2018年08月06日 (月) | Edit |
医師養成校であるところの医学部の入試において、性別や受験回数によって点数を操作していた実態が明らかになったそうで、いやまあ日本の医療従事者の労働環境を考えればそれなりに合理性のある話ではありますが、「合理性があればいいじゃないの」というのは経済学徒ぐらいでしょうから、こうして問題が明らかになって批判が集まるのは改善に向けた第一歩といえるかもしれません。

東京医大、女子受験生を一律減点…合格者数抑制(読売新聞 2018年08月02日 06時00分)

 東京医科大(東京)が今年2月に行った医学部医学科の一般入試で、女子受験者の得点を一律に減点し、合格者数を抑えていたことが関係者の話でわかった。女子だけに不利な操作は、受験者側に一切の説明がないまま2011年頃から続いていた。大学の一般入試で性別を対象とした恣意しい的な操作が明らかになるのは極めて異例で、議論を呼びそうだ。

 東京地検特捜部も、文部科学省の私大支援事業を巡る汚職事件の捜査の過程で、同大によるこうした操作を把握しており、同大は現在、内部調査で事実関係の確認を進めている。

 同大医学科の今年の一般入試は、数学・理科・英語のマークシート方式(数学の一部を除く)で1次試験(計400点満点)を実施。2次に進んだ受験者が小論文(100点満点)と面接を受け、1次の得点と合算して合否が決まった。


拙ブログでは、3年ほど前のエントリですが、

医療従事者はバブルがはじける前から深刻な人手不足を超人的、というより廃人的な長時間の勤務実態で医療サービスの現物給付需要をカバーしてい」るというのは、医療機関には官民問わず強力な労働組合が存在していまして(その労働組合は「医者とコメディカルのヒエラルキー」という労働者側の労労対立の産物でもあるわけですが)、その強力な組織力によってそれなりに高い賃金水準を確保しているという実態があります。その点で長時間・重労働の勤務実態があってもそれなりにサービスの供給体制は維持されているのですが、労働組合が見向きもされなくなった時期に就業者が拡大した介護労働では、低い賃金水準で長時間・重労働の勤務に従事しなければならないのですから、供給体制が維持できなくなるのもまた宜なるかな

カネを出さずに済ませようとする日本的ソリューション(2015年12月18日 (金))

※強調は引用時。

医療と福祉の現場ではどちらも人手不足が深刻な状況となっておりますが、前者はすでにそれなりの供給体制がある中で、特定の診療科や時間帯の従事者不足が課題となっているのに対し、後者ではそもそも介護需要に見合うだけの人手を確保できず、介護施設への入所が制限される状況となっているのは周知のところでしょう。

私自身は東京医科大学の操作を擁護する気はありませんが、東京医科大学が女性の入学を入試結果の通り認めた場合、介護施設と同じように、資格はとったけど仕事を続けられないという潜在資格者が増えてしまい、需要に応じた医療サービスを提供できないという事態が生じることは想像に難くありません。介護資格に比べれば医師資格の取得にかかるリソースは高価かつ貴重であるわけで、潜在資格者を増やすのではなく潜在資格者にならなそうな者を入学させようと考えるのは合理的な判断です。

介護サービスが制限されることはそれなりに社会問題化して久しいものの、未だに家庭が担うべきという風潮も強いため、需要者側が仕事を辞めて介護をすることで需要そのものを制限することとなり、結局その待遇改善の動きはだいぶ鈍くなっています。それに対して、医療サービスの場合は往々にして人命に関わることもあるため、医療サービスが制限されることに対する社会的忌避はかなり強いのが実態となっていて、供給体制があることが前提となって需要は制限されません。つまり、医療と介護の現場では、後者ではサービスが制限されても自己責任で何とかしろという風潮のために供給体制の整備が進まず、前者ではサービスが制限されることそのものへの忌避のために供給体制を越える需要が制限されることなく、結局いずれも需要と供給のバランスが崩れてしまう状況がそのまま放置されているわけですね。

もちろん、日本型雇用慣行は医療と介護の現場にも浸透していますので、需要と供給のバランスが崩れても超過勤務で対応して人員も増やさないし、職務遂行能力が低いとみなされる非正規労働者や社歴の短い労働者の待遇は改善させないという日本的ソリューションの影響も大きいといえます。

というわけで、需要と供給のバランスを調整するための需要側の選好の変更と、人員と待遇を縛っている日本型雇用慣行の修正という両面作戦が必要となるわけですが、今回の問題に対する反応は、両者をごっちゃにするか、片側のみをあげつらって批判するだけに終始しているものが多く、あいかわらず社会保障をめぐる議論は前途多難だなあと思うところですね。

参考までに、医療従事者の需給については、厚労省でその名も「医療従事者の需給に関する検討会」が開催されておりまして、今年5月に出された第3次中間報告では、

3 将来の医師需給推計(全国レベル)について
○ 平成32年度(2020年度)以降の医学部定員の方針については、医学部受験生への配慮の観点から、平成30年5月末までに結論を得る必要がある。このため、第1次中間取りまとめにおける推計方法を基本としつつ、医師の労働時間について幅を持った仮定をおく等、推計方法について一定の見直しを行うとともに、最新のデータを用いて需給推計を行った。

○ 具体的には、まず、供給推計について、第1次中間取りまとめにおける需給推計方法を基本としつつ、以下の点について推計方法の見直し等を行った。
・ 将来の医学部定員数を、平成30年度の9,419人として仮定
女性医師、高齢医師等の仕事量について、一律の数値を乗じて積算するのではなく、就業率や勤務時間についての性年齢階級別データを踏まえ、詳細に算定

○ また、需要推計についても、基礎医学系の大学教員等臨床以外に従事する医師を含め、第1次中間取りまとめにおける需給推計方法を基本としつつ、以下の点について推計方法の見直し等を行った。
・ 供給推計と同様に、性年齢階級別の詳細なデータを用いて仕事量を算定
・ 「医師の働き方改革に関する検討会」における「中間的な論点整理」で示される時間外労働規制に関係する意見等を踏まえ、労働時間の見込み方について、週55時間に制限する場合をケース1、週60時間に制限する場合をケース2、週80時間に制限する場合をケース3として、仮に上限規制が適用されたと仮定して推計
・ 労働時間短縮に向けた取組について、AI、IoT 等の ICT を活用した効率化や、医師から他の職種へのタスクシフティング(業務の移管)等が進むことにより2040年までに7%の業務削減を見込む場合をケース1、その達成が2.5年程度前倒しされる場合をケース2、同じく達成が5年程度前倒しされる場合をケース3として仮定をおいて推計

(略)

4 平成32年度(2020年度)以降の医師養成数の方針について
○ 今後、平成34年度(2022年度)以降の医師養成数の具体的な議論を進めていくに当たっては、全国レベルのマクロの医師需給推計だけでなく、ミクロの領域における医師偏在対策や、将来の都道府県毎の医師需給、診療科ごとの医師の必要数、長時間労働を行う医師の人数・割合の変化等についても適切に勘案した上で、人口構造の変化や医療技術の進展など医師を取り巻く環境がこれまでよりも短いスパンで変化していくことも踏まえ、定期的に検討をしていく必要がある。

○ また、その際には、大学の医学部定員について、地域医療の実情に応じた医師偏在対策等の側面を踏まえた配慮が必要である。特に、医師需給を踏まえ、臨時定員増分を削減する場合でも、地域間で医師偏在がある場合には、その偏在に応じた程度まで、地域枠のニーズは残ることになる。こうした医師偏在対策の効果が維持される方策についても配慮が必要である。

○ 平成34年度(2022年度)以降の医師養成数については、以上に示した医師の働き方改革や労働実態、医師偏在対策や医師偏在の状況等を勘案し、定期的に医師需給推計を行ったうえで、将来的な医学部定員の減員に向けて、医師養成数の方針等について見直していくべきである。

「医療従事者の需給に関する検討会 医師需給分科会 第3次中間取りまとめ(平成30年5月31日 医療従事者の需給に関する検討会 医師需給分科会)」※pdfファイル

本報告では医師の養成数を供給推計、医療行為に要する勤務時間を需要推計と呼んでいますが、供給推計において女性医師と高齢医師等の仕事量は1人分とカウントしないで計算していますし、需要推計では外来や入院患者数は一定として、他の医療従事者(看護師や技師等)へのタスクシフティングによる労働時間短縮を見込んで推計しているわけです。

いやもちろん、これは推計であって、実際に女性や高齢の医師の仕事量を時間帯に応じて分担する(タスクシェアリング)とか、電子カルテの入力といった事務作業をタスクシフティングするため医師事務作業補助者を増員するとか、一部の医療行為ができる特定行為看護師を増やして医師の負担を軽減するとかいう取組は、個々の現場に頼らざるを得ないので、それが実現できるかどうかは、その現場の取組をどのように財源的裏付けによって進めるかということに帰着します。

さらにいえば、看護師は女性が多くても何とかなっているから医師も女性が増えて問題ないとかおっしゃる方もいらっしゃいますが、看護師の人数が増えれば負担が減るだろうということで、2006年の診療報酬改定で患者と看護師の割合を最高で7対1まで増員すると病院の収入が増えるという仕組みにした経緯があります。ところがそれで何が起こったかというと、7対1体制とするために各病院が看護師を囲い込んで看護師不足が加速されてしまいました。国は囲い込んだ病院が看護師を減らすよう誘導するため、7対1として算定する基準として看護必要度や重症度を厳格化したり、時間管理を厳格化したりしましたが、収入を確保したい病院側は、7対1を満たすギリギリの人員に抑えて、その中で重症な患者を一定数入院させ、厳密に時間管理するという対応を取ります。その結果、7対1体制の病棟では恒常的に仕事に対して人員が少なくなり、特に重症度の患者が多い病棟では夜勤の負担が増大する状況となっています(この7対1は看護必要度や重症度が高い病棟ですので、大病院では急性期病床が過剰に増えてしまい、回復期病床が不足しているため、病床機能を急性期から回復期へシフトするというのが地域医療構想の肝でもあります)。

ということで、看護師については10年以上前から増員は進められていますが、それは診療報酬による誘導であったため、実態に合わない病床を増やしてしまっています。ただし、夜勤の負担が増えた一方で、夜勤の負担を軽減するための取組として、看護協会では夜勤専従者(日勤しないで夜勤のみ勤務する)の導入も挙げています。
夜勤専従者の「過重負担」を防ぎましょう※pdfファイル
看護協会によると、夜勤専従者は月144時間までの勤務となりますので、8時間の夜勤なら月18日、16時間勤務なら月9日の勤務となり、夜間保育などを活用すると自由な時間が増えるというメリットもあるとされます(実際に「自由」かどうかは別として)。

とはいえ、子育てで短時間勤務する場合は、朝と夕方に1〜2時間程度勤務しない方が多いわけでして、大病院に夕方行ってみると外来が閑散としていることが多いんですが、これは病棟で短時間勤務するのは難しいために外来に短時間勤務者が集中していることの結果だったりします。増員して頭数が多くなっても、育児や介護による短時間勤務者の割合によっては手薄になる時間帯があって、特に夜勤ではそれが深刻な問題となっているわけです。医療従事者の労働環境改善を議論するなら、これくらいの事実は抑えていただきたいところですね。

(付記)タイポが複数ありましたので、一部加筆修正しました。ご指摘いただいた方ありがとうございました。
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2018年07月21日 (土) | Edit |
本来業務のデスマーチが一息ついたところで以前のエントリの関連ですが、

公文書というのは例えば課とか係という組織単位で作成して管理するものであるところ、人件費削減の声に押されたそうした組織に公文書管理の担当者を割り当てる余裕は当然ありません。さらにいえば経費削減のため天井が低く空調も後付けのような古式ゆかしい建物で仕事をしている者としては、意思決定資料であるところの公文書を定期的に破棄しなければ建物に入ることすらできなくなるような状況で、ではあるべき公文書管理とは一体何だろうなと思わないでもありません。

というよりむしろ、現場の感覚からいえば、公文書管理は余計な仕事とみなされていて、そのための人件費や施設建設の費用は「行政のムダ」として削減されてきたのではないかというのが正直な思いですね。

制度の不備は職員個人の心がけや自助努力で防ぎなさい(2018年04月07日 (土))

ということを書いていたところ、『市民を雇わない国家』で、日本では他の先進国に比べて格段に早い1960年代から、総定員法によって「小さい政府」に転換していたことを指摘されていた前田健太郎氏が、『現代思想』に論稿を寄せていらっしゃていたようです。

 一般に、先進諸国において「小さな政府」というスローガンが流行したのは、1980年代以降だとされている。公共部門が肥大化し、民間部門を圧迫している。政府の活動範囲を縮小し、経済の活力を取り戻すべきだ。こうしたメッセージに基づく行政改革に乗り出した指導者として、日本ではイギリスのマーガレット・サッチャー、アメリカのロナルド・レーガンなどの名前が挙がることが多い。
 それでは、「小さな政府」の流行にかもかかわらず、諸外国がそれなりの人員を公文書管理に割くことができているのはなぜなのか。その原因の一つは、公務員の数自体が日本よりも多いことになる。歴史的に見れば、どの国でも公務員数は資本主義の発展とともに増加する傾向にあった。1980年代に行政改革の時代が始まると、その傾向は頭打ちになったが、その後も大幅な人員削減は行われず、それ以降の公共部門の規模は概ね維持された。アメリカのように公文書の管理に携わる人員が多い国は、「小さな政府」の時代が始まる前の段階で既に多くの人員を公文書管理のために確保していたと考えられるのである。
 この視点から見た場合、日本は行政改革によって公務員数の増加に歯止めがかかるタイミングがきわめて早い国であった点に特徴がある。元々、日本は欧米諸国に遅れて資本主義の発展を開始した。それにもかかわらず、高度成長期の1969年には総定員法によって国家公務員数が固定され、その後も財政的な理由で定員削減が繰り返されてきた。その結果、日本における国家公務員を含めた公務員数は先進国で最低水準にある。
前田健太郎「「小さな政府」と公文書管理」p.63

 このような文書主義の弊害の多くの部分は、実は民主主義と表裏一体の関係にある。さまざまな政策課題に直面する行政職員は、可能であれば規則に縛られずに柔軟に対応したいと考える。だが、行政職員による最良の行使は、場合によっては権力の濫用として市民からの批判を受け、それによって新たな規則が作られる。だからこそ、行政職員たちは過剰なまでに文書を作り、それを頼りに自らの行動を正当化せざるを得ない。アメリカの行政学者ハーバード・カウフマンがかつて述べたように、民主国家における官僚制の繁文縟礼の根本的な原因は、我々自身なのである。従って、公文書管理を早くから進めてきたアメリカにおいて、官僚制の繁文縟礼に対する不満が著しく強まったことは、ある意味において民主主義の抱える矛盾を示していると言えよう。
前田健太郎「「小さな政府」と公文書管理」p.65

現代思想2018年6月号 特集=公文書とリアル


※ 以下、強調は引用者による。

資本主義が発展する過程では労働者の働きは集約化されるわけでして、労働者が家庭で過ごす時間が減って育児や介護などの家庭機能を維持することが難しくなると、家族機能の社会化が必要となります。というわけで「歴史的に見れば、どの国でも公務員数は資本主義の発展とともに増加する傾向にあった」のはその通りですね。

そして、「行政職員たちは過剰なまでに文書を作り、それを頼りに自らの行動を正当化せざるを得ない」というのは、拙ブログでも

そんな会計検査院とオンブズマンに対する現場の対応としては、規定された手続きに従わなければ違法・不適正とされるわけですから、厳正な手続きを踏んでこれ以上経費を削れませんでしたという根拠となる書類を何枚も用意しなければなりません。さらに、公会計には発生主義という考え方がなく買掛・売掛という処理ができないので、つじつまの合う日付に書類を作り直す作業も常時発生することになります。そうして削られた経費とその処理に要した手間(労働時間、書類作成の経費)の比較こそが、たとえば事業仕分けで判断される必要があるだろうと思うわけですが、実際の事業仕分けは「とにかく経費を削れば、そのために要する労力やら手続き上の資源の浪費は問わない」というスタンスで進められているのは周知のとおり。極端に言えば、1円の経費を削減するためには、時給数千円になる職員が日夜書類作りに追われても構わないということになるんですね(もちろん、定められた手続きをないがしろにしていいという趣旨ではありません。その程度は、あくまで要するコストと得られるベネフィットの比較で決められるべきだと考えます。為念)。

会計検査院とオンブズマンが作る世界(2010年02月22日 (月))

と書いた通りでして、一方では「公務員が多すぎるのは税金のムダづかいだ」という批判と「お役所仕事で融通が利かないから対応が遅い」という批判に挟まれて、公文書管理なんかやってる暇はないというのが役所の実態となっているところです。

というわけで、前田健太郎氏のこの論稿はその通りだなと思うものの、『市民を雇わない国家』については政治学的な分析に偏りすぎていて、公務員の人事労務管理という観点からの分析が希薄にすぎるのではという印象です。

 以上の検討に従えば,日本における公務員の人件費の特徴は,その財政的な統制の難しさにあった.公務員は,身分が保障されているだけではなく,給与も財政当局との交渉とは独立に決まる.それは,自民党政権の「利益配分体系」の外から働く支出拡大の圧力であり,景気と連動するものではあっても,必ずしも長期的に政府の財政規模を拡大させ続けるわけではない.しかし,公務員の給与が民間部門に合わせて設定されるということは,政府が人件費を有効にコントロールできないことを意味していた.こうした性質ゆえに,公務員の人件費は1967年9月に始まる財政硬直化打開運動の標的になったのである.
p.98

市民を雇わない国家
日本が公務員の少ない国へと至った道
前田 健太郎 著
ISBN978-4-13-030160-2発売日:2014年09月26日判型:A5ページ数:328頁

身分保障は雇用保障ではないと何度言えば…、というのはとりあえず措いといて、政治学的な描写としては指摘される通りでしょうけれども、この時期は高度経済成長に対応するため日本型雇用慣行が形成された時期でもありまして、民間では人材確保と給与原資の管理が問題となっていた時期でもあります。そして技術革新に応じた配置転換を円滑に進めるために、年功制を基本とした職能資格給が民間で採用され、民間準拠する人事院勧告を通じて公務員の賃金体系にも影響が現れたというのが実態と言えるでしょう。

特に日本の公務員制度の特徴として、給与制度についてはアメリカの人事委員会制度を参考にしてすべての政府職員を「公務員」としてアメリカ型の職階制を規定する一方で、その運用の理解においてはすべての公務員の雇用を大陸法(ドイツ法)と同じく任用とされるというねじれが生じています。

 公務部門で働く者はすべて公務員であるというのは、戦後アメリカの占領下で導入された考え方である。戦前は、公法上の勤務関係にある官吏と、私法上の雇傭契約関係にある雇員(事務)・傭人(肉体労務)に、身分そのものが分かれていた。これは、現在でもドイツが採用しているやり方である。そもそも、このように国の法制度を公法と私法に二大別し、就労関係も公法上のものと私法上のものにきれいに分けてしまうという発想自体が、明治時代にドイツの行政法に倣って導入されたものである。近年の行政法の教科書を見ればわかるように、このような公法私法二元論自体が、過去数十年にわたって批判の対象になってきた。しかし、こと就労関係については、古典的な二元論的発想がなお牢固として根強い。
 ところが、アメリカ由来の「公務部門で働く者は全員公務員」という発想は、公法と私法を区別しないアングロサクソン型の法システムを前提として産み出され、移植されたものである。公務員であれ民間企業労働者であれ、雇用契約であること自体には何ら変わりはないことを前提に、つまり身分の違いはないことを前提に、公務部門であることから一定の制約を課するというのが、その公務員法制なのである。終戦直後に、日本が占領下で新たに形成した法制度は、間違いなくそのようなアメリカ型の法制であった。それは戦前のドイツ型公法私法二元論に立脚した身分制システムとは断絶したはずであった。
 ところが、戦後制定された実定法が明確に公務員も労働契約で働く者であることを鮮明にしたにもかかわらず、行政法の伝統的な教科書の中に、そしてそれを学生時代に学んだ多くの官僚たちの頭の中に生き続けた公法私法二元論は、アメリカ型公務員概念をドイツ型官吏概念に引きつけて理解させていった。その結果、公務部門で働く者はすべて(ドイツ的、あるいは戦前日本的)官吏であるという世界中どこにもあり得ないような奇妙な事態が生み出されてしまった

濱口桂一郎「非正規公務員問題の原点」『地方公務員月報』2013年12月号


さらに、人事院勧告によって民間の給与体系に準じることとしたために、民間企業で1960年代に普及した日本型雇用慣行としての職能資格給制度が、法に規定された職階制(2016年に廃止されましたが)に代わって適用されることになりました。つまり、GHQはあくまでアメリカ型のジョブ型雇用を国家公務員法・地方公務員法に規定したものの、官公労の労働争議の激化に業を煮やしたマッカーサーが公務員のストを禁止して人事院勧告を導入させたところ、結局ジョブ型雇用によって給与が決まるのではなく、メンバーシップ型雇用によって年功的に給与が決まる仕組みが定着してしまいます。このため、公務員の任用という行政処分における賃金決定は、民間より厳格な年功制に基づくことになり、公務員の年齢構成が高齢化すると自動的に給与原資が増加する仕組みとなっていたわけです。

そして、総定員法が制定された1969年は、民間企業が職能給に舵を切った時期でもありました。

④賃金制度の唱道
 賃金制度の面から見ると、1950年代から1960年代にかけての時期は、使用者側と政府側が同一労働同一賃金制度に基づく職務給を唱道し、これに対して労働側は原則自体は認めつつも、その実施には極めて消極的な姿勢を示していた時期です。
(略)
⑤職能給の確立
 ところが1960年代後半には、事態は全く逆の方向に進んでいきます。一言でいえば、仕事に着目する職務給からヒトに着目する職能給への思想転換です。これをリードしたのは,経営の現場サイドでした。その背景にあったのは、急速な技術革新に対応するための大規模な配置転換です。労働側は失業を回避するために配置転換を受け入れるとともに、それに伴って労働条件が維持されることを要求し、経営側はこれを受け入れていきました。
(略)
 この転換を明確に宣言したのが、1969年の報告書『能力主義—その理論と実践』です。ここでは、「われわれの先達の確立した年功制を高く評価する」と明言し、年功・学歴に基づく画一的人事管理という年功制の欠点は改めるが、企業集団に対する忠誠心、帰属心を培養するという長所は生かさなければならないとし、全従業員を職務遂行能力によって序列化した資格制度を設けて、これにより昇進管理や賃金管理も行っていくべきだと述べています。「能力」を体力、知識、経験、性格、意欲からなるものとして、極めて属人的に捉えている点において、明確にそれまでの職務中心主義を捨てたと見てよいでしょう。
p.111-113

日本の雇用と労働法
濱口桂一郎 著
定価:本体1,000円+税
発売日:2011年09月20日
ISBN:978-4-532-11248-6
並製/新書判/242ページ


それまでは、「国民所得倍増計画」において同一労働同一賃金制度によって生活に要する経費が賄えない分は社会化するという構想があったのですが、

 このほか住宅費用についても詳しく説明していますが、これらを裏返していえば、欧州諸国では公的な制度が支えている子供の養育費、教育費、住宅費などを、日本では賃金でまかなわなければならず、そのために生計費構造に対応した年功賃金制をやめられなくなっているということが窺われます。
 こうしたことは、実は1960年代には政労使ともにほぼ共通の認識でした。それゆえに、ジョブ型社会を目指した1960年代の政府の政策文書では、それにふさわしい社会保障政策が高らかに謳いあげられていたのです。
 例えば、1960年の国民所得倍増計画では、「年功序列型賃金制度の是正を促進し、これによって労働生産性を高めるためには、すべての世帯に一律に児童手当を支給する制度の確立を検討する要があろう」と書かれていますし、1963年の人的能力開発に関する経済審議会答申でも、「中高年齢者は家族をもっているのが通常であり、したがって扶養手当等の関係からその移動が妨げられるという事情もある。児童手当制度が設けられ賃金が児童の数に関係なく支払われるということになれば、この面から中高年齢者の移動が促進されるということにもなろう」とされていました。
p.230
日本の雇用と中高年
濱口 桂一郎 著
シリーズ:ちくま新書
定価:本体780円+税
Cコード:0236
整理番号:1071
刊行日: 2014/05/07
※発売日は地域・書店によって
前後する場合があります
判型:新書判
ページ数:240
ISBN:978-4-480-06773-9
JANコード:9784480067739

結局、生活を保障するのは(民間と公務員の別にかかわらず)使用者であって政府ではないという、世界に類のない小さな政府かつメンバーシップ社会が現出することとなったわけですね。という次第で、いまや「可処分所得を確保するために正社員を増やせ!経済成長のために増税なんてけしからん!」などと知った顔して声高に煽る方々が「経済左派」を自称される世の中になってしまったわけでして、市民を雇わない国家どころか、市民の生活を保障しない国家と人手不足でも職能資格がなければ賃上げをしない社会をつくり出したのは一体誰だったんだろうと考えてみるのもまた一興です。

2018年07月01日 (日) | Edit |
既に各方面で論評されているところですので多くは語りませんがhamachan先生の咆哮が炸裂していたところでして、これまで労働時間規制の重要性をことあるごとに指摘し、やっと法制化が実現使用しようとするそのときに残業代規制のオプトアウトのみを取り上げて法案成立阻止を声高に主張する方々に対する憤懣やる方なさが際立ちます。干支も一回りしてしまった12年前のエントリで指摘されるように、

改めて確認するまでもないのですが、

アメリカ:労働時間規制は全くなし、40時間を超えると賃金が5割増、この賃金の5割増規定に適用除外(ホワエグ)あり。

イギリス:労働時間規制あり(週48時間)、個人ベースで労働時間規制の適用除外(オプトアウト)あり、ただし1日11時間の休息期間あり。割増賃金については一切規制なし。

日本:労働時間規制あり(週40時間)、職場ベースで労働時間規制の適用除外(36協定)あり、ただし上限なし。40時間を超えると賃金が25%増、この賃金の25%増規定に適用除外なし

イギリスのオプトアウトに見合うのは日本の36協定であり、どっちも残業が組み込まれている。彼我の違いは休息期間の有無なんですね。一方、アメリカには日英のような意味での「時間外労働」という概念はない。割増を払うべき時間があるだけ。

問題は、この最後の緑色のところなんです。なんで高給サラリーマンにまで高い残業手当を払わなければいけないのか、というのが、ホワエグの本質なのであって、その意味ではまさに残業代ゼロ労働なのですが、そういう問題意識はイギリスには全くない。だって、残業代をどうするかなんて、法律は一切介入していないのですから

そもそも法律が介入するのは労働時間なのであって、(最低賃金以外は)賃金に介入しないイギリスにおいて、「残業代ゼロ労働」という概念自体存在しないでしょう。

「残業代ゼロ労働って言うな!(2006年12月12日 (火))」(hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳))
※ 以下、色文字強調は本文、太字下線強調は引用者による。

労基法上の労働者について労働時間規制に事実上の上限がなく、その代わり超過勤務手当については適用除外がないというこの国の労働法制においては、残業代さえ払えばいくらでも残業させられる状況が長く続いていたところ、今回の法改正によってついに労働時間に罰則付きで物理的な上限規制が法定されたわけでして、まさに歴史的法改正といえます。

その一方で、超過勤務手当のオプトアウトを新たに設けたのがいわゆる高プロであり、これまでもみなし労働時間制のさらに特則として規定されていた裁量労働制の適用対象職種業務の拡大も併せて盛り込まれていたわけですが、その説明が「柔軟な働き方で労働時間短縮」などというおためごかしであれば、そりゃまあ紛糾するのは火を見るより明らかでしょう。特にデータをねつ造してそのおためごかしを押し通そうとした裁量労働制は法改正から削除される事態となったところしでして、その点では政府与党の議論の進め方が全くもって適切ではなかったというべきです。

ここに至る経緯は労政審などの丁寧な議論がきちんと参照されるべきですが、ごく乱暴にまとめてしまえば、これまで事実上の労働時間規制が、実態としては賃金規制でしかない超過勤務手当以外になかったこの国の労働基準法において、初めて物理的な上限規制を罰則付きで設けるに当たって、「日本型雇用慣行で正規労働者の多くが日給月給であって、特に高給な労働者に対しては、その高額な日給月給を基礎とする高額の時間外手当を支払うことの合理性も問われていた」ところ、そのような労働者を超過勤務手当規制の適用除外とするという取引を行ったともいえます。

いやこれは乱暴にもほどがあるまとめ方でして、hamachan先生の最新エントリから引用すると、

濱口:バーター論と言っても、こちら側の合理性である長時間労働規制を何としてでも手に入れるためにしぶしぶ経営側の合理性である残業代規制の緩和を認めざるをえない、という捉え方は少し誤解があります。先ほども申したように、経営側は、天守閣がないなかで成果に基づいて報酬を支払いたいというロジックなので、一定の合理性があるわけです。そこに、現在長時間労働を間接的に防いでいる櫓を壊すのであれば、その代わりに新しい天守閣を作らなければいけないというこれまた合理性のあるロジックを持ち出すことになるので、このバーター論ではそれらの合理性を前提にした、話し合いの余地が十分にあります

濱口:まともな労働法学者が評釈したら疑う余地もなく判旨反対となりますが、一般の意見としてはそんなの当たり前だろうと捉えられてしまう。世の中の大半の人がこれ以外の結論はないと思うことが違法になってしまうような仕組みはおかしいわけです。この例の場合は年収3000万円ですが、これが1000万や800万に引き下げられた場合はどうなのか。そのあたりになると世間の常識がせめぎ合うようになるわけです。高給取りであれば残業代規制に守られていなくても仕方がないという常識による攻撃に櫓がさらされたとき、単に判旨反対では守れません。そこで生きてくるのがバーター論です。物理的な労働時間以外の領域における線引きをどのように釣り合わせていくかという政治的な判断の領域においてはそのような議論が必要になってくると思います



「濱口桂一郎×渡辺輝人「労働時間改革をめぐる実務家と政策論者の視点」@『POSSE』第24号(2014年)(2018年7月 1日 (日))」(hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳))

天守閣として物理的な労働時間の上限規制を罰則付きで設ける一方で、櫓であるところの賃金規制である超過勤務手当規制にオプトアウト規定を設けることによって、政治的な判断の領域において線引きを釣り合わせるということで労使双方が妥結し、結実したものが今回の法改正であったということもできるのですね。

まあ、交渉による妥結などという言葉を聞くと、原理主義者な「正しさ」のみにプライオリティを置くような方々にとっては唾棄すべきものに思われるのかもしれませんが、現行の法律というのはそうした交渉の結果として得られる利害調整を明文化したものであって、いきなりお上が定めてそれに逆らうとお上に捕まえられて市中引き回しの上打ち首なんて世界の律令ではありません。高プロで過労死が増えるなどとして国会で延々と審議拒否を続けてきた方々は、その高プロに適用される労働時間の物理的な上限規制すら現行では存在しない一般の労働者が、今回の法改正が見送られることによって引き続き過労死のリスクにさらされ続ける事態をわかっていながら、政局に持ち込むことしか興味がなかったように見受けます。そして、したり顔で今回の法改正によって「経営者だけが喜んでいる」とか「政府与党がネオリベ路線で労働者を搾取しようとしている」などと騒いでいる方々は、上記のような現行の労働法における労働時間規制の現状には全く興味がないように見受けます。

いやまあもしかすると、「himaginaryさんがおっしゃるように「「労働政策や所得再配分政策に関する論争が前面に出てくる」状況を目撃することは贅沢なこと」なんですねえ」と思っていたところ、実際にそれっぽい世の中にはなってきているような気がするものの、そういう論争そのものがトンチンカンな議論に終始しているのであれば、あまり贅沢ではないのかもしれませんねえ。

(追記)
本業の方がデスマーチを迎えてすっかり放置してしまい恐縮ですが、本エントリも勢いで書いて細かいところが言葉足らずでしたので、見え消し修正(本文の下線部は加筆または置き換え)しました。hamachan先生にも早速捕捉されておりまして、

…今回の件については論点はことごとく10年以上前に出尽くしていて、それに対していかに論じるべきであり、いかに論じるべきではないかも、10年以上前に全て私が論じ尽くしているにもかかわらず、そういうのをことごとくスルーして、
「たった今までの日本こそが、高度でもプロフェッショナルでもないごく普通の新入社員が無制限の時間外・休日労働にさらされる国であり、それゆえに99年前のILO第1号条約すら批准できない情けない国であり、今回の法改正でようやく、そういう状況から(なお相当に不十分とはいえ)それなりにまっとうな状態に脱却できたのであるということ」
を無視した議論が横行する今の日本の知的世界の退廃ぶりに、正直「憤懣やる方なさが際立」っている所です、ほんとに。

まっとうな、法規制そのもののあり方、法制度そのもののあり方を正面から論ずることが軽薄なマスコミの表面から追いやられ、あたかも今現在の日本で何百人も過労死している人々に適用されている一般労働時間規制が、過労死するはずのないご立派な法制度であるかの如き議論が平然と横行することに、危機感をかけらも感じて居なさそうな専門家と称する人々にも失望しています。


投稿: hamachan | 2018年7月 2日 (月) 10時18分


「『新しい労働社会』岩波新書(2009年)(2018年7月 1日 (日))」コメント欄(hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳))


マスコミが軽薄な議論に終始するのはまあいつも見ている景色ではありまして、それをデフォルトとしなければならない現状には暗澹たる気持ちにならざるをえないものの、今回の法改正では、裁量労働制の対象業務拡大が外された一方で罰則付きの物理的な労働時間規制が設けられたことは多としなければならないのでしょう。そのような中で、法曹たる弁護士の中に現行法の問題点を等閑視して今回の法改正であたかも労働時間規制が緩和されるかのような議論を煽った方々が一定数いらっしゃったのは、大いに幻滅させられました。紛争を飯の種にする弁護士の方々の就職活動なのだろうかと皮肉も言いたくなるようなひどい状況だったとして、そう明示した上で、現行法規で過労死の危険にさらされ続ける労働者とこそ利害調整していただくとともに、それを煽る一部の労働研究者には、弁護士の職業的なバイアスを指摘していただきたかったと申し上げておきます。

(再追記)
hamachan先生にご指摘をいたただきましたので、追記の一部を見え消し修正いたしました。

(略)…どちらも労働者にとっての正義である中で、民事弁護士にとってより重要性の高い正義(残業代規制)の縮小に異議を唱え、民事弁護士にとってより重要性の乏しい正義(物理的時間規制)の拡大に対して軽視するような態度をとること自体は、それがあたかもアカデミックな労働法学全般にわたる絶対的正義であるかのような言い方をするのでない限り、職業的正義の表出として、私は必ずしも否定的に見ているわけではないのです。それはあって当たり前のバイアスであり、そのこと自体を道徳的に批判すべきものではない。

むしろ、そういう職業的利害によるバイアスを是正すべき立場にある研究者たちの行動にこそ、「正直絶望的な感覚を抱かざるを得ません」というのが本当のところです。

投稿: hamachan | 2018年7月30日 (月) 10時22分

ご指摘の点に賛同いたしますので、民事弁護士の職業的正義の表出を揶揄する表現を修正し、労働者にとっての正義を実現するために、民事弁護士の職業的正義とどちらを優先すべきか利害調整が行われることを望む次第です。

2018年06月17日 (日) | Edit |
気がつけば今年も半分が過ぎようとしておりまして、霞ヶ関方面はいわゆる「骨太の方針」策定を中心とする次年度向けの方針が次々と決まる季節となっております。念のため、2000年の省庁再編以来、少なくとも建前上は、内閣府の中でもいわゆる旧経済企画庁である経済財政運営担当、経済社会システム担当、経済財政分析担当が経済財政政策を所管しておりまして、そのうち経済財政運営担当がロジを担当する経済財政諮問会議が司令塔となります。この経済財政諮問会議が毎年6月中旬〜下旬に策定するのがいわゆる「骨太の方針」でして、霞ヶ関における次年度の政策はここで決まります。

このため、各府省庁では(国会で当年度(3月までは次年度ですが)予算案が可決されるまではそちらの対応に追われることとなりますが)当年度予算が動き出した4月からは、いわゆる「骨太の方針」にいかに施策を盛り込むかに注力しなければなりません。予算作業などと並行して審議会などを開催し、だいたい前年度夏くらいから当年度4〜5月くらいまでに各分野の計画や方針を策定し、それ以降、その計画や方針を根拠としていわゆる「骨太の方針」に盛り込むために内閣府と協議を重ねるという作業に追われるわけです。

ということで、チホーソーセーのかけ声で始まった「まち・ひと・しごと創生基本方針」が今年も策定されたわけですが、

若者の地方移住を後押し 地方創生基本方針を閣議決定(日本経済新聞 2018/6/15 18:40)

 政府は15日の臨時閣議で、地方創生の具体策を盛った「まち・ひと・しごと創生基本方針」を閣議決定した。東京圏から地方への若者の移住を促すため、転職や起業をした人向けの支援金を新設する。東京一極集中に歯止めをかけ、地方での就労人口を増やす狙いだ。

 職に就いていない女性や高齢者が新たに働き始める際に助成金を支給する制度もつくる。女性や高齢者と、地方移住に伴う転職者を合わせて、2019年度から24年度までに、地方での就労者を計30万人増やす目標を掲げた。

 外国人材が地方で幅広く活躍できる制度も整える。地方自治体で働く語学教員の外国人が訪日客誘致などの業務を兼ねられるよう、在留資格の特例を設ける。地方の中小企業に就職する留学生の在留資格の変更手続きを大企業と同様に簡素にする方針も盛り込んだ。

※ 以下、下線太字の強調は引用者による。

強調した部分を読んで頭の中がはてなマークでいっぱいになりました。というのも、「地方自治体で働く語学教員の外国人」というのは、いわゆるALTの方々でして、10年ほど前にはALTを本来従事する学校以外で従事させることは本来の業務で派内としてトラブルになっていたわけです。そうした事態に対して、その当時の文科省は派遣法を適用するという弥縫策で乗り切っていました。

 さて、標記の件について、「語学指導等を行う外国青年招致事業(JETプログラム)」においては、各地方公共団体が特別職の地方公務員として外国語指導助手(ALT)を任用(民法上の「雇用」に相当)しているところですが、JETプログラム以外で独自に外国語指導助手(いわゆる「NON-JET」)を活用する地方公共団体の中には、民間業者(請負業者等)に対する業務委託という契約形態(民法上の「請負」又は「準委任」等に相当)を採っている事例も見受けられるところです。

 こういった事例においては、その契約の形態(種類、名称)に関わらず、派遣元の事業主が雇用する者を派遣元の事業主との雇用関係の下に、かつ、派遣先の学校の指揮命令を受けて当該学校のために仕事に従事させる場合は、「労働者派遣事業の適正な運営の確保及び派遣労働者の就業条件の整備等に関する法律」(昭和60年法律第88号。以下「労働者派遣法」という。)に基づく契約とすることが必要となります。

 ついては、労働者派遣事業の概要等は、別紙のとおりですので、御参照の上、労働者派遣について不明な点等があれば、適宜、都道府県労働局に相談するなどして、現在締結している契約及び今後締結する契約について、適切な対応をとられるようお願いします。あわせて、優れたALTについては、正規教員としての採用を図るなど外国語の指導体制の充実に努めるようお願いします。

「外国語指導助手の契約形態について(通知)(平成17年2月17日付け16初国教第121号 文部科学省初等中等教育局国際教育課長)」


こうした業務形態はニーズがあるから成立するわけでして、地方自治体にとっては、せっかく片田舎にまで来た外国人を使い倒さない手はないとして、本来の業務場所以外に従事させようとするのは当然の成り行きですね。ところが、ジョブ型雇用の世界からいらっしゃった外国人にとって職務記述書に記載のない業務に従事するなんて契約違反でしかないわけで、日本の実定法においても直接の雇用関係にない職場で指揮命令が行われていたことを問題として派遣法を該当させるという荒技を使ったわけです。

そういう問題を抱えたJETプログラムの説明を見てみると、

JETプログラムは、「語学指導等を行う外国青年招致事業」(The Japan Exchange and Teaching Programme)の略称で、地方自治体が総務省、外務省、文部科学省及び一般財団法人自治体国際化協会(CLAIR)の協力の下に実施しています。

JETプログラムは主に海外の青年を招致し、地方自治体、教育委員会及び全国の小・中学校や高等学校で、国際交流の業務と外国語教育に携わることにより、地域レベルでの草の根の国際化を推進することを目的としています。国内はもとより、世界各国から大規模な国際的人的交流として高く評価されており、このプログラムに係わる日本の各地域の人々と参加者が国際的なネットワークをつくり、国際社会において豊かな成果を実らせることが期待されています。

「JETとは」(一般財団法人自治体国際化協会 (CLAIR))


JETプログラム参加者は、「外国語指導助手(ALT)」、「国際交流員(CIR)」、「スポーツ国際交流員(SEA)」の3つの職種で来日します。
職種に関わらず、JET参加者が果たす役割は、地域の外国語教育の普及と、国際化の推進です

外国語指導助手(ALT:Assistant Language Teacher)は主に学校、または教育委員会に配属されます。日本人外国語担当教員の助手として外国語授業に携わり、教育教材の準備や英語研究会のような課外活動などに従事します。JET参加者の90%以上がALTです。

国際交流員(CIR:Coordinator for International Relations)は、主に地方公共団体の国際交流担当部局等に配属され、国際交流活動に従事します。その職務内容から、応募者には高い日本語能力が求められます。

SEA(Sports Exchange Advisor)は、主に地方公共団体に配属され、スポーツ指導等を行います。特定種目のスポーツ専門家として、スポーツトレーニング方法やスポーツ関連事業の立案の補助などを通じて、国際交流活動に従事します。

「JETプログラムの3つの職種」(一般財団法人自治体国際化協会 (CLAIR))


というわけで、太字強調したように「職種に関わらず、JET参加者が果たす役割は、地域の外国語教育の普及と、国際化の推進です」と明記することで、職務を限定しないような配慮が見えるわけですが、そもそも日本以外のジョブ型雇用の世界でそんな小細工が通用するわけもなく、あくまで個々の労働者の職務は個々の労働者ごとに明記されるのがジョブディスクリプション(職務記述書)の原則です。

もし新たな業務が生まれたらば、ジョブ型雇用の世界ではそれを担う雇用が生まれなければなりません。ところが、職務無限定で残業してでも言われたことをこなすことが正規労働者の役割としてたたき込まれた日本型雇用慣行においては、新しい職務が生まれたなら、それを既存の労働者に押しつけるのが正しい作法となるわけです。

というわけで、「まち・ひと・しごと創生基本方針」の本文を確認しておきますと、

Ⅲ.各分野の施策の推進
1.わくわく地方生活実現政策パッケージ
(3)地方における外国人材の活用
<概要>

地方創生の取組によるインバウンドや地元産品輸出の拡大の活発化、在留外国人の更なる増加に伴う、多文化共生等の充実等により、地方公共団体においては、外国人材の活用ニーズが高まることが見込まれる。これに対応すべく、これまでの取組に加え、アジアや中南米をはじめとした在外の親日外国人材を掘り起こし、外国人材と地方公共団体のそれぞれのニーズをマッチングさせるための仕組みを構築する。また、地方公共団体等における外国人材が多様な活動ができるようにするため、複数の在留資格にまたがる活動に従事することが可能となるよう包括的な資格外活動許可を新たに付与する。さらに、日本の大学等を卒業した外国人留学生がその専門能力を十分に発揮できるよう高度人材ポイント制の拡充や在留資格変更手続きの簡素化等を行う。
また、外国人材の地域での更なる活躍を図るとともに、地域における多文化共生施策を一層推進する。


【具体的取組】
◎外国人材による地方創生支援制度の創設
外国人材を要望する地方公共団体のニーズに応えるべく、在外公館において、国際交流基金及び国際協力機構(JICA)と連携し、日本語学習者や日系人、元国費外国人留学生等の在外親日外国人材の掘り起こしを図るため、地方公共団体において活躍したいと望む外国人材への広報(大使館 HP等)を行う。これらの取組を通じて得られた情報を基に、地方公共団体において活躍したいと望む外国人材と地方公共団体のニーズ(地方創生業務)を円滑にマッチングさせるための仕組みを構築する。
・地方公共団体等において、外国人材が安定的に雇用され、柔軟かつ効率的に活動できるように外国人材の活用による海外展開、多文化共生、災害対応や教育等、幅広く活動することが可能となる包括的な資格外活動許可を新たに付与する。
(略)
◎外国人材の地域での更なる活躍等
・JET プログラム国際交流員(CIR)が、地域の経済団体等と連携して業務を行うことを促進するなど、インバウンドや海外販路開拓等に従事するCIR の一層の拡大を行う。
・外国人材の地域への定着に向け、地方公共団体等との連携により、JET プログラム終了者や留学生等が地域産業の担い手や地域おこし協力隊員等として活躍できるよう、マッチングの機会の拡大等を行う。
・また、地域におけるベストプラクティスの共有・展開や、多文化共生施策の担い手の育成を進めるなど、地域における多文化共生施策を一層推進する。

「まち・ひと・しごと創生基本方針2018(案)(pdf)」(まち・ひと・しごと創生本部)

ということで「CIR の一層の拡大」という文言はかろうじて確認できますが、そのほかでは新たな雇用を生み出すことなく、「包括的」という言葉でもって「外国人材が安定的に雇用され、柔軟かつ効率的に活動できるように外国人材の活用による海外展開、多文化共生、災害対応や教育等、幅広く活動する」という、まさに日本型雇用における正規労働者のごとく、安定した雇用の引き換えに職務無限定でどんなことでもこなす労働者として外国人を取り込んでいこうということが閣議決定されたわけです。

さて、ではこうした各分野の計画はどのように「骨太の方針」に盛り込まれたかというと、同日付けとなりますが、

4.新たな外国人材の受入れ
 中小・小規模事業者をはじめとした人手不足は深刻化しており、我が国の経済・社会基盤の持続可能性を阻害する可能性が出てきている。このため、設備投資、技術革新、働き方改革などによる生産性向上や国内人材の確保を引き続き強力に推進するとともに、従来の専門的・技術的分野における外国人材に限定せず、一定の専門性・技能を有し即戦力となる外国人材を幅広く受け入れていく仕組みを構築する必要がある。
 このため、真に必要な分野に着目し、移民政策とは異なるものとして、外国人材の受入れを拡大するため、新たな在留資格を創設する。また、外国人留学生の国内での就職を更に円滑化するなど、従来の専門的・技術的分野における外国人材受入れの取組を更に進めるほか、外国人が円滑に共生できるような社会の実現に向けて取り組む。

(1)一定の専門性・技能を有する外国人材を受け入れる新たな在留資格の創設
 現行の専門的・技術的な外国人材の受入れ制度を拡充し、以下の方向で、一定の専門性・技能を有し、即戦力となる外国人材に関し、就労を目的とした新たな在留資格を創設する。

(略)

(2)従来の外国人材受入れの更なる促進
 留学生の国内での就職を促進するため、在留資格に定める活動内容の明確化や、手続負担の軽減などにより在留資格変更の円滑化を行い、留学生の卒業後の活躍の場を広げる。また、「高度人材ポイント制」について、特別加算の対象大学の拡大等の見直しを行う。これらの前提として、日本語教育機関において充実した日本語教育が行われ、留学生が適正に在留できるような環境整備を行っていく。さらに、留学生と企業とのマッチングの機会を設けるため、ハローワークの外国人雇用サービスセンター等を増設する。

「経済財政運営と改革の基本方針2018~少子高齢化の克服による持続的な成長経路の実現~(平成30年6月15日閣議決定)」


いやまあかくも堅牢な日本型雇用慣行に外国人まで取り込まれていくわけでして特にラストシーンで外国人労働者が親指を立てながら溶鉱炉に沈んでいくシーンは涙無しには見られなかったこうですかよくわかりません。

2018年05月29日 (火) | Edit |
海老原さんから新著をご恵投いただきました。いつも場末のブログをお気にかけていただきありがとうございます。本書の主旨については既にhamachan先生が

いやちょっと待って。これって、つい数ヶ月前に出た『HRmics』28号のAI特集の再利用じゃないですか?

ぱらぱらとめくると、確かに読んだ記憶のある文章が。ただ、そうじゃないところもあり、確認すると、結構文章が追加されたりしています。その意味では『Hrmics』の増補版ですね。

総論のところで山本勲さんが登場し、実務面の検証で、リクルート人事部の二人とAIBI論者の井上智洋さんが登場するのも同じです。

雑誌の時もそうですが、今回の本の最大のメッセージは、実はタイトルの「AIで仕事がなくなる」は当面嘘だけれども、それよりむしろ重要なのは、「すき間労働社会」になってしまうんだぞ、ということでしょう。

「海老原嗣生『「AIで仕事がなくなる」論のウソ』(2018年5月14日 (月))」(hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳))

と指摘されている通りでして、AIだなんだと大騒ぎする前に、その「すき間労働社会」というのが具体的にどのようなタイムスパンで進み、仕事の進め方がどう変わっていくのかを考えることが必要ではないかと思います。本書では、AIによる技術革新をこれまでの汎用目的技術(GPT / General Purpose Technology)が与えた影響から類推して、

AIも同じ流れとすると…

 AIという今世紀初のGPT登場で、社会には今、動揺が生じている。それは一部に過剰な期待を生み出し、同時に滑稽なほどの恐怖をも創出している。
 ただ、今回のAI普及場面でも、やがて生産性のパラドックス(停滞期)を脱し、ラッダイト、そして肩車効果、その絶頂でのラッダイトの誤謬、さらには、取り尽くし効果へと歩を進めていくと考えるのが自然だろう。
 AIの進化については、セクション2で触れた通り、特化型AI→全脳アーキテクチャ型AI→全脳エミュレーション型AIと、この先三段ロケットのように不連続な進化を遂げると見込まれている。そのどれがもが新たなGPTだと見立てれば、一つの技術で取り尽くしが起きるころ、次のGPTが生まれ、雇用拡大サイクルが長期にわたり続くと見立てることもできる。
 だとすると、過度な不安や期待で一喜一憂する前に、まずは、この3つのエポックがどの程度のタイムスパンで生まれるのかと、そのタイムスパンに応じた対応を考えることが重要だろう。
p.66-67

「AIで仕事がなくなる」論のウソ この先15年の現実的な雇用シフト
著  者: 海老原嗣生
定  価: 1404円(本体1300円+税8%)
ISBN: 9784781616667
発売日: 2018年5月10日



と指摘されています。その上で、本書で指摘されている問題の重要性は、上記の通り仕事の進め方がどう変わっていくのかを考えることが必要であると問題提起し、それに一定の道筋を付けた上で、人口減少社会にとって歓迎すべきことであると指摘している点にあると思います。「AIに雇用が奪われる」といっても、人口が減少していく社会にあってはむしろそれが必要な面もあるわけですね。

 当然、雇用は大幅に減少する。ただし、この時期(引用注:2040年代)、日本は生産年齢人口減少のヤマ場を迎える。第二次ベビーブーム世代が退職期に入るからだ。同世代は2036年に前期高齢者入りする。ただ、このころは定年再雇用ももうもう少し伸びている可能性が高い。そうしたことから、2040年ごろから本格的に二度目の労働力減少が始まる。ここでもまが、機械による労働代替と労働力減少の歩調が合うため、社会的混乱は比較的小さく済むだろう。

海老原『同』p.199-200

海老原さんがこのように推測する過程は是非本書をお手にとって確認していただきたいのですが、個人的には、そうなった場合には日本型雇用慣行は存続できないだろうなという印象を持ちました。

こうした仕事の分担に敏感なのが日本型雇用慣行でして、それはつまり「職務無限定」でどんな仕事でもこなさなければメンバーと認められず、職務遂行能力がないとみなされ、昇給も出世も断たれるという強迫観念が強くしみついているからだろうと思います。一方で、ジョブ型社会における仕事の原則は、属人的な能力に依存するのではなく、できるだけ再現性の高い業務の進め方を確立することであり、だからこそ、属人的な職務遂行能力ではなく、一定の作業量により労働の対価が決まるような賃金決定方式となっているわけです。

日本型雇用慣行のような属人的な職務遂行能力による賃金決定方式において、評価の基準となるのは本来、職務遂行能力によってもたらされる(はずの)成果です。しかし実際は、企業という組織においては、必ずしも個々人に対応した成果が上がる仕事だけではありません。となると、特定されない成果を生み出す能力を評価基準としなければ不公平となります。ところが、特定されない成果なるものはそもそも評価の基準とはなりえないので、結局「何らかの成果を生み出す」と思われる職務遂行能力が評価の基準となってしまうわけですね。

そのような職能資格給制度においては、属人的な職務遂行能力が評価の対象となるため、同一の仕事であっても担当する労働者の属人的な能力に依存した形で仕事が遂行されます。その結果、たとえばせっかく築き上げた仕事の手順が人事異動で途絶えてしまうというようなことが定期的に生じることになります。「成果を評価する」という建前で構築された職能資格給制度において、同一の仕事で同一の成果が上げられなくなるというパラドックスがもたらされるわけですが、それだけの代償を払ってでも、仕事がなくなっても解雇されないというメンバーシップが選ばれたということですね(やや皮肉な見方をすれば、そのようなパラドックスによって永遠に仕事を生み出し続けられるわけで、本書でもIT化が進んでいるにもかかわらず日本では事務作業が減っていないことが指摘されています)。

本書では、全脳エミュレーション型AIにまで高度に進化していく時代にあって、そうした属人的な能力で「考える」仕事の多くの部分をAIが担当し、それ以外の人間がこなす仕事を「すき間労働」としています。となると、AIによる業務代替は、再現性を高める仕事ではなく、むしろAIの「属人的」な能力に頼る仕事が対象となり、人間が担当する仕事は、再現性の高い「すき間労働」に集約されていく可能性を考えなければなりません。その場合、人間が属人的な能力を向上させる機会が減ることとなるわけでして、海老原さんはこう指摘されます。

 すき間労働化は、AIと機械が「メイン業務」を遂行し、残った細切れ仕事を人が対応するようになる。それはノウハウや勘など「仕事の醍醐味」が感じられ、習熟を積める業務が「なくなる」ことをに他ならない。キャリア形成とは、修行の苦しみと成長のカタルシスから成り立つものだが、そうした部分が機械に代替されるために、働くことは苦しくも楽しくもないものになる。
(略)
 がしかし、世の中は人口減少のため、人手不足が続く。だとすると、人材不足下ですき間労働者を確保するために、会社は「多大な利益」を還元し従業員の給与待遇をアップさせることになる。結果、すき間労働しかしない、未熟練の就労者が、現在のベテラン熟練者よりも高い給与を得ることになりかねない。

海老原『同』p.194-195

個人的には、このご指摘はその通り(このあとの部分でBIの可能性を指摘されているのは、対談相手の井上智洋氏への配慮だとは思いますが)としても、では具体的にその給与待遇はどのようになるのかを考えると、二つの事態が想定されると考えます。

一つは、日本画型雇用慣行における賃金決定方式である職能資格給制度の建前が失われるだろうということです。AIが「属人的」な能力を要する仕事を担当するとなると、海老原さんも指摘されるように、人間がその属人的な能力を獲得し、又は高められるような仕事が、一部の人間にしか割り当てられないことになります。そうではない労働者には、上記のような属人的な能力である職務遂行能力を評価基準とし、経験年数(新卒一括採用の場合は年齢とほぼイコールです)で職務遂行能力が高まるという建前による職能資格給制度が成り立ちません。したがって必然的に、多くの労働者は再現性の高い、それほど考える必要がなく、難易度も低い仕事を前提としたジョブ型の賃金決定方式に移行せざるを得なくなります。そしてそのジョブ型の賃金決定方式においては、職能資格給制度のような昇給や出世は原則としてありません。つまり、海老原さんが指摘されるように未熟練で入職したときの給与が高いとしても、それは将来にわたって一定ということになります。

二つ目は、AIの「属人的」な能力に頼ると、それに不具合があった場合や、それを修正しなければならない場合に、それを修正できる人間や、そもそも修正が必要と判断できる人間が不足するということです。少なくとも企業内では、それを理解するために必要なスキルを獲得する機会が一部の人間にしか与えられないため、企業内でそのような人材を育成して調達する経路は限定されるからです。となると、不足する分については、スキルを獲得する場を企業外の専門機関に頼らざるを得なくなり、企業におけるAIの役割を学習する機会を、外部の(公的)教育機関が提供しなければならなくなると思われます。

AIによって仕事が奪われることは、人口減少社会にとっては歓迎すべきことではあるのですが、それは日本型雇用慣行や、それにつならる教育制度そのものが、その基礎を失うということでもあります。現在の我々がそれに対応した社会の形成に成功するかは依然不透明といわざるを得ない(AIをもってしても!)わけでして、そのためにも本書の問題提起は真剣に向き合う必要があると思うところですね。