2007年04月22日 (日) | Edit |
公務員というものは4月が正月みたいなもので、ご多分に漏れず環境の変化があったりして更新が滞っておりました。だいぶ落ち着いてきたので何か書いてみます。

といいながら、一連のプロ野球の裏金を巡る報道にはほとほとあきれております。なんといっても、高校野球の大会を主催して大もうけしている新聞マスコミが、自分の責任を棚に上げておきながら特待生制度に疑問を呈しているなどは、天に唾するとはこのとだと思ってしまいますな。朝日新聞は

高野連が特待生制度を認めてこなかったのは、高校野球の人気が高いがゆえに、選手を勧誘するときに金が動いたり、仲介者が暗躍したりしがちだからだ。
2007年04月17日(火曜日)付社説:専大北上問題―特待生制度を考えよう


なんてまるで他人事だし、毎日新聞に至っては、

とりわけ毎年春、夏の甲子園大会が全国的に注目される硬式野球は、学校の知名度を上げる効果が他のスポーツ以上に大きい。
(中略)
当面、高野連は憲章に従って違反した高校に是正を求める必要がある。だが、学生野球関係者は現実を見据えて憲章の見直しも検討すべきではないか。
2007年04月19日(木曜日)付社説:専大北上高 「憲章」の見直しも検討課題


だそうで、「学生野球関係者」にその春の甲子園大会を主催している毎日新聞は入らないとでもいいかねない有様。再販売価格維持制度に守ってもらっている割に規制緩和を唱えたり、新聞社のいうことはよく分かりません。

名物監督が自宅を改造した寮に遠くから入部してきた生徒を住まわせて、奥さんが賄いを切り盛りしつ生徒の生活を面倒見て、そうやって一丸となって甲子園を目指す姿を美しく描いてきたのはどこのマスコミでしたかな? 最近はそこまで自宅を提供する監督も減ってきたかもしれないけど、そもそもそういう寮生活をさせなければならないのは、学区を越えた遠くの地域から入部する生徒がいるからに他ならないんであって、それを野球憲章に違反するとして告発するならいざ知らず、美談に仕立てて視聴率なり販売部数を稼いできたマスコミには何かペナルティはないもんでしょうか。

これまでにも高野連をさんざん批判してきたけど、高野連もさすがに今回の除名処分は度が過ぎたと思ったのか、対外試合はできるような配慮は見せるようです。新聞社の方々も大事な収入源を失わないようこの辺で幕引きするつもりなんでしょう。

で、マッツァリーノさんのサイトで再度経済学を念頭に置いたような批判が掲載されていたので、ここで推奨されている香西秀信『論より詭弁 反論理的思考のすすめ』を読んでみました。確かに「論理的思考がいかに現実の人間関係の中で役に立たないか」ということが巧みな語り口で説得的に述べられていますが、これってマッツァリーノさんがよくおっしゃる「返す刀で学者どもを批判している」様がまさにマッツァリーノさんにあてはまることの証明になっているように思われました。

香西さんがこの本で述べていることは、「論理的である」ことがだめなのではなく、その「論理的である」はずの言葉が論理的かどうかは発せられる人間関係で判断すべきということをおっしゃっています。この本で用いられている言葉で言えば、「人に訴える議論」は「発生論的虚偽」に基づく詭弁とされるがそれは詭弁ではなくまっとうな議論だというのが、香西さんがもっとも強調されていることで、たとえば第4章で次のように書いてます。

だから、人を以ってその論を評価することは、必ずしも誤りとは言えない。ある言葉の意味や価値は、それが誰に語られたかによって変貌するのである。
p147


そして、次のように補足します。

このように、「お前も同じ」型の議論は、たとえそれが議論として脆弱であったとしても、詭弁ではなく反論の余地の大きい類似からの議論と考えるべきである。
p151


第5章では、ある人によって言葉が語られた時点で事実ではなくなるということを説明されていますが、まあ、こういった論理に関する議論というのは言葉によってしか説明も検証もできない社会科学共通の問題なわけで、ことさら経済学だけが批判されるものではありません。確かに経済学では数式を使うことが多いのでその点で論理的に見えるのかもしれませんが、香西さんがおっしゃるとおり事実を言葉(数式も言葉の一種です)にした時点で何らかの主観が入っているのであり、それを一番自覚しているのは経済学者でないかと思うんですが。

マスコミのいうこととやることが違うことに憤ったりする俺なんぞはさぞかし論理的ではないのかもしれないけど、こういう「事実を論理的に言葉で語る」という矛盾しまくりの難題をなんとかクリアすることが社会科学に課せられた十字架なんではないかと思うわけです。それなのに、

先月のコラムでは、純粋な論理や議論にこだわる人たちが、世間においては、いかに役立たずであるかということを、かなり熱く語りましたけど、少しはわかってもらえたんでしょうかね。それでもまだ論理を神棚にあげて拝んでますか。ふうん。
2007年4月3日付のコラム


なんておっしゃるところをみると、このサイトでマッツァリーノさんを批判しているときに何度もいっているように、社会科学一般の問題点を経済学に集約させてしまうことがいかに不公平な態度であるかは明らかですが、そういう態度こそが論理的な思考を意味のないものにするのだという香西さんのメッセージをマッツァリーノさんほどの方が読み違えているとも思えず、マッツァリーノさんの著作に対する不信感は募るばかりですなあ。
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