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2010年01月25日 (月) | Edit |
sincekeさんのブログで前回エントリについての疑問を書いていただきました。こうした冷静な批判をいただけることは大変ありがたいと思っております。というより、言葉足らずなところだけではなく、感覚的なところも十分に顧みなければならないと改めて反省する次第です。

マシナリさんのブログを読んで。どこかすれ違っているような気が…

(中略)

「え? 公務員、1000万円以上?」この金額にびっくりしてしまうのは、まあ民間では普通の感覚だと思いますが、そこをマシナリさんは「公務員バッシングのブーメラン効果」「自業自得」みたいな話に直接結び付けてしまいます。「公務員バッシングがマズイ」という話はわかるのですが、その最初の、例の出し方がちょっと…。このあたりが誤解されやすいところだったと思います。

労務屋さんがおっしゃっていた「住民をバカ扱いするような発言」と取られかねない所を私が引用してみるとするなら、たとえば、

『「労働」と「経済」を定義する主体』2009年12月20日というエントリの末尾の、

>まあ、国民がそのような変化を「主体的に」担う組織を否定しつづける限りは当然の帰着ではあるわけで、国民自らが望んだことだとあきらめるしかないのでしょうね。(マシナリさんの文章)

とか、『渡る世間はブーメランばかり』2009年12月28日 というエントリの

>財源の裏付けすらないマニフェストで「まず、政権交代」と主張したブーメラン野党を選んだ国民の側にもブーメランが帰ってきているわけで、そんなブーメラン政権の姿は、果たしてそれを笑うことができるのかと国民一人一人が自問するための手本なのかもしれません。(マシナリさんの文章)

というところが、「お前ら自業自得だぜ」という突き放した物の言い方に見えてしまいます。

「マシナリさん」と「労務屋さん」のブログを見て思ったこと(2010年01月24日)」(ブログ・プチパラ


sincekeさんにご指摘いただいた問題の一つは、例示の中で出てきた「年収1,000万円」という言葉のインパクトが強すぎたということがあるようです。確かに「年収1,000万円」というのは特に地方では高給取りのイメージがありますから、それを例として出したのはまずかったのかもしれません。

といっても、実はこの「年収1,000万円」というのは当時のマスコミが見出しに使った言葉でして、地方自治体の規模によりますが、実際に1,000万円を超える地方公務員なんていないか、いたとしてもごく一部の高級幹部のみというのが大半の自治体の実態でしょう。年功序列の賃金体系が官民ともに普及していた時代の名残もあって、特に組合活動が許される現業職員で退職間際には年収1,000万円近くになるという事例があったと聞いたことはありますが、まあ一つでもそういう事例があれば反感を買うだろうことは想像に難くありません。そういった意味で、給与の適切な水準についての議論が必要だという点を拙エントリでももっと強調すべきだったと反省しております。

もう一つの問題はより深刻でして、ここ一連のエントリで「「お前ら自業自得だぜ」という突き放した物の言い方に見えてしま」うような書き方になっていたとのことです。大変ショックではありますが、ご指摘を受け止めなければなりません。感覚的な問題もあるかと思いますが、私なりにこの部分の問題を推測してみると(これがまたすれ違いの元になってはまずいのですが)、ここで「国民」ということばを使っているのが、もしかすると「公務員から見た国民」といういわゆる「上から目線」に見えてしまったのかなと反省しております。

「国民」とか「県民」とか「市民」という言い方をひっくるめて、行政区でくくるというのは個人的に違和感を感じておりますが、そう思っていても気がつくと使ってしまっているのだなと思い知りました。拙ブログでは「住民」という言葉を使うようにしているつもりですが、これも読まれる方によっては違和感があるかもしれませんし、難しいところです。文脈に応じてできるだけ誤解のないように言葉を選ぶしかないのでしょうか。

なお、こうして振り返ってみると、拙ブログでは自分自身を含めるときに「国民」ということばを使っているように思います。地方公務員としてのクライアントは所属する行政区に住んでいる方々なので、「住民」という言い方が個人的にはしっくりくるのですが、自分自身としては日本という国の構成員だという意識があるので「国民」という言い方になるようです。「国民」について一点だけ言い訳させていただくと、ブログを始める以前は私自身も構造改革を主張していたことがありますし、民主党に投票したことがあるのでブーメラン政権から無傷ではないと思っております。そうした経験も踏まえながら、現在の流れに危機感を持っている点をご理解いただければと思います。

いずれにしても、せっかく

マシナリさんのブログは、私は、hamachan 先生経由で知りました。
初めて見たときには、おお! 現代には、ちゃんと「思考する公務員」「学問する公務員」という方がおられるんだな、と少し感動しました。
「マシナリさん」と「労務屋さん」のブログを見て思ったこと(2010年01月24日)」(ブログ・プチパラ


とおっしゃっていただいたsincekeさんに「突き放した物の言い方」と思われてしまうのでは、地方公務員の胸の内を知っていただきたいという拙ブログの趣旨が台無しです。「公務員目線」になることはある程度やむを得ないとしても、信頼を取り戻せるよう記述の仕方には十分注意いたします。

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2010年01月24日 (日) | Edit |
身内の方でいろいろありましてすっかり放置してしまっておりましたが、拙ブログでもたびたび取り上げさせていただいているroumuyaさんに言及いただきました。

roumuyaさんのエントリは、そのタイトルのとおりhamachan先生のブログからスタートして八代尚宏先生の論説を巡る評価のされ方を論じられているのですが、ひょんなところから「経営者目線」というところで拙ブログのエントリにも関心を持っていただいたようです。

「他人の職業や待遇について「経営者目線」で批判する」というのは要するに「公務員の職業や待遇について「経営者目線」で批判する」ということなのでしょう。具体的にはおそらく、民間人が公務員に対して「お客様(=住民)第一という考え方がない」とか「雇用が保障されていて競争がないから生産性が低い」とかいう批判をすることを差しているのだと思います。これを「叩く」と表現するかどうかはその人の感じ方・考え方によるでしょうが、言わんとしていることは「公務員を叩くのではなく、民間企業でも公務員並みにお客様にヘイコラせず、雇用が保障されて競争にあくせくしなくてもすむように、経営者に要求しましょうよ」ということでしょうか。

八代尚宏先生(2010-01-19あれこれその2)」(労務屋ブログ(旧「吐息の日々」)
※ 以下、強調は引用者による。


毎度のことながら言葉足らずなもので、誤解を与えるような書き方になってしまい大変恐縮です。これも毎度言い訳がましいのですが、若干補足させていただくと、私が「経営者目線」という言葉でもって他人の待遇を批判することを揶揄しているのは、必ずしも「民間vs公務員」という関係に限った話ではなく、それが広い意味での労労対立を助長して集団的労使関係の基盤となる労働基本権への理解を歪めてしまっていると考えるからです。

いつものとおり(?)こなれていない文章ではありますが、拙ブログでも労労対立については、

このような現状認識からスタートすれば、現在の集団的労使関係における喫緊の問題というのは、少数組合が存在するために生じる交渉権の輻輳化や、複数組合間での労労対立だということがご理解できるのではないかと思います。株主と使用者と労働者という三者の関係において、労働者だけがその利害を統一することができないために自らの利益を守ることができずにいます。にもかかわらず、ここ数年来偽装請負だのワーキングプアだのという問題が叫ばれることはあっても、労働者の利益保護システムとしての集団的労使関係が華麗にスルーされるというのは、やはり党派性の問題が大きいんでしょうかね。
自らの交渉力を低下させる労働組合(2009年06月14日 (日) )


と書いているように、官民問わず現在の労働問題を考える上で避けては通れない問題だと考えておりますし、roumuyaさんのブログでも労労対立への対応の難しさを指摘されていたように記憶しております。というわけで、当方の問題意識としてはroumuyaさんと大部分で共通していると考えているところですので、

まあ、たしかに世間の公務員批判の中には行き過ぎじゃないかと思われるようなものも間々みられますし、公務員の皆様の中には批判されているほどに恵まれているという実感はないという人も多いだろうと想像はしますが、それにしてもあまりあからさまに住民をバカ扱いするような発言は慎まれたほうがいいのではないかと、まあこれは余計なお世話、かつ八代先生からはずいぶん脱線してしまっておりますが、しかし八代先生がこうした意見にどのように反応されるか、興味深いというか見当がつくといいますか…と無理にまとめてみました。

八代尚宏先生(2010-01-19あれこれその2)」(労務屋ブログ(旧「吐息の日々」)


と不快感を与えるような記述になってしまっていたことは大変申し訳なく思います。誤解を与えるような記述となっている部分がないか見直してみたら、

コームインを叩いている限りは、自分が叩かれる側になったら・・・という反省が生ずる可能性はないので、安心して叩ける。しかし、社会システム全体としては、その「叩き」は公的サービスだけではなく、民間サービスすべてに及ぶ
(引用略)

他人の職業や待遇について「経営者目線」で批判することは回り回って労働者であるご自身に跳ね返ってくるというカラクリ(2009年12月27日 (日))EU労働法政策雑記帳


という、叩いている側と叩かれている側が実は相互に影響し合うという現実を認識できるかが非常に重要だと思います。
渡る世間はブーメランばかり(2009年12月28日 (月))


という部分は「民間vs公務員」という対立を前提に書いているように読めるかもしれません。ここでは、hamachan先生のエントリで「認識不全メカニズム」という言葉で定式化していただいた説明を引用していることもあり、確かに直接的な問題提起は「民間vs公務員」ではありますが、それが民間の正規労働者と非正規労働者だったりセレブと貧困層の対立を煽る論理にもなり得るのではないかと個人的には考えております。そういった意味で、hamachan先生の説明も「公務員の職業や待遇について「経営者目線」で批判する」というよりは、もう少し広い射程を有していると解釈できると思います。

言い方を変えると、集団的労使関係の枠の中で考えれば、多数組合と少数組合の対立を「経営者目線」でくくるのはムリがあるかもしれませんが、企業内の集団的労使関係の基盤が揺らいでいる現状にあっては、労働者が他企業の労働者の待遇を「経営者目線」で批判することは意外に抵抗がないように思います。「ライバル会社だってサービス残業で働いているのに、業績で負けているうちの会社でサービス残業したくないなんて甘ったれたこと言うな」、「会社がつぶれて仕事がない人もいるんだから、もらえるだけ感謝しろ」、「あの会社は組合が強いから給料が高いんだよ。そんな会社すぐつぶれるぞ」・・・こういう経営者と見まごう言葉を労働者同士が互いに言い合う状況では、特に厳しい環境にある労働者の待遇改善はままならないように思うわけです。




話を大きくすると収拾がつきませんが、もしかすると、
「経営者」→「保守」→「新自由主義」
「労働者」→「革新」→「社会民主主義」
という二つの流れがバブル崩壊以前の傾向であったのに対し、
「労働者・経営者」→「カイカク派」→「ネオリベ・リベサヨ」
という融合が起きているのが日本の現状であって、そのこともこういった「労働者が他の企業の労働者を経営者目線で批判する」風潮に影響しているのかもと思ったりしますが、まあそれは印象論の域を出ませんね。

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2010年01月17日 (日) | Edit |
前エントリで言いたかったことというのは、実は「局所的な病理にばかり目を奪われてしまったのでは、困窮している方々の境遇に比べれば緊急性がないとしても、余剰人員とされて日々低賃金で過酷な労働を強いられている大多数の労働者の待遇は改善されません。」という部分でして、たとえば新規学卒者の内定率の低迷などはその象徴だと思います。今まさに困窮している方々に比べれば、新規学卒者なら卒業したって親元で暮らせば何とかなるとか、特に高校生なら専門学校に避難すればいいという逃げ道がある分、その対応が精神論的、場当たり的になりがちです。まあ、これは労働問題全般にいえることでもありますが。

先日もたまたま受けた電話の主が今春卒業を控えた女子大生の親御さんで、話の途中から「うちの娘はまだ仕事が決まらなくて、本人も体力仕事でも何でもいいから仕事に就きたいといっているんです」と切々と訴えられてしまいました。その場では、「いざとなったらアルバイトなどの非正規雇用を考える必要があるとしても、中小企業は慢性的に人手不足なので、3月まで積極的に中小企業の正社員の求人を探してみるといいのではないか」とお答えしましたが、実はそう答えたのは、以前も拙ブログで取り上げさせていただいた海老原嗣生さんの近著『学歴の耐えられない軽さ』を拝読したばかりで、この部分が強烈に印象に残っていたからです。

 玄田さんの信奉者は反論するだろう。
「名も知れない中小企業に入ったら、給料も安いし、会社も安定していないから、やっぱり損だ。有名大企業なら安心、人生勝ち組になれる。だから、有名大企業に入れないことはやっぱりカワイソウ」
 本当にそうか?
 キャリアの実情から私は二つの反論をしておく。
(1) 大学卒業のときに、規模の大小は関係なく、どこでもいいから正社員で就職をしておけばいいじゃないか。
(略)
(2) 中小企業に新卒入社し、もしその企業が良かったら、ずっと居続ければいい。

学歴の耐えられない軽さ やばくないか、その大学、その会社、その常識学歴の耐えられない軽さ やばくないか、その大学、その会社、その常識
(2009/12/18)
海老原 嗣生

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p.128
※ 丸付き数字を括弧付き数字に置き換えました。


この「玄田さん」はもちろん『ジョブクリエイション』などの著作で有名な玄田有史東大社研教授のことですが、海老原本ではそういった「旧来型就職観・若者キャリア観」が、不況時に中小企業に入社した経営者(奥田碩トヨタ自動車相談役など)を例示しながら徹底的に検証されていきます。不況の効用をあまり強調しすぎるのは危険だと思いますが、海老原さんの指摘を逆に解釈して、バブルなどの好況時に採用された社員や経営者の放漫ぶりを見ると、多少条件が厳しくても中小企業に正社員として就職することがその人材を鍛えるという点については大いに賛同するところです。

電話で相談された方にこの話をしたらとても喜んでもらえたんですが、「ではその中小企業の求人情報はどこで手に入るのか」と聞かれて、はたと詰まってしまいました。確かにハローワークはパートなどの非正規雇用の求人が中心となっていて、たまに正社員の求人があっても経験を要するような中途採用だったりします。つまり、新規学卒者がエントリーできる正社員の労働市場は、卒業見込みの在学中の学生にしか開かれていないわけで、しかもその大半は大手企業か有名企業に限られているわけです。という次第で、現行の労働法制の中では、中小企業の新卒採用市場が自発的に整備されることは難しいでしょうから、この分野にこそ資源配分機能を担うべき地方自治体の活路があるのではないかと気づかされました*1

特に、新規学卒者についてはまず世の中の会社がどのような雇用慣行で人材を処遇しているかという現実を認識させ、その上で中小企業の職場の実態を知らせる必要があるだろうと思いますが、そのどちらも整備されていないのが現状といえます。学校から仕事への橋渡しという観点で考えれば、この部分で地方自治体にもいろいろ打つ手はあるかもしれません。そしてこの部分をブレイクスルーできると、hamachan先生のいう「日本型フレクシキュリティ」の次の展開も構想できるように思います。といっても、それはそのほかの制度的な仕組みをきちんと整理した上での話でしょうけど。

まあ、そもそもの話からすれば、各人がそれぞれの仕事を通じて勝手な労働観を作ってしまう前に、学校教育の段階できちんと労働の仕組みを理解して、それに対する実務上の対処方法まで学ぶことができればいいのですが、この点については海老原さんもこう指摘されています。

 要は、社会人になったとき、必ず役に立つカリキュラムを大学教育の中に入れてしまうのだ。これに対しては、「学問の府である大学が、金儲けの片棒担ぎになってしまう」という批判が起こるだろう。
 しかし、すでに今の大学生(特に文科系)は学問などほとんどしていないのが現実だ。大学での専攻について、就職活動の面接でまともに語れる学生などいない。それゆえに、企業も面接でそんな質問をしなくなっているくらいだ。
 こんな体たらくよりは、簿記なり会計なり民法なり、といった「ビジネス寄りの学問」でも、真剣に学んだほうが学問として意義はある。

海老原『同』p.77


この点は本田由紀先生の職業レリバンス論とも絡んできますし、hamachan先生も

 まあ、わざと挑発している嫌いもないわけではない文章ですが、本気で反論しようと思うと意外と手強いですよ。アカデミック派の方々には、是非挑発に応じていただきたいところです。

海老原嗣生『学歴の耐えられない軽さ』(2009年12月30日 (水))」(EU労働法政策雑記帳


とおっしゃるように話が大きくなってしまいますが、特に政治や行政に携わる方々が本気で目を向けなければならないのはこの部分なのではないかと考えた次第です。

ついでながら、海老原さんをモデルにした『エンゼルバンク』がドラマ化されていたことをついさっき知りました。1回目を見逃してしまいましたが、これはぜひ全話チェックしなければいけませんね。




*1 実をいうともっと直接的なきっかけがあったのですが、諸事情により詳細は省略させていただきます。

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2010年01月17日 (日) | Edit |
昨年の派遣村に代わって今年は年末年始のワンストップサービスが大きく取り上げられたところですが、役人の立場からいえば、そういった行政需要があるならそのサービスを供給するために新たな人員や財源といったリソースが必要となるはずなのに、相も変わらず行政刷新担当大臣は「来年度も行政の無駄を排除するため仕分け作業を徹底する」とおっしゃるようで、新年早々先が思いやられます。

現政権で設置された緊急雇用対策本部の「緊急支援アクションチーム」貧困・困窮者支援チーム(第6回)議事次第というのが公開されていて、その資料を見ると、

1 概要
 公共機関が通常閉庁している期間中(12月29日(火)~1月3日(日))において、各自治体が中心となり、福祉事務所等を開帳して生活相談を実施。一部自治体では、自治体独自の対策も含め、住居のない傾けに宿泊場所等を手今日するなどの取り組みを実施。

2 実施自治体数
 194 自治体
(都道府県:32、政令市:14、中核市:23、その他:125)

(中略)

5 来所者数・相談件数
 全国4,675人が来所。相談件数は4,931件
 (就労相談:1375件、生活保護の相談:797件、貸付関係の相談:638件、住居手当の相談:268、健康・心の相談:116件、多重債務の相談:76件、その他の相談:1661件)

年末年始の生活総合相談の実施状況(注:pdfファイルです)」(緊急雇用対策本部「緊急支援アクションチーム」貧困・困窮者支援チーム(第6回)議事次第(平成21年1月13日(水))


だそうです。194自治体の多くが12月29日、30日の2日間に渡ってサービスを提供したということであれば、ここに掲げられた就労相談などの各関係機関から2名程度の職員が対応したとして、194自治体×2人×6機関×2日間=延べ4,656人の公務員が行政サービスを提供した計算になります*1。これは、来所者数・相談件数とほぼ同じ数ですね。

また、運営に当たる役付の公務員から雑務をこなす下っ端の公務員までが現場にいたでしょうから、平均の月給与を25万円とすると日給換算で約1万円強となるので、全国で5,000万円くらいの人件費が必要だったということになります。年末年始は週休日扱いでしょうからこれに時間外割り増しも加算されます。もちろん、年末年始の寒い時期に庁舎を開けて対応するための光熱水費や庁舎管理担当者の人件費もかかりますし、電話相談や相談者の移送などがあればそのための通信費や交通費も必要になります。トータルでは、4,675人の方の相談に対応するために上記の人件費5,000万円プラス数千万円の経費を要したのではないかと思います。

さて、これは事業仕分けではどのように判断するのでしょうか。湯浅内閣府参与は年末年始のテレビで「周知が足りなかったからサービスが必要な人に届かなかった」と連呼されていて、その原因は役人の怠慢だといわんばかりでしたが、周知するためのチラシ印刷や職員が直接出向いて伝える交通費や、その周知などの準備業務に時間を割かれた分で残りの業務をこなすための時間外手当や臨時職員などを措置してはいないわけです。そしてそのとき、「行政に無駄があるのに新たな経費負担なんか認めない。ましてコームインの人件費なんか措置できるか」というのが事業仕分け人のお立場でしょうから、民意至上主義の現政権がそれを押して経費を措置するわけがないんですよね。

さらにいえば、民意が人件費の削減を望んでいる状況下で時間外手当なんてものが支給されるはずもなく、年末年始に出勤した公務員のほとんどは振替休日をとれと強要されたことでしょう。しかし、来年度に向けた予算編成作業が本格化する中で政治主導によって実施されたエクストラな業務に人員を割かれている以上、事前に振替休日をとる余裕ももなく、事後に代休を取ることになるのが実態ではないかと思います。さすがに帳簿に残る代休に時間外手当を支給しない役所はないと思いたいところですが、ブラック企業認定できる役所ならあっさりとサビ残させてしまいそうでコワいです。

ワンストップサービスそのものについていえば、こういった行政サービスはまさに「貧困・困窮者支援」であって、この不況下では広義の雇用対策といえなくもないですが、現時点でスラックとなっている人員や設備などの資源を有効に配分する機能は貧弱です。局所的な病理にばかり目を奪われてしまったのでは、困窮している方々の境遇に比べれば緊急性がないとしても、余剰人員とされて日々低賃金で過酷な労働を強いられている大多数の労働者の待遇は改善されません。現政権に対してはよく「経済成長の戦略がない」という批判がありますが、それは労働者の待遇改善という視点に立つか、企業業績向上という視点に立つかによってその内容は大きく変わってくるように思います。まあ、どちらが大事ということではなく、それぞれをバランスよく改善させることが重要であって、だからこそマクロな経済政策と同時に労働者の待遇改善に向けた取組(特に産業民主主義など)を真剣に議論すべきだろうと思います。

そんな中で、マスグレイブの財政の3機能論からいえば、地方政府が担うべき資源配分機能を拡充*2することもなく、日銀・中央政府が担うべき経済活性化と所得再分配のうち、貧困・困窮者支援といった所得再分配的な機能を地方政府に担わせるというのは、非効率かつ非公正な国家を目指しているとしか思えないのですが・・・




*1 総合支援資金などは地域の社会福祉協議会が対応しますので、ここでは公務員に準じた賃金原資で雇われているという意味で公務員と見なすことにします。
*2 ここで拡充といっているのは、地方に小さな権限と大きな裁量を与えるべきという趣旨ですので、マスコミが好きそうな「地方分権」とか「地域主権」とは別物です。

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2010年01月07日 (木) | Edit |
年末に書いたエントリがhamachan先生に取り上げていただいたこともあって思いの外のブクマをいただいたようですが、「経営者目線」という言い方が一部に誤解を招いたかもしれません。若干補足させていただくと、経営者といっても現場で労務管理に悩むような小さな会社の経営者ではなく、大企業で取締役会に出ているような実務から離れた経営者を想定しています。もう少し具体的には、経済財政諮問会議とか地方分権改革推進委員会の委員のように政府の審議会等でご活躍される大物経営者の方々や、大企業の御曹司から政界に転じたような方々をイメージしていただくとわかりやすいのではないかと。

もちろん、そのような大企業であれば経営者だけが経営に携わっているわけではなく、現場で経営者の代理人として人事や労務管理を担当する方々もいらっしゃいます。そのような現場の実務家の方々は、下手に従業員を扱うと訴訟を提起されたり、不祥事を起こされたりして会社が傾くかもしれないというリスクを背負っていますから、経営者の代理人としてではありますが、労働者と真剣に向き合う必要に迫られることになります。個人的には、そのような人事・労務管理の実務家の方々の発言は、その背負ったリスクが大きいだけに信頼できるものが多いと感じております。

その信頼感をイメージするには、拙ブログで指摘するような思想的な結社としての性格を強めた労働組合と比較してみると、逆説的ではありますがその差が鮮明になります。たとえば、労働組合が活動を活発化させていって企業内組合としての限界にぶつかったとき、地域ユニオンやナショナルセンターなどの企業外の組織とのつながりを強めていくことがあります。特にそのナショナルセンターがある特定の政策に偏向している場合、ナショナルセンター等とのつながりが強まるほど政策要求などの取り組みが増えていき、結果的に企業内部の労働者の処遇に向き合うためのリソースが奪われるという、本末転倒な労働組合が往々にして生じることになるわけです。

このような比較においては、政策要求に重点を置いて当の労働者をないがしろにしがちな労働組合よりも、目の前の労働者の処遇次第で会社が傾くかもしれないというリスクを負った人事・労務管理の担当者の方が、真剣に労働者と向き合っているといえるでしょう。逆に言えば、現場を離れた「経営者目線」による改革を国民が称揚する一方で、労働組合がナショナルセンターに引き込まれて目の前の労働者を代表しなくなってしまえば、労働者の処遇を真剣に考える人が誰もいなくなってしまいます。そんな中にあって、労働者に唯一真剣に向かい合っているのが実は会社の人事・労務担当者しかいないというのは、ある意味で悪い冗談のようでもあります。

まあ、会社の規模が小さくなればなるほど労働組合はおろかまともな人事・労務管理者すらいなくなるわけで、一番援助が必要な労働者の周囲にその理解者がいないというのはかなり深刻な問題であるはずです。ところが、労働組合を既得権益として攻撃せずにはおられない方々が絶えないわけで、

 私は大筋として労働組合という仕組みに賛成ではないし、「春闘」も現在の延長で順調に死語になればいいと思う。しかし、個々の労働者のためには役立ちたいと思うし、組合が弱体化しつつあること、あるいは弱体化した方がいいことを前提とするとしても、現在、一定の影響力を持っている訳だから、この適切な行使に資する情報を伝えたい。
 ただ単に組合批判だけを述べに行くのは社会的なバカのすることだろう。

 とはいえ、何を伝えたらいいのかが、なかなか思い浮かばない。

労働組合の勉強会で何を伝えたらいいか?(2010年01月02日)」(評論家・山崎元の「王様の耳はロバの耳!」


あるべき労使関係についての構想もなくただ労働組合はけしからん!と唱えたいだけなら、何を伝えたらいいか思い浮かばないのも当然でしょうね。餅は餅屋ですから、経済評論家としてお話しされるのが身のためではないかと愚考いたします。

(追記)
補足のつもりのエントリでしたが、また言葉が足りないような気がするので念のため追記いたしますが、もちろん思想的な組合であっても企業内で強硬に労働運動を行う組合は多いと思います。本エントリでリソースが奪われると指摘したのは、そういった企業内の活動が停滞するということではなく、その運動が思慮を欠いて短絡的な方向に進みやすいのではないかという趣旨です。
また、逆に企業内の活動をメインとする組合については、使用者側のいいなりの「御用組合」になっているのではないかとの疑念もあるでしょうけど、これに関してはもう少し違ったから考える必要があるように思います。この辺はなかなか複雑なのでまとめきれませんけれども。

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2010年01月01日 (金) | Edit |
昨年中は多くの方々にTB、コメント、拍手、ぶくま等々いただきありがとうございました。
本年も引き続きご愛顧のほどよろしくお願いします。

というわけで初詣しておみくじ引いてみました。

【吉】 (No.15232) モナー神社
願事 : 思い通りとなる しかし気をゆるしては破れる
待人 : 待てば来たる
失物 : 自ら出づ
旅立 : 行きて吉
商売 : 買物は良し 売物は悪し
学問 : 困難 勉学せよ
争事 : 勝ち制す事十分なり
転居 : 急がず行えばよし
病気 : 長引くとも心配すべからず
縁談 : 初め進まず 時を待てば宜し

去年に引き続き「吉」ということで、今年こそはいい年となるよう精進して参りたいと思います。

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