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2009年03月31日 (火) | Edit |
政策というのは、その実効性や効果の度合いによって評価されるものであって、誰がその政策を主張しているかとか、その政策を主張している人がどんな素性かということだけで判断してはいけないと思います。そういう意味では、地方分権を担う人材が必ずしも高い学歴を有する必要はなく、地域の行く末を真剣に考え、地域を活性化させるような元気を与える人であることが大事だと思います。

例えば千葉県民が選んだこの方は、人々にそんな希望と活力を与える一人ではないでしょうか。

千葉の持てる宝を発掘し、一つひとつ丁寧に磨き上げ、輝かせ、県内外に広めていくことが、先人への恩返しであり、次世代、孫の世代に対する私たちの責任ではないでしょうか。
(略)
県政には、夢と希望、そしてチームワークが大切です。“千葉県民力”を結集して新しい千葉の時代をつくるべく、私はここに再チャレンジを決意しました。
森田健作の 輝け! 千葉・日本一


そうおっしゃる政策に賛同を得たからこそ、千葉県民の100万票を超える支持を集めたんですね。では、どんな政策が支持されたのかマニフェストで確認してみましょう。

★ 財政再建の方策!
家計においても、ムダな出費を抑えるなどのやり繰りは重要です。しかし、県財政の再建については、リストラやコストカットだけではもう限界です。やりくり以上に、知事は富を生み出し、増やし、残すこと、県の収入全体を上げることに全力を注ぎます!
p.3

◆ 安全・安心日本一
移動交番と共にみんなで見張る!
千葉県の治安は全国最低レベル。早急な治安向上のため、移動交番を全県下に配備可能にします。
「言われてから出て行く警察」ではなく、「言われる前に出向く警察」となり、犯罪を予防します。
移動交番による広域的な防犯ネットワークを形成し、安全・安心な街づくりを推進します!
p.4
政党より県民第一輝け千葉・日本一(マニフェスト)(注:pdfファイルです)」(森田健作の 輝け! 千葉・日本一
※ 強調は引用者による。


・・・なんとなく「監視国家」という言葉を連想してしまいそうになりましたが、いやそんなはずはありません。実際に、昨今の人件費削減や人員減のあおりを受けて、ほとんどの交番では警官が外に出払っていることが多いわけですから、それを逆手にとって「移動交番」と名付けたセンスの良さが光りますね。

特にも、アクアラインの通行料引き下げは森田氏の悲願だったようです。

●アクアライン800 円を起爆剤に経済活性化!
昨今の世界的な景気の落ち込みによって、県内経済も大きな打撃を受けていますが、危機に瀕した県財政を建て直すためには、まず何よりも千葉県の持つポテンシャル(潜在的能力)を最大限に発揮させることが不可欠です。
そのためにも、まず4年前の知事選で公約に掲げたアクアライン通行料800円を実現します。東京湾アクアラインは1.4兆円という巨額の費用で造られ、借金の利息だけでも毎年450 億円にも及びます。平成19年度の通行料収入が165億円ですから、毎年、利息も払えないような大赤字であり、ただ手をこまねいているのが現状です。
そこで思い切って、現在の普通車通行料3,000円(ETC 2,320円)を800円に値下げすると、交通量は今の2倍になります。これによる波及効果は、アクアライン周辺のみならず、首都高速湾岸線や国道14号・国道16号をはじめとする県内全体の幹線道路の渋滞を緩和でき、Co2削減などの環境対策にもつながります。
このアクアライン800円を実現すれば、通行料収入そのものは少し減りますが(約2割)、それをはるかに上回る毎年404億円の直接的経済効果<主に燃料の節約と時間短縮効果>があると試算されています(アクアライン800円実現化推進協議会)。
また、観光客や通勤者が増えることによって、産業振興や新規雇用の創出、地価の向上や他交通との統合などにより、数千億円規模の間接的経済効果が生まれると試算されています。大幅な値下げを実現することによって、これほど大きな経済効果が見込めるのです!
『同上』p.8
※ 強調は引用者による。


通行料を4分の1近くにまで下げると交通量が2倍になるそうですので、アクアラインにおける交通需要の通行料に対する価格弾力性は1よりかなり小さいような気もしますが、交通量が2倍になることで直接的経済効果が毎年のフローで404億円も発生するので、トータルではペイするという計算ですね。交通量が増えれば観光客も通勤者も増えるというのは、マスコミによく過剰推計だと叩かれている国土交通省の需要予測なんぞとは精度が違うのでしょう。

・・・うーん、何とか千葉県民の選択の理由を探ろうと思ったんですが、どうもしっくり来ませんねぇ。と思って読み進めてみたら、これが一番支持されたんじゃないかと思う政策がありました。

●日本一の千葉ブランド品を知事自ら国内外にPR!
そのため、よりいっそう安全・安心な農産物の提供や環境保全型農業を推進し、県独自の認証制度を導入するなど県内産品のブランド化を積極的に推進していきます。また、国内だけでなく、海外に対しても、知事自らが先頭に立ってPR を行い、千葉ブランドを確立させていきます。
『同上』p.19
※ 強調は引用者による。


あぁ、やっぱり宮崎県とか大阪府と同じように、PRになるくらいの知名度があればよかったんですね。直接選挙で選ばれる知事選が人気投票化することは当然の成り行きとはいえ、現行制度の枠組みにおいて千葉県民の支持を受けて当選した以上、森田氏にはその支持を内実のあるものにしていただかなければなりません。
まあ、そうはいっても、行政の長でもある知事にはチホーブンケンとかギョーセーカイカクとかいって県庁の組織をいじれば成果を上げたことにできるという逃げ道があるので、チホーブンケン教は絶対に負けないんですけども。

もちろん、チホーブンケン教では往々にして善意と熱意があれば細かいことは問わないという風潮がありますし、改革バカも同じような傾向がありますが、逆に言えば、もし仮に軽犯罪を犯した人であっても、その主張が理論的に正しければ、その主張自体が否定されるべきではありません。その主張の個々の論点については是々非々で判断するべきであって、人格やその行為などで判断するのはフェアではないでしょう。

「小泉ブレーン書類送検の余波…脱衣場でブルガリ窃盗 上げ潮派らの政府紙幣論議も後退」(ZAKZAK 2009/03/31)
 小泉政権のブレーンで、「霞が関埋蔵金ハンター」としても知られる元財務官僚の高橋洋一・東洋大教授(53)が31日までに、警視庁練馬署に窃盗容疑で書類送検された。
(略)
 それだけに自民党有力筋は「自民党は麻生首相の不人気、民主党は小沢一郎代表をめぐる西松建設事件を抱える状況となり、『自民党内で新しい旗を立てる』という中川氏や第3極をめざす渡辺氏にとっては歓迎する流れだった。だが、ブレーンがこれではトホホだ。政府紙幣論議も後退するだろう」とみる。

 高橋容疑者が衣服に埋もれた財布や腕時計を埋蔵金と勘違いしたかは不明だが、発掘の対価は大きいようだ



       / \  /\ キリッ
.     / (ー)  (ー)\      
    /   ⌒(__人__)⌒ \    <重要なのは政策の中身であって、
    |      |r┬-|    |      誰が言ったかではない。
     \     `ー'´   /
    ノ            \
  /´               ヽ              
 |    l              \
 ヽ    -一''''''"~~``'ー--、   -一'''''''ー-、.    
  ヽ ____(⌒)(⌒)⌒) )  (⌒_(⌒)⌒)⌒))


          ____
        /_ノ  ヽ、_\
 ミ ミ ミ  o゚((●)) ((●))゚o      ミ ミ ミ    <衣服に埋もれた
/⌒)⌒)⌒. ::::::⌒(__人__)⌒:::\   /⌒)⌒)⌒)    財布や腕時計を
| / / /      |r┬-|    | (⌒)/ / / //    埋蔵金と勘違い
| :::::::::::(⌒)    | |  |   /  ゝ  :::::::::::/     しただけだおwww
|     ノ     | |  |   \  /  )  /  
ヽ    /      `ー'´      ヽ /    /     
 |    |   l||l 从人 l||l      l||l 从人 l||l   バ   
 ヽ    -一''''''"~~``'ー--、   -一'''''''ー-、 ン
  ヽ ____(⌒)(⌒)⌒) )  (⌒_(⌒)⌒)⌒)) バ
                             ン

念のため、個人的にはリフレ政策は積極的に実施するべきだと考えておりますが、何度も書いているように「リフレ派」だからといってその主張すべてに賛同できるわけではありません。高橋洋一氏についていえば、マクロ政策についてのご見解はまことにまっとうなものだと思いますが、埋蔵金を含めてその他では典型的なチホーブンケン教かつ改革バカと認定できると思います。その理論が導出される経路において「リフレ派」の考え方が重大な影響を及ぼしている*1のであれば、「リフレ派」であっても個々の主張に対しては明確に反対の立場をとらざるを得ないというだけのことです。




*1 それが人格や行為に現れている場合は、間接的に人格を含めて判断していることになってしまいますが。
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2009年03月29日 (日) | Edit |
もうだいぶ前のエントリになってしまいましたが、hamachan先生が改めてチホーブンケン教の本末転倒ぶりを指摘されています。

本ブログの方針として、新聞報道だけであれこれ書かないことにしているのですが、連合が昨日早速事務局長談話を発表しているので、それを紹介しておきます。

http://www.jtuc-rengo.or.jp/news/danwa/2009/20090324_1237890166.html

>昨年12月8日に地方分権改革推進委員会がまとめた「第 2次勧告」は、ハローワークの漸次縮小および地方への移管、都道府県労働局をブロック機関化し地方厚生局と統合することを求めていたが、今回の工程表にはこれらは盛り込まれなかった。厳しい雇用・失業情勢が続き、労働行政の役割の重要性が高まる中で、当然の判断である。

これはもう、誰が考えても、いまこの時期にそんなもの打ち出したらどうなるか、常識のある人ならわかるはずのものです。
(略)
まあ、現実の具体的な中央省庁の出先機関がどれだけきちんと仕事をしていて、あるいはしていないか、というところから出発するのではなく、チホー分権という絶対真理を実現することが自己目的化した方々が多すぎたということでしょうか。

各分野の出先機関の統廃合の是非はそれぞれにそれぞれの分野ごとに吟味して、必要があれば断行すればよいのであって(まさに必要がある分野もあるのでしょうから)、これをもって、脊髄反射的に「骨抜き」とか書いてしまう一部マスコミの単細胞も猛省が必要ですが
出先機関改革に係る工程表への連合談話(2009年3月25日 (水))」(EU労働法政策雑記帳
※ 強調は引用者による。


その地方分権改革推進本部がまとめた工程表が先日Web上にアップされたようで、これが見事な官庁文学にまとめられています。特にこの辺りを一読して理解できる方がいれば、その方はかなりの霞が関通ではないかと。

5 改革大綱策定後の取組み

ア 改革大綱の策定後、政府は、事務・権限の見直しや地方公共団体への移譲等のため必要となる措置、組織の改革及び地域との連携・ガバナンスの確保の仕組みの詳細設計、人員の移管等のために必要となる措置等についてさらに具体的な検討を進め、新たな出先機関の体制の発足に向け、法制上及び財政上の措置を含めた所要の措置を講ずる

イ 事務・権限の見直しや地方公共団体への移譲等及び新たな出先機関の体制への移行は、この工程表の策定後おおむね3年程度の移行準備期間を設けて実行に移すこととし、平成24年度から実施することを基本とする。その間においても、可能なものは、速やかに実施する
このため、所要の法律の制定・改正については、必要に応じ一括して行うこととし、改革大綱の策定後、速やかに法制化の検討を進める
資料1 出先機関改革に係る工程表(案)(注:pdfファイルです)」(地方分権改革推進本部(第6回)議事次第
※ 強調は引用者による。


こういう官庁文学を読むときには、「等」の位置と述語の使い方に細心の注意を払ってみると、この表現に行き着くまでに何があったかを想像することができます。例えばアについては、「~等についてさらに具体的な検討を進め」というところで、直前に列記した項目はきちんと踏まえますよという宣言をした上で、「~に向け」、「~を含めた所要の措置を講ずる。」として、具体的なことはこれからだけどそれに向けてこれから明らかになるであろう「所要」の措置は講じますよという見事に前向きな書きぶりになっているわけです。
さらにイでは、「可能なものは、速やかに実施する」とまで言い切ってますし、また「速やかに法制化の検討を進める」と、少なくとも検討することだけは確実に行われることになっているんですね。

こうしてみると、この官庁文学が政府のこれからの活動をかなり縛っていることが分かると思います。その上で、具体的な検討内容や実施内容については最低限必要なことから確実に実施しましょうという、実に現実的かつ誠実な態度を示したものであることは評価すべきだと思います。

もう少しぶっちゃけていえば、始めに結論ありきでカイカクを迫る政治家や市民のみなさまのメンツを保ちつつ、結果的に拙速な改革に走ってしまうことを避けようとする官僚の精一杯の歯止めがこの官庁文学を生み出しているのであって、それを「改革の後退」とか「骨抜き」としか読めない(読もうとしない)マスコミとどちらが国民のためを考えているのかは一目瞭然だと思うのですが。

この点については、権丈先生が

「両論併記が目立つ」とか「明確な結論が見あたらない」と書いている新聞もあるけど、それは、読解力の問題だ――いや、官僚のねらいどおりの解釈(笑)。複数のプリンシパルに仕えなければならず、それはそれなりに立場があって、最後の手柄は政治家に残していなければならない彼らがまとめる報告書の文章を、(責任のある立場にない)政治家や利益集団、そしておっちょこちょいの研究者集団が書く政策提言書と同じ読み方をしていては、ただの無能の評価を受けるだけ
勿凝学問222 民主主義における力・正しさ・情報の役割――「高齢者医療制度検討会」における「ポンコツな医療保険」発言以降考えていること(2009年3月21日)(注:pdfファイルです)」(http://news.fbc.keio.ac.jp/~kenjoh/work/
※ 強調は引用者による。


とおっしゃるように、いろいろな立場からの相矛盾する要求を入れながらある程度政府自らを縛り、それでも政策決定を通じた制度設計に慎重であろうとする官庁文学を読みこなせないマスコミの無能さを嘆くしかないのかもしれません。




ついでに、文字化けして読みにくいんですが、拙ブログの「中央集権っていつの話? (03/15)」というエントリに、「今日の論点!by 毎日jp & Blog-Headline+:道州制と地方分権改革 by Good↑or Bad↓」というところからトラバをもらっていました。

「毎日jp」内の勝間氏の記事をネタにしたエントリだったのでトラバもらったんだろうと思いますが、先ほど確認してみたところ、Goodが170pt、Badが-5ptで合計165ptとなっているようでした。そのほかの投票数の多いブログを拝見する限り、そちらと比較すれば思いのほか拙ブログのBadが少ないので、少しは道州制の無理筋ぶりがご理解いただけたのかなと安堵した次第です。

まあ、拙ブログへの投票自体が低調ですので、チホーブンケンそのものに否定的なブログにはあまり関心が持たれていないというだけのことなんでしょうけどね。




(追記)
引用させていただいたhamachan先生のエントリで指摘されているような西尾先生の葛藤ぶりについては、拙ブログだと「手段の目的化(前編)2008/10/24(金)」と「手段の目的化(後編)(2008/10/25(土))」で取り上げさせていただいておりました。

第一次チホーブンケンカイカクの旗頭であった西尾先生も、もしかするとそのうち、

「「チホーブンケン」は悪魔の思想だ!!広がる格差、止めどない環境破壊、迫り来る資源不足。すべての元凶はチホーブンケンそのものにあった!「チホーブンケン」の旗手と言われていた著者が、いま悔恨を込めて書く懺悔の書。」
(ネタ元)

資本主義はなぜ自壊したのか 「日本」再生への提言資本主義はなぜ自壊したのか 「日本」再生への提言
(2008/12/15)
中谷 巌

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なんて本を書いてしまいたい心境なのかもしれませんね。もちろん、今の西尾先生のお立場と世論の中でそんなことはできないでしょうけど。

2009年03月27日 (金) | Edit |
久しぶりに時事ネタですが、WBCで一番印象に残った選手のコメントはこれ。

青木「流れを呼ぶ力を意識した」(2009年3月25日22時59分 スポーツ報知)

 (今回のチームは)監督、コーチ、選手、一人一人の存在感がチームにいい雰囲気を持ってきて、強い結束力を生んだと思う。今回も上の(世代の)選手…イチローさん、小笠原さん、城島さんだったり稲葉さんだったり、(上の)選手の負担になることはやりたくなかった。僕(らの世代)が引っ張るくらいの気持ちで試合に望みました。
※ 強調は引用者による。



今回のメンバーがオールジャパンといえるベストメンバーかどうかというのは、所属球団の事情などもあって異論のある方もいるでしょうが、少なくとも野球を職業とする日本人ではトップクラスの人材が集まったチームであることは間違いないと思います。その一員としてプレーした青木選手のこの言葉に、今回の日本代表チームの個々の選手の能力の高さはもちろん、チーム全体のモチベーションの高さが現れているように感じました。

個人的な経験ですが、トップクラスの人材にしか通じ合えない部分での意思疎通ができるような集団になると、その意思疎通のためのコストが軽減されて、仕事の効率は飛躍的に増加します。そうなると、自分のスキルを発揮することがさらに容易になるためにモチベーションも上がり、それが同時にスキルの向上をもたらすという好循環が生まれます。今回の優勝についての見方はいろいろあるでしょうけど、日本がほかの国の代表チームに勝っていたのは、そのようなトップレベルの選手による結束がもたらしたモチベーションの高さではなかったかと思ったわけです。

ただ、そういう状態ってのはなかなか外部には伝わりにくいところがあって、結果が誰にでも分かるようなもの(世界一!とか)ならともかく、後から効いてくるような作業だと特に「あいつらの話を聞いても専門用語ばっかりで何やってんだかよく分からん」と言われてしまいかねません。つまり、ごく普通にテレビ中継をみたり新聞の解説を読んでいる我々のような一般市民が、自分などは足元にも及ばない国内有数の能力保持者によって繰り出される一挙手一投足を、だからこそ気軽にあれこれ批判できてしまうように、専門性の高い制度設計や政策決定についても好き勝手に批評できてしまうわけです。

まあプロ野球というのは人気商売ですから、とにかく結果を残して注目を集めることが必要不可欠であって、その結果に応じてきちんと報いられるようになっているシステムさえ機能していれば、そういう好循環も生まれやすいのだと思います。では翻って、日本でトップクラスの頭脳を持つキャリア官僚の集団である霞ヶ関はどうでしょうか?

キャリアとかカンリョーとか一緒くたに言ってしまいますが、誰にだって普通の人とたいして変わりない人生があって、その中で個々の官僚が専門性を身につけて存在感を増していき、そのオールスターによって制度設計を行うのが日本の官僚制でした。しかし、そのような制度設計を担うための頭脳的な耐性を測るための試験が廃止され、その努力に応じた素早い昇進が封じられ、組織の世代交代のために必要な肩たたき対策としての天下りが禁止されようとしている中で、日本の制度設計を担う人材がその能力を発揮することができるのか、とても不安になります。

プロ野球なら実生活への影響は微々たるものですが、日本の制度設計を誤ると我々自身の生活にダイレクトに跳ね返ってくるわけです。政治家もマスコミもこぞって安易な政策批判を繰り広げてしまう風潮は、あまり好ましいとは思えないというのは拙ブログでさんざん書いていることではありますが、青木選手の言葉にふと遠い目線になってしまいました。

2009年03月23日 (月) | Edit |
基本的に言いっぱなしのブログなもので、これまで取り上げたネタのその後はあまりフォローしてませんでしたが、いろいろと動きがあったようなのでメモ代わりに。

まずは「民意至上主義の一つの姿(2009/01/20(火))」で取り上げた阿久根市では、反市長派がかろうじて過半数を獲得したようです。

選挙:鹿児島・阿久根市議選 反市長派9議席、不信任再可決へ(毎日新聞 2009年3月23日 東京朝刊)

 鹿児島県阿久根市の出直し市議選(定数16)は22日、投票された。ブログでの「辞めさせたい市議アンケート」など、過激な言動で不信任を決議され、議会を解散した竹原信一市長(50)の賛否を争点に、16議席を23人(前職11、新人12)で争った。市長派は5人が上位で当選。反市長派は9人にとどまったが、当選した中間派の2人は市長に批判的で、不信任案は再可決される公算が大きくなった。

 投票率は78・32%。不信任案を再可決するには、3分の2以上の議員が出席し過半数が賛成することが必要で、反市長派が11議席を獲得できるかが焦点になっていた。【福岡静哉】


不信任案を再可決するだけの議員はそろったようですので、(マスコミ風に言えば)今度こそ市長についての市民の審判が下されることになることになるのでしょう。ま、よそ様の自治体のことですから、どっちにしろ拙エントリで書いた以上の感想はありませんので、生暖かく見守っていきたいと思います。




次は「動かさないでください(2009/03/02(月))」の最後で取り上げた「バンキシャ!」の凡ミスについては、

去年の11月23日に
全国の自治体の裏金問題について放送しましたが、
4つの自治体のケースを紹介する中で、
岐阜県庁の職員に200万円の裏金が振り込まれたという内容を
建設会社の元役員の証言としてお伝えしました。

しかし新たに行った日本テレビの取材に対し、
元役員は証拠とした銀行の送金記録は自ら改ざんしたもので
岐阜県庁側に裏金を送金した事実はなかったと証言を翻しました。
2008年11月23日の放送について」(バンキシャ!


となんとなく被害者的なアナウンスとともにトップが引責辞任という形になって、番組自体の存続も危ぶまれているようです。ただまあ、引責辞任と言っても、

「日テレ久保社長辞任 「バンキシャ!」虚偽証言報道で引責」(東京新聞2009年3月17日 朝刊)
 日本テレビの報道番組「真相報道バンキシャ!」が虚偽の証言に基づいて岐阜県の裏金問題を報じた問題で、同局の久保伸太郎社長(64)は十六日、会社の信用を大きく失墜させたとして、同日付で社長を辞任した。細川知正(のりただ)会長(68)が社長を兼務し、久保氏は代表権のない相談役に退く。 

 また、同日までに足立久男報道局長を罷免し、出勤停止三日としたほか、袴田直希報道局次長を同三日、番組の担当プロデューサー、総合演出、担当デスクの三人を同五日の懲戒処分とした。


だそうで、民間だから「天下り」とは言わないんでしょうけど、相談役って天下りよりもオイシそうな気がしますが気のせいですかそうですか。

ついでに、

「【芸能ニュース舞台裏】打ち切り4度目、ツラい福澤」(ZAKZAK 2009/03/23)
 フリーの立場は、もっとツラい。日本テレビ「真相報道 バンキシャ!」が誤報問題で、社長の引責辞任は当然だが、番組自体の存続も危ぶまれている。もし、そうなると、キャスターの福澤朗が、フリーに転向してから番組が打ち切りになるのは4度目だ。


福澤アナとか古館アナとか局のプロレス中継で名をあげた方々ってのは、報道番組でもプロレスが大好きのようですが、個人的にはそういう報道は百害あって一利なしだと思いますので、さっさと報道番組からは退場していただきたいもの。好プレー珍プレーのナレーションで名をあげたみのアナも、結局はシリアスな問題を珍プレーにあげつらってるだけだし。

で、地元ブロック紙での原因究明記事によるとこんなことが書かれてますが、

「証言「信じ込んでしまった」 日テレ・バンキシャ取材ずさん」(中日新聞2009年3月18日 朝刊)
 証言者の逮捕に続いて、トップの引責辞任に発展した日本テレビの番組「真相報道バンキシャ!」の虚偽証言報道問題。岐阜県の裏金を証言した元建設会社役員のウソをなぜ見抜けなかったのか。放送内容や日テレ、県の説明を検証すると、証言内容を十分に確認しないままうのみにするなど、取材のずさんさが浮かび上がった。
(略)
 日テレによると「バンキシャ!」は、全国の裏金問題を取材するチームを編成。インターネットのサイトで情報提供を呼び掛け、元役員から情報が寄せられた。岐阜県は社員と制作会社のディレクターら9人が担当。元役員には社外ディレクターが最初に接触。「思い込みを含めて信じ込んでしまった」(総合広報部)とする。
(略)
 番組では、元役員の証言として年間500万-1000万円の裏金を捻出したとしているが、県によると、元役員の建設会社が受注したのは2006、07年が1件ずつ。昨年は1件も受注していない。

 県は、公金支出の詳細をホームページで公開。受注状況を確認するのは容易だったが、日テレ側はそうした裏付けをしなかった

 番組では「ほかにも10社ほどが裏金づくりに協力していると業者は話した」と報道。ここでも裏付けは「多分していない」(総合広報部)としている

※ 強調は引用者による。


いや、岐阜県がどうのとか日テレがどうのという個別の話をする前に、プロレス中継アナがキャスターになるくらいのマスコミ報道なんて、ことマクロ経済政策とかチホーブンケンとかコームインカイカクに関して言えば同じレベルじゃね? と思ってしまいました。




そのチホーブンケンについてですが、「中央集権っていつの話?(2009/03/15(日))」でとりあげた勝間氏のクロストークではベストアンサーが決まったそうで、勝間氏のコメントが掲載されていました。

また、賛成派の人、反対派の人、どちらも地方自治について、何らかの改革が必要であるということについては、強いコンセンサスがあると感じました。ただ、方法論が道州制が最適なのかどうかについて、まだすべての人の合意が取れるほど、具体的な方法やメリット・デメリットが煮詰まっていないと感じました。

したがいまして、クロストークでは、主として今後、以下の論点についてのヒアリングをしていきたいと思います

1. 地方自治体の最適サイズをどこに置くべきなのか。歴史的背景を考えつつも、現状の仮説を立てるべき

2. 道州制以外の選択肢も幅広く見るべき。例えば、一部の都道府県の合併や税金権限委譲などを含め、道州制に偏らない、新しい自治の形をとるべき

3. 東京一極集中に対する道州制の移行を具体的にどのような手続きで行える可能性があるのか、また現状経済圏が強くない州をどうやって軌道に乗せるのか

4. 税源の移譲、国と道州制と都道府県の役割分担について、これまでの道州制の議論でどこまで煮詰められているのか

5. 仮に道州制が導入されたときに、どこまでの自治を認めるのか。異なる税法や法律を認める考え方はあるのか
「道州制の導入を」まとめと考察
※ 強調は引用者による。


大学在学中に公認会計士試験に受かり、各方面でご活躍中の勝間氏に対してこういう言い方をするのは非常に僭越とは存じますが、「賛成派の人、反対派の人、どちらも地方自治について、何らかの改革が必要であるということについては、強いコンセンサスがあると感じました」って、だから素人が首を突っ込むとそういう議論にしかならないんですけどね。そもそも、こういう議論をするために、いくらかでも日本や各国の地方財政制度を調べたり、現場での財政を運用する組織やその実務を調べたり、そこに至る歴史的経緯や財政学(公共経済学)の理論を勉強したんでしょうかね。

念のためお断りしておくと、素人が議論することを批判しようという意味ではなくて、そうやって議論が煮詰まっていないと感じたのであれば、政府見解や学説では議論がどこまで進んでいるかとか、実際の実務はどうなんだとか調べようとするのがマナーってものだろうと思うわけです。特に、勝間氏が示した5項目のうち2の制度的な話以外は財源が絡む話なので、そういった歴史や経済学の理論を抜きには議論できないんですが、にもかかわらず、「クロストークでは、主として今後、以下の論点についてのヒアリングをしていきたいと思います」って、結局ネットで意見を募るだけですか。・・・それってなんて民意至上主義?

日テレが「インターネットで情報提供を呼びかけ」て「裏付けをしなかった」ために誤報を打ち上げた教訓が、他山の石として生かされることはないようですね。

そのほかにも、ここのコメントには民意なるものを考えるときのサンプルになりそうな意見があるのでいくつか取り上げてみようかと思ったんですが、長くなったのでまたの機会に。

2009年03月20日 (金) | Edit |
しつこいんですが、湯浅氏の大仏次郎論壇賞受賞作をネタに社会保障について書いてみます。これで最後です。
<これまでの関連エントリ>
活動する財源は誰が負担するのか (03/08)
誰を叩きたいのか (03/15)
反貧困―「すべり台社会」からの脱出 (岩波新書)反貧困―「すべり台社会」からの脱出 (岩波新書)
(2008/04)
湯浅 誠

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再々ですがお断りしておくと、個人的には湯浅氏の行動は一定の評価は可能だと考えておりますので、今回はその評価が可能だと思う部分を中心に。

失業した方々への援助をするにあたって、湯浅氏の団体ではちょっとした工夫をします。それは、失業した方々に対して一定の負担を求めるというもので、ここでは「たすけあい金」と呼ばれています。

そのとき、「支払っていたんだから受け取っていい」という心理的機制の働くことは、アクセスに当たってのハードルを大きく下げる。「たすけあい金」は、自分が支払い続けてきたことの結果として受給の資格を得る。その仕組みは、「自助努力の過剰」に押しつぶされずに給付や相談のサービスにアクセスすることを可能にする。生活保護申請には多くの人が抵抗感を持っても、失業給付を受け取るのに躊躇するという話は聞いたことがない。だとすれば、本来は妥当ではない「自助努力の過剰」を逆手にとるようなサポートの仕組みを考えればいい。そこで、互助制度と情報提供を通じて、接点を増やし、心理的なハードルを下げることを企図した。
湯浅『同上』p.163
※ 強調は引用者による。


こうしてみると斬新なアイディアに見えるかもしれませんが、自らが払うことで給付が受けられるというのは普通の保険の考え方です。多数の人々がリスクをプールし合うことによって、局所的に生じたリスクに対して給付するというのが保険の仕組みなわけで、これを逆にいえば保険を支払わない人にはリスクに対する給付が支給されません。

制度としての社会保険が必要とされるのはまさに後者の理屈によるもので、民間の保険ではクリームスキミングによってリスクの高い人が保険者によって排除されてしまうという問題が生じるために、現代の福祉国家では強制加入の社会保険が導入されています。ただし、歴史的背景や国情によっては、その強制加入の範囲が限定されているところも多く、ドイツではギルド的な職域を単位とした社会保険制度となっていますし、極端なところでは個人加入のアメリカのような国もあるわけで、強制加入の制度があるからといって必ずしも国民皆保険となっているわけではありません。

ということで、日本の国民皆保険は、自営業が対象の国民保険、企業従業員が対象の健康保険、公務員が対象の共済組合という形で、職域ごとの強制加入制度がすべての職域をカバーすることによって成り立つという、世界的に見ても整備された制度となっています。職域ごとに保険制度が変わっているのは、理論的にはリスクをプールする保険制度である以上、職域ごとに異なるリスクに対応する必要があるからというのがその理由になりますが、歴史的な経緯からすると、日本が参考にしたドイツが職域ごとに分かれていたからというのが実態に近いようです。

というような歴史的経緯などを踏まえて考えてみれば、社会保険を通じた所得再分配政策というのは国民の労働形態を前提に設計されなければならないわけで、現状のように、職を失った人が自営業が対象の国民保険に流れ込んでしまうというのは、当初想定されていない事態が生じているといえます。しかも、その国民保険は市町村が保険者となっているために、十分な規模の被保険者を有しない(人口の少ない)市町村では十分なリスクプーリングや保険者機能を発揮することもできず、いったん高度のリスク(高額医療や重篤疾病の頻発など)が発生すれば保険料にダイレクトに跳ね返るという仕組みになっています。1999年の地方分権一括法により、この傾向はさらに顕著になっており、市町村単位で決められる国保税(国民保険料)では5~6倍の格差が生じています。

ところが、所得再分配を求める活動をしている湯浅氏にしてこの認識。

労働分野と生活(福祉)分野の連携が、社会保険のセーフティネットを焦点化するに至ったことには、必然性があったのだと思われる。私たち自身、企画当初は意識していなかったが、社会保険のセーフティネットは、日雇雇用保険が日雇い派遣労働者の生活安定に不可欠であるように、労働問題に密接に組み込まれつつ、同時に生活保護への防波堤的・予防的役割を果たしている。福祉国家とは、三層のセーフティネットが相互に補い合い、接合し合うことを通じて人々の貧困かを防ぐ国家である。労働と生活(福祉)の視点を重ね合わせて貧困を見たときに、その相互補完の欠如・未接合の中核に社会保険のセーフティネットの問題が意識されてくることは、当然といえば当然だった。
湯浅『同上』pp.166-167
※ 強調は引用者による。


収入の糧がないということと仕事がないということは表裏の関係であって、社会保障とは仕事のない/できない状態に対応するための仕組みなわけですから、「企画当初は意識していなかった」という時点で、湯浅氏が何を目的としてこの活動をしているのか判然としません。まあ活動家だからということで片付けてしまえばそれで済むのかもしれませんが、問題なのは一般的な認識も湯浅氏のそれと大差ないだろうということです。

目の前の失業者をかわいそうだと思うこと、救おうとすることは人間として大切な感情ですが、それを制度として策定して運用するためには、単に「シェルターを作れ」では済まないわけです。必要な財源を確保しながら、労働のインセンティブを削らず、さらに湯浅氏のいう「自助努力の過剰」を防ぐために雇用保険という制度があるのであって、それを埋蔵金と呼んでほかに使えというのがいかに暴論かは明らかでしょう。

毎度のhamachan先生経由ですが、

 もう1つは、労働保険特会である。先に指摘したとおり、雇用保険料が高すぎるのか、0.8兆円もカネが余っている。にもかかわらず、一般会計から毎年0.2兆円が投入されている
 すき焼き三昧の離れに、粥をすすっている母屋から仕送りをする必要はなく、すぐ停止すべきだ。「骨太2006」では、社会保障費の自然増分を年に 2200億円ずつ抑制するとされ、それは難しいと厚生労働省は文句をいっている。だが、自分たちがもっている労働保険特会の埋蔵金だけで解決できる。さらに、労働保険はストックベースでも4兆円以上余っているので、それらを取り崩しながら、長期的に維持可能な社会保障システムを考えたらいいだろう。
 こうしたお金をうまく使わなければ、無駄なお金といわれてしまうだろう。
埋蔵金6兆円で好景気に」(Voice+
※ 強調は引用者による。


というのをみるにつけ、高橋洋一氏がこういうことを強調するたびにリフレ派にはどうしても与する気がしなくなるわけで、個人的に湯浅氏を評価したくなるのはこういった社会保障や再分配政策はもちろん、マクロの経済政策に国民が関心を持つきっかけになりうるのではないかという淡い期待があるからです。

そうはいっても、

民営化(私企業化。privatization)と規制緩和によって、さまざまな市場外領域を市場化していくことは、自由な競争による効率化のために必要だと言われてきた。「護送船団方式」が象徴的なターゲットになった。
(略)
しかし、「効率的なもの」が勝利する社会は、必ずしも自由な競争を実現しない。その「効率」は少なからぬ場合、資本投下によって生み出されているからだ。多くの資本を投下されたものが、望ましい効率性を身にまとい、市場で生き残り、そこで蓄積された富が次の効率性を生産する。企業は国からさまざまな優遇措置を受けて、子は親から高い教育費をかけてもらって、初めて市場的な優位を獲得している。
湯浅『同上』pp.210-211
※ 強調は引用者による。


こういう意味不明な効率性批判を展開する始末。効率と資本投下の関係がよくわかりませんし、まさにその資本投下の対象を変えるのが所得再分配政策ですから、それを否定してしまったらご自身で自分の主張を否定していることになりませんかねぇ。

まあ結局湯浅氏に期待するのはムリポなわけですが・・・

2009年03月15日 (日) | Edit |
新聞記事をチラ見したときは人選が書いてなかったんでスルーしてましたが、人選が記載してあるネットの記事を見てびっくりしました。

「麻生首相:有識者83人の意見聞く 経済危機克服へ--5日間で」(毎日新聞 2009年3月14日 東京朝刊)

 政府は13日、麻生太郎首相が有識者から経済財政政策について意見を聞く「経済危機克服のための有識者会合」の開催を正式発表した。5日間にわたり、知事や経営者ら各界の有識者計83人を首相官邸に招く。首相自身が幅広い意見に直接、耳を傾け、経済対策に生かそうとの発想だが、有名人を多く入れ、景気対策に取り組む姿勢を国民にアピールするためのパフォーマンスの色彩も濃い
(略)
 有識者会合の主なメンバーは次の通り。

 ▽中谷巌・一橋大名誉教授▽リチャード・クー・野村総合研究所主席研究員▽安西祐一郎・慶応義塾塾長▽野依良治・理化学研究所理事長▽勝間和代・経済評論家▽橋下徹・大阪府知事▽東国原英夫・宮崎県知事▽日野原重明・聖路加国際病院理事長▽湯浅誠・反貧困ネットワーク事務局長▽松井道夫・松井証券社長▽小宮山宏・東京大学長▽御手洗冨士夫・日本経団連会長


・・・中谷氏、R・クー氏、勝間氏、橋下氏、東国原氏、湯浅氏という人選は「国民にアピールするためのパフォーマンス」と指摘されても仕方ないでしょうなあ。

ただし、官邸のホームページで全体の名簿をみてみるとそれほど偏った感じはしません。とはいっても、今や飛ぶ鳥を落とす勢いのこれらの方々がもっとも大きな発言力を持つことは想像に難くないわけで、むしろ、与党側からはもっと露骨な人選要求が出ていただろうに、このくらいの人選でとどめた官邸のスタッフの方々の踏ん張りを多としなければならないのかもしれません。それにしても、小泉劇場とかポピュリズムとかは新自由主義で日本を破壊したとかいって皆さんコリゴリなはずなんですけど、こうやって形を変えればまだまだポピュリズムもイケてるということなんでしょうか。

というわけで、R・クー氏と勝間氏についてはこれまであまり取り上げたことがなかった気がするので、今回は通り一辺倒の道州制を提案されている勝間氏のご見解を確認してみましょう(HALTANさんのところで「州都を中心に現場に近いところで意思決定がスムーズに行えるようになるとかいう話? それ自体が「神話」だと思う、という話をマシナリさん(machineryの日々http://sonicbrew.blog55.fc2.com/)や拙ブログは延々としているのですけどね。」と言及いただいたので、というわけではないんですが)。

 今回は、日本にも道州制を導入し、地方の活性化と競争力強化を図ろうという提案です。
 日本の行政が中央集権的になっているのは、明治維新を契機として、一挙に欧米に追いつくべく、効率を重視して地方分権をあえて制限したという理由があると考えています。ところが、すでにキャッチアップした今でも、中央集権的な行政体制は変わっておらず、予算編成や法制度の新設、改定などの際の非効率な部分が目立っています。
勝間和代のクロストーク:みんなの経済会議/11 道州制の導入を」(勝間和代のクロストーク


巷の週刊誌や啓蒙書にはいまだにこういう枕が使われるんですが、それをきちんと実証した文献なんてのはないんですね。実際に江戸時代から明治時代にかけての統治機構の整備の歴史をひもといてみれば、地方分権的なイメージで語られる江戸時代の藩だって江戸幕府の強大な権力の下にあったわけで、それを天皇制で再編したのが明治政府なわけです。江戸城に皇居が構えられたのはその象徴ですね。

おそらく現在は中央集権だという認識からスタートして、官僚制ができたのが明治時代だからその前は地方分権だったに違いないという短絡的な想像で書いているんでしょうし、行政学の教科書なんかでも江戸時代の地方統治が明治維新で断絶してしまっているような記述のものが多いんですが、それこそ想像力が欠如しているように思います。現代のような情報化社会ならともかく、大政奉還があったからといって、江戸時代の特に地方の人々の生活が一変するはずもなく、ゆっくりと旧体制から新体制へと移行していったと考えるのが自然でしょう。

歴史的経緯を確認してみると、明治2年の版籍奉還、明治4年の廃藩置県で一気に中央集権を進めようとして失敗し、明治11年に「三新法(Wikipedia)」(群区町村編成法、府県会規則、地方税規則)が制定されるという第一の地方分権の揺り戻しがあります。その後さらに、地方自治を強化しようとした山県有朋によって、明治21年に市制町村制、明治23年に府県制と群制が制定されるわけで、明治の当初から地方分権と中央集権のせめぎ合いは続いていたわけです。

もっとさかのぼるなら、江戸時代の参勤交代制に象徴される中央集権体制に不満を抱いていたのが薩長土肥の倒幕勢力として結実し、彼ら地方の志士によって進められたのが明治維新の中央集権だったわけで、中央集権なるのものが突然発生したのでも何でもなく、江戸幕府の中央集権体制を倒した地方の志士がその遺産をより強化したのが明治政府だったともいえます。それに対して、戊辰戦争で幕府側についた地方が官軍によって徹底的に痛めつけられ、その反動として地方分権を指向する勢力が各地にくすぶっていたからこそ、山県有朋による地方自治の強化が進められたり、その後の大正デモクラシーにおける「両税委譲運動(Wikipedia)」という動きが生じることになります。

現在でも「中央はもっと地方の声を聴け」なんてことが主張されているわけですが、そうした地方の志士が自分の思うように中央政府を動かそうとしたのが明治政府以来の中央集権体制であったという史実を、もう少し謙虚に考えてみるべきでしょう。そうした視点から見ると、上記の有識者の中に今をときめく大阪府知事や宮崎県知事が入っていることに既視感を覚えてしまいます。

というわけで、勝間氏の道州制論は枕の部分でアウトですから、これを元に議論されているらしいクロストークなるものが建設的な議論になるとは到底思えません。実際に寄せられたコメントを見てみると、道州制に賛成だろうが反対だろうが「中央集権はもはや制度疲労を起こしていて、地方分権しなければ日本はダメになる」という点では共通しているようです。そういう対立の問題ではないというところにたたき台を設定して初めて建設的な議論が可能になるんですが、勝間氏にその役を求めるのは酷というものでしょう。

ところが、勝間氏はこのクロストークでの議論を積極的に政策提言されていくおつもりのようです。

 これらの論点については、これまでと同じく、関係省庁や閣僚、議員や有識者の方々と議論のたたき台とさせていただく所存です。 今後の経過や結果についてはこれまで通り、またクロストーク上で報告をさせてください。
最低賃金 1000円に増額(2009年1月09日)」(勝間和代のクロストーク


この最低賃金についての議論もそうですが、たたき台になると思っているのは、勝間氏がその分野についての素人だからであって、特に左右も貧富も関係なくそのような議論が寄せられている関係省庁からすれば「やっとその程度の議論か」というところでしょう。しかも、そのたたき台なるものが上記のような事実誤認に基づくものであるなら、たたき台どころか、議論はいつまでたっても前に進まないことになるんですけど。

それにしてもこの記事も、

「経済対策有識者会合、霞が関主導に限界 “即効薬”を期待 (3/3ページ)」(MSN産経ニュース2009.3.13 23:08)
 政府側が有識者会合に期待しているのは、即効性のある対策だ。政府内では羽田空港の再拡張をはじめとする公共事業の拡充や地球温暖化対策を景気浮揚に結び付ける日本版「グリーン・ニューディール」構想の具体化が検討されている。だが、「いずれも将来の財産にはなるが、完成には数年かかり、即効性に問題がある」(政府関係者)という。裏返せば霞が関主導の対策が限界に来たため、外部の英知に頼らないと経済危機を克服できない危機感の表れでもある。


外部の英知ですか・・・

2009年03月15日 (日) | Edit |
前々回エントリに引き続いて、湯浅氏の出世作を題材に官僚叩きの見当違いを考えてみます。

反貧困―「すべり台社会」からの脱出 (岩波新書)反貧困―「すべり台社会」からの脱出 (岩波新書)
(2008/04)
湯浅 誠

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再びお断りしておくと、個人的には湯浅氏の行動は一定の評価は可能だと考えております。ただし、その方向性や方法論には同調できない部分が多々ありますので、今回はその部分を中心に。

まず、湯浅氏の問題意識があらぬ方向へ向かっていくポイントとなるのが、この辺からのようです。

実際問題として中卒や高校中退の人たちが、そう簡単に正社員になれるような雇用状況にあるだろうか。
(略)
本来ならば、その人たちには、少しでも安定的な雇用環境に就けるよう、支援を先行させるしかない。「就けそうだから支援する」という順番を入れ替えて、「支援して(たとえ正規雇用でなくても)就けるようにする」しかない。そのときに利用できる制度は、日本の前制度を見回してみて、現行では生活保護制度しかない。現に、これまで〈もやい〉に相談に来た人たちの大半は、生活保護を利用して就労自立に向けた条件整備をしてきた。
湯浅『同上』p.120


政府の就労支援を受けるためには「就業できること」が要件となっていることを批判した部分なんですが、ここだけ読むとなにやら政府が支援しないから就職できないということになりそうですが、それこそ本末転倒というものでしょう。「実際問題として中卒や高校中退の人たちが、そう簡単に正社員になれるような雇用状況にあるだろうか」とおっしゃるなら、まずは景気回復しなければ何をしてもゼロサムになるだけで効果はありません。

「(職に)就けそうだから支援する」か、「支援して就けるようにする」かという順番が問題なのではなく、そもそもの就職先のパイが減少していることが問題なわけです。現に、急激に売上げが落ち込んでいる製造業では非正規社員の雇い止めや新規採用の抑制が広がっていますが、その一方で、これまで人手不足が深刻だった建設業、小売業、サービス業などでは、全産業の平均以上に新規採用を増加させていますし、製造業や金融業であっても増加させると回答した企業も少なからず存在します。

企業からは、「現在の経済情勢下で、正社員の新規雇用はリスクが大きすぎる」(書籍・映像サービス、北海道)や「業績見通しが立たない段階での新規採用は考えられない」(鉄鋼・同加工品卸、東京都)など、急激な景気悪化で業績の先行きが見えないことにより採用を抑制しているという声が多く挙がった。他方、正社員雇用を増加させる企業からは、「こういう時こそ即戦力の経験者を中途採用するチャンス」(建設、栃木県)や「正社員を募集しても来ない地域でも、現況では補充が可能になった」(食料飲料卸、長崎県)といった意見も多く、地方圏や中小企業などこれまで採用が困難であった企業において、優秀な人材を確保する機会と捉えている
TDB景気動向調査(特別企画):2009年度の雇用動向に関する企業の意識調査 正社員採用、約5割の企業で「予定なし」 ~ ワークシェアリングは約4割の企業が「推進すべき」、課題は「従業員の士気低下」 ~(2009年3月4日)」(帝国データバンク


雇用不安という言い方をされるとすべての産業ですべての求人が減ってしまうように思ってしまいますが、その中にはマッチングの問題で生じた人手不足を解消する方向で作用する部分もあります。典型的にはよく農業とか福祉が雇用の受け皿になるなんていう話が出てきますが、それはただ単にこれまで働きやリスクに見合った所得が得られないとして敬遠されて人手不足が深刻だった産業に人が流れざるをえなくなっただけのこと。景気の低迷によって職を失い、生活のために背に腹は代えられない人がそういう産業に流れるとしても、その論理によるならば、景気が回復してほかに高い所得が得られるようになれば、その方々は元に戻ってしまうことになります。それは流入した労働者にとっても、受け入れた産業の側にとってもいいことばかりではないでしょう。

さらに農業に関していえば、もともと大部分をしめる個人営農の実態は兼業農家であって、その兼業先が建設業だったり製造業だったわけで、兼業農家ですら製造業で就業できずに所得が減っている状況で、その製造業からの労働力を受け入れる余裕なんてありません。結局経済全体のパイが増えなければすべての産業が縮小するというのは当たり前のことなんですがね。

しかし、他に方法がない。目の前にいる人に「残念だけど、もう死ぬしかないね」とは言えない以上、残るは生活保護制度の活用しかない。それを「ケシカラン」という人に対しては、だったら生活保護を使わなくても人々が生きていける社会を一緒に作りましょう、と呼びかけたい。そのためには雇用のセーフティネット、社会保険のセーフティネットをもっと強化する必要がある
湯浅『同上』pp.132-133


話が二段か三段くらい飛んでしまっていて、「セーフティネット」と呼ばれる制度さえあればいいと思っているのかもしれませんが、セーフティネットがきちんと機能するためには、その制度を隅々まで行き渡らせるためのマンパワーが必要だということは、「活動家」である湯浅氏こそが一番分かっているはず。その制度を担うためのマンパワーを擁する組織が行政であって、その組織を維持しつつ給付をまかなう財源を徴収するのもの行政なわけですから、そうおっしゃる湯浅氏なら厚生労働行政を担う厚労省の味方かと思いきや、こんな発言をするからワケが分かりません。

徐々に慣れさせていけば、どれだけ切り下げても死にはしない、と言っているようなものだった。江戸時代の統治者が言ったという「生かさぬよう、殺さぬよう」を思い浮かべた。すべて厚生労働省のシナリオ通りだった
検討会は、厚生労働省に対する歯止めにならなかった。この日から、私たちの活動の舞台は厚生労働省から国会に移った。検討会のお墨付きを得た厚生労働省を止められるのは、もはや国会しかなかったからだ
湯浅『同上』pp.196-197


逆だよ、逆!厚労省が必死に抵抗したのに、国民の熱烈な支持を背景に小泉内閣がそれを「抵抗勢力」として社会保障の切り下げを進めたんです。国会の与党も野党も厚労省をやり玉に挙げているからこそ厚労省のそういった正論が通らなかったんであって、湯浅氏の行動はその国会の流れに棹さすことにしかなりません。この点は、後期高齢者医療制度を巡る騒動のときに現役官僚のbewaadさんが的確に指摘しているとおり。

仮に後期高齢者医療制度が批判されるべきものであるとして、であるならばそれが向けられるべきは小泉元総理であり、竹中元経済財政担当大臣であり、経済財政諮問会議でしょう。厚生労働省に対しては批判よりもむしろ、「あなたたちの見通しが正しかった。あのときに抵抗勢力扱いして、あなたたちの声に耳を傾けなかった自分たちが間違っていた」といった謝罪があってしかるべきです(後期高齢者医療制度が批判されるべきならば、という前提に立っています。為念)。しかるに現実は反対で、小泉元総理や竹中元大臣には依然として改革の推進者として賛辞が寄せられ、批判の矢面に立つのは厚生労働省なのですから、やってられなくなるのも無理はありません。
厚生労働官僚のモラールが崩壊しかかっている件(2008-06-25)」(BI@K accelerated: hatena annex, bewaad.com


実は、こうおっしゃるbewaadさんご自身は本書について「著者の立ち位置を考えれば中立的であろうと心がけていることがよくわかり、許容範囲内というにwebmasterはためらいません(湯浅誠「反貧困」2008-09-14)」とされていますが、個人的にはだからこそ、もう一歩進めてマクロ政策の必要性にまで言及しようとしない湯浅氏に幻滅するのです。

先駆けて警告を発する者たちを自己責任論で切り捨てているうちに、日本社会には貧困がまん延してしまった。最近になってようやく、切りつけていたのが、他人ではなく自分の手足だったことが明らかになってきた。野宿者が次々に生み出されるような社会状況を放置しておくと、自分たち自身の生活も苦しくなっていく。労働者の非正規化を放置し続ければ正規労働者自身の立場が危うくなる、と気づき始めた。しかし同時に、今度は「生活保護受給者がもらいすぎている」「給食費を払わない親がいる」と、依然として新たな悪人捜し、犯人捜しに奔走してもいる。
手近に悪者を仕立て上げて、末端で割り食った者同士が対立し、結果的にはどちらの利益にもならない「底辺への競争」を行う。もうこうした現象はたくさんだ。また同じことを繰り返すのだとしたら、私たちはこの一〇年でいったい何を学んだのか
湯浅『同上』pp206-207


そのお言葉にのしをつけてお返しいたします。

2009年03月10日 (火) | Edit |
前々回エントリは政権交代が自己目的化した野党を念頭に置いて書いたものでしたが、それもあくまで政権与党に対する野党の行動という相対的なものであって、いち早く民主党が与党となっている小沢王国ではこんな一幕があったようです。

MSN産経ニュース「岩手県知事が議会で土下座 「補正予算通して」(2009.3.6 23:04)

 岩手県議会は6日開いた本会議で、政和・社民クラブから提出された本年度一般会計補正予算修正案を賛成多数で可決した。これに対し、達増拓也知事は県議会では初の再議権を行使したが、その際、「ぜひ補正予算を成立させてほしい」と全議員に向かい2度にわたって土下座するハプニングがあった。

 補正予算案には、県医療局が策定した県立6医療機関の入院ベッドを廃止する無床化計画に関連し、とりあえず4月から無床化される5地域診療センターから患者や家族などを基幹病院に無料送迎するマイクロバス5台の購入費(2300万円)が計上されていた。

 しかし、5日の常任委員会で、無床化の一時凍結などを要請している政和・社民クラブが購入費を削除する修正案を所管の総務、環境福祉委員会に提出。両委員会とも賛成多数で可決されたため、6日の本会議に修正案が諮られた。

 結局、本会議でも民主・県民会議所属議員以外の26人全員が賛成し、26対20で修正案は可決されたが、あくまで無床化計画の実現を目指す達増知事は即刻、再議書を議長に提出した。再議権を行使する際、知事は自席の前に出て土下座したほか、休憩をはさんで再開後にも3列に分かれた議員席の前でそれぞれ土下座し、議場内を驚かせた。

 県議会事務局によると、知事が再議権を行使したのは初めてで、土下座したのも初めてという。


ちょっと構図がわかりにくいんですが、知事と与党側が公立病院の経営が厳しくなったために一部の公立病院を無床化する計画を策定し、その代わりに、無床化した地域から患者がほかの病院へ通うために運行するバスの購入費を予算に計上したところ、その予算案が議会の野党の反対によって廃案になってしまい、知事が再議を求めて県議会議員を前にして土下座したということですね。

結局は、民主党が与党になったとしても、自民党も社民党も野党としてその政策には反対するという「野党根性」を発揮するしかなくなるわけで、政権交代を巡って時間や予算という貴重なリソースが費やされていく状況を見るにつけ、政権交代ってそんなに必要なことなのかという疑問がぬぐえません。

で、実際のところはどうなの?という点については、地元新聞では地元の医療関係者のコメントとともに、野党議員の本音を掲載しています。

「「実態踏まえ議論を」 無床化案で県議会空転」(2009/03/07)

 こうした状況について、県立宮古病院に勤務経験のある熊坂義裕宮古市長は「県議会は医療現場とあまりにかけ離れている。医師が減り、県内でもどんどん医療崩壊が進んでいるのに、非現実的な議論で反対ばかりを唱えている」と批判。

 県立病院に13年間勤務経験のある二戸市堀野の薬剤師森川則子さん(55)は「病院の現状を理解していないから反対しているのではないか。住民の気持ちも分かるが、こういうときこそ、議員は県内の現状を理解して住民に教える役割がある」と不信感を募らせる。

 県立中央病院の佐々木崇院長は「それぞれの立場はあると思うが、中途半端な結論は許されない。医療局にとって、今回の計画は(岩手の医療を守るための)最初のステップ。もう一度医療体制をつくるためには、地域の自助や互助も求められている」と冷静な議論を求める。

 県議会は昨年12月定例会で新経営計画案の撤回を求める請願を賛成多数で採択。2月定例会前の2月16日には議員有志26人が県と県医療局に計画の一時凍結を求める要請を行った。

 しかし、医師不足の現状や勤務医の過重勤務の実態は次々と表面化しており、一時凍結を求める議員からは「振り上げたこぶしを降ろせなくなっている」と本音も聞かれる


・・・それにしても、野党に回った自民党ならまだしも、「弱者の味方」がメシの種でおなじみの左派政党までもが住民の意に沿って病院計画に反対するというのは、分かりやすくも分かりにくい構図ではあります。「政権交代」なるものを巡って繰り広げられる足の引っ張り合いのデメリットに、小沢王国の皆さんはそろそろ気がついてもいいんではないかと。

公立病院といえば、銚子市でもこんな騒動が起こっています。

【共同通信】「銚子市長解職の住民投票告示 市立病院休止が争点」(2009/03/09 10:45)

 千葉県銚子市の市立総合病院の休止問題を争点に、岡野俊昭市長に対するリコール(解職請求)の是非を問う住民投票が9日、告示された。
(略)
 岡野市長は2006年7月、病院存続を公約に掲げ、初当選。しかし経営悪化と医師不足を理由に、昨年9月末に休止。反発した市民団体「『何とかしよう銚子市政』市民の会」(茂木薫代表)が今年2月、有権者数の3分の1を超える約2万3000人分の署名を集め、リコール請求した。


「病院存続公約に掲げ」た市長が廃止を決断せざるを得ないということは、もしリコールが成立して現市長の対抗馬が「病院存続を公約に掲げ」て当選したとしても同じことの繰り返しになるんでは? リコールだって選挙だってお金も時間もかかるわけで、こういう堂々巡りをしている暇と金があったらほかにできることを探した方がいいんではないかと思われます。「チホーブンケン」とか「地元のことは地元で決める」といったときにはよく「中央集権のムダを排除しなければならない」という論理がセットになっていますが、チホーブンケンのこういうコストはムダではないんでしょうか?

そういうムダっぽいことを先頭に立って進めているのは誰かというと、

「千葉・銚子の市長リコール、住民投票告示…市立病院休止で」(2009年3月9日15時20分 読売新聞)

 リコールを求める市民グループ「『何とかしよう銚子市政』市民の会」(茂木薫代表)は午前9時から市内の事務所で、街頭宣伝の出陣式を開いた。

 茂木代表は、「市民の多くの気持ちは固まっている。市民への説明が不十分な中で、病院休止が強行された」と語った。市民の会は、住民投票のために有権者の3分の1を超える署名を集めている。

 一方、岡野市長は正午過ぎ、市役所で記者会見し、リコール運動の不当性を示したパネルを掲げ、「医師不足や財政難が病院休止の原因。リコールで病院を抱える全国の市長が困っている」と訴えた。市長の支援者でつくる「真実を知らせる市民の会」(白土勝彦代表)も街宣車を走らせた。


・・・どっちも「市民」の方ですかorz

2009年03月08日 (日) | Edit |
この年度末は、元々が「2009年問題」と呼ばれる派遣労働者の雇用問題が控えていた時期にリーマンショックが重なってしまい、さらに春闘の時期とも重なっていろいろと労働行政に動きがありそうです。

で、昨年末の「年越し派遣村」騒動以降トリックスターとして君臨されている湯浅誠氏が今回も「シェルター拡充を!」という動きを見せようとしているようですが、氏の著作にして、大仏次郎論壇賞受賞作品を改めて読んでみました。

反貧困―「すべり台社会」からの脱出 (岩波新書)反貧困―「すべり台社会」からの脱出 (岩波新書)
(2008/04)
湯浅 誠

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初めにお断りしておくと、個人的には湯浅氏の行動は一定の評価は可能だと考えております。ただし、その方向性や方法論には同調できない部分が多々あるために、読み方が批判的になっていることは否定できませんので、その点を割り引いてお読みください。

この本は第一部と第二部に分かれていて、第一部はデータや他の文献からの引用を交えながら貧困の「現状」を訴える内容となっています。引用するデータや文献の扱いに恣意的な意図を感じましたが、ここは湯浅氏の認識ということでそのまま読みました。

で、第二部から湯浅氏の「提言」が述べられていくわけですが、まずは「年越し派遣村」騒動につながっていったであろう湯浅氏の考える戦略が述べられます。

十分な資力を持たない一市民が政治に働きかけていくためには、社会や世論を媒介させる必要がある。個々の小さな活動も、マスメディアを始めとしたさまざまな媒介項(メディア)を通じて伝えられ、多くの人の目に止まって現状や認識が共有され、社会化され、「世論」となるこで、無視できない「力」となる。
もちろん、一つ一つの活動や取組みが真に必要で意義を有するものであれば、マスメディアに取り上げられず、正解に認知されていなくても、他者の共感を呼び、社会的に伝播していくだろう。
読者の中には、これから述べることが、いわゆる「政策提言」の形に練り上がっていないことに不満を感じる人がいるかもしれない。個々の活動とは「小さい」話であり、政策とは「大きい」話である。小さい話をしても仕方なく、大きなところでどうするかを考えなければならない、と。しかし、大きな話を引き寄せるのは、個々の小さな活動である。そして、そこからしか見えてこないものもある。制度をどう変えるかという視点も、現存制度の中でぎりぎり格闘するところから出てくる場合も少なくない。
「市民(citizen)」という言葉もすっかり人気がなくなった。市民という言葉には、国の動向とは別に、社会の一員としての立場から社会的に必要と感じられることを自主的に行う人々、という意味合いが込められていたように思う。それは、「国民」とも「会社員」とも「労働組合員」とも、「家族の一員」とも「地域の一員」とも違う、「社会」に対して責任を持とうとする存在のはずだった。
「反貧困」を担う活動が、1人でも多くの「市民」によって担われ、「社会」に働きかけ、政治を変え、日本社会総体において貧困問題がスタートラインに立つことを、私は願っている。
『同上』pp.109-110


これは、以前HALTANさんに言及いただいたときに途中で終わってしまっていた部分でしたが、改めて読んでみるとHALTANさんがおっしゃることがほぼそのまま書かれていたようですね。

状況が変化したきっかけは、二〇〇六年七月のNHKスペシャル『ワーキングプア』である。日本の貧困層を「プア(貧困)」というタイトルの下、正面から取り組んだこの番組が注目を集めたことにより、貧困問題におけるマスコミ内部での関心が高まり、〈もやい〉にも取材が殺到するようになる。そして、朝日新聞の山内深紗子記者が「現住所 ネットカフェ」を書き(二〇〇六年一一月二日付夕刊)、彼/彼女らの存在が初めて社会的に知られた。
二〇〇七年一月二八日には、日本テレビの水島宏明解説委員が『NNNドキュメント〇七 ネットカフェ難民』を制作・放映。映像に映し出された「ネットカフェ難民」の実態は、多くの人に衝撃を与え、以後同様の報道が相次いだ

(略)

ネットカフェで寝起きする人たちから相談を受け始めて四年余、最初の報道が出てから一年半、このプロセスの渦中にいて感じたのは、ひとたび貧困問題として社会的に共有されれば、待ったなしで政策的対応を呼び起こすという事実だった。この問題では、政策的に対応されるまでの一連のプロセス(個々の相談・対応→報道による社会化→国会質疑→省庁による調査→対策)が矢継ぎ早に踏まれていった。貧困の実態を突きつけられれば、厚生労働大臣としても「好きでやっているんだろうから、放っておけばいい」とは言えない。それが、自己責任論の及ばない貧困問題のもつ「力(訴える力、説得する力)」だった。
『同上』pp.114-116


湯浅氏のおっしゃる「社会的に共有される」ということの帰結が「待ったなしで政策的対応を呼び起こす」ということであるなら、それはあまりに短絡的に過ぎるように思います。もちろん、このような活動によって食うや食わずの生活から一時的にせよ脱することができた方がいたということは「事実」でしょうが、それに対する「政策的対応」が本当にその人を救っているのかはまた別問題でしょう。湯浅氏ご自身が「大きな話を引き寄せるのは、個々の小さな活動である」とおっしゃるように、その「小さな活動」によっ引き寄せられた「大きな話」について、それが人々の制度に対応する行動をどのように変えたかという功罪を検証することが不可欠です。

ところが、どうも湯浅氏にはそんな認識はないようで、「3月までにシェルター拡充を」と国会で要求していることについて、HALTANさんもこのような懸念を示されます。

「『派遣村』を全国に拡大する」・・・これ、とんでもないことだ。もしこの「シェルター」の設置に成功すれば、労せずして数万~数十万単位の「動員」が可能になる。この「シェルター」の存在自体がそのまま、貧困者を人質に、生存権を盾に取った国家転覆デモと化す。生存権を盾に取られれば誰も何も言えなくなることをこのノンセクト活動家はよく知っている。生保も大盤振る舞いされるのだろうか。失業者が一足飛びに生保とは、hamachan先生などがいちばん恐れていたシナリオだろう。もちろん、この湯浅氏の提案が公に大々的に実行されなくても構わない。このままだと3月危機は現実化するだろうから、そこで第二の「派遣村」を独自にまた立ち上げればよいのだ。そしてそこでこう言えばよい「政治が、社会が、この人たちを見捨てたんだ!」と
[床屋政談・ニュース速報]1991年以降の不毛な18年間が生んだ「湯浅誠」という怪物がいよいよ本性を現した。・・・そして日本は地獄となる。(2009-02-17)」(HALTANの日記


下っ端のチホーコームインの見立てでもこれはかなり現実味のある話のように思われます。このような議論に常に欠けているのは「誰が負担するのか」という議論なわけですが、特別会計の埋蔵金を使ったり、大企業の内部留保とか高所得者層への累進課税さえすれば財源がわいてくると考えている方々からすれば、そういう財源に手をつけようとしない(ように見える)行政やコームインに対する要求が苛烈になることは容易に予想できますからね。

それと、この本を通底している活動家視点というのが個人的には非常に気になりました。

・・・御存知の通り、自分自身はあの辺の人に対してはもっと単純に考えています。ああいう人には元々が本気で貧困者を救う気など初めからなかった、それだけのことなのでは? あの人たちは運動の快楽に取り憑かれてそこから抜け出せなくなっているだけなのですよ。湯浅さんもピース・チェイン・リアクションhttp://youth-forum.soc.or.jp/members/PeaceChainReaction.html から野宿者運動にシフトしてきた人みたいですし、ノンセクト界隈をウロウロしているうちに貧困支援運動に辿り着いた人、以上のものは自分は何も感じないんですね。
[床屋政談]いや、まああの人たちは初めから貧乏人を本当に救いたいわけじゃないんだろうし・・・。(2009-02-07)」(HALTANの日記


HALTANさんがおっしゃるこの点についても、この本の中で明確に述べられています。

さらに、表2には反映させられていないが、それぞれの活動を中心的に担う人々は、活動家・法律家・研究者などさまざまである。またそれぞれの活動は同時に、セーフティネットの欠落部分に着目し、そこからこぼれ落ちる人たちを食い物にして貧困を固定化することで利潤を得る「貧困ビジネス」(第五章参照)と対峙する関係に立ってもいる。
『同上』p.125


法律家や研究者の前に一番に出てくるのが「活動家」なんですね・・・
そして、この本の最後の最後で、その活動家に対する報酬が少ないという本音が炸裂します。

私の知っている活動家たちは、そのほとんどがワーキング・プアである。〈もやい〉ででどれだけ膨大な相談件数をこなしていても、一銭の儲けにもならない。〈もやい〉は、月額わずか六〇万円の人件費を四人、五人で分けている有様だ。先駆的な活動をしている労働組合の人たちも同じだ。多くの人たちを虐げて莫大な利潤を上げる人たちがいる一方で、彼/彼女たちの活動が、この日本社会の生きづらさを、それでもこの程度に押し留めている。本当に必要なことをしているのは、政治家や官僚たちではない。この社会がその活動に報いられないのだとしたら、何のための社会なのかと、本気で疑う
『同上』p.223


やっぱり先立つものがないと活動できないということはご自身が一番よくおわかりのようで、かといって役所に頼るのは癪だから誰かきちんと報いてくれとのことのようですが、誰に報いてほしいんでしょうか? ご自身が「「貧困ビジネス」と対峙する関係」とおっしゃる以上、まさか救済した貧困に苦しむ方から報いてほしいということはないでしょうから、ほかの誰かなんでしょうか? もしそれが大企業や高所得者からの再分配であるなら、それを権力によって実効あるものにしている行政というソリッドな組織のマンパワーこそが重要なんですが、「本当に必要なことをしているのは、政治家や官僚たちではない」とおっしゃるなら、それもご自身でやるという覚悟があるとでも?

この点については湯浅氏にかなりの事実誤認があるように見受けられますが、長くなったので続きはまたの機会に書いてみようと思います。

2009年03月02日 (月) | Edit |
すなふきんさんのここ一連のエントリはどこかで聞いた話だと思ったら、

「国民はもっと経済学の知識を身に着けるべき」というのはたしかに正論だ。しかしそもそも経済学やマクロ経済政策の考え方自体が難解であり一般の人にとって感覚的に捉える事が困難なので、最近はこうした発想はあまり現実的ではないような気がしてきた。そのような啓蒙には自ずから限界があるし、おそらくは目立った効果はないんじゃないかと思う。


nanahusi 国民の一時期の感情に乱されず、官僚や政治家が高度に専門的な知識の元に政策を決定するところが間接民主制のいいところだと思ってたのに……。


ハテブでもこんな指摘があったが、そもそも間接民主制が採用された、あるいは多くの国で依然機能し続けている背景としては、専門知識のない一般国民の代理人として政治家や官僚が政策を行う、という大原則があったと思う。
■[経済][政治]国民の代理人としての役割について(2009-02-28)」(すなふきんの雑感日記
※ 強調は引用者による。脚注は省略させていただきました。


権丈先生が「代考士」という言葉を流行らせようとしていたのを思い出しました。

 本当に困ったことに、世の中、大切なことは複雑なんです。重要なことは簡単には理解できない。だから、みなさんに代わって考えるわれわれ――みなさんに代わって事を議する人たちを代議士と呼ぶように、みなさんに代わって考える人たちを代考士と呼べないものかと学生に提案したこともあるのですけど、流行りそうにありませんね、この代考士――に、考える暇が与えられているはずなんですけど、最近は、この代考士さんたちもなにかと忙しいようで、なかなか立ち止まって考えようとしない。だから世の中の論が、乱されるままに乱れてしまっているのではないか。ゆえに世論はおおかたいつも間違ってしまうことになる。なんともそういう感想なぞを、近頃はいだいております。
首相の失言は優しく忘れてあげましょうよ、それが大人というものでしょう――厚生・共済年金一元化と「追加費用」――」(勿凝学問43 2006年4月27日 注:pdfファイルです)
※ 強調は引用者による。


まあ、権丈先生も「代考士」という方々がきちんと考えているわけではないとおっしゃるように、一般の方々のために考えるというより、一般の方々がそうであってほしいと考えることを考えているだけというべきかもしれません。その間隙を縫って政権交代をしようとする輩がいると必然的にこうなります。

 最近、日曜日の大河ドラマなんかをみていると、腹が立ってくる場面がある。毎週毎週、主人公夫婦は、「功名、功名」と連呼しているんだけど、彼らが功名をあげるためには戦いくさがなければならない。でも、戦ってのは、どうしても民を疲弊させてしまう。こうしたデリカシーに欠ける場面をみていると、今の政治シーンが重なってしかたがない。政権交代につながる政局ってのは、ようは与党がやっていることを野党が批判してはじめて生まれる局面なんだけど、実に厄介なことに、与党の悪政と政局の勃発とが、必ずしも1対1の対応をしないのである。
 国民(投票者)が公共政策に関して完全情報をもっているのであれば、与党の悪政と政局の勃発は1対1の対応をなすのかもしれない。けれども、ほとんどの場合、国民は公共政策に関して不完全な情報しかもっていない。したがって、野党は、巧妙な情報操作をすることにより、与党の善政を相手取って政局に持ち込むことも可能となってしまう。その時、災難なのは、国民
「同上」
※ 強調は引用者による。


引用されている大河ドラマがちょっと懐かしいんですが、拙ブログで取り上げた中では前回エントリとか、懐かしつながりでいうと自らの保身のために堤防を破ろうとした野心家(注:リンク先はネタバレを含みます)がちょうどダブっていますね。

で、すなふきんさんが直近のエントリで、

マスコミの活動を企業のマーケティング戦略同様に捉えれば、世論誘導により一定の政治的効果をもたらすまでに持ってゆくことは十分可能だろうと思う。ただ問題は、その結果として出てきたものが国民全体にとって概ね望ましいものであったかどうかということだ。個人的にはマスコミが引っ掻き回したことによるデメリットの方がメリットを上回ってしまっている可能性の方が高いと思えてしょうがない。
■[政治][社会]マスコミは神か何かか?(2009-03-01)」(すなふきんの雑感日記
※ 強調は引用者による。


と危惧を抱かれている好例が日テレの「日本を動かすプロジェクト」という日本崩壊キャンペーンです。というか、この本のタイトルなんとかならんものか。
ACTION日本崩壊―五つの難問を徹底追跡するACTION日本崩壊―五つの難問を徹底追跡する
(2008/12)
日本テレビ報道局

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現物は見てないし見たいとも思わないんだけど、その中でも官僚叩きに余念のない「バンキシャ!」がこんな凡ミスをやらかしたり。

日テレ、岐阜県に謝罪 裏金問題で虚偽証言放送」((01日 23:24))
 岐阜県は1日、昨年11月に放送された日本テレビ系の報道番組「真相報道バンキシャ!」に出演した建設業者の男が県の裏金問題について虚偽の内容を証言していたと発表した。日本テレビは同日夜に放送した番組の中で「新たな取材に対し男が(これまでの)証言を翻した」と釈明。放送内容に誤りがあったことを認め「視聴者、岐阜県庁などに迷惑をおかけしました」と謝罪した。

 県は同日までに、この男を偽計業務妨害容疑で県警に告訴。2月27日に日本テレビ関係者が県庁を訪れ、放送に誤りがあったとして謝罪したが、県は「正式な謝罪ではない」としている。

 県や日本テレビによると、男は2008年11月に「バンキシャ!」に出演。県土木事務所が架空工事で裏金づくりをしているのに協力したと番組で話した。


「裏金作ったコームインは税金返せ!」とか凄むわりに、自分のときは謝罪すれば済むんだー。いいなー。

なんてことはいいませんが、マスコミが自らの姿を呈して日本が崩壊するのが近いと予感させるのがこのキャンペーンの意義なんでしょうね。

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