--年--月--日 (--) | Edit |
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


2005年07月30日 (土) | Edit |
前回縦割りのことを書いたんだけど、アップした瞬間にこのブログではあり得ないほどのアクセスをいただきました。
(といっても二桁に乗ったというだけだけど)
「戦争」というセンシティブな言葉を使ってしまったからというのが真相かも知れませんが、ちょっと気をよくして再び縦割りネタをば。

この「縦割り」という言葉は実に便利で、マスコミが役人を叩くときに必ずと言っていいほど使いたがるキーワードです。しかし、マスコミにとって便利な言葉ってのは、結局はスポンサーを敵に回さないで誰かを悪者にしなければならないときに使うんであって、便利である反面何も意味していないことが多い。
たとえば「国民感情」って誰の感情だよってこと。

それと同じで「縦割り」っつっとけばとりあえず役人が悪いということにできるので、マスコミのスポンサーである民間企業はその「縦割り」の被害者になれるし、視聴者や読者は悪者を見つけることができて留飲を下げ、マスコミは視聴率や売り上げを上げることができるという役人を除いてみんなハッピーになれる魔法の言葉なわけですが、やっぱりその意味するところはあんまりはっきりしない。

思い起こしてほしいのは、民間企業だって縦割りだってこと。
というより、俺の個人的な経験からすると民間の方が縦割りは徹底していると思うんだけど。

たとえば、以前デパートに価格調査で行ったとき、受付で守衛さんに担当部署を言えと言われて担当部署を告げると受付に回され、受付で担当部署を告げると、しばらく待たされて担当部(?)の部屋まで案内もなく行けと言われ、担当部の部屋の入り口でさらに担当課を告げて10分近く待たされ、やっと担当者に会うことができた、なんてことがありました。

デパートネタで言えば、ほかにもイベントやったときに搬入口からイベント会場まで荷物を運ぼうとそこにあった台車を借りようとしたら、
「ここは荷物搬入の担当だ! イベントのことはイベント担当に言え!」
と怒鳴られたこともある。
そこに行く前にイベント担当に台車を借りようとしたら、「下で借りてくれ」って言われてたんだけどね。

こんな仕打ちを受けようが、黙って愛想を振りまいておかなければならないのが役人の切ないところ。
間違って「同じデパートの社員のくせに、おめーらの言うことが違うんじゃい!」
なんてこと言おうものなら
「税金でメシ食ってるくせに納税者に向かって偉そうなこと言うな!」とか、きりがなくなるので。

これと同じことを市役所とか県庁でやったら、翌週くらいの地元新聞の投書欄には「あまりにひどい役所の対応」なんてのがでかでかと載ったりします。俺も「あまりにひどいデパートの裏側」なんて書いてやろうかとも思いますが、デパートがスポンサーのマスコミがそんなの取り上げるわけがないので、思いとどまっております。

だいぶ脱線してしまいましたが、「縦割り」なんて役人の世界に限ったことじゃなくて、普通の組織であればどこでもやってるってこと。商社だって「背番号」といって入社時に配属された分野で一生ローテーションしていくでしょ?ちょっと古いけど吉本の芸人でやってた「明日があるさ」なんて映画&ドラマも、同じ商社の中で違う商品を担当する部署が、顧客を巡って互いに縄張り争いするっていうプロットの話だし。
そうやって違う担当同士が競い合うことで会社が活性化するし社員もやる気を出すってのがあの話のキモになっているわけで、役所だって、それぞれが自分の担当の仕事を通じて、目の前の人のためにしようとするかこそ、役所全体のパフォーマンスもあがるというもの。

というように、「縦割り」っていっても役所だけの専売特許なんかじゃなくて、役所だろうが民間企業だろうがどこでもある話であって、それぞれその組織の使命によって様々な形態をとりながらその組織の使命達成のために重要な役割を担っているってこと。そういう縦割りのメリットを十分認識した上で、「縦割り」という言葉を使っていただきたいと思います。

さらにいえば、役所の中でも地方自治体と国の中央官庁ではその意味合いがだいぶ違う。
これについてはまた次回。
スポンサーサイト

2005年07月25日 (月) | Edit |
二週間ぶりのご無沙汰です。
筆が進まないのには理由があるわけで、些末なことでいろいろ集中できないうちに日は過ぎにしけり。

唐突ですが、「縦割り」という言葉を聞いてどう感じるでしょうか。
「融通が利かない」とか「たらい回し」とか「無駄が多い」とかまあ、普通はあまりいいイメージでは語られることの少ないこの「縦割り」という言葉。でも、「縦割り」のどこがどう悪いのかをすっきり指摘できる人ってのは意外と少ないんじゃないでしょうか。
というのも、組織の形態や規模、運営の仕方によって実は「縦割り」の意味するところが微妙に違うので、一言で「縦割り」の問題点を指摘することが難しくなるのだと個人的には考えております。

特に「縦割り」総元締めとされている中央官庁の「縄張り争い」については、RIETIの鶴さんとかbewaadさんが指摘しているように肯定的な意見が多いんです。
「縦割り」のどこがいいのか?と不思議に思う方も多いでしょうが、対立が潜在化するより、それぞれの立場を明確にした上でお互いの主張を戦わせる方が、意志決定の透明性を確保できるというのが、その要点となるでしょう。

言われてみれば、
誰が主張したのかをはっきりさせないでいつの間にか決まっているよりは、誰が何を言ったかがわかった方が、はたから見たときも事情を把握しやすいということはある。そう考えると「縦割り」の中でも「縄張り争い」は比較的有意義だといえるのかもしれない。

でも、その主張ってそんなに信頼できるのだろうかというのが、俺の疑問なのです。優秀なキャリア官僚の方々が必ずしも正しい主張をするわけでもなく、その官僚が作った法案に対して国会議員が圧力をかけてきて、その国会議員の背後には業界団体や圧力団体がいるわけです。その対立過程を明らかにするなんてことは、実際問題可能なんだろうか?

圧力団体も悪者になりたくないし(そもそも表に出られないこともあるだろう)、国会議員だって「族議員」とあからさまに呼ばれることはいやがるし、となると、官僚がすべての悪者役を引き受けるしかなくなるわけで、それが「縦割り」とか「縄張り争い」と呼ばれる省庁の対立になるのなら、それって意志決定が透明化されていることにはならないような気がします。

むしろ、国会議員その他諸々が自分たちの思惑を面に出さないためのカモフラージュとして、「意志決定は透明にされていますよ。でも官僚が勝手に利権争いをしていて困りますね」という格好の口実を与えているような気がしてなりません。

さらにうがった見方をすれば、官僚の方だって「縦割り」を擁護することで国会議員らによる圧力を外部不経済的に悪者に仕立てることが可能になります。経済学的に言えば「政府の失敗」をさらに細分化して「国会の失敗」とすることができるわけです。

パオロ・マッツァリーノさんがいうように、そんなギスギスしたことしなくてもすんなりことを決めるという文化が江戸時代の日本にはあったんでしょうが、そんないい加減であることを忌み嫌った明治の官僚によって築き上げられ、現在まで連綿と続く霞ヶ関の常識では、自らの主張で相手を言い負かしてなんぼなんでしょう。

対立したってろくなことないんだから仲良くやればいいのになんて俺なら思うけど、プライドの高いキャリア官僚の方々は、自分の所属する省庁のために理論武装することをやめません。そんな「縄張り争い」という戦争を毎日繰り広げるのが霞ヶ関の日常なのです。

北朝鮮とかイラクにいう前に、官僚の方々が武装解除して平和な日本にしてもらいたいものです。



2005年07月08日 (金) | Edit |
何とか週刊くらいのペースにしようと前回まで週1で更新してましたが、やっぱり続かないもんです。いろいろ書こうと思っていたネタはあるものの文章にまでする気力もなく、結局ほったらかしにしております。

で、なんとかものになりそうなところで「財務省と総務省の違い」なんてものを書いてみたい。
いうのも、例のごとくbewaadさんのところで縦割りについてのエントリhttp://www.bewaad.com/20050621.html#p02があって、この中で取り上げられている岡本全勝さんの言い分が、俺もどうにも腑に落ちないわけです。
簡単に言えば「どうして総務省ってのは、ありもしない現実を追い求めるんだろう」ということ。官僚的な言い方でいえば「フィージビリティ」(実現可能性)の優先順位が総務省的な思考においてあまりに低いんじゃないかと思うわけです。

岡本全勝さんがどの程度総務省の意を体現しているのかは知るよしもないですが、三位一体改革の焦点となっている小中学校の義務教育費の国庫負担金問題なんてあまりに適当すぎます。
これについての岡本さんの言い分
「一般財源化しても、教育の質は落ちません。
国庫負担金を配っている文部官僚は、数を減らすことができます。その人たちは、お金ではなくもっと教育の内容を考えることができるようになるのです。一方、地方団体の職員も、補助金申請作業がなくなり、減らすことができます。」
http://homepage3.nifty.com/zenshow/page265.html
なんてのを読むと、その程度のことのために全国の自治体を巻き込んで大騒ぎしてるのかと情けなくなります。
結局総務省にとって地方交付税に取り込む税源が多くなればそれだけ地方自治体に睨みが利いて都合がいいってことなんでしょうか。

bewaadさんのところで取り上げられていた「スーパーゼロ種官僚」http://homepage3.nifty.com/zenshow/page237.htmlなんてのも、屋上屋を重ねるだけになる可能性の方が大きい。そんなこともわからないわけじゃなかろうに、理想を追い求める姿に自己陶酔でもしてるとしか思えませんな。

一方の財務省。こっちはいやになるくらい現実的です。とにかく歳出と歳入を均衡させることが至上命題であるだけに、マスコミや経済財政諮問会議を通じたリーク合戦みたいなあの手この手で歳出カット、歳入贈(増税)を主張するわけです。
地方交付税の計画「過大計上」http://www.keizai-shimon.go.jp/minutes/2004/1022/agenda.htmlなど最たるもんです。
ま、やり方が多少えげつないとしても、立場も主張も首尾一貫しているのでいうことも(総務省に比べて)理解しやすいし、反論のし甲斐もあるというもの。

翻って地方自治体を顧みると、「改革派知事」と呼ばれる方々もいろいろですが、総務省(旧自治省)が多かったりする今の知事会(を含むいわゆる地方六団体)は、どちらかというとやっぱり総務省に近い。つまり、実現可能性や、実際にそうなった場合の問題点にはとりあえず目をつぶって、とにかく理想を求める姿を見てほしくてたまらない「露出狂」なわけです。

というより、そもそも総務省ってのは、
「国がだめでも地方ががんばれば日本は良くなる」
なんてことを本気で考えている人たちの集まりな訳で、国(いわゆる中央省庁)へのアンチテーゼとしての地方自治を主張したがるんですが、そんな夢物語を押しつけられる地方自治体職員としてはいい迷惑ですよ。実際。
経済産業省に続いて存在価値のない省庁の筆頭は、地方分権を自らいう総務省なんじゃないでしょうか。

なんて我ながら総務省への愚痴も板についてきたところで、また次回。

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。