2006年12月11日 (月) | Edit |
きわめて個人的なことであるが、つい先日、以前職場が隣り合わせで何度か飲みに行ったこともある同僚が自ら命を絶った。その判断を一切認めることはできないが、その同僚の現職場では数年前にも同じようなことがあった。どんな人間も命を奪われるべきではないのだから、公務員だからといって仕事で命を奪われるなんてことはあってはならない。自ら命を絶った形ではあっても、その原因が仕事にあったのなら、命を絶つ前に即座に地方公務員を辞めるべきだった。そんな判断すらできないほどに追いつめられていたかと思うとやりきれない。職場が離れてしまってからは半年前ほどに飲み会で会ったきりだったが、近くにいたからといって何かしてあげられたかどうかはわからない。そうはいってもとにかく悔しいのである。

情報が入ってきているだけでも今年これが始めてではない。ここで不謹慎にもおもしろいといってしまった岐阜県の裏金問題でも犠牲者はすでに二人でている。こんな思いをいつすることになるのだろうか。明日は我が身か。合掌。




緩い感じで語ろうという当初のもくろみがあったんだけど、ことがことだけに更新が滞ってしまいました。いまさらながら自分の仕事のシリアスさを思い知らされたところです。

そんな中、党税調では政府税調になかった法人減税がどんどん盛り込まれそうだとのニュースがありました。ここで何度も指摘していることではありますが、政策決定過程とは利益団体とその代表である議員が関係する役所を取り込んでその意図を実現する過程と定義することができます。政治家がすべての国民を等しく代表することが物理的に不可能である以上、その利益の反映具合に濃淡が生じるのは当然のことだし、その濃淡に応じて政策が決定されるのは議会制民主主義に照らしても何の問題もありません。なのに、報道では簡単に「企業」とか「個人」とくくってしまうだけでなく、何かにつけて「庶民」とか「国民感情」なんて得体の知れない何者かに自分の利益を反映させようとします。

法人税が株主か消費者に帰着するというのは、法人が実体を持たない人格であることから、経済学的には当然に導かれること。ここで「経済学的に」と注釈をつけたのは、法律では法人の担税力という概念が強固に支持されているからなんだけど、法人税が減税されて誰が得するかというのをたどってみればそんなに難しいことではない。つまり、法人が企業活動で売り上げを上げたとすると、そこから経費を引いた利益が従業員の賃金と株主への配当へと振り分けられ、その上で内部留保として法人が保有している部分がはじめて課税対象になります。ということは、法人が内部留保するよりも賃金や配当という形で従業員や株主に利益を還元した方が税金が安くてすむわけで、税率が引き下げられてもこのインセンティブが変わらなければ(限界的税率が変わらないか大きくなるとき)、賃金や配当が増えることになります。つまり、減税の恩恵は従業員と株主が享受するわけです。

問題はその恩恵がきちんと従業員や株主まで波及するかという点になりますが、それこそが税制改正のポイント(効率性と公平性のこと)であって、税収をどのくらいにするかというのは二の次というのが経済学的な理解になります。課税による厚生損失が大きければ、税収がいくら大きくてもその効果は相殺されてしまうからです。つまり、課税による厚生損失を最小限に抑えつつ税収を確実に確保することが税制のポイントな訳で、企業がどうのとか個人がどうのっていうのはその結果でしかありません。法人減税=悪、個人減税=善という単純な話ではないことを、報道各社の方々はきちんと議論していただきたいものです。

行政受難の時代はしばらく続きそうです。
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