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2005年06月26日 (日) | Edit |
今思い出したんだけど、前々回「ロジ」と「サブ」の話をするような予告もどきをしていて、前回もそれを書こうと思いながらも経済財政諮問会議のことを書いているうちに、途中で気力が尽きたわけです。なんか話があっちこっち飛んでしまってますが、とりあえず前回の続きは引っ張るほどのことでもないのであっさり言ってしまうと、民間企業と行政の一番の違いは、行政は公共財としてのその存在を自ら決定できないということです。有り体に言えば、普通の会社なら始めたい人が資本金を集めて登記して設立し、資金繰りが行き詰まれば倒産するというプロセスを法的には一切強制されないのに対して、行政はすべて法律で設置が決められているっていうこと。

当たり前のようですが、この問題はそれだけではとどまりません。一番の問題は、社会(国家でも共同体でもなんでもいいです)を維持するのに必要だと国会や議会で決められてしまえば、どんなに採算が合わないことでも続けなければいけないということ。官僚が自分の権限を維持しようとするために無駄な事業が増えるなんてのは物事の一面しか見ていない議論です。事業が増えるために官僚の権限が増えるように見えるのであって、権限を守るために事業を増やすというのは議員の考えることです。

といわけで、行政改革すればオールオッケーなんて脳天気なこというマスコミ(そこに提灯コメントを提供する「有識者」を含む)のいうことは鵜呑みにしないでくださいということを言いたかったわけです。

今朝のNHK日曜討論で神野直彦東大教授が言っていたように、人口に対する公務員数でいったら先進諸国でもっとも「小さな政府」である日本の公務員をさらに減らすということは、今まで以上に公共サービスを減らすということを日本人は選択するということです。という次第ですので、これから「骨太の方針 2005」にしたがって公務員を純減させ、公務員人件費を下げるというなら、間違っても役所に「対応が悪い」とか、「隣の騒音なんとかしろ」なんて余計なサービスを求めないでくださいね。こっちは最低限の人数と待遇で最低限のサービスするようにしか求められてないんですから。

(ロジとサブの話はしばらくお預けということで。)
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2005年06月19日 (日) | Edit |
前回まででbewaadさんのところへのメールは全文掲載したんですが、そういえばこのブログってのはトラックバックなるものができるわけで、ブログ形式をとっているbewaadさんのところにトラックバックするというのが礼儀ではないかと常々気になっておりました。とはいっても、現在bewaadさんのところを拝見するに、最近はあまりキャリア制度をとりあげていらっしゃらないようなので、ここでひっそり掲載させていただこうということにします。もし bewaadさんがここをご覧になることがありましたら、勝手にリンクを張っておりますが、あまり閲覧者もいないことなので大目に見ていただけると幸いです。

さて、経済財政諮問会議で現在策定作業が進められている『経済財政運営と構造改革に関する基本方針2005』(いわゆる『骨太の方針』というヤツ)が来週にも閣議決定されるわけですが、これから平成18年度予算まで政府の決定は基本的にすべてこれに縛られる、ということにいつの間にかなっているみたいですhttp://www.keizai-shimon.go.jp/cabinet/index.html。経済財政諮問会議ってのもよく分かりませんが、最近新聞でも、この経済財政諮問会議なるものが「どんな権限があってそんなことまで口を出すんだ!」などと、主に自民党の先生方が批判しております。まあそういうならアンタ方が作ればいいだけの話ですが、経済財政諮問会議の経済学者とか財界の重鎮が練った経済財政が気にくわないと言えるだけのものを、自民党が持っているようには見えないんですけど。

そんな話はおいて、現在公開されている原案によると、今回の『骨太の方針』では「行政改革」を前面に打ち出す内容となっております(9~10ページの辺り)http://www.keizai-shimon.go.jp/minutes/2005/0613/agenda.html。特に昨今のマスコミや小泉総理をはじめとする政治家は、「ギョーカク」といえばみな安心とばかりに何かあることにつけご丁寧に「徹底した」とかの修飾語をつけて「ギョーカク」を連呼しているんだけど、ちょっと本末転倒ではないかい? 国の財政が破綻しかかっていることが「ギョーカク」の理由とされているなら、その原因となった(とされる)公共投資とか地方交付税が急激に増えたのとかって、政治家の皆さんが「景気対策のためには財政出動が必要だ」って言ってたからだという事実をどう考えてるのかと問いたい。財政赤字のもう一つ大きな要因である年金だって、少子高齢化という社会的情勢が原因となっているわけで、各年度総額50兆円弱の歳出のうち、1%にも満たない数百億円程度の保険料の無駄遣いばかりを叩いても大局的にみてあまり効果はないんです。

この辺の話は中野雅至『はめられた公務員』http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4334933599/qid%3D1119118330/250-2766886-6717049に詳しいのでこちらを読んでいただきたいんだけど、「ギョーカク」で最近特に強調されている人件費だって同じこと。公務員が仕事しないとか融通が利かないとかいわれるときの公務員って、土建屋さんとかのよっぽど役所べったりの仕事をしている人以外は、普通いわゆる申請の書類を持って行ったり住民票をもらったりする「窓口」の公務員を指していうわけですが、公務員の業界的にいえば、彼らは(というか俺も含め)地方公務員の中でも一般行政職という限られた職種なんです。話が前後しますが、公務員は大きく分けて「国家公務員」と「地方公務員」とあって、国家公務員でいえば自衛隊とか、地方公務員でいえば警察官とか教師とかの「特殊な業務」の公務員の割合が結構高く、国家公務員の事務職とか地方公務員の一般行政職といった、いわゆる「役人」は割合でいったら公務員人件費全体の半分もいない(特に国民の目の敵にされている官僚(国家Ⅰ種試験を通ったいわゆる「キャリア」)ってのはほんの一握り)。

ということは、まさかこの情勢で警察官とか教師を減らすことはないでしょうから、「公務員の定員純減」の矛先は我々一般行政職に向けられることになるでしょうが、その効果なんて微々たるモンにしかなりません。つまり、『骨太の方針』とかでいってる「ギョーカク」なんて所詮「効果はあまり見込めないけど国民受けするにはこれが手っ取り早い」という程度のパフォーマンスでしかないのです。

ここまでは中野さんの前掲書に書いてあるとおりなんだけど、中野さんがあまりはっきり書いていないもう一つの誤解をここで指摘しておきたいと思います(それにしても「公務員を批判する資格のある人はいるか?」とは中野さんよくいってくれました)。

なんていって申し訳ないが、もうこんな時間なので続きは明日(かな?)。

2005年06月06日 (月) | Edit |
というわけで、bewaadさんのところに投稿したメールをとりあげてもらった。
と、その前に、そもそもなんで俺がbewaadさんのところにメールしたかというと、キャリア制度についての論考http://bewaad.com/archives/themebased/2004/comedycommons.html#Oct3104が、俺の考える公務員の人事制度の問題点と微妙に距離があると感じたからである。
とはいっても、霞ヶ関と地方公務員ではその人事制度は似て非なるものなので、地方公務員たる俺が部外者の立場で論じてもしょうがない。それでも俺が bewaadさんにお伝えしたかったことというのは、国の役人のキャリアパスが霞ヶ関の内部で事足りているのなら勝手にどうぞというところだが、国の役人が幹部として地方自治体に出向するという形で少なからず地方公務員のキャリアを浸食しているということであった。

タイミングよくbewaadさんが関連する話題を掲載していたため、人権擁護法案とかで盛り上がる中とりあげてもらったhttp://bewaad.com/20050304.htmlわけです。せっかくの労を割いていただいたものの、やはりというか、旧自治省が地方自治体の立場を代弁するとのご認識であったため、総務省の横暴を目にしているものとして黙っておられず再メールしたのが、以下の文章です。総務省への愚痴となってしまったためか、これについては何の打ち返しもありませんでした・・・

ちなみに、全然更新ペースが定まらないので予告ともいえないんですが、実は「サブ」と「ロジ」という霞ヶ関の仕事分担を次のテーマにしようと考えております。これは「仕切られた多元主義」という青木昌彦教授の示したモデルを多とするbewaadさんへの新たな挑戦となりうるかもしれませんが、いまのところそんな大それたことではなく、仕事の愚痴です。


今年3月ころ
bewaad様(こちらの方が「webmaster様」より通例的なようですので、これ以降「bewaad様」とさせていただきます)

お忙しいところ詳細に取り上げていただきありがとうございました。にもかかわらずこちらからの打ち返しが遅れてしまって大変申し訳ございません。決してほったらかしていたわけではなく、いろいろと考えていくに連れ手持ちの材料の少なさを痛感してしまい、ネタを漁っているうちに間が開いてしまいました。もちろん現時点でも満足できる状態ではないんですが、将来的に満足できる見通しもないので、とりあえず再反論という形で返答させていただきたいと存じます

(本文とは関係ないんですが、私自身が遅読であることに加えて作業の進め方が短期集中型のため、まとまった考察があまり得意ではなく、これでもかなりがんばっているということをご理解いただけると大変ありがたいです。前回の私の投稿もかなり後半息切れして尻切れ状態ですし・・・貴サイトの広範な考察をみるにつけ、ただただbewaad様のような方の処理能力には驚愕するばかりです。)

まずもって、論点を絞りきれずに長文の投稿となったことをお詫び申し上げます(引き続き構成力の向上に努めますが、今回も短くまとめることは難しそうです・・・)。bewaad様に論点を整理していただいておきながら大変恐縮ですが、その上で、多少私の真意をお伝えできていないと感じた部分を指摘させていただきます。
bewaad様の論旨に沿って、まとめていただいた第3点目から始めたいと思いますが、警察行政における法解釈問題を巡る問題については、「法律による行政」の原理からすれば、警察ほどわかりやすくはなくとも行政分野においても生じる現象といえます(侵害留保説の立場をとるといわれる日本の行政では、警察行政においてもっとも厳格に法律の留保についての解釈が求められるということでしょうか)。このようにして上意下達のシステムが求められる行政組織において、中央省庁の官僚が地方団体の幹部として任命されること自体については、あまり問題としたつもりはありませんでした。私が問題だと考えているのは、なぜ地方に任命される官僚が大した経験も実績も積んでいない若手なのかということです。中央省庁の官僚のキャリア形成という観点からは、若手が地方でそのような法解釈を現場に徹底する機会を得ることは有意義だということは認めますが、その法解釈のクオリティや、それにとどまらない状況把握や判断の能力という面を考えるなら若手ではなくある程度のベテランこそが任命されるべきでしょう。

この「ある程度のベテラン」といった場合の「ある程度」の許容範囲は、おそらく感情的な面で折り合いがつかないような気がしますが、やはり地方団体の同じクラスの役職の平均から20歳も30歳も年齢が若いのでは、その判断が心許ない上に、周囲の協力を得ることは難しいのではないかと。さらにいえば、そのような重要な任務を負った地方出向の人事が、単なる人事上のローテーションになってしまっているのでは本末転倒である上に、人事の当たりはずれを受忍しろと強要していることになります。それはキャリア云々というより組織構成員のモチベーションに関する組織運営の問題だと思います(私がカルチャーという言葉で表現しようと思ったこともこの辺にあるのですが、なかなかまとめきれずにおります)。

この点において旧自治省の人事は異常というべきです。地方自治法や地財計画を所管しているから地方団体に睨みが利くことを利用して、自らの組織構成員の常に半数(したがって一時的には半数でも長い目で見れば全員)のキャリア形成を単なるローテーションで他の組織に委ねるということが、その委ねられた組織にどれだけのダメージを与えているのかを考えるべきです。睨みが利くということはそれだけのメリットを与えているから可能なわけですが、株主総会がしゃんしゃんで終わるからといって総会屋が許されるわけではないように、旧自治省が地方団体の利益を代弁してやるからキャリア形成の場をよこせというのは、ことと場合によっては許されることではありません。「ことと場合によっては」というのは要するに、中央の人材を受け入れることはやぶさかではないとしても、そうでなくてもポストを奪われることになる上に、そのポストにはずれ人事まで押しつけられるいわれはないのです。

例の大阪市諮問会議における本間教授の解任劇でも、本間教授の提言の趣旨が総務省官僚のキャリア形成ではなかったとしても、代々出向を受け入れてこなかった大阪市側にこのような心情的な反発があっただろうことは想像に難くありません(あそこは大平助役というもう一人のアクターがいるのでもっと事情は複雑でしょうし、そもそも中央から人材を受け入れなかったから組合が跋扈したという批判もあり得ますが)。この大阪市の件では地方分権という言葉が一人歩きしている感もありますが、発端となった問題の所在を考えた場合、大阪市役所が不正をはたらいていたからそのやり方を変えるというのは大阪市役所という組織を変革しようとすることと同義であり、組織運営についての視点が欠かせません。そもそもどんな組織においても、自らのコア人材を自前の組織で育成することがもっとも効率的な組織運営の方法である(『組織戦略の考え方』沼上幹)ことを考えると、外部から人材を入れれば改革がうまくいくという楽観的な見通しは、組織運営を知らないリスキーな判断としか思えません(表向き改革は進むとしても組織自体が変わらないのであれば、別の形の腐敗が進行するということになりかねない)。

ちょっと脱線してしまいましたが、中央省庁の官僚を受け入れることによって地方団体の側にbewaad様のいわれるようなそろばん勘定が成り立つかどうかは、属人的にしか判断されえないのではないでしょうか。そしてその問題は、そのような当たりはずれにも関わらずその人事がシステム化されていること、しかもその当たりはずれが属人的な素養によるものであるのに、たとえそれに問題があったとしてもある程度矯正されていることを期待すらできない(そしてそのような人事により今後も矯正されないであろう)若手によってローテーションが組まれていることにあります。思えば、行政手続法もそういう属人的な裁量行政を表向きは根絶しようとしていたものですし、そのようなそろばん勘定を堅持するモチベーションも地方団体にあるのか不明です。実際に私の県では、受け入れは当面続けるそうですが中央省庁への出向は順次取りやめることになりました。直接的な受け入れ拒否というより、人材を中央省庁へ供給しないことで需給バランスを失わせるのが狙いなんだろうと思われます(人事担当者から直接聞いたわけではないですが、そういう見方が大勢を占めております。ちなみに私の県の知事は(実態はともかく?)革新派といわれております)。

bewaad様がぼよよん様への返答として指摘された「地方格差平準化を担う組織」については、現在の交付税改革の議論の主眼が、地方債償還の交付税措置というような財政規律の乱れに対する反省にたって、予見可能性を向上させてそういった裁量性を排除することにあるhttp://www.soumu.go.jp/s-news/2004/041210_3.htmlことを考えると、あまり説得的ではないと思います。私見ですが、地財計画は財務省が所管しても問題はないと考えており(「仕切られた多元主義」の再編?)、そもそも地方分権をいう総務省が存在するという自己矛盾を私は理解できておりません。

結局は総務省批判になってしまった気もしますが、とりあえず今回の投稿はここまでにさせていただきます。bewaad様のいう「老害」についてはイメージできましたので、改めて検討させていただきます。ここまでお目通しいただきましてありがとうございました。



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