2008年09月30日 (火) | Edit |
いまさらですが、経営者による現場目線のサンプルとして両者を見比べてみたら面白かったので。
公務員は一周遅れでもいいから「失われた10年」(今の経済財政運営の流れからするとさらに10年?)を経験しろ(※1)ということなんでしょうか。

Ⅲ.新制度の概要
2. 多様な能力、技術、経験を持つ人材の採用、育成、登用
(2) 中途採用
 各種機関(府省等)が公務員共同体化し、仲間利益の優先、情報の秘匿、無責任無懲罰状況に陥っていることこそ、今日の官僚機構の最大の問題である。これを解消するためには、府省別の閉鎖的人事体制を打破して、各府省間でも官民の間でも流動性の高い人事制度を創る必要がある。
 公務員制度を適正にする3本柱は、機関(府省等)の垣根を越えた人事異動、抜擢と淘汰、他の職業からの中途採用の3つである

 学卒採用者の選抜・内部育成と中途採用の組み合わせにより、多様で高度な人材を確保する。
① 他の職業からの中途採用を積極的に行っていくために、一般職、専門職、総合職の3種類の中途採用試験を導入する。
② 中途採用試験は、内閣人事庁が各府省の人材ニーズを取りまとめ、人事院が実施する。
③ 中途採用者の処遇については、民間での経験を適切に評価して決定する。
④ 特に総合職については、内閣人事庁において、計画的に職位毎に中途採用者を採用する。
 中途採用は民間企業や大学からの出向や派遣ではなく、公務員として長期勤続することを前提とした採用である。特にこの場合は、人事院において技能や経験を厳格に検査する(コネ入省防止)。

(略)

3. 公務員の倫理の確立と評価の適正化
(3) 評価と賞罰
① 人事評価において、国民本位の評価視点を取り入れ、目標設定や結果のフィードバックなどのあらゆる機会において評価者と被評価者のコミュニケーションを充実し、「全体の奉仕者」としての意識を涵養する。あわせて、そのための評価者の資質向上を図る。
② 評価は、採用年次にとらわれず、同一の職位に属する集団の中での相対評価により行うことで、年次順送りでない能力実績主義に基づく公平・透明な仕組みを確保する
③ 組織目標とリンクした目標管理を行い、組織目標から個人の目標を導き出す。
④ 評価に当たっては、A.評価基準に照らした行政効果、B.選択肢の提示数量と出来映え、C.明確な失敗(記録の喪失、事業予測の誤り、許認可の遅延、事故事件)、D.手続きなどの簡素化努力、E.公務効率程度(残業や経費の削減努力等のビジネス・プロセス・リエンジニアリング(BPR)実績)、F.民間からの苦情審査、等を尺度として採用する。
⑤ 評価に対する納得性を高めるため、被評価者に評価結果を開示し、フィードバックを確実に行う。
⑥ 具体的評価方式は内閣人事庁が策定し、当該公務員の勤務機関において実行する。
⑦ 評価記録は、管理職未満の一般職および管理職未満の専門職については各機関が、総合職および管理職以上の専門職については内閣人事庁が記録を保管し、各機関人事権者などに閲覧させる。
⑧ 勤務評価の結果は、事後の昇降給、賞与および人事配置などに反映させる
⑨ 管理職の評価においては、公務員としての倫理および管理対象組織と職員に対する指揮監督の実効性を第一とする。


平成20年2月5日『「公務員制度の総合的な改革に関する懇談会」報告書[PDF]』(公務員制度の総合的な改革に関する懇談会
※強調は引用者による(機種依存文字をそのまま引用してますので、本文でご確認いただければ)。



第3章 雇用管理の動向と課題
第2節 企業経営と雇用管理の動向(注:pdfファイルです)
1)企業の雇用方針
(労働者のために柔軟な就業機会をつくるという企業の認識は低い)
 近年では、パートタイマーや派遣労働者で、本来であれば、正規の職員として就職したかったと思っている不本意な就業者が増加しているが、こうした傾向は、産業活動や企業活動の健全な発展という観点からも注意が必要である。コスト抑制に傾き過ぎた企業経営は、長期的な視点に立った人材育成を疎かにし、外部に人材を求める傾向を推し進める。しかし、産業、企業活動に不可欠な人材は、職務経験を含めた長期の人材養成の取組があって、はじめて満足いく形で育てられるものであり、中途採用や正規の職員以外の就業形態による、人材の外部調達に傾きすぎれば、いつかは、地道に育てられた人材資源は枯渇することとなる。そして、人材面での隘路は、その産業分野や企業の成長にとって、大きな障害となることは間違いない。バブル崩壊以降の厳しい経済環境の中で、コスト抑制が優先されてきたが、景気回復に伴って、企業が事業運営に自信を回復していけば、企業も人材育成のコストを負担しやすくなると考えられ、新規学卒者の採用が引き続き増加する中で、今後は、労働者の配置や育成に向けた対応が再び強化されていくことが期待される。
(p188)

(略)

2)賃金制度と賃金構造
(賃金制度の見直しは意欲向上とコスト削減の両にらみ)
 第3 -(2)- 8 図により、企業が賃金制度を見直した契機についてみると、社員の満足度を高めるために、社員一人ひとりに応じた賃金決定が必要なためとするものの割合が高い。しかし、経営状態に照らし総額人件費を抑制する必要があったためとするものが次いでおり、産業別には、卸売・小売業,飲食店での割合が相対的に高い。また、今までの賃金制度が新規学卒時から勤める者を基本に設計されていたことから、中途採用者を受け入れるためにも見直しを要したという側面があり、製造業、サービス業では、卸売・小売業,飲食店に比べ、中途採用の増加、活用のため適切な賃金制度を整えることを目的としているとする企業割合が高い。
 このように、賃金制度の見直しの契機として、労働者の意欲を引き出すための取組があったことは間違いないが、同時に、コスト削減も少なからず目的とされている。労働者の意欲に裏打ちされた高い産業競争力を実現していくため、現状の賃金制度の課題を的確につかみ、今後の改善に向け積極的に取り組んでいくことが大切である。
(p191)

(略)

(賃金制度見直しの光と影)
 第3-(2)-14 図により、労働者の意識からみた、賃金制度の満足度や改善度をD.I. によってみると、現状の賃金制度に満足している者は少なく、不満に感じている者の方が圧倒的に多い。また、評価基準の明確性についての不満や努力が報われないことへの不満が大きい。さらに、満足度が高くなったか低くなったかをみると、満足度が低くなったとする者の方が多く、努力が報われること、評価が納得できること、などでの悪化が大きい。特に、卸売・小売業,飲食店では、努力が報われなくなったと感じる者が多く、そのD.I. の悪化は、他の産業に比べ大きく、この点が卸売・小売業,飲食店における賃金制度に対する不満拡大の最大の要因であると思われる。
(p198)

(略)

まとめ(注:pdfファイルです)
(業績・成果主義の広がりと長期勤続者にみられる意欲の低下)
 働く人々の職業能力は、一朝一夕に形成されるものではなく、長い歳月をかけ、豊富な職務経験を積み重ねながら高まっていくものである。我が国企業に広くみられる、長期雇用の慣行は、計画的に新規学卒者を採用し、長期的な視点から職務経験を積ませ、時間をかけて人材を育成していくことを目指すものである。1990年代には、経済停滞が長期に及んだことから、長期雇用慣行に不可欠な、計画性や長期的展望が揺らぎ、こうした雇用慣行のもとにある労働者が絞り込まれ、年功型の賃金制度の見直しも進んだ。近年は景気回復に伴い、企業も経営に対する自信を次第に回復させ、それに伴って新規学卒者の採用も拡大している。また、人々の意識をみても、長期雇用慣行や年功型賃金制度など、いわゆる日本型雇用慣行に対する評価も回復している。かつては、日本型雇用慣行の持つ弱点として指摘されることが多かった、組織の一体感や一企業を前提としたキャリア形成などについても、かえって、それを積極的に評価する見方が増えている
(p245)

使用者と労働者の間で広がる認識ギャップ
 1990年代以降の雇用管理の見直しは、集団主義的な色彩を改め一人ひとりの個性を活かすといった視点を含んではいたが、経済環境が厳しかったこともあって、コスト削減志向が極めて強いものであった。仕事を通じて得られる満足感について労働者の意識調査をみると、どの産業でも、満足感が低下したとする労働者の割合の方が高く、正規の従業員を絞り込んだことや、広く導入された業績・成果主義的な賃金制度の運用などには多くの問題点があったことがうかがわれる。一方、企業調査をみると、企業は、労働者の満足感がそれほどまでに低下しているとは認識していない。企業調査では、労働者の満足感が低下したとは思わないとする割合が高く、企業側と労働者の認識のギャップは大きい。(※あ、全部強調してしまった)
(p256)


厚生労働省平成20年版 労働経済の分析-働く人の意識と雇用管理の動向-〔平成20年7月22日閣議配布〕
※強調は引用者による。


「今年の『労働経済の分析』は、官僚による『「公務員制度の総合的な改革に関する懇談会」報告書』に対してのリジョインダーだったんだよ!」
「な、なんだってー!!(AA略)」


※1 もうすでにうちのところは逆格差を経験してますが。
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2008年09月28日 (日) | Edit |
前々回のエントリにいただいたすなふきんさんのTBですが、そこで指摘いただいた点は重要な論点だと思うので、遅ればせながら少し深掘りさせていただきます。

そもそもキャリア官僚と木っ端役人(失礼)のリテラシーに差異を見出さない人は国の機能を地方にそのままコピーしても大丈夫ぐらいに思ってるんだろうな。そこらへんになると非常に怪しいと私も思う。というかそれって国の行政にせよ地方行政にせよバカにしてるとしか思えない発想なんだよな。何かあると「民間では」という決まり文句が飛び出してくる公務員批判だが、だったら何でそんなボンクラぞろいの公務員たちに自分たちの運命を委ねるようなこと(地方分権)を正当化するのか?ということも考えてみれば矛盾だらけの話だ。信用してるのかしてないのかどっちなんだよ。
■[世相その他]自己目的化した地方分権志向の危うさ(2008-09-25)」(すなふきんの雑感日記


以前「世間知」とか「専門知」とかの議論が盛り上がっていたころに、「ある分野について専門知を持っているにもかかわらず、他の分野へのリスペクトが足りない人も多い」というような指摘があって、ものすごく納得した記憶があります。いろいろググってみたものの該当するエントリを発見できません(bewaadさんのところだったような・・)でしたので、ちょっと違うトピですが稲葉先生のこのような指摘が重要ではないかと思います。

クレクレ厨が嫌われるのは、ただ単に、自分からは何も有益な知識を提供せず、他人の知識にただ乗りしようとするからではない。他人の知識を尊敬していないからだ。断片的な情報・知識の背後にある知恵への尊敬を欠いたままで、ただただ情報の表層的な効用だけを追い求めるからだ。
■[論点]29日に出さなかった「教養」という論点について(2006-05-02)」(インタラクティヴ読書ノート別館の別館


同じことは地方分権改革推進委員会の委員長さんの講演のときにも感じたことではあるけど、簡単に言えば、他人の仕事の現場に対する想像力のなさに尽きるんだろうと個人的には考えています。

たとえば、最近マスコミとかネットとかでよくある論調をデフォルメしてみると、

研究者なら、
「自分の専門分野以外のことについて、専門じゃない自分がわからないのは当たり前なんだから、わかりやすく答えられないオマエが悪い。つか、そんな研究分野イラネ」とか、

経営者なら、
「現場のことはよくわからないけど、俺は会社を経営する責任があるから、なんだかよくわからない仕事している奴は辞めてくれ」とか、

国会議員なら、
「公務員がどんな仕事しているかわからないけど(※1)、不祥事が起きているのは既得権益にしがみついているからに違いないから、ガンガン懲戒処分して給料下げてやれ」とか、

民間感覚あふれてしがらみのない知事なら、
「キャリア官僚がどんな仕事しているか知らないけど(※2)、地方が疲弊しているのは官僚が自分の省益しか考えていないからに違いないから、霞ヶ関を解体しろ」とか、

ワープアとか騒いでいる人なら、
「経営者が何をしているかしらないけど、労働分配率が低くて低所得者層が増えて格差社会になっているのは、経営者が労働者から搾取した利益で贅沢したりしているからに違いないから、経営者からもっと税金を取って再分配しろ」とか、

・・きりがないですね。こういう意見を聞いてそれぞれのメンツを立てた政策をつくるときに必要とされるのが、キャリア官僚に特に重視される利害調整能力だったりするんですけど、少なくとも俺にはこれを大過なくこなす自信はありませんよ。

一つ一つ反証する気力も能力もないので、ryozo18さん経由で読んだ本から引用してみます。

中級者から上級者に脱却したとき、「脱却した」という実感を持つのがふつうである。同じ技能をやっていて、昨日とは見えるもの、見え方が異次元に違うという状態を経験するはずである。
それを経験することによって、その特定の技能を超えた自信ができる。
(略)
それを経験した人は、その技能で、上級に達していない人からは見えないもの、納得できないものがあり、自分にはそれが見え、納得もできるということが実感としてわかるようになる。すると、その他の大部分のことでは、自分も中級者以下だから、自分にはかんたんにわからないものがあるということも納得できる。そういう意味での謙虚さのようなものが身につく。
(pp127-128)


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(引用者注:念のため、ここでいう「上級者」は、「ふつうの生活をしている私たちが、人並みの適性のある技能に、そう無理ではない練習量でまあまあ一人前のレベル(p23)」に達した人であって、職業の貴賎とか所得の多寡とは関係ありません。)


職業的なスキルを身につけたときには、誰でも「仕事について自分のスキルが上がって、仕事について一家言もてるようになった」ことに気がつくのではないかと思います。そのとき、他の職業人についても同じことが起きていていると想定するのが自然なはず。しかし、それは職業特殊なものであることが多いので、簡単には互いにそのスキルをわかち合えないどころか、そういう想定さえされないことになってしまいます。

ここで、引用のように、他の分野や仕事については「自分も中級者以下だから、自分にはかんたんにわからないものがあるということも納得できる」と思うかどうかが分かれ目になるんではないでしょうか。そう思うことができなければ、稲葉先生が直截「他人の知識を尊敬していないからだ」と指摘されたように、他人の仕事が自分にはわからないという前提で、他の仕事の現場を尊敬する理由を見失ってしまうのではないかと。そして、現在のところはそれがかなりのところまで浸透してしまっているように思います。

まあ、こんなめんどくさい書き方するまでもなく、役所が民間企業の活動を規制しようとしたりすると「民間感覚もわからないくせに」とか言われるのに、民間の方々はいとも簡単に「役所を改革しなければダメだ」とか「公務員制度改革だ」とかいえてしまうのはなぜなんだろうということです。他の分野の現場を理解していないってことはお互い様なはずで、もちろん、この点については役人も大いに反省すべきところはありますが、かといって、一方的に公務員が民間の現場を理解して、民間と同じ行動を取ればいいということでもないんですよね(※3)。民間の方々にも、キャリア官僚の上記のような利害調整なり、地方公務員の法の執行とかいう仕事の現場を理解していただけるとありがたいです。

お互いにお互いの仕事をわかってないという前提で、それでもなお、それぞれの仕事や活動の現場をリスペクトし合いながら、公的部門(その中での国と地方の関係もある)と私的部門が役割分担していくことが重要なんじゃないかなと思うんですが、こんなこと書いても民間感覚がわかってないとか言われちゃうんでしょうな。


※1 国会議員の少なくない割合は官僚出身者ですが、仕事を知っていたとしても公務員はスケープゴートにもってこいですからね。わかってて批判する脱藩官僚の方もいらっしゃいますが。
※2 知事の半分もキャリア官僚でできているので、大半は改革派としてのポーズか霞ヶ関に対するコンプレックスかどっちかなんですけどね。
※3 そもそも公的部門と私的部門は非対称であって、それぞれ違う体系のものということはジェイコブス『市場の倫理 統治の倫理 (日経ビジネス人文庫)』(2003、日本経済新聞社)が指摘するとおりでしょう。

2008年09月25日 (木) | Edit |
すなふきんさんにTBいただいて(タイポが多くてお恥ずかしいです・・)アクセスが増えたと思っていたら、岡本全勝氏で検索してこられた方もたくさんいらっしゃったようです。

岡本氏の首相秘書官入りというのは霞ヶ関的には異例とのこと。

総務省から初起用=首相秘書官、6人に増員-自民・麻生氏(時事)

 自民党の麻生太郎総裁は24日、事務担当の首相秘書官に総務省の岡本全勝官房審議官(78年入省)を起用する人事を内定した。首相秘書官に総務省の官僚が起用されるのは初めて。これまでは財務、外務、経済産業各省と警察庁の出身者で占められており、事実上の増員となる。
 岡本氏は、麻生氏が総務相当時に交付税課長を務め、三位一体改革などで麻生氏を支え、信任が厚いとされる。岡本氏以外では、財務省の浅川雅嗣副財務官(81年入省)、外務省の山崎和之官房総務課長(83年入省)、経産省の柳瀬唯夫企業行動課長(84年入省)を起用する。
 内閣官房組織令では、首相秘書官の定員は5人までとされているため、警察庁から起用する室城信之企画分析課長(82年入庁)は「秘書官事務取扱」とする。


 旧自治から総理秘書官、しかも全勝さんキタ━(゜∀゜)━!!  実質定員増して財務の秘書官を最も高い年次とする慣例を破っての起用というあたり、麻生新総理の信任の厚さと地方制度に対する認識の深さがあらわれているのかな、と思ったり。
2008年9月24日(水)」(こころごころ

著作物でしか岡本氏を存じ上げないのでよくわかりませんが、三位一体の改革当時の総務大臣とその部下という関係が今後の地方分権とかの流れにどう影響するのかは興味深いところです。まあ、旧自治省仕様全開でしょうし、ろくでもない方向に進みそうな悪寒しかしませんが。

と思ったら、総務大臣はアルカイダの友達のお友達の鳩山邦夫氏ですか・・・

2008年09月24日 (水) | Edit |
kikulogで地方分権チックな観点から興味深い話題が盛り上がっているようです。

37.
 情報の収集分析を行い、全ての先生が最低限知っている必要のあることを全国に配布するシステムの不在というのが、ひとつの問題のように思います。
おそらく、戦前の中央集権的な教育体制に対する反省から独立性を高めたものと思いますが、結果的に大分のような各個に閉鎖社会を形成し、その中で汚職だけでなくデタラメも浄化できず、また教育界全体で必要な情報を共有し伝達することができないシステムになってしまっているのではないかと思います。
 
 情報取得が各教員に任される形になれば、ただでさえ忙しい中で各個に(同じ)リサーチを行うことになる無駄手間になりますし、中には情報から取り残されてしまう教員も出てくることになります。
各個人のスキルや努力に大きく依存する状態は現代的とは言えないものがあります。
 
 官製とは別の全国的な組織として日教組がありますが、「教え子を再び戦場に送るな」というスローガンの下で、その昔神話を史実として教えたことと同じことの繰り返しにはまるで無頓着に見えてしまいます。


108.
 確認しておきますが、私はそのような授業を擁護したり弁護したりするつもりはありません。なぜ「水伝」や「アルミプルタブで車椅子」のような話が学校でまかり通っているのかを考え、対策を講じたいと思っているのです。

 まずは「環境問題」に関する教員の知識レベルを上げるために、しかるべき研修を受ける機会を確保することが必要だと思います。

 ただし、知事や市町村長や議員や官僚が、論理的・科学的に間違った「環境教育」を推進しようと狙う恐れがあるので、「研修」の内容には第三者のチェックが可能なようにしておくことも必要でしょう。


関東地区公立小・中学校女性校長会(2008/9/16)」(kikulog)コメント欄
※発言者・発言日時は省略しました。


結局こういう問題って、地方分権がどうのこうので解決することじゃなくて、しかるべき職務にはしかるべきリテラシーを持った人材を配置しないと大変なことになるということを端的に示しているだけです。

引用した108のコメントでは「知事や市町村長や議員や官僚」とありますが、もちろん個人差はあるとしても総体的にこの中で一番リテラシーの高いのは「官僚」でしょう。最大野党がさんざん喧伝しているように、いわゆる「官僚」とか役人と呼ばれる中でもっともリテラシーの高いと思われるキャリア官僚すら信用しないなら、すくなくともリテラシーにおいてより劣る首長や地方議員や地方公務員の方がまともな政策を実行できるはずもないんですけどね。

あ、もしかしてリテラシーがなくてだましやすい地方公務員とか首長とか議員が多い方がいいのかな? だから「水伝」とかプルタブ運動とかにコロッとだまされる教員が増えるのかな?
そういう考える方々にとっては、たしかにちほうぶんけんはばらいろのみらいですね(棒読み)。

2008年09月23日 (火) | Edit |
実は前回エントリで、前々回エントリの「NPOとの協働」に絡めて「自治基本条例」についても取り上げようかと思ったんですが、話には聞くものの実際に制定した自治体が近くにないもので、エントリも長いしスルーしてしまってました。gruza03さんからコメントがあったので、改めていろいろサルベージしてみたところ、自治基本条例(Wikipedia)経由で、「キャリア官僚の出身大学に比べれば一段下がる大学の法学部卒が大多数を占める事務系地方公務員は、政策法務の考え方をとることで「キャリアに独占されていた法律策定が俺たちにもできる!」とはしゃいでいるわけです」にかなり近いモデルを発見。

自治体法務(ホーム)パーク

正直なところ、俺自身が政策法務とかにはあまり興味がないこともあってこのサイトに書いてあることの是非とか軽重を判断することはできませんし、その意味では、地方公務員としてキャリアを積んで現在は大学で教員をされている方の専門分野には何も言えません。しかし、多少なりとも俺が比較優位を持つ経済学に関していえば、参考文献として「1-0 自治体法務関係文献紹介コーナー・ポータル」に挙げられている経済学・財政学関連書のコメントを見て、上記のような法学部卒地方公務員の特性について妙に納得することしきりです。

まあ、財政学と経済学を別個のものとして取り上げている時点でアウトですが、土居『地方債改革の経済学』(日本経済新聞出版社、2007)のコメントにはビックリです。

4.土井(ママ)丈朗『地方債改革の経済学』日本経済新聞出版社、2007年(2007年8月22日掲示)
日本の地方債制度について、経済学的に分析する研究書(経済学といっても、新古典派経済学・計量経済学の知識が求められるもの)。地方債が膨張する現状の説明と背景分析(三位一体改革で取り残された地方債制度)、地方債が自治体にもたらしたもの(財政投融資との関係と地方債の膨張)、地方債の構造が借り手意識を持たないものとなっていること(地方交付税措置や国による「暗黙の保証」)、自治体破綻の可能性、外国の地方債との比較制度分析(アメリカとフランス)、今の日本の地方債改革の動きと政策提言から成る。改革における市場原理の必要性を基本にすえた提言であり、実際の制度改革を純粋理想形で追えば、このようなものになるのではないか。上記意味の経済学の知識がないときちんと本書を理解できるとは言えないだろうが、自治体関係者も地方債制度改革について避けて通れない事柄なので、その経済理論的な政策提言については、知っておかなければならない。『アメリカの州・地方債』とともに、ご活用いただきたい
8-4 政策財務法&財務・財政学系(自治体法務にかかわるもの)」(自治体法務(ホーム)パーク

ええ!? 「(経済学といっても、新古典派経済学・計量経済学の知識が求められるもの)」なんて括弧書きでサラッと書いてますが、新古典派経済学・計量経済学が必要でない経済学ってあるの? それなんてマルクス経済学?

今時のマクロは新古典派と呼ばれるミクロの手法を用いないことには議論できませんし、従来は財政学と呼ばれていた政府の財政活動に関する研究分野も、新古典派のミクロの手法を用いた公共経済学が中心になっているわけで、「財政社会学」とかを標榜している神野一派だけを財政学と考えてしまうと大勢を見誤ることになりますけど。

土居先生の本は確かに計量経済学ゴリゴリで一般の方は読みにくいでしょうから、まずは有斐閣の「つかむシリーズ」(神戸・寶田・濱田『ミクロ経済学をつかむ』(2006)竹田・小巻『マクロ経済学をつかむ』(2006)畑農・林・吉田『財政学をつかむ』(2008))とかで経済学と政府の財政活動についての基礎的な部分を大まかにでも理解して、鳥居『はじめての統計学』(日本経済新聞出版社、1994)山本『計量経済学』(新世社、1995)あたりを手元に置きながら地道に読み進めるしかないでしょう。

それにしても、「改革における市場原理の必要性を基本にすえた提言であり、実際の制度改革を純粋理想形で追えば、このようなものになるのではないか」という「経済学=数学を使ったモデル=理想形」なステレオタイプ理解もどうかと。確かに、ミクロ・マクロの学部レベルの教科書では単純なモデルで説明しますが、それはあくまで入門段階の教科書だからですね。

その入門レベルの次に学習する応用経済学の代表がたとえば公共経済学なので、公共経済学者である土居先生の本も入門レベルの経済学だけでは理解できません(上述の文献では畑農ほか(2008)がこのレベルへの橋渡しになっています)。入門レベルの経済学が単純な理想形のようなモデルで説明されていたからといって、応用経済学のレベルもそうだということはもちろんないわけです。特に、現在の経済学におけるゲーム理論の貢献をしっかり理解しておかないと制度設計はできない状況になっています。

ただ、土居先生の主張の要点は地方債制度が総務省と財務省の操作変数になっていて規律が保たれていないという点にあるので、そこを読み取ることができれば、市場原理が必要という文脈も規律を働かせるための経済学の観点からの提言として理解できると思います。その意味では上記のような経済学の知識は必ずしも必要十分ではないんですが、政策云々を語るならこれくらいのレベルの経済学は理解しておくべきですね。

あと、自治基本条例について書いておくと、制定した首長とか議員とか職員は、単に憲法とか他の法律に書いてあることを「市民」とかの言葉に言い換えて文章化しただけという程度の認識かもしれませんが、その「市民」一つとっても「国民」とかと微妙にぶつかる概念になっていて、どうやって整合性を取るのかよくわからないというのが個人的な感想です。そもそも治外法権的な地方分権を主張する方々も多いのでそんなこと知ったこっちゃないのかもしれませんけど、そうなると政策法務とかいう以前の問題ですな。

2008年09月21日 (日) | Edit |
前回のエントリは例によってわかりにくい書き方になってしまったのではっきり書いておきますが、政策法務とか騒いで嬉々としている自治体職員とか議会議員とか首長に俺はうんざりしているのです。

以前すなふきんさんのところでコメントさせていただいたときに、その辺の鬱陶しさをかなり凝縮して書いてみたものの、こういう苛立ちってまさに地方自治体の中の人には理解されなさそうなんですよねえ。

マシナリ 2007/12/23 01:58
私も、東京から遠くの寒いところのいち地方公務員として、sunafukin99さんのおっしゃる「改革原理主義と同様「現状打破」を所与の動機として持っているために、「分権」を理想化し自己目的化する傾向」には危惧を抱いています。特に税収のある東京などの大都市以外の地方自治体が「地方分権!」というときには、そうなっていると考えた方が自然です。ジェイン・ジェイコブスが『都市の経済学』で指摘したように、地方は都市部の周辺でモノカルチャー化することによって比較優位を保持しているに過ぎないと思いますので、少なくとも経済的には地方分権は成り立たないはずなんですよね。

ただし、その文脈と同根になってしまうんですが、私の知る限りの(特別職である首長や議員を含む)地方公務員は法律の執行にモノカルチャー化していて、法律学者や行政学者のいうことはありがたがっても、経済学者のいうことはほとんど耳を貸しません、というか理解できません(神野先生や金子先生は例外)。そもそも「地方財政の自立を目指して」なんていう時点でアウトなんであって、ポービッツのいうように、少なくとも財政上は「自治と集権は、一方が強いことがもう一方が強いための条件である」というのが正確なのでしょう。
■[ぼやき]支離滅裂な地方分権主義者(2007-12-18)」(すなふきんの雑感日記)コメント欄


官僚とか役人の世界ってのは、良くも悪くも採用時点の属性と試験結果に基づく学歴社会なわけで、言うまでもなく役人の世界の最上層部はキャリア官僚によって独占されていて、その主な任務は各方面の利益代表者(政治家とか業界団体とか市民団体とか)との調整を踏まえた政策の立案です。これがサブですね。

ここでサラッと「調整」なんて書きましたが、まったく正反対のことを言う利益代表者(典型的には消費者団体と業界団体とか)の意見を聞きながら政策をつくらなければならないとき、最終的には理論なりデータなり判例なりといったできるだけ客観的な根拠で押すしかないわけで、それらの理論とかデータとか判例のリテラシーというのは相当なレベルのものが要求されます。キャリア官僚に日本の学歴のトップ層が多いのは、第一義的にこのリテラシーをもちながら、利益代表者との交渉をするだけの身体的・能力的にタフな人材が求められるからです。

中野雅至さんが指摘されているように、これってものすごく大変なことなんですけど。

まず、市町村に、地域社会の課題を解決できるだけの政策の企画立案能力や利害調整能力は本当にあるだろうか? 筆者は特に、利害調整能力を重視している。どれだけ優れた企画も複雑な利害調整を経ないと、本物にならないからだ。
(略)
まず、利害調整能力から考えてみよう。多くの識者は「政策の企画立案能力」の重要性を指摘する。確かに、地域問題を解決するためのプロジェクトなどを企画する能力は大切だ。条例をつくったりする法務能力も重要だろう。
ただ、現場の行政官なら誰でもわかるが、利害調整能力がなければ、どんな優れたプロジェクトも「絵に描いた餅」だ。関連した業界、NPOなどの利害をちゃんと調整して、効果的な政策を実施することが最も重要だ。どれだけ優れた企画でも、それをきちんと実行に移さなければ意味がない。
(略)
例えば、高齢者や障害者の雇用を増やすための政策なら、労働組合や経営者団体や個々の企業が利害関係者になるのだが、「高齢者や障害者の雇用を増やせ!」と強制するような政策は決して成功するものではない。何カ月・何年間と時間をかけて、労働組合や経営者団体を説得して回るという作業が必要になる。何度も説明し、そのための資料を無数につくる。そんな作業を地道に繰り返して相手を説得していく。一言で言えば、利害調整能力って「粘る力」みたいなものだ。
(略)
この時、問題になってくるのは、知事や市長以下の職員を中心とした地方自治体の利害調整能力である。地域経済を振興し、地域雇用を創出するだけでなく、地域再生まで地方自治体の責任で行う仕事だということになると、地方自治体には「有効な政策を企画立案するという知性の求められる仕事」と「様々な利害団体の利害調整をするという泥臭い仕事」をする能力が求められるが、現在の市町村にそんな能力があるのだろうか?
特に、利害調整能力を本当に培ってきたのかは疑問だ
中野雅至(2005)『はめられた公務員 内側から見た「役人天国」の瓦解』光文社pp142-145
(※挿入されている英単語は面倒なので引用しませんでした)


断っておくと、この本で述べられている中野さんの見解にはあまり賛同しませんが、この部分はおそらくチホーブンケンとか叫んでいる人にはほどんど意識されていないことなので引用させていただきました。

結局、政策法務とか言っている方々ってのは、

また、戦前以来、自治体は法律解釈・自治立法を自治体政策の展開とむすびつけて取り組んでいなかった。ここにきて、自治体も自治立法権を通して国から独立した政策主体としての位置付けが漸次明確になって、自治体政策による公共課題の解決というかたちで表現できるようになってきた。
(略)
 1969年の地方自治法の改正により、市町村が地域社会の経営について基礎的な責任を有する行政主体であることから行政の計画的、総合的な運営をはかっていくべきである、として市町村に基本構想・長期計画の考え方が導入された。ここから、あらためて市町村は、地域における政策主体として法律上再確認されることになった。自治体が政策主体であるには、自己完結的に政策を立案、展開することを意味するが、これらの政策過程で重要な要素として、自治体政策の立案、展開で自治体からの視点による自治立法と法令解釈が不可欠となってくる。
 自治体計画の導入により先進自治体を中心に自治体の政策立案・展開過程での市民参加が定着してきた。さらに市民のコンセンサスを得る手法の開発と政策の実現にむけての手段の検討が必要になってきた。自治体の総合計画は、市民合意を前提としており、政策の立案過程すべてが利害・意見の対立の調整として成り立っている。このことから、自治体は、市民などによる政策の提案に対する政策実施主体として「調整者」の位置付けを有する。それだけに新たな制度・政策の開発に対する法的分析、検討内容についても行政の透明性が進むなか公開化にむけた手続き、手法の検討が必要となる。
天野巡一「政策法務」の現状と課題」日本公共政策学会1999、12~17枚目(注:pdfファイルです)


という発言に要約されるような、条例として表現すること、つまりコーディングに意識が集中しているんですよね。手続きとか手法とかのコーディングのスキルも重要ですが、アルゴリズムとしてのそこに至る理論なりデータなり判例なりも同程度に重要なんですけど、政策法務ではそこまで議論が進みません。

ここでいつものように、「そんなことも考えていない地方公務員に地方分権なんかしたって…」という話になるわけですが、なんでそうなるかというと、結局は冒頭のコメントにあるような、「地方」在住者のキャリア官僚に代表される「中央」に対する学歴コンプレックスのルサンチマンなんだろうと思われます。

役人の世界では、キャリア官僚以下の役人は、たとえば国家2種とか専門官とかの枠で採用された国家公務員であっても、キャリア官僚の立案した政策を実行する実働部隊であって、その意味で、地方自治体の職員も政策の実働部隊であることには変わりありません。このことは、憲法92条では「地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基づいて、法律でこれを定める」となっていることからも明らかですね。「法律で定める」んだから、地方公共団体の組織と運営については国が決めることになっているのです。

この「地方自治の本旨」には住民自治と団体自治の二つの要素があるとされます(芦部憲法など参照)が、最近の地方分権教は「地方自治の本旨が尊重されてない」とか言い出して、「やっぱり国が決めるのではなく地方が決めるべきだ」という話に持ち込むわけです。しかし、言うまでもなくだからといって、上記のようなタフなキャリア官僚の仕事の成果として決められた法律以上のクオリティものを、地方分権すれば地方公務員がつくれるということにはなりませんね。というか、今までやってなかったし、できないからこそ政策法務なんていう話になるわけで、しかもその政策法務ですら、アルゴリズムの作成を含めた利害調整の具体的な手法がすっぽり抜けています。これでどうやって政策を立案して実行するつもりなのでしょうか。

ところが、キャリア官僚の出身大学に比べれば一段下がる大学の法学部卒が大多数を占める事務系地方公務員は、政策法務の考え方をとることで「キャリアに独占されていた法律策定が俺たちにもできる!」とはしゃいでいるわけです。たとえば「俺は○○大(地元駅弁とかが多い)卒だけど、いままで東大とかの奴らに勝手に決められたことを俺たちが自分で決めてやるんだ」という、アンタも勝手に決めないで(気分の方が乗って参りましたので、どーでもいい歌を歌いました)。
さらにいえば、企画立案から実行までを自治体が自前でやるなら、地方公務員もサブとロジに分けて分業しなければならなくなりますが、地方公務員の側にキャリアと実働部隊に人員を分断するだけの覚悟はないでしょう。

逐条解説とか通達だけみて「官僚の仕事は法律をつくることなんだ、だから地方公務員の本懐は条例をつくることなんだ」としか考えていない法学部卒地方公務員が、タフな利害調整とかさせられる段階になって「こんなはずじゃなかった」とか言い出さないか、それをみて住民が「地方分権したのに役人がやっていることは利害調整ばっかりで、国と同じじゃないか」とか言い出さないか、まあ見物ではありますね。


※ ちなみに2007/12/23のコメントの最後で引用したポービッツの理論は中井(2007)からの孫引き(p66)なんですが、実はその中で中井先生も、

社会制度の構図を決める補完性(subsidiarity)の原理では、ノートンが指摘するように、個人ができないことは家族が提供し、家族が成しえないことをコミュニティやボランタリー組織などの私的プロバイダー(private provider)が保管する(Norton, 1994: 28-31)。こうして、公共財の提供者(provider)は、図3-6のように、小さな集団(group)から大きな集団に拡大する。これらの私的プロバイダーが対処できないとき、公共財は、社会契約のプロセスを経て、初めて政府部門が提供者になる。これが「公民連携」(PPP: public-private partnership)の原理である。
中井英雄(2007)『地方財政学 公民連携の限界責任』(有斐閣)pp75-76


とか「補完性の原理」を前提に議論してしまっていて、こんなこともおっしゃっているし、こういう公共経済学側の混乱も一因ではあると思います。

※ 修正しているうちに若干追記してしまいました。

2008年09月16日 (火) | Edit |
結局買い換えた格安マザボのPS/2周りは使い物にならなかったようで、長年連れ添ったマウスも効かなくなってUSBマウスに買い換える羽目になりました。近所のヤマダ電機で安売りしていたM-EGURBKを買ってみたものの、全体的に軽すぎるし、特にホイールのクリックが軽すぎて、スクロールしているうちにいつの間にか上下の矢印の入ったポインタが表示されたりして、なんだか慣れません。

で、何の脈絡もなくふと思い立って、地方公務員の方で経済学について語っているお隣さんでも探してみようかと、Yahooのブログ検索に「地方公務員 経済学」と入力して検索してみました。

・・・まあ予想どおりではありますが、地方公務員の経済学ブログってないもんですねえ。目につくのはせいぜい経済学批判と絡めた地方公務員批判とかで、あとは公務員試験対策関係のサイトくらいしかひっかかりませんでした。

というわけで、今更ながらカテゴリに経済学を追加。これまでなら「地方経済」にくくっていたネタのいくつかをこっちに分類することになると思いますが、今までのエントリは分類を変えるのも面倒なのでこのままにしておきます。

ついでにいろいろと地方公務員の方々のブログを探してみると、法務事務の方が圧倒的に多い(たまにSE系)んですよね。

地方公務員通の俺から言わせてもらえば今、地方公務員通の間での最新流行はやっぱり、政策法務、これだね。

大盛り政策法務とNPO協働。これが通のNPM推進のやり方。

政策法務ってのは条例を自前で作るためのコーディングが多めに入ってる。そん代わり政策の理論的・実証的なアルゴリズムが少なめ。これ。

で、それに大盛りNPO協働(民間委託とかアウトソーシングとか)。これ最強。

しかしこれに頼ると次から改革バカにマークされるという危険も伴う、諸刃の剣。

素人にはお薦め出来ない。

まあお前らド素人は、貝塚 啓明・財務省財務総合政策研究所編 『分権化時代の地方財政』でも読んでなさいってこった(素人向きじゃないけどね)。


懐かしいテンプレ使ってしまいました。中途半端なコピペですいません。しかもせっかく追加した経済学カテゴリじゃないし。
※内容については、このあたりのエントリも併せて読んでいただければ。
制度の帰着(2007/12/21(金))
貴方の夢かなえてあげません(2008/04/01(火))
「若い」の次は?(2008/04/14(月))

2008年09月10日 (水) | Edit |
格安マザボのPS/2周りがどうにも調子が悪くてキーボードが引っかかるのなんの。
打つ気になりませんでしたが、USB接続で問題が解決したので久しぶりに更新など。

先日、地方自治体職員向けの地方分権改革推進委員会委員長さんの講演を聴く機会があったんですが、ルサンチマンの発散につきあわされてゲンナリでした。これが民間感覚というモノなのですね。

なるほど、行政組織体は独占状態だから市場原理がないので競争原理が働かないと。だから公務員はムダなことをやっても問題がないと思っているのですね。そして公務員はそのことに気がつかないし、指摘されると「うまくいっているのに何が悪い」と開き直ると。中央官僚は組織防衛のことしか考えておらず、地方分権できない理屈の天才で、できる理屈は考えないんだと。だから中央官僚はなっとらん!公務員の頭の構造がおかしい!と憤慨なさっているのですか。

…あの、すいません。われわれも公務員ですけど。
この委員長さんが「競争原理が働かない」とかおっしゃる公務員批判の対象は、中央官僚だけじゃなくて地方公務員も含んでいますよね。公務員を一緒くたに批判される一方で、中央官僚はダメで地方公務員はいいという論理にすり替わっているかと思えば、最後は「公務員の頭の構造はおかしい」ですか…

いや、だから、地方公務員に権限なんか委譲したらもっとひどいことになるんじゃないですかね。

でまあ、この地方分権改革推進委員会というところのメンツを見ると、実務経験のある委員は皆無なわけで、民間企業の取締役会長さんが委員長で、あとは学者と市長と町長に、後付の副知事というメンツでいったい現場の何がわかるとおっしゃるのでしょうか。市長とか町長ってのは民間企業なら社長なり会長なりの立場なんで、普通の役所なら職員から「現場のわかってないで票集めだけの政治家のくせに」と愚痴られる存在なのが普通でしょ。地方分権改革推進委員会は、こういう「経営者目線による現場主義」というアンビバレンツな原理で動いているようで、その批判の矢面に立つ中央官僚の方々には同情申し上げます。

この委員会に限らず、最近は「現場主義」とかを標榜する政治家首長さんが増えているという矛盾した状況で、彼らはhrhtm1970さんがおっしゃる現場主義の落とし穴にはまることになるわけです。

とにかく一度は現場に足を運んで自分の目で見ることをモットーにしている橋下知事が、一番陥りやすい(というかすでに陥っていると思いますが)落とし穴だと思います。児童文学館に限らず、高い専門性を持つ施設の場合、どこをどう見ればその施設の評価を適切に行うことができるのかは、1回や2回、それもたかだか1、2時間、足を運んだくらいで分かるとは限りません。なまじ自分は自分の目で見た、という自信を持ってしまう分、現場視察主義はかえって判断を誤る危険を高めかねないのですが、それが知事には意識されていないようです。だからこそ、堂々たる視察と、今回のような「盗撮」とが、本質的には全く同じ、情報の著しい限定性という問題点を抱えていることに気づかず、隠し撮りにすれば「実態」が分かるというような考えに囚われてしまうのでしょう。

■[大阪府立国際児童文学館関連]今回の場合、「隠し撮り」が問題だというよりも 10:05(2008-09-07)」(宮本大人のミヤモメモ


こうなってくると、現場を理解していない経営者が労働者の働く現場を不当に評価して仕事を奪うというような構図になってきているわけですが、こういう知事が喝采を受ける一方で「蟹工船」がブームとか、自己矛盾もひどいもんですね。

地方分権改革推進委員会でも、中央官僚の抵抗とひとくくりにする中には、中央官僚なりの現場があって、その中の事務遂行とか効率性を主張しているものもあるはずで、「できない理屈の天才」とおっしゃるなら、その天才的な現場というものを理解する方が先なんでしょうけど、経営者の方々はそんなことにはお構いなしに「市場原理だ!」と突っ走るんでしょう。中央官僚の方々のがんばりだけが最後の頼みの綱です。

あと、この委員長さんの講演の後半では、例の「国の借金が増えて日本経済が破綻する」という話で脅してました。「脅す→危機を感じる→判断を誤る」ってことにならなけばいいんですけど、この委員長さんはさらに、「大木は厳しい環境を生き抜いたからこそ立派な姿になる。公務員もあえて批判を喜んで受けて自分を磨くべきだ」とのシバキ主義全開でしたし、ロクなことしなさそうですな。