2006年03月12日 (日) | Edit |

 10日に「行革推進法」が閣議決定されました。



行革推進法案は、「簡素で効率的な政府を実現する」ことを目標に掲げる。<1>政策金融改革<2>独立行政法人の見直し<3>特別会計改革<4>総人件費改革(公務員削減)<5>国の資産・債務改革――を改革の5重点分野とし、それぞれに数値目標や実施時期を定めている。
(読売新聞「「小泉改革の総仕上げ」行革推進法案を閣議決定」)



「小泉改革の総仕上げ」っていうことになってるけど、そもそも「小泉改革」ってなんだったのよ?ってのがきちんと整理されているとはいえない中で、その総仕上げとしての「行革推進法」だって中身は整理されていない。
簡素で効率的な政府を実現するための行政改革の推進に関する法律案 」(pdfファイルです)
を見ていただければおわかりのとおり、具体的な実現策なんてものはほとんど決まっていない。というのも、金づるを押さえておけば改革が進むという経済財政諮問会議の常套手段で決めているから。つまり、小泉改革ってのは、「財政再建」の大義名分のもと経済財政諮問会議で「金がないから国民にはサービスしませんよ」という政策を議論することとすら言える。


思い起こしてみれば、新規国債30兆円以下を掲げながら政権を執り、竹中・木村ショックといわれる金融不安を引き起こし、郵政民営化で貯蓄離れを促進し、公務員5%純減ときて、行革推進法案が総仕上げって、結局民間に手を入れようとしたらデフレ下で不況が促進されてしまったので、これ以上民間の「構造改革」はマズイということで最後は公務員を叩いておいて格好をつけただけですな。


その流れに敏感な小泉周辺の中川政調会長とか武部幹事長は、いまや公務員宿舎を叩くことに躍起になってます。



自民党の武部勤幹事長は10日の記者会見で、同党の中川秀直政調会長らが検討している都心の国家公務員宿舎の売却について「周りが40階建てのビルなのに、公務員宿舎は9階建て。家賃も安く、環境もいい。国民からどう見られているかを考えないといけない」と述べ、前向きに取り組む意向を示した。

 国家公務員宿舎の売却をめぐっては、森喜朗前首相が9日の森派総会で、国会答弁作成などで深夜勤務を強いられる公務員の勤務事情を挙げて、宿舎売却に異論を唱えた。武部氏は「公務員に限らず民間人は本当に苦労している。公務員だから近場に宿舎があるのが当然とは思わない」と反論した。【田中成之】
(毎日新聞「武部自民幹事長:公務員宿舎の売却問題で森元首相に反論」)



ふ~ん。
嫉妬根性まるだしですな。確かにこう発言した方が僻み根性に凝り固まった「国民」とやらの感情にはダイレクトに答えるんでしょうが、それって改革なの?


大手の民間企業では、とんでもないクレームが寄せられるので公表はしていないけど都内に社宅を持っているところが多い。それも破格の安い家賃でね。「なんでそんなことがまかり通るのか!?」と憤る方にご説明すると、従業員(職員)の福利厚生として家賃補助を考えたときに、その方が安く済むからに他ならない。払える給料に制約があって、勤務地が都心の一等地で、従業員(職員)の負担が大きくなる場合、会社(役所)としてとりうる手段は勤務地を郊外に移すか、一括して住宅を世話してやって規模のメリットを追求するしかない。大企業並みの人員と敷地を有する霞が関を郊外に移すためにかかるコスト(土地取得、官庁の建設、引っ越し等々)と、住居用の敷地、建物を取得・管理するコストでは、どう考えても後者の方が安上がりでしょ。


公務員の給料って、普通は同程度の規模の大手町とか六本木ヒルズとかの民間企業より低い。ボーナスのニュースで公務員の平均が高くなるのは、決して国家公務員の大多数ではないキャリア官僚の影響もあるし、今の特殊事情で言えば団塊世代の公務員給与の下方硬直性があるからであって、30代前半で年収500万円に届かない公務員はざらにいる。そんな職員に都心の一等地にある霞が関に毎日通って深夜残業させるから、年間60億円ともいわれるタクシー代がかかることにもなる。だったら、近くにまとめて住ませてタクシー代を節約しようとか、職員の負担を減らして健康管理しようとか考えるのって民間企業と変わりないんじゃないの?


特に武部幹事長の「周りが40階建てのビルなのに、公務員宿舎は9階建て。」という発言の趣旨からすれば、一等地の公務員宿舎を40階くらいの超高層マンションにして霞が関中の公務員を住まわせるのが一番の経費削減になるわけです。売ってしまったらそれすらできなくなってしまって、タクシー代とか家賃手当とかで毎年莫大な経費が必要になる。それもカットしろと言うんだったら、いったい誰がこんな安月給で待遇最悪で誰からも怨まれるような公務員になるというのかね?


こうやって優秀な人材を追い出すような待遇改悪をどんどん進めて、たちの悪い公務員ばかり増やして行政の効率性なんかを悪化させる方が、「社会通念上」はるかに問題があると思うんだけど、それは「国民感情」ってのとは相容れないものなんでしょうか?


あ、そうか。
『小泉改革ってのは、「財政再建」の大義名分のもと経済財政諮問会議で「金がないから国民にはサービスしませんよ」という政策を議論すること』ってさっき書いたんだった。


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2006年03月12日 (日) | Edit |

タイトルのとおりですが、映画「県庁の星」見てきましたよ。同業者として。
(というわけでネタバレが含まれます。ご注意ください。)


とりあえず、財政赤字の元凶は地方向け支出だといわんばかりのご時世で総額200億のビッグプロジェクトなんてものの現実性が云々というのは気になりましたが、要は「エリート役人のインセンティブは出世なんだ」というプロットをしきたかったのだろうと作者の意を汲んでおきました。


ついでにいえば、民間企業への派遣なんて大抵どこの自治体でも、特に都道府県レベルではほとんど導入されているし、研修としてはかなり使い古された手法なので、派遣される職員が会見に引っ張り出されるなんて大げさなこともないです。いまどき地元のマスコミだって取り上げません(市町村レベルならありますけど。ってこれも「県庁の星」つながりですな)。
そういったところを一応フィクションとして織り込んでいただいた上でご覧いただければ、それ以外はかなり楽しめる物語だと思います(もちろん細かいところはツッコミどころ満載ですけど)。


個人的に前半のストーリーで秀逸だと思ったのは、いわゆるクレーム対応についての民間企業と役所の違いを対比させた場面です。クレームに対して責任の所在を明らかにさせようとする県庁さん(織田裕二)と、店の評判を気にしてお客さん側に嫌な思いをさせまいと下手に下手に徹するスーパーのパート二宮さん(柴咲コウ)。もちろん自分はどっちだろうと考えてみれば正直県庁さんと同じことを考えますが、この映画のいいところは役所と民間のやり方のどちらが正しいという描き方をしていないところ。


その後も、民間のやり方になじめない県庁さんとそれを受け入れようともしないスーパー側の対立関係が続くわけですが、保健所と消防署の抜き打ち検査をきっかけに県庁さんの立場が変化していき、ついにはお互いが必要としあう存在になっていくという過程の中で、それぞれが役割を果たすことの大事さが描かれます。つまり、役所だろうが民間企業だろうがそれぞれの職種に得意分野があるわけで、組織のことは役所が得意だし、接客はスーパーの方が得意だというのは当然のこと。それをお互いに否定するのではなく、お互いに必要としあって一つのことが成し遂げられるというのがこのお話の肝ですね。


と考えてみると、ジェイン・ジェイコブスの『市場の倫理 統治の倫理』を思い出してしまいますが、県庁さんの立場が変化していくきっかけとなったのが保健所と消防署の抜き打ち検査だというのが、民間と役所の関係を考えるときにとても象徴的です。
というのも、保健所は都道府県の所管(政令市とかは市の所管)だし、消防署も多くは一部事務組合といって市町村から給与が支払われる役人だったりします。つまり、作者の意図はどうであれ、県庁さんが必要とされたのはまさに同じ役人として役人対策に長けていたからという解釈も可能になってしまうのです。前述のジェイコブスも「市場の倫理と統治の倫理は別ものであり、それを融合させるとロクナことがない」と書いているとおり、役所のことは民間企業の倫理では十分に対応できないし理解することすら難しい。逆もまた真。


結果的に、県庁さんが役人対策を講じてくれたことが在庫整理につながって従業員の意識も変わって業績が上がるということは、まさに規制を守る対策を実施したことがその店を救ったことになります。しかし、だからといってお上に従えばいいことがあると結論づけてしまってはいけません。それぞれが得意な分野で力を発揮したから組織が動いたと考えるべきです。


こう考えていけば、民間企業にとって役所対策のために役人の研修を受け入れることはある程度意味のあることであり、ということは「天下り」も役所対策としてその企業にとって意味のあることといえるのではないでしょうか。「天下り」となると、県庁さんのような下っ端ではなく一番偉いところに入るので、その企業では民間のノウハウが生かされる余地が無くなるおそれがあるし、その役所対策が「官製談合」だったりしては批判されてしかるべきですが、そういうメリット(単に役人対策ができるだけではなく、それによってコンプライアンスが強化されることによってガバナンスが改善されて、その結果として業績が上がる)があると考えれば、天下りがそれなりに成り立つ理由もご理解いただけるのではないかと思います。役人って結構役に立つかもしれませんよ。


じゃあ逆に、二宮さんが県庁さんにヒントを与えて弁当プロジェクト(?)が成功したのは民間のノウハウなんだから、県庁にも取り込むべきなんでしょうか? これに関して言えば、実は民間企業から派遣されている職員や中途採用で民間から役所に入っている方はそれなりにいるけど、実際のところうまくいっている訳じゃない。それは端的に言うと、行政という仕事に、行政法の言葉で言えば「法律による法律の原理」という縛りがある以上法の執行ができるのは知事という行政機関のみであり、その委任を受けた幹部とその部下としてでしか仕事ができないから。
分かりやすく言えば、組織としての意志決定がなければどんなにいいアイディアであってもやってはいけないのです。組織として意志決定するには結局、映画で県庁さんがやっていたとおり書類にして幹部の了解を得る必要があります。民間のアイディアを取り入れるというのは、こういう行動原理まで変えることを意味するので、それを「改革」することの難しさを知っている県庁さんは、最後の場面で改革できるかと聞かれて「難しいでしょうね」というわけです。あの台詞の重さが、実は個人的に一番印象に残っていたりします。


ところで、議会での大演説で県庁さんが「地方交付税や補助金が減らされて、県は独立独歩することになる」なんて言ってましたが、三位一体の改革とか道州制とかのことをいいたかったのかな? あれは財務省(総務省も口車に乗ってしまっているけど)が地方自治体の財政を国から切り離すためにやってる議論だから、まともにとりあっちゃいけないんだけどね。どんな税制にしようがどんな区割りにしようが歳入と歳出がバランスする地方自治体なんて東京以外にありえないんであって、それを調整するのが日本という国の社会経済を維持する方策だということは変わりないよ。


この辺の話は長くなるのでまた今度。



2006年03月01日 (水) | Edit |
引越してきましたよ。
http://blogs.yahoo.co.jp/sonicbrewのサーバの重さと操作性の悪さに耐えきれず。
エクスポートもできないんで一つ一つコピペしましたねぇ。

それほど頻繁に更新するわけでもなく気長にいきます。