すなふきんさんからいただいたトラバでちょっと気になった点がありまして、
ところが基本理念としてそのような「強い」明治国家を理想とする右派の人たちまで地方分権を唱える昨今の状況というのはどうにも理解できないところが多い。国家としての統一性を確保するためにはある程度上からの「押し付け」が必要なのだが、それを否定してしまいかねない地方分権*1を右派思想の持ち主である両知事が喧伝する不思議さがある。
(略)
分権教の本家とも言えそうな左派リベラルの人たちと橋下氏のような保守派ではいずれ軋轢が生まれるのは火を見るより明らかではないだろうか。たとえ新たな政治集団を作ってそれが政党化するようなことになっても、自民党や民主党を寄り合い所帯などと批判できないような醜態をさらすことになりかねないんじゃないかと思う。はじめからねじれがあるんだから。
「■[政治]同床異夢の改革派集団(2009-06-26)」(すなふきんの雑感日記)
※ 以下強調は引用者による。
という部分ですが、以前ご教示いただいたhamachan先生のエントリによると、日本ではヨーロッパとは一回りか二回りねじれた現象が常態化していると捉える必要があるかもしれません。
ヨーロッパの文脈で言う限り、補完性原理をかざして地方分権を主張し、中央集権に否定的なのはキリスト教的保守勢力の側で、労働組合や社会民主党といった陣営はおおむね中央集権派です。地方なんかに任せたら地方のボスが勝手なことをするから、ちゃんと国がコントロールしなくちゃという発想。
「補完性の原理についてごく簡単に(2008年5月20日 (火))」(EU労働法政策雑記帳)
地方のボスに勝手なことをさせた方が、憲法なんかでがんじがらめになるよりももっと自由に権力を行使できると考えるのが、ヨーロッパ流の保守なんでしょう。そして、それに歯止めをかけなければとんでもないことになると考えているのが、言葉の定義からしてもソーシャルな方々ということになるのではないかと。
いや、実を言えば俺自身もhamachan先生にご教示いただくまでその辺が整理できてませんでしたが、団結による交渉上の地歩の向上が至上命題のはずの労働組合が、反霞ヶ関とか反永田町というだけで分権を主張する不自然さについては、言われてみてはじめて納得した次第です。その辺をまとめてみたのが「
団結=中央集権(2009/06/08(月))」というエントリだったりします。
とはいっても、今の日本を見ていると何が保守で何が左派(革新?)か分かりませんし、ことチホーブンケンはあらゆる勢力がスローガンとして掲げているのに、その内実はほとんど整理されていないわけで、hamachan先生の言葉をお借りすれば「毎度毎度ではありますが、日本の政治の世界の文脈の狂いようはなかなか絶望的なところがありますね。」としか言いようがありません。
「
繰り返すこのポピュリズム(2009/04/09(木))」でも書きましたが、小泉内閣が誕生した時点ですでに1回転くらいねじれていたのに、民主党党首に小沢氏が就任してからさらにそのねじれが政局絡みで加速していって、ついには右も左も誰もがみんなカイカク派になってしまったという感じでしょうか。
それをメシの種にしているマスコミだって国民のニーズを満たしているだけという認識でしょうし、もちろんそれを望んだのは国民なんですよね。『スパイダーマン』があれだけ観客を動員しているなら、J・ジョナ・ジェイムソン(Wikipedia:
J. Jonah Jameson)みたいなメディアの恣意的な思惑によって、いかに事実がねじ曲げられるか多くの人が見ているはずですが、それでも辛坊某とかみの某とか福沢某とか古舘某とか、テレビに出たことのあるそのまんま某とか橋下某のいうことの方が信用されるのも、日本という国の狂いようはなかなか絶望的なところがありますね。
チホーブンケン教がいよいよ国政に乗り出すようです。
「支持政党表明へ新グループ 大阪知事、横浜市長ら首長数十人」(2009/06/25 01:19 【共同通信】)
大阪府の橋下徹知事は24日夜、東京都内で横浜市の中田宏市長らと会談し、次期衆院選で支持政党を表明するため、自治体の首長で構成するグループを近く立ち上げる方針を決めた。グループは数十人規模になる見通しで、参加者で協議し、どの政党を支持するかを表明するという。
(略)
会談には2人に加え、松山市の中村時広市長と、神奈川県開成町の露木順一町長の計4人が出席。橋下知事は24日午後の記者会見で、大阪府内の市町村長では3人が態度表明に賛同していることを明らかにしていた。
※ 以下強調は引用者による。
チホーブンケン教が政治グループを立ち上げるのと、幸福実現党とか真理党とかとどこがどう違うのかよく分からないんですが、まあさすがに一度は選挙で当選した首長さんたちだけに、「カイカク!」と叫んでおけば票が集まることはよく熟知されていますね。
あくまで地方分権というのは政策を実現するための手段や制度であって、それが目的ではないわけですが、その手段が目的になるということは結局のところ、現存の制度を破壊し尽くして既得権益を奪い取るという宣戦布告にほかならないのでしょう。どこまで好戦的なのやら。
で、既得権益というとなにやらダークなイメージで語られてしまいますが、およそすべての日本国民は現存する制度から有形無形の便益を得ているわけで、それを破壊し尽くしたときにいったい誰がその権益を獲得するのかという不毛な権益争いが始まることは火を見るより明らかですね。チホーブンケン教がやろうとしていることが制度の破壊(霞ヶ関の解体とか)であるならば、その後に必然的に生じる不毛な権益争いをどのように防ぐなり調整するのか、という点を明確にしなければ無責任極まりありません。
というより、地方分権という手段しかコンセンサスがないのに、その後の具体的な権益の分け前を巡る不毛な権益争いを防ぐことができるわけがありませんね。たとえば民主党では市町村数を300にするとかいっていたのに、大阪府知事の批判を受けて700〜800に修正するそうで、バナナのたたき売りじゃないんですから。
まあ、改革派知事とかってのは、そうやって不毛な権益争いそのものを「地方間競争」といって正当化するような方々でもあるわけで、むしろそのような権益争いに勝てると踏んだ大阪府や横浜市といった大都市がチホーブンケン教の旗振り役をするのは自然なことなのかもしれません。となると、この会談に同席したという松山市長とか神奈川県開成町長は、チホーブンケン商法の単なる被害者というべきでしょうか。その意味では、「意思疎通ができてる」とか言い張る宮崎県知事も大都市の首長さん方とは同床異夢である可能性は高いですな。
というわけで、すなふきんさんからいただいたTBでこうおっしゃる点にこそ、まともな感覚を持った方々は危機感を抱かなければならないのではないかと。
そういえばこういうパターンは過去にもあったんじゃないだろうか。小泉フィーバーの郵政民営化騒動の時と何やら似ている。今度は地方分権を錦の御旗に掲げて世論を煽るというところか。そして相変わらず国民生活の本当のツボである景気問題はそっちのけで地方分権騒動で盛り上がることになるんだろう。だいたいなんでマクロ的な経済イシューを優先すべき時期に地方分権にうつつを抜かさねばならないのかさっぱりわからないのだが、所詮はそれがわが国の政治的限界なのかもしれない。
(略)
しかしどちらにせよ、「とにかく何かが変わったらいいことあるだろう」みたいな子供じみた希望的観測ばかりが蔓延してるとしたら、自民党がなめられてるとか他人事みたいに言ってる資格なんてないと思うんだけどなあ。本当になめられてるのは国民自身かもしれないじゃないか。
「■[政治]そのまんま東騒動〜手の込んだ工作説について(2009-06-25)」(すなふきんの雑感日記)
チホーブンケン商法というか、カイカク商法というか、それなんて霊感商法?
被害者の会でも結成すべきでしょうかねえ。
(追記)
そういえば、
日テレNEWS24「東国原知事「橋下知事と理念は同じ」<6/25 21:03> 」
東国原知事は「橋下さんからは一緒にやってほしいと依頼が来てますから、どういう形でやっていくか。地方分権・地方主権を勝ち取りたいんです。そのためにどうやっていくのか、考えていくのか。橋下さんだけでなく、全国の首長、国民の皆さんに問いたいです。今回の選挙をどう思っているか。これは地方分権選挙なんですよ。(Q前向きだと?)条件がそろえば、理念は一緒ですから、手法をどうするか、今後詰めないといけない。自民党内にも改革派はたくさんいると思うので、このままの自民党ではダメだと強く思っている人もいると思うので、ぜひ決起していただきたい」と述べ、地方分権を目指す方向は橋下知事と一致しているとした上で、地方分権をどのように実現していくかが重要だと強調した。
だそうで、拙エントリでの「地方分権という手段しかコンセンサスがないのに、その後の具体的な権益の分け前を巡る不毛な権益争いを防ぐことができるわけがありません」という指摘に、ご本人からお墨付きをいただきました。ありがとうございます。
なんだか大騒ぎになってるみたいですが、
asahi.com「「722分の1にならぬ」 東国原知事、気持ちは国政へ(1/2ページ)」(2009年6月24日5時22分)
窮余の策でタレント知事にすがる自民党、国政に躍り出たい東国原英夫・宮崎県知事。思惑が一致して実現したはずの会談で、知事側が自民党に突きつけた条件が「総裁候補にすること」。足元を見られた自民党内からは憤りを通り越し、「そこまでなめられたか」と嘆く声が漏れた。
(略)
古賀氏の要請に、東国原氏は「党の体質を変えていただかないと、国民の支持は得られない」などと語り、受諾条件として「私が次期総裁候補として、自民党は次の選挙を戦うご覚悟があるか」。この問いかけに古賀氏は険しい表情を浮かべ返答しなかった。
※ 以下強調は引用者による。
asahi.com「「722分の1にならぬ」 東国原知事、気持ちは国政へ(1/2ページ)」(2009年6月24日5時22分)
「宮崎だけじゃなく全国の地方に、軸足をおいた政治をやりたいと」「(衆参両院議員の)722分の1、1年生議員になろうとは思わない」
東国原氏は会談後に出演した民放の番組でこう語った。気持ちは早くも国会議員、首相に向かっていた。
(略)
東国原氏が国政に色気を見せてきたことについて、周辺では「本気で地方分権をやりたいからだ」との好意的な見方がある一方、「東京に戻りたいからではないか」との声も絶えない。実際、昨年度の県外出張は公務、政務合わせて計138日で、ほぼ3日に1日。テレビ出演や収録は週末恒例となっている。(岩尾真宏、石田一光)
そうそう、そのまんま東氏がおっしゃるように、チホーブンケン教の皆さんの言ってることって結局は国政問題なんですよね。地方に軸足をおこうがなんだろうが、「地方」というのはあくまで日本という単一国家の一部であって、チホーブンケン教が国政に出たがるというのは何も不思議なことはありません。
ところが、それに対して地元住民の反応はというと、今朝の「朝ズバ」なんかみてると「まだ地元でがんばってほしい」とか言ってる方もいて、「地域のことは地域で決める」とか刷り込まれてしまうと「知事には国政に出てほしくない」とかいう自家撞着に陥ってしまうのでしょう。
それよりも、今回のドタバタ劇の収穫は、国政経験もなく、地方自治体の長として2年程度の実務経験(あくまで「
経営者目線」ではありますが)しかない方が、「私が次期総裁候補として、自民党は次の選挙を戦うご覚悟があるか」とまでいえるほどに、今の日本が狂乱状態にあることを示してくれたことでしょう。まともな感覚を持った方なら、こういうことを堂々と発言する人物がトップにいる地方自治体が増えている現状や、それに国政の側がすり寄っていく構図をこれだけまざまざと見せつけられたら何か気付くのではないかと。
という意味で、古賀誠選対委員長グッジョブ!
まあ、それでも一部の方しか気付かないからこその狂乱状態なのですけどね。
今朝のクルーグマンvs与謝野の対談見逃した〜!最後のところをチラッと見ただけでしたが、与謝野大臣が「クルーグマンの著書と自分のやっていることが合っているか常にチェックしている」というような発言をしているのを見て、「インタゲを「悪魔の政策」と決めつけてたくせにウソつけ!」と思ってしまいましたが、いやまあ本気ならまことに喜ばしい限りです。
(追記:
「
新報道2001 与謝野大臣とクルーグマン教授の対談(2009-05-24)」(
Kittens flewby me)に全文が掲載されているようです。吉川先生も同席してたんですか。それにしても、与謝野大臣の発言は本気とも何ともいえない微妙な感じですねえ。)
そんなクルーグマン問題(?)についても宮崎・若田部・飯田対談で取り上げている『Voice』の6月号ですが、いろいろな立場の論者が目白押しで、ブログでもよく取り上げられていますね。
経済関連の記事についてはほかの経済系ブログにお任せするとして、拙ブログとしてはやはりチホーブンケン教の対談を取り上げるべきでしょう
*1。
国の直轄事業の地方負担金押し付けは許さない 霞が関の通達「開封は不要」
橋下徹〈対談〉江口克彦154p
http://www.php.co.jp/magazine/voice/(注:リンク先はトップページです)
もうほとんどカルトの域に達しているともいえるチホーブンケン教ですが、TV弁護士知事と道州制バ○によるこの対談もキレまくりですな。まずは大阪府知事が
「無能な働き者」と「無能な怠け者」が呼応し合う場面
*2を強調します。
橋下:
ただ公務員とは不思議なもので、私が「支払わない」と方針を固めると、「これはやめましょう」と進言してくれる動きが出てきました。公務員自体は一組織の一担当者ですから、自分で大きな決断を下すことはできません。そこで私が知事として決断を下すと、あとはそれに向けていろいろアイデアを出してくれるのです。
そもそも私には大物政治家との人脈もなければ、各界に対する政治力もありません。だから一般国民の感覚で不自然に感じたことは、どんどん問題提起してメディアに取り上げてもらうしかない。そうして国民が関心を持つもためのきっかけづくりをするのです。直轄事業の負担金にしても、今回のようにメディアで盛んに取り上げられるようになれば、あとは大先輩の知事さんが、どんどん中身のある議論をしてくださいます。
『上記対談』p.155
※ 以下強調は引用者による。
前段については何も不思議なことはありませんよ。最強の人事権を持った知事が指示を出しているんですから、そりゃ権力関係で絶対的上位の方からの職務命令には従わざるを得ませんよね。一世代前の「改革派知事」がいた県庁の担当者と話したりすると「改革派知事」退任後の深刻な混乱ぶりが伝わってきますが、大阪府庁はその意味で90年代以降かなり痛めつけられているわけで、橋下知事が指摘するような動きはすでに処世術として確立しているのかもしれません。
後段については、まああからさまなポピュリズムであっても「一般国民の感覚」といえば許されてしまう政治状況を上手く利用していると評価すべきなんでしょう。
で、官僚がうぬぼれているとあげつらって優越感に浸る弁護士と企業戦士のお話が続きます。
橋下:
私は行政の長を一年間努めるなかで、霞ヶ関が日本で突出して優秀な人々の集団とは、全く思いませんでした。民間や地方など、日本全国に散らばっている優秀な国民の叡智を結集させたほうが、よほどよいものができます。先に江口さんは「霞ヶ関官僚が地方を見下している」といわれましたが、霞ヶ関官僚は、そんな認識の誤りを認めるべきです。
江口:
現役の霞ヶ関官僚は明らかに自惚れています。ただ官僚のOBのなかには、今の霞ヶ関を非常に冷めた目で見ている人もいる。ある官僚OBなど「今の霞ヶ関の若い官僚は、正直いって残りカスなんです」といっていました。かつてキャリアの応募には二万五〇〇〇人が集まりましたが、現在は一万五〇〇〇人ほどに減っている。東大でいえばトップクラスは外資系企業に行ったりして、キャリアに応募してくるのは二番目クラスの人たちだといいます。
官僚の質が非常に落ちているにもかかわらず、自分たちこそが日本を動かす最も優秀な集団だと自惚れすぎている。そんな人々の価値観が、日本の閉塞感につながっているのです。
『上記対談』p.157
弁護士先生からすればキャリア官僚もチホーコームインも代わり映えのしない凡才揃いに見えるかもしれませんが、チホーの末端にいる身としてはbewaadさんやhamachan先生が自分のような下っ端チホーコームインと同じ凡才とは到底思えません。確かに「日本全国に散らばっている優秀な国民の叡智を結集」できればいいんですが、皆さん民間や地方でご自身のお仕事や家事に専念されているわけで、そんなことできますかね。こういう方々のいうチホーブンケンって、ボランティアでも何でも地域のために個人の時間を割けという趣旨のことをさらっと強制してしまうので、個人的には非常に怖いものを感じます。
後段の江口氏の発言は論旨が矛盾しまくりで何が言いたいのかよく分かりませんが、とりあえず、個人的に霞ヶ関と接している限りでは「明らかに自惚れています」なんてことはありませんよ。そりゃまあ、受け取り方にも接し方にも個人差はあるだろうし、個人的にいけ好かない奴だってもちろんいますけど、個人差があるということは「明かに自惚れている」ということにはなりませんよね。
そのあとの官僚の質が低下しているという指摘はそのとおりですが、少子化によって東大そのもののレベル低下が指摘されているわけで、そこを基準にするならとりわけキャリア官僚だけが劣化しているわけではないでしょう。一部のエリートに対する批判を加えている江口氏が、「トップクラスは外資系企業に行ったり」するとかいうのは何かの冗談でしょうか。
というより、入口ではそれなりに努力を要する試験を課しておきながら、民間では効果が疑問視されている成果主義によってキャリアの昇進システムを制限し、さらに出口でも天下りを規制しようとしているんだから、官僚の質が低下するのは当たり前ですな。
その前にそもそも、連邦国家ではない単一国家である日本では国がすべてを決めることになっているわけですから、「優秀」の意味を「実行力を持つ政策を立案する権能を持つ」という意味で解釈すれば、
霞ヶ関の官僚組織が「日本を動かす最も優秀な集団」であることは厳然たる事実ですね。逆に政策形成を事実上担う官僚組織が「優秀」でないととても困ったことになるんですけど。どうやら大阪府知事は官僚組織にリソースを充てること自体がお嫌いのようですが、そのツケというのは広く国民に行き渡るわけで、確かに東京都や大阪府のような巨大な自治体なら霞ヶ関の機能をある程度代替できるかもしれませんが、うちのような弱小自治体にまでそれを強要されたら大変なことになります。それなんて「強者の論理」?
このあとは「全国一律施策の不合理さ」という小見出しで、「熊しか通らない道路」とか批判のやり玉に挙げてますけど、こういう発言を聞いているとさすがにマスコミしか信用しない「一般国民の感覚」を体現されているのだなと、その点では一貫した姿勢を評価しておきます。
その次は「税金は「官僚のお金」ではない」という小見出しで財源問題に話が及んでいきますが、笑ったのはこの一節。
橋下:
しかしそもそも税金とは、住民が自分たちのお金の一部を一時的に公に預けているものではないでしょうか。それならば、そのお金はできるかぎり住民の近くに置いておいたほうがいい。たとえば私の家では、お年玉を母親に預けると、母親が全部使い切ってしまいました。だからお年玉は自分の枕元に置いておかないと、不安で仕方なかった(笑)。同じように税金も、なるべく住民の近く、つまり地方自治体に置いておくべきものなのです。
『上記対談』p.161
小学生かよ!橋下家のお年玉と公共サービスの原資を同等に論じるというのは、高校生でもしなさそうな論理展開ですが、一般国民の皆さんは、こういう小学生レベルの感覚を「一般国民の感覚」と言い張る政治家知事に対してもっと怒っていいと思います。
さらに、この発言の前後ではこういうこともおっしゃっていて、
橋下:
通達に関してもう一ついうと、私が大阪府の予算をどんどん削っていたとき、厚生労働省から直接、知事である私宛てに「エイズ検査について予算面での配慮をするように」という文書が来たことがあります。小坂府の厳しい予算の現状では難しいので断ったら、「こんなことは大阪府政の歴史始まって以来だ」と担当部局は驚いていました。
(略)
今回、大阪府の予算を組むにあたり、一時、商工会議所のある予算を削ったのですが、途中で修正して復活させることにしました。これに対し、商工会議所関係の方々がお礼に来られたのですが、私としては困りました。そもそも予算の原資には、各企業から大阪府に預けていただいていた税金が入っています。その一部を、議論を交わす過程で必要という判断に至り、復活しただけなのです。お礼をいわれる筋合いではありません。
いままでのぎょうせいでは、担当者は予算を自分のお金と思っていたから、「お礼をいわれて当たり前」という感覚だったのでしょう。これではいけないのです。
『上記対談』pp.161-162
新型インフルエンザのときもそうでしたが、検査体制の不備などによるウィルスの蔓延といった典型的な「外部不経済の垂れ流し」と「負担と受益についての公共財の過小供給」には無頓着ぶりを発揮する一方で、お金を出した人にはその分だけサービスを提供して「所得再分配」を否定していることにも気がついていないご様子(5/25修正しました)。そういった「市場の失敗」を是正すべき政府部門が、むしろそれを助長するのがチホーブンケンなんですね、わかります。
この点については
以前も引用した記事ですが、
中央省庁の支配から逃れ、地方独自の裁量が広がる、これが「地方分権」改革の掛け声ではなかったか。しかし、現実に地方自治体が手にしたものは何であったか。ある自治体の財政担当者は「私たちが分権改革によって得たのは、教育や福祉への歳出を削るという”裁量”だった」と述べている。義務教育国庫負担金といったこれまでは削減できないとされてきた経費が、「地方分権」改革の結果「地方の裁量」で削減可能になったのである。
「談論風発 : 地方分権への懐疑 国の責任放棄見逃すな」(山陰中央新報'08/09/22)
「教育や福祉への歳出を削るという”裁量”」を振り回していい気になっている知事さんが日本中にあふれたら・・・と思うと冗談でなく寒気を感じていまいます。
最後はおなじみの道州制論議に話が移っていくわけですが、拙ブログではさんざん批判している(「
道州制のどこがいいの?(2008/06/03(火))」とか)ので、面倒ですし繰り返しません。対談は江口氏のこの発言で締められます。
江口:
幕末に岩瀬忠震という幕臣がいました。かれは、西洋列強に開国を迫られる状況において、向こうに押しきられるかたちで国を開くのではなく、日本を守るためにどうすべきかを考え抜いた。そして、アメリカの望む大坂開港を突っぱねて横浜港を押し通し、日米修好通商条約の締結に結びつけたのです。
その幕臣の彼が、交渉に臨む姿勢をこんな言葉で残しています。「国が滅ぶことを避けられるなら、幕府は滅んでもかまわない」と。このような気概を、現在の政治家、霞ヶ関官僚にも抱いてほしいと思います。
『上記対談』p.163
日米修好通商条約の締結が歴史的にどう評価されるのかよく分かりませんが、江口氏が岩瀬忠震の言葉を引用しているのを見ると思わず、
「地方が滅ぶことを避けられるなら、国は滅んでもかまわない」と。このような危害を、現在の政治家、知事をはじめとするチホーブンケン教は加えてほしくないと思います。
と言いたくなりますなあ。
*1 労働関係のエントリはあまりニーズがないようですし。それはそれで労働教育的な問題がありそうですが。
*2 リンク先のエントリは用語の使い方が混乱していましたので若干補足させていただくと、「無能な働き者」がトップに立つ組織では「無能な働き者」が重用される傾向があるために、上からは意味のない政策が指示される一方で、下では意味のない作業が進められるという、まことに「分権的」な状況が生み出されるということです。
官邸ホームページにすら載ってない「安心社会実現会議」が昨日開かれたそうですが、麻生首相もその出自からして当然の如く
経営者目線の改革派だったことをすっかり忘れていました。
「『安心社会実現』へ議論 有識者会議、13日初会合」(東京新聞 2009年4月8日 朝刊)
政府は七日、麻生太郎首相が掲げる「安心と活力ある社会」を実現するため、新たな国家ビジョンの確立を目指す有識者会議「安心社会実現会議」を設置した。十三日に初会合を開く。六月ごろまでに意見を取りまとめ、経済財政運営に関する二〇〇九年の「骨太の方針」に反映させる方針。
首相は記者団に、会議の目的を「安心できる社会の道筋を有識者とともに議論する。日本が目指す安心社会の見取り図を示す」と説明。雇用や医療、年金、介護、子育て支援の政策目標や優先順位について議論する考えを示した。首相が明言している経済好転後の消費税率引き上げなど財政健全化についても議題に上る見通し。
政府が今月末の提出を予定する過去最大規模の〇九年度補正予算案では、赤字国債の追加発行は避けられない。
首相としては、会議を通じて社会保障や財政の中長期的な取り組みをアピールし、ばらまき批判を回避する思惑もありそうだ。
会議の設置に伴い、増田寛也前総務相を七日付で内閣官房参与に任命し、会議事務局の事務局長に起用した。
増田氏以外の会議メンバーは次の通り。
伊藤元重東大教授▽小島順彦三菱商事社長▽高木剛連合会長▽但木敬一弁護士▽張富士夫トヨタ自動車会長▽成田豊電通最高顧問▽日枝久フジテレビ会長▽宮本太郎北大教授▽武藤敏郎大和総研理事長▽矢崎義雄国立病院機構理事長▽山内昌之東大大学院教授▽山口美智子薬害肝炎全国原告団代表▽吉川洋東大教授▽渡辺恒雄読売新聞グループ本社会長
与謝野氏の経済財政諮問会議形骸化路線が本格化してきましたね。
結局のところ、小泉内閣でのコーゾーカイカクがいわば大衆の支持を背景にしながら、財界の意向に沿った形で進められていたとするなら、安倍内閣以降は(小泉内閣と比べると)大衆の支持を失ってしまったために、経営者目線の改革路線のみが残ってしまっているように思います。このメンツを見ても、連合会長と3名の学者と薬害肝炎患者の方(なんで?)を入れて格好をつけていますが、マスコミを含めて経営者が勢揃いといった風情ですし。
経営者目線というと違和感があるかもしれませんが、要は「民間感覚」のことですね。ネット系のベンチャー企業からステップアップして放送局を買収しようとした経営者は叩かれてしまいましたが、この不況下で業績を回復した会社経営者はさらにもてはやされるようになっています。一昔前に流行ったビジネスモデルはマネーゲームとかいわれてしまうので、最近の流行はグリーンニューディールとか農業法人とかなわけですが、「民間感覚」と称した経営者目線のカイカク路線は盤石なわけです。
しかも、事務局長には元「
改革派知事」の増田氏を起用することで、地方分権にもきちんと目配りが聞いています。ただまあ、何度も書いていますけど、俺みたいな末端の下っ端チホーコームインからすれば知事とか大きい市町村の首長なんて、選挙で選ばれてきた現場の実務も何もしないトップなわけですよ。
民間の会社勤めの方なら、社長が「私は現場を重視しますからね」とかいいながら顧客と適当に話をしてきて、会社に戻って「こういう話されたからあとはよろしく」なんていわれたら、「アイツ現場分かってねえ!」といいたくなることもあるのではないかと。さらに、そういう理不尽な指示を何とか形にしたところで、社長に「こんなのではうちの会社の評判にそぐわない」とかダメ出しされたらやってられなくなりますよねえ。
いやもちろん、その顧客の話がまっとうなものなら何も問題はないのですが。