2008年10月31日 (金) | Edit |
なんとなく録画してみてみたら、案の定だったのでメモしておきます。

NHK「視点・論点」10月29日
「食育から「地域力」を」
国立健康・栄養研究所理事長 渡邊 昌

この渡邊昌(Wikipedia)氏という方がどういう方なのかは存じ上げませんが、とりあえずお医者さんらしいですね。番組では冒頭で、「専門は疫学・栄養学 メタボリック・シンドローム撲滅委員会委員」というテロップが出てました。

そもそも食育ってなんなのよと思っていたところ、

「食育の理念と分野」
豊かな人間形成と心身の健康の増進
食に関する基礎の習得孤食、個食 家族団らん
食に関する基礎の理解食べ残し、食材廃棄、偏食
色に関する知識と選択力の習得・健全な食生活の実践フードファディズム、肥満、メタボ、痩身、朝食欠食

という表が出てきました。フードファディズム(Wikipedia)ってトンデモさんたちの言葉かなと思っていたんですが、この方はフードファディズムを批判する一方で、後で明らかになるように「小さな政府」「地方分権教」の方なんですね。

で、最近の流行りは「基本法制定→自治体ごとの基本計画策定」なんで、ご多分に漏れず平成17年の食育基本法の成立によって内閣府に食育推進会議が設置されて、3省が連携して取り組むということになっているとのこと。

内閣府(食育推進会議)
厚労省健康日本21、メタボ、糖尿病対策
文科省こどもの食生活、給食・栄養教諭
農水省自給率低下、疲弊する農村

なんでここに農水省が入ってくるのかと思いきや、食をつくっている人の代表というスタンスなんですね。なにがなんでも自給率に結びつけたいんだなあ。

ところが、渡邊氏によると上記の3省の取組はバラバラなんだそうで、食育という理念が専門家の間でも統一されていないと批判されるんですが、ええっと、さっきの「食育の理念と分野」っていう表は渡邊氏流の定義ということでよろしいんでしょうか? そういう話は初めに言ってもらわないと困りますよ。さらに、地方自治体のうち、都道府県は食育基本計画を策定しているものの、1818市町村中115カ所、6.3%にとどまっているとお嘆きです。まあ、それが地方分権教の方々が叫び続ける「地方自治」というものなんじゃないでしょうかね。

ここで渡邊氏は、「従来のやり方では国が決めて上意下達で決めるというトップダウン方式だからうまくいかないが、うまくいっているところでは、住民、地域組織、専門職(保健師や栄養士など)を市町村がまとめるというボトムアップ方式になっている」という話をされるんですが、ボトムアップで基本計画をつくらないことが許されるのも地方分権ですよね。というか、食育基本法も基本計画もそもそもトップダウンなんですけど、どうしてこういう自己矛盾を平気で言ってしまえるのか不思議でしょうがありません。

その後、成功例として福井県小浜市の取組例をとりあげて、「コーディネーター」と呼ばれる人がベン図みたいに三つの円が交わったところに位置する図を示して、「このコーディネーターが重要です」って、そりゃそんな人が全国津々浦々にいたらおもしろいかもしれませんが、世の中そうはうまくいかないもんですよ。しかも、その図の下には「地域力で地域活性化を!」という文字が・・・なんのこっちゃ?

と思っていると、渡邊氏が小浜市を視察した感想が述べられます。曰く、「街全体が清潔」で「子供も礼儀正しい」とのこと。生徒が自分で野菜を育てて食べるという経験を通じて、生命の尊厳や食への感謝の念が起きるんだそうです。まあ、生活の乱れと食生活の乱れにはある程度の相関があるんでしょうけど、食育がうまくいっているから子供が礼儀正しいといような話をされてしまうと、「水伝(Wikipedia)」を聞いているような錯覚に陥る(※1)のは俺だけ?

こういう方々は金融業なんか大嫌いでしょうし、製造業だってワープアの温床とか思っているんでしょうね。かといって、今の日本の比較優位でいえば、農業で生計を立てていくためにはよほどの高い生産性を確保しなければいけないんであって、金融業や製造業の普通のサラリーマンなんかになるよりも遙かに難しいんですよね。

生命の尊厳を教えることは大事ですが、あまり子供たちを困難な道へ誘導することもないと思います。そういう意味では、「こんなに生産性の低い農業で生計を立てていける日本という国は、とてもすばらしい福祉国家だなあ」と生徒さんたちが思ってくれれば、食育なるものもムダではないかもしれません。

この後渡邊氏は、おなじみの「食の安全の確保」とか「海外の食材への依存の危険性」とかいう危機感をあおる常套句を並べて、

食育基本法は、日本の百年の計になる可能性を秘めています。小さな政府、地方の時代、スローフードの時代などのイメージを具体化できるものであり、成功すれば間違いなく地域力が向上して、地域の再生につながるキーとなるでしょう。

と締めくくります。

残念ながら俺には食育の「成功」ってのがどういう状態を指すのか「イメージを具体化」できない(※2)んで、「間違いなく地域力が向上」するなんて言われても眉につばするしかありませんなあ。



※1 念のため、俺は食生活と生活の関係を疑っているんじゃなくて、食育さえできれば礼儀正しいはずだとか、礼儀がなっていないのは食育のせいだということになりかねないことを懸念しています。
※2 もしかして、小浜市のように「街が清潔」で「子供が礼儀正しい」のが「成功」とか「地域活性化」ってことかもしれませんが そうだったらますますワケがわかりません。
FC2 Management

2008年10月26日 (日) | Edit |
拙ブログ始まって以来の更新ラッシュにわいた先週でしたが、そのメイントピックスだった「不正経理」騒動について、民間の側の方からの貴重なご意見を発見したので引用しておきます。

(これまでの関連エントリ)
無理を通せば(2008/10/22(水))
フライペーパーもあるよ(2008/10/21(火))
ファンジビリティ(2008/10/21(火))
「不正」な制度(2008/10/19(日))

 それはさておき、私の勤務先は官公庁との取引も多々ありまして、支払いに不安のない優良顧客である一方、事務手続きの面では細かい注文の多い、五月蠅い客でもあったりします。役所は融通が利かない~、というのが一般のイメージでしょうね。私もそんな風に思っていたわけです。しかるに今回の不正経理問題を見ていると、役所側にも相応の事情があったのであろうことがわかります

 例えば、請求書に「保守契約料」などと印字されているとしましょう。この点をどうこう言ってくる民間企業には幸か不幸か出会ったことがありませんが、これが役所ともなりますと、本当にどうでも良さそうな理由で請求書が突き返されるのです。曰く「保守契約料、とあるが契約では支払いが出来ない、業務委託料(あるいは点検整備料とか)に書き換えてくれ」等々。

 何じゃそりゃ、と思いつつも、「支払いに回せない」ままでは話になりませんから、課長に承諾をもらって請求書を改竄するわけです。いかにもお役所仕事、融通の利かないイメージそのままではありますが、こうでもしないと不正経理になってしまうのでしょうね、きっと。外部の業者に業務を委託する、その料金を払うための予算で「保守契約料」を支払うと不正経理になりますから、そこで杓子定規にルールに従う役所の場合、制度に合わせて請求書の項目も書き換える必要があったようです。
だから役所は難しい(2008-10-25 22:48:02)」(非国民通信
※ 強調は引用者による。


具体的にどんなご職業で役所と取引されているのかわかりません(「保守契約料」ということはシステム関係でしょうか)が、こうやって現場をご理解いただけると大変ありがたいです。

現場をご存じない地方分権教の皆さんには特に知っていただきたいのですが、こういうことを書類上で処理するのが末端チホーコームインの仕事なんですよ。だからこそ、地方分権が本格的になり始めてから慌てて「政策法務」とか騒いでいるわけですし、その意味では今も昔も、優秀なチホーコームインというのはこういう書類上の辻褄合わせに長けた人を指します。「地域のことは、国家公務員よりも地元に住んでいる地方公務員のほうがよく知っている」なんてことはありませんのであしからず。

「チホーコームインが現場を見ないでそんなことしてるばっかりなんてけしからん!」とおっしゃる方。だーかーらー、会計検査院とか地方自治体の監査委員っていうのは、書類上の辻褄合わせしかチェックしてないんですよ。それが原因で懲戒処分とかされたらたまらないので、書類上の辻褄合わせに血眼になるんです。もしそういう「杓子定規なお役所仕事」なんて批判されないようになんて思って、書類上の辻褄合わせをしつつなんとか融通を利かせようとしたとしても、それが一度でも会計検査院とか監査委員に問題があると指摘されたら、世間の皆様から「不正経理をした奴は犯罪者だ!」と血祭りに上げられるわけですよね。チホーコームインとしてはやっぱり、「杓子定規なお役所仕事」に今後より一層邁進していく所存です。

というか、俺なんぞのプアなリソースしか持ち合わせてない凡人はもちろんですが、「杓子定規なお役所仕事」と「地元密着で柔軟な発想」みたいな二律背反を整合的に処理するキャパを持った「スーパーチホーコームイン」なんているんでしょうかね。まあ原理的に無理でしょうし、大多数の普通のチホーコームインは懲戒処分されないような選択肢を選ぶでしょうけど。

 予算が年度で区切られているために、これまた請求書を改竄することになったこともありました。3月末に修理をして、その代金を4月頭に請求したわけですが、例によって役所から電話が掛かってきまして「昨年度の修理に対して、今年度の予算からお支払いすることは出来ません。修理日を4月以降に書き換えてください」と。「保守契約料」を「整備委託料」と書き換えるくらいなら解釈の違いで済まされそうなものですが、さすがに架空の修理日を記載するのは会社としても問題になりますので、断らざるを得ません。そうなると向こうも多少は譲歩して「では修理日を記入しないでいただけますか」となりましたけれど。こうでもしないと「(2)年度内に支出した分を翌年度に納品させる」ことになってしまうのでしょう
(略)
 もちろん、融通の利かない役所ばかりじゃありません。請求書を送れば、特別なことはせずとも黙って支払う、融通の利く役所もたくさんあります。ただ、そうした融通を利かせてきた役所が、今こうして糾弾されているのだと思うと、まったくいい気はしませんね。
だから役所は難しい(2008-10-25 22:48:02)」(非国民通信
※ 強調は引用者による。


おっしゃるとおりです。役所が杓子定規だと民間の方々にもいろいろとご迷惑をおかけすることになりますが、それもチホーブンケンだから許されるということだったらありがたいですね。まあ、住民の皆様が「杓子定規」の方がいいのか「融通を利かせる」方がいいのかはっきりしてくれない以上、下手な処理をすると「犯罪者だ!」とか糾弾されるんだったら「融通を利かせる」柔軟な処理には手を出せませんな。

あと、「私的流用はない」という説明に対しても批判が集中してますが、

 会計検査院が任意に十二道府県を選び、国の補助金の使い方を調べた。その結果、いずれでも不正経理が見つかった。この中には本県もあった。県土整備部と農林水産部合わせて、約二千五百万円を指摘された。県は当初、見解の相違もあるとして額を公表していなかった。それが、よその動きを見てか一転して頭を下げた。

 臨時職員の賃金や研修の旅費、物品購入などで、本来の使途にそぐわぬ補助金を支出したという。私的流用、裏金、カラ出張などはなかったとは県の説明だ。とはいえ厳しいヒモが付いている補助金の性質を、役人が知らぬはずはあるまい。認識不足と言うが、納税者からすればずさんな公金管理だろう。
Web東奥・天地人(2008年10月22日(水))
※ 強調は引用者による。


「私的流用じゃない」ということは組織として意志決定していたことの裏返しであって、それと「法令に基づいて支出」することの差異ってのはかなり微妙な問題です。法令を運用するためには法令の解釈ってのが不可欠で、実は自治事務に関しては地方自治体に解釈権が与えられている以上、会計検査院なんぞに指摘されるいわれはないんですよね。「預け」とか「差し替え」以外の補助金の流用が「不正経理」だったかどうかというのは、結局のところ、法令の文言上の解釈について会計検査院と地方自治体のどちらが優位性を持つかという問題に帰着するわけで、だから「解釈の違い」という話にもなるわけです。

地方分権教の方々は応援する相手をお間違えでは?



# これだけ粘着気味に「不正経理」騒動の矛盾を指摘してしまったので反論とかバッシングが大変なことになるかと思いましたが、長い文章を読んで批判するほどの堪え性をお持ちの方はいらっしゃらないようでとりあえずホッとしております。威勢のいいことをおっしゃる方ってあまり本気で手間暇かけてお考えになるつもりはないようで。

2008年10月25日 (土) | Edit |
昨日の続きということで、後半戦しゅっぱーつ!

露木:
 私は町長になる前、NHKの政治記者で若干、中央省庁の幹部の方を中心におつき合いをさせていただいた経験もありますが、そのときの今から二十数年前の印象と、今の中央省庁の皆さんの印象を見ますと、大変失礼な言い方ですが、やや劣化しているような感じがしてなりませんでした
(略)
 国家公務員の制度改革の部分もありますが、やはり私はそういうふうになる原因は現場を本当の意味で知らないのではないか。だからエネルギーが本当の意味でわいてこないのではないかという気がしてならないのです。ですから、思い切って分権改革を進めて、それで中央省庁で入った方も異動するのは自由ですから、現場をもっと知る。(pp15-16)

さすが元記者さんだけあって、ここで「現場第一主義」が出ましたが、それで問題が解決するならどの自治体も苦労しませんよ。

片山:
 例えば、一例を挙げると、今回の第一次勧告の中に出ている社会福祉施設の最低基準の問題などは典型例だと思います。何ゆえに北海道から東京、沖縄に至るまで全国一律の基準で縛らなければいけないのか。東京で私の娘も子育てをしていまして、近くに保育所がないものですから、随分遠方まで預けに行かなければならないのです。そうしなければ待機児童になってしまうのですね。なぜ近くに保育所ができないかというと、それは地価が高い、土地がみつからないからです。そうすると、東京では、全国一律北海道とか鳥取県に適用される基準とは少々違って、多少狭くてもいいから近場に保育所が欲しいというのが保護者の願いなのです。そこで、先ほどのミッションを厚生労働省にあてはめてみれば、一律の基準を全国津々浦々に押しつけることではなくて、柔軟に当事者に近いところにその判断はお任せしますというのがミッションに忠実な行動、姿勢だと思います。(p16)

違うと思います
というか、批判の対象がずれているんであって、そもそもそういう所得再分配的な事業は国が一括した基準で供給しないと、税金を払う人が逃げて給付を受ける人ばかりが集中してしまいます。片山氏が挙げた保育園の例でいえば、規制を甘くして供給を増やした地域があるとすれば、そこに住居を構える人が増えてしまって、受益と負担のバランスが崩れてしまうでしょう。まさに国の規制があったからこそ、地域ごとの差が無くなってそういう事態が防がれていた側面を無視することはできません。

そもそも地方自治体に資源配分的に実施させること自体無理があるんであって、上記のようなバランスの問題を無視してしまから、「こっちは規制のせいでひどい目に遭っている」とか変な話になるんではないかと。補助金によるファンジビリティとかフライペーパーの問題ってのは結局、中央政府が地方政府に特定の事業をさせる際のプリンシパル=エージェント(PA)問題の一種です。究極的には住民が自分で供給できないから政府が供給するわけで、さらに中央政府でも自らのリソースでは提供できないために、法定した上に財源を与えて地方政府に実施させている以上、こういう問題は不可避と考える方が生産的です(実際問題として国にそこまでの人員がいるわけでもなく(さらにいま最新流行は「小さな政府」だそうですから)、次善の策として地方自治体に仕事をさせるしかないですね)。

PA問題ではモニタリングが難しいことが一番のネックであって、そう考えると、現行制度上のモニタリングの手段が会計検査院とか地方自治体の監査委員による手続きのチェックしかないことのほうが問題でしょう。その点を真剣に議論しないと「不正経理」騒動でも、「使い道がどうのこうの」とか「地方分権で自主財源を」とかの底の浅い議論しかできませんよ。

西尾:
 私にとっては、今回の農地、道路、河川というのは敗者復活戦をやっているようなものなのですね。農地の問題については前の地方分権推進委員会時代に農水省と折衝した当事者で、2ヘクタールを超える農地の転用許可権限は国にあったわけですが、それをすべて都道府県に譲れと言って交渉したのです。
(略)
 ですから4ヘクタール超は国で、2ヘクタール超は県に降りたのだけれども、国のひもつき状態になっていて、2ヘクタール以下も都道府県が従来から持っている。市町村はそれをおろしてほしいというのだけれど、県も農水省もおろしたくないと言っている。こういう状態、今に至るまでの事態に当分これでよろしいと言ってしまった当事者ですから、これは私の最大の失敗だと思っておりまして、今回何とか過去の失敗を是正したいと思っていたというテーマです。(p17)

片山氏の屈辱どころか西尾先生まで私怨の話ですか。農水省だけじゃなくて県も反対しているのに、そんな個人的な動機でカイカクされても困りますよ。

西尾
 しかし、重点行政分野の抜本改革、これは難しい問題を突きつけてきましたね。慎重にこれから選別させていただきます。内閣としてよくよく検討して、この中からどこまでを責任をもってやるかということを判断させてくださいというほうが内閣の対応として正直なのではないか。私はもちろん委員会としては100%実施してほしいと思いますし、実施してくださればこんなありがたいことはないのですけれども、そういう注文をすることは無理ではないかという気がするのです。ですから内閣・与党の責任において取捨選択して、これだけは絶対やるということを決めてください。やると内閣が決めたものは省庁の官僚がどう抵抗しようと指示をして実現してください。(p18)

無理な注文はご遠慮ください。お願いですから。
そういうできもしないことを決められて、末端でその辻褄合わせをさせられるこっちの身にもなってください。

西尾:
 前の委員会のときにある専門委員が、自治体を国の意向どおりに動かしているものには2つのものがあります。1つは法令です。1つは金です、という話をして、イソップ物語の「太陽と北風」の話、旅人のオーバーをどっちが脱がせられるかというので太陽と北風が競うという寓話を引っ張り出して、法令による縛りはいわば北風である。太陽のほうが補助金・負担金である。実際に自治体を従わせているのはお金の力だと
(略)
 そして国税から地方税への税源移譲を確実に八兆円近く確保する。そして国と地方の税収の配分を一対一程度にまで近づけるということを断固続けるべきだったのではないかと思っているわけです。(p18)


前段はそのとおりですね。そのまっとうな専門委員はどなただったんでしょうか? 現在の地方分権改革推進委員会にはいらっしゃらなさそうなのが大変惜しまれます。で、後半はなんで「一対一」になるのか全然説明がありませんね。

露木:
 近々衆議院選挙があるかもしれない。いつあるかはともかくとして、その中でこの地方分権改革の断固推進を明快に掲げる勢力、塊ができたならば、私は強烈なキャスティングボートを握る可能性が今生まれてきたと思っております。(p19)

一足先に国政に転身した田中康夫とかこれから転身する橋本大二郎とか、「せんたく」なんてものもありましたね。それが強烈なキャスティングボートを握るとは到底思えませんけど。

片山:
 権限移譲が行われるということは当然それに見合った税財源が移譲されなければいけない、これは自明の理だと思います。
(略)
 この財源の移譲は、当面税と地方交付税の組み合わせだと思います。税だけで財源手当を使用とするとどうしても貧富の差が拡大してしまいますから、税と交付税をうまく按配させることだろうと思います。(pp19-20)

やっと片山氏の本音が出ましたね。いくら古巣の旧自治省を悪し様に罵ろうとも、旧自治省伝統の交付税差配権拡大主義は隠せません。

片山:
 私は地方分権と言ったときに、何が一番ポイントかというと、自治体において歳出と歳入を税が媒介してバランスをとることだと思っています。(略)本当の究極の地方分権をやろうと思ったら、住民の判断で、その仕事をやる必要があるのなら税率を引き上げる、税率を引き上げてまで行う必要がないのならその仕事はやめる。こういう選択がきくような仕組みが作動しなければならないのですね
(略)
 先ほど税と交付税の組み合わせという話もしましたが、交付税も分権対応型にかえなけければいけない。それは、透明性や予見性がなければならないということです。交付税の総額についていえば、一応地方交付税法で所得税、法人税など国税五税の何%が交付税原資になると決まっていますが、しかし、現実には毎年度補てんだとか、借りだとか、貸しだとか、返しだとかのややこしい作業をしているのです。総額決定の段階でも実は透明性とか予見性はないわけです。そのときの財務省と総務省の力関係とか、担当する官僚の力量次第で総額が決まったり、凄みのある国会議員が怒鳴った結果交付税が増えたりとか、こういうやりかたはとても分権対応型とはいえないのです。(pp19-20)

そうそう、開放経済の地方政府が行うと深刻な問題の発生する再分配的な仕事は、速やかにやめることができるようにしなきゃないんですよね・・・って、西尾先生と同じことをいいながらやっぱり片山氏は自己矛盾にお気づきではないご様子。

あと、おっしゃるとおり総務省のやっていることは全然地方分権対応型ではないですね。露木町長がそこでビシッと突っ込みます。

露木:
 あと、交付税の問題を可視化して透明性のルールをという片山さんのご指摘も、ぜひそうしていただきたいし、逆に言うと今度はそういうことがきちんとすればするほど、また毎年毎年の配分のルールの決定の仕方がきちんとすればするほど総務省が要らなくなってくるのではないでしょうか。(p21)

けだし正論です。ところが、片山氏は即座に却下します。

片山:
そんなことはないのです。本来毎年毎年のやっつけ仕事をするのが総務省の役割ではなくて、地方財政全体を5年とか10年のタームで見て、モニタリングした上で、全国の自治体が必要かつ十分な財政運営をするためには今の地方税制や地方交付税制度でいいのかどうかを点検する。その結果、必要であればシステムを変えていくのが総務省の役割のはずです。個別の自治体への配分などで鉛筆をなめるのではなくて、地方財政システムをルールとして変えていく。これが本来の総務省の仕事なのですね。
(略)
地方消費税が分権時代に最もふさわしい財源だなどといわれているのを見ると、ちょっとこれはとんちんかんだなと思う。分権時代にふさわしい財源は、税率について自治体に操作可能性がある税なのですね。ベースとして地方消費税があってもいいですが、その上で各自治体において財政需要が増えたり減ったりするわけですから、それに対応する財源は住民が納める税で調整する仕組みがなければいけない。そうすると、分権時代にふさわしい税とは、やはり住民税か固定資産税ということになるわけです。(p21)

だそうですけど、だから総務省は要りませんよね。自治体に操作可能性のある税でまかなえる範囲に仕事を限定してくれたら、補助金を流用しなくて済むし、どんなに楽なことか。

というか、西尾先生がお悩みになっている点をもっと議論していただきたいものですが、私怨でチホーブンケンを進めてきてしまった西尾先生にとって、それは自分の非を認めることにほかなりませんから、日銀がリフレ政策をとることよりも期待薄かもしれませんねえ。

2008年10月24日 (金) | Edit |
ここ数回のエントリで「不正経理」騒動について長々と書いてしまいましたが(全部読んだ奇特な方はいらっしゃるんでしょうか?)、今回はさらに長いです。というわけで前後半に分けてみます。

『ESP』という旧経済企画庁(現内閣府)の外郭団体が発行している雑誌があって(超能力とかギターの記事は載ってません、為念)、まあ普通に読まれる雑誌ではないので、ちょっと大きめの図書館に行けばおいてあると思います。一流の経済学者の論評が載ってたり、毎年夏ころには「経済財政白書」なんかの解説をしていてそこそこおもしろかったりするんですが、10月号を見てびっくり。

特集:地方分権へ向けて」ですって。

その冒頭に座談会が組まれていて、メンツは次のとおり。

片山善博氏
(地方制度調査会副会長、慶應義塾大学法学部教授、前・鳥取県知事)
露木順一氏
(地方分権改革推進委員会委員、神奈川県開成町長)
西尾勝氏
(地方分権改革推進委員会委員長代理、財団法人東京都市制調査会理事長)
滝本純生氏
(内閣府大臣官房審議官(経済社会システム担当)(司会))

「座談会 地方分権へ向けて」(ESP '08.10)p5


ガクブルもんのオールスターということで、今回は地方分権教の皆さんの発言をメモっていきます(強調はすべて引用者によります)。

西尾:
 この広い意味での関与にも大きく分けて、いわば通達で縛り上げている通達行政といわれたものと、それから各種の機関を必ずつくりなさいという「必置規制」という言葉が使われていますが、必置規制の見直しという問題と、それから、お金に伴って縛っているという補助金行政といわれた3つの側面があったわけで、そのどれに対しても挑戦をしたのですが、できばえから言えば、中では通達行政の縮小が一番成果を上げて、必置規制の廃止のほうは中程度の成果で、補助金行政にはほとんど成果を上げることができなかった、こういう順序になっていたかと思います。
 どうしてこういう序列になったかと言えば、簡単に言ってしまえば、相手側の国の各省庁の抵抗の壁の厚さの問題が1つ、それから地方六団体がどこまで結束できたか、足並みがそろったかという2つの要因でこういう結果になったのではないかと思います。(p6)


「各省庁の抵抗」とか「地方六団体の足並み」って、ちょっと何言ってるかわかんない。というか、反省されているようにみえるわりに、自己分析が甘いんじゃないですかね。

たとえば、三位一体の改革のときには、「骨太の方針2006」で地方六団体に補助金改革の具体案をまとめるよう要請して、その地方案について「国と地方の協議の場」で協議した結果、

地方6団体は、当初提案した改革案3兆2,282億円に対し、達成したものは3,893億円で12.1%、義務教育を含めると1兆2,393億円で38.4%と計算しています。

地方案の実現度」(岡本全勝のページ


となりましたが、それとは違う意味のようです。西尾先生は、地方分権推進委員会のときに各省庁と膝つめ談判して機関委任事務廃止を勝ち取った自負がおありなので、補助金改革も直談判すれば解決するとお思いのようですが、「不正経理」についての一連のエントリで示したとおり、政府間財政移転というのはそんな単純な話ではないですよ。

片山:
 私は鳥取県では原理主義を貫きまして、そういう違法な通達とか違法な関与については峻拒してきたのですけれども、いかんせん他の自治体の皆さんは従来どおりなのですね。(pp8-9)

 夕張市がなぜあんなひどい状態になったかというと、肝心の住民がほとんど無関心であったり、議会が機能していなかったり、貸し手の金融機関にリスク感覚がなく脳天気だったりしたからです。つまり主権者やステークホールダーが本来の機能や責任を果たしていなかったということです。そこが私は一番のポイントだろうと思います。反面、国は夕張市の地方債発行などに関与してきています。道庁も関与していました。ならば、あの失敗を踏まえて新しい法律をつくるのであれば、無責任な国の関与などはこの際撤廃して、ステークホールダーが関与する仕組みに変えるのが分権改革的な立法のはずです。ところが、結局、新しい法律によれば、相変わらず住民も金融機関も蚊帳の外なのです。住民はこれまで同様惰眠をむさぼっていていいし、金融機関は貸付先の自治体が財政破綻に陥っても、最優先で返済してもらえる仕組みができたので、これまで以上にリスク感覚を持たないで脳天気に貸し込んでもいいという法律なのですね。これは明らかに分権逆行型なのですね。(p9)

 やはりこの先分権を進めていこうと思ったら、本当のステークホールダーである住民が主体意識を持たなければいけない。そのためには住民自治の強化というテーマが取り上げられなければなりません。今、住民自治が機能していない面が多いですから、その機能不全を回復する作業をしなければ、いつまでたっても分権改革というものが本来の受益者である住民の皆さんからほとんど認識も評価もされないという状態が続くと思うのです。(p10)


「原理主義」宣言いただきました。
いまの地方自治制度だって、首長と議員をそれぞれ直接選挙で選ぶという「住民が主体意識を持たなければいけない」ほどに民意を反映する仕組みになっていますが、片山氏はそれでも夕張ショックが防げなかったとおっしゃるわけですよね。それでさらに「住民自治の強化」って、どんだけ住民に負担かければいいんでしょう。

というか、民間の方々は「肝心の住民がほとんど無関心であったり、議会が機能していなかったり、貸し手の金融機関にリスク感覚がなく脳天気だった」といわれるほど、自分の身の回りことにかかりきりだったんです。これは皮肉でも何でもなく、普通の人が常に地域全体のために活動したり発言できるわけではなくて、かといって自分の選好のみで発言されたら公共財の過小供給に陥ってしまうので、だからこその「間接民主主義」という制度が採用されたり「地方自治体」というエージェンシーが設置されて「補助金」が与えられているんですよね。

確かにいろいろと問題があるかもしれませんが、かといって、「肝心の住民がほとんど無関心であったり、議会が機能していなかったり、貸し手の金融機関にリスク感覚がなく脳天気だった」なんてことが許されない社会が理想像だというなら、おちおち民間活動(?)もできないんじゃないでしょうか。さぞかし日常生活が窮屈で余裕のない「地方自治」になってしまうと思いますよ。

露木:
 さきほど片山さんが言われたように、対等協力というのは分かるのですが、そんなことより、まず目先の金をいかに引っ張ってくるか。決して卑屈になっているわけではなくて、したたかに振る舞わないと、小さな町ですからなかなか生きていけない。それと企画段階で多少鉛筆をなめて企画を膨らませてまでお金を持ってくる。そのためには多少国に媚びへつらわざるを得ないというところが率直に言ってありました。
(略)
 これは私の町にかなり特色的なのですが、小さくて真っ平らで非常に開発がしやすい町でしたので、開発しようと思うと乱開発が幾らでもできてしまうようなところでした。そこで、今から40年近く前の、いわゆる都市計画法の施行以来、かなり厳格な開発の規制を敷いて、それを40年近く一貫して続けてきたわけですが、この続けることができた1つの理由は、国の基準がこうなっているからとか、県の指導がこうなっているからというのをかなり巧妙に使って、住民との利害調整の1つのルールにしてきたことは偽らざるところなのです。それが全面的に悪い方向に転換したかというと、私の町の現状から言うと、そのときの住民の対立をそういう手段を使ってまで押さえた結果が、今も人口増が着実に続いていて、子どもの数が大変増えているという都市計画の成功をもたらしたわけなので、全面的に国のそういった基準があることがマイナスというわけではなくて、それを有効に使えたという歴史的な背景もあって、国と地方が対等だというふうに、思いがなかなかいたらなかったというのが実態としてあります。(p10)


すがすがしいほどのぶっちゃけぶりです。そうそう、「国とか県で決められているんです」ってマジックワードは地元の利権が絡んだドロドロの利害調整には役に立つんですよね。というよなことをおっしゃりながら、露木氏が地方分権改革推進委員会でされていることは恩を仇で返しているようにしか思えませんけど。

片山:
 だから、勧告の内容と実施内容とに多少の齟齬があってもいいわけです。その点は実効性が危ういという面がもちろんありますが、勧告はできるだけ理想に近い形で行えるといういい面があったのだろうと思います。私は今のやり方のほうがいいと思います。
 それから、やはり自分で自治体の首長をやっていて思いましたのは、実は前から権限移譲ももちろん必要ですが、むしろ関与をなくすことの方に全力をあげていただきたいということです。なぜかといいますと、正直言って今でも自治体の事務はかなり多いと思うからです
(略)
 今必要なのは、自治体が本当に自立するということではないか。自立というのは、自分で考えて自分の権限を自らの判断で行使する。これが一番重要なのではないかと思います。権限移譲ももちろん重要ですが、むしろ関与の廃止を徹底して、自治体が国にお伺いを立てたり意向を伺ったりしなくても自分で判断できる環境をつくってあげることが一番重要ではないかと思うのです
(略)
 ただ、そういう文脈の中では、実は一番肝心な関与の問題が欠落している。それは何かというと、自治体の起債に対する国の関与の廃止ということです。この関与は私が知事をやっているときに最も屈辱的な関与でした。自分の判断と自分の責任でお金が借りられない。そういう存在は我が国では未成年者でなければ成年後見制度下にある人と地方自治体だけなのです。(pp11-12)


総務省の理想主義と改革派知事の露出狂ぶりについてはだいぶ前にも指摘しているけど、自治体の事務が多すぎるんだから、権限委譲なんてもってのほかですよね。

というか、片山氏の屈辱なんてどうでもいいです。こういうのって「自分の善意を否定されて激高した差別発言」という善意と熱意で理想に燃え過ぎた人によくある風景ですな。

西尾:
 私たちは大きな改革をしたのだけれども、自治体が変えようとしないだけなのだ、何も変わらなかったのではなくて自治体が変えようとしていないだけなのだ、そのことが皆さんによく理解されないのが非常に残念なのです。
 しかし、自治体に自由を与えるという基本的な考え方で進んでいるのですが、何も変えないのも自由のうちなのですね。自由を与えるというのは何も命じていないのです。(略)これはそうしたらほとんどの自治体がそのままやる。これは非難すべきことなのか。非常に悩んでいます
 私は地方分権改革というのはあくまで自治体に自由を与えていくことが、これからも基本路線であるべきだと思っていますが、そういう改革を幾ら積み重ねてみても変わらないという批判をいただく。そうすると、今度やっているような都道府県から市町村へというのは、仕事をおろしてくださって誠に結構と評価してくださる方もいらっしゃるんですが、実はあれは義務づけなのですね。片方で法令による義務づけ、枠づけをできるだけ縮小しようということを課題に掲げているのに、その委員会が義務づけを新しくやっているわけです。義務づけを直したのです。ですから市町村にとってみれば、やりたくなくてもやらされるという事態なのです。国から強制される。やらなかったら法令違反ですよと責め立てられる立場に置いているということなのです。これは明治以来ずっとそういうことを繰り返してきたわけで、ぶつぶつおっしゃている市町村はたくさんある。とられる都道府県もぶつぶつおっしゃっている。でも、これは法令が改正されれば従いますよ。全自治体が粛々と従って変わるのですね。今度の分権改革は現実を変えたと言ってくださるかもしれない。でも、それでいいのでしょうかという大問題なのだと思います。義務づけがなければ変わらないのですかという問題があるわけです。私はそこは非常な悩みだと思います。(p14)


さすが西尾先生、よくお分かりじゃないですか。でも、お悩みの割に最後は粛々と従えばいいとあっさりおっしゃるわけですかそうですか。
というか、この座談会を通じて、西尾先生はかなり地方分権に懐疑的になられている様子がうかがえます。かといって、第一次地方分権改革で機関委任事務廃止をやりとげて「西尾私案」によって市町村合併を推進した当事者として、もう引っ込みはつかないんでしょうねえ。どこかで落としどころを探っていらっしゃるといいのですが、それに比べて片山氏の原理主義ときたら・・・orz

この後、「霞ヶ関叩きの勢いが余って自ら墓穴を掘る片山氏」など波乱の展開がありますが、長くなったのでまた次回。

2008年10月22日 (水) | Edit |
前回前々回と理論的な面から「不正経理」騒動について考えてみましたので、今回は実務的な面から考えてみます。

インフラ整備を主な業務とする国交省、農水省や環境省といったいわゆる「事業官庁」が地方自治体へ補助金を交付する場合、地方自治体がその事業を実施するのに必要な非常勤・臨時職員を雇ったり、事務用品を買ったりという日常の業務に要する経費を補助対象とすることがよくあります。今回の会計検査院の実地検査が補助金を中心に進められたのは、そういった補助金にファンジビリティが生じているのではないかという想定によるものと思われます。

このような日常の業務に要する経費が補助対象となるのは、地方自治法にこういう規程があるから。

(経費の支弁等)
第二百三十二条  普通地方公共団体は、当該普通地方公共団体の事務を処理するために必要な経費その他法律又はこれに基づく政令により当該普通地方公共団体の負担に属する経費を支弁するものとする。
2  法律又はこれに基づく政令により普通地方公共団体に対し事務の処理を義務付ける場合においては、国は、そのために要する経費の財源につき必要な措置を講じなければならない
※ 強調は引用者による。

事業官庁が地方自治体の地方交付税交付金で算定されない事業に対して補助する場合は、それに必要な事務費まで財源を措置しなければならなくなるというわけです。

たとえば、環境省の補助事業だとこういう規定があります(これを一読して理解できる方はかなりの補助金通ではありますが、まあファンジビリティを一切認めない「適正化法」の下では、このような詳細な規定を置く必要があるんですよね)。

 「事務費」とは、補助事業者が事業実施に伴う事務処理に直接必要とする旅費庁費及び工事現場事務所又は出先機関において必要とする旅費庁費(間接補助事業において、都道府県が市町村を指導監督するために必要な旅費、庁費を含む。)、並びに、これらに対応する消費税相当額の合計額をいい、庁費とは需用費(消耗品費、燃料費、印刷製本費、光熱水費、修繕費、食料費)、役務費(通信運搬費、手数料)、賃金、共済費、委託料、使用料及賃借料、備品購入費等をいう。

自然公園等整備費国庫補助金取扱要領」(環境省)別表
※ 強調は引用者による。

国と地方自治体で用語が違うところもあるんですが、ここで太字下線にした「事務費」というのが大項目、「旅費」と「庁費」が中項目となります。

この「庁費」がさらに需用費、役務費、賃金、共済費、委託料、使用料及賃借料、備品購入費等の細項目に分類され、需用費や役務費はさらに諸々の細目に分類されるわけですが、ここで「なぜ庁費に賃金が入っているんだろう?」と思われた方はかなりの補助金t(ry。実は、「事務費」と同じ大項目の「人件費」として計上されるのは、特別職(首長や議員)と一般職(いわゆる公務員)の職員のうち期限の定めのない任用となっている職員分だけです。非常勤職員(の一部)とか期限付き臨時職員とか呼ばれる職員の賃金は事務費(物件費)扱いとなるわけです。

という予算構成の中で、「小さな政府」とかいうコーゾーカイカクのために公務員人件費を削減した場合、そのために削減されたマンパワーを確保するためには、人件費から事務費へ振り替えて、減った正職員を非常勤職員で補うしかありません。という状況では、事業費に人件費が含まれるような補助事業を持っているのが事業官庁なわけで、地方政府としてはこれを活用しないわけにはいきません。つまり、地方政府は、なんとかその事業の採択を取り付けて補助金を確保し、そこから補助金のない(貧弱な)事業を抱える部署へ流用する「はり付け」という行動を取るように誘因づけられることになります。

 検査院によると、旅費やアルバイト賃金など、道府県で負担すべき予算を国の補助金で充当する「はり付け」という手口が多くみつかった。例えば、国の補助金が出ている道路建設事業で、完工式に幹部らが出向く旅費は県の予算で支払うべきだが、補助金を使っていたという。

 年度末に事務用品などを業者に大量発注したように装い、業者に公金をプールしておく「預け」が年度内の予算使い切りを動機としているなら、「はり付け」は国庫補助金をできるだけ使おうとする意図が見え隠れする。「道府県の予算を残し、補助金を使い切ろうとしている」(検査院幹部)という。

asahi.com「国の補助、使わにゃ損 12道府県「はり付け」横行(1/2ページ)」(2008年10月22日3時2分)
※ 強調は引用者による。


また、今回各地方自治体で問題とされている「不正経理」のうち、「預け」と呼ばれる手法は、

「『預け』は私が生まれる前からあった」。ある中年の業者は語った。国の補助金の一部を県が不正に経理処理していた問題で、県と取引のある複数の業者が21日、朝日新聞の取材に対し、県が支払代金を使い切ったように偽装して業者にカネをプールさせる「預け」などの存在を認めた。不正処理は長期間にわたっていた可能性が高い。
(略)
 カネを「預かる」際は、まず名目上の納品書を作成し、県に渡す。実際に納める商品が本来の納品書と異なる「差し替え」発注を受けた場合は、発注品に合わせた納品書を改めて作り、県に渡していた。

 県に2種類の納品書が存在することになるが、県農林水産企画室の担当者は「当初の名目で作ってもらった納品書しか(存在を)確認できない。もう一枚の実際に納められた品の納品書は、担当者の手元には渡っているはずだが、どうなっているのか分からない」という。

 業者によると、預けや差し替えで発注を受ける物品はコピー用紙などの消耗品がほとんどだという。

asahi.com「県の不正経理 預け「ずっと昔から」(2008年10月22日)
※ 強調は引用者による。

というもの。消耗品で発注するのは、単価が安いことと証拠が残らないことが主な理由でしょう。「預け」の場合は、補助金を名目上使い切ることによって、事業費が余って翌年度の補助金が削減されるというリスクを減らすとともに、他の補助金への「逆ファンジビリティ」をヘッジするという動機があったものと考えられます。

俺自身は古い時代のことは知らないんだけど、これらの行為は結構前からとられていたらしいです。その当時はまさに「補助金の使い切り」が求められていて、使い切れない分を「預け」という形でプールしたり、他部署へ「はり付け」たりしていたんだろうけど、デフレ不況のさなかのコーゾーカイカクとやらによる2004年度予算の「交付税ショック」は、別の意味で「はり付け」や「預け」の重要性を高めたんではないかと思います。

この「交付税ショック」については、今回「不正経理」が指摘された岩手県でもこんな資料をつくってますな。

(左下)
しかし、平成16年度予算編成において・・・
交付税ショック!地方交付税の大幅削減(⑮→⑯決算:△9.9%)など
【平成16年2月推計:17~18年度(2年間)】財源不足が443~~681億円まで拡大
(右上)
交付税ショックを乗り越え、平成18年度にプライマリーバランスの均衡(黒字化)を達成するとともに、40の政策の取組みを強力に下支え!
安定した行財政基盤の構築
◎財政構造
地方交付税が大幅に削減されたことなどから、目標を上回る歳出削減などの取組みを推進
歳出削減については、総人件費の一層の抑制などに取り組んだ結果、目標の613億円を1,697億円上回る2,310億円を削減しました。

岩手県行財政構造改革プログラムの取組状況【4年間の総括】(注:pdfファイルです)
※ 強調は引用者による。

えーと、一応岩手県では目標を上回る歳出削減を達成しているわけで、会計検査院が指摘した「不正経理」が1億5,000万円だったのに対して、削減額は2,310億円と桁違いです。だから許されるということではなくて、「不正経理のために無駄遣いが増えて財政が悪化した」のではなく、「過度の歳出削減がファンジビリティを強化した」という因果関係があったと理解したほうが素直でしょう。

ところが、この機に乗じて悪のりするのが地方分権教の皆さんなわけで、

 地方分権改革推進委員会(委員長・丹羽宇一郎伊藤忠商事会長)は二十一日の会合で、地方自治体の不正経理を防ぐ仕組みを新たに提言し、政府に提出する勧告に盛り込む方針を決めた。会計検査院の調査で、全国十二の道府県の不正経理が発覚したことを受けたもの。十一月以降、会計検査院を分権委に呼び、不正経理の仕組みを聞き取り調査する。丹羽委員長は会合で「不正経理の問題を解決するには、議会の監視制度を整えるなど分権の観点からも対応が必要」と指摘猪瀬直樹委員は「国からの補助金を翌年度に繰り越せないといったことも、不正経理の根本にある」との認識を示した

日経新聞「自治体不正経理 分権委が防止策 政府に提言へ(2008年10月22日)」
※ 強調は引用者による。

って、だから税源移譲なんかしたって「三倍自治」をさらにゆがめることにしかならないし、ファンジビリティとかフライペーパー効果の抑制には意味なさげなんだけど。実務家抜きで実務上の問題を検討するのが流行らしいから、そんなことにはお構いなしなんでしょうね。

2008年10月21日 (火) | Edit |
前回の続きですので、そちらも併せてご覧いただければ)

ファンジビリティと地方財政についての経済学的な説明としては、ネットで入手できるものだとあまりありませんね。

アメリカにおいて、地方政府の支出行動に与える補助金の効果に関する研究が数多くなされてきたが、理論から導き出される結果と実証分析から導き出される結果とに、しばしば食い違いがみられる。とりわけ問題とされているのが、ファンジビリティー仮説(fungibility hypothesis)とフライペーパー効果(flypaper effect)である。ファンジビリティー仮説とは、条件付補助金の一部が代替可能な財源(fungible resource:使途を特定化されない財源)に転換されているという仮説であり、フライペーパー効果とは、地方政府の支出に与える無条件補助金の効果が、地方政府の支出に与える地方の私的所得の効果よりも大きいという現象のことである。

塚原康博[1988]「ファンジビリティ仮説とフライペーパー効果」『一橋論叢, 99(6)』p860(注:pdfファイルです)

というような議論が20年前からあるわけですが、日本でこの分野の研究が実証的に行われるようになるのは、地方分権とかが声高に叫ばれてきた90年代後半からではないかと思います。なので、あまり実証的な研究の積み重ねがあるわけではありませんが、政府間財政移転の問題は、こうした計量的な分析が不可欠だろうと思います。

塚原論文の図1では無差別曲線が描かれていないのでちょっとわかりにくいんですが、予算制約線の相対価格(傾き)が変わると、無差別曲線と予算制約線の接点で示される最適消費点が移動します。もし、予算制約線が右上方へ平行移動すれば所得効果のみが発生して歪みは生じませんが、相対価格が変化する場合は代替効果が発生して歪みが生じます。という初級ミクロの議論を踏まえると、ファンジビリティが生じている場合には、補助金による相対価格の変更時の最適消費点を軸にして、さらに無差別曲線が移動することになり、歪みが生じてしまうことになります。これが、経済学的に考えた際のファンジビリティの問題点となります。

ところが、この公共経済学で発展した理論というのは基本的にアメリカやカナダという連邦国家の学者によって提唱されたものが多く、このファンジビリティも課税自主権を有する州を対象とした分析となっているため、このままでは日本の地方自治体に適用することはできません。塚原論文では、図2で課税自主権のない日本型の修正モデルを定義して実証分析しており、補助金が想定する以上に支出するために自己負担が生じるという「逆ファンジビリティ仮説」が確認される結果が得られています。

まあ、現場の地方公務員としても修正モデルの方がしっくりくるわけで、今回の補助金騒動でも明らかなように、ほかに財源を得る手段がない(課税自主権がない)ために、逆ファンジビリティの財源として他の事業の補助金の残額を流用せざるを得ないというのが、補助金を使い切るという行動の背景となっていると思います。

拙ブログでは小西砂千夫関西学院大教授の言葉をしょっちゅう引用させていただいておりますが、こういう財源不足が生じるのは、自主財源を超えた範囲まで何でもかんでも地方自治体にやらせるという「三倍自治」があるからであって、自主財源が足りないという「三割自治」になっているのではないと考えた方が実態を捉えることができるでしょう。でも、これまでの流れは市町村合併によって規模を大きくしてさらに仕事を増やし、道州制と称して同じことを都道府県にも適用しようとしているんですよねえ。「市町村合併で地域が自分のことを決めるべきだ!」とか「道州制で地域主権を!」とかいう方々は、ホントにそうなったらこういう問題が噴出することを覚悟する必要がありますよ。

さらに、補助金の使い切りという行動の問題点としては、塚原論文で取り上げているフライペーパー効果が大きな意味を持つと思います。上で塚原論文の冒頭部分を引用していますが、もう少しわかりやすくいえば、フライペーパーとは「ハエ取り紙」のことで、本来なら補助金額が増えればその分自主財源による裏負担が減って、ほかの事業の予算に充当できるはずなのに、実際には補助金が増えただけで(ハエ取り紙のように張り付いて)他の予算に自主財源が充当されないという地方政府の行動を指します。

ところが、前回エントリで示したとおり、たとえ補助金が増えたところでファンジビリティの発生は「適正化法」で禁止されているわけで、そうなると、必然的に裏負担である自主財源も補助金に張り付かざるを得ません。こう考えると、ファンジビリティそのものはコンプライアンスの観点から是正すべきかもしれませんけれども、それがフライペーパー効果を生んで、補助金の使い切りに地方政府の行動を誘導しているのであれば、コンプライアンスの観点からのみ今回の補助金騒動を考えることは適切ではないように思います。

ここで注意しなければいけないのは、ファンジビリティが生じた場合でも、無差別曲線が移動することで最適な供給量がもたらされうる(住民の厚生が改善されうる)のに対して、フライペーパー効果があれば、無差別曲線が移動しない、つまり、住民の厚生は変化しないまま歳出だけが増えることになります。ファンジビリティの撲滅みたいなことに血眼になって、「適正な」補助金執行が達成されたとしても、それによるフライペーパー効果で歳出がムダに膨れ上がってしまう可能性もあるということです。念のため釘を刺しておくと、フライペーパー効果は国税減税による地方自治体の自主財源増(いわゆる税源移譲)でも生じるわけで、「だから補助金行政はけしからん!税源移譲だ」といっても解決策にはなり得ませんよ。

というわけで、ファンジビリティの排除というようなコンプライアンスの徹底によって、結果的に住民の厚生が損なわれていたり、最適な地方公共財供給が行われていないのであれば、それはそれで検討しなければならない問題ではないんでしょうか。とはいえ、会計検査院というのは法律しか見てませんから、「法律が認めない流用(ファンジビリティ)なんか許さないぞ」といい、その会計検査院の言い分だけ見て「無駄遣いっぽいからけしからん」と煽るマスコミしかいない状況で、そんな検討が進むわけはないんですよね。うちの政治家議員も政治家首長も「あってはならないことで許されない」とかいってるし、どんな辻褄合わせが始まるのやら。まあ、せいぜい「職員の意識改革」とかいってお茶を濁すしかできないでしょうけど。

なお、実証的な研究では、塚原論文ではフライペーパー効果は存在しないという結果が得られているのに対して、土居論文では存在するという結果が得られていたりして、実はそれほど頑健な結論が出されているわけではありません。

 地方交付税の交付額が少額ならば,地方税を(意図するか否かは問わず)実質的に減税することで最適な地方公共財供給が実現できれば,Bradford-Oatesの等価定理が成り立つ(つまりフライペーパー効果が生じない)状況が考えられ得る。地方交付税の交付額が大きければ、地方税を(意図するか否かは問わず)実質的に減税できても,地方交付税を相殺するほどには至らず,その分だけ地方公共財供給が過大になる可能性がある。つまり,フライペーパー効果が生じうる。(p13)

ここで,議論の混乱を避けるためにまとめておく。これまでのフライペーパー効果の検定結果は表12のようにまとめられる。フライペーパー効果が生じる要因として,日本の地方財政制度の下では地方税(特に固定資産税)の減税に制約があることが示された。ただ,地方政府に課税自主権がほとんどない日本の地方財政制度の下において,フライペーパー効果が生じることの政策的含意は,地方交付税の交付と(それ相当額の定額の)国税減税とは異なった経済的効果をもたらす(等価でない)ということである。フライペーパー効果が認められた都市では,地方交付税の交付が国税減税よりも地方歳出を大きくするといえるのである。(p20)

フライペーパー効果の大きさが10前後であるとは,国税を減税するときに比べて地方交付税を交付するときの地方公共財供給量(地方歳出)の増加が約10倍であることを意味する。この政策的含意は、今後の地方分権に向けた改革で、従来の地方交付税の交付に代わり,国税を減税して地方公共団体に課税自主権を与えることを行ったならば,地方歳出に対する両者の効果はフライペーパー効果の大きさの分だけ異なるということである。両者を等価と見て地方分権を進めれば,地方公共財は現在よりも少なく供給されることになる(ただしこの時点で,その供給量が最適供給量より過大か過小かは判断できない)。(p22)

土居丈朗[1996]「日本の都市財政におけるフライペーパー効果」, 『フィナンシャル・レビュー』, 第40号, 95-119頁(注:pdfファイルです)

現実問題として、三位一体の改革による所得税から住民税の税源移譲ってのが、フライペーパー効果による地方歳出の削減を引き起こしているように感覚的には思うんですが、誰か分析してませんかねえ。

2008年10月21日 (火) | Edit |
長くなりそうなので小出しにしていきますが、昨日のエントリを制度論的に補足してみます。

開発援助の世界ではファンジビリティ(fungibility)という言葉があって、ODAなんかで途上国に援助しても、本来援助しようとしたプロジェクト以外の分野に「流用」されてしまうという問題があります。もう少し複雑な話なんだけど、これについては開発援助が本業(のはず)の山形浩生氏が、去年の国会で自衛隊の給油先を巡ってもめた件を取り上げて説明されています。

 が……まず簡単な話としては、「学校作るから」と言ってお金を貸しても、相手はそのお金でミサイルを買ったりするかもしれない。まあこの程度なら簡単に見張れるし、対策もある。が、もうちょっと複雑な話がある。学校用の援助をしたら、途上国はちゃんと学校を作るかもしれない。でも援助してあげた分、自国の教育予算を減らして、その分を軍事費にまわすかもしれない。帳簿上は何も問題がない。援助のお金は、ちゃんと目的通りに使われている。でも全体としてみたら、援助のお金は結果的に軍事費の増加に寄与してしまうことになる。お金は使い回しが効くし流用もできる。これがファンジビリティだ

 とはいえ、これは考えてみればすぐわかる話だ。軍事国家にどんどん援助したら、その個別の目的がなんであれ、結局は全体としての軍事国家に貢献してしまうことになる。戦争している国に何らかの形で支援をすれば、それは結局のところその戦争に貢献することになる。ましてその戦争をしている軍隊に支援したら、それが何の名目で行われたにせよ、結局のところそれは大なり小なり戦争を支援していることになっちゃうでしょー。そしてそれがお金でなくても同じこと。燃料だって当然使い回しはきくから、話は同じことだ。そして同じ組織の中ならファンジビリティは疑問の余地なく存在する

ファンジビリティと給油反対論のあほらしさ(『Voice』2007 年 12 月 pp.112-3)」(YAMAGATA Hiroo: The Official Page


詳しくは山形浩生氏の本文をご覧いただきたいんですが、

 で、これを執筆している前後では、自衛隊による米軍の海上給油が実はアフガン行きではなくイラク行きだったとかなんとかで一部で紛糾しているんだが…… それが議論として実質的にはまったく意味がないことは、このファンジビリティの考え方から明らかだろう。アフガン行きの船に給油していたら、その分だけ米軍は力をイラクにまわす。イラク向けの船に直接給油したらイラク侵攻の提灯かつぎで大問題、してなかったら自分は(日本は)関与していない――そう考えるのがいかにおめでたいことか。距離の問題はあるだろう。ぼくがアメリカ製のDVDを買ったら、それはめぐりめぐって米軍のイラクでの活動を助けることにはなる。そこまで問題にはならないだろう。日本が米軍に基地を提供しているのも、まあそんなに近くはないだろう。でも、アフガン向けとイラク向け? 同じ組織がほぼ隣でやってることでしょうに。

「同」


というわけで、同じ組織の中での予算の流用というのは普通に起こりうることなわけです。ところが、補助金というお金に関しては、補助する事業以外に使ってはいけないという法律があるのです。その名も「補助金等にかかる予算の適正化に関する法律」(通称「適正化法」)という法律で、こう規定されています。

(関係者の責務)
第三条  各省各庁の長は、その所掌の補助金等に係る予算の執行に当つては、補助金等が国民から徴収された税金その他の貴重な財源でまかなわれるものであることに特に留意し、補助金等が法令及び予算で定めるところに従つて公正かつ効率的に使用されるように努めなければならない。
2  補助事業者等及び間接補助事業者等は、補助金等が国民から徴収された税金その他の貴重な財源でまかなわれるものであることに留意し、法令の定及び補助金等の交付の目的又は間接補助金等の交付若しくは融通の目的に従つて誠実に補助事業等又は間接補助事業等を行うように努めなければならない。

(略)

(補助事業等及び間接補助事業等の遂行)
第十一条  補助事業者等は、法令の定並びに補助金等の交付の決定の内容及びこれに附した条件その他法令に基く各省各庁の長の処分に従い、善良な管理者の注意をもつて補助事業等を行わなければならず、いやしくも補助金等の他の用途への使用(利子補給金にあつては、その交付の目的となつている融資又は利子の軽減をしないことにより、補助金等の交付の目的に反してその交付を受けたことになることをいう。以下同じ。)をしてはならない
2  間接補助事業者等は、法令の定及び間接補助金等の交付又は融通の目的に従い、善良な管理者の注意をもつて間接補助事業等を行わなければならず、いやしくも間接補助金等の他の用途への使用(利子の軽減を目的とする第二条第四項第一号の給付金にあつては、その交付の目的となつている融資又は利子の軽減をしないことにより間接補助金等の交付の目的に反してその交付を受けたことになることをいい、同項第二号の資金にあつては、その融通の目的に従つて使用しないことにより不当に利子の軽減を受けたことになることをいう。以下同じ。)をしてはならない


つまり、日本の法律は、補助金を交付する各省庁と(間接)補助事業者の責務として、同一組織内であれば普通に生じうるファンジビリティを原則として認めないと定めているために、実際に生じるべくして生じたファンジビリティが「不正経理」と呼ばれてしまう(※1)ことになります。

さらに、会計検査院というのは特別な立場の役所で、いわゆる霞ヶ関官僚とはまた違った身分として各省庁の会計事務を検査します。各省庁の補助金の使い道を調べるために会計検査院が自ら地方自治体の現地にもいくわけで、今回の「不正経理」という話も、「国の各省庁が地方自治体に交付した補助金の使い道が、初めに約束した使い道と違うじゃんか」という指摘を、各省庁と地方自治体に対して行ったということです。マスコミなんかで「けしからん!」とかお怒りのキャスターの方々なんかは、少なくともこういう構図はおわかりなんですよね?

この会計検査院というのが、政策の効果などお構いなしにとにかく法律に書いてあることしか認めないんでいろいろと批判があったり、その検査の態度もひどいもんなんですが、コームインどもを滅多斬りにしてくれるので、一般受けはいいんですよね。しかも、

 会計検査院は、このような重要な機能を他から制約を受けることなく厳正に果たせるよう、国会、裁判所に属さず、内閣に対し独立の地位を有する憲法上の会計検査機関となっています。

会計検査院の地位」(会計検査院


なわけで、誰も手出しできません。

では、会計検査院がそういったどんな組織でも生じうるファンジビリティを認めないことは正当化されるんでしょうか。長くなったので続きはまた後で。




※1 この「不正経理」という言い方も、会計検査院が実際にどういう言葉を使っているのかわかりませんので、マスコミによる「現実と背馳する恣意的な名付け」(香西秀信[2007]『論より詭弁 反論理的思考のすすめ』光文社新書、p46)である可能性が高いですけど。

2008年10月19日 (日) | Edit |
このニュースがなぜこのタイミングで一斉に取り上げられるのかよくわかりませんが、なにやら大騒ぎになりそうです。
もうちょっと詳しい話はまた後で書くかもしれませんが、とりあえずメモ代わり。

 会計検査院が12道府県の経理状況を調べたところ、総額約15億円の不正経理が見つかった。うち約9億円は国土交通省、農林水産省の補助金や委託費で、年度内に使い切れなかった予算を外部の業者に預けるなどしていた。最も多かったのは、愛知県の2億数千万円だった。検査院は今後、他の都府県についても調査を進める方針だ。
(略)
 検査院によると、不正経理の主な方法は、外部の業者に支払って管理させ、物品は必要な時に納品させたり、いったん支払って役所に戻させて管理したりする「預け」と呼ばれる手口。年度内に使い切れなかった場合、それぞれの自治体や国に返還しなければならないため、業者に一括発注したように伝票を操作し、資金を業者に保管させ、年度をまたいで使用していた。「預け」は以前から指摘されていたが、今回の調査で依然として自治体で行われている実態がわかった。

 このほか架空の出張で資金を作る「カラ出張」や、非常勤職員の人数を水増しする「カラ雇用」も見つかった。旅費など県で負担すべき費用の科目を変更し、国の補助金で支払う「はり付け」も行われていたという。
asahi.com「12道府県で不正経理15億円 未消化予算をプール(1/2ページ)」(2008年10月18日12時26分)


これは2年ほど前の岐阜県不正資金問題のときに書いたとおりですが、

ただし、裏金問題が発生する背景をきちんと整理しなければこの問題を論じることはできないということは、一般の方々にもご理解いただきたい。裏金というのは、要は表だって使えないことがあるからそのための原資として存在する。つまり、裏金に対する需要があるからこそ、裏金としてプールして供給する必要があるのである

この点について、岐阜県の「プール資金問題検討委員会」による不正資金問題に関する報告書では、多少引用が長くなるが次のようにまとめている。

 このような不正な経理による資金づくりが行われた背景には,その要因として,一方で,正規の予算には計上できないが,当時の県の各所属の業務を遂行していくために必要と考えられていた費用(たとえば官官接待費用,土産代,予算措置が講ぜられなかった備品等の購入費用等)を捻出する必要性があったこと(資金づくりはこのような費用に充てるための必要悪という意識があったと考えられる),他方で,いわゆる予算使い切り主義の予算執行が行われていたため,予算を年度内に使い切る必要があったこと(予算を全額使わず,これを余して返還することになれば,次年度の予算が減らされる可能性が高く,また,その担当者の予算見積もりの甘さを指摘される可能性もあったこと)等の事情により,いわば一石二鳥的な発想で,このような不正な経理による資金が作られてきたものと考えられる。
不正資金問題に関する報告書(注:pdfファイルです)」(岐阜県・プール資金問題検討委員会、平成18年9月1日)

ここでは裏金(岐阜県の用語を使えば「不正資金問題」となるが)の需要として2点が指摘されている。つまり、

  1. 正規の予算には計上できないが,当時の県の各所属の業務を遂行していくために必要と考えられていた費用

  2. 予算使い切り主義の予算執行

である。しかし、2は制度上の運用の問題なので少なくとも制度上の改正は可能だろうが、1を根絶することは制度上も実務上もそう簡単ではない。1の内訳については12ページ以降の「費消内容」にまとめてあるが、「(2)職員の費消」は問題外として、「(1)業務に関連した費消(通常の予算では支出しにくいもの)」は、その標題のとおり通常の手続きでは支出しにくいか、緊急を要するのに支出に時間がかかりすぎるパターンがいくつか列挙されている。たとえば、(1)の10、11、12、18といった施設の細かい修繕費や、紙が足りなくなったり会議で使う封筒が足りなくなったりしたときの補充、さらには研究機関で必要になる研究資材や参考文献のような、事前に予測できない経費を予算化することに根元的な困難さがあるのである。組織別にみたときこの傾向がはっきりするが、学校や農業試験研究所のような小規模な組織において、所管の施設を持ちつつ研究したり会議を開催するとなるとどうしても不確定要素が大きくなるにもかかわらず、予算規模は組織に比例して小さくなるので、十分なバッファを確保することができない。その予算上のバッファの代替機能を裏金に負わせることになるのである。

もちろん、(1)の経費でも官官接待とか職員の残業時の弁当代なんてのはすぐになくすべきだし、上記の緊急の支出でも通常の手続きで対応できたものまで安易に支出したものもあるかもしれない。しかし、緊急の場合の支出手続きの不備のためやむを得ない支出までは、それが通常の制度上の不備に起因する以上その制度を前提とする限り解決できない
ところが、この報告書での「第9 再発防止に向けての提言」ではそういった制度面に踏み込んだ記述が一切ない。かろうじて「4 内部チェック機能の強化・充実」という項があるが、あくまで平成13年9月の「会計事務改革に関する基本的な方針」を前提とした審査・確認体制の強化、検査体制の強化といった会計事務のチェック機能と監査業務の充実という程度にとどまる。つまりここでいっているのは、制度の不備は職員個人の心がけや自助努力で防ぎなさいという責任転嫁である。すなわち、再び裏金問題が発生したときに組織としての責任が回避できるのである。困ったもんだな。

裏金問題とはいうものの(2006/09/09(土))
※ 強調は引用時。


こういう現場が理解されることはないでしょうから、当の自治体側ががこんなこと言えばまた叩かれるんでしょうな。

 和歌山県の仁坂吉伸知事は18日、取材に対して不正経理を会計検査院から指摘されたことを認めた。「補助対象以外に使ったものは返さなければならない」とする一方、「故意に裏金を作ったり、使い込みしたりしたケースはない」と話した。詳細は明らかにしていないが、返還総額は4千万円以上という。アルバイト賃金や道路完成式典への出張費などで対象外の業務に補助金を使っていた。

 京都府は18日、会計検査院の指摘額は計9740万円だったと発表した。出張や研修の旅費が7829万円で大半を占めたが、府は「国と見解の相違があり、正当な支出」と主張。ただし、指摘分の返還には応じるという。

asahi.com「京都府と和歌山県もずさん会計処理、会計検査院が指摘」(2008年10月18日)
※ 強調は引用者による。


というわけで、チホーブンケンで地域住民の意思を反映するために、政治家首長さんたちはこういう態度を取らざるを得ないわけですが、

 会計検査院の調査により、12道府県の国庫補助事業で不正経理が発覚した問題で、愛知県の神田真秋知事は18日夜、「大変遺憾」とした上で「真相をきちんと究明することが何より大切」と述べた。また以前から同県では裏金はないと発言してきたことについて「私の判断は間違っていたと認めざるを得ない」とし、陳謝した。県公館で記者団の質問に答えた。
時事ドットコム「「私の判断間違っていた」=国庫補助不正経理問題で-神田愛知知事」(2008/10/18-21:01)
※ 強調は引用者による。


その辻褄合わせってのがまたうちの現場にもくるんだよねえ。

2008年10月16日 (木) | Edit |
今日の日経新聞は、規制改革と構造改革の大特集でした。hamachan先生と被ってしまいましたが、この時期にこういう記事を掲載するのが日経病なんですね。

まずは、竹中元経済財政担当大臣の経済教室。

九月末、問題資産買い取りのための公的資金に関する金融安定化法案が、米下院で否決された。今後政府の役割が一段と重要になることが予想される中で、政治は拒否反応を示した。
(略)
マネー・マーケット危機は、銀行危機に比べ社会全体への直接の損害は小さい一方、金融当局の事態把握が難しい側面がある。現実に明確な情報開示などがないままに複雑な金融商品取引が拡大し、これが被害を拡大させていった。
だからこそ、政府の対応が極めて重要だった。にもかかわらず、法案否決で政策不振が一気に高まった。つまり「市場の失敗」に「政府の失敗」が重なったことこそが、今回の危機の本質だといえる。

竹中平蔵「信認の危機 克服へ正念場 許されぬ「政治の失敗」日本、バラマキでしのぐな」日経新聞2008/10/16付け 経済教室「金融危機と世界 行方を探る>>3」
※ 強調は引用者による。

官僚大嫌いな竹中氏は政府の規制も大嫌いなはずなんですが、実は政治は大好きなんですよね。「政府」、「政治」、「金融当局」という言葉を使い分けているところが絶妙です。

日本の教訓としては以下の三点を指摘できる。
(略)
第三の教訓は、経済金融に理解のない政治が、常に政策の足を引っ張ることだ、そもそも日本のバブル崩壊後、不良債権問題の認識自体が大きく遅れたのは、選挙制度改革の中で政治が経済問題を無視してきたことが原因だった。またさきの金融再生プログラムでも、政治は決定に強く反対した。それは与野党問わず幅広く、当時自民党政調会長だった麻生太郎・現首相もこれに反対した一人だった。
金融問題は常に専門性が高く、一般の理解を得られにくい。だからこそ選挙を意識した政治家もまたメディアも、公的資金を伴う措置に反対しがちだ。日本で最終的に不良債権処理が成功したのは、政治の幅広い反対を封じ込めた小泉元首相の強い指導力があったからである

竹中「同」
※ 強調は引用者による。

小泉純一郎と竹中平蔵という希代の「政治家」二人がタッグを組んだんだから、そりゃ最強です。確かに利益誘導な方々も「抵抗勢力」だったでしょうけど、当時は理論に基づいた正論で反論しても「政治の幅広い反対」扱いだったんですよねえ。このことの功罪は慎重に判断する必要があると思います。

同じ紙面には、日経新聞社主催のシンポジウムの特集もありました。

日経新聞社は九月二十九日、東京・大手町の日経ホールで「ルールを創る 企業家精神と法」と題するシンポジウムを開いた。基調講演で、自民党の中川秀直衆院議員は「ルールは実情を知らない官僚に任せず、民間が自主的に作るべきだ」と指摘。米グーグル社のケント・ウォーカー氏やオリックスの宮内義彦会長は規制に縛られない活動が社会を発展させると訴えた。パネル討論では、弁護士や実業家、研究者などが企業家精神を疎外する法規制や慣行の背景、司法判断の問題点を指摘した。

日経新聞2008/10/16付け「ルールを創る 企業家精神と法」

という代物で、講演者もさることながらパネル討論のメンツがすごい。

高橋洋一・東洋大学経済学部教授
福井秀夫・政策研究大学院大学教授
岩倉正和・西村あさひ法律事務所弁護士
岩瀬大輔・ライフネット生命保険取締役副社長
大森泰人・金融庁総務企画局企画課長
(司会は三宅伸吾・日本経済新聞社編集委員)

日経新聞2008/10/16付け「同」

せっかくの規制改革・構造改革オールスターキャストなんで、一人一人の発言を拾ってみます(強調はすべて引用者によります)。

○中川秀直・衆院議員

最近では霞ヶ関も公務員倫理法で民間人と情報交換できず、困っている。そうならば民間人が政治任用制度で国家戦略スタッフとして霞ヶ関や官邸に入り、ルールを作ればいい。霞ヶ関が「公益性がない」と民間を格下に見ているのは、全体として日本に富める者の使命、役割としての寄付、社会貢献が少ないからだ。故渋沢栄一氏は、「公共事業は富者の義務」と言った。寄付による社会貢献こそが民間人が公益性に立ってルール作りを行う基盤になる

霞ヶ関を批判しながら、返す刀で民間も社会貢献が足りないとバッサリ斬る快刀乱麻ぶり。で結局、民間人がルールを創ることと寄付による社会貢献を強調されているのは、役所から支払われる給料が民間にいるときよりもガクッと下がってもいいから、役所の民間登用に応じなさいというエールなんですよね。男前です。

○ケント・ウォーカー・米グーグル社バイスプレジデント

最近、地図サービスの新機能として始めた「ストリートビュー」も、プライバシー関連法に違反してはいない。ただ、新しいサービスなので、不安が生じることも理解している。消費者や政府に対しては、我々のプライバシーに関する方針をしっかり説明している

ふむふむ、説明すればいいと。説明しただけだと「納得のいく説明がない」とか叩かれる役所とはやはり違うようです。

○宮内義彦・オリックス会長

日本は統制経済や官営経済の部分が大きい。その経済効率は市場経済を上回ることは考えにくく、日本全体のパフォーマンスは極めて低い。構造改革を進め、経済活動をできるだけ市場に委ねれば、もっと成長できるはずだ

「もっと成長できるはずだ」って、できなかったらどうするんでしょう。というか答えはもう出てると思うんですが、「いや、まだまだ構造改革が足りない!」ってことかな? 自己目的化って怖いですね。

○高橋洋一・東洋大学経済学部教授

今、政治は麻生対小沢という対立構造になっているが、ともに古き一九九〇年代の復活というイメージだ。政治主導や官僚たたきの変化もあったが、新政権下では、再び役所が規制をしたがるような状況に戻るのではと心配する

「官僚たたきの変化」って、ご自身と福井氏が脱藩官僚として古巣を叩いていることのPRなのでしょう。

○福井秀夫・政策研究大学院大学教授

経済や社会が安定軌道に乗っていくための最大原則は、国家が権利を明確に定めること。そしてそれを担保する司法制度を確立し、運用することが重要。ところが最近はそうした部分に黄色信号がともってきていると懸念している。特に官民の分担関係のゆがみに最近注目している

なんか最近おとなしくなったような気がすると思ったら、違うことを考えているみたいです。何を言い出すかわかりませんけど。

○岩倉正和・西村あさひ法律事務所弁護士

行政は、市場が本当に機能していない時に介入して市場機能を回復させる機能と、監督者として事後規制する機能にとどめるべきだ。不必要な行政の介入はあってはならず、法治主義の下では最終的に司法がすべてを判断する。司法権が行政に対して適正に行使されることも重要だ。

今回の一番のヒットはこの発言。司法試験合格者ってのは「俺が言うことは全部正しい。俺が法律だ!」的な思想を持っているようですが、「不必要な行政の介入」ってのをどう判断するかが問題なんであって、それが解決できれば規制改革なんか簡単な話なんですけどね。それも全部司法で解決してくれるんでしょうか。今の法曹界にそんなリソースもないはずですし、リソースを増やそうとした司法試験改革は早くも頓挫してますけど。

○岩瀬大輔・ライフネット生命保険取締役副社長

プリンシプル(原則)に従って判断した結果、(行政から)呼び出しがかかったらどうするのかと考えると、やはり萎縮せざるを得ないところもある。裁判所にも頼ることができない。特に金融業界でそうした姿勢を示すのは、すぐには難しいと考える。
(略)
いざとなったら裁判所に行けば助けてもらえるという感覚は今は到底ない。司法権の確立もあるが、まずは我々企業家が成熟性をもって何が正しいのか自分で判断することが必要だと思う。そのためのプリンシプルはもっと分かりやすくすべきだ。

同じ司法試験合格者でも、ご自身で事業をやっている方というのはさすがにバランス感覚がいいですね(在学中に合格するぐらいだし)。

○大森泰人・金融庁総務企画局企画課長

一般論として企業が自らに有利なルール作りにロビー活動するのは当然だ。大事なのは政府が負けないことだが、既得権を主張する業界と激突するのはつらいので、往々にして業界の主張を自分の主張だと思い込む。その方が楽だという心境は、行政一般に見られる現象だ。

この発言が読めただけでこのシンポジウムが開かれた意義があったんじゃないかと思えるほどの重要な発言です。規制改革とか構造改革とか地方分権とか叫んでいる方は、この発言の意味をしみじみと味わっていただきたいもので。

それにしても、このメンツとこの発言だと議論がかみ合いそうにないんですけど、日経新聞の編集担当の方乙。

2008年10月11日 (土) | Edit |
自分で書いておいて手前味噌ではありますが、このコメントって意外に射程が広いかもと思いましたんで、ちょっと話を広げてみます(まあもともと独り言みたいなブログですし)。

2008/10/06(月) 23:44:31 マシナリ
> 地元はそんな空気があんまり無くてね。
それが地方分権の本質ではないかと思います。国全体のことを考える官僚とその組織を貶めて、地方(自分の身の回り)のことしか考えない政治家とか地方自治体とかNPOを褒め称える風潮というのは、体のいいクーデターのようなものかもしれません。
(あ、念のためgruza03さんの地元に限った話ではないですよ。)

善意と熱意の地方分権(2008/10/05(日))」コメント欄


天下国家を論じることに輝きが無くなったとか宮台真司が言い出したのがオウムのころだったと思うけど、輝きなんてものはおそらく官僚の世界にはとっくの昔から無かったんだろうと思う。城山三郎『官僚たちの夏』で取り上げられた「ミスター通産省」こと佐橋滋だって特振法を実現させることはできなかったし、その弟子の平松守彦も「一村一品運動」以外ではその大分県政が評価されているわけではないんですよね。

特にWikipediaで指摘されている「平松の地域論」なるものは、

平松の地域論は、国がやるべきは「通貨、国防、外交」で、福祉、教育、農業などは地方に任せればよいとするもので、さらに地方の中でも地域、コミュニティは「一村一品」運動のように地域が主人公として特徴を出せばよい、行政は黒子、知事の役割はトップセールス、国は法や規制をかざして制約すべきでないという主張であった。

さらに、地方はまとまり、道州となり自主運営力をつけ、その一つである九州は地理的な強みを生かしてアジアとの交流に取り組むべきとするものである。実際、平松はローカル外交にも取り組んだ。いかにも、通産省の官僚出身らしいスケールの大きな発想であった(一方、その発想、考え方には官僚臭を感じるという指摘もある)。

平松守彦」(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


だそうで、これってまさに今流行のチホーブンケンなわけです。通産官僚が従来考えられていた影響力を持っていなかったことが明らかになるにつれて、その通産官僚自体が「国の役割なんか限定してしまえ」という詭弁を弄し、しかもそれが「一村一品運動」として地域活性化の切り札的に各地でもてはやされるという構図。

序に車中で喰おうと買った甘酒アイスは、そのまんまの甘酒テイスト。

師匠とその娘のアイスは、醤油がマーブル状にたらしてある。

アイスクリームメーカーに甘酒や醤油をぶち込む、恐れを知らぬその勇気に乾杯だ。旨いけど。

んで、帰り道。師匠から「これどうよ」と渡されたチラシ。

何でもこのGW中、埼玉B級ご当地グルメ決定戦なるイベントが大宮で開かれているらしく、その広報チラシなのだが・・。

そのラインナップが凄い。

ダメな師匠のお蔭様で俺もだいぶ埼玉のB級グルメ事情には詳しくなってきたのだが、そんな俺でもひっくり返る様な、そのエントリー。

(略 ぜひ本文をご覧ください

以上、パクリと無茶無謀のオンパレード

埼玉県民のこうした中学生的センスには、底知れないパワーを感じるね!

さすが、「梅を切り倒して今から桜を植えます」と宣言する知事が居た関東最後の秘境は、一味違うぜ。

■[日常]一村一品運動のためなら、剽窃をも辞さぬ! それが日本最強のフリーダム都市・埼玉!(2008-05-05)」(tetu-oの日記


世の中にフリーランチなるものはないというのは経済学の中でも重要な概念ですが、「一村一品運動」を先駆者たる大分県がやってしまった後に、フォロワーが同じ戦略でマーケットを獲得できるわけがありません。ちょっと前なら3300、今ですら1800もある市町村が全部これをやって成功するなんてことはありえません。無理矢理それをやろうとすれば、すぐにアイディアが枯渇して「パクリと無茶無謀のオンパレード」になるでしょうし、さらに無理を通せばマーケットが市町村規模に応じて細分化された場合にしか可能にならないわけで、そんな矛盾を糊塗するかのように今度は農水省が「地産地消」とか言い出す始末。

いつもなら地方の惨状を指摘した後で、「地方よりは国のほうがまともなことをしている」ということを書くところですが、通産省(経産省)とか農林省とかの流通に関係する省庁は、実際のところ結構前からしょーもない「活性化策」を推進しています。ただ問題は、そういうしょーもない「活性化策」を鵜呑みにして金科玉条のごとく信奉している地方自治体が後を絶たないということなわけで、こんな風潮だからこそ国全体の視点で考える組織はますますその重要性を高めるはずなんですけどね。

うがった見方をすれば、通産省とか農水省という存在意義が崩れまくっている省庁が自身の生き残りを図るためには、国という組織からどんどん権力を分散させていって、その細切れになった領域を個別に囲い込んでマーケットをつくるしかないという事情があるのかもしれません。経産省があらゆる政策に口を出したりするのは生き残り策というよりカルチャーといったほうがよさそうですが。

蛇足ながら、こうした考えに立脚すれば、しばしば「お行儀の悪さ」として語られる経済産業省(旧通商産業省を含む)関連の縄張り争い(webmasterもそう思ってきましたが(笑))は、基本的に市場の失敗に対する政府介入を存在理由とする他省庁に対する、市場を擁護する経済産業省という価値観の争いの顕現化であったことでしょう。無論それ以外の省庁同士でも価値観の違いはあったわけですが、その大きさが経済産業省においては有意に異なっていた可能性があります。

本書のpp136,137に9つもの旧通産省関連の「官庁摩擦」が紹介されていますが、そこでも旧通産省の使命はいずれも財界の代弁であったでしょう。逆に、最近経済産業省が従来のような摩擦を引き起こさなくなったのは、財界が政策決定プロセスへの直接のアクセスを確保したがゆえに、代弁者としての存在意義が薄れてきているということではないでしょうか‐にもかかわらず、火のないところに煙を立てるカルチャーは今なお残り、ネタとして妙な構造改革を振りかざすのは勘弁して欲しいものですが(笑)。

#旧通産省は市場介入において財界と対立的であったのではとのご指摘もあるかと存じますが、財界に対しては政府を、政府内では財界を代弁するとの振る舞い方は仲介部門にありがちなことであり、矛盾するものではないとwebmasterは考えています(総務省(旧自治省)の地方公共団体に関わる振る舞いもまたそうでしょう)。
■ [government][book]今村都南雄「官庁セクショナリズム」(2006-09-11)」(archives of BI@K


国全体のことを専門で考えるはずの中央政府の中でもそのミッションに濃淡があるのは事実でしょうし、それによってインセンティブが変わるのもわかりますが、本来そういった事情を踏まえるべき地方分権改革推進委員会がまったく逆のことを主張するというのは、なんとも怖いものです。

はじめに
(当委員会の認識)
こうした厳しい状況の下で、わが国の地域社会を持続的に発展させていくためには、国と地方のこれまでの役割分担を徹底して見直すことによって、行財政をめぐる国と地方の不明確な責任関係がもたらす両者のもたれあい状態から早急に脱却し、機動的かつ効率的な行財政システムを構築していくことが急務である。地域のことはその地域に暮らす住民自らが判断し、実施に移すことができる行政体制を整え、個性豊かで活力に満ちた多様な地域社会、地域の住民が誇りと愛着を抱く地域社会を再構築していくことが肝要である。そして、これこそが、生活者の視点に立った行政を実現する地方自治の本来の姿であり、成熟した民主主義社会の基盤である。この理想像に近づくために欠くことのできない構造改革が地方分権改革にほかならない。これが当委員会の揺るぎない信念である。

平成20年5月28日 「第1次勧告 ~生活者の視点に立つ「地方政府」の確立~」本文(注:pdfファイルです)」( ■ 地方分権改革推進委員会 委員会の勧告・意見等)p3


「公共財の過小供給」と「外部性」と「独占」と「情報の非対称性」という市場の失敗のオンパレードが地方自治であり、成熟した民主主義なのですね。わかります。