2017年06月19日 (月) | Edit |
内閣府と文科省による責任の押し付け合いの様相を呈してきた獣医学部開設問題ですが、最近沙汰止みになりつつある大阪の私立小学校開設問題と同様に、「忖度」という言葉が一気にメジャーになっていますね。でまあ、我々地方公務員も国家公務員と同じく、定期的な選挙で選ばれた選良の方々がトップになるという組織で仕事をしていますので、どういうロジックで仕事が進むかというのはある程度共通の認識があるだろうと思います。

国家公務員法
(法令及び上司の命令に従う義務並びに争議行為等の禁止)
第九十八条  職員は、その職務を遂行するについて、法令に従い、且つ、上司の職務上の命令に忠実に従わなければならない。

地方公務員法
(法令等及び上司の職務上の命令に従う義務)
第三十二条  職員は、その職務を遂行するに当つて、法令、条例、地方公共団体の規則及び地方公共団体の機関の定める規程に従い、且つ、上司の職務上の命令に忠実に従わなければならない。


国家公務員と地方公務員では法律上の規定が若干異なりますが、地方公務員の場合は「条例、地方公共団体の規則及び地方公共団体の機関の定める規程」が追加されているということですね。特に「規程」というのは事務手続きなどの内部的な決まりごとですので、地方公務員は法令だけではなく細かい事務手続きにも忠実に従う義務があります。さらに「上司の職務上の命令」にも従わなければならないとされていまして、この条文の解説は手っ取り早くwikiで済ませてしまいますと、

法令・条例等及び上司の命令に従う義務

職員は、その職務を遂行するに当って、法令、条例、地方公共団体の規則及び地方公共団体の機関の定める規程に従い、かつ、上司の職務上の命令に忠実に従わなければならない。(地方公務員法第32条)
ここでいう上司とは、職務の遂行についてその職員を指揮監督する権限を有する者をいう。
職務上の命令
職務上の命令とは、上司から、指揮監督下にある職員に対して発せられる命令をいう。その内容は、職務の執行についての他、職務の執行に関連した合理的な範囲内で必要となる身分上の義務(例えば、制服等の着用や、過度の飲酒を差し控えることなど)を含む。
職務命令が有効に成立するためには、次の要件を満たしている必要がある。
  • 権限ある上司から発せられる命令であること
  • 上司の職務権限内の事項であること
  • 実行可能な内容であること

職務命令に重大かつ明白な瑕疵がある場合は、無効であるから従う必要はない。ただし、当該命令が無効であるか否かは、客観的な認定によるべきものであり、部下が上司の職務命令について実質的な審査権を持つとまではいえないものと解される。また、当該職務命令を無効であると判断した職員は、その判断した結果について責任を負わなければならない。

「地方公務員(Wikipedia)」


ということになります。つまり、上司の職務上の命令に「重大かつ明白な瑕疵」がない限りそれに従わなければならず、それが無効であると判断した職員はその結果について責任を追う必要があると解釈されているわけです。

ということで、上司の職務上の命令に従う義務を負う公務員の世界は「忖度」にあふれているのが実態だろうと思うところでして、その「忖度」なるものが好ましいかどうかは、結局それぞれにとって好ましいかどうかによって評価が分かれるということではないかと思うところです。ものすごく卑近な例をとってみれば、例えば「コネ採用」がけしからんというのは、ほかにもっと優秀な人材を採用できたのに「コネ」があるというだけでロクでもない人材を採用するからというのがその理由となるでしょうけれども、では、「もっと優秀な人材」と「「コネ」があるというだけでロクでもない人材」をきちんと見分けることのできる人事担当者はどのくらいいるのでしょうかねえということです。

いやもちろん、学業と部活動を両立させながら優秀な成績を有して対人関係もそつなくこなすようなスーパー学生と、まともな勉強もしないで遊んでばかりで受け答えも満足にできないような学生を比較して、後者が有力者の子息だという「コネ」のみで採用されたならば、それは批判されてしかるべきでしょう。しかし、学業もそこそこ、部活動もそこそこ、対人関係も特にこれといって秀でたものがない学生の中に有力者の子息が紛れ込んでいる場合は、「コネ」採用とそうでない採用の差は限りなくゼロに近くなります。

つまり、当落ライン上の人材は「コネ」があろうがなかろうが採用の可否の判断は分かれるわけでして、最終的に「コネ」がある学生が採用されたとしても、その判断に「コネ」が影響したかどうかを客観的に判断することはほぼ不可能となります。そうなると、その人材に「コネ」があることを知っているという人が、「あいつが採用されたのは「コネ」があるからだ」と主張すると、それを客観的に否定する術はありません。あくまで結果を見れば、どちらが採用されてもおかしくないような僅差しかないわけですから、「コネ」を問題視する人からすればいくらでも攻撃材料があるということになります。

いま話題となっている事案と全く同じとはいいませんが、この採用の問題に関していえば、ポイントは「コネ」があるから採用が歪められたという点ではなく、特に日本型雇用慣行においては「空白の石板」たる人材を採用しなければならず、それは人事担当者の「一緒に働きたいか」という「官能的」な判断基準によるしかないという点にあるといえるでしょう。たとえばこういう状況を考えてみれば分かりやすいと思いますが、3人の面接官が100人を採用面接をし、その結果を悪い方から1〜5段階で評価したところ、Aさんは3人の面接官の評価がそれぞれ(4,3,2)、Bさんは(3,3,3)で、平均はいずれも3となりました。順番に並べてみると50人の採用予定のうちAさんとBさんはともに50番目で、どちらを採用するかを決めなければなりませんが、その判断は最終的に人事担当者かその上司の「この人の方が一緒に働きやすそうだ」という程度の直感に頼らざるを得ないというわけです。

「この人の方が一緒に働きやすそうだ」という判断は、他の人から見れば必ずしも納得できる判断ではないとしても、実務上はそうして何らかの決定をしなければなりません。そしてその採用決定の過程は、日本型雇用慣行における採用の考え方そのものに沿ったものです。すなわち、できるだけ「色」のついていない新卒を雇って、企業がその「色」をつけていくという日本型雇用慣行が堅牢であるうちは、上記のような「官能的」な採用決定の過程が変わることはありません。

というような採用決定の過程と、昨今話題となっている「忖度」に共通点があるとすれば、後者が「国家戦略特区」なる枠組みが先に決まっていて、その枠内に収まる限り、外部から見て曖昧な判断基準であっても正当な手続きとなってしまうという点にあるといえるかもしれません。日本型雇用慣行における採用ではコミュ力だの人間力だのが重視されるために、職務能力が軽視されて明確な基準たり得ないのと同じように、「国家戦略」とやらがそれありきとされるために、獣医師養成の必要性とか妥当性が軽視されて明確な基準たり得なくなっているのではないかと。そして日本型雇用慣行における採用のみを変えようと思っても、それを前提として職務能力とはかけ離れたアカデミズムに立てこもっている教育システムや、職能資格給制度による処遇が変わらなければ無理なように、「国家戦略」なるものがあってそれに沿った「特区」が存在する以上は、こうした手続き上の瑕疵が治癒されることはないだろうと思います。

まあ、日本型雇用慣行における採用にはそれなりに合理性があるわけでして、それは現に日本の経済成長にも寄与したわけですが、「国家戦略」とやらにおいては、規制改革とか既得権益の打破が絶対善とされて反論も許されず、偏った議論になりがちであって、既得権益の新たな付け替えにつながる可能性が高いという点を慎重に吟味したうえで議論を進める必要があるはずです。しかしそれをも包括して「国家戦略」という錦の御旗に包む仕組みさえ作ってしまえば、かなり好き勝手にできますよねえという感想でした。
(2017.6.20文意を明確にするため文言整理しました。)
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2017年01月01日 (日) | Edit |
昨年中は多くの方々にコメント、拍手、ぶくま、tweet等々いただきありがとうございました。
本年も引き続きご愛顧のほどよろしくお願いします。

というわけで初詣しておみくじ引いてみました。

【大吉】 (№19215) モナー神社
願事:他人の助けありて思いのほか早く調う
待人:幸運をもたらす人来たる
失物:出づべし
旅立:利益あり 行きて吉
商売:念を入れよ 大吉
学問:安心して勉学せよ
争事:勝てど難あり
転居:差し支えなし 上吉
病気:快癒すべし
縁談:良縁あり しばし待て

記念すべき10年目のモナー神社詣ででしたが、昨年までの戦績が大吉→吉→吉→吉→大吉→大吉→大吉→大吉→末吉と、昨年は初の末吉となったものの、今年の大吉で大吉率6割を達成しました。

まあおみくじと実生活とはほとんどかけ離れた状況ではありますが、今年も無事これ名馬を心がけて参りたいと思います。

2016年11月14日 (月) | Edit |
アメリカの次期大統領にトランプ氏が決定してから、アメリカ国内のみならず日本でも各方面で懸念やら希望やらが示されていまして、私も改めて民主主義の危うさを実感しているところですが、大統領選の決着がつく前に読もうと思っていた本をやっと読んでみて、このような結果につながる流れは随分前からあったのだろうと思います。

その本というのは、fujiponさんのブログで紹介されていた外務省官僚によるアメリカのリポートでして、

 お金が無尽蔵にあるのならば、彼らに十分な援助をしても、文句は出ないでしょう。
 しかしながら、元からアメリカに住んでいて、ギリギリの生活をしている人たちは、不法移民の存在が、自分たちへにまわってくるはずの社会保障費を減らしているのではないか、とか、そもそも、なんで他所から来た連中が「われわれの税金」で助けられるのか?と考えてしまうのです。
 彼らは、アメリカのために何かしてきたわけではないだろう、と。

 トランプ氏は、アメリカ国民が何を望んでいるかを知っている。大量の不法移民の流入とイスラム過激主義によるテロリズムは、アメリカ国民に経済的、そして治安上の、ぬぐい去ることのできない根本的な不安をもたらすものであり、単なる一過性の問題ではない。そして本章で筆者が述べたとおり、移民の問題は格差の問題と密接に絡んでいる、今世紀のアメリカ内政上の最大の問題である。
 この大問題に対する処方箋を何ら示すことなく、冷静になって慎重に判断すべきだと「政治的に正しい(politically correct)」正論を吐くだけの既存の政治家に安心できず、怒りさえ覚える国民がいる。 

 トランプ氏は、このような国民の真っ当な不安感、焦燥感そして怒りに率直に向き合っている。これまでワシントンの経験の長い政治家の「政治的正しさ」にがんじがらめにされた物言いに辟易して政治から離れていた人々が、トランプ氏に帰ってきているのである。それが彼の人気の原動力になっており、この点がトランプ現象の一つの本質である。


 日本でも「生活保護バッシング」をやっている人がいることを考えると、トランプ支持者は「政治的に正しくはない」のかもしれないけれど、自分の気持ちには正直だと言えるのかもしれません。
 そもそも、「政治的な正しさ」というのは、恵まれた人々に押しつけられたものではないのか?

「【読書感想】アメリカの大問題―百年に一度の転換点に立つ大国 ☆☆☆☆(琥珀色の戯言 2016-09-12)」
※ 以下、強調は引用者による。


という引用を拝見して「なるほど」と思って買っておきながら積ん読になっていました。でまあ、拙ブログでも

ついでにいえば、こうした極端な主張をする傾向はフェミニズムとかポリティカル・コレクトネスにも当てはまりそうなところもありますが、その行き過ぎたフェミやらポリコレに対する批判がさらに極端な主張になるところも「経済学的に正しい」ことへの絶対的信頼感のなせる技なのかもしれません。その意味では、行き過ぎたフェミやらポリコレへ極端な批判を繰り広げる方々というのは、「男性正社員が家計を支えているうちは社会保障なんぞ構う必要がないほど生活が保障されるというのが、日本型雇用慣行が有する世界的に特筆すべき優位性」のゆえにこそ存在しうるものといえそうですね。

「経済学的に正しい」ことへの絶対的信頼感(追記あり)(2016年07月09日 (土) )


という懸念を抱いていたところでして、その背景となるものは各国の諸事情に影響されるとしても、世界的な傾向として行きすぎたポリコレやらフェミとそれに対する極端な批判の応報が繰り広げられているのだなと暗澹たる気持ちになっていました。

で、実際に読んでみると、

 第一段階は、1930年代の大恐慌、その後の第二次世界大戦、ベトナム戦争、人種間の対立と、20世紀中盤に次々にと大問題がアメリカを襲ったのに対し、ルーズベルト、トルーマン、ケネディ、ジョンソンと、歴代の民主党の大統領が立ち向かっていった時代である。その中で、政府の役割は拡大し、必然的に「大きな政府」につながっていった。
 これらの民主党政権では、アメリカの超一流の知性(the best and brightest)を結集すればいかなる問題でも解決できるという、政府の役割に信頼を置く理想主義の雰囲気が底流にあり、多くのアメリカ人がそれを信じた。
 しかし、第二段階になると、第一段階の反動として、このような民主党主導の理想主義に疑念が膨らんできた。特に南部においては、人種間の平等を目指した公民権運動が、「あまりに急進的」と白人の反感を呼び、この保守的な地域を民主党の大票田から共和党の牙城に変えてしまうほどのインパクトをもたらした。これが南部の「政治的大事件」の端緒となる。
pp.97-98

 こうしてウォレスが掘り起こした南部の怒れる白人票の多くは、その後共和党に流れ、民主党に戻ることはなかった。これが南部の共和党科の始まりとなった。70年代には、カーター、90年代にはクリントンと南部出身の大統領が出たが、南部の共和党化の流れは止まらなかった。
 第三段階は、この怒れる南部の白人票に宗教右派が合体して、共和党の強固な支持母体となった1990年代である。
p.99

 以上述べた三段階を経て、「怒れる南部」において、「小さな政府」、白人主導、宗教右派という三つの要素が結合し、共和党内の強力な政治連合が成立した。20世紀後半に南部で繰り広げられた「政治的大事件」の完結である。この経済的利害追求を超え出現した政治的連合は、経済政策に明確な問題意識を有していなかった草の根の信心深い多くの有権者を、中絶、同性婚反対といった宗教上のテーマに引き付けることにより、共和党への投票を増やすことに成功した。
 このような共和党内の草の根の世論に着目して初めて、経済的には「大きな政府」の恩恵を受ける可能性が高い低所得者層の中に、なぜ「小さな政府」を支持する勢力がいるのかという、逆説的な政治行動の理由が明らかになる。宗教心に篤く保守的な心情を大切にする彼らにとって、民主党に投票するという選択はとりにくい。結果的に自らの個人的な経済的利益に反する可能性があっても、「小さな政府」を支持する行動に走るのである。
 なお、この共和党をめぐる「政治的大事件」に並行して、1990年代から民主党の支持勢力の変質も進行した。クリントン政権の中道的政策は、大企業の民主党に対する評価を高めることになる。特に、同政権の低金利政策とIT革命へのサポートに恩恵を受けた、金融界とIT関連企業の間にこの傾向は強かった。
 こうして、共和党が低所得者層に支持を広げていくのに並行して、民主党も企業経営者の支持を獲得していった。それぞれが伝統的支持基盤に加えて、競争相手の支持基盤に手を伸ばしていった構図である。
p.101

アメリカの大問題―百年に一度の転換点に立つ大国
著者 高岡望著 《前ヒューストン総領事》
2016年06月15日
新書判並製
978-4-569-82966-1



ここまでが1990年代の動きですから、既に20年以上にわたって民主党が掲げる「理想主義」的な政治思想への反感が高まっていたことが伺えます。最近話題の「ポリコレ棒」への反感は、アメリカでは既に大きな流れになっていたということかもしれません。その後のITバブルや金融工学の隆盛を経て、「金融界とIT関連企業」といえば、現代の富裕層の代名詞でもあるわけでして、これらの「先進的」な経営者がトランプ氏に対する反対を表明するのは自然な流れなのでしょう。

ドナルド・トランプ氏は、大統領選挙期間中、女性やLGBT、移民、有色人種といったマイノリティについて攻撃的な発言を繰り返していており、多様性を尊重するAppleの方針と合わないのは明らかです。

トランプ氏は、「iPhoneを全てアメリカ国内で製造させる」と語って物議をかもしたり、銃乱射犯が持っていたiPhoneのロック解除に関するFBIの要求をAppleが断固拒否したことに「何様のつもりだ」と批判し、Apple製品のボイコットを宣言するなど、Appleを標的にした発言も目立っていました。

ヒラリー・クリントン陣営の副大統領候補として名前も挙がっていたティム・クックCEOは、トランプ氏の当選阻止が目的とされる会合にも出席していました。

【全文訳】Appleティム・クックCEO、大統領選の結果を受け全従業員にメッセージ(2016年11月10日 19時23分)



しかし、こうした状況を見た低所得者層が、現代の富裕層に対する「怒り」をさらに増幅させるだろうことは想像に難くありません。しかも、そうした富裕層に反感を抱く層そのものが、"We are the 99%"をスローガンに掲げた"Occupy Wall Street"に参加するような(自分自身は必ずしも99%ではないにせよ)再分配支持の「エリート」と、「ティーパーティー」のような自称「良識的な保守派」とに分裂しているというのが、アメリカの現状のようです。

 ティーパーティーは、「小さな政府」という共和党の古くからのテーマの実現を目指す経済的保守主義に立脚した運動である。民主党のオバマ大統領の就任後、2009年から南部の白人を中心に急速に盛り上がった。
 オバマ政権が、初の黒人大統領選出の熱狂の中で「大きな政府」志向の政策、特に、リーマンショック後の大銀行救済策を打ち出したことが、共和党内の草の根勢力に怒りと反発を生み、大きなエネルギーを与える結果になった。なぜ、身の丈以上の借金をして家を買った人や、それを知っていて金を貸した金融機関を、汗水流して働いて国民が納めた税金を使って救済しなければならないのか。というわけである。
(略)
 ティーパーティーの人々は、自分たちがアメリカの良心を代表していると固く信じ、自信満々である。彼らによると、あらゆる世論調査で、アメリカ人の常に4割は、自分を「保守主義者」だと答えているそうだ。「リベラル」とする人は2割しかない。古き良きアメリカを守ろうとする多数派の願いを踏みにじるリベラル派、怒りと非難の対象に値するというわけだ。

高岡『同』p.102-103


これからいろいろとデータに基づいた検証が進められるでしょうけれども、その検証を検証するためにも、こうした背景を踏まえておくことが必要なのだろうと思います。

(付記)
こうしたアメリカの現状を的確に指摘していたマイケル・ムーアのHuffington Postの記事が話題になっていますが、ここで挙げられている5つの理由も本書と同じような内容ですね。まあ、5つめの「5. ジェシー・ベンチュラ効果。」までは本書で指摘されていないのは、さすがマイケル・ムーアというところでしょうか。
「ドナルド・トランプが大統領になる5つの理由を教えよう(投稿日: 2016年07月29日 16時36分 JST 更新: 2016年07月30日 21時09分 JST)
もちろん、マイケル・ムーアはアメリカ人向けに書いているため日本人にはややわかりにくいのですが、本書は日本人向けに日本語で書かれているので、本書を読んでからこの記事を合わせて読んでみると、味わいが深まるのではないかと思います。

という状況を踏まえてみると、こちらもバズっている(らしい)ブログエントリですが、
アメリカのポップスターは、束になってもトランプに勝てなかった(日々の音色とことば 2016/11/10)
ミリオネアでセレブリティなポップスターが肩入れすればするほど逆効果だったのだろうと想像されます。日本でも同じようなことは繰り返されていますから、改めて驚くことでもない…とはいえ、やはり暗澹たる気持ちになることは変わりませんね。

2016年10月26日 (水) | Edit |
香山リカ氏がいかにもなtweetをしたそうでして、震災後にこのエントリをアップした当時と何も変わっていないのだなとしみじみ感じ入るなど。

「公務員は絶対的な権力を持ち、絶対に折れない精神力を持ち、絶対に利得を確保する頭脳を持ち、絶対にそれを知られないようにする陰謀を張り巡らしている」というあり得ない虚像を描いて、「相手が絶対に倒れない」という安心感から無秩序な批判を繰り広げるのが我々の社会の「普通」であるならば、その虚像に祭り上げられた生身の人間は心身を病んでしまいます。それもまた我々の社会の「普通」なのかもしれません。

絶対最強の公務員なんているはずがない(追記あり)(2012年8月31日(金))


香山リカ氏のtweetは引用しませんが、タクラミックスさんのこのご指摘には全面的に賛同いたします。


これに対して香山リカ氏から、

あのー仕事全般ではなく「警備にあたる警察官の職務」の意味ということは前後のツイートからわかるはずですよね……。どんな仕事でもストレスはいっさいない、みたいなこと言ったかのようなミスリードはやめていただけますか?
https://twitter.com/rkayama/status/789867291701760000

というtweetがあり、さらにタクラミックスさんが指摘されている点も重要です。

承前)香山先生の見立てが正しいなら、警察官たちにいくら罵声を浴びせても、なんら効果は無いという事になります。では、あの罵声は何の効果を期待して発せられているのでしょう?警察官に何の心理的影響も与えることが出来ないなら意味がないという事になります。寧ろ逆効果かもしれない。
更に(続
https://twitter.com/takuramix/status/789896266348060672

承前)専門家である香山リカ先生のこの見立ては、
「警察官に何の心理的影響も無いなら、いくら罵声を浴びせても誰も傷つけない筈だ」
というお墨付きとなる可能性があり、活動を過激化する口実にされると思われます。
お見立てが間違っていた場合、その罵声は少なからず人を傷つける事になる…(続
https://twitter.com/takuramix/status/789898082703978496

承前)お見立て通りであったとしても、前述したとおり、その警察官に向けられる罵声には効果が無く、寧ろ、そうした罵声を浴びせ続け過激化する人々の姿が世間に印象づけられるばかりとなります。その場合、反対運動にとってはマイナスとなる可能性がある…
どっちにしろ、益は無いように思われます。
https://twitter.com/takuramix/status/789900148537110528

承前)以上、香山リカ先生の論理をトレースするよう努めて考察してみましたが、先生の論理だと、罵声は無駄という結論にしか至らないと思われます。効果が無いという前提により罵声が正当化される…不毛としか言いようがありません。
私は罵声に攻撃効果はあると考えます。それ故に問題視しています。
https://twitter.com/takuramix/status/789904070840422400


このように素直に考えれば矛盾するような理屈が堂々と繰り広げられるのは、最初に「反権力」という目的があるからと思われます。その目的を至上命題と認識してしまうと、「反権力」に沿わないようなものは、それがご自身の専門的見地のものであってもねじ曲げても構わないというほどに、それを信奉する方にとっては「正義」となるわけです。

というところで、最近こちらのtogetterが話題になっていたようですが、
「いじめられる側にも原因がある」に対するはるかぜちゃんの指摘が相変わらず鋭かった件
当事者からの一方的な申立てであることを割り引いたとしても、このtweetなどは「我々の社会の「普通」」の一面を的確に指摘していると思います。


権力関係に全てを還元しなければ気が済まないような「反権力」の方々にすれば、ご自身がその「権力」を思う存分批判する前提として「権力」の側の人間が完璧な絶対最強でなければ困るわけです。でなければ、ご自身が繰り広げる「批判」が、「権力」の側で仕事をしている人間の人格や人権を否定するような「罵詈雑言」でしかないことがバレてしまいますからね。
(補足)
読み返してみるとここで引用したtweetがやや唐突な印象でしたので補足しておきますが、このtweetで指摘されるように「完璧な人間などいないからいくらでもいじめる原因をあげつらいながらいじめることができる」ということと、「相手が完璧だという前提を置くことで、相手の人格や人権を否定してもいじめのような卑劣な行為ではないと言い張る」ということは、一見正反対に見えて表裏の関係にあるのだろうと考えます。いずれの場合も、「いじめ」「反権力」という目的が先にあって、その行為を目的でもって正当化しているわけですから。

まあそういう「権力」の側で仕事に従事する人間の人格や人権を否定することが「反権力」にとっては重要な戦術ですから、その活動にプライオリティを置く方からすれば、「権力」の側の人間が人格や人権を否定されて逆上することこそが必要な反応であって、だからこそそうした罵詈雑言が戦術として意味を持つわけです。結局は罵詈雑言がそれとして機能しているわけですが、そのことを批判されて、「権力」の側の人間は仕事である以上どんな罵詈雑言にも脅迫にも恫喝にも「心理的影響は皆無」であり、それで心が折れるような警察官は異動させれば無問題だとおっしゃる方が精神科医を標榜されてることに、改めてこの社会の現実を突きつけられる思いです。

なお一応念のため、「公務員の暴言」については以前のエントリの再追記に私の考えをまとめておりますので、ご参照いただければ。

結局、公務員であるか否かにかかわらず、「内心の自由」をはじめとした基本的人権は尊重されるべきものであって、どちらか一方が相手の発言を「暴言」といったからといって、具体的な損害やその発言との関連性、発言そのものの妥当性などを吟味しないまま、即座にその「暴言」を処罰できるということではないはずです。もしそれを本気で主張するのであれば、その方は、不特定多数に向けて行われた公務員についての「暴言」を公務員が「暴言」だといいさえすれば、それを即座に処罰することに賛同しなければならなくなります。憲法では当然そんなことは許されていませんし、私自身も許すべきではないと考えております。私が本エントリで「発言の内容の是非はともかく」としてその内容に言及していないのは、こうした水掛け論を避けるためです。

これも追記に書いたことの繰り返しですが、くろ (@kuroseventeen)さんがおっしゃるような「官僚に対する暴言がダメなのと同じように官僚も暴言言っちゃダメ」という理屈では、お互いが攻撃し合うだけになってしまうおそれがあります。結局は、いくらネット上であっても、最低限の品格を保ちながら言葉を使うべきという通常のマナーが必要ということに尽きるのではないでしょうか。「民間だったら公務員に何を言っても許される」という一方で「公務員がこんなこと言ったら処罰しろ」というダブルスタンダードな理屈は、回り回ってお互いの首を絞めるだけになるのではないかと考える次第です。

「暴言」が許されないのは誰?(再々追記あり)(2013年06月15日 (土))



2016年07月17日 (日) | Edit |
前回エントリで取り上げたやまもといちろう氏の増田氏へのネガティブキャンペーンの続編がありましたが、さすがのやまもといちろう氏だけあって、順調に増田寛也氏の支持が低迷しているようで、正直な印象が書かれています。

 増田寛也さんの問題点をいろいろと感じるので、都民有権者1,210万人にもきちんと知ってもらいたいという一心で、いろいろと記事を書いてきたんですが、告示日になって情勢が明らかになってみるとちょっと劇薬が効きすぎたようです。

(略)

 増田さんに関して申し上げるならば、このような「お座敷」に必要な肩書きを持った人を並べるという際に、会議芸人として芸を披露することにおいては優れているとしても、政治家として必要な筋の通った政治思想や哲学については、ついぞ垣間見せることが一度もありません。彼の政治思想は何なのでしょう。日本創成会議でも話題になりそうな社会的テーマに学術的なパッケージにくるみ、「地方消滅」などのおどろおどろしいワードで飾り立てて問題を世に問うだけの存在ではないかと思うわけであります。

(略)

 ただ… 私もここまで書いておいてなんですが、いま東京都知事選で選挙戦に臨んでいる有力候補者を横で並べてみたとき… あの、何というか、増田さんがまだまともなのかなー、とかちょっぴり思ったりもします。いやー。どうなんですかね。うまく趣旨替えをしてもらいつつ、東京都政の病理でもある一種の利権政治との決別をしてくれる、戦える実務家(ただし自称)として、まずは増田さんには全力で頑張っていただきたいと願う次第であります。

「「原発容認派」増田寛也は、東京都民のために働けるか(2016年7月15日 1時24分配信)」
※ 以下、強調は引用者による。

まあ、増田氏の本領は既定路線が敷かれていてこそ発揮されるわけでして、中身のないコメントで既定路線にお墨付き(らしきもの)を与えるという役割での利用価値は高いんですよね。

増田寛也×北川正恭

県民との契約を旗印に!―
北川 「実は、初めてマニフェスト(政権公約)選挙をやっていただいたのが増田知事だったんですよね」
増田 「北川さんにのせられましてね。マニフェスト選挙で、候補者を選ぶ判断基準が完全に変わりました。生活者基点というか、県民としっかり契約して、ダメなら4年後の選挙で落とすと。いままでだと、国民はあまりよく知らないんだ、自分たちが国を背負って立つんだ、という考えでしたが、今の国民、生活者は全体のことをよくご存知です。選ばれる候補者は早くそのことに気がつかなくてはいけないのではないかと思います」
北川苦い薬が入っているマニフェストでも、国民や県民はちゃんと理解して選択する能力があるんですよね

「THE GUEST VOLUME 01 ●北川正恭が改革派とよばれる知事たちと語り合った――」

いやまあ、そのマニフェストなる選挙公約もすっかり下火になりましたが、当事者たちがこの有様です。

なんと、自ら三重県知事としてマニフェスト選挙を広めて、現在では早稲田大学マニフェスト研究所所長を務める北川正恭氏が「国民もマニフェストを望んでいない」とかいっちゃってるんです。それを認めてしまったら、国民も現政権党がうそをついているのをわかって政権交代させたっていうことになってしまいます。まさに「まず政権交代」という「やってみないとわからない」的無責任な放言が現実のものとなってしまったわけです。

マニフェストという無内容(2010年11月21日 (日))


で、増田氏のホームページを拝見すると「マニフェスト」という言葉はどこにもなくて、堂々と「公約」と書いています。
増田寛也 オフィシャルサイト
なるほど、やまもといちろう氏が「政治家として必要な筋の通った政治思想や哲学については、ついぞ垣間見せることが一度もありません」と指摘されるのも納得の節操のなさですね。

なお一応念のため、増田氏が知事時代に増やした県債残高は国と都道府県の中ではそれほど突出して高いわけでもなく、私自身は増田氏の能力を「ほとばしる無能」とまで断じるつもりはありませんし、既定路線に乗っかって仕事を遂行する能力を有能とみるとか無能とみるかは有権者の判断だろうと思います。