2007年06月24日 (日) | Edit |
いや、連投になってしまいましたが、昨日「日本のこれから 納得してますか?あなたの働き方」録ってたのを忘れてましたよ。八代尚宏先生やら金子勝先生やら森卓やら香山リカまで、政府の要職から在野の論客までそろっているというのもなかなかのキャスティングでしたが、ざーっと流しながら気になったことというのは、若い連中ほど思想が偏っているもんなんだなあということ。古今東西そうなんだろうし、学生運動なんかが盛り上がったりするのは、そういう若いもんのとりあえず俺はこう考えるっていう後から振り返るとこっ恥ずかしい青さに由来するもんなんだろうけど、最近はそれを学校が教えている風があるのが気になったことです。

たとえば、NPO代表とかの肩書きで参加していた24才の男性は、上層部だけが儲かっていて下層の労働者が正当な配分を受けていないとかわかった風なこといってみたり、20才の大学生という女性が、学校の授業で「働くということは自分を輝かせることだ」とか「誰にでも幸せになる権利がある」なんてことをいったりしてたんだけど、日本の大学にはマルクスはまだ生きているし、小学校で習ったような幸せ観を大学で習う人権意識なんかに直結させてしまっている様は、青さを通り越してある種の偏向すら覚えてしまいます。そういえば、働き方をテーマにした割には表立って労働組合とか名乗る人がいないのは、イデオロギー論争で場が荒れないようにというNHKさんの配慮なんだろうけど、金子勝どころか森卓までオルグばりの資本主義攻撃を展開してそれに一部の参加者が同調するという構図で、十分に場は荒れていましたな。

まあそもそもこういうテーマが選ばれた理由ってのは、ここ数年野党が必死にアジェンダ設定している「格差」をどうするかという問題意識があるんだろうとは思うんだけど、格差っていう何にでも使える言葉を考えるためには、最低限二つの側面を考える必要があるのではないかと個人的には思ってます。一つが、クレディセゾンの社長さんがお約束のように連呼していたバブルが労働市場に与えた影響という側面で、二つ目がそういった社会的現象による影響の確率統計的な側面です。

今問題となっている格差が、今回のテーマにそっていうなら正規雇用と非正規雇用の待遇差に象徴されているわけですが、それは、デフレ不況によって労働需要が減ってしまったという時代背景を抜きに考えることはできません。しかし、この10年以上に及ぶデフレ不況というのは、クレディセゾンの社長さんが繰り返しいっていたように世界的にもまれな現象であり、この時期には企業は投資も雇用も控えざるをえないのは当然の行動です。このときに、正規雇用が減ったのでは失業者が増えてしまうので、政府は正規雇用だけでは吸収できない労働者をできるだけ雇用できるよう労働市場や雇用関係の規制を緩和し、できるだけ収入のない労働者を減らすようにすることも、まあ理解できる行動です。つまり、このデフレ不況の間の非正規雇用の増加はある意味でワークシェアリング的な機能を果たしていた可能性があるのです。逆に言えば、非正規雇用が増えなければもっと深刻な失業率の問題が発生していたかもしれず、そもそも景気回復による労働需要の増加が見込めない状況においては、この規制緩和による非正規雇用の増加は次善の策であったともいえます。

有り体にいえば非正雇用になった人はデフレ不況の割を食ったということなんですが、こんなことを書くと、たまたま不況の時期に新卒だった世代だけ不公平じゃないかと思われるかもしれませんけど、そのとおりです。ここで確率統計的な側面を考えなければなりません。つまり、どんなに優秀な政府でも、どんなに優秀な企業でも、どんなに優秀な労働者であっても、ある時期に不況だったというだけでほかの世代が被ることのなかった不幸を被ってしまうわけで、しかもこの経済的な不況というのは、ある程度は人為的に制御は可能としても、絶対に起こらないとは限りません。残念ながら1990年代の日本ではその不幸が現実のものとなってしまい、大量の失業者と非正規雇用が生まれてしまいました。では、この不況によって発生してしまった失業者や非正規雇用者が失ったもの(収入や人生そのものまで変わってしまった方もいるでしょう)はどうすれば回復することができるでしょうか?

もったいぶってもしょうがないので、身も蓋もなくいってしまえば、ある特定の世代に発生した非正規雇用などの就業形態は、制度によっても税金(社会保障)によっても回復することはきわめて困難です。実際問題として、正規雇用としてのスキルや経験を受けることのなかった世代が、ある時点でそれを備えた労働力と同じように扱われるということは、通常の世の中ではあり得ないでしょう。そして、悲しいことに我々の生きている日本という国、さらにいえばこの世界中のどこの国でも、このような不況による就業形態の変化がもたらす損失までを補償する制度は持っていません。というより、人間の寿命が限られている中で、ある世代の損失を根本的に回復して補償する制度というのは、世の中の貧富の差を認めず、ロールズ的なマックスミニの社会保障制度を導入することに他なりませんから、これからも実現不可能ではないかと個人的には考えます。

ここら辺でまとめると、確率的に不可避の現象である不況によって発生した損失を完全に回復することは困難ではありますが、規制緩和などによってある程度緩和することは可能かもしれません。それは、事後的に対処しうる最大限の策だろうと考えられます。しかしその一方で、そのような格差問題に紛れて、確率的に発生してしまった損失の回復が冒頭で取り上げた大学生のように権利として主張されてしまうと、政府は何も対応できないとして大きな不満が醸成されてしまい、その不満が政府の社会保障に対する信頼をさらに増大させ、社会保障制度そのものの崩壊につながる可能性があります。これは『医療崩壊』で指摘されている構図と基本的には同じことです。いずれにしろ、雇用問題について政府が何をできるかという部分を制約的に評価した上で、その回復には原因である不況の克服こそが必要であるということを認識することが大事ではないかと考えます。

ちょっと堅い口調になってしまいましたが、いくら雇用問題があるとはいえ、政府が何かやってくれてそれで状況が改善することはほとんど期待できませんし、「格差」といわれるような問題は日本全体の経済状況が改善しなければ、それによってしか解決できないということです。そして、解決できないことを権利問題として考えてしまうと、その回復という事後処理ばかりに資源が投入されてしまい、経済状況の改善に必要な資源が投入されなくなる可能性があります。ぜひとも、若い人たちにこそ将来の経済状況の改善を目指した働き方を実現していただきたいと切に願います。

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2007年06月24日 (日) | Edit |
そろそろ年金問題もネタが尽きてきたところで、民主党をはじめとする野党の主張の破綻ぶりも見えてきたころですが、案の定さっき小沢一郎がサンプロで問いつめられておりました。この番組で最近声がでかくなりつつある財部何某って人は、実態のよく分からない経済政策シンクタンクとかやってる割に経済政策についてあまり明るくない感が満々ですが、さっきの番組では小沢一郎に対して「社保庁改革案で国税庁と一体化するという改革案は責任の所在を曖昧にするから矛盾している」というわかったようなわかんないようなツッコミをしておりました。これに対して小沢一郎は、
「これまで私が国会で提案していることをマスコミがきちんと伝えてないんです!」
と逆ギレです。

ええっと、宙に浮いた年金とかの何が問題で何が問題じゃないかをあやふやにしておきながら、なんとなく問題になりそうだとあげつらった野党と、それに乗ったマスコミ同士でこういう話をされてもねえ。サンプロでの話を聞く限り、どうやら小沢一郎の改革案とやらは、
「これまで官僚に任せっきりだった自民党政権では政策の方針を決めることはできない。官僚は優秀だが、この先行きの見えない世の中では方針や制度をどのように決めたらよいかわからない。だから、民主党は官僚に頼らない独自の政策をすすめる。」
という感じでした。うろ覚えで書いているので細かいところが漏れてるかもしれないけど、まあこんな感じでした。

とりあえず民主党のWebを確認してみたら、2週間ほど前に参議院選挙「政策の柱 10本」(注:PDFファイルです)というものが出されているじゃないですか。これがマニフェストってやつなんだろうかと思いつつ、今週閣議決定された「骨太の方針」(「経済財政改革の基本方針2007」に名前が変わりましたね)と比較してみようかと思ったんですが、民主党のこのたった3ページの政策の柱なるものでは比較しようがないですね。というか、どういう方針をたてるかというのは確かに政治家が担うべきでしょうけど、それを具体的にどういう制度として法制化するのか、それをどうやって運用するかという部分こそが官僚に頼るかどうかの分かれ目なわけで、そこには何の言及もないということは、まあ無責任ですな。

「官から民へ」とかいうことを主張する方々に共通していえるのは、なんで今まで官が供給しなければならなかったかという歴史的な経緯についての関心が欠如しているということです。民が供給できるものならば確かに官が供給する必要はないけど、非競合性と非排除性もつ公共財ってのは過小供給になってしまう、簡単にいえば公共財は元が取れないので民間では供給できないからこそ官が供給せざるを得ないというのはよく知られていること。だからこそ官が供給してきたわけで、確かに民間部門で同様のサービスが可能な公共財であれば「官から民へ」ということが意味を持つこともあるけど、何から何まで民間で供給できるなんてアナーキーなことを政治家が主張するという倒錯した状態ってのは誰が望んでるんでしょう?同じことはたとえば、地方分権すればすべての問題が解決するとかいう「日本解体論」みたいなことをいってる方々にもいえるけど、もし官僚機構に問題があるとしても、日本という単一国家を消滅させることがその問題を解決するための処方箋として妥当かってのはかなり疑問があります。

まあ、そんな大げさな話を持ち出すまでもなく、公共財である政策や制度運用ってのはふつうに考えて政府=政治家と官僚に頼らなければできないわけです。小沢一郎は政策さえ作ってしまえば勝手に世の中が動くとでもいうような幻想を世の中にばらまいていますが、その政策を具体化する法案を作るのでさえ、タコ部屋で官僚が数ヶ月とか数年籠もりきりになってやっとできるような高度な作業なんであって、さらにその運用となったらそれこそ官僚組織でなければ対処できませんよ。たかだか数百人の国会議員が、明治維新から連綿と続く官僚組織の持つ政策的蓄積や知的ノウハウを凌駕できるとは思えないので、官僚に頼らないなんてことを強調されるほどに、民主党に政権を任せようという気が失せるのは俺だけじゃないと思うんですが。

昨今の野党のやっている政権攻撃ってのは、結局国民の政府に対する信頼を落とすだけになっていて、ここまで国民の政府に対する信頼を落としたあとでまかり間違って政権を取ったりなんかしたら、民主党の政策なんてほとんどアテにもされない可能性が高そうです。というより、民主党が政権与党に対する対立軸を打ち出すことで選挙に勝とうなんて戦略を立てればたてるほど、マーケットの馬車馬さんがまとめられているように、ほかの野党に票を持って行かれることにしかなりません。しかも今の民主党に戦略らしきものがあるとすれば、単に対立軸をたてるだけではなく、現政権の政策を攻撃してその信頼性を下げることによって、与野党の相対的な力関係を均衡させようとしているように見えますが、それって単に野党が自らの政策立案能力を高めることなく政権を取ろうと横着しているだけです。ということは、結局与野党がより高い均衡を目指すんじゃなくて劣位の均衡を目指していることにしかなりません。野党がそういう政策攻撃を続ける限り国民には程度の低い政策しか提供されないことになるので、野党はくれぐれもその責任を重く感じて行動していただきたい・・・なんていってもいまの民主党には馬耳東風というのが冗談抜きで悲しくなります。(6月28日文言を整理しました)

2007年06月17日 (日) | Edit |
昨今の年金を巡る騒動を見ると選挙戦ってのはつくづくお祭りだなと思うわけで、日本語で政治のことを「政(まつりごと)」といっていたのも一面をとらえた言い方なんだなあと改めて感心したりしながら、再び更新が滞っておりますがまあご容赦を。

昨日朝起きてテレビをつけたら、ちょうどNHKのBS2にチャンネルが合っていてアニメが放送されてました。そのときの場面は、中国風の民衆が女の人を集団で取り囲んでいる緊迫した状況で、これは穏やかじゃないねなんて思いながらぼけーっと見てたら、どうやらその女の人は政府の役人で、ある地方に赴任するところだったのに、災害(疫病?)に罹災していたその地方の民衆がその災害の責任は役人にあると考えていたため、それぞれ武器を持ってその女の人を取り囲んでいて、さあ如何にというところのようでした。

で、この場面は気を利かせた家来(お医者さん?)がその地域の役人に手配して各戸のご婦人方に協力をお願いして回ったのが奏功して、武器を持っていた男どもをご婦人の中の実力者が一括して収まった(その前に小さな女の子が泣いて止めに入ったというのもありましたが)ようなんですが、政(まつりごと)の争いがこうやって収まるというのはとてもうらやましく思ったものです。あとでネットで確認してみたら、この番組は『彩雲国物語』というライトノベルが原作のマンガのアニメ化(という整理でいいんだろうか)の第2シリーズだったんですが、そのNHKのサイトのあらすじを見てまたびっくり。

名門だが貧しい紅家の娘秀麗は、幼いころの動乱の記憶から「人を助けることのできる」官吏になりたいと願っていますが、女性は登用試験を受けることすらできません。ある日、即位間もない新王の教育係を引き受けることになり、それをきっかけに、官吏登用試験への道が開かれて行きます。(中略)
第1シリーズは、(中略)史上初の女性官吏となって数々の苦難を乗り越える姿を描いています。
第2シリーズでは、秀麗が中央から離れた茶州に赴任し、新米官吏として奮闘する物語を中心に、(中略)国王を支えるまでに成長する姿を描いていきます。
彩雲国物語(NHKアニメワールド)「あらすじ」のページより


・・・いまどきこんな官僚を目指す女の子の物語がアニメ化されているとは、『現在官僚系 もふ』を見たときを上回る軽い衝撃を受けました。『「人を助けることのできる」官吏』なんて、渡辺行政改革担当大臣とか民主党の長○昭議員とかは絶対に言わなそうな台詞だなあ。

それにしても、「お役人さんが一軒一軒「お願いします」って言って回ったんだよぉ。それに答えないなんて女が廃るってもんだよっ!」(大意)と男どもを一喝したおばちゃん、カッコいいッス!でも、結局一軒一軒回らないと納得してくれないなんてちょっと厳しいッス!まあ、ことほど左様にいったん風説が流布してしまうとその回復ってのは難しいわけで、年金不信を国民に植え付けることで選挙戦を有利に進めようと戦略の代償はとてつもなく大きいということに、とりわけ「政権交代」なんて叫んでいる野党の一部はもう少し謙虚に考えないと、取り返しのつかないことになるんではないかと、老婆心ながらご忠告したくなります。

というのは、遅ればせながらいま小松秀樹『医療崩壊 「立ち去り型」とは何か』を読み進めているんですが、完璧な医療を求める権利意識とそれを追随する司法やマスコミが医療の現場を崩壊させているということと、「5000万件を1年で統合できるわけない」なんてどうでもいい論理で年金の時効撤廃法案の成立を遅らせる野党のために、粛々と統合されるべき年金が宙に浮き続けるということが、俺にはダブってみえます。権丈先生(勿凝学問80「この度の泡沫(うたかた)の年金騒動の持久力はどのくらい?――ガンバレ民主党、このままでは参院選までもたないよ」(注:PDFです))やbewaadさん(磯崎哲也さんの問題提起にお答えします。)が冷静に解説されているので説明はそちらに譲るけど、宙に浮いていたって統合すればいいだけの話で、そんなことで政府を突っつく暇があったら時効撤廃して受給できる人に年金を支給する方がよっぽど国民は幸せなはず。そんな議論すら許さない野党やマスコミはそうやって不幸であり続ける国民にどうやって責任を取るつもりなのか、ぜひ国民のみなさんには権利意識をもって追求していただきたいものです。