見える。
 市場経済というのは、基本的に、「協力の達成」によって成立している。商品の売買というのは、売り手と書いての双方が得する価格を模索して取引が実行される。片方だけの言い分を通そうとすれば、商談は決裂し、どちらも利益が得られない。相手に降りられない範囲内で自分の有利な価格を申し出ることを双方が模索してこそうまくいくのである。同じように労働市場では、労働者と雇用者が協力して賃議を模索しあう。金融市場では、企業家と投資家が、資金の融通を、利回りを要として協力を達成しようとしている。このような協力がどこもかしこも壊れてしまったのが、不況の真相だと筆者には思える。
(略)
 企業を挟んで消費者である自分、労働者である自分、投資家である自分が分裂している。そこで分裂した自分と、いくつもの意味を持っている企業と、その反対側でつながっている人たちがうまく協力を達成できれば、完全雇用・完全均衡が達成される。逆にいうと、不況というのは何らかのきっかけで分裂した個人たちの間で、協力が壊れてしまった状態なのである。
pp.199-201
※ 太字強調は原文。

使える!経済学の考え方―みんなをより幸せにするための論理 (ちくま新書 807)使える!経済学の考え方―みんなをより幸せにするための論理 (ちくま新書 807)
(2009/10)
小島 寛之

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バブル崩壊後に成果主義賃金体系が大々的に導入されて組織がフラット化すると同時に、労使関係の個別化が進められて集団的労使関係が瀕死の状態に陥っていることからすると、不況を理由として人事労務政策が個人の分裂を推し進めた面もありそうです。いずれにしても、相互不信によって協力が壊れた面が不況には確実にありそうですし、不況の原因として挙げるなら、ここに税・社会保険料を拠出する納税者とそれを原資に公共サービスを給付する行政との間の協力が壊れていることを追加すべきかもしれません。

人々の期待(予想)に働きかけることを目的としている以上、リフレーション政策も、給付を拡充するための増税による非ケインズ効果も、そういった協力が壊れている状態ではその効果が期待できません。岩本康志先生がインフレターゲットに懐疑的な立場をとるのも、日銀と市場の協力を前提とした信認の問題をどう解決するかがリフレーション政策では不明だという点だろうと思います。こう考えてみれば、マスコミと民意におもねる政治家によって信認に基づく協力が崩壊されきった現在の日本では、リフレーション政策はおろか所得再分配機能の拡充による経済成長なんて夢のまた夢なのかもしれませんね。

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