2017年04月19日 (水) | Edit |
震災から6年を過ぎて業務で被災地支援に当たることも減り、拙ブログでも震災関連のエントリは激変しているところでして、被災した沿岸部から遠く離れた内陸部からは窺い知れない部分も増えてきました。そんな中で被災された地域から貴重な情報発信を続けていらっしゃるhahnela03さんの最新エントリでは、復興の進み方(進め方)が引き起こしている問題が鋭く指摘されています。

 大槌町の復興の遅れは、防潮堤建設の際に共産党系の反対する方たちの「巨大な防潮堤ガー」ということによるものです。地下水脈が豊富に流れる町内を嵩上げせずに再建させるには震災前より大きい防潮堤整備と非難道路の整備を行うことで、自然環境を温存しつつ町内再建者を増やし、人口流出を抑制するという考え方によるものです。ですが、当時、反対派は安倍首相夫人が城山体育館に来訪されて際に、「安倍首相夫人も疑念があると発言した」と政治利用をしたのです。上手に利用されたわけですね。
 それにより大槌町の復興計画は狂いこの6年で住民の流出はとどまるところを知らず、復興後の予測でも人口は半減する方向へ反対派によって誘導されていったのです。嵩上げの選択が復興を遅らせることは当初から分かっていたことで、これを後押ししたのが、メディアによる報道でした
 明治・昭和の津波の際の高台移転の事例や津波石などを取り上げ、住民を誘導して言ったのです。それをさらに利用したのが東京のNPOによる「桜植樹」「鎮守の森」等の植樹募金ビジネスです。浸水地域という穢れた土地という設定の下に、復興計画が住民の意思から乖離して行き復興はどんどんずれ込んでいくようになりました。

「津波被災の記録146(2017-04-09)」(hahnela03の日記)
※ 以下、強調は引用者による。


大槌町については、拙ブログでも3年ほど前にNHKの番組での議論の様子を取り上げたことがありました。

番組では住民の皆さんが真摯に向き合って話し合う中で、様々な立場から意見が述べられていました。番組を見た範囲で私なりに大きく意見を分類すると、防潮堤の高さを低くすべきという意見としては、

  • 高い防潮堤があると景観が損なわれる。
  • 高い防潮堤が町を守るという安心感から防災意識が低下して、津波警報が出されても逃げない人が増える(今回の震災ではそのような状況で命を落とされた方も多くいた)。
  • 奥尻島でも町を囲む防潮堤を完成させて復興宣言もしたが、重要な地場産業である漁業が衰退し、人口減少が止まらない。
  • 防潮堤の高さを下げることによって予算を浮かせ、高台移転や避難路などの防潮堤に頼らない防災対策に予算を使うべき。
  • 防潮堤などの規模が大きくなると、維持管理・補修などの後年負担が大きくなる。

というところだったと思います。これに対して、計画通りの防潮堤とするべきという意見としては、
  • 防潮堤を低くすると浸水区域が広くなり、避難するのに時間がかかって足腰の弱い高齢者などが逃げ遅れるおそれがある。
  • 防潮堤の高さを前提として、避難路、公共施設の設置場所などの計画が作られており、防潮堤の高さを変えると計画全体を見直す時間がかかる。
  • すべての計画を作り直すために時間をかけるより、早く復旧させることを優先すべき。
  • 高齢者などの足腰の弱い住民が安心して暮らせるようにすべき

というところだったと思います。

「守るべきもの(2014年03月15日 (土))」


震災後3年の時点の上記のような議論からさらに3年が経過した現時点では、後者の意見の悪い点の方が目立っているということかもしれませんし、あるいは前者の意見で優先された点の利点がまだ顕在化していないということもいえるかもしれません。しかし、これらを組み合わせて考えてみたときに、後者の立場で懸念していた事態が発生している(と思われる)現状から、前者の立場から主張された利点が今後それを補うだけ顕在化していくのかは、より長いスパンで評価しなければならないように思います。というより、その長いスパンがかかるということ自体が後者の立場からの懸念だったわけでして、まさに守るべきものの評価は多様であり、それこそが意思集約の困難さを物語るものだろうと思います。

そのほか、ラグビーワールドカップに向けた競技場建設が建設地の復興事業の進捗を妨げているというご指摘も重要だろうと思いますが、もう1つ気になったのはこのご指摘です。

 みなし仮設に居る方達も含め医療費無料化が続いています。民進党と共産党によるものではありますが、これは事実上の県立病院対策でもありますが、それにより被災者は生活保護相当の扱いを継続していると言うことでもあります。生活保護と違い所得の把握をしないため、貯金が随分たまったと言う声もあるようです。そのため被災地の住民からもあまりよく思われていないです。これが住民対立へと向かうことになるんでしょう。
 県立病院以外の民間病院も恩恵は受けていますが、昨年から患者数が減ったということなので、転換点に来たのかと感じる出来事です。
 生活保護相当の扱いを受けた方達が、そのまま生活保護へ向かうのか、その際の所得管理等の把握のためマイナンバーが機能するかどうかということも含めいろいろと転換する動きを感じる6年と約1ヶ月です。

「津波被災の記録146(2017-04-09)」(hahnela03の日記)

医療費の無料化はいわゆる所得再分配に相当するものですから、生活保護相当の扱いというのはその通りだと思うのですが、それがミーンズテストを伴わないものであるため、所得がある層であっても可処分所得としてではなく貯蓄として積み重なっているとのこと。医療そのものは現物給付であるとはいえ、その無料化による現金給付相当の再分配が行われた場合、可処分所得の増加によって消費が増えるというどマクロな方々の想定通りに事が運ぶわけではなく、相当程度は貯蓄に回るのが実態なのでしょう。

その説明として、経済学方面からは将来の増税に備えて将来不安があるからというリカードの中立命題を持ち出して、だから永久国債などという威勢のよい主張がされているようですけれども、こうした実態を見るにつけ、必要な医療・介護・保育などの公共サービスの供給体制が公費で賄われ、その利用が必要原則に応じたフリーアクセス(この「フリー」はいつ誰でも自由にという意味ではありません。為念)を確保することのほうが優先だろうとは思います。まあ、こんな「経済学的に正しい」とは認められない議論には誰も振り向きもしないでしょうから、この状況は相変わらず続いていくのでしょうけれども。
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2017年03月12日 (日) | Edit |
既に日付も変わってしまいましたが、震災から6年、つまり72か月が経過しました。場合によっては昨年の5年目で終わるかとも予想していましたが、今年も政府主催の追悼式典が挙行されました。生前退位に向けた動きもあってか、天皇皇后両陛下ではなく秋篠宮ご夫妻が御出席されたとのことで、そのお言葉がこれまでの歩みを余すことなく拾い上げています。

東日本大震災6年 政府主催の追悼式(NHK NEWS WEB3月11日 15時42分)

東日本大震災の発生から6年となる11日、秋篠宮ご夫妻が出席されて、政府主催の追悼式が東京で開かれ、地震の発生時刻に合わせて、安倍総理大臣や遺族の代表ら出席者全員が黙とうをささげ、震災で亡くなった人たちに哀悼の意を表しました。
政府主催の「東日本大震災六周年追悼式」は11日午後、東京の国立劇場で開かれ、秋篠宮ご夫妻や安倍総理大臣、それに遺族の代表らおよそ900人が出席し、地震が発生した午後2時46分に出席者全員が黙とうをささげ、哀悼の意を表しました。
追悼式には、これまで毎年、天皇皇后両陛下が出席されてきましたが、6周年となるのに合わせて検討が行われた結果、ことしは秋篠宮ご夫妻が出席されることになりました。

この中で安倍総理大臣が、「被災地に足を運ぶたび、震災から6年を経て復興は着実に進展していることを実感します。インフラの復旧がほぼ終了し、住まいの再建や産業・生業の再生も一歩ずつ進展するとともに、福島においても順次避難指示の解除が行われるなど、復興は新たな段階に入りつつあることを感じます。復興の進展に応じた切れ目のない支援に力を注ぎ、さらに復興を加速してまいります」と式辞を述べました。

また秋篠宮さまは「避難生活が長期化する中で、年々高齢化していく被災者の健康や、放射線量が高いことによって、いまだ帰還の見通しが立っていない地域の人々の気持ちを思うと深く心が痛みます。困難な状況にある人々誰もが取り残されることなく、平穏な暮らしを取り戻すことができる日が来ることは私たち皆の願いです」とおことばを述べられました。

この後、追悼式では、岩手、宮城、福島の3県の遺族の代表があいさつしました。
岩手県の遺族代表の千葉陽さんは、「去年、今住む町で、台風による甚大な被害がありました。私にとって、津波を思い起こす出来事でした。災害からなんとか生き残った者として、精いっぱいに生きることを全うすること、そして、さまざまなことで起きる『つらさ』を『幸せ』に変えられるように、今の自分が持てる力が役立つのならば、少しでもできることをしていきたいと思います」と述べました。

宮城県の遺族代表の佐藤昌良さんは、「過酷な経験を後世に色あせることなく語り続けるため、あの悲しみを忘れません。あのつらさを忘れません。あの無力さを忘れません。あの寒さを忘れません。両親の無念の思いに応えるため、火葬を済ませてすぐに東京の職を辞し、父の背中を追い、現在は地域建設業の経営者として復興の最前線に立っております。全国から頂いた善意の力を借りながら、ふるさとの復興を必ず成し遂げて参ります」と述べました。

福島県の遺族代表の石井芳信さんは、「川内村は、比較的放射線量が低く、一部の地域を残し1年で戻ることができました。今では全村の避難も解除され復興も着々と進んでおりますが、若い人たちが子どもの教育問題などから村に戻らないという課題なども多く、以前のような村の姿には程遠い現況にあります。みんなで力を合わせ復興と再生を進めていくことが私たちの責務であると考えます」と述べました。

この後、追悼式では、各国の代表ら参列者が献花を行い犠牲者を悼みました。

秋篠宮さまのおことば 全文

6年前の3月11日午後2時46分、私たちが今までに経験をしたことがない巨大な地震とそれに伴う津波が、東北地方太平洋沿岸部を中心とした東日本の広範な地域を襲いました。そして、この地震と津波によって、2万人近い人が命を落とし、また2500名を超える人の行方がいまだ知られておりません。
ここに、本日、参集したすべての人々と共に、震災によって亡くなった方々とそのご遺族に対し、深く哀悼の意を表します。この6年間、被災地においては、人々が互いに助け合いながら、数多くの困難を乗り越え、復旧と復興に向けた努力を続けてきました
そして、そのことを支援するため、国内外の人々が、それぞれの立場において、様々な形で力を尽くしてきました。その結果、安全に暮らせる住宅の再建や産業の回復、学校や医療施設の復旧などいくつもの分野において着実な進展が見られました。また、原子力発電所の事故によって避難を余儀なくされた地域においても、帰還のできる地域が少しずつではありますが広がってきております。今まで尽力されてきた多くの関係者に対し、心からの感謝と敬意を表するとともに、復興が今後さらに進んでいくことを祈念しております
しかし、その一方では、被災地、また避難先の地で、困難な生活を強いられている人々が今なお多くいます。特に、避難生活が長期化する中で、年々高齢化していく被災者の健康や、放射線量が高いことによって、いまだ帰還の見通しが立っていない地域の人々の気持ちを思うと深く心が痛みます。困難な状況にある人々誰もが取り残されることなく、平穏な暮らしを取り戻すことができる日が来ることは、私たち皆の願いです。東日本大震災という、未曽有の災害のもとで、私たちは日頃からの防災教育と防災訓練、そして過去の災害の記憶と記録の継承がいかに大切であるかを学びました。この教訓を決して忘れることなく、私たち一人ひとりが防災の意識を高めるとともに、そのことを次の世代に引き継ぎ、災害の危険から多くの人々が守られることを強く希望いたします。様々な難しい課題を抱えつつも、復興に向けてたゆみなく歩みを進めている人々に思いを寄せつつ、一日も早く安寧な日々が戻ることを心から願い、御霊への追悼の言葉といたします。

※ 以下、強調は引用者による。


この国に住む住民の一人として深く共感して肝に銘じるとともに、多くの方とこの簡潔な言葉の中に込められた思いや願いを共有できればと思います。

さて、気が付いたら年明けから実質的なエントリをアップしないまま震災から6年目の節目を超えてしまいました。言うまでもなく、この数か月の超過勤務時間が月当たり三桁時間を超えて週休日って何それ?という激務のため更新できなかったわけでして、おかげさまで社畜ライフを満喫させていただき、なんとか作業も一段落したところで一応生存確認を兼ねてエントリをアップしようと思ったら、すでに震災から6年目のエントリとなってしまったという次第です。

でまあ、秋篠宮様のお言葉を共有したところで終わってもいいのですが、念のために、私自身は山口先生が震災から2年後に指摘されていた「「よりよく忘れる」ということ」に特に付け加えることはないと考えております。秋篠宮様のお言葉にあるとおり、忘れることなく伝えていくべきことは「私たち一人ひとりが防災の意識を高めるとともに、そのことを次の世代に引き継ぎ、災害の危険から多くの人々が守られること」であって、被災地そのものへの関心が薄れることはやむを得ないことだろうと思うとともに、ある面ではそれも必要ではないかとも思います。

「被災地」という意識が当事者にもその他の方にも強すぎると、支援する/されるべき対象という区分けがいつまでも残ってしまい、そのこと自体が新たな問題を引き起こす可能性もあるように思います。例えば数日前に炎上した案件ではこんなものがありました。
「なんか、『福島米食べてます』って言えない自分がいる」――。お笑いコンビ「クワバタオハラ」のくわばたりえさん(40)が漏らした福島産の食材に対する「本音」が、インターネット上で激しい賛否を広げている。

くわばたさんは、東日本大震災による「風評被害」を特集した2017年3月8日放送の『あさイチ』(NHK総合)に生出演。検査で安全が保障されていると理解しつつも、福島産の米に「抵抗」を感じてしまうことについて、複雑な思いを吐露した。

(略)

こうしたくわばたさんの「本音」をめぐり、ネット上では賛否の大きく分かれた意見が出ることになった。ツイッターやネット掲示板には、

「くわばた、福島の米は買わないとか。そんな人間をなぜ番組に呼ぶの? 風評被害をぶっ飛ばせ目的かと思ったら、逆の印象を与えそう」
「見損なった。福島の米を買わないからではなく、買わないことを公言してそれを自己正当化して、影響の大きなテレビ番組で言い放ったから」

と激しく反発するユーザーもいれば、その一方で、

「安心と安全は違うという典型的なやつで くわばたはまさにそこをしっかり説明してる」
「発言がネガティブに見えて実はニュートラルだよね。福島のものは大丈夫!みなさん食べましょう!!なんて歯の浮くようなこと言うやつよりはるかに信用できる」


とくわばたさんの発言に理解を示す声も数多く出ていた。

くわばたりえ「福島米食べてます、って言えない自分」 NHKで本音連発に複雑な反応(J-CASTニュース 2017/3/ 9 15:46)

いやまあくわばたりえ氏(というと堅苦しいですが一応敬称をつけます)の発言は引用しませんでしたが、その意図をネット掲示板のユーザーなる方々がどこまで理解しているのかという一抹の疑問はありつつ、ここで取り上げられているコメントはくわばたりえ氏のものも含めて、「福島県という被災地」をひとくくりにして個別に判断しようとするものではないように思います。

しかし、だからといってすべての住民が自分ですべてを調べて自分で判断すべきかといえば、それも絶望的に難しいのが実態だとも思います。

対話は活発だったし、なにより、参加者は熱心にメモをとっていた。
集会が終わった後、西澤さんと専門家は「これは成功だ。他の仮設住宅でもやるべきだ」と話していた。
ところが2012年1月末、集会に参加した住民の感想を聞いて、西澤さんは愕然とする。
「先生、この前の話、全然おぼえてない」と子育て世代の女性は話しはじめた。
「バナナにも(放射性物質が)あるって言っていたから、娘にバナナ食べさせるのやめたんだ」
比較のために、バナナの事例を出したが、バナナを食べないようにという話はしていない。西澤さんはもう一度、女性に尋ねる。
「えー。あれだけメモとってたじゃないですか」
「うん、でもあとはラドン温泉の話くらいしか覚えていない」
「そうですか……。わからなかったこと、次に聞きたいことあります?」
「先生、放射能の話は難しいんだよね。なにを質問していいのか、わからないんですよ」
専門家としては、住民の関心にあわせてわかりやすく説明したつもりだったが、住民は覚えていない。

(略)

西澤さん自身の言葉で、ズレが生じた理由を分析してもらおう。

いま思えば、当然のことですよね。
リスクは、科学的な観点からだけでなく、社会的な観点や、個々人の受け取り方という観点からも論じないといけない。
科学的な説明で納得できる人はいいけど、人の納得の仕方はそれぞれの状況でまったく異なる。
対話に参加してくれた人たちのなかでも、住民対象の説明会に参加して、専門家の説明を聞いた人は多かった。
そこでも散々、科学的な説明はあるんです。彼らは「専門家はどうせ、また村は安全っていうんでしょ」と思っているんです。
事故が起きてから、飯舘村が計画的避難区域に指定されるまでだいたい1カ月。人によっては、避難するまで、村に住み続けたことを強く後悔しています。
私がやった対面のインタビュー調査で、あがってきたのはこんな声です。

  • 「あのとき、孫を遊ばせた雪のなかにたくさん放射能がついていたんじゃないか」
  • 「避難前に外で遊ばせていた。もし将来なにかあったら、それは私の責任だ」
  • 「小さな子供たちは、自分は結婚できない、結婚しても子供ができないと考えている」

この不安に対して、専門家は「科学的には、この程度の放射性物質で影響はありません」「広島、長崎の研究を踏まえれば〜」と説明する。
これは科学的には正しい。でも、コミュニケーションとしては失敗しています。
彼女たちが求めていたのは、知識ではなく、まず自分がしてしまったことを受け止めてほしいということ。
自分が悩んでいることであり、知識を聞いてもどうしても消えない不安がある、と知ってほしかったんですね。
ここからズレているんです。

西澤さんは、原発事故後の対応では、行政だけでなく専門家も不信感を持たれた、と考えている。
インタビュー調査にある住民の声が「不信感」を象徴している。

「子供がいる世帯は避難したほうがいい、ともっと早く言ってほしかったのに、(2011年4月上旬に)質問しても『年間被ばく量がどうだこうだ』とか難しいことばかり言われて、答えてもらえなかった」

「大丈夫、大丈夫という科学者の声を信じてきたけど、結局、避難することになった。それなら、逆に事態が深刻です、という人のほうが信用できる。(講演会にいっても)どうせ安全というに決まっている」


いちど失った信頼は、容易には取り戻せない。

(略)

「住民が聞きたいことを引き出し、専門家が伝えたいこととすり合わせること。聞きたいことと、専門家が伝えたいことのミスマッチを可能な限り減らす場をつくること」
これが西澤さんの教訓だ。そして、ミスマッチを放置してはいけないのは、いまだ福島を巡って繰り返されるニセ科学やデマの素地になっているからだ、と指摘する。
人はどうしても、自分の仮説や信念に都合のいい情報ばかり集めてしまうバイアスがかかってしまう。
前述したように、いちど専門家に不信感を持ってしまったら、人はどんな情報を集めるようになるか。
「事態が深刻だという人」の声を集め続けることになるだろう。
不安につけ込むように、インターネット上に大量に、危険を訴えるデマや誤情報も入ってくる。例えば「福島県産食品は実は危ない。子供たちに食べさせてはいけないのだ」。

福島県産食品のデータを調べれば簡単に否定できる情報だが、よかれと思って善意から忠告する人もいる。

【東日本大震災】なぜ福島デマが残り続けるのか?専門家が勘違いしてたこと(BuzzFeed News posted on 2017/03/05 11:01)


人は知りたいことしか聞かないし見ようともしないというのは、私のような実務屋にとっても痛いほどよくわかることなのですが、「よかれと思って善意から忠告する人」には対処のしようがないというのも現実ではないかと思うところです。この現実にこれからも向き合っていくことが、復興の一つの側面でもあるのでしょう。

2016年09月18日 (日) | Edit |
1週間遅れとなりましたが、先週で震災から5年と半年が経過しました。月数では66か月です。この間にも多くの災害が発生しており、先月末の台風10号で甚大な被害が発生した被災地もあります。改めて犠牲になった方への哀悼の意を表するとともに、被害に遭われた方へお見舞い申し上げます。岩手県久慈市では震災に匹敵する被害額となっているとのこと。

<台風10号>久慈市被害額 震災上回る可能性も(デーリー東北新聞社 9月8日(木)11時43分配信)

 久慈市は7日、台風10号による市内の被害額が5日午前10時現在で、66億1276万円に上ると発表した。被害額の公表は初めて。家屋被害などは含まれておらず、今後調査が進めば金額は増加する見通しだ。分野別では、大規模な浸水被害に見舞われた市中心街の商工関係や、山間部での路肩崩壊などがあった道路関係で被害額が大きい。

 同日の市議会議員全員協議会で市側が報告した。

 市災害対策本部によると、東日本大震災の被害額は310億9015万円。今回の台風被害はこれを上回るか匹敵する規模の被害額に膨らみそうだ。


岩手県の北部地域でも東日本大震災で大きな津波被害が発生しましたが、震源地から遠いこともあり、内陸部ではそれほど影響がありませんでした。しかし今回の台風では、内陸部の北上山地から沿岸部にかけて大量の降雨があったため、山から流れてきた河川の氾濫も相まって、内陸部を中心に大きな被害が発生しています。このため、東日本大震災で比較的被害が小さかった地域でそれに匹敵する被害額となっているといえます。さらに本州最大の面積を有する岩泉町での被害額は、担当する町職員の人手が足りずに調査が進んでいない状況です。

<台風10号>岩泉町の被害全容把握遠く(河北新報 2016年09月07日水曜日)

 台風10号の豪雨災害で15人が死亡した岩手県岩泉町の被害は、1週間がたっても全容判明の見通しが立っていない。被災家屋の調査は始まったばかり。人手が足りず、広大な町の被害を把握するには時間を要する。安否不明の住民は6人で、調査が進めば犠牲者がさらに増える恐れがある。
 3日に始まった被災家屋の調査で、町税務出納課の職員が岩泉向町集落に入った。6日までに160戸を調べ終えたが、罹災(りさい)証明書の受け付けの見通しが立つ状況ではないという。
 東日本大震災で同町は、海に面した小本地区で被災家屋を調査した経験がある。しかし、ある町職員は「震災では一部だったが、今回は町全域が被災した。被害を把握する人手が足りない」と違いを説明する。


岩泉町は「昭和の大合併」以来合併していないため、いわゆる「平成の大合併」で多く誕生した大規模市町村のように合併で(一時的にではあっても)職員が増えたという要因がありません。東日本大震災の復興事業のために他自治体からの応援職員や任期付採用職員は増えていますが、彼らは震災被害があった地域の事業に特化しているわけで、町全体に詳しいプロパー職員そのものは少ないわけです。

当然、今回の台風被害への対応として他自治体からの応援職員も徐々に入り始めているようですが、NHKの「明日へつなげよう」のシリーズの中で、震災当時の大槌町では応援職員の受け入れさえできない状況であったことが、当時の町職員の生々しい証言でまとめられていました。番組の概要はこちらにアーカイブされています。

2016年8月28日(日)放送
証言記録・東日本大震災 岩手県 大槌町 ~行政機能を失った町役場~
東日本大震災で1277人の死者・行方不明者を出した大槌町。町役場も津波に飲まれ、140人の職員のうち、およそ3割が犠牲になった。町長と幹部、役場庁舎を一度に失った大槌町は、機能不全に陥った。助かった職員たちは、家族や同僚を失った悲しみを和らげる余裕もなく、救援物資の受け入れ、避難所の運営などに奔走した。しかし人手不足は深刻で、被災した住民へのサービスも停滞。職員たちは、精神的にも追いつめられていった。災害対応の要となるべき町役場が被災した時、どんな困難に見舞われたのか、対応にあたった大槌町職員の証言で見つめる。

「明日へつなげよう これまでの放送」(NHK ONLINE)


この中で、震災直後に総務課長を代理していた現町長の平野氏が「応援を受け入れる余裕がなかった」と証言されていて、こちらのブログで批判されています。

 今回のドキュメントは、そういう意味で非常に多くの教訓を得るものだと思いますが、ただ気になったことは現町長となった平野氏が県からの支援要請を「余裕が無い」と受け入れなかったこと。これは当時、町のトップを失った状況という非常時を斟酌したとしても、今後に繋がるものではないと指摘しなければなりません。

(略)

 何でそこをこだわるのかといえば、地方自治体の根幹に関わるからです。どうやら現政権は「緊急事態条項」なるものを持ち出して、自然災害など「緊急事態」になったら、市町村や都道府県などすっ飛ばして、国があらゆる権限を一括して手にして強引に物事を進められるようにしたいと目論んでいます。

 そのモデルとして大槌町の今回のケースが挙げられたら、たまったものではありません。やり方一つで県と連携をとって上手くいけたものを、国が乗り込んできて強権的に進めるような形にする口実にしてはダメだと思います。そこのところを町長さん、しっかりと検証して今後の防災対策に生かしてくださいと言いたいですね。

「【明日へ―つなげよう―】証言記録 岩手県大槌町~行政機能を失った町役場~(2016-08-31 22:49:29)」(じゅにあのTV視聴録)


県庁からの支援の申し入れ(上記ブログでは「支援要請」となっていますが)について、インタビューでは(おそらく)思わず声が大きくなって「そんな余裕はなかった」と断言されていて、それについての感想が上記の引用部分です。平野氏はもおそらくこうした批判があることを予想されていると思いますが、それに対する印象として上記ブログのような反応は当然でしょう。その上で、ではこちらのブログ主さんのおっしゃる「やり方一つで県と連携をとって上手くいけた」というのはどういうものなのか教えてほしいというのが平野氏の率直な考えではないかと思います。

もちろん、人手が多くなることで対応できることも増えますが、応援を受け入れるというのはそういう緊急時のレベルではなく、その後の非常時からの復旧の過程で行政としての活動を系統立って継続するためのものです。ここで留意しなければならないのは、市町村が大きな被害を受けたからといって県庁職員が乗り込めばすべて上手くやれるとは限らないということです。番組では県庁職員が被災した町役場からデータの入ったサーバを取り出したことが取り上げられていましたが、これはそうした系統だった行政活動を継続するためのインフラの確保であって、その主体として県庁が活動したわけではありません。行政活動の主体としての役場の体制が整わなければ、いくら外部から応援しようにも効果的な応援にはならないわけです。

大槌町では、幹部職員が壊滅に近い状況となって系統だった活動ができない状況にあったため、緊急時から非常時への移行が上手くいかなかった点はあると思いますし、そのような状況を想定した対応に不備があったことは事実だろうと思います。震災当時の状況を根拠とする「緊急事態条項」についてはあちこちで批判されていましたし、その実態は個別に精査しなければならないと思いますが、かといって、現実に活動の拠点となる庁舎が使い物にならず、幹部が壊滅状態となったときに、事前の準備だけでうまくいくかは疑問です。番組でも町と県の関係を地方自治法の「基礎自治体優先の原則」の枠内で考えることの限界が指摘されていましたが、非常時にそうした対応が必要となることを想定することも必要なことではないかと思います。

2016年08月15日 (月) | Edit |
震災後は毎年この時期にお盆のエントリをアップしておりましたが、戦後70年の節目とも重なった去年に比べて、報道での取り上げ方もだいぶ落ち着いてきたようです。

「息子よ、今どこに」 東日本大震災6度目の盆(2016/08/13 岩手日報)

 13日は盆の入り。被災地は東日本大震災から6度目の供養の時期を迎えた。釜石市大只越町の仙寿院(芝崎恵応住職)では12日、同市小川町の平松郁男さん(72)が行方不明の長男聡さん=当時(34)=の冥福を祈った。震災から5年5カ月。「今、どこにいるのか」。強い日差しの中、思いをめぐらせた。

 市内中心部を望む高台にある同寺院。港から海風が吹き抜ける。平松さんは娘夫婦らと本堂奥に安置されている聡さんの位牌(いはい)の前に線香を立て、深く、静かに手を合わせた。大槌町の医院に歯科技工士として勤めていた聡さんは、車で避難途中に津波に巻き込まれたとみられる。その後、火災で焼失した車は発見されたが、どの安置所を訪ねても、会うことはかなわなかった。

 芝崎住職(60)の下で葬儀を執り行い、遺骨を入れる箱には「せめて、気に入っていた物を」と本人の衣服を納め、本堂に安置している。今も週に一度は妻と足を運ぶ。「来年は七回忌になる。お墓に納めなくてはならない気持ちもある」と胸中を語る。

 本堂奥には、震災で犠牲になった同市の身元不明遺骨9柱も安置されている。引き取り手がいなかったり、墓地のかさ上げ工事のため納骨できない遺骨もあり、故人と向き合う場所にもなっている。

【写真=長男をしのび手を合わせる平松郁男さん(左)。被災地は犠牲者を供養する時期を迎えた=12日、釜石市・仙寿院】

(2016/08/13)

早いもので、東日本大震災で命を落とされた方は来年で七回忌となることもあり、特に遺体の見つかっていない遺族にとっては、警察などによる遺体の捜索に期待を寄せるしかない状況があります。このため、地元警察では月命日の集中捜索を継続しています。

家族の願い胸に懸命に 震災5年5カ月で集中捜索(2016/08/11 岩手日報)

東日本大震災から5年5カ月を前に、久慈署(及川哲也署長)など沿岸3署は10日、行方不明者の集中捜索を行った。署員は手掛かりを求める家族の願いを胸に、懸命に活動した。

 同署では、署員6人が普代村と久慈市の計4カ所を捜索。同村馬場野の堀内漁港海岸では、署員4人がとび口を手に岩や漂流物を動かすなど入念に捜索した。

 同署地域課の村上和之警部補(34)は「行方不明者の家族の気持ちに応えたい。捜索を続けていれば、手がかりの発見につながるはずだ」と力を込めた。同署管内の行方不明者は同日現在、同市2人、同村1人。県内は1123人。

 同日は大船渡、宮古の両署でも捜索を実施。11日は釜石署が17人態勢で釜石市の海岸線と海上で捜索する。

【写真=とび口を使い、岩の間の漂流物などを入念に確認する久慈署員=普代村馬場野】

(2016/08/11)

「遺族の気持ちに寄り添う」とか「被害に遭われた方の思いを尊重する」というと聞こえはいいのですが、当然これらの活動には金銭的・人的なコストが必要となります。もちろん、私自身はそうした当事者の意向は最大限尊重すべきと考えていますが、一方では被災した港湾の復旧や新たな市街地の整備が進む中で、捜索が可能な区域は限られてきています。経年変化によって物理的にも遺体を発見することが難しくなることも踏まえると、どこかの時点でその実施方法などを見直す時期も近くなっているのではないかと思います。

熊本・大分の震災では最後の行方不明者が見つかったとのことですが、

熊本地震 遺体は不明の大学生と確認(NHK NEWSWEB 8月14日 18時42分)

熊本県南阿蘇村の崩落した阿蘇大橋の下流で、今月11日に収容された遺体について、警察がDNA鑑定を進めた結果、一連の熊本地震でただ1人、行方不明となっていた阿蘇市の大学4年生、大和晃さんと確認されました。
阿蘇市の大学4年生、大和晃さん(当時22)は、4月16日に地震で崩落した南阿蘇村の阿蘇大橋付近を車で走行していたとみられ、行方が分からなくなっていました。
熊本県などが捜索した結果、阿蘇大橋の下流で10代から30代とみられる男性の遺体が見つかり、今月11日に収容して警察がDNA鑑定を行いました。
その結果、大和晃さんと確認されたということです。
大和さんの父親の卓也さんは、「晃しかないと思っていましたが、少し不安もあったので鑑定で間違いないことが確認できて安心しました。あとは手元に帰ってくるのを待つだけです」と話していました。
熊本県などによりますと、これで一連の熊本地震で亡くなった人は災害関連死と認められた人などを含め72人となりました。

父 卓也さん「これでやっと終わってくれる」

大和晃さんの両親の元には、14日午前11時前、熊本県の担当者から「晃さんと確認された」と連絡があったということです。両親はこれまでほぼ毎日、阿蘇大橋の下流などで手がかりを捜し、乗っていた車も両親などによる捜索で見つかりました。
父親の卓也さんは「鑑定の結果を聞いて、これでやっと終わってくれると安心しました。望むことは晃を引き取って供養するだけです」と話していました。

母 忍さん「どうやって温かく迎え入れるか考えています」

母親の忍さんは「地震から4か月がたって、やっと帰りたかった家に帰ってくる晃をどうやって温かく迎え入れるかを考えています。ただ『お帰り』と言うだけでなく、ふだんの生活とは違った形で迎え入れることができたらいいなと考えています」と話していました。

熊本・大分の震災が内陸の直下型地震であることも理由の一つかもしれませんが、何とかお盆中に遺体を確認できたとのことで、警察をはじめとする捜索関係者のご尽力に敬意を表します。お盆で休暇中の身としても、先祖の供養ができることとその影にある関係者の働きに思いをはせたいと思います。

2016年06月12日 (日) | Edit |
日付が変わりましたが、昨日で震災から5年3か月が経過しました。いま現在の国内の震災と言えば熊本震災になりますが、東日本大震災から5年程度で最大震度7を記録するような直下型地震が発生する地震大国であることを、改めて認識しなければなりません。その熊本震災からの復旧・復興はこれから本格的に動き出さなければならない段階に入りますので、その意味でも東日本大震災の経験を伝えていくことは重要な取組です。

(私の同業者ではないものの)私の周囲に熊本県の現地で支援活動をしてきた方がいらっしゃって、その話を聞く機会があったのですが、東日本大震災とは異なる直下型地震のため、被害の発生状況がまだら模様になっており、通常営業しているコンビニの隣に潰れた家屋が並んでいるなど、支援が必要な人とそうではない人の扱いが難しいという状況もあるそうです。そして、避難所の運営や物資の供給などでは東日本大震災の経験はほとんど活かされてないという印象で、これまでの自分たちの取組は、やはり遠くの土地の方にとっては他人事だったんだなと無力感を感じたとのこと。いやもちろん、私自身も阪神・淡路大震災や中越地震などは他人事に感じていましたし、初めて経験するような非常事態にすべてのことが円滑に進むという方が無理な想定でしょう。さらに、5年という時間の経過も微妙に影響しているかもしれません。

ということで、震災の経験を伝えていき、現時点でその経験がどのような形に表れているかを折に触れて確認することは、被災された地域かどうかに関わりなく重要なことだろうということで、例年3月頃に向けて発行される震災関連本を3冊ほど読んでみました。拙ブログの主な関心分野が社会保障や労働の分野ですので、どうしてもそこに注目してしまうのはご容赦いただきたいところでして、読んだ本すべてで「人材育成」とか「教育」に震災の経験を活かそうとすることが強調されているのが気になりました。まずは前回エントリでもちらっと取り上げた陸前高田市出身の元国連職員による活動報告ですが、

 インフラの復興も、産業の復興も、コミュニティの復興も、それを担うのは人です。全国、全世界から集まってくださった“人”の力、寄せられた“人”の思いで、陸前高田は絶望の深い闇を乗り越え、前に進むことができました。
 そう考えると、これから10年後、30年後、100年後の復興を可能にし世界に恩返ししていくためには、この岩手の地から“人”を育て、世界から“人”を集めることこそ眼目となるでしょう。
 思えば、私が外資の世界や国連でやってきたことの一つも「人事研修」という、いわば教育の仕事でした。それで、2014年4月に岩手大学の地域防災研究センターと人文社会科学部それぞれの客員教授に就任し、あわせてグローバル教育センターのアドバイザーもお引き受けすることにしました。
pp.187-188
陸前高田から世界を変えていく
元国連職員が伝える3.11
■ 著者名: 村上清
■ カテゴリ名:書籍/単行本
■ 発刊日:2016年03月05日
■ 判型:四六判
■ ページ数:224
■ 税込価格:1,620 円(本体 1,500 円)
■ ISBNコード:9784267020476
■ Cコード:0095


※ 以下、強調は引用者による。

「人事研修」が「教育」というのは、英語でいえばtraininingとeducationなのでかなり強引な結びつけではないかと思うのですが、村上氏ご自身も日本型雇用を前提にしている節があるので、ここでいう「人事研修」は全人格的なコミットメントを求める日本的な人材ということのようです。いやもちろん、村上氏ご自身がアメリカでは「ホワイトカラー・エグゼンプション」に該当する働き方をしていたわけで、それがある程度の長期雇用によるスキル習得を必要とする雇用形態であれば、ある程度は日本型雇用慣行に接近するのでしょうけれども、少なくともそれは、特定の「職務」に必要とされるスキル習得のためのtrainingではないだろうと思います。

たとえば、最近自治体が自衛隊での研修を取り入れて一部で批判を受けているようですが、

加東市の新人職員、自衛隊で研修 規律意識向上へ(2016/5/25 05:30神戸新聞NEXT)

 兵庫県加東市の新人職員11人が24日、研修の一環で、小野市桜台の陸上自衛隊青野原駐屯地で体験入隊した。25日までの日程で、屋外での集団行動などを通してチームワークや規律意識の向上に努めた。
(略)
 職員たちは、開講式に続いて、災害時の地方自治体と自衛隊の連携の重要生などについて講義を受けた。その後、屋外グラウンドに移動して、「気をつけ」「敬礼」などの動作を身に付ける「基本教練」に挑戦。隊員から「共に行動することで団結力が強まる」などと指導を受けながら、きびきびと縦列行進した。

「災害時の地方自治体と自衛隊の連携の重要生(ママ)」はまだしも、「「気をつけ」「敬礼」などの動作を身に付ける「基本教練」」は自治体職員の「職務」はほとんど関係ないですね。いやまあ、「公務員の接遇はなってないから厳しく指導されるべきだ」というならまだわからないでもないですが、それを研修する場所が自衛隊なのかというのは大いに疑問です。

本書で村上氏が指摘されるように、復興を担う人材が必要というのはその通りだと思いますし、その取組は学校教育の段階から行われるべきだとは思いますが、役所や企業の「研修」で行うというのは、職務に関係する以外は自己啓発とかボランティアの範疇にどこまで関与するか整理しておく必要があると思います。もちろん、自己啓発やボランティアに積極的に取り組むことで仕事の進め方にもいい影響が出る可能性があり、それを役所や企業が期待して「研修」として実施するということはありうると思いますが、そうであるならその目的をはっきりさせないと、引用した新聞記事のように目的が曖昧な「研修」になってしまうことが危惧されます。

現役の朝日新聞記者が岩手県大槌町駐在として取材した手記では、学校段階の取組が取り上げられています。

 伊藤教育長は1996年から3年間、米・ワシントンで日本語学校の校長を務めたことがある。「人としてどうあるべきか」を教えようとする日本に対し、米では「自分とは何か」に迫る教育をしようとしていた。目からうろこが落ちた。大槌に帰り、子供たちに昔話を聞きに行かせたり、田を一年中借りて農作業をさせたりして、自分の生まれたふるさとを実感させる授業を採り入れた。
 震災を経て、その気持ちはさらに強くなった。「まちづくりは人づくり。今こそ『3.11』まであったふるさとの継承と、新しいふるさとの創生。両方をしっかり教えないと」。
 震災3カ月後、伊藤教育長は武藤美由紀指導主事を教育長室に呼んで提案した。
「『ふるさと科』というのをつくってみたい。教育復興の柱にしたい」
 伊藤教育長は、小中合同の仮設校舎ができるのを前向きにとらえ、小中一貫校にする構想を立てた。9年間を通す軸に、これを据えようと思った。
p.97

理念なき復興 新刊
岩手県大槌町の現場から見た日本
東野 真和 著
ISBN 9784750343174
判型・ページ数 4-6・312ページ
出版年月日 2016/03/11

大槌町内の学校再開については以前取り上げた本が詳しいのですが、「「人としてどうあるべきか」を教えようとする日本に対し、米では「自分とは何か」に迫る教育」というのは大変示唆的な言葉ですね。学校が「社会人」を準備する機能を有するとすれば、「人としてどうあるべきか」は「社会人としてどうあるべきか」ということであって、その「社会人」がメンバーシップ型の日本型雇用慣行を前提とする以上、「メンバーシップとして働くためにはどうあるべきか」に容易に転化していくわけです。これに対して、ジョブ型の働き方を前提とするアメリカでは「自分とは何か」に迫ることで、自分が就くべき「職務」を意識せざるを得ないものと思われます。つまり、自分がこれからどのような形で社会に参加していくかを考える場が学校であり、そのために必要なスキルを身につけるのが学校の重要な機能であるのは日本でも欧米でも共通しているはずですが、その目指すところの違いが、日米の教育の違いに現れているといえるのではないかと。

その「ふるさと科」では、地元の若手自営業者がさんかする「はまぎく若だんな会」が作成した「117選 大槌お宝マップ」を教科書代わりにしているとのことで、内容は郷土料理や伝統行事などがメインのようですが、若手自営業者が自らの職域についても語ることができれば、まさに「職務」を通じて社会に参加する一助となるのではないかと思います。新しい取組が復興を担い、地域を担う人材を育成する新たなルートとなることが期待されます。

ただし、本書もさすがの朝日新聞クオリティで、

 2016年1月、おおつちさいがいエフエムは、3月末で閉局することを正式に決めた。2012年3月から4年間、町民に親しまれてきた。碇川豊前町長当時、国に要望し、災害FM局の経費に国の緊急雇用創出事業の助成金が継続してあてられるようになり、来年度までの予算を確保していた。しかし、平野公三新町長が事業見直しをした結果、「一定の役目を終えた」と判断し、打ち切った。

東野『同』p.161

いやだから緊急雇用創出事業は委託事業であって助成じゃないと何度言えば…。まあ制度のことは知らなくても記事は書けるわけですから新聞記者はお気楽な仕事ですなあなどと嫌みを言いたくなるのをぐっとこらえて、本書の記述自体は、冒頭で筆者が「この本は「税金の無駄だ」と告発する本でもないし、「被害者は可哀想」と同情心をあおる本でもない」という通り、中立的に書こうとしている意思は感じます。とはいえ、特定の立場や団体に肩入れしている雰囲気はかなり感じるところでして、情報源には批判を抑えているのではないかと思われる記述が散見されますので、その点には注意が必要ではないかと思います。

で、3冊目があの岡本全勝氏の編著による本なのですが、…さらに長くなりそうなので次のエントリに続きます。