2005年03月28日 (月) | Edit |
「ロクでもないやつが多すぎる! 公僕とか言いながらプライドばっかり高くて、人のためになることじゃなく自分の利益になることしかしないじゃないか! 前例主義で事なかれ主義で自己保身しか考えないような役人どもは即刻全員やめさせろ!」

・・・と週刊東洋経済4月2日号を読んで思っている方々へ。それは確かに、決して低くない割合の公務員に当てはまります。ただし、現役公務員である俺からすれば、よくご覧になっているものだと身が引き締まる一方、組織の外部にいる限りにおいてご覧いただく範囲も限られるのだなと感じるっていうのが正直な感想。

特に地方公務員の仕事ってのは、もちろん法の執行という行政の本来的な役割からすると法学的な思考は要求されるけど、法執行の現場では時間的・場所的な制約のため理論よりも勘に頼らざるをえず、論理的な正しさより職人芸的な落としどころを探る業務が多くなります。

身も蓋もなくいってしまえば、ある程度はじめから結果ありきの仕事をせざるを得ないってこと。そのことによって、公務員組織の中に結果のみを重視してそこに至る過程を軽視する風潮が生まれてしまい、体裁を取り繕うことに長けた公務員ばかりが増えてしまうということはあります。

さてここでいわゆる民間企業と比べた場合、このような落としどころを探るような仕事の仕方って公務員特有なんだろうか?実は俺はかなり疑問を感じている。だって考えてもみてもらいたい。公務員ってそんなに特殊な人種なの?少なくとも俺は、ふつうの家庭に育ってふつうに学校行ってふつうに試験受けて公務員になったけど、生まれながらの公務員じゃなかったはず。というか、そんなヤツいたら怖い。

つまり、さっき書いたような落としどころを探る仕事の仕方って、ふつうのヤツが集まってる組織にはある程度共通してみられる現象だろうということ。いわゆる官僚制(英語で言えばBureaucracyのこと。役所のことじゃないので注意)がもっとも効率のよい組織形態だということは学術的には異論がないことになっている。ってことは、逆に、典型的な官僚制組織である役所はたいそう効率のよい仕事ぶりだろう・・・と思う人がいてもいいんじゃない?

冒頭でご覧いただく範囲が限られると書いたのも、効率のよい仕事ぶりに対してどのような評価をされているのかがよくわからないからというのがその理由。うまくいってるときは意識されないかもしれないが、公務員の仕事って結構うまく回っていることもある。というより、うまく回らないと仕事できないだろう、ふつう。

なのに、こうやって世間様から公務員が叩かれるということは、公務員の世界は民間に比べてロクな仕事をしないヤツの割合が高いということなんだろう。決して統計的にも感覚的にも納得はできないけど、だからといって公務員が特別すばらしいというつもりも毛頭ない。でも、決して勘違いしないでいただきたいのは、公務員の大多数は、俺を含め、民間企業に勤めるふつうの方と同じように育ち、生活し、痛みを感じているふつうの人間だということ。そういう人間を淘汰していったら日本の行政はどうなる?飲まず食わず眠らずで仕事できる聖人君子ばかりじゃないんだから、あまり叩かないでいただけると大変ありがたいです。

「なにぃ?給料が高い上に税金からいろんな手当もらってるじゃないか! 」
ああ、そのことなら・・・っと明日の準備があるのでまた明日。
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2005年03月24日 (木) | Edit |
「ジェネジャン」見て「議論って難しいよね。お互いが分かり合えるって不可能なのかも」とか言ってる女ァ! ハァ? 難しいのは論理の「ろ」の字もない思いつきだけのお前の発言を理解することなんだよ!!

・・・摩邪も賞味期限は短いなと思いつつ、「ジェネジャン」とか「朝生」とか見ると毎度暗澹たる気持ちになりますな。NHKの「しゃべり場」なんかはモデレーターがしっかり議論を導く(一部例外はありますが)けど、民放の「ジェネジャン」とか「朝生」はいかに議論が盛り上がってるように見せるかが堂本光一とか田原総一朗の職業的使命であることを差し引くとしても、本来の議題とは関係のないまったく無益な感情論の応報を見せつけられるのがお約束なわけで、そんな心構えもない若けえもんが「盛り上がってるな~。こんな熱く語り合いたいな」と思ってしまうのではないかと、老婆心ながら憂慮します。

というのもそりゃ、俺がそう思っていたから。もしあなたがこの手の番組を見て思うところがあって、俺こそが絶対論理的に正しいなんて思い始めたら危険ですぞ(俺だけ?)。

だいたいにして議論ってのは、その要素を抽出してゲーム化したディベートのルールを借りて言うなら、相手の主張に対して自分の主張がいかに論理性とインパクトにおいて勝るかを相手に納得させることに尽きるであろうとhttp://www.mirai-city.org/dantai/debater.html。その論理性にはもちろん三段論法とかの修辞的な論理も含まれますが、それ以上に重要視されるのは自説を帰納的あるいは演繹的に実証できるかです。前者の代表例がフィールドワークとかアンケートなどの統計調査であり、後者の例が数学における公式であったりするわけ。別に俺がここで強調しなくてもちょっと考えれば当たり前のことですが。

で、「ジェネジャン」とかのこの手の番組の一番いけないところは、こんな論理性やインパクトを示さなくても議論ができてしまうように見せてしまうことです。さっきの議論の定義に照らせばそれが「バットもボールも持たずに野球で勝負しよう」と言うに等しい暴論であり、それをおもしろいとか議論はこうあるべきだと思ってしまうことがいかに危険なことかおわかりいただけるかと。

特に「ジェネジャン」は、ペトロ某とか宇梶某とかの水掛け論が白熱して収拾がつかなくなりそうになったところで、「参加者の実体験によるお涙ちょうだいタイム」に突入するというお決まりの展開になるわけですが、これがさらにたちが悪い!

つまり、議論とも呼べない感情論の応報を最終的に個人の体験談に収束させて、さらに感情に訴えかけたところで番組が余韻を残しつつ終わることで、不毛な水掛け論にいらいらしていた視聴者は「結局理屈じゃなくて心が大事なんだよな」と妙なカタルシスを覚えて満足してしまうのです。そこでは、議論をどうやって身のあるモノにしようかとか、ああいう主張をする根拠は何だろうとか考える暇は与えられず、感情の波に押し流される快感だけが残ります。それがいかに危険なことかは、殺人などの凶悪事件を起こした犯人が「ついカッとなって」と供述しがちなことを思い起こすだけでも、容易に想像はつくのではないでしょうか。

日本のマスメディアにはこんな論調が溢れかえっているので、俺は特にこうやって分かりやすくその構図を示す番組を見ると暗澹たる気持ちになるわけです。こういうことを素材にして極上のエンターテイメントに仕立て上げた「スタンダード 反社会学講座」http://mazzan.at.infoseek.co.jp/は是非ご一読をおすすめいたします。

実はブログを始めたのも、このマッツァリーノさんほど流麗ではないにしても、こんな調子で経済や雇用環境について語られる訳の分からない議論を丁寧に批判し、志のある方はともに認識を高めていきたいと考えたのが理由でした。なんでか? それは俺がそんな論調に晒されて悪名高い公務員だからです。

ということで、次回からは目についたところを取り上げながらちょっとずつ公開していきたい(実は公開しないまでもブログは毎日更新しております)と思っております。

次の公開がいつになることか今から思いやられますが・・・


2005年03月21日 (月) | Edit |
3連休の暇に任せてブログを始めます。
こういう継続モノがかなり苦手なので、自分に言い聞かせるつもりでサブタイトルを「やるならやらねばブログ」としたけど、特にウンナンに思い入れがあるわけでもなく、サブカルや経済を中心に思ったことを書き連ねてみようかと(というところで自分に対するリマインダーにしとく)。
あと、ブログのタイトルは例のリミックスです。

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