2009年10月27日 (火) | Edit |
野党だった時期なら仕事には直接影響がなかったんですが、政権党となった方々の雇用対策というのがなんともなんともで・・・

マクロの経済政策が全くスルーされる中、予算措置しないことが前提で公共事業はダメ、いくら福祉や介護に人が足りなくても公務員を増やすことなどもってのほか、先進国でもずば抜けて低い国民負担率は固定したままで、どうやって労働需要を増やそうってんだか・・・

それでも相変わらずチホーブンケンしか頭にない政治家首長さんたちは、チホーブンケンで地元に雇用を生み出すとか繰り言ばかりで、壊れたレコードじゃあるまいし・・・

しかも、それぞれの分野で専門的なスキルや知識を持っている官僚がいうことは一切否定し、かといって、地方の現場なるものにそれなりに関わっているチホーコームインのいうことを聞くわけでもありません。といっても実際は、情報統制が徹底されて政権に都合のいい官僚の意見だけが政治主導の名の下に取り込まれていそうですし、チホーコームインもチホーブンケンを礼賛しさえすれば首長に取り入ることは可能ですがね・・・

正直もうやる気がなくなってしまっております・・・

緊急雇用対策なるモノについては拙ブログでいちいち指摘するまでもなく、公労使の方々がそれぞれ適切に批評されていますので是非ご覧ください。どの立場から見ても意図や効果のわからない「雇用対策」って何なんでしょうねえ・・・

(公益(?)側)
湯浅誠風味のお金のつかない緊急雇用対策(2009年10月24日 (土))」(EU労働法政策雑記帳

(労働者側)
10/21 結局政治家の考える雇用対策なんて(2009.10.22)」(きょうも歩く

(使用者側)
新たな予算措置を要しない緊急雇用対策(2009-10-26)
「緊急雇用対策」雑感(2009-10-22)」(吐息の日々~労働日誌~

一点だけ指摘させていただくと、労務屋@保守おやじさんの26日のエントリで

 いっぽうで、「求人開拓と「雇用ミスマッチ」の解消」は重要で、「採用意欲のある中小企業等の掘り起こし」も有意義ではないかと思われます。
(略)
ここには情報不足によるミスマッチが起きている可能性はかなりあり、うまくマッチングを進めることができれば新卒就職対策として効果的なものになり得るでしょう。もちろん、採用する側にも環境整備は必要であり、行政としても単に情報提供だけではなく環境整備への支援も図って欲しいとの思いはありますが…。

新たな予算措置を要しない緊急雇用対策(2009-10-26)」(吐息の日々~労働日誌~
※ 強調は引用者による。


と指摘されている点については、地方自治体が唯一積極的に関与できる雇用対策なので、これでもかというほどやっているところがほとんどではないかと思います。緊急雇用創出事業やらふるさと雇用再生事業やらの基金で非常勤職員(別名「官製ワーキングプア」ですが)が大幅に増員されてますからね。
その結果、(こちらの地元に限っていえばですが)既に地方の中小企業は草刈り場と化していて、今や労働条件の過酷なところが残っているだけとなっており、労務屋@保守おやじさんが介護についてご指摘されているのとほとんど同じ状況になっているようです。打てる手はもうないんですよね・・・

もちろん、政治家の方々がこんな意図も効果もわからない政策を悪意で打ち出しているとは思ってませんよ。ただそこには善意で敷き詰められた道があるだけで、その先には・・・
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2009年10月15日 (木) | Edit |
先日鬼太郎のポスターが貼ってあったのでよく見てみたら、個別労働関係紛争処理のシェア争いに新展開があったようです。

 各都道府県の労働委員会及び中央労働委員会は、「個別労働関係紛争 処理制度」に係る周知月間を創設しました。
 全国共通ポスター等を作成し、10月を同月間として「個別労働関係 紛争処理制度」の広報活動を実施します。


1 趣旨
 雇用形態の多様化、人事労務管理の個別化、労働組合組織率の低下等、労使関係を取り巻く中長期的な構造変化に加え、昨今の経済活動の低迷に伴い、労働関係に関する事項についての個々の労働者と事業主との間の紛争が増加しています。
 都道府県労働委員会では平成13年以降、個別労働関係紛争処理制度(詳細はこちら(PDF:137KB))を設け、これら個別労働紛争の迅速かつ適正な解決に当たっています。
 今般、同制度の周知・広報を通じて一層の利用拡大を図るため、「個別労働関係紛争処理制度」に係る周知月間を定め、全国一斉に周知・広報活動を実施します。

「個別労働関係紛争処理制度」に係る周知月間の創設について(ポスターの作成等)」(中央労働委員会
※ 以下強調は引用者による。


「人事労務管理の個別化、労働組合組織率の低下」って労働委員会が言っちゃっていいんでしょうか? 排他的交渉権を認めず複数組合に個別の労働基本権を認めてきた労働委員会が、同じ企業内で正社員中心の利益団体と少数派正社員による思想集団とに分断され、それらに包摂されない非正規社員は企業外の地域ユニオンがまとめ上げるという、職場単位ではちっとも団結しない労働組合を作りだしたのではなかったですかね? 集団的労使関係構築の支援を本来の使命とする労働委員会が個別労働関係紛争処理の広報活動に力を入れるというのは、とうとう行き着くところまで行ってしまったなあと感慨深いものがあります。

ただ、労働委員会が自らの存在意義を否定しかねない個別労働関係紛争処理のシェア争いに乗り出したのも、昨今の「成果主義」とか「政策評価」の流れからすれば致し方のないものなのでしょう。

(イ) 不当労働行為事件取扱件数(初審) (単位:件)

  係属件数 終結件数








取下・和解 命令・決定

16 823(1) 311 1,134(1) 240 135 375
17 759(1) 294 1,053(1) 273 135(1) 408(1)
18 645 331(2) 976(2) 247 108 357(2)
19 619 330(1) 949(1) 314(1) 147 461(1)
20 488 355 843 210 98 308

※()内は中労委初審であり内数である。
18年の終結計は移送2件を含む。


不当労働行為事件処理状況」(中央労働委員会


◎ 調整事件係属状況及び終結状況

(単位:件)
年別 係属 終結 次年
繰越
前年
繰越
新規係属 取下げ等 解決 不調
・打切
合計
あっせん 調停 仲裁
16年 130
(10)
526
(8)
4 1 531
(8)
661
(18)
147 279
(4)
133
(2)
559
(6)
102
(12)
17年 102
(12)
560
(5)
4 0 564
(5)
666
(17)
139 270
(4)
130
(1)
539
(5)
127
(12)
18年 127
(12)
515
(2)
5
(1)
1 521
(3)
648
(15)
108 289
(3)
173
(2)
570
(5)
78
(10)
19年 78
(10)
467
(3)
5
(1)
0 472
(4)
550
(14)
103
(12)
219
(2)
149 471
(14)
79
20年 79 546
(4)
6
(2)
0 552
(6)
631
(6)
85 264
(4)
181
(2)
530
(6)
101

〔注〕 (1)( )内は特定独立行政法人等関係件数で内数
(2)取下げ等には不開始を含む。


調整事件取扱状況」(中央労働委員会


不当労働行為事件では終結計の事件数が400件前後、調整事件では終結の合計が400~500となっておりますので、全都道府県労委で年間850件くらい処理するとして単純に平均すれば、一都道府県労委当たり年間18件程度の集団的労使関係紛争を処理している計算になります。ただし、実際は東京や大阪など人口の多い都道府県に事件数が偏重しますので、個別に見れば年間に数件しか事件を処理しない労働委員会のほうが大多数となります。

となると、「そんな仕事のない組織なんかムダだ!」とおっしゃる議員さんやらオンブズマンの方々から「ムダの排除」の象徴としてやり玉に挙げられてしまい、地裁レベルではありますが委員報酬の月額支給を差し止める判決が出されたりしております。


「行政委員報酬「月額支給は無駄遣い」 市民オンブズ、県に見直し申し入れ」(2009/04/09 00:00【中日新聞】)

 選挙管理委員など県の行政委員の報酬が月額支給されるのは無駄遣いだとして、市民オンブズマン福井(坪田康男代表幹事)のメンバーが8日、支給法を日額に改めるよう県に申し入れた。行政委員の報酬をめぐっては大津地裁が今年1月、滋賀県に一部委員会への月額支給の差し止めを命じる全国初の判決を下した。各自治体にも見直しの動きがでており、県の対応が注目される。
 地方自治法は行政委員の報酬を「勤務日数に応じて支給する」と規定している。県では実働の少ない収用委員は日額だが、年間10-30回程度の会合を開く選管、教育、監査、人事、労働の各委員は月額で報酬を受ける。 同オンブズマンによると、支給法を月額から日額に改めた場合、1会合当たりの支出額は教育委員会で39万円、労働委員会では134万円も節約できる。同オンブズマンは「収用委員だけが日額であるのはおかしい。(他の委員が)月額支給を受けるだけの合理的な理由が必要だ」と主張している。 申し入れ書を受け取った県人事企画課の片山富士夫課長は「委員には会合以外の職務もあるが、他の自治体の動向も踏まえて見直しの是非を検討したい」と応じた。 (谷悠己)


どちらかというとオンブズマンの方々は一部の労働組合と親和性が高いように思われるところですが、労働委員会委員の任命問題でいつももめているその労働組合からすれば、労働委員会も資本の手先にしか見えないのかもしれません。

さらには、この判決の出る少し前には船員労働委員会が観光庁設置のために廃止・統合されており、その経緯についてはhamachan先生の当時のブログでも呟かれています。

>というわけで、濱口教授の 「もしかして、件数も少ないんだし中労委で一緒にやってよ、ということだとすると、その組織財源は中労委に持ってきていただくのが筋のような気がいたしますね。」 ( 船員労働委員会の廃止?(EU 労働法政策雑記帳(6/29付)))とのご懸念どおり、スクラップ財源に利用して事務はぶん投げるという方針の模様。まぁ、エクスキューズとして定員はなんぼか中労委事務局に振り替えるんでしょうか。ともあれ、また先生のぼやきが聞ける…とか不謹慎にもワクテカしてしまったり(笑)。

http://www.seri.sakura.ne.jp/~branch/diary0708.shtml

いや、今さらボヤきません。そういうことだろうなあとは思っていましたし。なんちゅうか、労働省設置当時に他省と権限を取りあった業務は、炭鉱といい、船員といい、歴史の流れの中で、当該他省の組織財源として移ろっていくものばっかりですなあ、とモソモソ呟いてみるばかりです。
今さらボヤきません(2007年8月14日 (火))」(EU労働法政策雑記帳


そんな船員労働委員会の悲運を目の当たりにした労働委員会側では、「いま最新流行は個別労働関係紛争処理、これ。最強。」とばかりに個別労働関係紛争処理のシェア争いに乗り出して自己の組織の有用性をアピってるわけです。

とはいえ、やはり労働委員会の本来の存在意義からすれば禁断の果実に手を出してしまったというべきではないでしょうか。端的には、一年ほど前のhamachan先生のこちらのエントリで、

もちろん、使用者個人の問題と言うよりは、株主主権論によるコーポレートガバナンス論がはびこり、労働者を大事にするようなけしからん会社の格付けは下げてやるんだこの野郎、みたいな風潮が、マスコミも巻き込んで吹き荒れたことが背景にあるのでしょうが、何にせよ、使用者側が「なんで労働者の権利なんか守ってやる必要なんかあるんだ、コストだけかかって無駄じゃねえか、使い捨てでいいじゃねえか、それでどこが悪いんだ」という風に考えざるを得ないような流れがあったことは確かで、それはマクロ的に長い目で見たらそうではないんだ、ということこそが本当の労働教育ではないか、というのはまさにその通りだろうと思うのですね。

今、労働者の側に「良好な労使関係の構築こそがマクロ的、長期的に労使双方にメリットがあるのだ」ということを教えていって、目の前の問題がすぐに解決するかといえば、そういう訳のものでもないので、現時点の労働教育としては権利教育という形にならざるを得ないと思うのですが、もちろんそれだけで話がすむわけではありません。

その先に、主としては使用者や使用者となろうとする人々に対して、そして国民全体に対して、そういう枠組みの重要さをきちんと教えていくという意味の「労働教育」という課題が待っているのだろうと思います。
社会全体への労働教育?(2008年11月15日 (土))」(EU労働法政策雑記帳


という部分について勝手に「我が意を得たり」と盛り上がって、

私の在籍時は個別労働関係紛争をどこが処理するかという議論の真っ最中でしたが、集団的労使関係紛争に持ち込まない限り労働委員会を利用できないということが組織化のインセンティブの少なからぬ要因となっていたはずで、労働委員会自らがそのタガをゆるめ続けているということも組織化が進まない一因かと。

投稿: マシナリ | 2008年11月17日 (月) 23時33分


などと若干すれ違い気味に反応してしまっておりましたが、労働委員会が個別労働関係紛争処理にうつつを抜かしているうちに、本来の使命である円滑な集団的労使関係構築支援の機能が崩壊してしまっているように思われるわけです。

『新しい労働社会』を改めて拝読してみると、紛争に至ってから慌てて「個別だ、集団だ、三者構成だ」と騒いでも現場の労使当事者にはほとんど意味がないことは明白だろうと思います。重要なのは、普段の同一の職場内において産業民主主義を確立する取組であり、政労使の関係当事者がその重要性を認識することがまず第一歩になるのだろうと思います。

ただまあ、そういった集団的労使関係に存在意義を有する労働委員会が、自らのその役割を見失っているようにしか見えないのが絶望的ではあります。そんな現状認識の甘さが民主党を盲目的に支持してしまうような連合の悪い癖なのかもしれませんけど。

2009年10月10日 (土) | Edit |
政権交代後の混乱ぶりをおもしろく見るために、政権交代の流れに乗って各賞を受賞した飯尾先生の『日本の統治機構』を読んでみました。
日本の統治構造―官僚内閣制から議院内閣制へ (中公新書)日本の統治構造―官僚内閣制から議院内閣制へ (中公新書)
(2007/07)
飯尾 潤

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いやまあ、精神衛生上政治学者のいうことは話半分で聞くことにしているわけですが、「はじめに」に出てきたこの一節で興味が一気に失せてしまいましたな・・・

 本書は、日本における議院内閣制の分析を通し、国会、内閣、首相、政治家、官僚制、政党、選挙制度、制作過程などについて、歴史という縦軸、国際比較という横軸から照射し、日本という国の統治機構の過去・現在を、構造的に解き明かす試みである。
 その際、あるべき政策については、とりあえず脇に置く。そのうえで、望ましい政策を実現するためには、どのような政府構造を採るべきかを考える。いわば、政府の能力を問題にするのである。そして、現代日本政治の実態に即して、その統治機構を解説したうえで、政治の有効性を向上させる方策を提示する。
飯尾『同』p.ii
※ 以下、強調は引用者による。


えええ!? 「あるべき政策」をとりあえず脇に置いておきながら「望ましい政策」なんてものが議論できるんでしょうか? 相変わらず政治学ってのは何をやりたいのかよく分からないガクモンですな。

ただまあ、飯尾本で指摘されている「第1章 官僚内閣制」、「第2章 省庁代表制」、「第3章 政府・与党二元体制」というのは、政治学とか行政学の分野ではこれまでにも研究の蓄積があるものですので、特に目新しいものではないだけに本書の分析もおおむね的確なものだと思います。ところが、その次に出てくる「第4章 政権交代なき政党政治」辺りから話の行方が怪しくなります。

たとえば、

 そこで、議院内閣制では、ある程度安定した議会内多数派が存在することが重要になる。しかも、有権者の選択を重視すれば、多数派が選挙によってつくり出されることが好ましい。選挙によって生まれた多数派が内閣を支えるならば、その内閣あるいは首相は有権者によって選ばれたという民主的正当性を備えるからである。その安定した多数派をつくり出すために、政党が必要なのである。
 しかし、どのように政党が相互に関係しているかを示す政党制(政党システム)からみると、望ましい政党制は、議院内閣制を選択さえすれば実現するというものではない。歴史的に見れば、多くの国で議院内閣制に相応しい政党制は実現しなかったからである。
飯尾『同』p.109


という国際的にみられる事実があるのであれば、政党に過度の期待を持つことは禁物だろうと思うわけですが、

 多くの政治家は「御用聞き政治家」になり、大きな方向性を打ち出すといったことに関心を持たない。有権者からの生の要望を、生のまま「政府」に伝え、自らの影響力を駆使し、それを実現するのが主要な仕事になるのである。
 たしかにこれも、一つの「利益媒介」の姿であるが、民意の集約が抜け落ちる。すなわち、さまざまな利益を統合し、その利害得失を精査し、全体として統一性のある政策を打ち出す機能である
 個別の要求と政策の間には距離がある。税金が安いのに、いろいろなサービスを提供しくれる政府は理想だが、現実的ではない。すべての要求を受け入れることはできないため、要求を制限しながら、受け入れた要求を一般的なものに変換する必要がある。そして政党こそが、こうした機能を果たさなければならないのである。
飯尾『同』p.136


などと、「民意の集約」とか「利害得失を精査」するとかという作業を一緒くたに論じてしまっています。そりゃ、政党が掲げる公約が有権者の投票行動の基礎になることは概念上そのとおりではありますが、だからといって「全体として統一性のある政策」なんてものを有権者一人一人が判断できるという想定は現実的ではありませんね。有権者といったところで、普段は自分の仕事や家庭で手一杯の方々が何年かに一回週末にでも公約とかを見て判断される方が圧倒的大多数なわけで、「多くの政治家が「御用聞き政治家」になる」というのはその当然の帰結でもあります。そしてそれは、確かに日本の特殊的事情もあるとはいえ、「多くの国で議院内閣制に相応しい政党制は実現しなかった」という他国でも普遍的にみられる事実なわけですよね。

結局のところ、ご自分の身の回りの仕事や家庭に直結する(ように思われる)政策を主な判断基準とする有権者が圧倒的大多数であるという前提が覆らない限り、その有権者の合理的無知を最大限活用して得票することが、個々の政治家の当選やそれを通じた党勢の拡大のためにはもっとも効果的な手法となります。このことは今回の衆院選で実証されましたが、その合理的無知を活用してなされた「民意の集約」なるものが、その基礎付けとして「利害得失の精査」を要するものであり、さらにそれらをつなぐ作業として利害調整が必要となるという点について、飯尾本ではほとんど考慮されていません。

典型的には、「民意」だけに支持基盤を持つ政党が天下りを叩いて失業者を路頭に迷わせたり、公共事業の執行停止によって地方への再配分を止めてしまったりという事態が生じているわけです。ところが、飯尾先生のおっしゃる「民意の集約」が、そのような事態が生じた後にどのような利害得失が生じ、それらの補償なりセーフティネットをどのように構築するかまでを射程に入れたものなのか不明なんですね。というか、「利害得失の精査」のみならず補償などの「利害調整」が含まれていなければ、「民意の集約」なるものは単なる理想主義と何ら変わるところがないわけで、それこそ無責任の極みというべきではないかと。

つまりは、「民意の集約」には「利害得失の精査」とそれに基づく補償やセーフティネットの構築が不可欠であり、政治と行政がそれぞれの機能に従ってそれらを担うことが必要である以上、「民意の集約」なるものに基づいた政策の執行は単なる「政治主導」によっては実現され得ないということになります。言い換えるなら、そういった政策の執行に直結する実務を担うのが執行の専門知識と組織を有する省庁とかの役所であって、それはケルゼンが指摘したように政治主導では遂行できない領域なわけです。そのような執行の現場を踏まえて利害調整する役割こそが政党に求められるものであって、確かにこれまでの政権党はろくに利害調整もしない「御用聞き政治家」の集団だったと思いますが、上記のような事態を見るにつけ、では今の政権党にその機能があるかといえば甚だ疑問ですね。

飯尾本ではこの一番大事な論点があっさりとスルーされているわけですが、その理由となっているのは例によってカイカク病のようです。

 このように、部分的には特異なようにみえても、戦後の日本政治には、ほかの議院内閣制諸国に匹敵する政治的実績があり、全体としては「よくやっている」という評価を得て当然であった。日本の政治がどんなに特異であっても、そのことを批判するのは無意味である。しかし、特定の環境によってはうまく機能した仕組みが、別の環境では機能不全を起こすこともある。
 一九九〇年代以降、日本政治の機能不全が明らかになり、さまざまな改革の努力が重ねられながら、なかなか成果が上がらなかったのも、「成功したシステム」を、別のシステムへ移行させるのが難しかったからである。まず機能不全の要因について共通認識がなかなか生まれなかった。そして最盛期にみえた一九八〇年代、戦後日本の政治システムは、すでにその存在理由を失いながら、逆に全力稼働することによって傷口を広げたのである。
 問題は、特定部分の欠陥によって機能不全が起こっているのではなく、政治システムの構成自体に問題がある点にあった。いいかえれば、民主政の不足、政治家の能力不足といったことよりも、民主政の機能の仕方、政治家の活動方向などに問題があったのである。
飯尾『同』pp.176-177


ええと、「成功したシステム」が機能不全に陥ったとして、年功制賃金が成果主義賃金(的な何者か)に置き換えられ、集団的労使関係が労使関係の表舞台から追いやられ、間接金融から直接金融への転換によって株主配当に充てるために賃金原資が取り崩され、中央集権が全否定されて地方分権の名の下に地方財政が切り崩され、破綻してもいなければ破綻する恐れもない年金に対する不安が煽られてきたのが一九九〇年代以降の改革の努力の結果であるなら、成果を上げなくてよかったというべきかもしれません。

確かに傷口は広がりましたが、飯尾先生の論理によれば、それが「民意の集約」ではなかったという点において問題があるらしいですから、同じ結果が「民意の集約」によってもたらされたのであればオールオッケーとおっしゃるんでしょうかね。まあ、「あるべき政策については、とりあえず脇に置く」なんて呑気なことをいえる政治学だったら何でもいえるわけで、政治学者とは気楽な稼業ですなあ。

そのほか細かいところではありますが、「歴史という縦軸、国際比較という横軸から照射し」といいながら、官僚の処遇とか地方分権については歴史的にも国際的にも比較する記述がほとんどないので、羊頭狗肉的な不満が残ります。というか、第2章で官僚の昇進とか意思決定について記述した部分なんかを見ると、飯尾先生は労働政策とか民間企業の人事管理なんてほとんど知らないんでしょうね。自分がおかしいと思うところだけ取り上げて「ナントカ特殊論」とか言い出すのは、「ガラパゴス症候群」とでもいいたくなりますね。