2016年12月13日 (火) | Edit |
海老原さんの新著が出ましたので早速拝読し、ちょうどそのタイミングで『HRmics vol.25』をご恵投いただきました。毎度のことながら場末のブログにご配慮いただきありがとうございます。その新著ですが、前回エントリで取り上げた「日本死ね」という例の言葉をもじったタイトルでして、実は本エントリの振りでもありました(本書の発行日は11月20日ですのでノミネート前にはタイトルが決まっていたと思われますが)。実は以前、海老原さんは「就活に関する本はもう書かない」と書いていらっしゃったので、就活にまつわる新著を出されるというのは何か心境の変化があったのだろうかと思って読み進めると、最後の部分にその理由が書かれていました。

 諸外国というとまずはアメリカだが、この国には21年前に初取材をして以来、都合6回、いずれも1回当たり10社以上に赴くという形で、長期取材を敢行している。合計すれば、100社に迫る企業訪問になるだろう。だから、そこそこ「働く」を見てきた。
 それが、3年前くらいの自分だ。そして、そのころ「働く」について、こんなことを考えていた。
「アメリカの『働く』は、出入り自由な分、生存競争も激しい。なかなか厳しいな。それよりは日本の方が楽でいいか。でも、欧州はきっと、両者にないもっと幸せな『働く』があるのだろう……」
 当時はまだ、欧州を取材していない。だから「横」を知らずに夢を描いていたのだ。
 そうして3年前から急繕いで欧州でのヒアリングを重ねていく。フランスとドイツの中間層を中心に30人程度取材をした。その度ごとに、ノックアウトされそうになってしまった。
「フランスに生まれなければよかった」
「私たちは籠の鳥だ」
「いや、箱の中のネズミだよ」
「おでこにラベルも貼られているしさ」
「残業しない理由? 感嘆だよ。外食する金がないから。夕飯は嫌でも家で食べないと」
「こんなホテル、入っただけで緊張して、足が震える(シェラトンでの取材時に)
 伝え聞いていたワークライフ充実社会は、こんなものだったのかとショックを受けた。
pp.253-254
文春新書
お祈りメール来た、日本死ね
「日本型新卒一括採用」を考える
海老原嗣生
定価:本体820円+税
発売日:2016年11月18日
ジャンル:ノンフィクション



この部分の後に、中間層の不平不満が極右政党への支持やイギリスのEU離脱につながる状況にも類似構造があり、「続きは次著にて」という予告もありますので、そちらも気になるところですが、海老原さんのような雇用を専門とする方にとっても、欧州で「働く」ということの実態は、実際に現地で話を聞くまでは具体的にイメージすることはできなかったとのこと。3年前というと、『HRmics』のvol.17の特集「近くで見た欧米企業」vol.20の特集「学校で仕事を教え、資格で能力を表せるか」で取材された内容が本書でまとめられたという位置づけになりそうですが、本書はより網羅的に日本の新卒一括採用と欧州の職業教育制度から連なる就職事情が比較されています。

欧州でも新卒(未経験者)の採用はあるのですが、その実態はというと、

職務別×未経験の欧州事例 ①超エリートの青田買い

 それでは、欧州には、未経験者の一括受け入れという仕組みはないのか。
 欧米企業でも、トレーニー採用とエントリーレベル採用という2つの入口を設けて未経験者を受け入れてはいる。この2つについて、説明していくことにしよう。
 トレーニー採用とは、希少人材に対する青田買いシステムと考えると分かりいやすい。この手法を取り入れるのは超大手企業がメインとなり、対象の学生には、エンジニア、財務や金融職などのスペシャリスト、MBA(経営学修士)取得などの経営管理層があげられる。
(略)
この採用では、はっきり決められたポストをあてがわれるのではなく、1〜2年程度、訓練生として社内のいろいろなポジションで仕事をすることになる。そうして、仕事を覚え、また、自分の人柄や能力を周囲に知ってもらう。この期間中に空きポストが出れば、自ら応募する。そこで任用されると正式な「入社」となる。
(略)

職務別×未経験の欧州事例 ②不人気・低待遇求人

 もう1つの未経験者受け入れであるエントリーレベル採用は、まったく様相が異なる。
 こちらは、組織の最末端の比較的簡単な職務ポジションの空きを埋めるための採用だ。欧米でも、人員の流出が多い企業や成長著しい企業、不人気職務などでは、組織末端に欠員が大量に発生することになるので、こうしたポジションを常時公募し続けることになる。
 ここには新卒だけでなく、社会人も応募可能だが、給与待遇レベル、職務内容などからそれほど熟達者は応募しない。結果、新卒や既卒未就業者の採用割合が高くなる。そう、大量に未経験者を受け入れ、既卒者もOK、なおかつ「職務別」と、これこそ日本型就職のよき部分をのこしたまま、欧米の「あるべき姿」をドッキングさせた理想の入職スタイルといえそうだ。
(略)
 要は、「欠員が埋まらない」不人気企業・不人気職務は洋の東西を問わずこの方式で常時未経験者を受け入れるだけの話だ。とすると、これが日本の就活全体の「あるべき姿」には直結しないだろう。

海老原『同』pp.114-117


ということで、欧米にも(日本のコース別採用というより)正規と非正規の組合せに近い採用区分の違いがあり、そのうち正規労働者は1〜2年という長期のトレーニー採用で「職務無限定」に働いて、空きポストがあればやっと正規に「入社」できるという日本型就活どころではない超難関の就職事情となるようです。そして一方のエントリーレベル採用は、どちらかというと日本の非正規と同じように新卒・既卒の区分なく常時募集があり、いわゆる「欧米では雇用が流動化している」という場合はこちらが想定されているように思いますが、その待遇は「不人気企業・不人気職務」に相応しいものとなります。そのような普通の労働者からは、冒頭で引用しているように海老原さんもショックを受けるような本音が聞かれることになるのでしょう。

本書は就活に焦点を当てているのであまり触れられていませんが、このような採用方法の違いは、就職後に会社で人材育成するか、就職までに(公的に)職業訓練を行うかという職業能力開発の在り方と密接に対応しているため、単に会社が横並びだとか怠慢だとか批判するだけでは的外れになるだけです。という職業能力開発の観点から見ると、日本型雇用慣行は広く「正規労働者という網」をかけて、その中から幹部候補生を育て上げていくという管理者養成機能こそが特徴とも言えそうです。

ところが、以前は課ごとに分かれた大部屋の中で、課長から課長補佐、係長、主任などの序列の中に新卒を受け入れ、徐々に管理者としての能力開発と選別を行っていた日本型雇用慣行が、「年功序列で責任の所在が曖昧でスピードに欠ける」との批判にさらされてフラット化しました。その結果、即戦力としていきなり見よう見まねで仕事をこなさざるを得なくなったのが、ちょうど我々のような団塊ジュニア世代ではないかと思います。私自身も痛感するところなのですが、既にアラフォーからアラフィフが見えている団塊ジュニアの世代は、小池和男先生がおっしゃるところの「長期化するトーナメント方式」でつい最近まで部下もいないような平社員として現場に出ていて、残り10数年という段階でいきなり管理職としての役割を求められるようになっています。

もちろん、それまでに管理能力を身につけられる職員もいますが、あまりに現場が長くなってしまうとそのやり方が身についてしまって、自分なら簡単にできる仕事を十分にできない部下に対して高圧的に接してしまってパワハラしてしまう管理職や、目先の目標にばかりとらわれて長期的な次世代の育成まで配慮できない管理職も多くいます。人事担当部署もこれまで強力な人員削減圧力にさらされてきたので、退職者不補充と新卒採用抑制の手法のノウハウはありますが、その少なくなった職員体制でどのように業務を効率化するかという手法は未だに取得できていないのが実態ではないかと。

管理職を養成できないような日本型雇用慣行はそのメリットを大きく損なっているのですが、退職者不補充と新卒採用抑制に明け暮れてやっとそれに気が付いた現状にあって、現場も人事担当部署も現有の管理職で乗り切るしかなく、結果としてさらに管理職養成が進まないという悪循環にある自治体(民間企業も?)は多いのではないかと思います(そんな状況ではありますが、本書では埼玉県や広島県安芸高田市で役所が中心になって進めている地域人材育成の取組も紹介されていて、同業者として自分の力不足を痛感するところではあります。いやまあ、私なりに拙ブログに書いていることは仕事で実践しているつもりなのですが、なかなか目に見える形にならないのがお恥ずかしい限りです)。

実は、今回ご恵投いただいた『HRmics』のvol.25は「残業は、常識では減らせない。」という特集で、厚切りジェイソン氏、勝間和代氏からホリエモンとカルビーの松本社長との対談まで、豪華な人選でいろいろと議論されているのですが、管理職養成はあまり意識されていないように感じました。長時間労働を評価する管理職がいて、それで評価された部下が管理職になった時にも長時間労働を評価するという悪循環を断ち切る方策こそが、当面の現場で求められているのではないかと思うところですが、それはあくまで内部昇進で管理職を養成するという日本型雇用慣行を温存することを前提としたものであって、日本型雇用慣行のデメリットは解決しないことになります。どこから手をつけるかというのはなんとも難題ですねえ。。
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2016年06月19日 (日) | Edit |
最近は人事ネタが続いていますが、先日のエントリで「日本型雇用慣行に関するこのような思い違いが前提となっているため、個々に見ればそれなりに有効そうな提言もあるものの、トータルではそんな虫のいい話はないよなあとしか思えない仕上がりになって」いる本を取り上げたところでして、では日本の人事は思い違いをしていないかというと、必ずしもそうとはいえないところが歯がゆいところです。いやもちろん、日本型雇用慣行の功罪をきちんと踏まえて実務に当たっている人事もいる、というか典型的な日本型雇用慣行となっている大企業では、その慣行を踏まえていかに日々の実務を円滑に進めるかに腐心しているのが実態です。そうした人事労務担当の皆さんが参考にしている、その名も「日本の人事部」というサイトで、拙ブログでも取り上げさせていただいた中澤二朗さんのインタビュー記事が掲載されていました。といいながら、「日本の人事部」は会員登録しなければ2ページ以降が読めませんが、読めるところだけでも十分に示唆的な言葉が並んでいまして、人事担当は中澤さんが目を見開かされたとおっしゃるこの言葉を肝に銘じるべきでしょう。

―― 著著の『働く。なぜ?』でも触れられていますが、中澤さんが“働くこと”に目覚められたきっかけは、「人生初めての上司」との出会いだったそうですね。

それに尽きます。大江暢博さんという方ですが、姫路で、しかも最初に彼と出会っていなかったら、私はまったく違う人生を歩んでいたように思います。いま振り返ると、よけいにその感を強くします。本にも書きましたが、あれは暮れなずむ仕事帰りのときでした。事務所を出たあとすぐ、夕もやに包まれた溶鉱炉の方角を見やりながら、大江さんは、こう私に問いかけました。「おい、中澤よ。みんな、あんなに頑張っているけれど、本当に幸せに近づいているのかなあ」と。“みんな”とは、他でもありません。4組3交代、昼夜兼行で働いている鉄鋼労働者のことです。あのひと言が、私の目を見開かせてくれました。?

あるべき未来像から「仕事」を考え、「働き方」を語る それが企業社会を支える人事パーソンの使命(前編)[ 1/3ページ ] 新日鉄住金ソリューションズ株式会社 人事部専門部長/高知大学 客員教授 中澤 二朗氏 2016/6/8(日本の人事部)
※ 以下、強調は引用者による。

「大企業は労働者を使い捨てしてけしからん」とか「非正規に置き換えて私腹を肥やしている」とか声高に主張される方の目には入らないでしょうけれども、大企業の人事労務担当は、ヒトの処遇という切れば血が出る現実と日々向き合いながら実務をこなしています

まあもちろん、中澤さんやその上司であった大江さんほどの覚悟と深い考察をもって実務に当たっている担当者ばかりではないでしょうけれども、特に日本型雇用慣行においては、少なくとも原理的には長期雇用を前提として全人格的に人事労務管理しなければなりません。よく言われるように「クビがかかっている」問題で軽率な判断や処遇をしてしまうと、直接的な訴訟リスクのみならず、社員のモチベーションの低下による業績の悪化という影響まで生じるリスクがあります。もちろん経営上は外部的なリスクも大きな影響がありますが、内部的には人事労務管理で対応を誤ると取り返しのつかない事態に陥るわけでして、人事担当にはそうしたリスクをマネジメントするためのノウハウが蓄積されており、その人事労務管理の実務の積み重ねが日本型雇用慣行を形作っているわけです。

その中澤さんも、日本型雇用慣行の例に漏れず人事労務担当以外の業務も経験しながらキャリアを積まれたとのことですが、その経験も踏まえて日本型雇用慣行についてこう指摘されます。

―― 若いうちに異動を重ね、失敗をも織り込みながら、多様な仕事経験を積ませることで知的成熟者を育成する。それを可能にしたのが、長期観察・長期育成・長期雇用の日本型雇用システムでした。しかし昨今、「日本型」への風当たりは強まるばかりです。

そうした風潮の一つに、「日本的雇用は年功序列で時代遅れ」という決めつけがあります。しかし、そうした主張は既に1970年代からありました。それ以降、この国が年功序列から脱皮しようと、過剰なほどに成果主義に傾斜していったことは、多くの方がご存じのはずです。

その歴史的分水嶺は、1969年に旧日経連から刊行された『能力主義管理-その理論と実践-』という本でした。その冒頭では高らかに、「日本はこのままではダメだ。年功主義から脱皮し能力主義に変わらなければ未来はない」とうたっています。その結果、いまや大企業の9割近くが職務遂行能力をベースにした「職能資格制度」を取り入れています。新卒一括採用を入口とし、定年を出口とした年次別選抜管理がそれです。すなわち、すべてが「査定」です。日本的雇用は、単なる年功序列ではありません。日本は、世界に先駆けてブルーカラーにも「査定」を導入した国。職場の実態を踏まえ、歴史の経緯をたずねれば、そうした論調がいかに的外れかは明らかでしょう。

余談ですが、以前、野中郁次郎先生(一橋大学名誉教授)から、こう言われたことがあります。「中澤さん、あなたの先輩たちはもっと仕事していましたよ」と。これは、こたえましたね。そう言われれば確かにそうです。周りには、そういう先輩がたくさんいて、まさに時代と戦っているようでした。前回ご紹介した大江さんも、もちろんその一人です。

(略)

日本型雇用が採用から退職までを丸ごと包含したパッケージであれば、つまみ食いをすることは許されません。修正をする際は、部分最適ではなく全体最適を行う必要があります。つまり、あそこがいい、ここが悪いという批判ではなく、どうしたらいいのか、全体を見渡した上での代案が必ずいるということです。あらためて言うと、まずはあるべき未来像を描く。その未来像に照らして良いものであれば続け、悪いものであれば捨てる。逆に、いま良くないものでも、未来にとっていいものであれば敢然と使う。

あるべき未来像から「仕事」を考え、「働き方」を語る それが企業社会を支える人事パーソンの使命(後編)[ 1/3ページ ] 新日鉄住金ソリューションズ株式会社 人事部専門部長/高知大学 客員教授 中澤 二朗氏 2016/6/15(日本の人事部)

日本型雇用慣行としてのメンバーシップ型を支えるのが職能資格給であることは拙ブログでも何度もしてきしておりますし、それが実態として年功的に運用されている面はあるものの、少なくとも制度上は「職務遂行能力」を査定した結果として運用されているのであって、それを中澤さんは「すなわち、すべてが「査定」」と指摘されています。これも実務の現場で積み上げてきた人事担当者としての矜持が表れた言葉ですね。

その意味で、野中郁次郎先生の「あなたの先輩たちはもっと仕事していましたよ」という言葉は、中澤さんにとって「今の人事担当は先達の作り上げた制度の運用に汲々としていているばかりではないのか? きちんと査定しているのか?」という戒めに感じられたのでしょう。野中先生ご自身も富士電機製造株式会社で人事労務管理を担当されたご経験があるからこそ、こうした言葉をかけることができたのでしょうし、そこには日本型雇用慣行への深い理解がありますね。

この次のページは会員登録しなければ読めないのですが、社会保障と雇用・労働が主な関心分野である拙ブログにはちょっと耳の痛い指摘があります。興味のある方は会員登録してご覧いただければと思うのですが、かいつまんでいえば、個々の企業の人事労務管理はアプリケーションなので企業が自由にカスタマイズして構わないが、文化や風習などによって規定される社会保障などの制度はハードウェアであり、この部分の議論は壮大になるため、その中間の「OSにあたる日本統一の雇用インフラをメンバーシップ型からジョブ型に変えるか」の議論が求められているとします。

拙ブログでは仕事上の問題意識もあってハードウェアの部分の議論をしがちなのですが、現実の職場では、いかにOSに当たる雇用インフラを時代にあったものとするかという問題に向き合わなければならないと思います。それは何も人事担当の専売特許ではなく、働く一人一人の労働者が我がこととして考える必要があります。そのための社会インフラが集団的労使関係のアクターである使用者団体と労働組合なのであって、職場で話し合う場が団体交渉であるはずなのですが、昨今の使用者団体や労働組合の言動を拝見すると、これもまた難しい問題ですね。

2016年06月05日 (日) | Edit |
前回取り上げた「そんじょそこらのマネジメント解説書」は、日米で人材コンサルタントとして活動する方の書でしたが、そこでは日米(というか日本とそれ以外の世界)の雇用慣行の違いについて根本的な思い違いが前提となっているという状況でした。では、本場アメリカではジョブ型雇用で問題がないのかといえばもちろん話はそう簡単ではないわけでして、「労働環境を見るとアメリカが日本の後追いをしているようにも見え」たりとか、アメリカで活躍するコンサルが「マネジメントや人材管理の分野で職務記述書によるジョブ型の働き方を徹底的に批判してい」たりとか、むしろ日本型雇用に対する「憧れ」のようなものも感じるところです。

で、Googleの人事制度を紹介した本をしばらく前に読んでいたんですが、あのGoogleですら、どちらかというとジョブ型を徹底するより日本型雇用慣行に近づけようとしているようです。

 研究者や上級幹部が、あなたや周囲の人々を成長させる環境を整えるには、まずその環境に対して責任をとる必要がある。職務記述書に記載されていようといまいと、許されていようといまいと、これは事実である。
p.55

ワーク・ルールズ!ワーク・ルールズ!
ラズロ・ボック著/鬼澤 忍訳/矢羽野 薫訳
ISBN:9784492533659
旧ISBN:4492533656
サイズ:四六判 上製 560頁 C3034
発行日:2015年07月31日


※ 以下、強調は引用者による。

Googleの人事トップが「労働者は経営者目線たれ」というところは、全員が幹部候補となるメンバーシップ型そのものともいえそうです。ただし、さすがにGoogleともなると、ただいいとこ取りをするのではなく、メンバーシップ型雇用らしく長期雇用にコミットメントするような人事制度をとっているとのこと。

 私たちは人材斡旋会社と契約した。だが、そうした企業がこちらの求めるものを理解するのは難しかった。というのも、私たちが雇いたかったのはエキスパートではなく「聡明なジェネラリスト」だったからだ。自分が携わっている仕事を熟知している人より、賢明で好奇心旺盛な人を雇いたがっていることに、人材斡旋会社は当惑した。彼らの混乱がフラストレーションへと移行したのは、私たちがこう主張したときのことだ。殆どの顧客企業がしているように顧問料を支払うのではなく、採用が成立した場合にのみ料金を支払うと。それだけではない。私たちは数十回の面接を要求し、求職者の99%を不採用とし、たいていの場合、求職者が現に手にしている金額よりも低い報酬を提示した。
p.124

 私の知る限り、業績評価や昇進審査にグーグルほど時間をかけている組織は、大学のほかはパートナーシップ的に経営される企業しかない。両者とも、昇進は結局のところ、就寝教授や共同経営者として家族の永続的メンバーになることを意味する。長期的な約束をするのだから、細心の注意が払われるのだ。
p.283

 そんなわけで、「業績不振」の社員を解雇するという従来のやり方とは違う手段をとることにした。私たちの目標は、底辺の5%に該当する全社員に、その事実を伝えることだ。だが、そのときにこんなメッセージを伝えれば多少やりやすくなる。「あなたの成績はグーグル全体でしたから5%です。そう聞いて気分がよくないことはわかります。わざわざ私がそれを伝えるのは、あなたに成長し、向上してもらいたいからです。
(略)
 実のところ、グーグルは採用時に役割に関係した知識をあまり重視しないため、こうした問題には弱い面がある。仕事の進め方を知らない人を雇いたいからだ。ほぼ全員がいずれはそれを理解するはずだし、その過程で「経験済み」の人間よりも斬新な解決策を編み出す可能性が高いと信じているのである。
p.296-297

ボック『同』

最後の引用部は、いわゆるPIP(Performance Improvement Program)に類似した内容だろうと思いますし、PIPそのものの実態は自主退職を促すという面もあるわけで、解雇回避努力義務というまでのものではないかもしれませんが、そうはいっても、本書で引用されているようなジャック・ウェルチ流の「Up or Out」(「down or out」ともいいますね)とは明らかに違う方向を指向しているものといえましょう。

つまり、ゼネラリストを採用して長期雇用しようとすれば、内部で人材を育成しながら昇進させる必要があり、その一方でローパー社員をいちいちクビにしていたら採用コストばかりかかって内部での人材育成の効率も悪くなるため、その育成に資源を投入する必要も生じます。Googleでは外部労働市場のみではなく内部労働市場も重視しているということになり、金子先生が指摘されるような「ジョブ型もまた、クラフトタイプの内部労働市場」ということの現れなのかもしれません。

実は、復興関連で読んだ中で、アメリカでキャリアを積んだ方が被災地支援に当たられた方の本でも、日本型の長期雇用を前提とした異動のメリットが強調されています。

 国連というのは、いわば「人類の議会」です。国際社会の課題を解決し、よりよい世界を築いていくうえで非常に重要な役割を担っています。そのためにも、そこで働く一人ひとりが最優秀でなければなりませんし、よりよい世界を作っていくのだという強い意志を伴っていなければなりません。
p.61-62

 もちろんUNHCRスタッフにもさまざまな国の人がいますが、やはりそういった過酷な現場で生活しながら働くというのは苦しい。豊かな国の人であれば、そのストレスは大変なものです。赴任が長期化すれば精神的にも危機が生じます。
 これを回避するために、一つには公正で適切な配置換えが必要です。もう一つは専門家による精神的なカウンセリングです。これらの人事制度システムを整えなければなりませんが、簡単な話ではありませんでした。
(略)
 ジュネーブやニューヨークのような“良い場所”と、紛争地帯のような過酷な場所では、当然ですが「任期」も変える必要があります。前者が5年なら後者は1年とか2年にしてあげないと負荷が大きすぎます。公正さを保つため、昇格・昇任するためには、厳しい環境での勤務を一定年数やらなければいけないというようなルールも考えました。
 人事の公正なシステムがないと、別の悪い問題も生まれます。地域の人事を決めるレップたちが、能力ではなく情実や縁故で採用をし、自分が選抜した人間を子飼いにして不適切な利害関係が生じかねないのです。上の人間が別の地域に移動すれば、いつのまにか仲間も一緒について回るというようなことも珍しくありませんでした。
p.76-77


陸前高田から世界を変えていく
元国連職員が伝える3.11
■ 著者名: 村上清
■ カテゴリ名:書籍/単行本
■ 発刊日:2016年03月05日
■ 判型:四六判
■ ページ数:224
■ 税込価格:1,620 円(本体 1,500 円)
■ ISBNコード:9784267020476
■ Cコード:0095

著者の村上さんは高校まで岩手県陸前高田市で過ごし、アメリカの大学を卒業して、ジョブ型雇用のアメリカでキャリアを積んだ方なのですが、そのような方であっても公正な人事制度として構想するのは「コンピテンシー」を取り入れた日本型の長期雇用だったわけですね(なお、本書は出版社が気になるところでしたが、少なくとも本書からはあまりそうした雰囲気は感じませんでした)。

まあ、こうした人事制度は法制度もさることながら、組織の業種とか組織形態によって決まる面も大きいわけでして、日本型雇用慣行としてのメンバーシップ型が長期雇用維持するために特化した雇用形態であるならば、長期雇用によるメリットがある企業においては、日本型雇用への接近が見られることになるのでしょう。

2016年06月04日 (土) | Edit |
前回取り上げさせていただいた海老原さんの新著は「そんじょそこらのマネジメント解説書よりも現実に即したもの」でしたが、それでは「そんじょそこらのマネジメント解説書」はどんなものかというと、「日本型雇用だからモチベーションが維持できる」という海老原さんのご指摘とは真逆のタイトルの本があって、内容を見てみると日本型雇用慣行についてのよくある思い違いを前提にして論じていました。

日本企業は労働法によって厳しく規制されており、社員の解雇は非常に困難である。

位置201/3383

日本企業の社員は、なぜこんなにもモチベーションが低いのか?
著者:Rochelle Kopp
定価:本体1680円(税別)
発行日:2015/1/23
ISBN:9784844373957
ページ数:304ページ
サイズ:四六判(mm)
発行:クロスメディア・パブリッシング
発売:インプレス


※ 位置はKindle版の表示によるため、端末の表示方法によって異なります。

もうおなじみの思い違いですが、日本の実定法としての労働契約法には極めて限定的な解雇権濫用法理が規定されているのみであって、いわゆる正規労働者の解雇が難しいのは、使用者側に一方的な超勤命令やら異動やらの強大な人事権が与えられていることとの均衡を確保する必要があるからですね。そうした労使間の「バーター」が存在しないジョブ型雇用においては、労働者の解雇はそのスキルとジョブとの関係で行われるわけでして、本書でもそのような事例が紹介されています。

 更にネットフリックスでは、過去に優秀な業績を上げていても、現在組織が必要としているスキルを社員が持っていない場合、その社員を解雇することも必要であるとしている。パティ・マッコードはネットフリックスの簿記係であったローラを例に挙げて、この状況を説明している。彼女は「頭脳明晰で勤勉で創造性のある」人材で、映画のレンタル数を正確に把握するシステムを考案し、会社の初期成長に非常に貢献した。しかし2002年の上場後、公開企業として「公認会計士など正規の資格を持ち経験豊富な会計の専門家が必要となった」が、ローラはコミュニティカレッジの準学士しか持ち合わせていなかった。並外れた勤務意欲と社内での業績に加えて昔から好かれていた彼女ではあったが、仕事が必要とするスキルを持ち合わせていなかったのだ。「応急措置として彼女に新しい職務を与える」ことも話し合われたが、それでは会社の信念に相違があるように思われた。そこでマッコードはローラを呼んで状況を説明し、「彼女の素晴らしい貢献に対して、素晴らしい解雇手当で報いる」ことを伝えた。

カップ『同』位置885/3383
※ 以下、強調は引用者による。

いやまあ、見事な「会社都合による解雇」であって、ジョブそのものが不要となれば、そのスキルで対応できるジョブに対応して雇用されている労働者は解雇されるわけでして、正当な手当を支払って解雇するという手続きはまさに正当な解雇です。ところが、もしこのローラがメンバーシップに対応して雇用されいてる労働者であれば、一方的に超勤命令ができ、異動も命令できるような強大な人事権を持つ使用者側に「応急措置として彼女に新しい職務を与える」義務が生じます。これが整理解雇の4要件でいう解雇回避努力義務でして、日本の解雇規制がジョブ型雇用に比べて厳格であるのはこの点においてであって、実定法の解雇規定ではありませんね。

本書は日本企業の社員(もちろん労働者の意です)の「エンゲージメント」が欧米に比較して低いことを取り上げて、その「エンゲージメント」を高める方策を提言しているのですが、日本型雇用慣行に関するこのような思い違いが前提となっているため、個々に見ればそれなりに有効そうな提言もあるものの、トータルではそんな虫のいい話はないよなあとしか思えない仕上がりになっています。

その「エンゲージメント」というのは、本書によると、

 社員のエンゲージメントとは、社員の企業に対する関与の度合いと、仕事に対する感情的なつながりを表現するものである。社員のエンゲージメントは、社員が組織とその目標に対して抱いている感情的なコミットメントである。
 これは「活力、献身、没頭などに特徴付けられる、仕事に関連するポジティブで充実した精神状態」と表現することができ、エンゲージメントの高い社員は「仕事にエネルギッシュで効果的なつながり」を持っている。エンゲージメントの高い社員は、より深いレベルで仕事に関心を持ち、仕事への関与のレベルが高く、仕事に対してポジティブな感情を抱いている。もちろん職場の環境、給与、福利厚生などに対する社員の満足度も含まれるが、それ以上の、仕事に対して社員が感じている包括的な情熱というレベルにまで焦点をあてているのが、エンゲージメントの特徴である。

コップ『同』位置395/3383

とのことですが、これに対して、「複数の外資系企業の日本法人で人事部長を務めてきた経験豊かな日本人の友人」から「日本人の調査への回答の仕方は他国人と違うことを把握していないと意味がないから」と指摘されたそうです。本書ではその理由について、

 しかし、面白いことに、この友人の経験は社会科学の分野で立証された現象に基づいている。日本人は「肯定的感情表現の抑制」と呼ばれる行動を取る傾向が強い。子供の頃から日本人は、他人と上手く付き合っていくには、自慢話をしたり物事が自分にとっていかに順調に進んでいるかを吹聴しないようにと教育されてきている。これが先天的特性のようになり、非常にポジティブな感情を自分自身に帰することに違和感を感じるようになる。従って、社員のエンゲージメントに関する調査など、自分に関するポジティブな記述にあふれた質問に回答する際、他の文化圏の人々と比較して日本人は、自分自身を低く評価する傾向がある。

カップ『同』位置481/3383

としているのですが、それはあまりに一面的な評価だろうと思います。文化の違いが影響している可能性は否定しませんが、労働者と使用者の労働契約において、両者の明確な合意の上で特定の職務にアサインされているジョブ型雇用と、そもそも労働者と使用者の労働契約を規定する法律が制定されて10年程度で、労使の合意の核となるものは白紙の石板のみしかなく、(正規)労働者として採用された後は使用者側の命令でどんな職務にもアサインされうる日本のメンバーシップ型雇用では、その職務についての満足度が異なるのは当然でしょう。

なんなら、メンバーシップ型雇用で現に仕事をしている(正規)労働者のうち、自らの希望する職務に就いている割合なんて一握りであって、「銀行に入って地域経済を活性化させるぞ」と思っていたら為替の担当になったり、「商社に入ってグローバルに日本技術を展開するぞ」と思っていたら国内の食材の担当になったりというのが、メンバーシップ型雇用では大半ではないかと思います。さらに、ある程度の規模の企業組織を運営するために間接部門を置く必要があり、日本の学生の中に「会社に入って人事労務を担当するぞ」とか「経理部門で企業会計の精査を極めるぞ」と意気込んで入社する人はごくわずかでしょうけれども、実際にはそれらの間接部門が企業経営の根幹を握っている場面も多くあります。日本型雇用慣行における人事異動は、労働者側にとって「住めば都」というか「働けば都」となり、それらの部門に精通して「背番号」を背負っていくことが期待されていることも多く、結果的にそう思えるようになる前の(正規)労働者にとっては、希望する職務に就いた一握りを除いて、「エンゲージメント」の評価は低くなるものと思われます。

で、その人事異動について本書では、

人事部が社員に仕事を割り当てるプロセスは、全くのブラックボックスであると言ってよい。大抵の場合、割当の理由は不明瞭で、個人の興味、願望、才能、家庭の事情が考慮されることは殆どない。偶然興味がある仕事を割り当てられることもあるが、それは決して保証されているものではない。企業に命じられた仕事を、何であっても喜んで引き受ける態度が不可欠とされ、就職の時点でもそれが期待されている。

カップ『同』位置250/3383

というのもあまりに大雑把な批判ですね。「「異動」が会社内部の手続きとなるのは、定年退職とセットになった新卒一括採用のため、定年退職で空いたポストに順次「昇進」させながら、上から末端までの中間のポストに空きを作らなければならないという物理的な必然性があるから」であって、退職者と新採用の間に無数に発生する空きポストに玉突きで人事を割り振っていくのがすなわち「人事異動」です。日本型雇用慣行の運用の中では、大多数の「普通」の職員は空いたポストにある程度機械的に割り当てざるをえないわけでして、そうした「普通」の職員にとってはどこに飛ばされるかわからないという印象になるのもある程度やむを得ない面はあります。とはいっても、一定の「有望」な職員は上層部が意図を持って引き上げていくので、「全くのブラックボックス」というのは言い過ぎですね。

でまあ、こうした職能資格給制度に裏打ちされたメンバーシップ雇用では、雇用慣行を見直すということは給与を含む社内の「資格」を見直すということに他ならないわけで、労働者側も使用者側もそれを受け入れる覚悟はほとんどないのが現状でしょう。という意味では、本書で

 多数の発展途上国が電話サービスの普及を試みるにあたって、従来の有線電話システムのインフラが存在していないことから、その段階を飛び越えていきなり最新の技術を導入することを行っている。この劣等で効率が悪く割高なシステムを飛び越えて最先端技術を利用することを「リープフロッギング」という。
 日本企業は、人事管理の仕方に関してまさにこのリープフロッギングを必要としているのかもしれない。「典型的」な欧米の企業を模倣するより、最先端を行く例から学んだ要素を取り入れることは、一考に値する。

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と指摘される点は大いに賛同します。メンバーシップ型とジョブ型のいいとこ取りをうまく着地させることが、当面の課題なのではないかと思うところです。

2016年05月29日 (日) | Edit |
年度の切替時期で積ん読も貯まりに貯まっているところですが、海老原さんの新著が発行されたとのことで早速拝読してみました。この新著では、海老原さんがリクルートで薫陶を受けられた故大沢武志著『心理学的経営』を基に、前著で取り上げられていた「個」のマネジメントと「組織」のマネジメントのうち、前者に的を絞ってより具体的なマネジメントの実践について解説されています。

ということで、前著で基礎理論として強調されていた「2W2R」を実態に即してどのように実践すべきかという指南書になっていまして、説明内容そのものは前著とほぼ同じですが、新著では2Rのうち「range」についてのさらに充実した説明が加えられています。私自身、前著を読んで以来、自分の仕事でも「2W2R」を常に意識しながら仕事をしてきたつもりでしたが、なかなかさじ加減が難しいのが「三つのギリギリ」とこの「range」でした。

もしかすると同じような感想を持つ方が多かったのかもしれませんが、本書ではこの「三つのギリギリ」と「range」を関連づけて説明されていて、ようやく腑に落ちた感があります。

 ここまでお読みになった読者の方だと、新たな機会を与えるということなので、「三つのギリギリ」を頭に浮かべる人が多いでしょう。
 その定理にしたがうと、二つのことが減点対象にあげられそうです。
①いきなり新規事業開発は無理だろう。これでは「活かし場」がない。
②社長は「だめなら戻ってこい」と話している。これだと「逃げ場」が残っている。
 しかし、この指摘はどちらも間違いです。実は「三つのギリギリ」の理解を深めるために、あえてひっかけ問題として意地悪な作りにしました。
p.118
即効マネジメント ─部下をコントロールする黄金原則即効マネジメント ─部下をコントロールする黄金原則
海老原 嗣生 著

シリーズ:ちくま新書
定価:本体760円+税
Cコード:0234
整理番号:1188
刊行日: 2016/05/09
※発売日は地域・書店によって
前後する場合があります
判型:新書判
ページ数:208
ISBN:978-4-480-06892-7
JANコード:9784480068927Ω

この部分の前までは比較的発展途上の段階にいる部下をいかに育成するかという設問だったのが、ここではエースと呼ばれる部下に対する社長の指示をどのように評価するかという設問になっています。この場合の適切な指示方法については本書を手にとってご確認いただきたいのですが、私自身が「三つのギリギリ」と「range」の間で悩んでいた理由についても本書にヒントがありました。

風土に反する指示は、迷惑でしかない

 上司がきちんと四隅を示して「自由に遊べ」とRangeを作ったとしても、部下がそれを実行できないことがあります。その場合も、部下だけに責任があるわけではありません。それは、上司が常日頃から「自由に遊べる」風土を作っていないからそうなってしまうことが多いのです。
 上司が「責任は自分がすべて持つ」「尻は拭く」とこういう言葉を連発しても、普段それと逆の行動を取っていた場合、部下は信用しません。
 以下のようなマネジメントをしていたら、「自由」「自律」など部下に期待できないのです。
・失敗すると厳しく怒る。
・従来は安全策を唱え、事なかれ主義だった。
・責任は、部下本人に押し付ける。
・意見や発案に対して、前向きに受け止めない。
 こんな風土では、誰も自由な挑戦などできませんね。そう、風土・土壌を無視して、いきなりきれい事を言われたりしても、部下にとってそれは迷惑でしかないのです。

海老原『同』pp.131-132

…こういわれてしまうと、私自身の力不足を反省すると同時に我々の業界ではなかなか難しいなとも思います。もちろん、私自身は私の力の及ぶ範囲で「自由に遊べる」環境を作りたいと思っていますが、それだけではどうにもならない部分があるのも現実ですね。特に、地方自治体の首長選挙では「民間感覚」をもったカリスマ的リーダーがトップダウンで政策を決めるという主張をする候補が強い傾向があります。往々にしてそういう方々は任期途中とか道半ばで退任されることも多く、「責任は自分がすべて持つ」「尻は拭く」なんていう職員よりも、そうしたトップのイエスマンによって上層部が固められることも多いように見受けます。

まあそれはそれとして、本書がそんじょそこらのマネジメント解説書よりも現実に即したものとなっているのは、故大沢武志氏の理論が優れていることはもちろん、海老原さんが日本型雇用慣行の実態を的確に踏まえて説明を展開していることも大きく寄与しています。本書では第5章でその経緯が説明されているのですが、端的に言えば、日本型雇用慣行が「白地の石板」を従業員に与えるのみで職務が無限定であるために、「2W2R」を実践できるという優位性があるということになります。そして、そのようなメリットの反面には、「女性」「学生」向けに非正規雇用という低賃金労働の区分が設けられ、それが今や正規労働者になれない「男性」をも取り込みつつある現実があるわけで、この点もきちんと指摘されています。

「誰もがエリートを夢見る社会」の裏側

 さて、この話の続きを書く前に、日本型の働き方の問題点も、公平に書いておきます。欧州(それ以外の多数の国でも)では、誰もが階段を上がることができません。ところが日本はそれができる。
 なぜ、こんなことが可能なのでしょうか。
 その答こそ、日本型の悪い点とも言えます。
 それは、「正社員」のワクから外れた人たちに、そのしわ寄せが大きく行く構造になっているのです。
 日本でも働く人の3割以上が非正規社員です。彼らの給料はどうでしょう。(略)これでみると、パートタイマーはフルタイム非正規よりもはるかに年収が安く(年収換算で50万円の差がつく)、どんなにがんばっても欧州の無資格労働者ゾーンにも達しません。
 しかもです。欧州の労働者は、年間1400時間程度の労働時間でこの年収を手に入れているのです。対して、日本の非正規労働者は(フルタイム換算なので)年間1900時間を超える労働をして、この年収です。時給レベルで考えると、日本の非正規社員のそれが極端に低いことがわかるでしょう。
 さらに言うと、こうした待遇の悪い非正規、なかでも特に時給の低いパートタイマーの大部分を「女性」が占めています。勤続して階段を上り続けなければならない社会だから、産休や育休で階段から外れる「女性」たちが、正社員から押し出され、非正規パートタイマーとなっていく。
 正社員で働く限り「誰もが階段を上がれる」裏には、こうした問題があるのも事実です。

海老原『同』pp.153-154

本書ではこの部分だけがトーンが違っていて少し違和感を感じないではないのですが、逆にいえば海老原さんだからこそ、この短いセンテンスで日本型雇用の問題点を見事に描き出すことができたといえましょう。そしてそれは、海老原さんの従来からの主張である「入口は日本型、途中から欧米型、という接ぎ木型の接地」への布石ともなっているというのは、少々裏読みしすぎでしょうか。

いずれにしても、このマネジメントを実践する上司が増えていって、Rangeがうまく作用する風土・土壌を持つ組織が広がっていくためにも、本書が多くの方に読まれることを期待しております。