2020年04月05日 (日) | Edit |
プライベートというか公私ともにいろいろありまして3月の更新が飛んでしまいましたが、先月11日で東日本大震災から9年が経過し、10年目に突入しています。発災当時からすると2010年代から2020年代へ、元号も平成から令和へと変わった節目となるはずでしたが、現下のCOVID-19の感染拡大対策のため、各地の追悼式は軒並み中止か延期ということになってしまいました。7年目までは政府主催の追悼式での秋篠宮さまのお言葉を引用していましたが、今年はその機会もありませんでした。

そんな最中ではありましたが、これまで触れられていなかった避難所の暗部を取り上げた番組があったとのこと。

「災害時の性暴力」の本格的なドキュメンタリーをNHKが放送した

 3月1日(日)の午前中に放送された「明日へつなげよう 証言記録『埋もれた声 25年の真実~災害時の性暴力~』」。

 48分の長編ドキュメンタリーだ。 

 被災地で子どもや女性たちにこうした問題が起きているらしいことは、2011年に東日本大震災が起きた直後、筆者も取材で訪れた避難所などで耳にしたことがあった。しかし関係者も固く口を閉ざし、当時は取材を進めることはできなかった。

 テレビでは非常にデリケートすぎて扱うことが難しかったこの問題をNHKは今回、取りあげた。そこに紹介されたケースは被害者の壮絶な体験談がベースになっている。

「避難所でのレイプ」災害時の性暴力に光を当てたドキュメンタリーの教訓(反響追記あり)(Yahoo! JAPANニュース 3/6(金) 0:30)


実は私も避難所支援で被災された地域に入った際にも、思い当たる場面に出くわしたことがあります。といっても、避難所が地元の高校の体育館だったので、昼夜を問わず定期的に校舎や校庭を見回るという役目があり、夜中2時くらいの見回りの際に校舎の一室に入っていく(高校生らしき若い)男女二人を見かけたという程度です。状況としては、町が津波と火事で壊滅して帰る家もないという極限状態で避難所性活が既に4、5日経過していた中で、その瞬間は気まずい雰囲気もあり、お互いに(だと思うのですが)見て見ぬ振りをして通り過ぎました。が、通り過ぎてからしばらくして「もしかして同意のないまま脅されていないか」とか「何か取引を持ちかけられたのではないか」など、いろいろな思いが交錯したりもしましたが、結局何もせず見回りを続けた記憶があります。

私自身はその数日後に避難所を離れましたので、その後の経過など詳しいことは分かりませんし、もしかすると弱い立場の女性が厳しい状況に置かれていたりするのではないかということは心のどこかにひっかっかっていましたが、少なくとも私の周りではそういう話が表立ってされることはありませんでした。9年目を迎えるこの時期にテレビ番組で取り上げられたということで、個人的には「やっぱり」という思いもありながら、一方ではこれまで声を上げられなかった方々の心情を考えると胸が痛みます。実は「番組があったとのこと」と書いた通り、この番組自体は未見です。というのも、あのとき私が遭遇した場面こそがまさにその現場だったのではないかという思いがどうしても拭えず、救えなかった女性に対して申し訳ない気持ちが呼び起こされて見るのが怖いというのが正直なところです。

ただし、この番組で取り上げられた報告書と、NHKの取材班が引用する「スフィア基準」とが微妙にすれ違っているのが気になるところです。

報告書には国に対する提言も盛りこまれている。

 同じような被害が繰り返されないために。調査チームがまとめた報告書には、次のような具体的な対策案や提言が盛り込まれ、国へ届けられました。

  • 災害直後からの暴力防止の啓発・相談支援の充実
  • 避難所の改善(プライバシーの確保等)
  • 被害者への支援・連携体制づくり(行政・警察・医療・女性支援センターなど)
  • 防災・災害対策における女性の参画と男性との協働(意思決定の場の男女平等)


出典:NHK「クローズアップ現代+」番組ホームページ

「避難所でのレイプ」災害時の性暴力に光を当てたドキュメンタリーの教訓(反響追記あり)(Yahoo! JAPANニュース 3/6(金) 0:30)

として、取り上げられているのは主にソフト面だけのように見受けられるのですが、

「災害時の性暴力」取材班 2020年3月5日 プロデューサー
みなさん、コメントをありがとうございます。支援者への共感の声、加害者や暴力への怒り、対策を求める意見など、こうした声こそが、勇気を振り絞って証言してくださった方々にとって大きな力になると思います。

災害時の人道支援に関する国際的な「スフィア基準」では、避難所の場所や物資の確保等について「最低限の基準」を定めています。さらに、女性や子ども、障害者など、声をあげにくい人たちの意見の尊重や、性暴力・DVの防止と支援についても明文化。支援者が暴力に加担しない、見過ごすことも許さないなど、暴力を根絶する強い姿勢を求めています。現在、国内の自治体でも、地域の「防災計画」を見直し、女性たちの意見や参画を促進する取り組みが少しずつ進められています。皆さんが住む町の防災計画に、そうした視点が欠けていると感じたら、ぜひ声をあげてみてください。

こちらのコメントで取り上げられている「スフィア基準」は、人権を守るための最低限のハード面の整備がその内容となっていると思われます。そもそも体育館という建物は大人数が寝泊まりする想定では作られていませんし、学校という施設は体育館だけではなく多数の仕切られた閉鎖空間で死角を有する巨大な施設です。もし私が遭遇した男女に対して何か声をかけることができたとして、その死角にはもしかすると複数の共犯者がいて、私自身が身の危険にさらされた可能性も十分に考えられます。そもそも避難所生活自体が誰にとっても不自由なものである限り、身体的な苦痛だけではなく精神的なストレスによるトラブルも誘発することになります。

公的施設のハード面の整備が忌み嫌われれるこの国では、非常事態にあっても苦痛に耐えることが美徳とされてしまう風潮があり、それは現下のCOVID-19対応にも如実に現れているように思います。
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2019年03月18日 (月) | Edit |
年度末のデスマーチですっかり更新が滞ってしまいましたが、先週で震災から8年が経過しました。年に数度のデスマーチに見舞われてほとんど被災された地域に足を運ぶことがなくなってしまっておりますが、昨年末に行った際は、その地域のあまりの変化具合に以前どうなっていたかを思い出すのに時間がかかるほどでした。現在の被災された地域はかろうじて幹線道路や河川が元の位置にあるだけで、土地そのものが形状も高さも形が変わってしまっていて、復興というより本当に新しく街を作り直したんだなと感じます。たとえば市街地の再開発というのは私も何度か見た記憶があるものの、これだけの変化は初めて見る光景で、正直なところ戸惑うくらいです。

ただし、街が新しくなってそこに元いた方々が住むかというと、話はそう単純ではないわけでして、3年前にも指摘しておりますが「良くも悪くも震災前の状態に戻った後で、震災前からある課題にどうやって対応するかという古くて新しい問題」が厳然と立ちはだかることになります。

その現実に向き合っている若者の姿を追った番組を拝見したのですが、

今年1月、岩手県・三陸沿岸の山田町でタイムカプセルが掘り起こされた。8年前、東日本大震災の直後に埋められたものだ。当時、大沢小学校を卒業したばかりの6年生29人全員が「二十歳の自分へ」と題して手紙を書き、カプセルに入れた。今年二十歳となり成人式を迎えた彼らは、今の自分に宛てた手紙と再会した。
被災によって、彼らは多感な10代を厳しい環境の中で生きてきた。復興に向けて頑張ると誓い潜水士となって防潮堤など復興工事に携わる人。故郷を離れたものの、今も震災の記憶にさいなまれる人。身近な人の死に向き合えずにいる人。
あれから8年。二十歳という人生の選択の時を迎えた彼らは、震災直後の自身からのメッセージをどう受け止め、どのように次の一歩を踏み出すのか?二十歳の若者たちの旅立ちの時に密着する。

「NHKスペシャル “震災タイムカプセル”拝啓 二十歳の自分へ」
2019年3月11日(月)午後8時00分~8時43分

タイムカプセルを掘り起こそうと同級生に声をかけたのは、地元を離れて東京に進学し、そのまま東京で就職することを決めた方でした。番組の最後はその彼が取り上げられていましたが、同じ被災された地域出身でありながら、自分の家族に被害がなかったことに後ろめたさを感じて、自分が被災した地域出身であることをあえて表に出さず、東京で就職することにしたとのことです。しかし、同級生と会って震災に向き合う気持ちになり、被災した地域出身者としての決意を卒論に記したところまでが描かれていました。

いやまあ、少子高齢化が進んで人口減少に拍車がかかるというのは、まさに当地のような地方にとっては「古くて新しい問題」なわけですが、かといって若者が地元に縛り付けられるというのは、それもまた「古くて新しい問題」でもあります。その問題解決の打開策として若者に期待が寄せられるのはやむを得ないとしても、そうした二律背反な期待が寄せられるとあっては、若者も苦悩が深まるばかりでしょう。

新しく作り直された街で、その街に住む若者がどういう社会を作っていくのか、そうして苦悩する若者に対して、かつての若者であって現在の社会のディシジョンメイカーの中核を担っている大人たちがどう向き合うのかを考えると、実際の行動として実現する段階に進んでいると実感します。当時の小学生が成人するだけの時間が経過しているわけですからそりゃまあそうなのですが、その段階に進んでいるという実感と、それが行動に結びついていないという実感が併存するのもまた、それだけの時間が経過したことの表れなのかもしれません。

2018年04月21日 (土) | Edit |
今年はずっとパワハラを取り上げてきたところですが、ここ数日は財務省事務次官によるセクハラが話題となっているようでして、パワーだろうがセクシャルだろうがハラスメントが認められるこんな世の中じゃPOISONと言いたくなる気持ちもわかりますね、ただまあ、拙ブログではいつも繰り返している通り、パワー・ハラスメントは、パワー(指揮命令権)とハラスメントを峻別する必要があると考えていますが、その一方、セクハラはパワー(指揮命令権)そのものを問題とするより、その性差をことさらに利用して心身にダメージを与えることを問題視しているといえましょう。と考えてみると、パワハラとセクハラは似て非なるものであると整理しておく必要がありそうです。

いやもちろん、雇用契約なり請負契約なり派遣契約なり、およそ労務の提供を授受する関係においてあらゆるハラスメントを認める必要はないというのが原則であろうと考えます。その上で、そのハラスメントの根拠がパワー(指揮命令権)であるのか、あるいは態様が性差をことさらに利用したものなのかという分類の仕方によって、その対応が変わるという理解が素直ではないかと。

その前提に立つと、パワハラについてはこれまでパワハラクソ野郎について書いてきたとおり、

つまり、OJTが試行錯誤をさせてその取組の中で職務遂行能力を向上させるものであることを目的とするものであることから、当然の帰結として、部下はかなりの割合で「錯誤」することになります。それに対して上司は、試行錯誤の「錯誤」の部分について助言・指導を行う必要があり、その際に、人格を否定して人権を侵害するような暴言を吐いたり、ときには暴力を振るったりしてその「錯誤」を攻め立てることがハラスメントになるわけです。

(略)

つまり、大規模な組織において「論理的」なるものは、実は誰にとっても都合よく読める程度には玉虫色のものにせざるを得ないわけでして、その玉虫色の決着を有利に形成する際には、「あるときは徹底的に論理的に、あるときは表向き論理的に」という使い分けが有効ということになります。

そしてこの状況で最も事を有利に進めることができるのが、まさに論理的と非論理的を使い分けてパワハラを駆使するクラッシャー上司であり、だからこそクラッシャー上司は高評価されて出世もするのですが、その結果として、一見論理的に見えてもその実上司が自分の思い込みで判断した結果にすぎないということが頻発し、その組織における「論理的」なるものが内実を失っていくのではないかと思います。というか、大企業病とか役人病というものの大半はこれで説明可能ではないかとも思うところでして、この国の意思決定をまともな方向へ進めたいと思う方々は、まずパワハラを駆使するクラッシャー上司という社会的害悪を何とかしないといけないのではないでしょうかね。

パワハラを駆使するクラッシャー上司(2017年08月06日 (日))

というように組織の意志決定を歪める社会的害悪であって、それを認めるような組織風土や企業文化を排除できない組織は早晩行き詰まるだろうと考えておりますが、セクハラについても、場合によってパワハラと同じような社会的害悪となりうるということが今回の件で明らかになったことではないかと思います。

ただし、パワハラとセクハラでやや様相が異なるのは、パワハラでは、パワハラする側が自らの地位や気分を害すると思う相手に対して一方的な罵倒や人格否定を行い、パワハラの対象者には一切の利益がないのに対し、セクハラは、する側とされる側双方にそれなりの対価がある場合に発生しやすいという点です。

前々回エントリでも取り上げた厭債害債さんのところで重要な指摘がされている通り、

しかし前のエントリーにも書いたように、本来は自社の女性社員を守るためにこれまで何らの行動をとらず、むしろネタどりなどのためにあえてセクハラを受けやすい女性社員を、わざわざ夜の席で一対一になることを許容してきたそのメディアのほうも大いに糾弾されるべきであり、仮にその行為を(本人が嫌がっているのに)営業のためにやらせていたとしたら、そちらの方も全く同罪なのです。福田次官が辞任するとしたら、そのテレビ局の担当部長や役員クラスが処分されるべき事案だと思います。むしろそのプロット自体が女性の犠牲のもとにビジネスを遂行するという陰湿なプランに裏打ちされているため、非常に嫌悪感を感じる部分です。

ただ、女性担当者は、さっきも言ったように仕事にまじめであったり功績をあげたいという強い気持ちで、そういうリスクを犯したり、あるいはもっと踏み込んだ行動に出かねない。保険会社での枕営業というのも昔から言われていることです。そういう事実があるということを踏まえて、単なるきれいごとで本件を扱ってほしくないなぁというのは正直なところです。

「マドンナ作戦(2018/04/19 02:09)」(厭債害債(或は余は如何にして投機を愛したか))

セクハラの被害を受けたご本人の自発的な行動なのか、あるいは会社の指示であったのかはともかく、セクハラの対価として「ネタ取り」が企図されていたことは否定できないでしょう。もちろん、女性に対してならネタを提供してもいいと考える(特に重要な情報を持つ地位にある)男性がいればそのこと自体が糾弾されるべきですが、そのこと自体を糾弾するでもなくむしろ利用して「ネタ取り」しようとした側にも非があると言わざるをえません。

もしかすると、今回の件が財務省の高官によるセクハラ行為を告発するための仕掛けであり、セクハラ被害の現場を押さえるために敢えて「わざわざ夜の席で一対一になることを許容してきた」というのであれば、それはそれで効果はあったといえるかもしれません。しかし、どうやら被害を受けたご本人の所属する組織では「ネタ取り」を優先してその被害を取り合わなかったようですし、そもそも現時点ではセクハラをしたとされる側が全面否定しているので、その「ネタ取り」の目的や成果が明らかにされない限り、逆に財務省の高官を陥れるためのトラップだとする主張にも理由を与える結果となっています。

冒頭に書いた通り、「雇用契約なり請負契約なり派遣契約なり、およそ労務の提供を授受する関係においてあらゆるハラスメントを認める必要はない」という原則に立ち返って、セクハラを認めるべきではないと考えますが、厭債害債さんが「マドンナ作戦」と呼ぶような行為があることもまた現実である以上、「マドンナ作戦」を仕掛ける側からすれば、それがうまくいって対価が得られれば自らの業績として活用し、対価が得られなければセクハラとして告発できることになるわけでして、「マドンナ作戦」にも規制が必要となってくるのではないでしょうか。まあ、とはいえ、人間が性差を持つ生物として生きている以上、「マドンナ作戦」を規制することは事実上不可能だとは思いますがね。

2018年03月11日 (日) | Edit |
震災から7年、つまり84か月が経過しました。拙ブログでもすっかり震災関連のエントリが激減しているところですが、昨年に引き続き、秋篠宮さまのお言葉に感銘を受けたところです。

秋篠宮さま 震災追悼式でおことば(NHKオンライン 3月11日 16時48分)

秋篠宮さまは、東日本大震災から7年となる11日、東京都内で開かれた犠牲者の追悼式に紀子さまとともに出席し、被災地や被災者に末永く寄り添うことが大切だとする気持ちをあらわされました。

東日本大震災の追悼式には、おととしまで毎年、天皇皇后両陛下が出席されていましたが、ことしは去年に続いて秋篠宮ご夫妻が出席されました。

(略)

秋篠宮さまのお言葉 全文

 2011年3月11日、東北地方を中心に東日本を襲った未曾有の地震とそれに伴う津波により、2万人を超える死者及び行方不明者が生じました。震災発生後、刻々と伝えられる現地の状況と押し寄せてくる津波の映像は、7年を経た今でも決して脳裏から離れるものではありません。ここに一同と共に、震災によって亡くなった人々とその遺族に対し、深く哀悼の意を表します。

 大震災からの7年間、被災地において、人々は幾多の困難を乗り越え、手を携えて、復興に向けての努力を弛みなく続けてきました。こうした努力を支援するため、国や全国の自治体、そして国内外の多くの人々が、様々な形で力を尽くしてきました。

 その結果、住宅の再建や高台移転、産業の回復、生活環境の整備、防災施設の整備など多くの進展が見られました。また、原発事故により避難を余儀なくされた地域においても、帰還して生活を再開できる地域が少しずつ広がってきております。多くの悲しみや困難の中にあった子どもたちも、未来に向けてたくましく成長しています

※ 以下、強調は引用者による。

というのも、震災から7年となる日の前日にNHKで放送された番組を見て、改めて子どもたちが「死」を受け入れることの辛さを考えたからです。

「死にたい。将来は夢も希望もない」「わたしは無感情人間だった。悲しいと言えなかった…」
津波で家族を失った子どもたちが、震災から7年経った今になって悲鳴を上げている。あの日、釜石で被災した当時3歳の女の子。津波から逃げる際に飲み込まれる家屋や遺体を目撃、さらに家族3人を亡くした。壮絶な体験をひとり抱えてきた震災後のある日、耐えきれず感情が爆発。体調不良を訴え不登校になった。10歳になった今になって、誰にも言えなかった体験やつらい気持ちをポツリポツリと語り始めている。被災地で、津波で家族を亡くした子どもは1800人近く。心身の不調を訴える子どもは後を絶たず、宮城県では不登校率が全国最悪レベルだ。こうした子どもたちは心の専門病院やNPOに駆け込んでいる。治療やケアを受け、親にも打ち明けられなかったトラウマ体験や気持ちを言葉で表現することで震災を受け止めようともがいているのだ。番組では支援の現場に密着、語り始めた「言葉」から最大の被災弱者とされる子どもたちが抱えてきた葛藤を見つめる。

「誰にも言えなかった  ~震災の心の傷 母と子の対話~」2018年3月10日(土) 午後9時00分~9時49分

もちろん、秋篠宮さまのお言葉のように「未来に向けてたくましく成長して」いる子どももいます。しかし、それはもしかすると表向きの表情で、その心の中には身の回りの人々が一気に姿を消したことの悲しみを抱えているのも事実でしょう。その悲しみは決して消えるものではなく、抱えながら生きていくしかありません。

番組の中では、沿岸部から内陸に引っ越したものの最近学校に行けなくなった子どもの様子と、その母親の様子が映し出されていました。子どもが気丈に振る舞っていたのは家族の死を受け入れられない自分を認めたくないから、母親が家族の死を受け入れられないのは、そうして気丈に振る舞う子どもに自分の気持ちを素直に表せられなかったから、というお互いに思いやる気持ちの中で、不安な気持ちばかりが募っていったのでしょう。その二人が、家族への思いを人形で共有したときから、お互いに前向きに生きていく気持ちが芽生えたところで番組は締めくくられていました。

番組の中では、この「前向きに生きていく」という言葉がこの母子以外の登場人物からも繰り返し発言されていました。辛い現状をそれとして受け入れて日々生活している中で、「前向きに生きていく」という気持ちが出てくるまでには7年の月日が必要だったともいえます。その母親が言った「3月11日は気が付かないうちに過ぎてほしかったが、やっと迎える気持ちが出てきた」という言葉にその思いが表れていると思います。節目に思い出したように特集されるより、日々の生活の中でこうした思いに向き合っている方々がいるということに、これからも思いを馳せるようにしたいと思います。

(付記)
宮城県名取市で「奇跡の保育所長」と持ち上げられた当人も、その「功績」に押しつぶされてしまった自分を振り返っていらっしゃいいます。

佐竹悦子さん(66歳)。

街全体が壊滅的な被害にあった宮城県名取市閖上地区で、海のすぐそばにあった市立閖上保育所で所長を務めていた。

54人の園児を迅速に避難させ、誰一人死者を出さなかった保育所は後に「閖上の奇跡」と呼ばれる。

だが「奇跡」の後、トップはたったひとり感情を押し殺し、恐怖も悲しみも、あの日の怒りも表に出せない日々を送っていた。

彼女が明かす、孤独の日々と再出発、そして7年という時間――。

(略)

「泣けない」ことに気がつく
時期を前後して、泣けない自分にはじめて気がつく。泣こうと思っても泣けない。親族のことを思っても、閖上の子供たちのことを思ってもどうしても涙がでない。

宮城県の支援にあたっていた精神科医に打ち明けると「それはPTSDだ」と指摘された。医師は続けて、こんな言葉をかけてくれた。

「先生、あれだけ特殊な経験をしたんです。何も起きないほうがおかしいですよ」

そうか、自分の精神は限界なんだと妙に納得できた。この後、彼女は2度の「引きこもり」を経験する。

1度目は2013年だった。体調を崩してしまい、家で静養していた。ところが体調は回復したのに、外にでる気力がなくなった。

外にでること、イベントが何より好きだったはずなのに、理由をつけて、すべての依頼や誘いを断り、家の中でも寝巻きから着替えないまま1日が過ぎていく。そんな日々が半年ちょっと続いた。

市役所の仲間が用意してくれた旅行を機に少しずつ日常を取り戻すことができたが、自分の精神が危うくなっていることを痛感した。

2度目は2015年の春だった。

1度目の引きこもりから「社会復帰」し、引き受けた幼稚園の園長業務をこの年の3月まで受け持っていた。

怒涛の日々だった。

震災の経験を活かさねばならないと、防災の専門家を招き避難計画を作成した。近くを流れる川が気になって、安心できないとマニュアルを練り直した。

心は一気に疲弊した。任期が終わってから、また気が抜けたように家にいる時間が長くなっていったのだった。

佐竹さんは震災について「事実」は話せるが、「思い」をうまく言葉にできない時期を過ごしていく。

(略)

トップの行動が、彼らの心にも深い、深い傷を負わせたのではないか。

所長が涙を流さないから、職員も涙を流せなかったのではないか。3月27日の卒園式はもっと泣いてもよかったのではないか。

6年半を過ぎても、自分を責めるように問うてしまう。後悔ともし…を考えると、恐怖から涙がこぼれ落ちてくる。

あれほど泣こう、泣こうと思っても泣けなかった自分が泣いている。あの日、自分も辛く、怖かったという感情が溢れてきた。

それは、長く押し殺していた感情とようやく向き合うことができた、転機の涙なのかもしれない。

「【あの日から7年】大津波から子供を守った”奇跡の保育所長” 「美談」の裏で抱えた苦悩(2018/03/11 06:00)」(BuzzFeed News)

泣けないほどの責任感を感じて外に出られないほどの辛い経験を経て、やっと泣けるようになるまでの6年半は、あの震災を経験した方々の心を変化させるために必要な時間だったのでしょう。ただしその心の変化は、あくまで震災の経験をずっと抱えたままであることも忘れてはいけないのだろうと思います。「震災から○年」という節目はそれとして大事にしながら、同じ時代に生きる者として心にとどめておかなければと思います。

2017年08月16日 (水) | Edit |
震災後はお盆の時期にその時々に感じたことなどをアップしているところで、今年は東日本大震災で亡くなった方の七回忌となります。とはいえ、沿岸部から離れた内陸部に居住する私は身内に被害者がいるわけでもないのでニュースでその様子を伺うだけですが、その中にこんな記事がありました。

 東日本大震災の津波で流された写真や位牌(いはい)など「思い出の品」を持ち主に返す活動が、岐路に立たされている。国の財政支援を失ったり、問い合わせが減ったりして活動を縮小する自治体が相次いでいるのだ。そんな中、岩手県陸前高田市がこの夏、県外の東京、仙台で「出張返却会」を初めて開くことを決めた。震災から間もなく6年半。物理的な復興と違って、一人一人歩みの異なる「心の復興」の現場を歩いた。【石巻通信部/百武信幸、統合デジタル取材センター/小国綾子】

引用元: 「思い出の品」で心の復興を 東京、仙台で初の返却会(毎日新聞 会員限定有料記事 2017年8月15日)


有料記事ということですが、月5本まで読めるとのことなので本文の一部を引用しておきますと、

「写真を探しに行きたいが……」と県外避難者ら

 陸前高田で震災後に泥や潮水から回収された写真は20万~30万枚に上る。写真約7万2000枚、位牌やへその緒などの品々約2500点がまだ残ったままだ。

 実は三陸沿岸の自治体はどこも持ち主に返しきれない「思い出の品」を抱えている。写真だけでも、仙台市の約16万枚など、合計100万枚前後になりそうだ。しかし、どこも復興事業で忙しく、返却作業にまで手が回らない。役所に足を運ばないと写真を探せない自治体も多く、問い合わせが減ったことや保管場所がないことを理由に、電子データ化した上で現物を焼却処分した自治体もある。

(略)

 陸前高田市はこれまで、市内だけでなく、県内陸部の盛岡や一関などでも「出張返却会」を積極的に開いてきた。今年4月からの3カ月間だけでも223人が返却会に訪れ、923枚の写真が持ち主や家族、遺族らの手に返された。

 今なお海や泥の中から新たに写真が見つかることがある。昨年、市内で泥の中から見つかった写真アルバムは今年になって持ち主に返却された。

 今回初めて東京や仙台での開催を決めたのは、県外避難者や実家を流された県外在住者らの「写真は探したいが、高田までは行けない」という声を受けてのことだ。

 「まだ生活に余裕がなく写真探しどころではない方、つらくて写真を見られない方、今年、七回忌を終えてようやく写真をゆっくり探す気持ちになれた方などもたくさんいます」。同市から返却事業を委託されている一般社団法人「三陸アーカイブ減災センター」理事の秋山真理さんは語る。

引用元: 「思い出の品」で心の復興を 東京、仙台で初の返却会(毎日新聞 会員限定有料記事 2017年8月15日)

とのことで、七回忌を迎えてやっと遺品探しができるという方もいらっしゃいます。しかし、その遺品を預かる立場の自治体の中には、人手や経費、さらに場所の問題からデジタル化して現物を焼却処分したところもあったようです。遺品は現物だからこそその意味があると思われるところでして、当然自治体の側でもそれは痛いほど分かっている(自治体職員の多くも被災した当事者ですし)はずですが、それでもなお焼却処分せざるを得なかった事情を推察すると、被災した地域の自治体が置かれた状況の厳しさを改めて考えてしまいます。

思い出の品を返す活動を縮小する自治体が相次いでいる大きな理由は、冒頭の引用部分にある通り「国の財政支援を失った」ことにあるでしょう。役所の仕事の特徴として、先におカネがあってそれに基づいて仕事が発生するという経路があるわけですが、これを裏返すと、おカネがなくなれば仕事が無くなるということになります。おカネがあるうちは継続できた活動(役所的にいえば事業)が、その財源を失ったことによって継続できなくなるというのは、良し悪しは別として役所の仕事の実態です。そしてその財源拠出の可否は、少なくとも建前上は財政民主主義に基づいて国民が決定することになります。

東日本大震災後も日本各地で相次いでいる大規模災害は、(言葉は不適当かもしれませんが)それぞれが競合してしまい、予算とそれに付随する仕事と人手を奪い合う事態となっている面は否定できないでしょう。さらにいえば、東京オリンピックなどの大規模イベントに予算とそれに付随する仕事と人手を割いている状況で、その競合の度合いがより高くなっていきます。その中にあって思い出の品を返すという、大規模公共事業に比べればニッチな事業に予算が付けられるか否かは、この国の空気を知るために何らかのヒントになるのかもしれません。