2016年08月28日 (日) | Edit |
先日のエントリで、「障害者支援団体が「一般的に公表される被害者の氏名が、この事件に関して公表されないことは大きな疑問を持たざるを得ない」と主張すること自体は、障害者だけ違う扱いをすることが新たな差別を生むことを懸念したものであれば、その限りで意味がある」ということを書いたところでして、それがどのような意味を持つものかまではそのエントリで言及できませんでしたが、今日は年に一度障害者や難病と闘病されている方を大々的に取り上げる日ということで、楽しみにしていた「バリパラ」を拝見しましたよ。

【生放送】 検証!「障害者×感動」の方程式(NHK バリバラ - NHKオンライン)

放送日8月28日(日)夜7:00
再放送9月2日(金)0:00(木曜深夜)
出演者鈴木おさむ カンニング竹山 IVANほか

「感動するな!笑ってくれ!」というコンセプトで始まったバリバラ。しかし、いまだ障害者のイメージは「感動する・勇気をもらえる」というものがほとんど。「なぜ世の中には、感動・頑張る障害者像があふれるのか?」その謎を徹底検証!スタジオでは「障害者を描くのに感動は必須か?」「チャリティー以外の番組に障害者が出演する方法は?」などのテーマを大討論!Twitterで視聴者ともつながり、みんなで「障害者の描き方」を考える。


「バリパラ」に出演されている障害者の皆さんは、この国の社会では「障害者だけ違う扱いをすることが新たな差別を生む」という状況を身にしみてご存じであるからこそ、こうしたテーマを正面から取り上げることができるのだろうと思います。個人的にこの番組で特筆すべきと思うのは、身体障害者や知的障害者だけではなく精神障害者も同じように取り上げているところでして、統合失調症と診断されて芸人活動を休業していたハウス加賀谷が主人公となり、食べれば障がいがなくなるが記憶もなくなるという果実を食べるかどうかで葛藤する「悪夢」というドラマまで作っています。健常者と障害者の境界はどこにあるのかとか、健常者であるか障害者であるかを問わずその生きてきた人生をどう考えるのかとか、短いドラマですが見応えがありますのでこのテーマに関心のある方にはおすすめです。

で、今日の番組の冒頭ではまず、コメディアン兼ジャーナリストであった故ステラ・ヤングさんの講演が引用されていまして、その講演の全体はこちらで読めます。

これらはほんの一例に過ぎませんが、こういったイメージは世の中にあふれています。みなさんも、両手のない少女がペンを口にくわえて絵を描いている写真や、義足で走る子供の写真を見たことがあるのではないでしょうか。 こういう画像はたくさんあり、私はそれらを「感動ものポルノ」と呼んでいます。 (会場笑) 「ポルノ」という言葉をわざと使いました。なぜならこれらの写真は、ある特定のグループに属する人々を、他のグループの人々の利益のためにモノ扱いしているからです。障害者を、非障害者の利益のために消費の対象にしているわけです。

(略)

障害者の生活には、実際それなりに困難がつきまといます。乗り越えなければならないことはいろいろとあります。でも私たちが克服しなければならないことは、みなさんが考えるようなたぐいのものではありません。身体の障害は関係ないのです。 私は「障害者」という言葉を意図的に使って来ました。なぜなら、私たちの身体と病名よりも、私たちの生きる社会のほうがより強く「障害」になっていると感じているからです。

「障害者は「感動ポルノ」として健常者に消費される–難病を患うコメディアンが語った、”本当の障害”とは」(logmi)
※ 以下、強調は引用者による。

これも当時話題になったので「感動ポルノ」という言葉も一部では認知されていると思いますが、マスメディアであるNHKがこれを正面から取り上げたことには意義があるといえます。番組でも引用されたこの部分では「私たちの生きる社会のほうがより強く「障害」になっていると感じている」との指摘がありますが、日本よりもノーマライゼーションが進んでいるアメリカですらこのような指摘がされるのであれば、この国の社会での障害者の位置づけがどんなものかは推して知るべしというところでしょう。

そうした現状を踏まえれば、相模原市の津久井やまゆり園での凄惨な事件に際して、手をつなぐ育成会が「事件で傷ついた被害者やご遺族が少しでも穏やかに過ごせるよう、特に報道関係機関には特段の配慮をお願いします」という声明文を表明し、「遺族による強い希望もあり、そのような判断をした」という神奈川県警が被害者の実名を公表しなかった理由が見えてくると思います。つまり、健常者の事件でさえ、被害者やその遺族は家族構成や素性など大々的に公表されてしまい、マスメディアによって感動ストーリーが作り上げられてしまうこの国において、今回の事件で被害に遭われた方々が障害者であるという特異性が強調され、さらに大々的な感動ストーリーに仕立て上げられることは十分に予想されます。そこでSNSによる「検証」が始まって「ネタ」が発見されれば、誰にも制御できない状態が生じることはこれまでにも散々繰り返されたことです。そのような事態が予想される中で、実名を公表しないというのはやむを得ない判断だったろうと思います。

今日の番組での解説によれば、80年代に入るまではNHKでも「障害を背負ったかわいそうな子どもたち」とアナウンスしていたのが、1981年の国際障害者年などを契機に「明るく社会参加する障害者」として取り上げられるようになり、それらが組み合わされて「不幸でかわいそう×けなげにがんばる=感動」という図式がマスメディアに浸透していったそうです。今年で39年目を迎える某24時間(以上連続して放送される)番組が始まった1978年は、ちょうどこうした図式が形作られていく途上だったのでしょう。その当時に「不幸でかわいそう×けなげにがんばる=感動」という図式がそれなりに意義を有していたことは否定しませんが、ドミノがマラソンになったりとか番組の構成を少しずつ変えながらも、その根幹にある「感動」の図式を変えずに40年近く続いていることは、日本の社会の変わらない部分を如実に示しているものといえそうです。

番組で紹介されていたイギリスでは、そうした図式で放送されていたチャリティ番組に当事者である障害者から抗議運動が広がり、BBCでは1990年代に「障害者を“勇敢なヒーロー”や“哀れむべき犠牲者”として描くことは侮辱につながる」というガイドラインを策定するに至ったとのこと。20年前の話ですね。まあ、マスメディアというもの自体が報道やジャーナリズムのほかにエンタテインメントとしての機能を有していて、そのエンタテインメントの重要な要素が「感動」であることからすれば、マスメディアが「感動の図式」を簡単に手放すわけにはいかない事情もあるだろうとは思います。イギリスでも同じような議論があったということがその普遍性を示しているといえそうですが、抗議活動からガイドラインの策定にまで至るようなことが日本でも生じるかどうかが、この国の変化を読み取る鍵になるのかもしれません。日本の社会のノーマライゼイションが進まない理由を考えたときに、けだし「日本人の苦しみの原因が社会が要求するレベルの非現実的な高さにある」というのは名言だなと思います。

ついでに、障害者以外ではスポーツでこの「感動の図式」が典型的で、今年もオリンピックや高校野球の「感動の図式」に関していろいろと議論があったのは記憶に新しいところですね。スポーツのトップアスリートが全てをなげうって長時間練習する姿をドラマチックに取り上げ、金メダルを逃した選手がマスメディアを通じて謝ったり、野球留学してまで甲子園を目指した高校生が炎天下でけがを押して連投する姿が夏の風物詩となるような社会がその土壌となっているのであれば、イギリスのようなガイドラインの策定は望み薄ということなのでしょう。欧米に比べて「感動」のハードルが高いというのが適切かよく分かりませんが、他人の人生に過剰な「感動ポルノ」を求める土壌がなんなのかを考えるのが、今日という日なのかもしれません。いやまあ、震災2年目の某24時間(以上連続して放送される)番組について伊集院光氏が「もはや日本の“奇祭”」と指摘されているのは、そうした現実を的確に表しているのでしょう。
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2016年08月15日 (月) | Edit |
既に旧聞に属する通り、何回か取り上げていた都知事選が誰得な結果に終わりましたが、その感想戦がいろいろ出されている中で、拙ブログで取り上げていたやまもといちろう氏の記事がアップされていたので、こちらでも簡単に振り返っておきます。

坂本「そこは、私もおおいに反省するところなのですが、借金倍増知事批判にせよ、東京一極集中問題にせよ、増田さんの弱点はだいたいが政策論や哲学のところなんです」

山本「そうですよ。だから、私も増田さんは優秀な学者かもしれないけど、都知事には考え方として全く向いていないだろう、と思っていたわけです」

坂本「はい、そこは正論です。なので、ホームページやツイッター、フェースブックで、しっかりと彼の政策について説明できるようにし、いろんな批判に対しても整合性のとれる形で反論できる仕組みを用意したかったのです。寄せられる質問にはほぼ全部答えました」

山本「しかし、時間がなかった」

坂本「そうですね。山本さんが一連の記事を書いてくださって、逆に言えば政策論のところでの批判が中心だったので、まあ、ほとばしる無能はきつかったですが、ならば、その政策で増田さんの反論をしっかりできれば、政策で困っている都民にとっては増田支持にできるチャンスだったんじゃないかと思いました」

(略)

山本「政策という点でいうと、そもそもその安倍政権自体が与党に返り咲くときのスローガンが『TPP 断固反対』だったじゃないですか。あんまり自民党の選挙で政策を前面に立てると、あとで問題になったりしませんかね」

坂本「はい。政策で勝負するのは本当はリスキーです。増田さんにしたって、東京一極集中を批判してきた人ですから、その人が肝心の都知事になって前言どうするの、っていう整合性は、必ず取らなければなりません

山本「単に政策主張してきただけじゃなくて、増田さんの場合は総務大臣として地方交付税特別枠の創設に深く関与し、現在の東京の法人二税では累計一兆円近い都民の税金が地方経済の財源不足の名目で流れ出たわけですよね。その結果として、顕在化しているだけで8,000人以上の待機児童に4万人あまりの特養待ち老人の列じゃないですか。あの金があれば、ひょっとしたら待機児童の問題はなかったかもしれない。都民としては、都民として納めた税金は都のために使ってほしいと願っていると思いますよ

坂本「そういうお話も踏まえて、政策パッケージを作る時間や要員があれば、もう少し増田寛也さんと自民党公明党でできる都政もイメージしやすいような論点整理ができたんじゃないかと思います」

山本「つまり、増田陣営はかなり本気で政策論で選挙を勝ちに行ったんですね」

坂本「増田さんは知名度もそこまで高くない、演説も岩手県知事経験者の割には必ずしもパッとしない、ならば実績と知識、政策論で勝負する、都民が本当に困っている問題に迫れれば、浸透もできると」

「山本一郎「増田寛也敗戦」で自民党都連は何を反省し、どう立ち直るか(2016年8月12日 22時53分配信)」(Yahoo! JAPANニュース)
※ 以下、強調は引用者による。


いやまあ、やまもといちろう氏が「借金倍増でほとばしる無能」というあまりフェアではない政策論で盛大に叩いたことが、自民党都連にとっても相当な痛手になったとのことですが、かといってそのフェアでない政策論そのものにはあまり言及も反省もないあたりがやまもといちろう氏の持ち味なのだろうとは思います。とはいえ、「増田さんは優秀な学者かもしれないけど、都知事には考え方として全く向いていない」というやまもと氏の指摘に対して、自民都連の板橋区議が「はい、そこは正論です」と答えるというのもなかなか味わい深い光景です。

それにしても、拙ブログでは

地方分権の論議が盛り上がっていた当時は財源が東京に集中する東京問題こそが地方財源論の焦点だったわけでして、東京からの財源配分を声高に主張していた元カイカク派知事の皆さんがこぞって東京都知事を目指すというのは、東京問題を是正するためにその本丸に乗り込むぞ!ということならその意気やよしとしないでもありませんが、上記の浅野氏のような発言を見ていると、その真意がどこにあるのかはよくわかりません。まあ東京都民の方にとってはそんなことどうでもいいでしょうから選挙の論点になるとも思えませんが、地方在住者にとしては元カイカク派知事同士の選挙戦というのも、怖いもの見たさで興味のあるところです。

元カイカク派知事同士(2016年07月02日 (土))

なんてことを書いていましたが、やまもといちろう氏にとってはまさにそれが争点だったわけでして、地元の財源は地元で使うべきという小学生のような論理の根強さにはこれからも十分に注視しなければならないと改めて認識いたしました。

2016年08月15日 (月) | Edit |
震災後は毎年この時期にお盆のエントリをアップしておりましたが、戦後70年の節目とも重なった去年に比べて、報道での取り上げ方もだいぶ落ち着いてきたようです。

「息子よ、今どこに」 東日本大震災6度目の盆(2016/08/13 岩手日報)

 13日は盆の入り。被災地は東日本大震災から6度目の供養の時期を迎えた。釜石市大只越町の仙寿院(芝崎恵応住職)では12日、同市小川町の平松郁男さん(72)が行方不明の長男聡さん=当時(34)=の冥福を祈った。震災から5年5カ月。「今、どこにいるのか」。強い日差しの中、思いをめぐらせた。

 市内中心部を望む高台にある同寺院。港から海風が吹き抜ける。平松さんは娘夫婦らと本堂奥に安置されている聡さんの位牌(いはい)の前に線香を立て、深く、静かに手を合わせた。大槌町の医院に歯科技工士として勤めていた聡さんは、車で避難途中に津波に巻き込まれたとみられる。その後、火災で焼失した車は発見されたが、どの安置所を訪ねても、会うことはかなわなかった。

 芝崎住職(60)の下で葬儀を執り行い、遺骨を入れる箱には「せめて、気に入っていた物を」と本人の衣服を納め、本堂に安置している。今も週に一度は妻と足を運ぶ。「来年は七回忌になる。お墓に納めなくてはならない気持ちもある」と胸中を語る。

 本堂奥には、震災で犠牲になった同市の身元不明遺骨9柱も安置されている。引き取り手がいなかったり、墓地のかさ上げ工事のため納骨できない遺骨もあり、故人と向き合う場所にもなっている。

【写真=長男をしのび手を合わせる平松郁男さん(左)。被災地は犠牲者を供養する時期を迎えた=12日、釜石市・仙寿院】

(2016/08/13)

早いもので、東日本大震災で命を落とされた方は来年で七回忌となることもあり、特に遺体の見つかっていない遺族にとっては、警察などによる遺体の捜索に期待を寄せるしかない状況があります。このため、地元警察では月命日の集中捜索を継続しています。

家族の願い胸に懸命に 震災5年5カ月で集中捜索(2016/08/11 岩手日報)

東日本大震災から5年5カ月を前に、久慈署(及川哲也署長)など沿岸3署は10日、行方不明者の集中捜索を行った。署員は手掛かりを求める家族の願いを胸に、懸命に活動した。

 同署では、署員6人が普代村と久慈市の計4カ所を捜索。同村馬場野の堀内漁港海岸では、署員4人がとび口を手に岩や漂流物を動かすなど入念に捜索した。

 同署地域課の村上和之警部補(34)は「行方不明者の家族の気持ちに応えたい。捜索を続けていれば、手がかりの発見につながるはずだ」と力を込めた。同署管内の行方不明者は同日現在、同市2人、同村1人。県内は1123人。

 同日は大船渡、宮古の両署でも捜索を実施。11日は釜石署が17人態勢で釜石市の海岸線と海上で捜索する。

【写真=とび口を使い、岩の間の漂流物などを入念に確認する久慈署員=普代村馬場野】

(2016/08/11)

「遺族の気持ちに寄り添う」とか「被害に遭われた方の思いを尊重する」というと聞こえはいいのですが、当然これらの活動には金銭的・人的なコストが必要となります。もちろん、私自身はそうした当事者の意向は最大限尊重すべきと考えていますが、一方では被災した港湾の復旧や新たな市街地の整備が進む中で、捜索が可能な区域は限られてきています。経年変化によって物理的にも遺体を発見することが難しくなることも踏まえると、どこかの時点でその実施方法などを見直す時期も近くなっているのではないかと思います。

熊本・大分の震災では最後の行方不明者が見つかったとのことですが、

熊本地震 遺体は不明の大学生と確認(NHK NEWSWEB 8月14日 18時42分)

熊本県南阿蘇村の崩落した阿蘇大橋の下流で、今月11日に収容された遺体について、警察がDNA鑑定を進めた結果、一連の熊本地震でただ1人、行方不明となっていた阿蘇市の大学4年生、大和晃さんと確認されました。
阿蘇市の大学4年生、大和晃さん(当時22)は、4月16日に地震で崩落した南阿蘇村の阿蘇大橋付近を車で走行していたとみられ、行方が分からなくなっていました。
熊本県などが捜索した結果、阿蘇大橋の下流で10代から30代とみられる男性の遺体が見つかり、今月11日に収容して警察がDNA鑑定を行いました。
その結果、大和晃さんと確認されたということです。
大和さんの父親の卓也さんは、「晃しかないと思っていましたが、少し不安もあったので鑑定で間違いないことが確認できて安心しました。あとは手元に帰ってくるのを待つだけです」と話していました。
熊本県などによりますと、これで一連の熊本地震で亡くなった人は災害関連死と認められた人などを含め72人となりました。

父 卓也さん「これでやっと終わってくれる」

大和晃さんの両親の元には、14日午前11時前、熊本県の担当者から「晃さんと確認された」と連絡があったということです。両親はこれまでほぼ毎日、阿蘇大橋の下流などで手がかりを捜し、乗っていた車も両親などによる捜索で見つかりました。
父親の卓也さんは「鑑定の結果を聞いて、これでやっと終わってくれると安心しました。望むことは晃を引き取って供養するだけです」と話していました。

母 忍さん「どうやって温かく迎え入れるか考えています」

母親の忍さんは「地震から4か月がたって、やっと帰りたかった家に帰ってくる晃をどうやって温かく迎え入れるかを考えています。ただ『お帰り』と言うだけでなく、ふだんの生活とは違った形で迎え入れることができたらいいなと考えています」と話していました。

熊本・大分の震災が内陸の直下型地震であることも理由の一つかもしれませんが、何とかお盆中に遺体を確認できたとのことで、警察をはじめとする捜索関係者のご尽力に敬意を表します。お盆で休暇中の身としても、先祖の供養ができることとその影にある関係者の働きに思いをはせたいと思います。

2016年08月04日 (木) | Edit |
既に1週間以上が経過しましたが、この度の津久井やまゆり園での凄惨な事件で命を落とした方に哀悼の意を表するとともに、怪我を負われた方の一日も早いご回復をお祈りします。障害者を家族に持つ者として、被害に遭われた方とそのご家族・支援者の心中を察するにあまりあります。直接の被害に遭われた方が心身ともに大きな傷を負ってしまったことはもちろん、今回の事件は全国の障害者とその家族・支援者にも大きな傷跡を残したといえます。その傷跡がその障害者を取り巻く社会によってさらに大きく深くえぐられるような事態は避けなければなりません。手をつなぐ育成会が発したメッセージが多くのメディアで取り上げられていましたが、そのメッセージにはこのような強い意志が込められていると思います。

 今後、事件対応に関わる皆様には、まずは被害者及び被害者の遺族・家族、同施設に入所されている方々のケアを十分に行ってくださるようお願いいたします。その上で、事件の背景・原因・内容を徹底して調査し、早期に対応することと中長期に対応することを分けて迅速に行いつつ、深く議論をして今後の教訓にしてください。加えて、本事件を風化させないように今後の対応や議論の経過を情報として開示してください。
 また、事件で傷ついた被害者やご遺族が少しでも穏やかに過ごせるよう、特に報道関係機関には特段の配慮をお願いします。

神奈川県立津久井やまゆり園での事件について 平成28年7月26日声明文(PDF)

常軌を逸した事件が発生し、それに対する配慮を求めることは当事者にとっては自然なものと思うのですが、社会の少なくない方はそれも許されないものとお考えのようです。

相模原殺傷 被害者の名前非公表に「逆に差別では」と障害者団体が疑問(2016年7月31日 13時10分 産経ニュース via livedoor NEWS)

被害者を記号化

 県警は26日の事件発生以降、被害者名を「A子さん19歳」「S男さん43歳」などと記号化して公表している。非公表の理由は「(現場が)障害者施設で障害者という条件のため。遺族による強い希望もあり、そのような判断をした」という。

 しかし、この対応には疑問の声が上がる。「幼いときに一緒の施設で過ごした人が被害に遭った可能性があるが、名前が出ていないので分からない」。自身も障害者で、27日に東京都立川市から事件現場を訪れた山田洋子さん(45)は困惑した様子で話した。

 神奈川県内で障害者支援を手がける10団体は29日、県に障害者に対する偏見の払拭を求める申入書を提出。その中で「一般的に公表される被害者の氏名が、この事件に関して公表されないことは大きな疑問を持たざるを得ない」と訴えた。扱いを分けることが、「(結果的に)差別となっている」という主張だ。

 立命館大学生存学研究センターの長瀬修特別招聘(しょうへい)教授(障害学)は「名前を公表せず、19人の人間を記号化してしまうことは、『障害者は人間ではない』という植松聖(さとし)容疑者の思想に重なる部分があるのではないか」と警鐘を鳴らす。

 さらに、「重要なのは被害者一人一人がどう生きてきたかを知って、社会が悲しみや怒りを共有することだ」と指摘する。

 産経新聞は29日付で、けがを負った被害者の家族を取材し、実名で報じている。

危うい「情報選別」

 被害者を「非公表」とするケースは、このところ後を絶たない。昨年9月、茨城県常総市で鬼怒川が決壊した水害で、市は「個人情報保護の観点から」氏名を伏せた上で「22人と連絡が取れない」と公表。5日後に「全員と連絡が取れた」としたが、その間、自衛隊や消防による救助作業が継続された。氏名が公表されていれば、「住民らの連携により素早い確認ができた」と指摘された。

 バングラデシュの首都ダッカで1日、日本人7人を含む20人が殺害された事件でも政府は当初、実名公表を控えた。その一方、報道機関の独自取材で判明した名前もあり、志を持って活動した犠牲者の姿などが世間に伝えられた。

 立教大学の服部孝章名誉教授(メディア法)は「実名の開示は、どんな人物だったのか、どんなことが起こったのかを検証するのに必要だ」と強調。「メディアが実名を報道するかどうかは、警察ではなくメディアが責任を持って判断することだ。当局による恣意(しい)的な情報選別は、都合の悪い情報の隠蔽(いんぺい)にもつながりかねない。『遺族感情』などを理由に、安易に匿名にすることは許されない」と批判している。

鬼怒川の水害やバングラデシュの事件と今回の事件を同列に扱うことに何の違和感も感じないようなマスメディアの方にとってみれば、「実名の開示は、どんな人物だったのか、どんなことが起こったのかを検証するのに必要だ」という服部氏の主張にも違和感を感じないのでしょうけれども、仮名でなぜ「どんな人物だったのか、どんなことが起こったのかを検証」できないのかよくわかりません。というより、ニュースやドキュメンタリーで仮名が使われることなど日常茶飯事でしょうし、その検証をすることそのものがマスメディアの使命だというならまだ理解できないではありませんが、それにしても野次馬根性と何が違うのかは依然としてよくわかりません。

障害者支援団体が「一般的に公表される被害者の氏名が、この事件に関して公表されないことは大きな疑問を持たざるを得ない」と主張すること自体は、障害者だけ違う扱いをすることが新たな差別を生むことを懸念したものであれば、その限りで意味があると思うのですが、それとマスメディアの「使命」なるものとは全く別問題であって、マスメディアの側が一方的に実名公表を主張する理由にはならないだろうと考えます。

匿名発表は「遺族の強い要望」 神奈川県警がコメント(2016年8月3日 22時15分 産経ニュース via livedoor NEWS)

 神奈川県警は3日、「津久井やまゆり園」での殺傷事件の犠牲者の氏名や住所を非公表とした理由について、「知的障害者の支援施設であり、ご遺族のプライバシー保護の必要性が極めて高いと判断した。遺族からも報道対応に特段の配慮をしてほしいとの強い要望があった」とのコメントを発表した。

 県警担当者によると、事件が発生した7月26日に園内に集まった犠牲者19人のうち18人の遺族に確認したところ、いずれも実名での公表を希望しなかったという。残る1人の遺族についてもその後、弁護士を通じて実名公表を希望しないとの意向を確認した。

 また、県は3日、犠牲者19人が入居前に住んでいた自治体の内訳を発表。横浜市と相模原市が6人、いずれも神奈川県の大和市、座間市、綾瀬市、秦野市、愛川町が1人、県外が2人だった。

 県は匿名発表について、「県警と歩調を合わせたい」とし、施設を運営する社会福祉法人「かながわ共同会」に確認したところ、「19人全員の遺族が氏名公表に反対している」との回答があったという。

 ■神奈川県警のコメント(全文)

 今回お亡くなりになった方々が入所していた施設は知的障害者の支援施設であり、ご遺族のプライバシー保護等の必要性が極めて高いと判断しました。また、ご遺族からも警察が報道対応するにあたっては、その点については特段の配慮をしてほしいとの強い要望がありました。今回の対応はこうした事情を踏まえたものです。

 ■「問題究明するすべない」服部孝章・立教大名誉教授(メディア法)

 「知的障害者や精神障害者だけ匿名扱いするのは、さらなる差別を助長するという問題の答えになっていない。それに今回のような介護施設や精神科病院で火災や事件事故があったとき、誰がけがをしたのか、誰が犠牲になったのかを公的機関しか把握していないというのは、外部が本人や家族らと接触できず、事故原因や捜査の仕方などについて問題の有無を究明するすべがなくなってしまう。匿名発表は行政にとって都合が良い話だ。知的障害者や精神障害者の施設は今後も増えていくだろう。遺族からの要望があるとはいえ、こういう判断がされたことで、将来に禍根を残したともいえる」

「事件で傷ついた被害者やご遺族が少しでも穏やかに過ごせるよう、特に報道関係機関には特段の配慮をお願いします」という手をつなぐ育成会の声明に示された障害者の家族・支援者の思いと、服部氏の「外部が本人や家族らと接触できず、事故原因や捜査の仕方などについて問題の有無を究明するすべがなくなってしまう」という指摘を比較考量するべきなのかもしれませんが、当事者になったかもしれない者としては、服部氏の主張は勝手な外部の言い分をヘリクツで正当化しやがるのかというのが正直な感想です。

服部氏はあちこちで同じような指摘をされているようですが、

相模原事件 「被害者氏名非公表」に従った記者クラブの欺瞞 2016.08.03 16:00

 理由について神奈川県警は、「遺族が氏名などを出したくないという意見を持っている」と説明した。そのことを新聞各紙は説明しているものの、それに疑問を呈した報道は少ない。

 奇妙ではないか。たとえば同じく7月に起きたバングラデシュでのテロ事件では、「家族の了解を得ていない」として政府が被害者の実名公表を控えるなか、新聞・テレビは次々に実名を報じた。

 朝日新聞は特集を組み、ゼネラルエディターが「人格の象徴である氏名や人となりなどを知ることで、志半ばで理不尽なテロによって命を落とした7人の無念さを社会が共有し、再発防止策、安全対策を探ることができると考えます」と主張した。

 では、なぜ今回に限って沈黙しているのか。服部孝章・立教大学名誉教授(メディア・情報法)が指摘する。

「仮に警察が実名を公表した場合でも、たしかに遺族の意向を踏まえて実名報道を差し控えた可能性が高い。

 しかし一方で、その方が亡くなったことを記録に残すのが人間の尊厳を守るということです。匿名は、その尊厳を傷つける可能性がある。そうした議論をメディアがしなければいけない」

 評論家の呉智英氏は、端的に「差別だ」という。

「かつて、出生時または幼少時からの聾唖(ろうあ)者を守るための減刑を規定していた刑法第40条が、『罰せられる権利がないのは差別だ』として削除されたことがある。今回の問題は、『障害者を守る』という名目で匿名にしている点が、同じく差別なのです。

 世の中の人たちは障害者の権利が制限され、差別されているのに気づかない。あるいは、気づいているが見て見ぬふりをしている。それが、今回の被害者の匿名報道の本質なのです」

 新聞・テレビは気づかないのか、それとも見て見ぬふりをしているのか。

※週刊ポスト2016年8月12日号

呉智英氏のヘリクツも大概ですが、服部氏のヘリクツに従えば、きちんと戸籍なり操作関係資料なりに記録が残されていようとも、マスメディアに名前を残さなければ人間の尊厳は守られないのでしょうか。マスメディアに名前が載ることは死ぬまでないであろう私のような凡人にすれば、素晴らしき野次馬根性ですねと申し上げるほかありません。

念のため、この問題はいろいろな利害が錯綜しているため、私自身もこれが結論というものまでは持ち合わせているわけでもなく、当事者になったかもしれない者としての心情を述べるにとどめたいと思います。それはそれとして、実名公表したときにマスメディアがどのような報道をするのか想像してみると、マスメディア側の主張のおそろしさが倍増する思いがします。よくある例では、卒業アルバムの寄せ書きや作文が掘り返され、SNSのリア充っぷりが悲惨な事件と対比して取り上げられ、職場や学校での写真を寄せ集められ、友人や近所の知り合いの評判がかき集められるのでしょうけれども、今回の事件ではマスメディアはどのような素材を集めようとしたのでしょうか。「新聞・テレビは気づかないのか、それとも見て見ぬふりをしているのか」とおっしゃる週刊ポストがどう報道したのかを想像するに、遺族側の意向を尊重した関係者のご判断に敬意を表する次第です。

2016年07月17日 (日) | Edit |
前回エントリで取り上げたやまもといちろう氏の増田氏へのネガティブキャンペーンの続編がありましたが、さすがのやまもといちろう氏だけあって、順調に増田寛也氏の支持が低迷しているようで、正直な印象が書かれています。

 増田寛也さんの問題点をいろいろと感じるので、都民有権者1,210万人にもきちんと知ってもらいたいという一心で、いろいろと記事を書いてきたんですが、告示日になって情勢が明らかになってみるとちょっと劇薬が効きすぎたようです。

(略)

 増田さんに関して申し上げるならば、このような「お座敷」に必要な肩書きを持った人を並べるという際に、会議芸人として芸を披露することにおいては優れているとしても、政治家として必要な筋の通った政治思想や哲学については、ついぞ垣間見せることが一度もありません。彼の政治思想は何なのでしょう。日本創成会議でも話題になりそうな社会的テーマに学術的なパッケージにくるみ、「地方消滅」などのおどろおどろしいワードで飾り立てて問題を世に問うだけの存在ではないかと思うわけであります。

(略)

 ただ… 私もここまで書いておいてなんですが、いま東京都知事選で選挙戦に臨んでいる有力候補者を横で並べてみたとき… あの、何というか、増田さんがまだまともなのかなー、とかちょっぴり思ったりもします。いやー。どうなんですかね。うまく趣旨替えをしてもらいつつ、東京都政の病理でもある一種の利権政治との決別をしてくれる、戦える実務家(ただし自称)として、まずは増田さんには全力で頑張っていただきたいと願う次第であります。

「「原発容認派」増田寛也は、東京都民のために働けるか(2016年7月15日 1時24分配信)」
※ 以下、強調は引用者による。

まあ、増田氏の本領は既定路線が敷かれていてこそ発揮されるわけでして、中身のないコメントで既定路線にお墨付き(らしきもの)を与えるという役割での利用価値は高いんですよね。

増田寛也×北川正恭

県民との契約を旗印に!―
北川 「実は、初めてマニフェスト(政権公約)選挙をやっていただいたのが増田知事だったんですよね」
増田 「北川さんにのせられましてね。マニフェスト選挙で、候補者を選ぶ判断基準が完全に変わりました。生活者基点というか、県民としっかり契約して、ダメなら4年後の選挙で落とすと。いままでだと、国民はあまりよく知らないんだ、自分たちが国を背負って立つんだ、という考えでしたが、今の国民、生活者は全体のことをよくご存知です。選ばれる候補者は早くそのことに気がつかなくてはいけないのではないかと思います」
北川苦い薬が入っているマニフェストでも、国民や県民はちゃんと理解して選択する能力があるんですよね

「THE GUEST VOLUME 01 ●北川正恭が改革派とよばれる知事たちと語り合った――」

いやまあ、そのマニフェストなる選挙公約もすっかり下火になりましたが、当事者たちがこの有様です。

なんと、自ら三重県知事としてマニフェスト選挙を広めて、現在では早稲田大学マニフェスト研究所所長を務める北川正恭氏が「国民もマニフェストを望んでいない」とかいっちゃってるんです。それを認めてしまったら、国民も現政権党がうそをついているのをわかって政権交代させたっていうことになってしまいます。まさに「まず政権交代」という「やってみないとわからない」的無責任な放言が現実のものとなってしまったわけです。

マニフェストという無内容(2010年11月21日 (日))


で、増田氏のホームページを拝見すると「マニフェスト」という言葉はどこにもなくて、堂々と「公約」と書いています。
増田寛也 オフィシャルサイト
なるほど、やまもといちろう氏が「政治家として必要な筋の通った政治思想や哲学については、ついぞ垣間見せることが一度もありません」と指摘されるのも納得の節操のなさですね。

なお一応念のため、増田氏が知事時代に増やした県債残高は国と都道府県の中ではそれほど突出して高いわけでもなく、私自身は増田氏の能力を「ほとばしる無能」とまで断じるつもりはありませんし、既定路線に乗っかって仕事を遂行する能力を有能とみるとか無能とみるかは有権者の判断だろうと思います。