2008年07月31日 (木) | Edit |
sunaharayさん経由ですが、地方分権改革推進委員会の裏側では、国の地方支分部局を廃止しつつ総合的な出先機関に統合して、一定の事務は国に残しながら国と地方自治体が協議して事務を執行する体制を検討しているんだそうな。

ほぼまるまる転載してしまいますが、

◎首長らとの協議の場設置検討へ=国の出先機関引き継ぐ組織に-分権委

政府の地方分権改革推進委員会(委員長・丹羽宇一郎伊藤忠商事会長)は、国の出先機関見直し後の組織として想定している「総合的な出先機関」に、国と首長ら地元代表者との協議の場を設ける方向で検討する方針だ。国に事務権限を残すことによって国と地方の二重行政といった新たな弊害が生じないよう、国が進める各施策に地元自治体の意見を反映させたり、外部からの監視機能を働かせたりできる枠組みについて、法制化も視野に議論を進める。

(略)

国の出先機関が行う施策は、住民らによる監視の目が届きにくいために、行政の無駄を生みやすいとの課題がある。そのため、分権委はそうした弊害の是正策として、施策の妥当性などについて国と地元代表者が協議する場を設ける方向で検討する。

地元代表者には各地域の知事会や市長会、議長会などの代表者を想定。外部による監視機能が担保されるよう、協議の場設置や地元の意向を国が尊重する規定などの法制化も論点の一つとして議論される見通しだ。

7月28日 時事通信・官庁速報


(略)
ただ,広域の経済政策に特化しているRDAと,真水も打てる?出先機関とを直接比較するのは慎重であるべきだとも思われますが。イギリスの場合は,政府は RDAを発展的に「地方政府」とするためにRegional Chamberを公選のRegional Assemblyにしていこうと引っ張ったものの,現実にはなかなか地方の方がついてこないで,公選のRegional Assemblyをつくるという住民投票も否決されていると聞いています。これは結構単一国家における分権という観点からは興味深い事例だと思われるわけですが,日本の出先機関の場合はどのあたりの着地点を目指すべきなんでしょうかねぇ(規範的なことはよくわかりませんが)。

[研究][観察]出先機関のガバナンス(2008-07-28)」(sunaharayの日記


だそうです。

地方分権のために管轄区域の中に総合的な出先機関を作るのって都道府県がよくやっている手法ですね。これを国にも応用しようというのはいかにも旧自治省的な発想ですが、本家(?)の都道府県でその体制がうまくいっているという話はとんと聞きません。イギリスでも地方の側がついてこないとのことですし、まあ体のいい余剰人員と余剰事務(?)の押しつけには敏感に反応しているんではないかと思われます。

ただし、総務省も嬉々としてこんな資料(注:pdfファイルです)まとめちゃってるし、全国知事会の「先進政策バンク」なるものをみても、岡山県とか徳島県とか京都府とかでも「総合的な出先機関」なんて話をしているんだけど、それぞれの個票をうすーい目で見てみると、共通して見えてくるのは「組織のスリム化」っていう人員削減が目的というところ。結局は、国が地方分権改革推進とかいって「中央政府を小さくする代わりに地方政府を大きくしちゃえ」ってやってるのと同じように、都道府県の出先をスリム化して市町村に人と財源を移しているに過ぎないんですよね。それが所得再分配機能だったときには深刻な問題が発生するわけで、そういうコストを織り込んだ議論もしないで「効率的」とか言っちゃう地方自治体が地方分権を担えるのか?というのはいつもの疑問。

で、そういう目論見の建前上の論拠が「二重行政の排除」ってやつです。

第5章 第2次勧告に向けた検討課題
(1)国の出先機関の改革の基本方向
ア 見直しの視点
国と地方の役割分担の抜本的な見直しを行うとともに、行政の重複を徹底して排除し、国と地方を通じた行政の簡素化及び効率化を推進する観点から、「骨太の方針2007」に示された政府の方針を踏まえつつ、国の出先機関を大胆に合理化する抜本的な改革に向けた検討を進める。
これにより、国の出先機関の事務・権限の大幅な地方移譲や廃止などを行うとともに、国の出先機関を廃止・縮小する。
平成20年5月28日 「第1次勧告 ~生活者の視点に立つ「地方政府」の確立~(注:pdfファイルです)」(地方分権改革推進委員会)



どこまで本気か相変わらず分からないものの、二重行政が悪とされるのは、「同じ行政サービスを複数の機関が提供するのがリソースの無駄だから」という理屈なんでしょうけど、地方分権という「一国二制度」的な体制を目指すんだったら必然的に二重行政になるんじゃないですかね。

ちょっと古いけど、連邦国家として連邦憲法と州憲法が併存する「一国二制度」であるアメリカの二重行政について、財政学の大御所の貝塚先生が報告されています。

 日本のお役所の各省庁の方にこういうことを言うと,そんな公取とか総務庁とか,外からいろいろなことがあったら行政がやりにくくて仕方がないとおそらく言われるに違いないと思いますが,私が申し上げれば,多少やりにくいということがこれから重要なんです。全然やりやすいというのは,言ってみればやや異常なことが起きているというぐらいに考えて行政は対応すべきではないか。そのときに,横断的な役所の機構というのは何も権限は直接持つわけではなくて,申し上げれば発言力があるというふうなことでよろしいのではないかと思います。

(中略)

 つけ加えますと,アメリカの場合,例えば,行政機構というものが権限が重複しているというのはそんなに不思議なことではないのであります。例えば,金融なんかとってみますと,アメリカの場合にも,当然規制はありますが,それは中央銀行がある程度やっておりますし財務省がやっております。それから,通貨監査官というのがやっています。もう一つは州の当局がやっています。

 そして,やっている仕事が完全にストレートに衝突しているというよりは違った業務についてそれぞれ違ったところが見ております。これは考えてみると無駄にみえます。日本からそれぞれの役所に行って,調査することがありますが,こんな無駄な話はないんじゃないかという印象を誰しも持つ。それは先ほどの日本の官僚機構の今までのやり方と比較してであります。

 しかし,逆に言うとアメリカの社会と日本の社会はある意味では対称的なのでしょうが,要するに非常に無駄が多いようですが,えらく錯綜していますが,言ってみれば違った観点を持った行政当局がそれぞれ入り込んでくるんです。それは非常に多様な意見が反映されて非常に複雑になり,これは大変だという話になるかとも思いますが,一方においてそれは透明性を保障しているということになっているのではないかと思います。

財政の効率化と会計検査-第4回公会計監査フォーラムの特別講演より-貝塚 啓明」(研究誌「会計検査研究」第5号(1992.3))


連邦も州もそれぞれにそれぞれの立場で行政サービスを行うことが、一方では無駄ではあるけど一方では透明性を保障するというのが一国二制度のメリットの一つではあるわけですが、「地方分権」+「二重行政の排除」ってのは人減らし以外にどういうメリットがあると、猪瀬直樹なんかは主張するんでしょうか。
スポンサーサイト

2008年07月25日 (金) | Edit |
koiti_yanoさんが夏休みの課題図書に指定されていたので、高橋洋一『霞が関埋蔵金男が明かす「お国の経済」 (文春新書 635)』を購入してみました。ついでに、kumakuma1967さん経由稲葉振一郎『経済学という教養 増補 (ちくま文庫 い 66-1)』が文庫化されたのを知ったので、本屋で立ち読みしたら補章と小野善康先生の解説が追加されているのを確認して即購入。

率直な感想として、どちらもコストパフォーマンスがいまいちかなというのが正直なところ。高橋洋一さんの方は単に字が大きくて薄いからで、稲葉先生の方は旧版を持っているだけに補章と小野先生の解説を読むために840円はどうかなと、まあ買っておきながら勝手な言い分です。

高橋洋一さんの『さらば財務省!―官僚すべてを敵にした男の告白』は未読なんですが、この本と『財投改革の経済学』をちらっと読んだ限りでは、この方はマクロが専門であって、ミクロは教科書レベルのことしか議論できないのかなという印象。この本で言えば、第1章から第3章までの埋蔵金、道路特定財源、日銀を巡る議論のキレはさすがと思わせるものがありますが、第4章の公務員制度改革と第5章の地方分権はどうも与太話にしか読めません。

キャリアの方々が反論した方が説得力はあるんでしょうけど、とりあえず地方公務員の立場からも「官僚内閣制(p135)」はいくらなんでも・・と思います。官僚が政治家なり業界団体なりからの圧力に日々晒されていることをご存じないはずないのに、官僚が主体的に動いていると決めつけるのはどうなんでしょ? 特に国交省などは天下り先の確保がそのモチベーションとされているようですが、それって国家公務員のごく一部のキャリア官僚のさらに事業を管轄する部局における局所的な話でしょうから、局所的に対処しても解決は可能だろうし、それ以外の公務員まで巻き込む必要はないいんじゃないかと思われます。もちろん、キャリアの早期退職慣行とリンクしている以上再就職はするでしょうけど、役所が斡旋した再就職がすべて「天下り」でもないだろうということです。

もしかして、天下り先を規制された役所と規制されない役所の不公平があると、応募するキャリアの裁定行動を可能にして均質なキャリアを採用できないから全省庁一律に禁止するとかいうのかもしれませんけど、他の就職先との裁定行動を考えたら全省庁が一律で地盤沈下することにもなりかねないわけですし、今の日本では公務員組織が自滅するのが美しいとされるんでしょうねえ。

あと、地方分権については、当ブログではいつも言っているとおり、「補完性の原理(p159)」ってそんなに大事なの?ってことに尽きます。この辺の論理の流れを引用してみると、

「道州」でもできないものとなって、はじめて「国」の話になるんだけれど、それは国防、外交、社会保障の公平性といったところになるんだよね。
(中略)
厚生労働省も、年金みたいに、国の制度として全国民にある程度公平にする仕事というのは国に残るかもしれないけれど、介護とか福祉なんかは、もうほとんど地方の機関になっちゃう。
高橋洋一『霞が関埋蔵金男が明かす「お国の経済」 (文春新書 635)』(p161)


だそうで、介護「保険」とか福祉サービスといった所得再分配が社会的な保険機能をもつから「社会保障」というんですよね。「国の社会保障の公平性」と「介護とか福祉なんかはほとんど地方」というのをどうやって両立されるおつもりでしょうか。「補完性の原理」で地方ができることは確かにあるでしょうけど、今の日本の基礎自治体(市町村)は欧米の基礎自治体に比べて所得再分配機能(介護保険、国民保険、保育、福祉)を大きく担いすぎているといっても過言ではない状態です。言ってみれば、小西砂千夫関西学院大教授が『地方財政改革論―「健全化」実現へのシステム設計』で指摘しているように「三割自治じゃなくて三倍自治」というべき状態なわけですから、社会保障である所得再分配機能を国に引き上げた上で、地方自治体には資源配分的なインフラ整備とか産業振興とかに特化させた方が、高橋洋一氏のおっしゃる国と地方の役割分担としてはスッキリするんじゃないでしょうか。

この点、久しぶりに読み返した稲葉先生のこの指摘が、当時抱いていた地方分権への懐疑が確信に変わるきっかけになったのを思い起こしました。

しかも第二に、普通の地方公共団体は、まさにこの財政赤字という危険と背中合わせの財政政策(公共事業)以外に、マクロ的な政策手段を十分には持っていない。現代の管理通貨制の下では、通貨の発行主体は普通一国レベルの中央銀行であり、地方自治体には本格的な金融政策の手段がないのだ。
(中略)
つまり、かりに地域レベルでマクロ的な総需要の喚起に成功したところで、その効果は全国、さらには輸入を介して海外に拡散するため、地域の効用に対してさほどのインパクトを及ぼすとは思えない。しかし広く全国、そして海外に市場を持つ地域の主力産業の競争力を高めれば、地域の雇用に対する直接的なインパクトはきわめて高い。地方自治体独自の経済政策が、多くは地場産業振興政策の形を取る理由はこうしたものであると考えられる。
稲葉振一郎『経済学という教養 増補 (ちくま文庫 い 66-1)』(pp.314-315)


地域の経済規模が大きくなったってこの構造には変わりがないだろうし、そもそも行政体を大きくすることと経済圏を大きくすることは必ずしも一致するわけじゃない。この地方分権についての疑問に明確な回答を与えてくれる経済学の理論なんてものは寡聞にして知らないし、むしろ、欧米で提唱された「足による投票」も「分権化定理」も、より小さな規模の自治体が効率性をもたらすとしているんですよね。それなのに、市町村合併だとか道州制だとか、中央政府さえ小さくなれば地方政府が大きくなっても構わないって、それなんて朝三暮四?

2008年07月17日 (木) | Edit |
ここしばらく遠くへの出張があったりパソコンのCPU周りを交換したりで更新が滞っているうちに、すっかり流れに取り残された感がありますが、メモ代わりに。

bewaadさんの先日のエントリは、諦観のなせる技なのか、かなりの自虐ネタが続いていましたが、公務員以外の方々でこれを言い出したときにブーメランを食らう方って結構いるんではないかと思うわけです。

「あなたの配偶者は税金から給与をありがたいことに分けてもらえる立場にあるのだから、国民の皆様に『ご主人様の大切な税金から恐れ多くもわたくしごときに施しをいただきありがとうございます』と常に深い感謝の念を抱きつつ滅私奉公するものです。会えなくて当然・たまに会えたらそれを許す国民の皆様の慈悲に心の底から感謝しなければならないことをよく認識した上でないと結婚してはなりません」
世間の厳しさがまったくわかっていない財務官僚(2008-06-30)」(BI@K accelerated: hatena annex, bewaad.com


ええと、100%とはいわないまでも給与のかなりの部分が税金を原資とする補助金で支払われている団体職員とか中小企業というのもあるわけで、「ご主人様の大切な税金から恐れ多くもわたくしごときに施しをいただきありがとうございます」と言えといわれて「俺は関係ないぞ!」と言い切れる人って、業績の好調な大企業の社員とかくらいじゃないんでしょうか。明確なデータを拾ってもいませんのであくまで自分が知っている範囲の話ですけど、俺の住んでいる地方の片田舎なんて農家から中小企業に至るまで何らかの形で補助金を受けている方が少なくないんですけどねえ。

もちろん、税金成分100%というのは公務員に限られるでしょうけど、程度問題はありこそすれ、生活保護から社会保険、扶養手当だったり児童手当まで含めてしまえば税金を原資に生活の糧を得ている人が大多数なわけで、そこまで「税金が原資なんだから国に返せ!」と言わないと論理は一貫しませんよね。むしろ、社会保障を削ろうとする経済財政諮問会議とかはたたかれているわけで、こういう話を聞いていると『蟹工船』がベストセラーになって某党の人気が復活していることとか思い出すわけですが、無垢なダブスタが静かに浸透していく状況というのはなんか怖い。

この辺については、すなふきんさんの疑問もごもっともです。

それにしても都合のいいときだけ「公正」を持ち出すその神経が理解できない。やっぱりこういうのってただの既得権バッシングのバリエーションとしか思えないんだけどね。もちろん違法行為はまずいけど、だからといっておかしなダブスタに嵌ってないか少しは自分を省みることも必要と思う。
■[社会][経済]「民間ではありえない」のご都合主義(2008-07-13)」(すなふきんの雑感日記

朝からズバッといってるキャスターとかもうどうでもいいんですけど、発言している場に居合わせておきながらその支離滅裂さを一切指摘しない共演者ってのは、「自分がいじめられるのが怖いから、いじめを見ても見ぬふりをする」奴よりよっぽど卑怯だと思うことにしました。