2020年06月07日 (日) | Edit |
退職してから公務員ネタばかり増えてしまい、まあこれまでの人生の半分近くを過ごした公務員の話題がどうも気になるようですね。というところで元外務官僚の岡本行夫氏がCOVID-19により逝去され、その経歴が特集記事になっていました。

そんな岡本だったが、中東での日本の貢献策を実現すると、ほどなく外務省を辞めてしまった。彼の対談集には、次のように記されている。

官僚の仕事は課長時代が一番面白い。これから上のポストに行くと、仕事は部下がやるから自分が『切り込み隊』になることは少なくなる。どうしても『安全プレー』が大事になるし、そうしないと周りに迷惑をかけることになる。これは自分の生き様に向いているのか。自分は燃えないのではないか」

上司と衝突して辞めたんじゃないかという人もいますが、全く違います。(中略)僕自身は明らかにつまらない人間になりつつあった。それで、全く新しいことをしてみよう、食いつめてしまうかもしれない緊張感に身をさらして人生をもう1つやってみようと思い始め、その気持ちを抑えられなくなったのです」
(五百旗頭真/伊藤元重/薬師寺克行編『岡本行夫 現場主義を貫いた外交官』より)

岡本行夫という生き方(2020年6月3日特集記事 NHK政治マガジン)
※以下、強調は引用者による。

霞が関方面のキャリアは仄聞する程度なのですが、岡本氏は一橋大を卒業してから1968年に外務省に入省されたとのことですので、当時のいわゆる外交官試験(外交官領事官試験)採用のキャリアの中では、東大在学中に外交官試験に合格して中退して入省するようなエリートとはやや異なるコースを歩まれていたのではないかと思われます。という憶測が正しければ、岡本氏の「これから上のポストに行くと、仕事は部下がやるから自分が『切り込み隊』になることは少なくなる」という言葉は、必ずしもエリートコースではない自らの将来を外務省という組織から外部へ切り替えるための理由付けだったのかもしれません。

という岡本氏を評して、元外交官でキヤノングローバル戦略研究所の宮家邦彦研究主幹が次のようにコメントされているのですが、

岡本について語るとき、宮家氏が最も力説したのは、岡本が「政策を実行する人=政策マン」だったという点だ。
「実際に官僚を動かし、メディアに理解を深めさせ、政治家に働きかけて政策にしていく。そのためには、発想力と行動力と説得力が必要なんだけど、彼はそうした力を持っていた」
そして、こう締めくくった。
「彼の肩書は『外交評論家』となっている。でも、彼は評論家ではない。評論なんかする気はないんです。彼は死ぬまで『政策マン』だった。政策を作り、それを自分で実行する。もしくは、実行するための環境を作っていく。『彼は政治的に動く』と言う人もいるが、政策とは、そもそも政治的なもの。岡本さんだからできたんです」

岡本行夫という生き方(2020年6月3日特集記事 NHK政治マガジン)

「政策とは、そもそも政治的なもの」という言葉が非常に印象的です。複数の人数でなければ取り組むことができない課題に対しては、相手方との交渉を行いながら意思決定を行い、実施のための体制を構築し、その実施状況を適宜把握し、必要な軌道修正を行い…という組織内外の交渉が必要となります。その交渉の総体をもって「政治」というのであれば、この岡本氏を評した宮家氏の言葉は腑に落ちますね。しかし、上記の通り交渉には組織外と組織内がありまして、どちらも実施に当たっては必要ではありますが、組織内の交渉に要するコストを低くすることが組織を維持するために必要不可欠となります。組織の経済学の理論でいえば、交渉のコストを低いからこそ組織化するのであって、交渉のコストが高いプレーヤーをわざわざ組織内に取り込む必要がないからです。

とはいえ、組織内での仕事が組織内での政治に左右されるというのはおそらく洋の東西を問わず共通の課題でしょうし、その組織内で主流派でない構成員がそれを遂行する難易度は桁違いに高くなります。その組織内で仕事を遂行する能力が「職務遂行能力」ですから、職務遂行能力によって(組織内の)資格と給与水準が決定される職能資格給制度の下では、組織内の政治力こそが職務遂行能力といってもいいでしょう。問題は、その結果として実現された政策が望ましいものとは限らないということですね。私のような元地方公務員がいた組織と外務省では組織の構成が大違いですし、それに伴いサブもロジも大違いだとは思いますが、岡本氏が課長職を最後に外務省を退職して外部の「政治」の世界に身を投じたのは、組織内政治で実現できる成果に限界を感じ、外の世界の政治にその可能性を見いだしたとみることができるかもしれません。

・・・組織規範としての職務遂行能力を身につけ、組織内政治に長けて職能資格給制度を昇進していった上司は、「専門性を軽視し、「全体最適」なる合理主義にお墨付きを与え、「合理主義自体が深いところで持つ志向が、グロテスクに拡大された」全体主義体制に容易に通じてしまうという危険性を孕」んでいるわけでして、専門性を持ちながらジェネラリストよりも賃金水準が低い職員のいうことを素直に聞き入れるとは限りません。というより、そうした組織規範に則った意思決定が是とされる風潮が変わらなければ結局、役所という組織の公共サービスの質が向上することはないでしょう。

ジョブ型でサービスが回り始める(2020年05月05日 (火))

ということを考えていたところ、障害者枠で公務員として採用された方が的確に分析されていました。

しかし、公務員は、相手を説得によって動かす技術がなくてはならない。そこに金という大きな力が働かないのだ。

「金の払いで不義理をしないのが良いのが良い客であり成功するコツ」であるのが民間だとすると、公務員は「相手を動かして働くための筋を示した書類を作れるのが能力」であることになる

取引の際にも、契約の際にも、打ち合わせの際にも、

「品質、金額、納期、どう儲けるか」を抑えておけばよかったのだが、公務員になると、抑えるべきポイントが、「誰が、どういう筋で、何をやるか」が最重要ポイントになっている。

これは正直、アラビア語が堪能な人間が、英語圏に行ったようなものである。

ドラクエに例えると、全員がホイミを使えるのにホイミが使えない戦士から転職したLv1僧侶の悲哀、というのを感じている。

自分が今まで問題にもしていなかった能力が、実は最重要な才能として通用している世界だった。
(略)
そして、ものすごい人脈社会だ。民間以上に人格が重要な社会だ。飲み会だろうが勉強会だろうがとりあえず名刺交換して自分を売り込む必要がある。

理由は単純で、あまりにも専門領域が膨大過ぎて、とても一人の力では業務をフォローできない。誰かに助けてもらう必要が必ずある。

シン・ゴジラに一匹狼の官僚が出てきたが、ああいうタイプはしんどいだろうと思う。むしろ三枚目のお調子者のほうが仕事はやりやすい。

2020-06-06 ■障害者から公務員に転職したが、けっこうしんどい。

1年でここまで分析されているということは「組織内政治」の現場を存分に味わわれたのではないかと推察しますが、「ものすごい人脈社会」という点こそが、「組織規範としての職務遂行能力を身につけ、組織内政治に長けて職能資格給制度を昇進していった上司」が意思決定を行う決裁権者となる日本型雇用慣行を表していますね。

いやもちろん、上記の増田氏が指摘されるように民間企業のそれと役所のそれとで違いはあるのですが、それは組織外政治と組織内政治のどちらに比重が置かれるかという点の違いであって、特に役所組織の日本型雇用慣行においては、組織内政治に比重が置かれる傾向があると理解することができると考えます。役所が扱う領域においては利害関係者が複雑に輻輳することが多く、いちいちその利害調整をしていたらコストがかかりすぎるので、組織内での調整でそれに代えるのというのが飯尾先生が指摘した『日本の統治機構』ではあるのですが、「その結果として実現された政策が望ましいものとは限らない」のは上述の通りでして、ポエムばかり唱えている経産省がその余力でもってインフルエンス活動に勤しんで政府の要職を占めている現状において、その統治機構の限界も十分に見えているように思います。

(追記)
ドラめもんさんが役所のスジの通し方について怒りの土日更新されたとのことで、

法務省が責任おっかぶされそうになって梯子外しをする仁義なき戦いキタコレ。
https://mainichi.jp/articles/20200606/k00/00m/040/106000c
法務省「黒川氏の退職、捜査に支障ない」 定年で「重大な障害」だったのでは?
会員限定有料記事 毎日新聞2020年6月6日 18時21分(最終更新 6月7日 15時29分)

『賭けマージャンで辞職した黒川弘務・前東京高検検事長の定年延長問題を巡り、法務省の川原隆司刑事局長は4日の参院法務委で、黒川氏の退職により「捜査に特段の支障は生じない」と答弁した。「黒川氏の退職で捜査に重大な障害が生じる」(森雅子法相)として定年延長を決めた1月の閣議決定の根拠が大きく揺らいでいる。参院法務委のやり取りは以下の通り。【大場伸也】 』(上記URL先より)

民主政治ってプロセスが重要だから行政におかれましては筋を通した執行というのをして頂きたい、とまあ斯様に思う訳ですし、それが出来ないとなると有司専制になってしまうので、官僚の皆様におかれましては筋くらい通してよと思いますし、筋が通らないのを見るとアタクシのスイッチが点火して突然イカリポイントが妙なところでランボー怒りの土日更新とかをするのでありました。

朝のドラめもん(2020/06/08)

「官僚の皆様におかれましては筋くらい通してよと思います」とおっしゃることは正にその通りではあるのですが、その筋を通す範囲が組織内にとどまるのか、組織外まで及ぶのかによって筋の通し方は変わるわけでして、役所では組織内(霞が関では各省協議が表向きの調整の場で、組織外ではせいぜい各種団体に根回しを行うのが通例ですね)の筋を通すことまでがこれまでの仕事の範囲だったといえます。

では組織内で調整がつかず、組織外の調整が必要となったときはどうするのかというと、わたしが仄聞する限りでは、以前は霞が関内で各省協議が整わない案件があれば平場で政権党がゴリゴリと調整をしていくという流れがあり、その際に重要な役割を担うのが各省(の政策に関連する分野)の利害を代表する族議員だったわけです。バブル崩壊後に一気に進んだ政治改革において当時の自民党一党独裁の弊害を断つという名目で派閥の解消とか族議員の排除とかが進められ、「「官僚が勝手に自分の権益のためにやったんだ」とバッシングして批判をかわすのがこの国の政治家の作法となっています。官僚叩きで政権の座に就いた今度の政権党がその味を知ってしまった以上、わざわざ彼らが七面倒くさい利害調整に乗り出すはずもなく、結局は役人に丸投げする」という光景が当たり前になっていきました。

2009年の政権交代でその政治改革が完成したかのように見えたところですが、それは上記のような霞が関の組織外における調整の場を失うことを意味していました。政権党による利害調整が以前のように機能しなくなった状況において、さらに内閣人事局が設置されたことによって組織内調整は組織外調整を見越したものにならざるを得ず、それが「忖度」という言葉が政治のメインイシューとなる状況をもたらしたといえるのではないかと考えます。という経緯を踏まえて現状を見るにつけ、何のための政治改革だったのかと小一時間問い詰めたいところですね。
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2020年05月12日 (火) | Edit |
hamachan先生が意味深なエントリをアップされていて、

政治家ってのはお互いに殴り合うのが商売だから大いにやればいい。それが民主主義。

でも、たまたまその時政敵の下に仕えているからといって、役人を同じくらい激しく殴ると、その恨みは残る。もっとも、君、君たらざるも臣、臣たるべしという吏道が身についた者であれば、いかに殴られた相手であろうが新たなご主人様に同じように真摯に仕えるかも知れない。スレイブ道。

でも、たまたまその時政敵に三顧の礼で迎えられたからといって、学識者まで同じくらい激しく殴ったりすると、そんな者から三顧どころか百顧の礼を尽くされても、うんとは言ってくれないでしょうね。

たぶん、自分が将来その学識者に三顧の礼でお願いに上がる立場になることなんか絶対にないと割り切っているからできるのかも知れませんが。

「殴る相手(2020年5月12日 (火))」(hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳))

何のことかと思ったら、おそらくこれのことではないかと。

尾身副座長への国会質問に疑問続出 「#福山哲郎議員に抗議します」もトレンド1位に(J-CASTニュース 2020年05月12日20時16分)

政府の専門家会議の尾身茂副座長に対し、立憲民主党の福山哲郎幹事長が国会質問で答弁内容にクレームを付けたことについて、医療関係者らからツイッター上で批判も出ている。
(略)
感染者が10倍以上かどうかを、あくまで聞きたいという姿勢のようだ。そして、無症状や軽症の人たちまで捕捉しないと感染の全体像が見えないと強調していた。

このやり取りをテレビなどで見ていた医療関係者からは、福山氏の質問ぶりや野党からのヤジに対し、ツイッターで疑問の声が次々に出た。

ある内科医は、「話聞くために専門家を呼んだんじゃないのか?」と疑問を呈し、ヤジについては、「せめて文字化して記録に残してほしい。議事録に残さず、誰が言ったかも特定されず、好きなだけ悪口を叫べるのは、文化じゃない」と指摘した。

こちらの記事のある内科医がおっしゃったという言葉は、「議論」というものをその目的に沿って理解すれば当たり前のように思われそうですが、ところがどっこい、特に日本の国会(地方議会もそれを真似してますのでほぼ同じですが)ではそういうものの道理が通らない現状があります。

まあ国会というか日本の議会というのはかくも「不毛」な応酬が繰り広げられる場となっておりますが、そもそもなぜそうなったかという背景について、以前のエントリで取り上げた刊行当時現役の衆議院事務総長による解説を参照してみましょう。

 我が国国会が独特なところは、質疑というプロセスがあること、そして、それが審査の太宗を占めることである。他の国では、基本的に討論という形で審議が進められる。無論、我が国にも、議員間で議論を闘わせる討論のプロセスはあるが、各党の意見表明といったもので、議員間議論という要素は少なく、かつその時間も短く、採決の前に行われる一プロセスといった儀式的な性格を強く持ったものである。
(略)
 なぜ質疑が審議の中心になったのかというのは、帝国議会初期の政治状況が大きく影響したと言っていいだろう。我が国の統治のシステムは、天皇が統治権を総覧し、内閣は天皇を補佐するものであった。議会は天皇の立法権を協賛するものであり、それは具体的には、民の代表として、政府が進める政策に意見を述べることであった。
(略)
 しかし、政党、とりわけ野党的立場の政党からすれば、政府の政策を質し、その問題点、ひいては政府そのものを攻撃したいわけで、そうなると、大臣らを質疑の場に呼ぶしかなかった。
(略)
 だが、その後、内閣の方も議会の重要性を感じるようになる。(略)こうして内閣と野党双方の思惑が一致して、質疑の場が拡大し、審議の太宗を占めるようになったと考えられる。
pp.163-165

議会学
向大野新治(衆議院事務総長)著
ISBN:978-4-905497-63-9、280頁、本体価格:2,600円

私自身も諸外国の議員制度を実際に見聞きしたわけではなく、最近だとイギリスのBrexitとかアメリカのロシア疑惑とかのニュースで見る程度の知識しかありませんが、国会議員が与党の閣僚を通じて行政(の職員たる役人)をつるし上げる日本とはだいぶ異なる印象ですね。しかも、日本では政権交代があってもこの構図は変わりませんので、民主党政権時には自民党が同じようなことを繰り広げていたわけでして、まあこの国では役人が一方的に攻撃されるのが民意ということなのでしょう。
(略)
そして、諸外国では政策決定が主に討論で行われるのに対して、日本のように質疑が中心であれば、政策や制度の詳細について知らなくても(誤った解釈によっても)質問ならいくらでもできるし、政権批判につながりさえすれば政策以外のことも質問できます。合理的無知な有権者によって選ばれた国会議員にとって、政策や制度の詳細について知らなくても発言できる質疑中心の国会の方が都合がいいわけですね。

質疑中心の議案審査構造の「不毛」(2019年11月18日 (月))

いつもは「与党の閣僚を通じて行政(の職員たる役人)をつるし上げ」ている方々にとっては、「いつもどおりやって支持層にアピールすりゃいいんだろ」ということで、与党の閣僚を通じて世界的に顕著な実績を有する学識者をつるし上げただけなのでしょうけれども、そんなことをされる立場だということが周知されれば、普通の感覚をお持ちの学識者なら二度と関わりたくないと考えるのが道理でしょう。そしてそうした普通の感覚をお持ちで世界的に顕著な業績を有する学識者が政策に関与する道を閉ざすことが政治の目指すところならば、それは一体誰のための政治なのだろうと思わずにはいられません。

まあ、日本的選良の方々にとっては、誰がどうやっても答えられない質問とか政策以外の質問を投げつけて、それに答えない姿を衆目に晒すことが重要なアピールポイントでしょうし、「政策や制度の詳細について知らなくても(誤った解釈によっても)質問ならいくらでもできる」以上は、この構造は変わらないでしょうね。

2020年05月05日 (火) | Edit |
前回エントリでマクロの定員抑制について取り上げましたが、一応備忘録として地方公共団体の定員管理の考え方についてメモしておきます。

とはいえジョブに応じて人員体制を整えるという考え方が希薄な日本型雇用においては「考え方」というほど大したものではないのですが、総務省の「地方公共団体定員管理研究会」で毎年モデルを示しています。このモデルというのも現状の組織体制を基準として地方公共団体を比較しているだけなので、そもそも「必要な定数」というものを示しているわけではありません。

という代物ですが、平成23年度以降は毎年モデルが示されておりまして、最新版の資料は昨年9月のものとなります。
令和元年度地方公共団体定員管理研究会(第1回)資料
こちらの2ページ(pdfでは4ページ。以下pdfのページとします)に職員数の推移が掲載されていますが、

○ 総職員数は、対前年比で5,736人減少し、273万6,860人。平成6年をピークとして対平成6年比で約55万人減少。
〔対平成6年比で約▲55万人(▲17%)〕

と大々的に記載さています。下のグラフを見ると「(H17~H22) 集中改革プランにより約23万人の減」と特出しされていまして、6ページの「地方公共団体定員管理研究会の経緯」では、平成17年度から平成22年度は、地方の側からモデルを示す必要はないとして示されていなかったとのことですが、この期間をよく見ると、集中改革プランの時期と重なります。いやまあすごいぐうぜんですね(棒)この集中改革プランは、具体的には平成17年11月に経済財政諮問会議で決定された「総人件費改革基本指針」と平成17年12月に閣議決定された「行政改革の重要方針」を指しているのですが、「国と地方の行革コンペ」の見事な成果といえましょう。

この資料では30ページから埼玉県資料が掲載されているのですが、これによると埼玉県では「平成30年4月時点で県民1万人あたりの職員数(一般行政部門)は「11.2人」であり、全国最小を維持している」とのこと。その2枚目(31ページ)に県民一人当たりの都道府県職員数(定数管理調査一般行政部門)のグラフがありまして、1位の埼玉県が11.2人、2位の千葉県が13.2人、3位の大阪府が14.0人、4位の東京都が14.2人、5位の兵庫県が14.5人となっています。もちろん人口が大きいほどスケールメリットが働くので職員数の削減効果は大きいのですが、現在のCOVID-19の人口10万人当たり感染者数と比べてみると、職員が少ないという上記の4府県はすべて上位10位にランクインしています。一方で、職員数の多い方からは鳥取県51.0人、高知県47.1人、島根県47.2人、徳島県40.7人となっておりまして、なかなか興味深い結果となっていますね。
20200503チャートで見る日本の感染状況新型コロナウイルス
チャートで見る日本の感染状況新型コロナウイルス(5月3日時点)
https://vdata.nikkei.com/newsgraphics/coronavirus-japan-chart/#d5

ちなみに33ページに埼玉県の過去5年の部門別職員増減状況が掲載されており、保健所が含まれる民生部門では67人増加となっています。なるほど保健所は体制強化したのかと思いきや、増要因として民生部門では「児童虐待件数増加への対応 (+71) 発達障害総合支援センター設置 (+10)」と81人増員したとしておりますので、保健所の検疫部門はむしろ減らされている可能性も考えられます。いやもちろん、非常事態にあって児童虐待担当も発達障害担当も総出で対応しているものとは思いますが、PCR検査に対応できる人員が増えるとは考えにくい状況だろうと思います。保健所が含まれる衛生部門では17人増加となっており、増要因として医師確保・感染症対策強化(+8)が掲げられていますので、一定の体制強化が行われていると考えられます。ただし、だからといって今回のCOVID-19感染拡大局面において即座にPCR検査に対応できる人員を増やせるとは限らないわけで、保健所が厳しい状況に置かれてしまう一因となっているのではないかと考えます(5/6修正しました。大変申し訳ございませんでした)。

さらについでに病院の病床数や職員については、小泉内閣に至るまで医療費削減の大義名分の下で人員削減が進められた経緯があり、福田内閣以降は、病床が急性に偏っている現状から地域包括ケアを中心とした体制へと移行させ、医師不足、看護師不足、コメディカル不足をいかに解決するかについて連綿と取り組んでいる分野でして、緊縮財政で病床削減ガーというのは勉強不足の誹りを免れないでしょうね。

(付記)
本エントリをアップして数時間後にこんな記事がはてブで話題になっていましたが、

…非常勤だが仕事ができる有能なスタッフは重宝され、任期明けのたびに別の部署で再任用を繰り返す。こうしたかたちで「非常勤のベテラン」が長く働き続ける例が、各地でけっこうみられている。細かい相違はあれど、この構図自体は非正規化が進んだ民間企業と何ら変わらない。

今回、コロナ禍に端を発した緊急対応とはいえ、こうした慣行とは全く異なる建て付けで、若者を期間限定で地方自治体に登用し、雇用創出・人手不足解消の両立を図ろうとする試みは、大変注目に値する。過去に資格試験スクールの講師として公務員採用試験対策に関わってきた筆者から見ると、大きな可能性を秘めているように思える。

なぜなら、この仕組みは少しでも運用を誤れば、「任期付き公務員」という、常勤職員と比べて著しく不安定で差別的な雇用形態を常態化・増加させる結果に終わりかねない一方で、神奈川県の黒岩知事が、この緊急対策で採用した職員について「優秀な方はそのまま県職員に登用する道もつくっていきたい」と発言しているように、公務員の採用に一石を投じうる力をも秘めているからだ。

大原 みはる 行政評論家「コロナでわかった、やっぱり日本は公務員を「減らしすぎ」だ 「ヒマで安定」の時代は終わったのに」(2020.5.5 現代ビジネス)5

いやまあリーマンショックや東日本大震災の際の緊急雇用創出事業はすっかり過去のものになってしまったのだなあと遠い目をしてしまいますね。もちろん、この間に法の趣旨を逸脱していた臨時的任用職員や一般職非常勤職員の制度が「会計年度任用職員」という弥縫策によって鞍替えされた経緯もありますが、リーマンショックの際東日本大震災の際も、国の基金を財源とする緊急雇用創出事業として、各自治体が地方公務員法に基づく臨時的任用職員や一般職非常勤職員を大量に直接任用した実績があります。特に東日本大震災時には、リーマンショック時から引き続き拡充された緊急雇用創出事業に加えて、地方公共団体の一般職の任期付職員の採用に関する法律に基づく任期付職員を任用しており、その任期付職員から地方公務員法に基づく選考による採用も行われています。
(補足しておくと、地方公共団体の一般職の任期付職員の採用に関する法律第3条第1項の特定任期付職員、同条第2項の一般任期付職員、第4条第1項の各号で「一定の期間内に終了することが見込まれる業務」と「一定の期間内に限り業務量の増加が見込まれる業務」に従事する4条任期付職員として任期を定めた職員を採用することができます。任期付職員は任期が定められている以外は基本的に正規職員と同じですので、定数管理の対象となりますし、適用される給料表も正規職員と同じです。したがって、任期付職員に限っていえば、ジョブに応じて正規職員が採用されたといえる場合もありますが、特に4条任期付職員の実際の配属は○○課の業務一般となることが多く、メンバーシップ型の仕事がメインとなります)

ということで、「神奈川県の黒岩知事が、この緊急対策で採用した職員について「優秀な方はそのまま県職員に登用する道もつくっていきたい」と発言しているように、公務員の採用に一石を投じうる力をも秘めている」といわれましても、既に実施していますが何か?という感想しかありません。まあ一般的な「公務員採用試験対策」は地方公務員法に基づく競争試験による採用の(いわゆる)正職員を対象としているでしょうから、選考採用といってもピンとこないのかもしれません。

念のため、地方公務員法上の競争試験採用は、18条の2で「採用試験は、人事委員会等の定める受験の資格を有する全ての国民に対して平等の条件で公開されなければならない」とされているため、医師等の資格を有する者を対象として受験者を限定することができません。逆に資格を有する者を採用する場合は、21条の2に規定する選考による採用によって採用しますので、例えば保健所の医師や保健師のような有資格者を採用する場合は選考採用することになります。まあ重箱の隅をつつくような指摘ですが、ご参考までに。

(付記2)
本エントリの冒頭で「ジョブに応じて人員体制を整えるという考え方が希薄な日本型雇用においては「考え方」というほど大したものではない」と書いておりましたが、付記で取り上げた記事についてhamachan先生が本質をズバリと突いていらっしゃいます。

日本では、公務員減らしを主張する人が、少なくとも筋金入りの一部の立派な欧米風のネオリベを除けば、それによって当該公務員の遂行するジョブが減るのであり、即ちあんたが享受しえた公共サービスがその分だけ減らされるのだよという、ジョブ型社会であればあまりにも当たり前の事実が脳みそから完全に消え失せてしまって、その極限まで減らされた公務員が、なぜかもっといっぱいいた時と同じくらいの、あるいはむしろそれ以上のサービスを提供してくれるのが当たり前だと、悪意などこれっぽっちもなく、ほんとに素直に、それのどこがおかしいの?と稚気愛すべきほど無邪気に、思い込んでいるんですね。
(略)
本ブログで何回も繰り返してきた気がしますが、わたしは、筋の通ったネオリベは好きです。筋の通ったというのは、公務員減らせということは、自分が享受できる公共サービスをその分減らせと言っているということをきちんと理解して言っているということです。そういう人は尊敬します。

しかし、残念ながらこの日本では、論壇で活躍する評論家にしても、居丈高な政治家にしても、みんなずぶずぶメンバーシップ型のいんちきネオリベでしかないのです。居丈高に公務員を減らしておいた上で、いざというときに公共サービスが足りないと、赤ん坊のようにわめきたてるのです。いや、それお前のやったことだろ。

ジョブなき社会の公務員減らしの帰結(2020年5月 5日 (火))(hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳))

特に付け加えるべきことはありませんが、さらに絶望的なのは当の地方公務員法の所管大臣とか各自治体の首長とかその指揮命令下にある所管課を含めて「メンバーシップ型のいんちきネオリベ」しかいないということでしょうか。

2020年05月05日 (火) | Edit |
正式に緊急事態宣言の延長が発表されまして、総理会見の中でPCR検査数について尾身先生からも説明がありましたが、その後の新型コロナウイルス感染症対策専門家会議でPCR検査数が諸外国に比べて低い理由が示されていました。

〇 日本の感染症法対象疾患等の感染症に対するPCR等検査体制は、国立感染症研究所と地方衛生研究所が中心となって担ってきており、COVID-19の国内発生に当たっても、既存の機材等を利用した新型コロナウイルスPCR検査法が導入された。また、国内においてSARSやMERS、ジカ熱のなどの新興感染症のPCR等検査を用いた病原体診断は可能となっているが、国内で多数の患者が発生するということはなく、地方衛生研究所の体制の拡充を求める声が起こらなかった
〇 なお、韓国・シンガポールに関しては、SARS・MERSの経験等を踏まえ、従前から、PCR等検査体制を拡充してきた。この差が、これまでの経過に影響している可能性がある。
○ 加えて、地方衛生研究所では、麻疹やノロウイルス、結核など、感染症法で規定されている疾患の検査を主として実施している。しかし、今回のような新しい病原体について、大量に検査を実施することは想定されておらず、体制が十分に整備されていなかったことも影響していると考えられる。
(略)
〇 しかし、3 月下旬以降、感染者数が急増した大都市部を中心に、検査待ちが多く報告されるようになった。PCR等検査件数がなかなか増加しなかった原因としては、①帰国者・接触者相談センター機能を担っていた保健所の業務過多、②入院先を確保するための仕組みが十分機能していない地域もあったこと、③PCR等検査を行う地方衛生研究所は、限られたリソースのなかで通常の検査業務も並行して実施する必要があること、④検体採取者及び検査実施者のマスクや防護服などの感染防護具等の圧倒的な不足、⑤保険適用後、一般の医療機関は都道府県との契約がなければPCR等検査を行うことができなかったこと、⑥民間検査会社等に検体を運ぶための特殊な輸送器材が必要だったこと、またそれに代わることのできる輸送事業者の確保が困難だったこと、などが挙げられる。
p.18-19

「新型コロナウイルス感染症対策の状況分析・提言(5月4日)」(新型コロナウイルス感染症対策専門家会議)PDF

どう見ても人手不足と器材不足が原因なんですが、経済学的に正しい思考をされる方々は
「有事の際の切り替えプラン」とかいうものがあれば、「さあ有事だぞ」といえば人も器材もわさわさ湧いてくると思っているのでしょうけれども、だから人手はストックできませんてば。
@synfunkさんのツッコミにすべて集約されるわけですが、とはいえ、これは必ずしも大阪府や大阪市に見られた現象ではなく、特に2000年代は全国の地方公共団体が人員削減を競っていた実態があります。

専門調査会情報等 国と地方の行革コンペ

公務員の総人件費改革を断行するには、従来の延長線上の増減主義によらず、抜本的な手法により改革を実行する必要があり、平成17年11月に経済財政諮問会議で決定された「総人件費改革基本指針」及び平成17年12月に閣議決定された「行政改革の重要方針」において、国・地方を通じた優良な取組事例を国民の前でオープンに披露し合い、その効果を前向きに競い合う 「行革コンペ」の実施により競争的環境の醸成に取り組むこととされました。
このため、出先機関の廃止を含めた抜本的見直し、事務の大胆なアウトソーシングなどによる定員の純減などの取組事例なども含めた、総人件費改革のための優れた取組事例を国の行政改革担当者や県知事等が発表し合う「国と地方の行革コンペ」を開催しています。

専門調査会情報等 国と地方の行革コンペ(内閣府)

このおどろおどろしい取組は結局2年間しか継続しませんでしたが、記念すべき第1回には当時の太田大阪府知事が登壇して「大阪府総務サービスセンター」で400人、「府立の3大学の再編統合と公立大学法人化」で教員定数236人、職員44人を削減したと報告されています。まあ内閣府主催の取組なので「国にいわれて地方が仕方なくやった」と見えなくもない(ちなみに第1回で地方行革を誇らしげに報告しているのは当時の総務省大臣官房審議官だった久元喜造氏、現在の神戸市長です)ですが、全国知事会でも「先進政策バンク」なんてサイトで人件費削減を競い合っていました。

ただし、総務省も嬉々としてこんな資料(注:pdfファイルです)まとめちゃってるし、全国知事会の「先進政策バンク」なるものをみても、岡山県とか徳島県とか京都府とかでも「総合的な出先機関」なんて話をしているんだけど、それぞれの個票をうすーい目で見てみると、共通して見えてくるのは「組織のスリム化」っていう人員削減が目的というところ。結局は、国が地方分権改革推進とかいって「中央政府を小さくする代わりに地方政府を大きくしちゃえ」ってやってるのと同じように、都道府県の出先をスリム化して市町村に人と財源を移しているに過ぎないんですよね。それが所得再分配機能だったときには深刻な問題が発生するわけで、そういうコストを織り込んだ議論もしないで「効率的」とか言っちゃう地方自治体が地方分権を担えるのか?というのはいつもの疑問。

地方分権と二重行政(2008年07月31日 (木))
※ 原文のリンク先はすべてリンク切れしています。そういうところだぞ。

この時期の地方公共団体の人員削減には、上記の内閣府のサイトの説明にある通り、平成17年11月に経済財政諮問会議で決定された「総人件費改革基本指針」と平成17年12月に閣議決定された「行政改革の重要方針」が大きく影響しているわけですが、そもそも定員抑制自体は1960年代から始まっていました。

 以上の検討に従えば,日本における公務員の人件費の特徴は,その財政的な統制の難しさにあった.公務員は,身分が保障されているだけではなく,給与も財政当局との交渉とは独立に決まる.それは,自民党政権の「利益配分体系」の外から働く支出拡大の圧力であり,景気と連動するものではあっても,必ずしも長期的に政府の財政規模を拡大させ続けるわけではない.しかし,公務員の給与が民間部門に合わせて設定されるということは,政府が人件費を有効にコントロールできないことを意味していた.こうした性質ゆえに,公務員の人件費は1967年9月に始まる財政硬直化打開運動の標的になったのである.
p.98

市民を雇わない国家
日本が公務員の少ない国へと至った道
前田 健太郎 著
ISBN978-4-13-030160-2
発売日:2014年09月26日
判型:A5ページ数:328頁

身分保障は雇用保障ではないと何度言えば…、というのはとりあえず措いといて、政治学的な描写としては指摘される通りでしょうけれども、この時期は高度経済成長に対応するため日本型雇用慣行が形成された時期でもありまして、民間では人材確保と給与原資の管理が問題となっていた時期でもあります。そして技術革新に応じた配置転換を円滑に進めるために、年功制を基本とした職能資格給が民間で採用され、民間準拠する人事院勧告を通じて公務員の賃金体系にも影響が現れたというのが実態と言えるでしょう。

市民の生活を保障しない国家(2018年07月21日 (土))

専門家会議資料では、「「新しい生活様式」の実践例」にも注目が集まっていますが、コロナ後にはこうした公的サービスの供給体制についての考え方も変わるのだろうかなどとも妄想しますが、まあ望み薄ですね。
ここで言及されている磯田氏の発言は、この番組内でのものです。

「緊急対談 パンデミックが変える世界〜歴史から何を学ぶか〜」

パンデミックとなった新型肺炎。人類はいま大きなチャレンジを突きつけられている。これから社会はどう変わるのか。ウイルス学、感染症史、日本史、世界史など各人が独自の考えとフィールドを持つ識者たちが集い、人類の今と明日についての思索を披露しつつ徹底的に対話する緊急特番。【出演】ヤマザキマリ、磯田道史、山本太郎、河岡義裕 初回放送2020年4月4日

それぞれの立場から政府の取組を批判するのはもちろんかまいませんし、その批判が当事者の利害に基づいたものである限りにおいて政策決定に有用となり得ると思いますが、1960年代以降粛々と進められた人員削減の結果を誰が引き受けるのかは、コロナ後の利害関係において十分に議論される必要があると思います。

2020年05月04日 (月) | Edit |
Covid-19感染拡大による緊急事態宣言が5月末まで延長されるとのことで、この間の政府の意思決定において存在感を示しているのが「新型コロナウイルス感染症対策専門家会議」です。常々「日本型雇用慣行がしみついた組織規範では専門性が評価されない」と指摘している拙ブログでも、3月の時点で

(追記)
…確かに専門家の高度な説明では一般に理解されにくいとしても、総理会見は、今回の措置の趣旨を理解して現場で実践し、患者や生徒でその説明が求められる立場にある医療従事者も学校関係者も聞いているわけでして、現場の彼らの作業を説明できるくらいの内容は必要だったと思われます。この程度の説明では結局、現場の医療従事者や学校関係者が総理の説明の不足分を現場で補わなければならず、現場の説明は往々にして理解されないという負のスパイラルを生んでしまうわけですが、まあ経産省的には「所管官庁で説明しとけ」ってなもんでしょう。

「組織規範」では評価されない専門性(追記あり)(2020年02月29日 (土))

と指摘しておりましたので、専門的見地からの政策決定が行われて誠に望ましい状況…といいたいところですが、なんか様子がヘンです・・・

と思っていたら、牧原先生が詳細に解説されておりました。

 なぜ、こうした状況が生まれたのであろうか。実際、感染が広がり始めた当初、政権は感染症対策の専門家にそれほど重きをおいていたわけではなかった

牧原出「前のめりの「専門家チーム」があぶりだす新型コロナへの安倍政権の未熟な対応」(2020年05月02日 WEB論座)2


 政権がここまで専門家に頼り切るようになった背景には、政権内に分裂が生じ、決定と責任の分担があいまいになっている状況がある。

 2月27日に安倍首相の判断で決まった「全国一斉休校」には、菅義偉官房長官が反対だったと報じられた。実際、その後の一連の新型コロナ感染症対策には、菅官房長官ではなく、新たに特措法担当に任命された西村康稔経済再生担当大臣があたっている。
(略)
 本来、官邸に期待されているのは、感染症対策と経済政策との総合調整である。それは、公衆衛生行政と景気振興策の二つを軸に、医療、福祉、教育、産業支援など広範囲の政策を視野にいれて、緊急事態宣言を発令したり、それを徐々に解除したり、あるいは感染者数が増えれば強化したりといった、ブレーキとアクセルを小刻みに使い分ける高度な政治判断を続けることに他ならない

 ところが、これまでの官邸は、単に「後手後手」に回っただけではなく、こうした総合調整から逃げ回ってきたようにみえる

牧原出「前のめりの「専門家チーム」があぶりだす新型コロナへの安倍政権の未熟な対応」(2020年05月02日 WEB論座)4
※ 以下、強調は引用者による。

牧原先生は現政府の「専門家依存」が生じる理由として政権内の分裂を指摘されているのですが、その大本は、官邸に「ブレーキとアクセルを小刻みに使い分ける高度な政治判断を続ける」ことができるだけの専門性を持つ閣僚も官僚もいないことが大きな原因ではないかと考えます。要すれば、政策を決定して実行するためには、専門家が示した方策について専門的見地から理解し、それを現場の実働部隊が動けるまでの解像度を持って制度に落とし込み、実際の制度として施行するというプロセスが必要となるものの、現状では専門家が示した方策、制度への落とし込み、制度の施行のいずれのプロセスも統合されていないように見えます。

という観点から見たとき、専門家会議が政策を主導している(ように見える)現状は、専門的見地からの政策が実施される可能性が高いという点では一歩前進なのかもしれませんが、これまで専門的見地からの政策決定を組織として行ってこなかった日本型雇用慣行において、専門的見地をどのように政策に落とし込んだらいいのか皆目見当もつかないという状況なのかもしれません。牧原先生はこの点について、

 一点目は、感染症対策の“司令塔”を内閣のスタッフにすることである。厚労省医務技監は現在も官邸の会議に出席しており、本来もっともそれにふさわしい。そうでなければ、内閣補佐官・参与に、諸会議の主要メンバーである感染症専門家を起用し、内閣スタッフとして積極的な広報に務めるべきである。

 こうすることで、内閣に入った感染症専門家は政治的責任を一身に負うが、各種会議で提言をする専門家チーム全体はこれと区別される。政策の説明と、科学的判断の仕分けを、政権内の専門家と、諸会議の委員としての専門家との間に明確な線を引くことで確保するのである。いわば、専門家と政治の間の距離をとる、「ポリティカル・ディスタンス」が必要なのである。

牧原出「前のめりの「専門家チーム」があぶりだす新型コロナへの安倍政権の未熟な対応」(2020年05月02日 WEB論座)6

として、専門家を内閣スタッフとすることによって、政権内の専門家と諸会議の委員としての専門家の間に線引きすることを提言されていて、さすがに問題の所在については的確に把握されていると思います。ところが、日本型雇用慣行においてそれができるかというと、組織における決定権はライン上の幹部(霞ヶ関でいえば指定職以上)の専権事項であって、そこにポッと出の専門家が紛れ込んだところで、組織規範を使いこなす組織内政治に負けてしまう可能性が高いのではないかと危惧されるところです。

つまるところ、結局日本型雇用慣行においては、専門的見地からの意思決定は好まれず、組織内政治に長けた(そのための人的・時間的リソースを持ってインフルエンス活動ができる)一部の集団に意思決定の権限を握られる危険性が常につきまといます。そしてそれは、現状の官邸の姿でもあるのではないかというのが個人的な印象です。

という官邸の姿が想像される中で、先日和歌山県知事のメッセージが話題になっていました。

 そのいずれも、国には感染症対策の専門家が居るはずなのに、感染症対策の当局の対応についてアドバイスをしているかというとあまりなく、あっても後手に回り、言っていることは、別に専門知識が無くても政治家が考えつきそうな人々の行動の自粛ばかりを言っていて、それがメディアでとても大きく報じられる、それが現状のようで、私も思わずうらみ節を言いたくなるのです。そう言えば最近は疫学的調査というちょっと難しい専門用語も政府からも聞こえてきません。それこそ、和歌山県でまだ必死に展開している辛い作業なのですが。専門家は主として医学と医療の専門家ではないのでしょうか。その本当の専門分野で我々を導いてくれることがないのでしょうか。
(略)
…この献身的な営みに、果たして情報発信力のある政府はエールを送り、マスコミはことの重要性を認識して、その重要性のメッセージを送り続け、そして、医学の専門家は各段階毎に必要なアドバイスを個別に、あるいは、全国的にメディアを通じて送り続けないといけないのではないでしょうか
 しかし、現実になされていることは、逆です。先にも言いましたように疫学的調査の言葉すら消えてしまって、自粛自粛の大合唱しかありません。大活躍しておられるのは統計学の先生で、何十%の接触低下で発症者がこうなるというような話(それはおそらく真実だと感じますが)ばかりが舞っています。これでは防疫を必死で頑張っている多くの保健当局者や医療関係者に対するエールにもなりません。ひょっとしたら闘志を削いでいるのではありませんか。我々和歌山県当局はローカルな専門知識だけで必死にコロナと戦っています。それぞれの県もそうでしょう。段階が進んでしまった県の苦悩はいかばかりかです。しかし、それぞれの段階の中にあっても具体的な対策の中でベターなものとベターでないものがあるはずです。それをアドバイスするのが、医学の専門家なのではありませんか

知事からのメッセージ 令和2年4月27日(和歌山県)

一部で絶賛されていたので元通産官僚として官邸の現状に苦言を呈しているのかと思ったのですが、単に専門家を批判しているだけですね。いやもちろん、「ローカルな専門知識だけで必死にコロナと戦って」済生会病院のクラスターを封じ込めるなど実績を上げていて、そのご努力には敬意を表するところですが、専門的見地からの意思決定を妨げているのが仁坂知事の後輩に当たる官邸の経産官僚であることについて何も言及がないのはいささか他人事が過ぎるのではないかと。

こうした一部の知事が持ち上げられる一方で一部の知事がしょうもないことを言い出したりするのを見ていると、戦前の官選知事から戦後の民選知事への改革のコストをここで払わされているような気がしないでもありません。役所の中の人ではなくなった者からすれば、役所の組織内政治に住民を巻き込むのは勘弁してほしいところですが、これもまた民主主義のコストなのでしょう。