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2018年04月21日 (土) | Edit |
今年はずっとパワハラを取り上げてきたところですが、ここ数日は財務省事務次官によるセクハラが話題となっているようでして、パワーだろうがセクシャルだろうがハラスメントが認められるこんな世の中じゃPOISONと言いたくなる気持ちもわかりますね、ただまあ、拙ブログではいつも繰り返している通り、パワー・ハラスメントは、パワー(指揮命令権)とハラスメントを峻別する必要があると考えていますが、その一方、セクハラはパワー(指揮命令権)そのものを問題とするより、その性差をことさらに利用して心身にダメージを与えることを問題視しているといえましょう。と考えてみると、パワハラとセクハラは似て非なるものであると整理しておく必要がありそうです。

いやもちろん、雇用契約なり請負契約なり派遣契約なり、およそ労務の提供を授受する関係においてあらゆるハラスメントを認める必要はないというのが原則であろうと考えます。その上で、そのハラスメントの根拠がパワー(指揮命令権)であるのか、あるいは態様が性差をことさらに利用したものなのかという分類の仕方によって、その対応が変わるという理解が素直ではないかと。

その前提に立つと、パワハラについてはこれまでパワハラクソ野郎について書いてきたとおり、

つまり、OJTが試行錯誤をさせてその取組の中で職務遂行能力を向上させるものであることを目的とするものであることから、当然の帰結として、部下はかなりの割合で「錯誤」することになります。それに対して上司は、試行錯誤の「錯誤」の部分について助言・指導を行う必要があり、その際に、人格を否定して人権を侵害するような暴言を吐いたり、ときには暴力を振るったりしてその「錯誤」を攻め立てることがハラスメントになるわけです。

(略)

つまり、大規模な組織において「論理的」なるものは、実は誰にとっても都合よく読める程度には玉虫色のものにせざるを得ないわけでして、その玉虫色の決着を有利に形成する際には、「あるときは徹底的に論理的に、あるときは表向き論理的に」という使い分けが有効ということになります。

そしてこの状況で最も事を有利に進めることができるのが、まさに論理的と非論理的を使い分けてパワハラを駆使するクラッシャー上司であり、だからこそクラッシャー上司は高評価されて出世もするのですが、その結果として、一見論理的に見えてもその実上司が自分の思い込みで判断した結果にすぎないということが頻発し、その組織における「論理的」なるものが内実を失っていくのではないかと思います。というか、大企業病とか役人病というものの大半はこれで説明可能ではないかとも思うところでして、この国の意思決定をまともな方向へ進めたいと思う方々は、まずパワハラを駆使するクラッシャー上司という社会的害悪を何とかしないといけないのではないでしょうかね。

パワハラを駆使するクラッシャー上司(2017年08月06日 (日))

というように組織の意志決定を歪める社会的害悪であって、それを認めるような組織風土や企業文化を排除できない組織は早晩行き詰まるだろうと考えておりますが、セクハラについても、場合によってパワハラと同じような社会的害悪となりうるということが今回の件で明らかになったことではないかと思います。

ただし、パワハラとセクハラでやや様相が異なるのは、パワハラでは、パワハラする側が自らの地位や気分を害すると思う相手に対して一方的な罵倒や人格否定を行い、パワハラの対象者には一切の利益がないのに対し、セクハラは、する側とされる側双方にそれなりの対価がある場合に発生しやすいという点です。

前々回エントリでも取り上げた厭債害債さんのところで重要な指摘がされている通り、

しかし前のエントリーにも書いたように、本来は自社の女性社員を守るためにこれまで何らの行動をとらず、むしろネタどりなどのためにあえてセクハラを受けやすい女性社員を、わざわざ夜の席で一対一になることを許容してきたそのメディアのほうも大いに糾弾されるべきであり、仮にその行為を(本人が嫌がっているのに)営業のためにやらせていたとしたら、そちらの方も全く同罪なのです。福田次官が辞任するとしたら、そのテレビ局の担当部長や役員クラスが処分されるべき事案だと思います。むしろそのプロット自体が女性の犠牲のもとにビジネスを遂行するという陰湿なプランに裏打ちされているため、非常に嫌悪感を感じる部分です。

ただ、女性担当者は、さっきも言ったように仕事にまじめであったり功績をあげたいという強い気持ちで、そういうリスクを犯したり、あるいはもっと踏み込んだ行動に出かねない。保険会社での枕営業というのも昔から言われていることです。そういう事実があるということを踏まえて、単なるきれいごとで本件を扱ってほしくないなぁというのは正直なところです。

「マドンナ作戦(2018/04/19 02:09)」(厭債害債(或は余は如何にして投機を愛したか))

セクハラの被害を受けたご本人の自発的な行動なのか、あるいは会社の指示であったのかはともかく、セクハラの対価として「ネタ取り」が企図されていたことは否定できないでしょう。もちろん、女性に対してならネタを提供してもいいと考える(特に重要な情報を持つ地位にある)男性がいればそのこと自体が糾弾されるべきですが、そのこと自体を糾弾するでもなくむしろ利用して「ネタ取り」しようとした側にも非があると言わざるをえません。

もしかすると、今回の件が財務省の高官によるセクハラ行為を告発するための仕掛けであり、セクハラ被害の現場を押さえるために敢えて「わざわざ夜の席で一対一になることを許容してきた」というのであれば、それはそれで効果はあったといえるかもしれません。しかし、どうやら被害を受けたご本人の所属する組織では「ネタ取り」を優先してその被害を取り合わなかったようですし、そもそも現時点ではセクハラをしたとされる側が全面否定しているので、その「ネタ取り」の目的や成果が明らかにされない限り、逆に財務省の高官を陥れるためのトラップだとする主張にも理由を与える結果となっています。

冒頭に書いた通り、「雇用契約なり請負契約なり派遣契約なり、およそ労務の提供を授受する関係においてあらゆるハラスメントを認める必要はない」という原則に立ち返って、セクハラを認めるべきではないと考えますが、厭債害債さんが「マドンナ作戦」と呼ぶような行為があることもまた現実である以上、「マドンナ作戦」を仕掛ける側からすれば、それがうまくいって対価が得られれば自らの業績として活用し、対価が得られなければセクハラとして告発できることになるわけでして、「マドンナ作戦」にも規制が必要となってくるのではないでしょうか。まあ、とはいえ、人間が性差を持つ生物として生きている以上、「マドンナ作戦」を規制することは事実上不可能だとは思いますがね。
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2018年03月11日 (日) | Edit |
震災から7年、つまり84か月が経過しました。拙ブログでもすっかり震災関連のエントリが激減しているところですが、昨年に引き続き、秋篠宮さまのお言葉に感銘を受けたところです。

秋篠宮さま 震災追悼式でおことば(NHKオンライン 3月11日 16時48分)

秋篠宮さまは、東日本大震災から7年となる11日、東京都内で開かれた犠牲者の追悼式に紀子さまとともに出席し、被災地や被災者に末永く寄り添うことが大切だとする気持ちをあらわされました。

東日本大震災の追悼式には、おととしまで毎年、天皇皇后両陛下が出席されていましたが、ことしは去年に続いて秋篠宮ご夫妻が出席されました。

(略)

秋篠宮さまのお言葉 全文

 2011年3月11日、東北地方を中心に東日本を襲った未曾有の地震とそれに伴う津波により、2万人を超える死者及び行方不明者が生じました。震災発生後、刻々と伝えられる現地の状況と押し寄せてくる津波の映像は、7年を経た今でも決して脳裏から離れるものではありません。ここに一同と共に、震災によって亡くなった人々とその遺族に対し、深く哀悼の意を表します。

 大震災からの7年間、被災地において、人々は幾多の困難を乗り越え、手を携えて、復興に向けての努力を弛みなく続けてきました。こうした努力を支援するため、国や全国の自治体、そして国内外の多くの人々が、様々な形で力を尽くしてきました。

 その結果、住宅の再建や高台移転、産業の回復、生活環境の整備、防災施設の整備など多くの進展が見られました。また、原発事故により避難を余儀なくされた地域においても、帰還して生活を再開できる地域が少しずつ広がってきております。多くの悲しみや困難の中にあった子どもたちも、未来に向けてたくましく成長しています

※ 以下、強調は引用者による。

というのも、震災から7年となる日の前日にNHKで放送された番組を見て、改めて子どもたちが「死」を受け入れることの辛さを考えたからです。

「死にたい。将来は夢も希望もない」「わたしは無感情人間だった。悲しいと言えなかった…」
津波で家族を失った子どもたちが、震災から7年経った今になって悲鳴を上げている。あの日、釜石で被災した当時3歳の女の子。津波から逃げる際に飲み込まれる家屋や遺体を目撃、さらに家族3人を亡くした。壮絶な体験をひとり抱えてきた震災後のある日、耐えきれず感情が爆発。体調不良を訴え不登校になった。10歳になった今になって、誰にも言えなかった体験やつらい気持ちをポツリポツリと語り始めている。被災地で、津波で家族を亡くした子どもは1800人近く。心身の不調を訴える子どもは後を絶たず、宮城県では不登校率が全国最悪レベルだ。こうした子どもたちは心の専門病院やNPOに駆け込んでいる。治療やケアを受け、親にも打ち明けられなかったトラウマ体験や気持ちを言葉で表現することで震災を受け止めようともがいているのだ。番組では支援の現場に密着、語り始めた「言葉」から最大の被災弱者とされる子どもたちが抱えてきた葛藤を見つめる。

「誰にも言えなかった  ~震災の心の傷 母と子の対話~」2018年3月10日(土) 午後9時00分~9時49分

もちろん、秋篠宮さまのお言葉のように「未来に向けてたくましく成長して」いる子どももいます。しかし、それはもしかすると表向きの表情で、その心の中には身の回りの人々が一気に姿を消したことの悲しみを抱えているのも事実でしょう。その悲しみは決して消えるものではなく、抱えながら生きていくしかありません。

番組の中では、沿岸部から内陸に引っ越したものの最近学校に行けなくなった子どもの様子と、その母親の様子が映し出されていました。子どもが気丈に振る舞っていたのは家族の死を受け入れられない自分を認めたくないから、母親が家族の死を受け入れられないのは、そうして気丈に振る舞う子どもに自分の気持ちを素直に表せられなかったから、というお互いに思いやる気持ちの中で、不安な気持ちばかりが募っていったのでしょう。その二人が、家族への思いを人形で共有したときから、お互いに前向きに生きていく気持ちが芽生えたところで番組は締めくくられていました。

番組の中では、この「前向きに生きていく」という言葉がこの母子以外の登場人物からも繰り返し発言されていました。辛い現状をそれとして受け入れて日々生活している中で、「前向きに生きていく」という気持ちが出てくるまでには7年の月日が必要だったともいえます。その母親が言った「3月11日は気が付かないうちに過ぎてほしかったが、やっと迎える気持ちが出てきた」という言葉にその思いが表れていると思います。節目に思い出したように特集されるより、日々の生活の中でこうした思いに向き合っている方々がいるということに、これからも思いを馳せるようにしたいと思います。

(付記)
宮城県名取市で「奇跡の保育所長」と持ち上げられた当人も、その「功績」に押しつぶされてしまった自分を振り返っていらっしゃいいます。

佐竹悦子さん(66歳)。

街全体が壊滅的な被害にあった宮城県名取市閖上地区で、海のすぐそばにあった市立閖上保育所で所長を務めていた。

54人の園児を迅速に避難させ、誰一人死者を出さなかった保育所は後に「閖上の奇跡」と呼ばれる。

だが「奇跡」の後、トップはたったひとり感情を押し殺し、恐怖も悲しみも、あの日の怒りも表に出せない日々を送っていた。

彼女が明かす、孤独の日々と再出発、そして7年という時間――。

(略)

「泣けない」ことに気がつく
時期を前後して、泣けない自分にはじめて気がつく。泣こうと思っても泣けない。親族のことを思っても、閖上の子供たちのことを思ってもどうしても涙がでない。

宮城県の支援にあたっていた精神科医に打ち明けると「それはPTSDだ」と指摘された。医師は続けて、こんな言葉をかけてくれた。

「先生、あれだけ特殊な経験をしたんです。何も起きないほうがおかしいですよ」

そうか、自分の精神は限界なんだと妙に納得できた。この後、彼女は2度の「引きこもり」を経験する。

1度目は2013年だった。体調を崩してしまい、家で静養していた。ところが体調は回復したのに、外にでる気力がなくなった。

外にでること、イベントが何より好きだったはずなのに、理由をつけて、すべての依頼や誘いを断り、家の中でも寝巻きから着替えないまま1日が過ぎていく。そんな日々が半年ちょっと続いた。

市役所の仲間が用意してくれた旅行を機に少しずつ日常を取り戻すことができたが、自分の精神が危うくなっていることを痛感した。

2度目は2015年の春だった。

1度目の引きこもりから「社会復帰」し、引き受けた幼稚園の園長業務をこの年の3月まで受け持っていた。

怒涛の日々だった。

震災の経験を活かさねばならないと、防災の専門家を招き避難計画を作成した。近くを流れる川が気になって、安心できないとマニュアルを練り直した。

心は一気に疲弊した。任期が終わってから、また気が抜けたように家にいる時間が長くなっていったのだった。

佐竹さんは震災について「事実」は話せるが、「思い」をうまく言葉にできない時期を過ごしていく。

(略)

トップの行動が、彼らの心にも深い、深い傷を負わせたのではないか。

所長が涙を流さないから、職員も涙を流せなかったのではないか。3月27日の卒園式はもっと泣いてもよかったのではないか。

6年半を過ぎても、自分を責めるように問うてしまう。後悔ともし…を考えると、恐怖から涙がこぼれ落ちてくる。

あれほど泣こう、泣こうと思っても泣けなかった自分が泣いている。あの日、自分も辛く、怖かったという感情が溢れてきた。

それは、長く押し殺していた感情とようやく向き合うことができた、転機の涙なのかもしれない。

「【あの日から7年】大津波から子供を守った”奇跡の保育所長” 「美談」の裏で抱えた苦悩(2018/03/11 06:00)」(BuzzFeed News)

泣けないほどの責任感を感じて外に出られないほどの辛い経験を経て、やっと泣けるようになるまでの6年半は、あの震災を経験した方々の心を変化させるために必要な時間だったのでしょう。ただしその心の変化は、あくまで震災の経験をずっと抱えたままであることも忘れてはいけないのだろうと思います。「震災から○年」という節目はそれとして大事にしながら、同じ時代に生きる者として心にとどめておかなければと思います。

2017年08月16日 (水) | Edit |
震災後はお盆の時期にその時々に感じたことなどをアップしているところで、今年は東日本大震災で亡くなった方の七回忌となります。とはいえ、沿岸部から離れた内陸部に居住する私は身内に被害者がいるわけでもないのでニュースでその様子を伺うだけですが、その中にこんな記事がありました。

 東日本大震災の津波で流された写真や位牌(いはい)など「思い出の品」を持ち主に返す活動が、岐路に立たされている。国の財政支援を失ったり、問い合わせが減ったりして活動を縮小する自治体が相次いでいるのだ。そんな中、岩手県陸前高田市がこの夏、県外の東京、仙台で「出張返却会」を初めて開くことを決めた。震災から間もなく6年半。物理的な復興と違って、一人一人歩みの異なる「心の復興」の現場を歩いた。【石巻通信部/百武信幸、統合デジタル取材センター/小国綾子】

引用元: 「思い出の品」で心の復興を 東京、仙台で初の返却会(毎日新聞 会員限定有料記事 2017年8月15日)


有料記事ということですが、月5本まで読めるとのことなので本文の一部を引用しておきますと、

「写真を探しに行きたいが……」と県外避難者ら

 陸前高田で震災後に泥や潮水から回収された写真は20万~30万枚に上る。写真約7万2000枚、位牌やへその緒などの品々約2500点がまだ残ったままだ。

 実は三陸沿岸の自治体はどこも持ち主に返しきれない「思い出の品」を抱えている。写真だけでも、仙台市の約16万枚など、合計100万枚前後になりそうだ。しかし、どこも復興事業で忙しく、返却作業にまで手が回らない。役所に足を運ばないと写真を探せない自治体も多く、問い合わせが減ったことや保管場所がないことを理由に、電子データ化した上で現物を焼却処分した自治体もある。

(略)

 陸前高田市はこれまで、市内だけでなく、県内陸部の盛岡や一関などでも「出張返却会」を積極的に開いてきた。今年4月からの3カ月間だけでも223人が返却会に訪れ、923枚の写真が持ち主や家族、遺族らの手に返された。

 今なお海や泥の中から新たに写真が見つかることがある。昨年、市内で泥の中から見つかった写真アルバムは今年になって持ち主に返却された。

 今回初めて東京や仙台での開催を決めたのは、県外避難者や実家を流された県外在住者らの「写真は探したいが、高田までは行けない」という声を受けてのことだ。

 「まだ生活に余裕がなく写真探しどころではない方、つらくて写真を見られない方、今年、七回忌を終えてようやく写真をゆっくり探す気持ちになれた方などもたくさんいます」。同市から返却事業を委託されている一般社団法人「三陸アーカイブ減災センター」理事の秋山真理さんは語る。

引用元: 「思い出の品」で心の復興を 東京、仙台で初の返却会(毎日新聞 会員限定有料記事 2017年8月15日)

とのことで、七回忌を迎えてやっと遺品探しができるという方もいらっしゃいます。しかし、その遺品を預かる立場の自治体の中には、人手や経費、さらに場所の問題からデジタル化して現物を焼却処分したところもあったようです。遺品は現物だからこそその意味があると思われるところでして、当然自治体の側でもそれは痛いほど分かっている(自治体職員の多くも被災した当事者ですし)はずですが、それでもなお焼却処分せざるを得なかった事情を推察すると、被災した地域の自治体が置かれた状況の厳しさを改めて考えてしまいます。

思い出の品を返す活動を縮小する自治体が相次いでいる大きな理由は、冒頭の引用部分にある通り「国の財政支援を失った」ことにあるでしょう。役所の仕事の特徴として、先におカネがあってそれに基づいて仕事が発生するという経路があるわけですが、これを裏返すと、おカネがなくなれば仕事が無くなるということになります。おカネがあるうちは継続できた活動(役所的にいえば事業)が、その財源を失ったことによって継続できなくなるというのは、良し悪しは別として役所の仕事の実態です。そしてその財源拠出の可否は、少なくとも建前上は財政民主主義に基づいて国民が決定することになります。

東日本大震災後も日本各地で相次いでいる大規模災害は、(言葉は不適当かもしれませんが)それぞれが競合してしまい、予算とそれに付随する仕事と人手を奪い合う事態となっている面は否定できないでしょう。さらにいえば、東京オリンピックなどの大規模イベントに予算とそれに付随する仕事と人手を割いている状況で、その競合の度合いがより高くなっていきます。その中にあって思い出の品を返すという、大規模公共事業に比べればニッチな事業に予算が付けられるか否かは、この国の空気を知るために何らかのヒントになるのかもしれません。

2017年04月19日 (水) | Edit |
震災から6年を過ぎて業務で被災地支援に当たることも減り、拙ブログでも震災関連のエントリは激変しているところでして、被災した沿岸部から遠く離れた内陸部からは窺い知れない部分も増えてきました。そんな中で被災された地域から貴重な情報発信を続けていらっしゃるhahnela03さんの最新エントリでは、復興の進み方(進め方)が引き起こしている問題が鋭く指摘されています。

 大槌町の復興の遅れは、防潮堤建設の際に共産党系の反対する方たちの「巨大な防潮堤ガー」ということによるものです。地下水脈が豊富に流れる町内を嵩上げせずに再建させるには震災前より大きい防潮堤整備と非難道路の整備を行うことで、自然環境を温存しつつ町内再建者を増やし、人口流出を抑制するという考え方によるものです。ですが、当時、反対派は安倍首相夫人が城山体育館に来訪されて際に、「安倍首相夫人も疑念があると発言した」と政治利用をしたのです。上手に利用されたわけですね。
 それにより大槌町の復興計画は狂いこの6年で住民の流出はとどまるところを知らず、復興後の予測でも人口は半減する方向へ反対派によって誘導されていったのです。嵩上げの選択が復興を遅らせることは当初から分かっていたことで、これを後押ししたのが、メディアによる報道でした
 明治・昭和の津波の際の高台移転の事例や津波石などを取り上げ、住民を誘導して言ったのです。それをさらに利用したのが東京のNPOによる「桜植樹」「鎮守の森」等の植樹募金ビジネスです。浸水地域という穢れた土地という設定の下に、復興計画が住民の意思から乖離して行き復興はどんどんずれ込んでいくようになりました。

「津波被災の記録146(2017-04-09)」(hahnela03の日記)
※ 以下、強調は引用者による。


大槌町については、拙ブログでも3年ほど前にNHKの番組での議論の様子を取り上げたことがありました。

番組では住民の皆さんが真摯に向き合って話し合う中で、様々な立場から意見が述べられていました。番組を見た範囲で私なりに大きく意見を分類すると、防潮堤の高さを低くすべきという意見としては、

  • 高い防潮堤があると景観が損なわれる。
  • 高い防潮堤が町を守るという安心感から防災意識が低下して、津波警報が出されても逃げない人が増える(今回の震災ではそのような状況で命を落とされた方も多くいた)。
  • 奥尻島でも町を囲む防潮堤を完成させて復興宣言もしたが、重要な地場産業である漁業が衰退し、人口減少が止まらない。
  • 防潮堤の高さを下げることによって予算を浮かせ、高台移転や避難路などの防潮堤に頼らない防災対策に予算を使うべき。
  • 防潮堤などの規模が大きくなると、維持管理・補修などの後年負担が大きくなる。

というところだったと思います。これに対して、計画通りの防潮堤とするべきという意見としては、
  • 防潮堤を低くすると浸水区域が広くなり、避難するのに時間がかかって足腰の弱い高齢者などが逃げ遅れるおそれがある。
  • 防潮堤の高さを前提として、避難路、公共施設の設置場所などの計画が作られており、防潮堤の高さを変えると計画全体を見直す時間がかかる。
  • すべての計画を作り直すために時間をかけるより、早く復旧させることを優先すべき。
  • 高齢者などの足腰の弱い住民が安心して暮らせるようにすべき

というところだったと思います。

「守るべきもの(2014年03月15日 (土))」


震災後3年の時点の上記のような議論からさらに3年が経過した現時点では、後者の意見の悪い点の方が目立っているということかもしれませんし、あるいは前者の意見で優先された点の利点がまだ顕在化していないということもいえるかもしれません。しかし、これらを組み合わせて考えてみたときに、後者の立場で懸念していた事態が発生している(と思われる)現状から、前者の立場から主張された利点が今後それを補うだけ顕在化していくのかは、より長いスパンで評価しなければならないように思います。というより、その長いスパンがかかるということ自体が後者の立場からの懸念だったわけでして、まさに守るべきものの評価は多様であり、それこそが意思集約の困難さを物語るものだろうと思います。

そのほか、ラグビーワールドカップに向けた競技場建設が建設地の復興事業の進捗を妨げているというご指摘も重要だろうと思いますが、もう1つ気になったのはこのご指摘です。

 みなし仮設に居る方達も含め医療費無料化が続いています。民進党と共産党によるものではありますが、これは事実上の県立病院対策でもありますが、それにより被災者は生活保護相当の扱いを継続していると言うことでもあります。生活保護と違い所得の把握をしないため、貯金が随分たまったと言う声もあるようです。そのため被災地の住民からもあまりよく思われていないです。これが住民対立へと向かうことになるんでしょう。
 県立病院以外の民間病院も恩恵は受けていますが、昨年から患者数が減ったということなので、転換点に来たのかと感じる出来事です。
 生活保護相当の扱いを受けた方達が、そのまま生活保護へ向かうのか、その際の所得管理等の把握のためマイナンバーが機能するかどうかということも含めいろいろと転換する動きを感じる6年と約1ヶ月です。

「津波被災の記録146(2017-04-09)」(hahnela03の日記)

医療費の無料化はいわゆる所得再分配に相当するものですから、生活保護相当の扱いというのはその通りだと思うのですが、それがミーンズテストを伴わないものであるため、所得がある層であっても可処分所得としてではなく貯蓄として積み重なっているとのこと。医療そのものは現物給付であるとはいえ、その無料化による現金給付相当の再分配が行われた場合、可処分所得の増加によって消費が増えるというどマクロな方々の想定通りに事が運ぶわけではなく、相当程度は貯蓄に回るのが実態なのでしょう。

その説明として、経済学方面からは将来の増税に備えて将来不安があるからというリカードの中立命題を持ち出して、だから永久国債などという威勢のよい主張がされているようですけれども、こうした実態を見るにつけ、必要な医療・介護・保育などの公共サービスの供給体制が公費で賄われ、その利用が必要原則に応じたフリーアクセス(この「フリー」はいつ誰でも自由にという意味ではありません。為念)を確保することのほうが優先だろうとは思います。まあ、こんな「経済学的に正しい」とは認められない議論には誰も振り向きもしないでしょうから、この状況は相変わらず続いていくのでしょうけれども。

2017年03月12日 (日) | Edit |
既に日付も変わってしまいましたが、震災から6年、つまり72か月が経過しました。場合によっては昨年の5年目で終わるかとも予想していましたが、今年も政府主催の追悼式典が挙行されました。生前退位に向けた動きもあってか、天皇皇后両陛下ではなく秋篠宮ご夫妻が御出席されたとのことで、そのお言葉がこれまでの歩みを余すことなく拾い上げています。

東日本大震災6年 政府主催の追悼式(NHK NEWS WEB3月11日 15時42分)

東日本大震災の発生から6年となる11日、秋篠宮ご夫妻が出席されて、政府主催の追悼式が東京で開かれ、地震の発生時刻に合わせて、安倍総理大臣や遺族の代表ら出席者全員が黙とうをささげ、震災で亡くなった人たちに哀悼の意を表しました。
政府主催の「東日本大震災六周年追悼式」は11日午後、東京の国立劇場で開かれ、秋篠宮ご夫妻や安倍総理大臣、それに遺族の代表らおよそ900人が出席し、地震が発生した午後2時46分に出席者全員が黙とうをささげ、哀悼の意を表しました。
追悼式には、これまで毎年、天皇皇后両陛下が出席されてきましたが、6周年となるのに合わせて検討が行われた結果、ことしは秋篠宮ご夫妻が出席されることになりました。

この中で安倍総理大臣が、「被災地に足を運ぶたび、震災から6年を経て復興は着実に進展していることを実感します。インフラの復旧がほぼ終了し、住まいの再建や産業・生業の再生も一歩ずつ進展するとともに、福島においても順次避難指示の解除が行われるなど、復興は新たな段階に入りつつあることを感じます。復興の進展に応じた切れ目のない支援に力を注ぎ、さらに復興を加速してまいります」と式辞を述べました。

また秋篠宮さまは「避難生活が長期化する中で、年々高齢化していく被災者の健康や、放射線量が高いことによって、いまだ帰還の見通しが立っていない地域の人々の気持ちを思うと深く心が痛みます。困難な状況にある人々誰もが取り残されることなく、平穏な暮らしを取り戻すことができる日が来ることは私たち皆の願いです」とおことばを述べられました。

この後、追悼式では、岩手、宮城、福島の3県の遺族の代表があいさつしました。
岩手県の遺族代表の千葉陽さんは、「去年、今住む町で、台風による甚大な被害がありました。私にとって、津波を思い起こす出来事でした。災害からなんとか生き残った者として、精いっぱいに生きることを全うすること、そして、さまざまなことで起きる『つらさ』を『幸せ』に変えられるように、今の自分が持てる力が役立つのならば、少しでもできることをしていきたいと思います」と述べました。

宮城県の遺族代表の佐藤昌良さんは、「過酷な経験を後世に色あせることなく語り続けるため、あの悲しみを忘れません。あのつらさを忘れません。あの無力さを忘れません。あの寒さを忘れません。両親の無念の思いに応えるため、火葬を済ませてすぐに東京の職を辞し、父の背中を追い、現在は地域建設業の経営者として復興の最前線に立っております。全国から頂いた善意の力を借りながら、ふるさとの復興を必ず成し遂げて参ります」と述べました。

福島県の遺族代表の石井芳信さんは、「川内村は、比較的放射線量が低く、一部の地域を残し1年で戻ることができました。今では全村の避難も解除され復興も着々と進んでおりますが、若い人たちが子どもの教育問題などから村に戻らないという課題なども多く、以前のような村の姿には程遠い現況にあります。みんなで力を合わせ復興と再生を進めていくことが私たちの責務であると考えます」と述べました。

この後、追悼式では、各国の代表ら参列者が献花を行い犠牲者を悼みました。

秋篠宮さまのおことば 全文

6年前の3月11日午後2時46分、私たちが今までに経験をしたことがない巨大な地震とそれに伴う津波が、東北地方太平洋沿岸部を中心とした東日本の広範な地域を襲いました。そして、この地震と津波によって、2万人近い人が命を落とし、また2500名を超える人の行方がいまだ知られておりません。
ここに、本日、参集したすべての人々と共に、震災によって亡くなった方々とそのご遺族に対し、深く哀悼の意を表します。この6年間、被災地においては、人々が互いに助け合いながら、数多くの困難を乗り越え、復旧と復興に向けた努力を続けてきました
そして、そのことを支援するため、国内外の人々が、それぞれの立場において、様々な形で力を尽くしてきました。その結果、安全に暮らせる住宅の再建や産業の回復、学校や医療施設の復旧などいくつもの分野において着実な進展が見られました。また、原子力発電所の事故によって避難を余儀なくされた地域においても、帰還のできる地域が少しずつではありますが広がってきております。今まで尽力されてきた多くの関係者に対し、心からの感謝と敬意を表するとともに、復興が今後さらに進んでいくことを祈念しております
しかし、その一方では、被災地、また避難先の地で、困難な生活を強いられている人々が今なお多くいます。特に、避難生活が長期化する中で、年々高齢化していく被災者の健康や、放射線量が高いことによって、いまだ帰還の見通しが立っていない地域の人々の気持ちを思うと深く心が痛みます。困難な状況にある人々誰もが取り残されることなく、平穏な暮らしを取り戻すことができる日が来ることは、私たち皆の願いです。東日本大震災という、未曽有の災害のもとで、私たちは日頃からの防災教育と防災訓練、そして過去の災害の記憶と記録の継承がいかに大切であるかを学びました。この教訓を決して忘れることなく、私たち一人ひとりが防災の意識を高めるとともに、そのことを次の世代に引き継ぎ、災害の危険から多くの人々が守られることを強く希望いたします。様々な難しい課題を抱えつつも、復興に向けてたゆみなく歩みを進めている人々に思いを寄せつつ、一日も早く安寧な日々が戻ることを心から願い、御霊への追悼の言葉といたします。

※ 以下、強調は引用者による。


この国に住む住民の一人として深く共感して肝に銘じるとともに、多くの方とこの簡潔な言葉の中に込められた思いや願いを共有できればと思います。

さて、気が付いたら年明けから実質的なエントリをアップしないまま震災から6年目の節目を超えてしまいました。言うまでもなく、この数か月の超過勤務時間が月当たり三桁時間を超えて週休日って何それ?という激務のため更新できなかったわけでして、おかげさまで社畜ライフを満喫させていただき、なんとか作業も一段落したところで一応生存確認を兼ねてエントリをアップしようと思ったら、すでに震災から6年目のエントリとなってしまったという次第です。

でまあ、秋篠宮様のお言葉を共有したところで終わってもいいのですが、念のために、私自身は山口先生が震災から2年後に指摘されていた「「よりよく忘れる」ということ」に特に付け加えることはないと考えております。秋篠宮様のお言葉にあるとおり、忘れることなく伝えていくべきことは「私たち一人ひとりが防災の意識を高めるとともに、そのことを次の世代に引き継ぎ、災害の危険から多くの人々が守られること」であって、被災地そのものへの関心が薄れることはやむを得ないことだろうと思うとともに、ある面ではそれも必要ではないかとも思います。

「被災地」という意識が当事者にもその他の方にも強すぎると、支援する/されるべき対象という区分けがいつまでも残ってしまい、そのこと自体が新たな問題を引き起こす可能性もあるように思います。例えば数日前に炎上した案件ではこんなものがありました。
「なんか、『福島米食べてます』って言えない自分がいる」――。お笑いコンビ「クワバタオハラ」のくわばたりえさん(40)が漏らした福島産の食材に対する「本音」が、インターネット上で激しい賛否を広げている。

くわばたさんは、東日本大震災による「風評被害」を特集した2017年3月8日放送の『あさイチ』(NHK総合)に生出演。検査で安全が保障されていると理解しつつも、福島産の米に「抵抗」を感じてしまうことについて、複雑な思いを吐露した。

(略)

こうしたくわばたさんの「本音」をめぐり、ネット上では賛否の大きく分かれた意見が出ることになった。ツイッターやネット掲示板には、

「くわばた、福島の米は買わないとか。そんな人間をなぜ番組に呼ぶの? 風評被害をぶっ飛ばせ目的かと思ったら、逆の印象を与えそう」
「見損なった。福島の米を買わないからではなく、買わないことを公言してそれを自己正当化して、影響の大きなテレビ番組で言い放ったから」

と激しく反発するユーザーもいれば、その一方で、

「安心と安全は違うという典型的なやつで くわばたはまさにそこをしっかり説明してる」
「発言がネガティブに見えて実はニュートラルだよね。福島のものは大丈夫!みなさん食べましょう!!なんて歯の浮くようなこと言うやつよりはるかに信用できる」


とくわばたさんの発言に理解を示す声も数多く出ていた。

くわばたりえ「福島米食べてます、って言えない自分」 NHKで本音連発に複雑な反応(J-CASTニュース 2017/3/ 9 15:46)

いやまあくわばたりえ氏(というと堅苦しいですが一応敬称をつけます)の発言は引用しませんでしたが、その意図をネット掲示板のユーザーなる方々がどこまで理解しているのかという一抹の疑問はありつつ、ここで取り上げられているコメントはくわばたりえ氏のものも含めて、「福島県という被災地」をひとくくりにして個別に判断しようとするものではないように思います。

しかし、だからといってすべての住民が自分ですべてを調べて自分で判断すべきかといえば、それも絶望的に難しいのが実態だとも思います。

対話は活発だったし、なにより、参加者は熱心にメモをとっていた。
集会が終わった後、西澤さんと専門家は「これは成功だ。他の仮設住宅でもやるべきだ」と話していた。
ところが2012年1月末、集会に参加した住民の感想を聞いて、西澤さんは愕然とする。
「先生、この前の話、全然おぼえてない」と子育て世代の女性は話しはじめた。
「バナナにも(放射性物質が)あるって言っていたから、娘にバナナ食べさせるのやめたんだ」
比較のために、バナナの事例を出したが、バナナを食べないようにという話はしていない。西澤さんはもう一度、女性に尋ねる。
「えー。あれだけメモとってたじゃないですか」
「うん、でもあとはラドン温泉の話くらいしか覚えていない」
「そうですか……。わからなかったこと、次に聞きたいことあります?」
「先生、放射能の話は難しいんだよね。なにを質問していいのか、わからないんですよ」
専門家としては、住民の関心にあわせてわかりやすく説明したつもりだったが、住民は覚えていない。

(略)

西澤さん自身の言葉で、ズレが生じた理由を分析してもらおう。

いま思えば、当然のことですよね。
リスクは、科学的な観点からだけでなく、社会的な観点や、個々人の受け取り方という観点からも論じないといけない。
科学的な説明で納得できる人はいいけど、人の納得の仕方はそれぞれの状況でまったく異なる。
対話に参加してくれた人たちのなかでも、住民対象の説明会に参加して、専門家の説明を聞いた人は多かった。
そこでも散々、科学的な説明はあるんです。彼らは「専門家はどうせ、また村は安全っていうんでしょ」と思っているんです。
事故が起きてから、飯舘村が計画的避難区域に指定されるまでだいたい1カ月。人によっては、避難するまで、村に住み続けたことを強く後悔しています。
私がやった対面のインタビュー調査で、あがってきたのはこんな声です。

  • 「あのとき、孫を遊ばせた雪のなかにたくさん放射能がついていたんじゃないか」
  • 「避難前に外で遊ばせていた。もし将来なにかあったら、それは私の責任だ」
  • 「小さな子供たちは、自分は結婚できない、結婚しても子供ができないと考えている」

この不安に対して、専門家は「科学的には、この程度の放射性物質で影響はありません」「広島、長崎の研究を踏まえれば〜」と説明する。
これは科学的には正しい。でも、コミュニケーションとしては失敗しています。
彼女たちが求めていたのは、知識ではなく、まず自分がしてしまったことを受け止めてほしいということ。
自分が悩んでいることであり、知識を聞いてもどうしても消えない不安がある、と知ってほしかったんですね。
ここからズレているんです。

西澤さんは、原発事故後の対応では、行政だけでなく専門家も不信感を持たれた、と考えている。
インタビュー調査にある住民の声が「不信感」を象徴している。

「子供がいる世帯は避難したほうがいい、ともっと早く言ってほしかったのに、(2011年4月上旬に)質問しても『年間被ばく量がどうだこうだ』とか難しいことばかり言われて、答えてもらえなかった」

「大丈夫、大丈夫という科学者の声を信じてきたけど、結局、避難することになった。それなら、逆に事態が深刻です、という人のほうが信用できる。(講演会にいっても)どうせ安全というに決まっている」


いちど失った信頼は、容易には取り戻せない。

(略)

「住民が聞きたいことを引き出し、専門家が伝えたいこととすり合わせること。聞きたいことと、専門家が伝えたいことのミスマッチを可能な限り減らす場をつくること」
これが西澤さんの教訓だ。そして、ミスマッチを放置してはいけないのは、いまだ福島を巡って繰り返されるニセ科学やデマの素地になっているからだ、と指摘する。
人はどうしても、自分の仮説や信念に都合のいい情報ばかり集めてしまうバイアスがかかってしまう。
前述したように、いちど専門家に不信感を持ってしまったら、人はどんな情報を集めるようになるか。
「事態が深刻だという人」の声を集め続けることになるだろう。
不安につけ込むように、インターネット上に大量に、危険を訴えるデマや誤情報も入ってくる。例えば「福島県産食品は実は危ない。子供たちに食べさせてはいけないのだ」。

福島県産食品のデータを調べれば簡単に否定できる情報だが、よかれと思って善意から忠告する人もいる。

【東日本大震災】なぜ福島デマが残り続けるのか?専門家が勘違いしてたこと(BuzzFeed News posted on 2017/03/05 11:01)


人は知りたいことしか聞かないし見ようともしないというのは、私のような実務屋にとっても痛いほどよくわかることなのですが、「よかれと思って善意から忠告する人」には対処のしようがないというのも現実ではないかと思うところです。この現実にこれからも向き合っていくことが、復興の一つの側面でもあるのでしょう。

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