2009年11月23日 (月) | Edit |
事業仕分けの第一部が終わってマスコミでも仕分け人当事者などによる感想戦が繰り広げられてますけど、特にチホーコームインの方々のブログでは事業仕分けにおおむね肯定的な評価が多いように思います。その理由としては、大きく分けて

○そのくらいの査定なんて地方自治体でも財政当局がやってるのに、それに満足に答えられない官僚は情けない
○霞ヶ関は実際の現場を知らないから事業の必要性を説明できない
○官僚の天下り先に事業費を流すからムダになるんであって、もっと地方に財源をよこせばいいのに
○各省が持っている特別会計にはまだまだ余裕があるんだから、財源はそっちから持ってくればいい


というようなところではないかと。

特にリンクはしませんが、こういう感想を見ていると、上達すれば見えるものが見えてない議論の典型だなと思わざるを得ません。たとえば、第1点目と第2点目についていえば、地方自治体レベルのミクロの事業と国家レベルの施策の違いについてほとんど意識したことのない方に特有の議論ですね。

地方自治体の役割で重要なのは、課税と公共財供給のバランスにより受益と負担を明確化してパレート最適を目指すという資源配分の効率化であって、受益と負担を意識的に乖離させて公平性を確保する所得再分配機能ではありません。端的にいえば、累進的な所得税と一国の中で平等に供給される生活保護を両立させうるのは、移動可能な地方の行政区単位ではなく全国単位となるわけで、そこはどうしても全国レベルでの再分配政策を実施する必要があります。再分配政策では受益と負担が意識的に乖離させられているわけですから、それぞれを各自治体がバラバラにやっていたら受益の高いところに貧困層が滞留し、負担の低いところに富裕層が移住してしまい、再分配政策そのものが成り立たなくなってしまいますからね。

地方に在住して地域主権とか言っているうちはこういうマクロな視点からの議論は期待できないでしょうけど、なぜか事業仕分け人には特定の自治体職員が入っているんですよね。彼/彼女らが事業仕分けにおいて果たすべき役割は、上記の資源配分・所得再分配についての国と地方の役割分担の観点からすれば、所得再分配的な公共財供給(現金給付と現物給付)は国がやるべきと積極的に発言することではないかと思います。

まあ、実際は「現場の声」とやらの代弁しかしないでしょうけど、実は、こういう「現場主義」というミクロな観点しか持ち得ない職員が増えているということは、だいぶ前になりますがkumakuma1967さんのエントリを題材に書いたことがあります。そのkumakuma1967さんのご指摘は、事業仕分けのある一面を的確に表現していると思うので再度引用させていただきます。

最近の発注者としての公共の動向として、能力の低下は著しい。

バブル後半にダメになって来ていたものが小泉改革でさらにダメになった感じ。

小泉改革以降はトップダウンが流行で、結論を政治家が出して、その論理の補強を官僚が出すと言うやり方

技術的な側面でも同じ。技術ってのはある意味冷酷で、間違った結論は出せなかったりする。当然技術屋は補強なんて出来ないわけで、政治家から見たら無能な抵抗勢力だ。だから、建設でもなんでも技術的な中身のない人ほど有能になる。*1

 有能な公務員=無能な発注者という図式が完成しつつある。

で、政治家の書いた「この場所に○○をいくらで建設する」ってファンタジーに沿って着ぐるみを着て踊るのが公務員や建設コンサルやゼネコンという事になる。

 ある公共の建設計画のアセスメントの結果(このような工事をこう行い、外部条件がこうだから問題なし)があまりに変(外部条件が圧倒的におかしくて、地図上の面積とアセスの面積がケタレベルで合わないとか)なので追っかけて行ったら、知事のファンタジーな頭脳にあわせて書き換えたからこうなったという以上の根拠はなかったなんて事も普通にある

*1:たぶん学習指導要領でも法律でも

■[society][government]発注者の責任について(2008-03-30 ぐだぐだ)」(くまくまことkumakuma1967の出来損ない日記
※ 強調は引用者による。


「脱官僚の政治主導」というのは、政策エンジニアたる役人のいうことを無視して、というより「既得権益」とか「抵抗勢力」扱いして、こういうファンタジーを役所の現場に押しつけることでもあるんですが、事業仕分けはそのトップダウンを外部の第三者に委ねたものなのでしょう。彼/彼女らのファンタジーどおりに世の中が動くなら何も問題はありませんけど、そうならないことが判明したときの対処までお考えの事業仕分け人はどのくらいいるんでしょうね。

今日のサンプロに出演していた蓮舫氏がいみじくも

「世界二位ではダメなのかと聞いたのは、世界一位を目指すことが目的ではなく技術立国を確立することが目的だという答えを聞きたかったからなのに、そういう答えがなかったから」(大意)


なんて話をしていましたが、それって成果じゃなくて説明の巧拙が基準になっていると宣言したことにほかなりませんよね。経済学の言葉ではレントシーキングというわけですが、1時間という限られた時間で、ミクロにしか判断しない事業仕分け人にマクロの政策をミクロに説明できる事業だけが認められる、言い換えれば事業仕分け人の理解できるファンタジーのみが認められるという、見事な本末転倒っぷりに頭がくらくらします。
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