2007年02月24日 (土) | Edit |
このブログの初期のエントリでもリスペクトさせていただいているパオロさんなんですが、刊を重ねるごとにその文才の切れがおかしな方向へ向かっているようで、なんとも残念なところです。「愛と勇気とお笑いを」とサブタイトルの付けられた新刊を早速購入してそれなりに気をつけて読んでみたんですが、ネットのあちこちで批判されてるように「ネタはないけど批判された経済学には恨みを晴らさずにはいられないから、この辺をネタになんか書いてしまえ」というパオロさんの意気込みが感じられたのはワタシだけ? というのも、前回の著作から続くパオロさんの経済学に対する批判については、数学を使って世の中が説明されてしまうことを必要以上に毛嫌いするという以上の動機が見いだせませんでした。パオロさんと論争された飯田さんが指摘されているように、数学を使うのはそれが言語として使いやすいからであって、せいぜい数学で説明できることは数学使った方がラクだよねというのが経済学のスタンスではないかと個人的には理解しております。

ただ、電車の中で英字新聞を読んでる人を見ると「けっ、エリートが世界の株式でもチェックしてんだろ」といいたくなる英語力しか持ち合わせていない人には、実はその英字新聞がただのゴシップ紙で「ブリちゃんの坊主は男にフラれたから」なんて書いているとは想像もつかないわけで、自分の知らない言語を操る人を見ると極度に警戒してしまうんでしょうな。もしかしたら世界でもまれな水準で言語が統一されている日本人に顕著なのかもしれないけど、日本語で書いているはずなのに数式ばっかり出てきて理解できない経済学に対する警戒心が、経済学に対する不信感に裏返ってしまうのかも。

そんな経済学についての議論を引きずっているためか、この本が推奨する(?)「ツッコミリョク」なるものがそれほど有効かという点については、俺はかなり疑問を持たざるをえない。以前太田光と北野武の時代性の違いを書いたときにも、そのメルクマールとなるのは被害者と加害者の境界線をどう意識するかという辺りじゃないかということを考えたんだけど、経済学者との論争以降特に、パオロさんの境界線の取り方がかなり硬直化しているように思われます。そのエントリでいいたかったことをざっとまとめると、太田光の話芸が被害者にべったり同情することなく、その被害者だって加害者になりえていたんじゃないかという可能性を示すことで、被害者かわいそうという建前と100%被害者なのか?という本音を同時にネタにすることができるんだろうという感じかな。これに対して、北野武には加害者が100%悪いんだから被害者を語れというスタンスがまずあって、被害者がかわいそうという本音を充足することが北野の話芸のネタの源泉になっていると思われるわけです。

で、この「ツッコミリョク」なるものは、世の中のもっともらしい言論を正しく批判するのではなく、その言論をボケに見立てて、愛と勇気とお笑いで正しさをおもしろさに変えてしまえというものなそうですが、それってもっともらしい言論に対するただのやっかみじゃないんでしょうか。結局まっつぁんのいってることって、もっともらしい議論を理解するのはめんどくさいけど、とりあえずおもしろくいってしまえばそっちの方が受けがいいから、もっともらしい議論を正しく批判するよりおもしろいこといったほうが得ですよってことに尽きてしまう。こんな態度で世の中を切ってみても何ら生産的な議論はできないし、お笑いとしても、北野武が被害者の方しか向いていないのと同じようにだいぶ古くさく思われます。つまり、そんなつっこみは少なくとも今のトレンドには乗らないだろうと。

あくまで俺の個人的な感想に過ぎないけど、ダウンタウンの松本人志は自分で豪語するとおりデビューはじめから(子供のころから?)おもしろかったし、爆笑問題の太田光もボキャブラで評価される前からおもしろかった(そもそもボキャブラネタは田中が考えていたし)。それが実際に売れるまでラグがあった理由は、コンビとしておもしろいと認識されるまでのもう一つのステップとして、相方のつっこみのレベルアップが必要だったからだと考えられる。浜田雅功も田中裕二もキャリア当初のつっこみはあまりにもお粗末なものだったと記憶しているのがその根拠なんだけど、浜田のつっこみはただ大声を上げてはり倒したりすごんでいるだけで(やっさんがダウンタウンの漫才をチンピラの立ち話と称したのも松本のボケではなく浜田のつっこみに対してじゃないかと個人的には考えている)、田中に至っては「もういいよ!」「やめろよ!」しかつっこみのパターンがなくて、太田のボケさえも単調に思えるほどだった。それが、浜田は単なるすごみだけじゃなくて一緒に笑ってみせるようになり、田中はマジ顔であきれる術を身につけるようになり、松本も太田も思う存分ボケることができるようになったのである。

さらに、ともに内村光良に改名されたコンビであるが、バカルディ時代には大竹のシュールな発言くらいしか目立ってなかったさまぁ~ずも、三村マサカズの「~かよ!」というつっこみが関東一(@笑わず嫌い王)と認識されてブレイクしたし、海砂利水魚時代には有田のピン芸に頼っていたくりぃむしちゅーも、上田のうんちく芸でつっこみをブラッシュアップしたのがブレイクのきっかけといえる。ここ数年では、山根のシュールなボケに熱くつっこむ田中の構図が受けたアンガールズや、「欧米か」のマシンガンつっこみでブレイクしたタカアンドトシ(これはパオロさんも取り上げているけど)がさらにそのつっこみを進化させているとおり、お笑いを制するのはつっこみにかかっているといっても過言ではない(←本当か?)。

というような完成度の高いつっこみの威力については俺も全面的に賛同するけど、そのつっこみははじめからできたんじゃなくてつっこみ担当の地道な努力が必要なわけで、誰もがそれを身につけることができるわけじゃない。ツッコミリョクに活路を見いだそうとするパオロさんの気持ちもわからないではないが、やっぱりそこには相当な努力が要求されるわけで、そんな努力をするぐらいならきちんと正しく理解した方が生産的ではないかと思われます。しかも、そうやって相当な努力を積んでツッコミリョクを磨いたところでそのつっこむ言論の真偽によってつっこみも共倒れになってしまうわけで、そんなリスキーなスキルを身につけることもないだろう。共倒れになったつっこみこそつっこまれる、というよりつっこまれなければならないわけで、実はこの本の真骨頂はその実演かもしれない。パオロさんがそこまで計算しているなら太田光的なしたたかさをもっているとでも評価できるかもしれないけど、単純に自分こそがつっこみだとか思っているなら北野武的な一面性の制約は否定できないし、その可能性が高いですな。

パオロさんの進む方向には何もないってことになりそうだなあ。
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2007年02月13日 (火) | Edit |
えーと、なんだかアクセスが増えたなあと思っていたら宮崎県の副知事人事で引っかかるみたいですね。せっかく来ていただいた方々には申し訳ございませんが、当ブログは宮崎県とは縁もゆかりもない地方の公務員がWebやマスコミの情報を引っ張ってあれこれ書いているだけのものですので、ご所望の情報は見あたらないかと存じます。あしからずご了承ください。
ついでに、現在この冬一番の切羽詰まった状況ですので、しばらくは更新できないと思います(突発的にさらりと何か書くかもしれませんけど)。
取り急ぎ事務連絡でした。

2007年02月03日 (土) | Edit |
マスコミでの地方自治体に対する報道姿勢がくるくる変わるという現象がテレビや新聞で繰り広げられていて、当事者の同業者として疑問に思うこともありますが、見物としてはなかなか興味深いものがあります。以前、宮崎県知事選挙の結果を受けて、「トップが変わると意志決定のルートや手法が変わってしまう」ということを書いたわけですが、早速現地視察を巡って一悶着あったみたいです。

前夜の緊急会見では「時間があれば現場に行くことも検討したい」と話していたが、会見終了後には「ぜひ現場に行きたい」とスケジュール変更を要請した。職員からは「中は見られないし、入れない。県庁で指揮を執ってほしい」と言われたというが、「とにかく現場を見たい。どういう状況で、どういう空気か、どういう景色か。それを把握しないと」と押し切った。nikkansports.com


さらに現地から帰った後にも、ヘリコプターが使えたかどうかという問題で一悶着。

これに対し河野俊嗣総務部長が「緊急時の使用は可能です」と答えると、「ヘリコプターがあることを勉強不足で知らなかったが、誰もヘリコプターがあることを言ってくれなかった」と知事。「申し訳ありませんでした。補修中です」。「そんな時に何かあったらどうするんですか」と突っ込むと、河野部長が「万が一の場合には、隣県と応援の相互協定(消防防災ヘリコプター相互応援協定)を結んでいます」などと答えた。夕刊デイリーWeb


一つ目の現地を見たいという知事の感覚はまあ納得できる。この報道だけでは県の職員が県庁で指揮を執ってほしいといった具体的な理由まではわからないけど、行ったこともない場所の防疫対応を指揮するというのは確かに難しいだろう。普通に職員が異動したときでも引き継ぎをしている最中に問題が発生するなんていうのはよるある話で、そもそもその事務をしたことのない職員がいきなりその事務をするのは到底無理なので、そういう異動時期に発生した問題についてはとりあえず前任者が状況を説明したり必要があれば現地に行くというのは当然やるはず。今回のような知事の場合は、特に前宮崎県知事がある場所から出てこられない事情があって前任者による説明なんてできないんだから、よほど現地の地理感覚があるとか鳥インフルエンザに対処した経験があるとかいうのでなければ、状況を把握するために現地に行くという知事の判断は正しいと思う。

ただし、二つ目のヘリコプターの問題は八つ当たりに近いですな。現地に行くのに時間がかかるというのはわかっていたわけで、代わりにヘリコプターを使用するとなると確かに時間は節約できてもそのフライト経費はかかるわけです。スケジュールを変更してまで現地に行くと主張したのは、時間をかけてでも現地に行って状況を把握することが必要だということじゃなくて、時間さえ節約できればウン十万のフライト経費は使ってもいいということだったのか?という疑問が生じるわけですね。税金の無駄を省くというのはこういう微妙な問題が常につきまとうわけで、確かに選択肢を提示しなかった職員にある程度の非があるとしても、結果的に補修中で使えなかったわけだし、経費も節減できたんだから良かったという考えはなかったんだろうか、なんて考えるとそうそう簡単な話ではないでしょう。それを簡単に「前例主義」なんていう言葉で内部の職員を批判してしまうのは、現時点ではまだまだ組織のトップとしてこなれてないんじゃないかなと。

知事は「意地悪されたわけではない」とした上で、「すぐ現場に行きたいと言ったが、県庁の方々に『慣例にない』『手続きが大変』『セキュリティーの問題がある』などと言われた。前例にない、慣例にないということが、これから一番のネックになるだろう」と述べた。asahi.comマイタウン宮崎



まあ、トップが情報発信することで組織内部の運営が鍛えられる面もあるので、宮崎県庁のみなさんはしばらくは大変かもしれませんが、いい機会と前向きにとらえて精進されることを期待申し上げます。

で、これはマスコミが比較的好意的に扱っている例ですが、あいかわらず国民の敵的な扱いをされているのが夕張市長と市の職員。職員の半数が3月までに退職することを批判する論調があったりしますが、公務員の給料を下げろとか無駄な公務員はいらないといっていたのはどこの国のマスコミでしたか?今朝の「ウェークアップ!ぷらす」という番組でも、幹部が退職することに不満をぶちまける市民の発言を流したり、今年度中に退職すれば退職金がもらえることを批判したり、給料を下げたら4月の統一地方選で市長の立候補者がいないことを批判したり、まあおっしゃることはわからないではないんですが、公務員の給料を下げろという主張していたのもマスコミなわけで、給料が低くて生活できないので退職するという当たり前の判断まで批判するというなら、一体誰が公務員になるというのでしょう。市長の給与を70%カットしたときになり手がいないというのはそういうことで、そもそも立候補者がいないというのは現市長とか職員だけの問題じゃなくて、誰も手を上げない夕張市民なり、外野からああだこうだいう無責任な輩だって批判されるべきものでしょう。幹部が辞めることを批判するなら、あるいは退職金をもらって辞めることを批判するなら、ぜひその方々が夕張市長や職員となって夕張市を再建していただきたいものです。もちろん無給かそれに近い低給与で、退職するときには退職金なしで。

欧米の例を引き合いに出して、名誉職なんだから市長とか議員を無給にしたらいいなんて論調もあったりしますが、仮に今の制度のまま無給にすると、本業から生活に困らないくらいの収入がありつつ仕事が暇な人しか市長や議員にならないので、昔の貴族院みたいになりますね。そうなったらそうなったで庶民感覚がどうのこうの騒ぎそうな気がしますが、気のせいですかそうですか。現状でそういう職業にある地方の人材といって思いつくのは、土建業の社長さんとか豪農とか年金生活のおじいさんやおばあさんしかいませんけど、それでもいいですかそうですか。それでも無給とか最低限の生活ができるレベルの給与で市長や議員や行政職員を雇えるとは、俺自身は到底考えられないんですけど、本当にそうお考えの方がいらっしゃれば、夕張市ではいくらでも人材を欲していると思いますので、ぜひご自身の行動でお示しいただければと思います。そうそう、みのもんたさん、市長になるチャンスですよ。いみじくも以前取り上げたみのさんの番組で「公僕としてやるべきことがある」という非常に重い言葉をポンポン連発してましたが、みのさんのおっしゃる「公僕」ぶりを実際の政策や行動で存分に発揮していただけると参考になります。

あ、いままで放漫経営をしてきた責任問題が解決してない?それは夕張市に限定するなら市長とか市役所だけの責任じゃないので、夕張市民にも責任を取ってもらわないと筋が通りません。豪華な施設で雇用されていた従業員やそこへ来る人が買い物をしていた商店はいうに及ばず、無料パスとかの老齢者向けサービスや自治体病院サービスを享受していたのは事実なわけで、それを当然と考えてカットされるとなると怒り出すというのはちょっと無責任に思われます。人工透析を受けるために隣の市町村にいかなければならないのは、病気を抱えながら移動することを考えれば確かに大変だと思いますが、現状でそうなっている市町村の人がこの話を聞いたらどう思うのかという配慮も必要ではないでしょうか(市町村という単位をどう考えるかにもよりますが、合併前の単位でいうならこちらの地元にはそんな市町村はいくらでもあります)。「市町村が破綻すれば国や都道府県が助けてくれて自分の市町村でも人工透析が受けられる」と考えることが健全ではないことはいうまでもありませんが、それに近い主張をされることも慎むべきではないかと思われます。そういう発言をことさら取り上げたところで生産的な議論を生むわけではない(まさか、全市町村で人工透析を受けられるよう税金で医者と設備を配置してくれることはないでしょうから)し、発言した住民の方が無用な批判を浴びてしまう可能性もありますし、マスコミには自制を求めたいところです。無駄でしょうけど。